パウロによるキリストの福音 II

 第一一章 信仰の逆説

  ― コリントの信徒への手紙 II ―


  対 決

「涙の手紙」

 パウロは第一書簡の最後で、マケドニア経由でコリントを訪問する計画を述べていました。しかし、五旬節まではエフェソに留まらなければならない状況であるので、まずテモテをコリントに派遣します(T一六・五〜一一)。パウロの訪問やテモテの派遣の主要な目的は、エルサレム教団への募金活動を進めるためでした。この時点ではパウロは募金活動が順調に進むことを楽観しています(T一六・一〜四)。ところが、テモテがエフェソに戻ってきて報告したコリント集会の状況はパウロを驚かせました。募金どころの状況ではないのです。最近外から来た「働き人」が、コリントで公然とパウロを非難し、パウロの使徒としての資格を問題としているというのです。コリントの集会も影響されて、パウロから離れる危険さえあるというのです。それでパウロは、自分が「新しい契約」に仕える使徒であることを弁証し、「神の和解」に基づいて自分と和解するように求める「最初の弁明」書簡を書きます。
 
 これまでに見てきたように、この「最初の弁明」書簡(U二・一四〜七・四)は、「新しい契約」とか「十字架の愛」とか「神の和解」というような福音の基本的な質にまで遡って言及するゆとりが見られ、論敵に対する批判の言葉も間接的です。パウロはコリントの集会が再び自分に心を開いてくれることを楽観しています(U七・二〜四)。ところが、この手紙はパウロが期待したような結果を生まなかったのです。コリントの事態は予想していたよりはるかに深刻になっていました。パウロがどうしてそれを知ったのかは明かではありません。その後の状況を見るために再び派遣されたテモテの報告による可能性もあります。パウロは自分が直接コリントに乗り込んでいって、事態を打開しなければならないと考えるにいたります。
 
 マケドニア経由で陸路コリントに向かう計画を変えて、おそらく海路で突然コリントに到着します。このコリント滞在については使徒言行録は何も伝えていませんが、パウロ自身のコリント滞在の回数の数え方(U一二・一四、一三・一〜二)からして、最初に福音を携えてコリントで働いた時と、最後に献金を準備してエルサレムに旅立つ前に冬を過ごした、パウロが「三度目」と言っている滞在の間に、「二度目の滞在」がなければならないことになります。
 
 この「二度目の滞在」は、パウロにとって惨めな結果に終わったようです。パウロはその時に起こった出来事については、その後に書いた手紙でも具体的にはほとんで触れていません。この時パウロはコリントの集会を舞台に、外から入り込んで来た「偽使徒たち」と対決したと見られます。しかし、彼らに扇動されたコリント集会でパウロはひどい仕打ちを受け、深く傷つけられたのです。パウロはコリント集会の支持を回復することができず、深く傷ついてエフェソに戻ります。
 
 エフェソに戻ったパウロは、そこから再びコリントの集会あてに手紙を書きます。パウロはさらに後の書簡で、「わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました」(U二・四)と言っていますが、それはこの「二度目の滞在」からエフェソに戻ったときに書いた手紙を指していると見られます。この「涙の手紙」はどこにあるのか、議論が残りますが、一般に第二書簡の一〇章から一三章(一〇節まで)にその手紙の主要部分が保存されていると見られています。仮にパウロが「涙ながらに書いた」とする手紙は失われたとしても、現在の第二書簡一〇〜一三章は「涙の手紙」と呼ぶにふさわしい内容であり、この時期に置くのがもっともふさわしいので、これを「涙の手紙」として見ていきます。
 
 この「涙の手紙」は、先の「最初の弁明」の手紙に見られたような、福音の基本的な内容に触れたり、論敵を間接的に批判するようなゆとりは、もはや見られません。論敵を「偽使徒」と決めつけて攻撃し、自分が使徒であることを「気が狂ったように」と自ら言うまで激しく主張し、また自ら「愚か者」となって誇り、皮肉や逆説、優しさなどあらゆる弁論の技巧を用いて、コリントの人たちの支持を回復しようとします。これはパウロの手紙の中でも特異な性格の書簡となっています。

パウロの論敵

 では、「二度目の滞在」のときに起こった出来事とはどのような性質のものだったのでしょうか。また、パウロが「偽使徒、ずる賢い働き手」(U一一・一三)と呼んでいるパウロ批判者たちはどのような種類の伝道者だったのでしょうか。パウロは具体的にその内容に触れていませんし、他に資料はありませんから、この「涙の手紙」でしているパウロの反論から推察するほかありません。この「論敵」については注解者や研究者の意見は分かれ、新約聖書研究の中でももっとも熱い議論が続いている分野です。その議論に立ち入ることは本講解の性質上できませんので、ここでは必要最小限に触れるにとどめ、この手紙に示されている使徒としてのパウロの姿に焦点を合わせ、その使徒であるパウロが身をもって示している「キリストの福音」に目を注ぎたいと思います。
 
 まず最初に確かなことは、パウロの論敵はユダヤ人キリスト者の「働き人」であることです。パウロはこう言っています。「彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。イスラエル人なのか。わたしもそうです。アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです。キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです」(U一一・二二〜二三)。初期の「働き人」がほとんどユダヤ人であったことを考えると、彼らがユダヤ人であったこと自体は特別の意味を持たないかもしれません。しかし、彼らがユダヤ人であることを自分たちの権威と集会への要求の根拠としたことは、(パウロの反論から)明かです。そのことは、彼らの要求がユダヤ的な面をもっていたことを示唆しています。しかし、ガラテヤ書やフィリピ書(三・二以下)で主題となっている割礼がここでは全然問題になっていないことから、コリント第二書簡の論敵を、異邦人信徒に割礼を要求する「ユダヤ主義者」と見ることは困難です。

 以前に紹介した Jerome Murphy-O'Conner, PAUL- a critical life(1996) は、外から入り込んで来た「働き人」をアンティオキア教団からの使節だとしています。アンティオキア教団は、共同の食卓をめぐる対立(ガラテヤ二・一一〜一四)からパウロが教団を出て独立の活動を行うようになった後、エルサレム教団の圧力によってますますユダヤ化して、異邦人信徒に割礼とモーセ律法の順守を要求するようになり、パウロがガラテヤ、マケドニアで形成した異邦人集会にも使節を送り、自分たちの権威の下に置こうとしたというのです。パウロが教えているキリストの福音が正統なものでないことを説得するために、使節がまずしたことは、パウロには使徒の資格がないことを示すことでした。その使節がついにコリントまで来て働きを始めたために、パウロは危機に陥ったことになります。この説は、パウロ書簡を理解する上で多くの利点もありますが、アンティオキア教団のユダヤ化を根拠づける確証がないこと、とくにコリント書簡に割礼の問題が全然触れられていないことが、この説を受け入れがたくしています。この点については著者は、ガラテヤ書の場合と異なり、パウロはユダヤ主義者の主張ではなく、自分とコリント集会との関係の問題に集中しているからだと説明しています。しかし、コリント書簡で見る限り、パウロと論敵の対立点は、別の視点から見た福音の質の違いにあるようです。

 論敵の出身や背景がどのような種類のものであれ、彼らがコリントでしたことは、パウロが使徒であることを否定して、自分たちこそ正統な信仰を継承する使徒であると主張し、パウロが宣べ伝えたのと「異なるイエス」、「違った福音」を宣べ伝え、コリントの人たちがパウロの宣教を通して受けたのと「違う霊」を受けさせようとしたのです(U一一・四)。もしコリントの集会が彼らの宣べ伝える「違った福音」を受け入れてパウロから離れるようなことになれば、パウロは一つの地域集会を失うというだけでなく、これまで走ってきたことが無意味になるほどの損失になると感じているのです。パウロは自分の世界宣教の計画の中でそれほどコリント集会の存在を重要と考えていたようです。そのことはエフェソに滞在して活動していた期間、パウロが何よりもコリントの問題を重視して行動していることからもうかがえます。
 
 この危機の直面して、パウロは自分の立場を弁証するために、論敵の批判を論駁して、何よりもまず自分がキリストの使徒であることをコリントの人たちに納得させようとします。「二度目の滞在」での悲痛な体験と深刻な危機感から、この「涙の手紙」の表現は激しく、パウロの感情の高ぶりを示しています。それにもかかわらず、その中にやはりパウロが生きている福音の本質が滲み出ています。パウロがそこに生き、パウロを使徒としている福音の本質、すなわち十字架の福音が貫かれています。論敵との対決の仕方の中に、パウロの福音の質が対照されて浮かび上がっています。今回はその点に注目して、この「涙の手紙」を読んでいきましょう。

 誇 り


使徒の誇り(一〇章)

 1 さて、あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている、このわたしパウロが、キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願います。2 わたしたちのことを肉に従って歩んでいると見なしている者たちに対しては、勇敢に立ち向かうつもりです。わたしがそちらに行くときには、そんな強硬な態度をとらずに済むようにと願っています。3 わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。4 わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、5 神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、6 また、あなたがたの従順が完全なものになるとき、すべての不従順を罰する用意ができています。
 7 あなたがたは、うわべのことだけ見ています。自分がキリストのものだと信じきっている人がいれば、その人は、自分と同じくわたしたちもキリストのものであることを、もう一度考えてみるがよい。8 あなたがたを打ち倒すためではなく、造り上げるために主がわたしたちに授けてくださった権威について、わたしがいささか誇りすぎたとしても、恥にはならないでしょう。9 わたしは手紙であなたがたを脅していると思われたくない。10 わたしのことを、「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」と言う者たちがいるからです。11 そのような者は心得ておくがよい。離れていて手紙で書くわたしたちと、その場に居合わせてふるまうわたしたちとに変わりはありません。 (U一〇・一〜一一)

 最初にパウロは自分に対する批判を取り上げます。パウロはコリントの集会では「面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている」というのです。批判者たちは、パウロがそのように行動するのを「肉に従って歩んでいると見なしている」からです。すなわち、人間的な配慮とか計算で行動していると見なしているのです。それに対してパウロは、「弱腰」と見えるのは、パウロが「キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願い」勧めているからだと答えます。そして、パウロが示す「強硬な態度」は、人間の知識や能力ではなく、「神に由来する力で・・・・神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒す」ためであると、その質を説明します(一〜六節)。
 
 さらに、「自分はキリストのものだと信じきって」、パウロの指示は仰がないと高ぶっている人たちに対して、「あなたがたを造り上げるために主がわたしたちに授けてくださた権威」、すなわち使徒としての権威を思い起こさせ、パウロのことを「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」と言う者たちに対して、手紙で書いているとおりに行動すると強く宣言します。(七〜一一節)。

 12 わたしたちは、自己推薦する者たちと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです。13 わたしたちは限度を超えては誇らず、神が割り当ててくださった範囲内で誇る、つまり、あなたがたのところまで行ったということで誇るのです。14 わたしたちは、あなたがたのところまでは行かなかったかのように、限度を超えようとしているのではありません。実際、わたしたちはキリストの福音を携えてだれよりも先にあなたがたのもとを訪れたのです。15 わたしたちは、他人の労苦の結果を限度を超えて誇るようなことはしません。ただ、わたしたちが希望しているのは、あなたがたの信仰が成長し、あなたがたの間でわたしたちの働きが定められた範囲内でますます増大すること、16 あなたがたを越えた他の地域にまで福音が告げ知らされるようになること、わたしたちが他の人々の領域で成し遂げられた活動を誇らないことです。17 「誇る者は主を誇れ。」18 自己推薦する者ではなく、主から推薦される人こそ、適格者として受け入れられるのです。 (U一〇・一二〜一八)

 パウロはここでコリントの人たちに対して、自分が使徒であることを思い起こさせています。そのことをパウロは、使徒であることを「誇る」と言っていますが(八節)、その誇りはきわめて抑制された誇りです。すなわち、「わたしたちは限度を超えては誇らず、神が割り当ててくださった範囲内で誇る、つまり、あなたがたのところまで行ったということで誇るのです」(一三節)。パウロはキリストの福音を携えてコリントに到達し、コリントの人々に福音を伝え、コリントの集会を形成したのです。コリント集会の生みの親として(T四・一五)、コリント集会を育て導く立場にあるのです。その事実を思い起こさせているのです。そのことによって、パウロの批判者たちが自分が建てたのでもない集会に外からやってきて権威を主張するのは、「他人の労苦の結果を限度を超えて誇る」ことだと批判しているのです(一四〜一五節)。
 
 論敵たちは「仲間どうしで評価し合い、比較し合っています」、すなわち(おそらく)奇跡を現す力や聖書やイエスの言葉に対する解釈などの霊的能力を仲間の間で比較し合って、パウロより勝る自分たちを「自己推薦」していたのでしょう(一二節)。それに対してパウロは、彼らと霊的能力を比較して「自己推薦」するのではなく、「福音を携えてだれよりも先にあなたがたのもとを訪れた」事実をもって、「主から推薦された者」であることを弁証するのです(一八節)。「誇る者は主を誇れ」という預言者の言葉(エレミヤ九・二二〜二三の要約)で、自分を誇るのではなく、権威を与えてくださった主を誇ることを求めるのです(一七節)。

 「誇る」とか「 誇り」という用語(新共同訳)は、他の新約文書よりもパウロ書簡に多く(六六回)、その中でもコリント第二書簡が約半数を占め(三六回)、とくにこの「涙の手紙」に集中して出てきます(二五回)。この語が「涙の手紙」を貫く一つのキーワードになっています。



愚か者になって誇る(一一章)

 先にパウロは批判者たちについて、「彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです」と言っていました。彼らはパウロと比較して、自分たちの優れた点を誇り、自分たちこそ真の使徒であると主張したのでしょう。パウロはそれを「愚かなこと」と決めつけましたが、自分が使徒であることをコリントの集会にどうしても受け入れてもらわねければならないパウロは、なりふりかまわず、自ら愚か者となり、彼らと比較して自分の使徒であることを「誇る」のです。「わたしの少しばかりの愚かさを我慢してくれたらよいが」(一節)で始まり、「わたしは愚か者になってしまいました。あなたがたが無理にそうさせたのです」(一二章一〇節)に至る箇所は、パウロが自ら愚か者になって、あえて誇っているのです(二一節)。

 1 わたしの少しばかりの愚かさを我慢してくれたらよいが。いや、あなたがたは我慢してくれています。2 あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。3 ただ、エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしまうのではないかと心配しています。4 なぜなら、あなたがたは、だれかがやって来てわたしたちが宣べ伝えたのとは異なったイエスを宣べ伝えても、あるいは、自分たちが受けたことのない違った霊や、受け入れたことのない違った福音を受けることになっても、よく我慢しているからです。5 あの大使徒たちと比べて、わたしは少しも引けは取らないと思う。6 たとえ、話し振りは素人でも、知識はそうではない。そして、わたしたちはあらゆる点あらゆる面で、このことをあなたがたに示してきました。 (U一一・一〜六)

 最初に自分のコリント伝道を「純潔な処女として一人の夫と婚約させた」という婚約の比喩で語り、コリント集会が外から来た者たちが宣べ伝える「異なるイエス」を受け入れることは、婚約で結ばれた夫キリストに対する純潔の喪失であり、エバが蛇の悪巧みに欺かれたのと同じだと警告します(一〜六節)。創世記のエバと蛇(サタンの象徴)の記事の引用は、パウロが後で論敵たちを非難する激しい言葉の伏線となっています。すなわちパウロは、後からやって来てコリントの集会をパウロから引き離し自分たちの権威の下に置こうとする「働き人たち」を、「偽使徒、ずる賢い働き手」、「キリストの使徒を装っている者たち」と呼び、彼らを「サタンに仕える者たち」とさえ断定するのです(一二〜一五節)。
 
 この箇所で、パウロは後から来た論敵たちを(皮肉をこめて)「あの大使徒たち」と呼んでいますが(五節)、この人たちがどのような種類の人たちであるのかは確定できません。イエスの直弟子たちを指すのか、エルサレムとかアンティオキアのような主要教団の指導者であるのか、詳しいことは分かりません。彼らが広く「大使徒」と呼ばれる人たちであろうと、自分は「知識」において劣る者ではないとパウロは誇ります(六節)。
 
 パウロから見れば、彼らが宣べ伝えている福音は「違った福音」であり、彼らの宣教において働いている霊は「違った霊」であり、彼らが語るイエスは「異なるイエス」なのです(四節)。この並列表現は示唆的です。後に体制化した教会は、告白する教義の字句がすこし違う人たちを異端者として弾圧し、時には裁判にかけたり処刑したりしましたが、「異端」とは文字ではなく霊の違いの問題であり、霊によって形成される内的人格の姿(それはどれもイエスの名で呼ばれます)の問題です。他者を力で支配したり、自分と異なる者を殺すというイエスこそ「異なるイエス」です。

金銭問題

 7 それとも、あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、わたしは罪を犯したことになるでしょうか。8 わたしは、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました。9 あなたがたのもとで生活に不自由したとき、だれにも負担をかけませんでした。マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必要を満たしてくれたからです。そして、わたしは何事においてもあなたがたに負担をかけないようにしてきたし、これからもそうするつもりです。10 わたしの内にあるキリストの真実にかけて言います。このようにわたしが誇るのを、アカイア地方で妨げられることは決してありません。11 なぜだろうか。わたしがあなたがたを愛していないからだろうか。神がご存じです。 (U一一・七〜一一)

 次にパウロは金銭問題を取り上げます(七〜一一節)。パウロが最初にコリントに一年半滞在して福音を宣べ伝えたとき、パウロはアキラ・プリスキラ夫妻と一緒にテント布造りの仕事をして収入を得(使徒一八・一〜四)、コリントの集会には金銭上の負担をかけませんでした。どのように生活が苦しくてもコリントの人たちには負担をかけず、「神の福音を無報酬で告げ知らせた」のです。ときには「マケドニア州から来た兄弟たち(フィリピやテサロニケの兄弟たち)が必要を満たしてくれた」こともありました。パウロの批判者たちはこの事実を取り上げて、パウロは使徒としての資格がないから、集会の献金で生活を支えられる使徒の特権を行使できないのだとか、「他の諸教会からかすめ取っている」のだとか非難したのです。この非難はすでに第一書簡を書いたときにコリント集会内部もあったので、パウロは力をこめてこの非難を論駁しています(T九・一〜一八)。しかし、外から来た「働き人たち」がこの非難を利用したので、事態は悪化していました。
 
 さらに、パウロがコリントを去った後に(第三次伝道旅行で)始めたエルサレムの「聖徒たちへの募金」活動について、それはパウロが「悪賢くて」、自分の私腹を肥やすために集会から「だまし取っている」のだという非難までされるようになっていました。パウロは募金のためにテトスを派遣するときも、コリント集会になじみ深い「あの兄弟」も同行させるという配慮をしたのですが、それでもこの非難は止みませんでした。パウロはコリントの集会に金銭的な負担をかけようとしなかった動機について親子の情愛に訴え、また募金活動の公明性について、改めて弁明せざるをえませんでした(U一二・一一〜一八)。


 十字架の逆説


弱さを誇る

 12 わたしは今していることを今後も続けるつもりです。それは、わたしたちと同様に誇れるようにと機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切るためです。13 こういう者たちは偽使徒、ずる賢い働き手であって、キリストの使徒を装っているのです。14 だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。15 だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるでしょう。 (U一一・一二〜一五)

 パウロは後から入ってきた「働き人たち」を「偽使徒」「サタンに仕える者たち」と激しく非難した後(一二〜一五節)、もう一度「愚か者になって」彼らと自分を比較します。

 16 もう一度言います。だれもわたしを愚か者と思わないでほしい。しかし、もしあなたがたがそう思うなら、わたしを愚か者と見なすがよい。そうすれば、わたしも少しは誇ることができる。 17 わたしがこれから話すことは、主の御心に従ってではなく、愚か者のように誇れると確信して話すのです。 18 多くの者が肉に従って誇っているので、わたしも誇ることにしよう。賢いあなたがたのことだから、喜んで愚か者たちを我慢してくれるでしょう。
 19 賢いあなたがたのことだから、喜んで愚か者たちを我慢してくれるでしょう。20 実際、あなたがたはだれかに奴隷にされても、食い物にされても、取り上げられても、横柄な態度に出られても、顔を殴りつけられても、我慢しています。21 言うのも恥ずかしいことですが、わたしたちの態度は弱すぎたのです。だれかが何かのことであえて誇ろうとするなら、愚か者になったつもりで言いますが、わたしもあえて誇ろう。22 彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。イスラエル人なのか。わたしもそうです。アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです。 23a キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。 (U一一・一六〜二三a)

 彼らがイスラエル人であることを誇るなら、自分もそうである。彼らがキリストに仕える者であることを誇るなら、自分は彼ら以上にそうなのだと、「気が変になったように」言わないではおれないのです(二二〜二三節a)。彼らは「不思議な業や奇跡」によって使徒であることを誇っていたいたと考えられますが、パウロもそのような業においても欠けてはいませんでした(U一二・一二)。しかし、ここでパウロが「彼ら以上にキリストに仕える者である」と言うときに根拠にするのは、キリストに仕えるために受けた苦難が「彼ら以上にずっと多い」ことです。

 23b 苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。24 ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。25 鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。26 しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、27 苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。28 このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。29 だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。30 誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。31 主イエスの父である神、永遠にほめたたえられるべき方は、わたしが偽りを言っていないことをご存じです。32 ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕らえようとして、ダマスコの人たちの町を見張っていたとき、33 わたしは、窓から篭で城壁づたいにつり降ろされて、彼の手を逃れたのでした。 (U一一・二三a〜三三)

 ここでパウロが列挙している苦難のリスト(二三〜三三節)を詳しく検討するゆとりはありません。二六〜二八節はやや一般的な苦難目録の羅列である印象を受けますが、二三〜二五節のリストはそれぞれの苦難体験の回数が数えられており、パウロがその伝道生涯で体験した苦難が具体的にあげられています。死刑を覚悟するような投獄もすでに複数回におよび、ユダヤ教会堂による鞭打ち刑(四十に一つ足りない鞭打ち)が五度、ローマ法廷における鞭打ちが三度、石打ち刑が一度と具体的に列挙されています。これらの多くは命を失う危険がある刑でした。そして最後に、ダマスコで籠で城壁からつり降ろされて迫害を逃れた最初期の体験がつけ加えられます。これらは実に大変な体験です。パウロはキリストのゆえに受けた苦難の大きさをあげて、自分がキリストの使徒であることの確かさを主張するのです。
 
 このように、パウロは彼らと比較するとき、「不思議な業や奇跡」の大きさを比べて誇るのではなく、苦しめられ痛めつけられた体験の大きさを誇り、要約してこう言うのです。「誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう」(三〇節)。

 パウロはこの後、主から受けた特別の啓示体験について語り(この体験については後述)、高ぶらないために自分の肉体に与えられた「とげ」のことを語ります。この「肉体に与えられたとげ」とは、おそらく何らかの体質的な病気か、投獄や鞭打ちなどで痛めつけられた身体が担う苦痛のことでしょう。そして、この「とげ」に痛めつけられた中から叫ぶ祈りに、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」という主のお言葉を聴きます(U一二・一〜九)。そして、こう続けます。

 「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしはキリストのための弱さ、侮辱、窮乏、迫害、それに行き詰まりの状態にあっても満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」。(U一二・九b〜一〇 一部私訳)

 「わたしは弱いときにこそ強い」。これは逆説です。しかし、パウロの場合、この逆説はパウロ自身によって説明されています。すなわち、パウロは「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」と言っています。「わたしは弱いときにこそ強い」というときの「強い」は、キリストの力が強く働くという意味です。自分が弱さに徹して何もできなくなった時にこそ、その無力な自分の内にキリストの力が強く現れるのです。パウロの生涯は、この逆説に貫かれた生涯でした。
 
 この逆説的な体験はパウロだけではありません。この逆説は、すべてキリストにある者の力の原理です。自分の強さを誇り、自分の能力に頼っている限り、発揮できる力は自分の力でしかありません。自分の内にいますキリストの力が現れるためには、弱さに徹し、自分が消えて無くならなければならないのです。わたしたちは自分に死にきれないために、自分の中にキリストの無限の力を閉じ込めてしまっているのです。キリスト教の歴史を見ましても、人の力と思いを超える巨大な偉業を成し遂げた人たちは、パウロ自身を初め、アッシジのフランチェスコ、ルターらの改革者、マザー・テレサなど、みな自分の弱さに徹して、死んだ自分の中にキリストの力を現した人たちでした。
 
 パウロはすでに先の手紙でこの信仰の消息を、「イエスのいのちがこの体に現れるために、いつもイエスの死を体にまとっています」と語っていました(U四・七〜一五)。この手紙では、この逆説をキリストご自身の出来事によって根拠づけています。「キリストは弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです」から、「わたしたちもキリストに結ばれた者として」このキリストの「十字架の逆説」にあずかるのです。「わたしたちは弱い者ですが、しかし、・・・・神の力によってキリストと共に生きている」のです(U一三・四)。

特別の啓示

 1 わたしは誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主が見せてくださった事と啓示してくださった事について語りましょう。2 わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。3 わたしはそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。4 彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです。 (U一二・一〜四)

 パウロが「愚か者になって誇る」中に、「第三の天にまで引き上げられた」ときに受けた啓示について語っているところがあります(U一二・一〜四)。パウロは明らかに自分が受けた「主の幻と啓示」について語っているのですが(一節)、それを「その人は第三の天にまで引き上げられた」とか「彼は楽園にまで引き上げられた」と三人称で語り、「わたしは(そのような体験をした)キリストにある一人の人を知っています」と他の人の体験のように語っています(二〜四節)。それは、「誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう」(U一一・三〇)と言った直後に、「誇らないではいられない」と言ってこの体験を語るので、これを他の人の体験として、「このような人のことをわたしは誇りましょう。しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません」(五節)と辻褄を合わせるのです。しかし、やはりこれを自分の体験として誇っても、真実を語るのだから愚かなことではないはずだと弁明し、またすぐ「いや、誇るまい」と思い直します(六節)。この手紙はパウロの感情の動揺の激しさを示しています。
 
 パウロはこの体験を「十四年前」としています。この手紙を書いたのは五四年頃と見られるので、「十四年前」は四〇年頃となります。この時期はパウロがバルナバと共にアンティオキア集会で教師として働いていた時代で、パウロの「知られざる時代」ですが、パウロの神学と思想が形成される重要な時期です。パウロがその体験の年をあげるのは、その体験がパウロにとって(ダマスコ体験と並んで)かなり決定的な意味をもっているため、それを自分の生涯を画する年として忘れられないからであると考えられます。
 
 パウロは祈りの中で「第三の天にまで引き上げられた」、あるいは「楽園にまで引き上げられた」のです。その体験についてパウロは「体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです」と二度も繰り返しています。それは、この体験が「エクスタシー」体験であったことを示しています。「エクスタシー」は本来「(自分の)外に立つ」という意味の語で、忘我の霊的体験を指しますが、この時のパウロの体験は「エクスタシー」の状態で「主の幻と啓示」(幻も啓示も複数形)を受けたのです。

 パウロはここで自分が引き上げられた所を「第三の天」と《パラディソス》(楽園、パラダイス)という二つの表現で指しています。「天」は旧約聖書では神の住まいとされていますが、捕囚後の(とくにヘレニズム期の)ユダヤ教では、(多層の天から成るヘレニズム世界の宇宙論に影響されて)至高の神と地上の人間界の間の天界(霊界)は多くの層から成ると考えられるようになっていました。ラビたちの間では普通七層の天が考えられていたようです。その中の「第三の天」は、義人の霊が死後に赴く休息の場所とされていたようです。義人の霊が死後に安らう場所は《パラディソス》(楽園)とも呼ばれていたので、パウロはここでこの二つの表現を同じ場所を指すのに用いたと考えられます。《パラディソス》については福音講話「希望としての神の国」の「パラダイス」の項、およびその前後を参照してください。

 ヘレニズム期のユダヤ教において、多くの「黙示文書」が生み出されました。「黙示文書」というのは、本来天界に導き入れられ、天界を経巡って啓示を受けた人物(多くはエノク、エリヤ、エズラ、ダニエルなど聖書の有名人物)がその啓示を語るという形で書かれた文書のことで、通常では知りえない天界の「秘密」《ミュステーリオン》が解き明かされているのだとされています。近い将来、宇宙的な破局を経て新しい《アイオーン》が到来するという、いわゆる「黙示録」はその一例です。パウロもここで自分がそのような「啓示」にあずかっていると言っているのです。

 この言明に刺激されて、後(おそらく二〜三世紀)に、この時のパウロの体験を語るとする「パウロの黙示録」という文書が書かれますが、これはグノーシス主義的な傾向の後代の著者が、自分の思想を語るためにこの箇所を利用したに過ぎず、パウロの啓示体験の内容を知るための資料にはなりません。この「パウロの黙示録」については「ナグ・ハマディ文書W 黙示録」(荒井献他編、岩波書店)の中の筒井賢治訳「パウロの黙示録」とその解説を参照してください。

 パウロはこの体験で「幻」(複数形)を見たことを語っていますが、その体験は同時にある種の言葉を聴く体験でもありました。パウロはこう言っています、「彼はパラダイスにまで引き上げられ、人間には語ることが許されていない、言葉にならない言葉(複数形)を聴いたのです」(四節私訳)。パウロはこのとき確かに言葉を聴いたのです。それは、ある内容とか意味を伝える言葉なのです。しかし、その言葉は、わたしたちが日常使う言葉とは次元が違う言葉、「言葉にならない言葉」なのです。耳で聴く言葉ではなく、直接霊に伝えられる言葉なのです。そのような次元の言葉は、人が口で語り、耳で聴いて伝えることはできません。それは「人間には語ることが許されていない言葉」なのです。
 
 パウロは神の霊の圧倒的な働きの中で、目が見るのではない「かたち・姿」を見、耳が聴くのではない「言葉」を聴いたのです。この形姿(幻)と言葉は区別できない一体であり、御霊によって受ける直接的な「啓示・黙示」《アポカリュプシス》の体験です。パウロは「啓示された事があまりにもすばらしい」(七節)と言うだけで、「啓示」の内容については何も語っていません。その内容を語らないこと、また、そのような体験をしたことに言及すること自体に消極的であることは、そのような啓示にあずかっていることを誇る論敵たちの態度を批判している面があります。
 
 しかし、先にも述べたように、パウロはこの体験で与えられた「あまりにもすばらしい啓示」によって、そのキリスト理解に決定的な一歩を画したのではないかと考えます。パウロはすでにダマスコ体験により復活者キリストと遭遇し、イエスをメシア・キリストと宣べ伝えていました。また、エルサレムとアンティオキアで弟子集団からイエス伝承を十分伝えられていました。しかし、その体験や伝承を聖書学者としての素養で「解釈する」というだけでは、わたしたちが知っているパウロは生まれなかったと思います。これはわたしの推察ですが、モーセ律法に対するパウロのあのような徹底的な理解と態度は、この種の啓示体験から発しているのではないかと思います。パウロが「あの大使徒たちと比べて知識では引けを取らない」と誇り、エルサレムの使徒会議でもアンティオキアの食卓をめぐる衝突事件でも一歩も引かなかったあの確信は、このような「啓示・黙示」から出ているのではないかと推察するのです。
 
 このようにパウロには、天界の啓示にあずかってそこから語る「黙示思想家」としての一面があることを見落としてはなりませんが、同時にその「黙示思想」が十字架・復活のキリストという一点に集中していることを理解することは、さらに重要です。そのことは、この講解シリーズの目標であり、繰り返し扱っていることですので、ここで改めて触れることはしません。

警 告

 19 あなたがたは、わたしたちがあなたがたに対し自己弁護をしているのだと、これまでずっと思ってきたのです。わたしたちは神の御前で、キリストに結ばれて語っています。愛する人たち、すべてはあなたがたを造り上げるためなのです。20 わたしは心配しています。そちらに行ってみると、あなたがたがわたしの期待していたような人たちではなく、わたしの方もあなたがたの期待どおりの者ではない、ということにならないだろうか。争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、陰口、高慢、騒動などがあるのではないだろうか。21 再びそちらに行くとき、わたしの神があなたがたの前でわたしに面目を失わせるようなことはなさらないだろうか。以前に罪を犯した多くの人々が、自分たちの行った不潔な行い、みだらな行い、ふしだらな行いを悔い改めずにいるのを、わたしは嘆き悲しむことになるのではないだろうか。
 13・1 わたしがあなたがたのところに行くのは、これで三度目です。すべてのことは、二人ないし三人の証人の口によって確定されるべきです。2 以前罪を犯した人と、他のすべての人々に、そちらでの二度目の滞在中に前もって言っておいたように、離れている今もあらかじめ言っておきます。今度そちらに行ったら、容赦しません。3 なぜなら、あなたがたはキリストがわたしによって語っておられる証拠を求めているからです。キリストはあなたがたに対しては弱い方でなく、あなたがたの間で強い方です。4 キリストは弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。わたしたちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によってキリストと共に生きています。5 信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、自分を吟味しなさい。あなたがたは自分自身のことが分からないのですか。イエス・キリストがあなたがたの内におられることが。あなたがたが失格者なら別ですが……。6 わたしたちが失格者でないことを、あなたがたが知るようにと願っています。7 わたしたちは、あなたがたがどんな悪も行わないようにと、神に祈っています。それはわたしたちが、適格者と見なされたいからではなく、たとえ失格者と見えようとも、あなたがたが善を行うためなのです。8 わたしたちは、何事も真理に逆らってはできませんが、真理のためならばできます。9 わたしたちは自分が弱くても、あなたがたが強ければ喜びます。あなたがたが完全な者になることをも、わたしたちは祈っています。10 遠くにいてこのようなことを書き送るのは、わたしがそちらに行ったとき、壊すためではなく造り上げるために主がお与えくださった権威によって、厳しい態度をとらなくても済むようにするためです。(一二・一九〜一三・一〇)

 こうして、みずから「愚か者になって」自分が使徒であることを誇ってきたパウロは、最後にこれは「自己弁護」ではなく、自分がコリントのエクレシアを「建て上げる」ために「キリストにあって神の御前で」語る立場の者であることを示すためであると宣言します(一二・一九)。コリントの人たちは外からきた「偽使徒たち」にそそのかされて、パウロの中にキリストが語っておられることを疑い、その証拠を求めました(一三・三)。それに対してパウロは、カリスマ的な能力を証拠としてあげるのではなく、「キリストは弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです」とキリストの十字架の逆説を示し、今まで弱さを誇ってきた自分について「わたしたちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によってキリストと共に生きています」と、十字架の逆説にあずかる者として、キリストと共にコリントの集会に対するのであると宣言します(一三・四)。こうして自分の中にあって語る「キリストはあなたがたに対しては弱い方でなく、あなたがたの間で強い方です」と、キリストの使徒としての権威を思い起こさせます。
 
 その権威をもって、「今度そちらに行ったら、容赦しません」(一三・二)と厳しい態度で警告します。パウロが「容赦しない」と警告する厳しい処置は、使徒としての権威をもって集会の交わりから追放することを含むのでしょう。そのような処置の対象としては「以前に罪を犯した多くの人々が、自分たちの行った不潔な行い、みだらな行い、ふしだらな行いを悔い改めずにいる」(一二・二一)という場合も含まれるのでしょうが、使徒としてパウロに反抗して集会の存立を危うくしたような人物も念頭に置いていると考えてよいでしょう。どの場合も「二人ないし三人の証人の口によって確定され」て、厳しい処置がなされると警告します(一三・一)。
 
 エクレシアを建て上げるために厳しい態度もとらなければならない使徒は、その資格が自分だけにあって相手にはないと言っているのではありません。パウロはあくまで自分もコリント集会の人たちも同じように、イエス・キリストが内にいてくださるという事実だけが、キリストの交わり(エクレシア)にあずかることができる資格であるとします(一三・五〜六)。その上で、このような厳しい警告を書き送るのは、「あなたがたが悪を行わず、善を行うようになるため」、「あなたがたが強くなるため」、「あなたがたが完全な者になるため」であるとし、「わたしがそちらに行ったとき、壊すためではなく造り上げるために主がお与えくださった権威によって、厳しい態度をとらなくても済むようにするためです」と締め括ります(一三・七〜一〇)。  


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