パウロによるキリストの福音 II

第十二章 福音にふさわしく

    ― フィリピの信徒への手紙 ―

第一節 独立伝道者パウロ
第二節 生ることはキリスト
第三節 復活を目指して


第一節 独立伝道者パウロ


 フィリピ書について

獄中書簡

 新約聖書のパウロ書簡集には、パウロが獄中から書いたとされる獄中書簡が四つ収められています。フィリピ書、フィレモン書、コロサイ書、エフェソ書の四つです。この中で、コロサイ書とエフェソ書の二つは、パウロ自身によって書かれたものか、パウロの名によって誰か他の人によって書かれたものかが争われています(岩波版新約聖書はこの二つの書簡を「パウロの名による書簡」に入れています)。この二つの書簡については、別の機会に取り上げることにして、ここではパウロ自身が書いたことが争われていないフィリピ書とフィレモン書を見ていきます(その理由については、序章の「資料としてのパウロ書簡」の項を参照)。

 パウロはその伝道生涯の中で何回か投獄されています。その中でフィリピ書とフィレモン書の執筆の場所となった可能性のあるのは、最晩年のエフェソ、カイサリア、ローマの三カ所です。フィリピ書とフィレモン書の二書がこの中のどこで書かれたのかについては、研究者の間で議論が続いていますが、ここでその詳細に立ち入ることはできません。簡単にパウロの投獄と両書簡との関係を見て、書簡の内容に入っていきたいと思います。
 
 これまでのコリント書簡の講解で見てきたように、パウロがエフェソで投獄されたことは、使徒言行録に報告がなく、パウロも明確に地名をあげて語っていないにもかかわらず、確かであると見られます。コリント集会との和解を達成したパウロは、エフェソを出発しマケドニアを経てコリントに至り、そこで冬の三ヶ月を過ごします。使徒言行録によれば、マケドニア州とアカイア州の諸集会の献金を携えてエルサレムに到着したパウロは、ユダヤ人との紛争に巻き込まれ、ローマの軍隊に逮捕され、総督府のあるカイサリアに連れていかれ、そこで二年間拘留されます。ローマ市民権を用いて皇帝に上訴したパウロは、ローマ軍に警護されてローマに連行され、そこで二年にわたって監禁されます。
 
 古代から伝統的に、フィリピ書とフィレモン書は最後のローマでの監禁中に書かれたとされてきました。「兵営」(一・一三)や「皇帝の家」(四・二二)への言及があることも理由の一つです。ところが、書簡が前提にしている頻繁な接触にはローマはフィリピからあまりにも遠いという難点があります。また、西を目指してようやくローマに達したパウロが、近い中にはるか東方のフィリピを訪ねることを希望している(一・二六、二・二四)ことも、ローマ説を困難にします。

 「兵営」(一・一三)や「皇帝の家」(四・二二)への言及は、フィリピ書がローマで執筆されたことの論拠にはなりません。この二つの表現は総督府がある他の州都などにも適用できるからです。一章一三節の《プライトーリオン》(ラテン語ではプラエトリウム)は、ローマでは近衛兵の兵営を指しますが、各州の総督所在地では総督府(総督が行政や裁判を行う建物、そこに軍団も駐在)を指します。この語はマルコ一五・一六、マタイ二七・二七、ヨハネ一八・二八でも用いられており、「総督官邸」とか「官邸」と訳されています(新共同訳)。福音書では総督ピラトの官邸を指しています。ここでも「兵営」よりも「総督府」とか「総督官邸」の方がよいのではないかと考えられます。エフェソも総督がいる州都ですから総督府がありました。また、四章二二節の「カエサルの家の者たち」という表現も、ローマの皇帝の親族の者たちを指すとは限りません。むしろ、パウロの時代に皇帝に身近な者が信徒になっていたことは考えられません。この表現は皇帝所属の奴隷を指す用語です。エフェソには皇帝所属の奴隷または解放奴隷がかなりいて、彼らが結社を作っていたことが伝えられています。そのような奴隷または解放奴隷の人たちがエフェソの集会に加わっていたと考えられます。

 それで近年(二〇世紀)になって、カイサリア説とエフェソ説が主張されるようになりました。カイサリアは、フィリピ再訪の希望などの状況に適合する点もありますが、やはりあまりにも遠く、書簡が示す頻繁な交流には適しません。それに対してエフェソは、ローマやカイサリアに比べるとはるかに近くて交通の便もよく、フィリピ書が語っている弟子や使者の往復(二・一九〜三〇)にも適合します。さらに、割礼を誇るユダヤ主義者に対する激しい非難(三章)も、ガラテヤ書やコリント第二書簡と同じ時期にエフェソで書かれたと見るのが適当です。また、書簡のどこにも、最初の伝道の時以後にフィリピを訪ねたことが示唆されていません。ところが、パウロはエフェソでの活動の後、マケドニアを経てコリントに向かったのですから、フィリピを訪れていることは確実です。そうすると、カイサリアやローマはこの書簡の執筆地ではありえなくなります。

 フィレモン書もエフェソで書かれた獄中書簡であることは、この後でフィレモン書を扱うときに取り上げます。

 このような理由で、フィリピ書をエフェソで書かれた獄中書簡として見ていきます。そうすると、パウロがエフェソでの活動を終えてコリントに向かい、コリントに三ヶ月滞在して冬を越したところまで講じてきた本講解は、すこし時を遡って、もう一度パウロのエフェソでの活動時期に戻らなくてはなりません。フィリピ書がパウロのエフェソ時代のいつどのような状況で書かれたかは、この書簡の構成とも関わっていますので、ここでこの書簡の構成の問題を見ておきます。
 
 

 

フィリピ書の構成

 フィリピ書を一つの書簡と見る伝統的な見方は、現在でも多くの研究者によって支持されています。しかし、三章一節で「最後に、兄弟たちよ、主にあって喜びなさい」と言った後、二節から始まるユダヤ主義者への激しい非難は、それまでの文と内容も調子も違い、別の機会に書かれた手紙であることを示唆しています。それで、フィリピ書は二つの書簡が集められたものであるという見方がされるようになりました。

 三章一節の最初の語は、「最後に」という副詞と理解できます(英訳はほとんどみな Finally)。新共同訳も同じ語を四章八節では「最後に」と訳しています。また、この節の「喜びなさい」という語も、「挨拶します」という訳が可能です(NRSV 欄外)。ここで一つの手紙が終わっていたと見られます。内容でも、一章で問題となっている分派的な伝道者と三章のユダヤ主義伝道者の問題は全然違います。また、自分や仲間の行動予定(二・一九〜三〇)はパウロの手紙ではふつう最後に来ることも考慮に入れますと、三章一節までとそれ以降の部分は別の手紙であったと見る方が自然です。

 さらに、四章一〇〜二〇節でフィリピからの援助の贈り物を感謝している部分も、もともとは独立した手紙であったと見られるようになり、フィリピ書は三つの手紙が編集されたものであるという見方が、最近では有力になってきています(たとえば岩波版青野訳)。ただ、ユダヤ主義者への非難と贈り物への感謝を主題とした別の手紙があり、それが獄中からの書簡に組み込まれて現在のフィリピ書が構成されたとしても、この三つの手紙の範囲(現在の手紙のどの部分がそれぞれの手紙に属するのかの問題)やその順序については、研究者の間で相違があり、現在も議論が続いています。
 
 この手紙は一つの手紙であるのか、二つまたは三つの手紙が集められたものであるのかは、この手紙に溢れている福音の現実を追求する上で本質的な問題ではありません。しかし、書かれた状況に即して少しでも具体的に理解するために、コリント第二書簡の場合と同じように、この手紙の各部分を順当と考えられる状況に置いて講解していきます。


 独立伝道者パウロ


パウロの自給伝道

 パウロがアンティオキアの教会から分かれて独立の伝道活動を開始し、ルカオニア地方やガラテヤ地方など小アジア内陸部で活動した後、トロアスから海を渡りヨーロッパに入り、フィリピ、テサロニケ、ベレア、アテネ、コリントへと福音を宣べ伝える活動を進めていったこと(いわゆる「第二次伝道旅行」)については先に書きました。その時に、フィリピでの宣教活動と信じる群の形成については触れました。ここではその後のパウロとフィリピ集会との関わりについて見ていきたいと思いますが、その前に、その関わりの性質を理解するために、パウロが原則としていた独立の自給伝道活動について簡単に見ておきましょう。

 パウロはフィリピを去った後、マケドニア州の州都テサロニケでしばらくの間滞在して伝道し、続いてベレア、アテネを経て、アカイア州の州都コリントに来ます。コリントでは一年半滞在して、腰を据えて伝道します。パウロはその地方の中心となる大都市に集会を形成し、それを拠点として周辺の地域に福音を伝えるという方針をとっていたようです。マケドニア州では州都テサロニケ、アカイア州では州都コリントがその拠点都市でした。それで、この両都市では、パウロはかなりの期間滞在して活動します。そのように滞在が長期にわたる場合、パウロは信仰に入ったばかりの信徒たちに負担をかけないように、自分で働いて生活と活動に必要な費用を得ていました。パウロの職業は「テント造り」であったとルカが報告しています(使徒一八・三)。以前に書きましたように、ユダヤ教の律法学者は他者に負担をかけないで独立に律法研究ができるように、生計を得るための手仕事を身につけることを求められていました。パウロは出身地タルソの名産であるキリキア布のテント加工を職業として習得していたのです。
 
 テサロニケで手仕事をして収入を得て活動したことは、後にテサロニケの人たちにあてて書いた手紙の中で、パウロ自身がこう証言しています。

 兄弟たち、わたしたちの労苦と骨折りを覚えているでしょう。わたしたちは、だれにも負担をかけまいとして、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えたのでした。(テサロニケT二・九)

 コリントではパウロは同業のアキラとプリスキラ夫妻の家に住み込んでテント造りの仕事をしたことがルカによって報告されています(使徒一八・一〜三)。それだけでなく、パウロはコリント集会からの経済的援助を受けずに、自分で働いて生活の資を得ながら伝道活動をしたこと、また、それを原則として福音のために働いていることを、コリント集会にあてた手紙の中で誇りをもって書いています(第一の手紙の九章)。

 この「コリントの信徒への手紙I九章」は、パウロのキリストの使徒としての働きが独立自給の働きであることを語る重要な箇所ですが、コリント書簡の講解で触れることができませんでしたので、ここで簡単に取り上げておきます。

 パウロはまず、福音のために働く者が福音によって生活の資を得ることは主が定められた権利であることを、自費で戦争に行く者はないとか、神殿で奉仕する者は祭壇の供え物の分け前にあずかるという実例をあげ、さらに牛に関する聖書の規定を福音の働き人に適用したりして主張します。霊のものを蒔いた者が肉のものを刈り取ることは、主が定められた権利であるとも言います(コリントI九・三〜一四)。しかし、パウロはこの権利を用いなかったことを誇りとしてこう言います。

 しかし、わたしはこの権利を何一つ利用したことはありません。こう書いたのは、自分もその権利を利用したいからではない。それくらいなら、死んだほうがましです……。だれも、わたしのこの誇りを無意味なものにしてはならない。もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう。しかし、強いられてするなら、それは、ゆだねられている務めなのです。では、わたしの報酬とは何でしょうか。それは、福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということです。(コリントI九・一五〜一八)

 この短い一文に、復活者キリストに捉えられている現実から出る燃えるような激しい使命感と、誰にも依存しない自由で独立の伝道者としての気概と誇りが溢れています。このように、パウロは「福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いない」ことを原則として、福音のために文字通り命を賭して働いたのです。ここに使徒パウロの偉大さがある、とわたしは思います。
 

 コリントI九章では、続く一九節以下で、誰にも依存しない自由なパウロが、様々な立場の人をキリストに得るために、すべての人の奴隷となったという、伝道者としてきわめて重要な発言がなされています。この箇所はルターが名著『キリスト者の自由』の主題として取り上げたことで有名ですが、この側面は別の機会に触れることにして、ここでは使徒パウロの独立伝道者としての一面に限定して、先に進むことにします。



パウロとフィリピ集会との交流

 フィリピを去ったパウロは、マケドニア州とアカイア州で福音宣教の活動を進めていきますが、その中でテサロニケとコリントでは手仕事で生活を支えながら、かなりの期間滞在して活動します。後に残されたフィリピの集会は伝道意欲の盛んな集会で、パウロの伝道活動を支えることで福音の働きに参加しようとして、活動のための資金や物資を送り続けます。テサロニケでフィリピ集会からの援助を受けたことについては、フィリピ集会にあてた手紙の中でパウ自身がこう証言しています。

 フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。(フィリピ四・一五〜一六)

 コリントでフィリピ集会からの援助を受けたことについては、次のような書き方でルカが間接的に報告しています。コリントに到着したパウロは、ローマから最近やって来た同業のアキラ・プリスキラ夫妻の家に住み込んで、一緒にテント造りの仕事に従事しながら、安息日ごとに会堂で福音を語ります(使徒言行録一八・一〜四)。その後こう続きます。

 シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。(使徒言行録一八・五)

 シラスとテモテはパウロと一緒にフィリピを出てテサロニケで活動しますが、テサロニケではユダヤ人たちからの激しい迫害で、一行は夜中にベレアに脱出します。パウロはベレアから(おそらく海路で)アテネ、コリントへと向かいますが、シラスとテモテはベレアに残ります。そして、パウロがコリントに着いてからしばらく後にコリントに到着します。そのことをルカは「シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると」と書いているのです(ベレアはテサロニケに近いマケドニア州の都市です)。この時からパウロは「御言葉を語ることに専念」します。これは生活のための手仕事をやめて、伝道活動に専心するようになったことを指しています。マケドニア州から来たシラスとテモテが生活のための資金をもたらしたからです。このマケドニアからの資金は、パウロが「マケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした」と語っていることからも、フィリピ集会からのものであると見られます。  

 テサロニケT三章一〜六節によると、テサロニケ集会の様子を見るために、パウロはアテネからテモテを派遣しています。そのテモテがテサロニケからコリントに戻ってきてテサロニケ集会の様子を報告したことが、パウロがテサロニケ第一書簡を書く動機になっています。その時に援助の資金を携えたフィリピ集会の使者が同行していたのかもしれません。ルカの報告と少し違いますが、数十年後に書かれたルカの報告よりも、テモテ到着の直後に書かれたパウロの手紙の方が正確であることは当然です。しかし、フィリピもテサロニケもベレアもマケドニア州の都市ですから、テモテたちが「マケドニア州からやって来ると」というルカの報告も間違いではありません。

 このルカの報告はパウロ自身の証言によって確認されます。パウロは後にエフェソからコリントの集会にこう書いています。

 それとも、あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、わたしは罪を犯したことになるでしょうか。わたしは、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました。あなたがたのもとで生活に不自由したとき、だれにも負担をかけませんでした。マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必要を満たしてくれたからです。そして、わたしは何事においてもあなたがたに負担をかけないようにしてきたし、これからもそうするつもりです。(コリントII一一・七〜九)

 「他の諸教会からかすめ取る」というのは、パウロに批判的な人たちがパウロを非難した言葉であって、パウロはその非難を逆手にとって、コリント集会に負担をかけなかったことの論拠にしているのです。パウロがコリント集会に負担をかけずに伝道活動ができたのは、「マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必要を満たしてくれたから」でした。その「マケドニア州から来た兄弟たち」というのは、先にも述べた理由でフィリピからの兄弟であったと見られます。フィリピの集会は、後で見るように、エフェソで活動するパウロに資金だけでなくエパフロディトという人物を協力者として派遣しています。コリントでも「マケドニア州から来た兄弟たち」には、このような協力者も含まれていたとも考えられます。
 
 このように、誇り高く独立自給を原則として活動してきたパウロが、フィリピ集会からの援助だけは感謝して受け入れている事実は、パウロとフィリピ集会の信頼関係がいかに深いかを物語っています。この信頼関係が、このフィリピ集会にあてた手紙を喜びに満ちた美しい手紙にしているのです。

援助への感謝の手紙

 パウロはフィリピ集会からの援助に対して感謝の手紙を書き送っています。その手紙が現在の「フィリピの信徒への手紙」の中に保存されて伝えられています。まずその手紙(四章一〇〜二〇節)を見ましょう。

 10 さて、あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表してくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。11 物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。12 貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物があり余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。13 わたしを強めてくださる方のお蔭で、わたしにはすべてが可能です。
 14 それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。15 フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。16 また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。
 17 贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです。18 わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。19 わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。20 わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

 この部分が獄中から書かれた手紙の一部であるのか、または別の手紙の一部であるか、別であればどちらが先かなど、現在もなお争われています。いずれにせよ、この部分はパウロとフィリピ集会の信頼に満ちた美しい交わりを示すことには変わりはありません。ここでは独立伝道者としてのパウロの一つの面を語る資料として、手紙の本体とは別に先に扱います。

 パウロは最初に、フィリピの人たちが「ついにまた」パウロのことを思い起こして援助を再開してくれたことをおおいに喜び感謝しています(一〇節前半)。先に見たように、パウロはテサロニケとコリントでフィリピ集会からの継続的な援助によって助けられ、福音を宣べ伝える活動を力強く続けることができました。パウロはコリントでの騒乱に巻き込まれて裁判にかけられ、釈放後コリントを去ってエルサレムに向かいます(52年の春)。エルサレムとアンティオキアで重要な協議を重ね(この時のエルサレム訪問の意義については別の機会に取り上げます)、小アジア内陸部を通ってアジア州の州都エフェソに到着します(52年暮れ)。この旅の間は、十分連絡もとれず、フィリピ集会からの援助は中断していたのでしょう。そのことをパウロは、「今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう」(一〇節後半)と言って、フィリピの人たちの変わることのない友情に対する信頼を表明しています。
 
 パウロがエフェソに到着して福音宣教の活動を始めたことを伝え聞いたフィリピの人たちは、さっそくエパフロディトという人物をパウロのもとに送って、活動のための資金を届けます。エパフロディトは資金を届ける使者であるだけでなく、パウロの働きに協力したいと願うフィリピ集会の気持ちを代表して、エフェソに留まってパウロの宣教活動に参加したのです。彼はエフェソにおけるフィリピ集会代表なのです。実はこのエパフロディトの病気が、パウロが獄中から「フィリピ書簡」を書く動機となるのです(二・二五〜三〇)。
 
 パウロはさっそく援助への感謝の手紙を書きます。しかし、この手紙はたんなる贈り物に対する個人的な礼状ではなく、福音のために力を合わせて働く者たちの間に溢れる神の豊かな恵みへの賛美となっています。
 
 パウロはまず、援助が再開されたことを喜ぶと書いたが、それは自分の窮乏を助けてくれたことを喜んでいるのではないことを明らかにします(一一〜一三節)。パウロは「わたし自身は(原文では強調さています)自分が置かれている境遇で自ら足ることを心得ている」(一一節)と言います。だから、自分のことで援助再開を喜んでいるのではない、という意味です。
 
 「自ら足りている」《アウタルケース》という語は、新約聖書ではここだけですが(名詞形は他に二箇所)、ストア派を初めギリシャの哲人たちが追求した境地を指す語です。外界のいかなる状況にも依存せず、自分の内にあるものだけで満ち足りて生きる(幸福である)ことを意味しています。パウロはキリストにあってその境地に達しているのです。パウロはその境地を、「貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物があり余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています」(一二節)と具体的に描きます。
 
 「貧に処する道を知っており、富におる道も知っている」(協会訳)というのは意味深い表現です。普通は貧を逃れ富を求めるのですから、貧に対処する心得だけが説かれ、富を得たら目的達成というので、その富に処する道はあまり説かれません。しかし、実際は貧に処する道よりも富に処する道の方が難しく、また重要なのです。貧にあるときは、人は反省したり努力したりして、謙虚に自己の真実の姿を見ることができ、感謝や思いやりというような人間的な感情も豊かになります。ところが、富を得ると心が高ぶり、自己が見えなくなり、傲慢になって他者を傷つけること多く、人間としての品位を失いがちです。
 
 このことは個人の人生においてもよく体験することですが、わたしたち日本人は戦後の半世紀の歴史の中で、民族として体験しました。敗戦後の、物が不足し皆が空腹であったとき、わたしたちは必死で働きながら、民族が世界の中で生きる道を模索しました。その結果、奇跡と呼ばれる経済復興をなしとげ、世界有数の富める国になりました。ところが、物があり余って皆が満腹するようになると、社会の内部に腐敗が進み、目標や気概を失って漂流しつつあるようです。日本は富にいる道を知らないように見えます。
 
 パウロは「いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています」と言います(一二節)。ここで用いられている「秘訣を授かる」という動詞は、当時の密儀宗教で用いられる動詞で、秘密の儀式に参加して救済の秘義にあずかることを指す用語です。もちろん、パウロはバプテスマや主の晩餐をそのような密儀としているわけではありません。霊なるキリストに結ばれて生きることによって《アウタルケース》(自ら足りる)の境地に導き入れられていることを、密儀宗教の用語で象徴的に語っているのです。その結果、どのような状況においても、恐れることなく対処することができる知恵と勇気を与えられていることを感謝しているのです。
 
 パウロは自分の境地を「わたしを強めてくださる方のお蔭で、わたしにはすべてが可能です」(一三節)という言葉でまとめます。「すべてが可能」というのは、先の「どのような状況にも対処できる」ことを指しています。人間的にはどのように困難で不可能に見える状況でも、乗り切ることがきるのは自分の能力によるのではなく、「わたしを強めてくださる方にあって」(直訳)できるのです。パウロの存在の奥底を支える「キリストにあって」が、ここでは人生の具体的な問題を乗り切らせてくださる力の源泉として告白されているのです。こうして、集会からの援助に心からの感謝を表しつつ、同時に誰にも依存しないで福音のために働く独立伝道の原則が確認されているのです。
 
 このように「わたし自身は自ら足りている」ことを強調したのは、この援助への感謝が自分への援助を感謝しているのではなく、援助する者と援助される者との福音のための協力の中に、神の恵みが溢れることを感謝するためでした。パウロは「それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました」(一四節)と言って、ここで改めてこれまでのフィリピ集会からの援助の事実を取り上げます(一五〜一六節)。フィリピの人たちがパウロに活動資金を送ったのは、福音のために「わたしと苦しみを共にする」ことであるというのです。
 
 パウロはフィリピの人たちが有り余る中から資金を出しているのではなく、「極度の貧しさ」(コリントII八・一〜二)の中から身を削るようにして出していることを知っているのです。フィリピ集会に集まりの場所として自分の家を提供したリディアは富裕な商人であった可能性がありますが、コリントの場合(コリントI一・二六〜二八)と同じように、集会の大部分の人たちは貧しい人たちであったのでしょう。その貧しさの中からパウロの働きを援助し、また、パウロの呼びかけに応じてエルサレムの聖徒たちへの献金に協力しているのです(コリントII八・一〜二)。

 フィリピの信徒たちは無産階級の貧しい人たちではなく、大部分が中産階級の人たちであったとする見方もあります(NTD)。もともとこの町は、オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)が退役兵士たちを住まわせた軍人植民都市で、イタリア権(イタリア本土の市民と同じ権利)を与えられた都市であるから、その市民は土地を所有する自由人であったというのが、その理由です。そうだとすると、パウロがフィリピの人たちについて「極度の貧しさが溢れ出て、人に惜しまず施す豊かさになった」(コリントII八・二)と書いているのは、修辞上の技巧であるということになります。たしかにフィリピには土地を所有する中産階級の人が多かったのでしょうが、奴隷の身分の人たちもいたはずですから、都市の性格から集会員の構成を推測することはできないのではないかと思われます。

 パウロは改めて、このように書くのは「贈り物を当てにして言う」のではなく、「あなたがたの益となる豊かな実を望んでいる」からだと強調します(一七節)。「あなたがたの益となる豊かな実」というのは、直訳すると「あなたがたの貸借勘定(あるいは決算書)を満ちあふれさせる果実」という商業用語が用いられています。いまフィリピの人たちが福音のために献げているのは、自分の資産をすり減らしているのではなく、自分の最終的な決算書をプラスにしているのだと言うのです。パウロがこの手紙で贈り物を喜んでいると書いたのは、さらに贈り物を期待しているからではなく、献げることによってフィリピの人たちの決算書が豊かになることを願っているからだというのです。
 

 ここで用いられている「あなたがたの《ロゴス》」という語は、「不正な管理人のたとえ」で「あなたの管理業務の決算書《ロゴス》を出せ」(ルカ一六・二)と言われているように、貸借勘定とか決算書という意味の商業用語です。

 さらに贈り物を期待しているのでないことが、「わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています」(一八節前半)と語られ、彼らの贈り物は「香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえ」(一八節後半)であるから、「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます」(一九節)と、彼らの貸借勘定が溢れるようなプラスになることを、神の栄光の富によって保証します。
 
 こうして、窮乏の中で福音のために献げ合い助け合う交わりの中に、神の豊かな恵みが満ちあふれ、「わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように」という賛美に帰していくのです(二〇節)。
 
 


第二節 生きることはキリスト


 共に福音にあずかる仲間


執筆の事情

 パウロは獄中からこのフィリピ集会あての手紙を書いています(一・七、一七)。前節に述べたように、パウロはエフェソで投獄されたと見られます。ルカはエフェソでの騒乱を伝えていますが(使徒言行録一九章二一節以下)、パウロの投獄については沈黙しています。おそらくパウロはこの騒乱に巻き込まれて逮捕投獄されてのでしょう。ルカは、この新しいキリスト信仰がローマ帝国にとって危険なものではないことを示そうとする護教的な意図をもって書いていますから、ローマ官憲によるパウロの逮捕や投獄を伝えなかったと考えられます。

 最近話題になっているウォルター・ワンゲリンの「小説聖書」の第三巻「使徒行伝」は、パウロの生涯と使徒としての活動を小説風に描いていますが、その中でエフェソの騒乱で投獄されたパウロを、プリスカが自分をパウロの身代わりにして脱獄させる場面があります。これは小説ですが、著者は神学者でもあり、その物語の骨格は最近のパウロ研究の成果を堅実に用いていることがうかがわれます。パウロがアキラ・プリスカ夫妻について、「命がけでわたしの命を守ってくれた人たち」(ロマ一六・四)と呼んでいることからも、このような出来事が実際にあったことも推察できます。もしそれが事実であれば、キリスト教徒がローマの法律や秩序を破る者でないことを示したいルカが、このような非合法な脱獄を含むエフェソでの入獄について語ることを避けたこともうなずけます。

 エフェソでの投獄がどのような罪状によるものか、裁判はあったのか、どのくらいの期間に及んだのか、どのような経緯で出獄できたのかなど、詳しいことは何も分かりません。ただ、パウロの手紙から、このとき投獄されたのはパウロだけでなく、数人の仲間が一緒に逮捕されて投獄されたと推定されます。次のような人の名が上げられています。
 
 「キリスト・イエスのゆえにわたしと共に捕われているエパフラス」(フィレモン二三)
 「わたしと一緒に捕われの身となっているアリスタルコ」(コロサイ四・一〇)
 「わたしの同胞で、一緒に捕われの身となったことのあるアンドロニコとユニアス」(ロマ一六・七)
 

 ロマ書一六章は、多くの研究者が見ているように、エフェソ集会あての個人的挨拶であるならば、ここに名を上げられている二人は、エフェソで一緒に投獄された同囚の仲間となります。もしロマ書一六章がローマの集会あての手紙の一部であるとすれば、この手紙の執筆時にはカイサリアやローマでの入獄はまだ起こっていないのですから、エフェソで共に投獄され、後にローマに移住したと見なければなりません。

 投獄がパウロ一人ではなく数名に及んでいることからも、大規模な騒乱による逮捕であることをうかがわせます。パウロたちは総督府に拘留されますが、それがたんなる卑俗な犯罪によるものではなく、キリスト信仰によるものであることが(監視の兵卒との交流を通して)総督府全体に知られるようになったこと(一・一三)、訪問者を受け、エパフロディトの病気など外からの情報が伝わっていること、手紙を書くことができることなどから、この拘留は比較的ゆるやかなものであったことがうかがわれます。しかし、一面では主の助けにより釈放されて再びフィリピの人たちと会うことを確信しつつも(二・二四)、裁判の成り行きによっては死も覚悟しなければならない状況であることも自覚しています(一・二〇以下、二・一七)。
 
 この獄中でパウロは、フィリピ集会からの贈り物をたずさえてパウロのもとに来て、エフェソでのパウロの働きに献身的に仕えたエパフロディトの重病を知ります。幸いにエパフロディトは主の憐れみによって癒されますが、自分の病気がフィリピの仲間に伝わり、心配をかけていることを辛く思うようになり、早くフィリピの仲間に元気な姿を見せたいと願うようになります。パウロもエパフロディトをフィリピに帰すことがよいと考えるようになります(二・二五〜三〇)。そこでエパフロディトをフィリピに送り帰すにあたって、エパフロディトの信仰と献身に賞賛を表明すると同時に、フィリピの人たちに対する日頃の熱い思いをこめてこの手紙を書くのです。
 
 執筆の直接のきっかけはエパフロディトの帰郷ですが(この手紙はエパフロディトに持たせたと考えられます)、この手紙執筆の動機はやはり、パウロとフィリピ集会との信頼に満ちた交わりにあると言えます。前回見ましたように、フィリピの集会はパウロを熱く慕い、パウロの主要な活動地であるテサロニケ、コリント、エフェソと、資金を送り続けてパウロを支えてきました。パウロもフィリピの集会を、親が子を慕い心配するように心にかけてきました。その自分が生んだ信仰の子たちに対する使徒としての愛と配慮が、この手紙を書かせたのです。このキリストにある愛と信頼の交わりから生まれた手紙は、獄中という陰惨な境遇で生まれたにもかかわらず、喜びを基調とするまことに美しい書簡になっているのです。

 この獄中からの手紙に、すでに前回取り上げた援助への感謝の手紙の一部(四・一〇〜二〇)と、(別の機会に書かれたと見られる)割礼を誇る働き人に対する警告(三・一b〜四・一)が組み込まれて、現在の形のフィリピ書ができたと考えられます。「警告」の部分は後で取り上げることにして、先に獄中からの書簡の部分を見ていきます。



挨 拶

  1 キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから、フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ。 2 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。(一・一〜二)

 この手紙では、パウロは自分が使徒であるという立場に触れていません。ガラテヤ書、コリント書、ロマ書など論争的な性格をもつ書簡では、使徒としての立場で書いていることを初めから明確にしていますが、自分を全面的に信頼して慕ってくれているフィリピ集会に対してはその必要がなかったからでしょう。ただ「キリスト・イエスの僕」とだけ名乗っています。「僕」という用語は、旧約では「神の僕」という形でよく用いられており、「僕なる預言者」という用例が多いことからも分かるように、特別に召されて神の働きの器として神に仕える者を指します。パウロもここでそのような意味で用いているわけですが、パウロの場合は神に仕えることがキリスト・イエスに仕える者となり、仕える働きの内容が特定されています。パウロにおいては、キリストに仕えることが神に仕えることなのです。また同時に、自分を「キリスト・イエスの奴隷」(直訳)と名乗る(ロマ一・一も参照)のは、全存在をキリストに献げた者であるという自覚の表現でもあります。

 この手紙では、共同の発信人としてテモテの名があげられています。テモテはパウロと一緒にフィリピで伝道活動をして、フィリピ集会の形成にかかわった協力者であり(使徒言行録一六章)、フィリピの人たちによく知られた人物です。また、信頼を受けている者としてこれからフィリピに派遣しようとしている人物です(二・一九以下)。ここではパウロと同じ「キリストの僕」として紹介されています(「僕」はパウロとテモテを指す複数形)。パウロは手紙を書くとき、相手方によく知られた人物を共同の発信人として名をあげています(テサロニケT、コリントIとU、フィレモン)。しかし、手紙の内容はまったくパウロ一人のもので、この手紙でもテモテは第三者として語られています(二・一九以下)。
 
 宛先は「フィリピ在住のキリスト・イエスにある聖徒たちへ」(直訳)となっています。「聖徒たち」という表現には、終末にさいして真に神に属する者たちという意味が込められていると見られます。この表現は、初め最初期のエルサレム教団のユダヤ人信徒たちに用いられましたが(パウロは募金活動に関する箇所ではずっとこの意味で用いています)、パウロは、「キリストにある」者は(異邦人であろうと)すべて彼らと同じ神に属する民であるとして、この呼び方をよく用います(コリントI一・二など)。
 
 この手紙では宛先の呼び方に、「監督たちと奉仕者たちと一緒にいる」という句が付けられていることが目立ちます。両方とも複数形で呼ばれていることからも、両者は特定の制度的地位ではなく、集会の運営を担う指導的なグループの人たちを指していると見られます。集会や伝道活動、互いの助け合い、パウロ一行への援助など、信仰的な面でも経済的な面でも実際の活動を決めたり実行したりするさいの役割を担当した人たちでしょう。両者には厳密な区別はなく、「監督たち」は集会活動全般を決めたり、集会を司会したり指導したりする人たちであり、「奉仕者たち」というのは経済面を含む実際的な活動を担った人たちを指すのではないかと考えられます。

 「監督」《エピスコポス》は、後に牧会書簡(おそらく二世紀初め)で単数形で用いられるようになり(テモテT三・一〜二、テトス一・七)、二世紀初めの殉教者イグナティオスも一人の監督による教会体制を強調し、古カトリック教会の「単独司教制」へ発展していくことになります。「奉仕者」と訳されている《ディアコノス》も、後には「執事」という実務を担う教会の役職名となっていきます。パウロの時代にはまだ、このような教会制度的な役職名として用いられているのではありませんが、コリント第一書簡(一二章)に見られる「使徒」「預言者」「教師」というようなカリスマ的指導者とは違う、やや継続的な形で職責を担う人たちが集会の指導や実務に当たっていたと見られます。このような人たちが、あまり厳密な区別をしないで「監督」とか「奉仕者」と呼ばれていたと見てよいでしょう(《ディアコノス》がこのような意味でロマ一六・一にも用いられています)。



福音への参加

  3 わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、4 あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。 5 それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。 6 あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。(一・三〜六)

 挨拶に続いて、パウロは日頃フィリピの人たちのために神に捧げている感謝と祈りを伝えます。フィリピの人たちのことを思い起こし祈るたびに、パウロは神に感謝し、喜びに満たされるというのです(三〜四節)。それは、彼らが「最初の日から今日まで、福音にあずかっている」からです(五節)。ところで、このパウロの感謝と喜びの源になっている「あなたがたの福音への《コイノーニア》(交わり、参与)」には二つの意味が考えられます。一つは、フィリピの人たちが福音のもたらす救いにあずかっているという意味です。もう一つの意味は、フィリピの人たちが福音を宣べ伝える活動に参加しているという意味です。
 
 この二つの意味は、「福音」という語がもっている二つの意味から出ています。すなわち、「福音」は「救いの音信」という意味で、告知されている内容を指す場合と、告知する行為を指す場合があるからです。パウロが「福音」を告知の内容を指して用いていることは当然ですが(ロマ一・二〜四、コリントT一五・三〜五など)、告知する行為を指している場合もあります(四・三、ロマ一・一、コリントU八・一八、ガラテヤ二・七)。「福音」が告知された内容を指すのであれば、「福音への《コイノーニア》」は福音がもたらす救いにあずかっているという意味になり、「福音」が告知する行為を指すのであれば、福音を宣べ伝える活動に参加しているという意味になります。この場合、どちらの意味であるかが争われています。
 
 しかし、この二つの意味は二者択一ではありません。どちらかを採れば、他方が否定されるという関係ではありません。福音を宣べ伝える活動に参加することは、福音がもたらす救いにあずかっているからできるのです。この句を「福音を宣べ伝える活動に参加する」ことと理解することは、当然彼らが福音のもたらす救いにあずかっていることを含んでいます。それで、本当の二者択一は、「福音の救いにあずかっている」と理解して宣教活動に参加するという意味を排除するか、救いにあずかっていることを含んで「宣教活動に参加している」と理解するか、の問題になります。わたしはこの場合後者をとるべきであると考えます。
 
 「福音への《コイノーニア》」という表現は、このフィリピ書だけに出てきます。パウロは、救いにあずかっていることを指すのに他でこの表現を用いることはありません。そうすると、パウロの宣教活動に参加した唯一の集会として(四・一五〜一六でも宣教活動への参加を指すのに《コイノーニア》の動詞形が用いられています)、パウロと特別の関係にあるフィリピの集会に書き送る手紙の中では、この表現は宣教活動への参加と理解するのが自然です。
 
 さらに、「最初の日から今日まで」という句も、救いの事態に関する説明と理解することも不可能ではありませんが、宣教活動への参加の説明として理解する方が適切です。救いに関しては現在救われていることと、その救いが将来に向かって進展することがよく語られますが、救いが「最初の日から今日まで」続いていることが語られることは、パウロにおいてはやや場違いな印象を受けます。それに対して、宣教活動への参加の説明としてはごく自然です。前回見たように、パウロが最初にフィリピで伝道して集会を形成したときからこの手紙の執筆時までずっと、フィリピの集会はパウロの活動を支援し続けたのです。
 
 パウロは、このようなフィリピの人たちの「福音への参加」を喜び、それを与えてくださった神に感謝しているのです。それは真の仲間を得た喜びです。パウロは、ユダヤ人からは異端者として命を狙われ、ユダヤ人キリスト教徒からは厳しく批判されて反対運動まで起こされ、自分が建てた異邦人集会(ガラテヤやコリントの集会など)からも様々な問題や批判を起こされるという状況で、組織に頼らずに孤軍奮闘、独立自給の福音宣教活動を進めてきたのです。その中で、フィリピの集会だけが全面的にパウロを信頼して慕い、その活動を支援してきたのです。パウロにとっては、フィリピの人たちだけが心を許せる同志であり仲間であったのです。そのような仲間を得た喜びがいかに深いものであるかは、すこしでも独立伝道に携わった者にはよく理解できます。パウロがフィリピの人たちに向かって「あなたがたの福音への参加」を喜ぶと言うとき、それは、福音のもたらす救いの恵みに共にあずかっているだけでなく、さらに進んで福音のための働きと労苦をも共にしている仲間を得たことを喜んでいるのです。
 
 パウロはフィリピの人たちについて、「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」(六節)と続けます。「キリスト・イエスの日」というのは、復活されたイエスが栄光の主として世界に来臨あるいは顕現される日のことです。パウロはこの日のために福音を宣べ伝え、その働きの成果をこの日の視点から見ています(二・一二〜一六、テサロニケT二・一九)。
 
 「あなたがたの中で善い業を始められた方」は神です(二・一三)。神はキリスト・イエスを受け入れた者たちの内に聖霊によって働かれるのです。神は、福音を信じたフィリピの人たちの中に働いて、イエスを「キュリオス・キリスト」と告白させ、愛をもって生き、パウロと力を合わせてこの福音のために働くという「善い業」を始められました。「福音への参加」は神が始められた「善い業」です。神が始められた業である以上、その業は「キリスト・イエスの日」に完成することを確信する、というのです。フィリピの人たちの神の子として栄光も、パウロと共にする福音のための働きも、その日には完成して栄光の中に現れることを確信するのです。

キリストの熱愛

  7 わたしがあなたがた一同についてこのように考えるのは、当然です。というのは、監禁されているときも、福音を弁明し立証するときも、あなたがた一同のことを、共に恵みにあずかる者と思って、心に留めているからです。 8 わたしが、キリスト・イエスの愛の心で、あなたがた一同のことをどれほど思っているかは、神が証ししてくださいます。(一・七〜八)

 七節で「考える」と訳されている動詞《フロネオー》は、新約聖書全体の用例26回の中22回がパウロ書簡です。しかもその中の10回がフィリピ書に出てきます。パウロはこの動詞をたんに「考える」とか「思う」という以上の意味で用いています。すなわち、ほとんどの場合この動詞は、人間がその全存在をある対象に注ぎ込んで生きる姿勢を指しているので、「考える」では不適切です。「心を向ける」とか「思いを抱く」もなお不十分ですが、やや近いかもしれません。パウロがフィリピ書でこの動詞を繰り返して用いているのは、八節の「熱愛」が示しているように、パウロとフィリピの人たちの間の熱い心の交流の中で書かれているからだと考えられます。

 パウロがフィリピの人たちについて以上のような思いを抱く理由が続きます(七節)。パウロは「監禁されているときも、福音を弁明し立証するときも」、いつどんな時にも、「共に恵みにあずかる者として、あなたがたを心に抱いているから」(直訳)だと言います。「共に恵みにあずかる者」という表現には、先の「福音にあずかる」と同じ《コイノーニア》という語が「共にあずかる」という形で使われています。「共に恵みにあずかる」というのは、福音がもたらす救いの恵みにあずかるだけではなく、福音を宣べ伝える働きとその労苦にも共に参加していることを指しています。パウロは使徒として福音を宣べ伝える使命と労苦を、つねに「恵み」として理解しているのです(コリントT一五・一〇、ガラテヤ一・一五、ロマ一・五)。パウロはここで、フィリピの人たちをこの恵みに「共にあずかる者として心に抱いている」と言うのです。パウロが福音を弁明し立証するときも、福音のために獄舎に監禁されているときも、フィリピの人たちはそこに一緒にいて、福音を弁明し、獄舎の労苦を共にしているのだと、パウロは感じているのです。
 
 そのようなフィリピの人たちとの一体感を、パウロは神を証人として立てて吐露します(八節)。自分が「キリスト・イエスの熱愛をもってあなたがたを慕っている」(私訳)ことは、神御自身が証人となってくださるというのです。
 

 ここで「熱愛」と仮に訳した《スプランクナ》というギリシャ語は、もともと心臓、肝臓、腎臓、肺臓など、犠牲動物の内臓を指す語でしたが、後に人の内臓を指すようになり、さらに人の内側のもっとも奥深い部分を指すようになり、心とか感情という意味にもなります。内臓が心とか感情の座と見られていたからです。旧約聖書のヘブライ語がこのギリシャ語で訳される場合はほとんどありませんが、ギリシャ語で書かれた後期のユダヤ教文献には、その動詞形が「憐れむ」という意味で用いられるようになります。共観福音書ではこの用法が引き継がれ、イエスが群衆を憐れまれたとか、イエスのたとえで、王が家臣を憐れむとか、放蕩息子の父親が息子を憐れむというように、いつも動詞形で用いられます。パウロでは逆に動詞形は出てこず、いつも名詞形で出てきます。他の書簡でも少し用いられていますが(コリントU六・一二、七・一五)、同じ時期の獄中書簡であるフィレモン書に三回(七、一二、二〇節)、フィリピ書に二回(ここと二・一)に集中して出てくることが注目されます。日本語で「腸(はらわた)の底から」というような表現に見られるように、全人格・全存在の奥底からの心とか感情を指しています。この場合は、そういう質の慈愛の感情を指していると見られるので、「熱愛」と訳しておきます。

 「キリスト・イエスの熱愛」というのは、わたしたちのためにご自身の命を献げて愛してくださったキリスト・イエスの愛の質を指しています(ガラテヤ二・二〇)。そのような質の熱愛をもって慕っているので、パウロはフィリピの人たちのために、彼らが「キリストの日」に完成されるように、次のように祈らないではおれないのです(九〜一一節)。


キリストの日に備えて

  9 わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、 10 本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、 11 イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。(一・九〜一一)

 パウロの目はいつも「キリストの日」に向いています。パウロは自分も愛するフィリピの人たちのことも、すべて来るべき「キリストの日」から見つめます。パウロの視線は終わりの「キリストの日」から現在に向かっています。その視点から見るとき、現在何が必要であるのかが正しく判断できます。それは愛《アガペー》が増し加わることです。
 
 パウロにおいては、愛《アガペー》は聖霊の賜物です(コリントI一二・三一以下)。あるいは聖霊の実です(ガラテヤ五・二二)。イエスが示され、また説かれたあの無条件・絶対の愛は、内なる聖霊の働きによってのみ実現することができます。しかし、聖霊を受けたからといって、自動的に愛が始まり増し加わるわけではありません。わたしたちの複雑な現実の生活の中で、「知る力と見抜く力とを身に着けて」、すなわち、経験によって鍛えられて、事柄の本質を理解し、判断力をしっかり身につけることによって、人間の自然の本性に従うのではなく、聖霊の導きに従うことができるようになるのです。そのとき初めて、愛《アガペー》が増し加わるのです。そして、愛が増し加わるとき、キリストにある者として、終末に面して生きる者として、真に重要なことが何であるかが分かるようになり、確信が増し加わるのです。「本当に重要なことを見分ける」という表現は、ロマ書二章一八節でユダヤ人が律法によって教えられて、「何をなすべきかをわきまえている」と語られているところで用いられています(ギリシャ語原文は同じです)。キリスト者はそれを、律法ではなく聖霊の愛によって教えられるのです。
 
 愛に満たされることが、「キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となる」ことなのです。それ以外のことは求められていません。このことは、テサロニケの集会にあてた手紙でも同じように祈られていました(テサロニケT三・一二〜一三)。終わりの日に備えて現在を生きる点では同じですが、ユダヤ教徒は律法の完全な順守をもって備えようとし、キリスト者は愛の完全を目指すという点で違ってきています。
 
 パウロはさらに「イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほど受ける」ように祈ります。「義の実」というのは、ガラテヤ書五章二二節以下の「聖霊の実」と同じと見ることができます。「実」とはわたしたちの現実の生き方の中に現れる結果を指しますが、それがどこから来るのかという視点から見れば「聖霊の実」であり、どのような性質のものかという視点から見れば「義の実」になります。神に受け入れられる善い生き方です。パウロにおいては、義は人間が築き上げる功績ではなく「イエス・キリストによって与えられる」恵みの賜物なのです。そして、このような「義の実」を豊かに身につけることが、「神の栄光と誉れとをたたえる」ことになるのです。
 

 生きることはキリスト


投獄は福音の前進のため

 12 兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。13 つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、14 主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。(一・一二〜一四)

 ここでパウロは現在の自分の境遇について語り始めます。福音を宣べ伝えたことによって逮捕され投獄されたことは、福音の働きのためには大きな障害になると、普通は考えられます。フィリピの人たちもパウロの身の安否について、また福音の前途について大いに心配したことでしょう。パウロは自分の心境については後で述べますが、まず何よりも先に、この出来事が「福音の前進に役立った」ことを、協力者であるフィリピの人たちに報せます。パウロは自分の一身上の安否よりも福音の前進を優先しているのです。
 
 福音の前進に役立ったのは、パウロの逮捕監禁が犯罪行為などのためではなく、「キリストのためであると知れ渡った」ので、「イエス・キリスト」という名と、その方を信じる新しい信仰に人々の関心が強く向けられるようになったからです。パウロが監禁されている総督府全体に知れ渡っただけでなく、外のすべての人々にも知れ渡ったので、町中がこの新しい信仰のことを話題にしたのでしょう。パウロの逮捕投獄がエフェソのアルテミス神殿での騒動(使徒言行録19章)によるものであれば、町中がこの話題に騒然となったことは想像できます。
 
 キリストにある兄弟たちの中で多くの人たちが、この機会を捉えてキリストのことを積極的に周囲の人たちに語るようになったのです。しかも、パウロの投獄を見て、「確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになった」のです。福音のために自分を投げ出しているパウロの姿を見て、信仰を励まされ、迫害や苦難の時にますます強く働きたもう聖霊の御力によって、恐れることなく勇敢に「御言葉」を語った、すなわち福音を伝えたのです。
 

 ここに用いられている「御言葉」《ホ・ロゴス》という語は、初期においては「福音」を指す術語でした。もちろん、《ロゴス》(言葉)は新約聖書でも大部分、人が語る言葉や神が語られる言葉を指していますが、初期の宣教活動の場で、このように単数形が定冠詞つきで単独で用いられるとき、宣教の内容、すなわち福音を指していました。パウロの場合にも、テサロニケT一・六やここはその用例です。この用法は、共観福音書でも見られます。たとえば、マルコ福音書の四・一三以下や八・二三など、初期の宣教状況を反映する編集句によく現れます。初期の宣教の歴史を語る使徒言行録には、もちろん多くの用例があります。



それがなんであろう

 15 キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。16 一方は、わたしが福音を弁明するために捕らわれているのを知って、愛の動機からそうするのですが、17 他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストをを告げ知らせているのです。18 だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。(一・一五〜一八)

 パウロの投獄とその原因となった事件により、多くの神殿と様々な宗教が雑居する大都会エフェソに、新しいキリスト信仰が話題となり、キリストを宣べ伝える活動が一段と活発になったのですが、その中にはパウロに対抗するためにされている活動もあることを伝え聞きます。エフェソで活動したのはパウロだけでなく、他の「働き人」たちもいたのです。もちろん一方では、パウロの投獄が福音の弁証のためであることを理解して、エフェソに福音を確立したいというパウロの切なる願いを代って実現しようという愛の動機で熱心に伝道する人たちもいました。アキラ・プリスカ夫妻もそのような仲間でした。しかし他方、ある働き人たちを核として形成された集会やグループは、パウロが投獄された機会に自分たちの勢力を拡大しようと熱心に活動したのです。彼らは「ねたみと争いの念にかられて」(一五節)、「党派心から」(一七節協会訳)活動しているのです。彼らはその活動によりパウロの影響力を削ぐことを期待しているのです。それは投獄されているパウロの苦しみに、さらに心労を加えることです。
 

 新共同訳は「自分の利益を求めて」と訳していますが、ここは協会訳の「党派心から」の方が適切でしょう。この時期にすでにコリントでは「アポロ派」や「ケファ派」などがあったことが伝えられていますが(コリントI一・一二)、この段落のパウロの文は、エフェソにも同じように競合するグループがあったことを示唆しています。

 たとえそれが党派心からなされる伝道であっても、とにかくキリストが告げ知らされているのだから、それを喜ぶとパウロは言います(一八節)。それが自分の苦しみを増し加えることであっても、キリストの名がさらに伝えられ、あがめられるのであれば、それを喜ぶというのです。自分が導いた人を「自分の」弟子と見る宗教家の党派心を、パウロは完全に脱却しているのです。

キリストがあがめられることだけを願う

 18b しかり、これからもわたしは喜びます。19 というのは、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、このことがわたしの救いになると知っているからです。20 そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。(一・一八b〜二〇 一部私訳)

 そしてさらに、「しかり、これからもわたしは喜ぶであろう」と言って、その理由を続けます。先に不純な動機からする伝道も、キリストが宣べ伝えられているのだから喜ぶと言ったとは別の喜びが、ここから語られます。その喜びの理由あるいは内容を語る一九節と二〇節は一つの文章で、一体として理解されなければなりません。強いて原文の語順通りに直訳すると次のようになります。
 
 「しかり、これからも喜ぶであろう、 19 このことがわたしにとって救いとなるのを知っているから、あなたがたの祈りとイエス・キリストの御霊の助けによって、20 (以下の)わたしの熱望と希望どおりに、いかなる場合も恥じることなく、かえって大胆に語ることによって、いつものように今も、キリストが大いなる方とされるように、わたしの身体によって、生きるにしても死ぬにしても」。
 
 「しかり、これからもわたしは喜ぶであろう」という句で新しい段落が始まっているので、「このこと」というのは、先の段落で語られた動機が何であれキリストが宣べ伝えられているという事実を指すのではなく、投獄という現在の状況を指すと考えられます。また、この文章全体からすると、「わたしにとって救いとなる」というのは、獄舎から無事救い出されることを言っているのではなく、たとえ処刑されることになっても、自分の存在の意義が全うされるという、永遠の救いのことを言っています。「となる」と訳した動詞も、そういう「結末に至る」という意味の動詞です。パウロのために絶えず祈る仲間の祈りと、苦難のときに寄り添って助けてくださる御霊の力に支えられて、この投獄という状況は最後には自分の永遠の救いという結末に至るものであることを知っているので、これからも喜びをもってこの状況に立ち向かうと言っているのです。
 

 「このことがわたしにとって救いとなる」という部分のギリシャ語原文は、七十人訳ギリシャ語聖書のヨブ記とまったく同じ文です。パウロはヨブの苦難を念頭において、この文を書いたと見られます。

 「救いとなる」という句に「わたしの熱望と希望どおりに」という説明が続いています。このことから、パウロにとって救いとは二〇節に語られている熱望の実現であることが分かります。すなわち、「生きるにしても死ぬにしても、いかなる場合も恥じることなく、かえって大胆に語ることによって、いつものように今も、わたしの身体によってキリストが大いなる方とされるように」という熱望が実現することが、救いに至ることだというのです。パウロは、自分の身体によってキリストの現実の偉大さが人々に伝わることだけを熱望しているのです。もし処刑されて自分の身体が冷たいむくろになることがあっても、その事実を通してキリストが大いなる方としてあがめられるようになれば、それで本望だというのです。
 
 パウロは殉教を熱望しているのではありません。むしろ生きて出獄し、フィリピの兄弟たちと再会し、再び福音のために働くようになることを願っています(一・二四〜二六)。パウロが熱望しているのは、自分が生きるにしても死ぬにしても、自分の身に起こることを通してキリストが大いなる方とされることなのです。パウロはキリストのゆえに自分の死生を超越しているのです。この境地から次の節(二一節)の偉大な言葉が出てくるのです。
 

 ここに用いられている「熱望」という語は、「首を伸ばして待ち望む」姿勢を指す語で、後にローマ書(八・一九)で全被造物が神の子たちの顕現を待望していることを語る文で用いられています。

 

死生の相対化

 21 わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。22 けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。23 この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。24 だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。25 こう確信していますから、あなたがたの信仰を深めて喜びをもたらすように、いつもあなたがた一同と共にいることになるでしょう。26 そうなれば、わたしが再びあなたがたのもとに姿を見せるとき、キリスト・イエスに結ばれているというあなたがたの誇りは、わたしゆえに増し加わることになります。(一・二一〜二六)

 このようにキリストにあるゆえに死生を超越した境地が、「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」という言葉で端的に表現されます。「生きるとはキリスト」という端的な表現に、パウロの一切がこめられています。人間として生きる意義とか価値、また生きる力(原動力)と栄光の一切がキリストにあるというのです。自分のために死に、復活して今も生きたもうキリスト、自分の内に生きてくださる霊なるキリスト、このキリストに合わせられて存在することが、自分にとって「生きる」ことそのものだというのです。このように「生きるとはキリストである」とき、「死ぬことは益である」となります。キリストにある者にとって、死ぬことは「世を去って、キリストと共にいる」ことであり、肉の身体を脱ぎ捨てて霊なるキリストとさらに深く一つになることだからです。「死ぬことは益」は「生きるとはキリスト」の一面です。
 
 パウロは生と死という二つの間に板挟みになっています。一方では「この世を去って、キリストと共にいたい」という願いを持っているのですが、他方では「肉において生き続ければ、実り多い働きができ」、新しく生まれたばかりの地上の《エクレーシア》のためになお働く必要があるという、願いと義務の板挟みです。
 

 二三節で新共同訳は「熱望」という訳語を用いていますが、ここは「願いがある」という程度の表現で、二〇節の首を伸ばして待望する「熱望」よりは弱い表現です。

 普通、生と死との間に板挟みになるというのは、苦しくて生きるのはいやだが、死ぬのも恐ろしくてできない、という板挟みです。生きるに生きられず、死ぬに死ねないという矛盾です。ところが、パウロの場合、生きることも死ぬことも望ましいので、どちらを選ぶべきか分からない、という板挟みです。生と死どちらも望ましいという死生を超越した境地は、先にも見ましたように、キリストという絶対的な価値を見出した結果です。復活して死を克服されたキリストに合わせられて生きている結果です。自分のために死に復活されたキリストに合わせられているので、生きるとはこのキリストに結ばれて自分が死に、キリストが自分の中に生きてくださっている現実です。死ぬことは、この朽ちるべき身体を脱ぎ捨てて復活されたキリストにいっそう近くなることです。こうして、キリストにあることが絶対的な価値となるとき、生と死は絶対的な矛盾であることをやめて相対化され、生きるのもよし、死ぬのもよしとなるのです。これは復活信仰が身についたところに生まれる境地です。
 
 「この世を去って、キリストと共にいたい」という願いはあるが、「肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要」と確信するので、「わたしは生きながらえて、あなたがた一同のところにとどまり、あなたがたの信仰を進ませ、その喜びを得させようと思う」(二五節協会訳)とパウロは言います。「と思う」は「知っている」という動詞が用いられており、主がそうなるようにしてくださることを「知っている」のです。そうなれば、パウロが再びフィリピの人たちのところに姿を見せることによって、キリスト・イエスにある彼らの誇りが、パウロのことでさらに満ちあふれるようになるはずです(二六節)。
 
 

殉教を前にしたパウロの心境

 一章一二〜二六節の部分は、投獄されて死刑判決もありうるという状況で、パウロ自身が自分の心境を語っている貴重な箇所です。パウロの最後はどのようであったのか、確かなことはわかりません。しかし、どこでどのような最後を迎えたにせよ、福音のための死(殉教)を前にしたパウロの心境は、ここにパウロ自身が語ってるとおりであったと見ることができます。パウロは何回もの投獄や陰謀などによる死の危険に直面してきましたが、その時のパウロの心境はいつもここに語られているようなものであったと見ることができます。その意味で、このフィリピ書簡がいつ書かれたにしても、これを処刑を前にしたパウロの遺書として読んでもよいと思います。


 福音にふさわしく


福音のための戦い

 27 ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。そうすれば、そちらに行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、わたしは次のことを聞けるでしょう。あなたがたは一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており、 28 どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはないのだと。このことは、反対者たちに、彼ら自身の滅びとあなたがたの救いを示すものです。これは神によることです。 29 つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけではなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。 30 あなたがたは、わたしの戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いをあなたがたは戦っているのです。(一・二七〜三〇)

 ここまで獄にある自分の心境を語ってきたパウロは、ここからフィリピの集会の人たちに向かって、励ましと勧めの言葉を語ります。処刑もありうるという状況で語られている言葉ですから、残る人たちに最後にこれだけは言っておきたいという切実さが感じられます。いわば、パウロの「遺訓」という性格が滲み出ています。
 
 パウロはその最後の勧めを、「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」と一息で語り尽くします。「ただ」これだけだ、という感じの文です。ここで「生活を送りなさい」と訳されている動詞《ポリテウオマイ》(パウロ書簡ではここだけ)は、《ポリス》(都市国家)という語を含んでおり、「市民として振る舞う」という意味合いをもっています。パウロがフィリピ集会に与える励ましと勧告は、この用語からも、また後に続く内容からも、社会の中での集会の在り方や集会内の振る舞いに重点が置かれていると見られます。しかし何よりも「わたしたちの市民権《ポリテウマ》は天にある」(三・二〇)のですから、天に市民権をもつ者としての生き方の中に包み込まれています。
 
 勧告される生き方は、「キリストの福音にふさわしく」と要約されています。しかし、パウロはこの書簡では「キリストの福音」とは何かを改めて説明することはありません。この点で、まず福音の内容を提示して、続いてそれにふさわしい実践的な生き方を勧告するという他の書簡と違います。フィリピの人たちはすでに「福音にあずかっている」のです。福音が与える救いにあずかり、福音を宣べ伝える労苦をパウロと共にしているのです。フィリピの人たちは福音が「救いに至らせる神の力」であることを知っているのです。このような人たちに、パウロは改めて福音を解説することなく、現にあずかっている福音の現実に生き抜くように励ますのです。
 
 その励ましは、まず外に向かって福音を宣べ伝えるための戦いに関するものから始まります。パウロがフィリピで伝道したとき、ローマ市民には許されていない風習を宣伝して騒乱を引き起こす者として訴えられ、広場で裸にされてむち打たれ投獄されました(使徒言行録一六・一六〜四〇)。このような福音のためのパウロの戦いを、フィリピの人たちは自分たちの町で「かって見た」のでした。パウロがフィリピを去ってからも、このローマ風都市の市民たちはユダヤ人イエスを主キリストと告白する人たちの新奇な信仰に対して反対し続けました。このような「反対者たちに脅されて」、フィリピの集会は苦しい戦いを強いられてきました。しかし、「キリストの福音にふさわしく生きる」ならば、すなわち霊なるキリストにしっかりと結びついて生きるならば、そのキリストから賜る上よりの力によって、集会は「同じ御霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており、どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはない」(一部私訳)という姿を現すことができるのです。「たじろぐ」というのは、具体的には「信仰を捨てる」ことです。
 

 この文で「一つの霊によって」(新共同訳)というのは、「共に戦う」と「たじろがない」という分詞形で示されている結果を生む根拠になっているので、「心を合わせて」との並行表現と見るより、「同じ御霊によって」と理解する方がよいと考えられます(パウロが《プニューマ》と言うときはほとんど「御霊」を指しています)。集会の戦う力と心の一致は聖霊によって賜っているのです。また、「福音の信仰に」という三格は、「のために」とか「によって」など、様々な解釈が可能ですが、戦う力は御霊によって賜っていると理解すると、「信仰によって」ではなく「信仰のために」が順当です。この場合、「信仰」はほぼ「福音」と同格です。

 パウロは、フィリピの集会のそのような様子を伝え聞くようになること、あるいはそこを訪れて直接見るようになることを切に願って、この励ましをエフェソの獄中から書いているのです。パウロが福音のためにエフェソで獄に繋がれていることを、フィリピの人たちは「今また聞いています」。フィリピの人たちが「かって見、今またそれについて聞いている」福音のためのパウロの戦いを思い起こさせ、「その同じ戦いをあなたがたは戦っているのです」と、同じ戦線に立つ同志としての連帯の中から励ましを送るのです。
 
 パウロは、フィリピの集会が「同じ御霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており、どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはない」ことを、「反対者たちには滅びのしるし、あなたがたの救いのしるし」(私訳)としています。「しるし」と訳した語は「証明」という意味もあります。「どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはない」フィリピの集会の姿は、その中にキリストがおられ、上よりの御霊の力が支えている証明であって、そのキリストにあって救いへの途上にあることのしるしです。それに対して、反対者たちにとっては、その救いに反対して自分を救いに無縁な者としているという意味で、滅びへの道にあることを示しているのです。ここでは救いも滅びも終末の裁きの視点から見られています。そして、このフィリピの集会が外からの反対に屈することなく立っている姿は、人間の決意や努力によるのではなく、「神から」来ているので、反対者は押しつぶすことができないのです。
 
 この「神から」来ているものが、続く二九節で「あなたがたに恵みとして与えられたからです」という文で説明されています。「恵みとして与えられた」ものは「キリストのために苦しむこと」です。それは「キリストを信じること」と一体として与えられているのです。
 

 「恵みとして与えられた」もの(この文の主語)を指す表現は、すこし混乱しています。おそらく「キリストのために苦しむことが」と語ろうとして、「キリストのために」まで来て、「彼を信じることだけでなく」を挿入し、改めて「彼のために」を繰り返して本題の「苦しむことも」と続けたのではないかと推察されます。「キリストのために苦しむこと」は「キリストを信じること」の中に含まれているというパウロの信仰理解が、自然にこのような挿入をさせたのでしょう。

 キリストを信じることによって終末の時に生きる神の民とされたエクレシアは、終わりの日の苦難を自らの身に引き受けて、神の救済の御計画を担うように召されているのです。信仰によって神の民とされた恵みの中に、このキリストのための苦難も含まれているのです。わたしたちが外の世界に向かってキリストを告白し宣べ伝えるために受ける迫害は、わたしたちを神の民とされた神の恵みの中に含まれているのです。こう理解するとき、迫害も神の恩恵を確かなものし、御霊の喜びと希望が溢れる場となります。
 
 「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」 (マタイ福音書五章一一〜一二節)
 
 

思いを一つにして

 1 そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、御霊による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、 2 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。 3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、 4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。 5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。(二・一〜五)

 外に向かっての戦いについて語った後、使徒は集会の内側の問題に転じます。外に向かって福音の信仰のために戦うには、「心を合わせて」共に戦うことが何よりも重要なことです。「どんな町や家でも、内輪で争えば成り立って行かない」のです(マタイ一二・二五)。パウロがフィリピの集会に何よりも第一に願うことは、集会の一致です。これは「福音にふさわしく生きる」ために、不可欠の前提です。主にあって心を一つにして交わり、共に戦っている姿を見せることによって「わたしの喜びを満たしてください」と切望します。その一致が欠けて、集会が内部で分かれ争うならば、それはパウロにとって何よりも辛く悲しいことなのです。同じ時期に書かれたコリントへの第一書簡でも、パウロは何よりも先にこの問題を取り上げています(コリントT一・一〇以下)。
 
 一致の根底は、すでに「同じ御霊によってしっかり立ち」と語られていました。その「御霊による一致」が、さらに言葉を尽くして励まされます。ここのくどいまでの語り方に、パウロが集会の一致をどれほど強く願っていたかが感じられます。逆に言えば、この「御霊の一致」という貴重な宝ほど壊れやすいものはなく、人の僅かの肉の思いでも傷ついてしまうのであることをパウロは知っているのです。
 
 最初に「あなたがたに幾らかでもあるなら」と並べられている項目の中で、初めの「キリストによる励まし、愛の慰め、御霊による交わり」という三つには、当時の集会で会衆に与えられた「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように」(コリントU一三・一三)という祝祷が反映しているとされています。この祝祷には、キリスト・(父なる)神・聖霊の三位一体論の萌芽があると言われていますが、ここで神学的理論が目指されているのではなく、キリストにある救いの体験がこのような形の表現を自然に生み出すのだと理解できます。使徒はこのようなエクレシア共通の体験を指して、「あなたがたが現にそのような祝福の下にいるのであれば」一致を実現してほしいと訴えているのです。
 
 ここでキリストについては、「キリストにある《パラクレーシス》」と言われています。この語はコリントU一・三〜七では「慰め」と訳されています。この「慰め」は、その箇所からも分かるように、神がキリストにあって苦難にある者と共にいてくださることによって力づけてくださることを指しています。力づけるという意味で「励まし」という訳語が選ばれ、次の「愛の慰め」と区別されたのでしょう。「励まし」と「慰め」は厳密に区別することは困難です。ここは相互の一致を求めている文脈ですから、同じキリストにある者同志として励まし、神から賜っている愛によって互いに慰め、現に聖霊による与えられているお互いの交わりを深める気持ちが幾分でもあるなら、という意味で用いられていると見てよいでしょう。そういう気持があるなら、集会の一致を何よりも熱心に追求して「わたしを喜ばせてほしい」と願うのです。
 
 使徒はこの三つに、「それに慈しみや憐れみの心があるなら」とつけ加えます。「慈しみ」と訳されている語は、一章八節に出てきた《スプランクナ》(はらわたからの思い、熱愛)です。「憐れみの心」は、ルカ福音書(六・三六)で「父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」と言われているときの「憐れみ深い」と同じ語です。
 
 こうして並べられた五つの心の姿について、「幾らかでもあるなら」と言われているのは、あるかないか知らないが、もし幾らかでもある場合には、という意味ではなく、学生に向かって「学生なら、こうしろ」と言う場合のように、そういう心が与えられている以上は、という意味で使われています。あなたがたには「キリストによる励まし、愛の慰め、御霊による交わり、それに慈しみや憐れみの心がある」のだから、それが完全なものでなくても、「幾らかでもある」以上は、互いに一致して、「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして」、わたしの喜びを満たしてほしいと願うのです。
 
 一致を求めてくどいほど繰り返されている四つの表現の中で、「同じ思いとなり」と「思いを一つにして」と、「思う」という動詞が繰り返されていることが目立ちます。この動詞は、使徒のフィリピ集会への熱い「思い」を反映して、この書簡に繰り返し現れます。パウロは、フィリピの人たちがそれと同じ「思い」をお互いの間に抱くことを切望しているのです。彼らが「同じ思いとなる」ことが、彼らを熱く思っているパウロの喜びを満たすのです。
 
 続いて、一致を妨げることと進めることの対比が二組で語られます。まず「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え」ることが求められます。利己心や虚栄は一致を壊します。へりくだりこそ一致を達成する前提です。次に「めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい(心にかけなさい)」と勧められます。自己中心の心は一致を妨げます。それに対して他人への思いやりは一致を押し進めます。
 
 そして、最後に「キリスト・イエスにもある思いを、あなたがたの間で抱きなさい」(五節私訳)と締め括ります。ここでパウロはもはや自分の内にある思いではなく、キリストの中にある思いを範例として提示するのです。キリストご自身こそ、「へりくだって、自分のことを求めず、他人への思いやりに生きる」という思いを抱く者の原型なのです。そのキリストの思いを示すために、パウロはフィリピの人たちが日頃唱え歌っている「キリスト賛歌」(六〜一一節)を引用します。
 
 

キリスト賛歌

6 キリストは、神の身分でありながら、
   神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、
   人間と同じ者になられました。
   人間の姿で現れ、
8 へりくだって、死に至るまで、
   それも十字架の死に至るまで従順でした。
  
9 このため、神は彼を高く上げ、
  あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
10 こうして、天上のもの、地上のもの、
  地下のものがすべて、
  イエスの御名にひざまずき、
11 すべての舌が、
  「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、
  父である神をたたえるのです。
               (二・六〜一一)

 この「キリスト賛歌」は本来詩形をなしていたと考えられるので、仮に新共同訳を行分けして、詩形で掲げておきます。この賛歌はパウロの作ではなく、すでにヘレニズム世界の諸集会で歌われていたものを、パウロが引用している(その中で「十字架の死に至るまで」という句はパウロの挿入である)ことが、広く認められています。パウロ以前の成立とすると、すでに四十年代に、すなわち福音の宣教開始後20年以内に成立していたことになり、最初期のキリスト告白の一つとしてきわめて重要で興味深い賛歌です。しかし、パウロの作でないのであれば、この賛歌は直接パウロのキリスト論を探求する資料にはなりませんので、その詳しい解説は他の研究書や注解書に委ね、ここではパウロがフィリピの人たちにへりくだるように説き勧める文脈の範囲内で取り上げるに止めます。

 この賛歌の前半(六〜八節)は、キリストが主語で、神の身分であるキリストが自分を無にして人間となり、死にいたるまで自分を神の御旨に明け渡されたことが描かれています。後半(九〜一一節)は、神が主語で、神が死にいたるまで神に従ったイエスを栄光の座に高く上げて、すべてのものが彼を主《キュリオス》として告白するにようにされたことが賛美されています。パウロがここでフィリピの人たちに範例として示そうとしているのは、前半の「自分を無にする」キリストの姿です。
 
 賛歌の前半によれば、「神の身分であるキリスト」、永遠に神と共にいますキリストが、人間となられたことが告白されています。それがイエスです。前半にはイエスという名は出てきませんが、「人間の姿で現れ」と言うとき、イエスを指していることは明かです(一〇節で名指されます)。ですから、人間イエスの存在そのものが、「自分を無にされたキリスト」なのです。イエスが人間としての欲求を断ち切って、神の御旨に従う生涯を全うすることで「自分を無にする」ことを達成されたというのではありません。イエスの誕生そのものが、「神の身分であるキリストが自分を無にされた」出来事なのです。
 
 ところが後半では、イエスが自分を無にして、死に至るまで従順であったので、神はイエスを高く上げて、すべての名にまさる名、すなわち《キュリオス》イエス・キリストという名を与え、天上、地上、地下のすべてのものがひれ伏して拝むようにされたというのです。九節で、前半の「人間の姿で現れ」た方が「彼」という代名詞で指されていますが、一〇節で「イエス」と名指されています。「キリスト」を、六節が宣言しているように、神と等しい方、神の身分である方とすれば、賛歌の後半は、人間イエスがキリストという栄光の地位に高められたことを賛美している、と言えます。
 
 この賛美の前半と後半は循環しています。前半では、キリストが自分を無にしてイエスとなったこと、したがってイエスとは自分を無にしたキリストの姿に他ならないことが語られ、後半では、イエスが自分を無にしたからキリストとなったことを語っています。これは論理的には循環論法です。この循環を成り立たせるのは復活信仰です。神がイエスを死者の中から復活させて、キリストとしてお立てになったことを信じ、この信仰により賜る聖霊によって復活者キリストと合わせられて生きる場においては、イエスがこのキリストの受肉された姿であることが当然のこととなるのです。この復活信仰の場においては、イエスが復活によってキリストとなったことと、キリストが受肉によってイエスとなったこととは、表裏一体です。キリストであるイエスの現実を逆方向に言い表したものに他なりません。イエスがキリストになる方向が復活であり、キリストがイエスになる方向が受肉です。受肉は逆方向に見た復活なのです(この点については福音講話「神の子の誕生」を参照)。
 
 こうして見ると、福音を福音ならしめている復活信仰は、その中に受肉の信仰を含んでいることになります。そして受肉は、このキリスト賛歌に見るように、「キリストの《ケノーシス》」、すなわち「キリストが自分を無にした」出来事なのです。このことを理解すると、ここでパウロが「福音にふさわしく」生きることを説くときに、このキリスト賛歌、とくに前半の「キリストの《ケノーシス》」を根拠にすることの意義が見えてきます。福音にふさわしく生きるとは、復活信仰に含まれる「自分を無にした」キリストに合わせられて、自分を無にして、他者をあるがままに受け入れて仕えて生きることなのです。復活の場は「自分を無にする」場なのです。
 

 

救いの達成を目指して

 12 だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。 13 あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。 14 何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。 15 そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、 16 命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄でなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。 17 更に、信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。 18 同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい。(二・一二〜一八)

 このように、「福音にふさわしく」生きることを説き勧める勧告の最後に、「恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい」という一段が来ます。「福音にふさわしく」行動するために、まず最初に集会が外に向かって「福音の信仰のために戦う」ことが求められ(一・二七〜三〇)、次に集会内の一致が求められましたが(二・一〜一一)、最後に各自が「自分の救いを達成するように努める」ことが求められます(二・一二〜一六)。
 
 段落を導入する最初の「だから」という語は、先に引用した「キリスト賛歌」の中の、「(イエスは)死に至るまで従順でした」を受けて、「だから、あなたがたも従順でいて」と続きます。イエスは死に至るまで従順であったので神は彼を高く上げられたのだから、あなたがたも最後まで従順でいて自分の救いを達成しなさい、という形で勧告を形成します。
 
 ここで「従順」が救いの達成に不可欠の要件として、勧告の中心をなしています。使徒パウロは、「いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい」と、フィリピの人たちに、ひいてはわたしたちに、説き勧めます。では、パウロが言う「従順」とはどういう姿でしょうか。
 
 パウロが「従順」を強調することから、パウロはイエスの自由な宗教を服従の宗教に変えてしまったと批判する説があります(たとえばE・シュタウファー)。しかし、その批判はパウロの「従順」を正確に理解せず、「服従」と混同しているからではないかと考えられます。
 

 パウロの言う「従順」《ヒュパコエー》は「服従」《ヒュポタゲー》と違います。たしかに、「服従する」《ヒュポタッソー》という動詞は、パウロ書簡に出てきます(ロマ一三・一、コロサイ三・一八など)。この動詞は《タグマ》(秩序)という語幹から出る動詞で、「(ある秩序の中で)下位の者が上位の者に従う」という意味です。それで「服従する」と訳しておきます。家庭の秩序や国家(とくに軍隊)の秩序の中で振る舞いについて用いられるのにふさわしい動詞です。後に修道院や制度的教会でも重要な役割を果たします。それに対して、「従順」《ヒュパコエー》は《ヒュパクオー》という動詞の名詞形ですが、この動詞は「聴く」という語幹からできた動詞で、「下に立って聴く、聴き従う」を意味します。語りかけられた言葉に、相手への信頼とか尊敬とか畏れなどから、その言葉に自分を委ねて従うことです。パウロは信仰のことを語るときはいつもこの動詞を使います。時には「聴く」ことと「信じる」ことは等置されます(ガラテヤ三・二)。したがって、「信仰の従順」(ロマ一・五)という表現に見られるように、パウロにおいては「従順」はほとんど「信仰」と同じ意味で用いられています(ロマ一・八と一六・一九を比較せよ)。

 パウロは、権威に服従することを求めているのではなく、フィリピの人たちが使徒パウロを通して聴いた福音の言葉に、自分を委ねきって生きることを求めているのです。「信仰の従順」を求めているのです。従順こそ、具体的な姿で現れている信仰に他なりません。
 
 イエスも、このような意味で神に従順でした。子としての信頼をもって父の御言葉にご自身を委ねられたのです。その結果、イエスは高く上げられて栄光の座に着かれました。そのように、あなたがたもパウロが一緒にいない今はいっそう、パウロを通して伝えられた福音の言葉に委ねきって歩み、自分の救いを達成するようにと励ますのです。
 
 ここで「救い」が、目標を目指して進む一つの過程(プロセス)として描かれていることが重要です。たしかに、「救い」には現在すでに救われているという面があります。福音を信じて受け入れ、イエス・キリストを主《キュリオス》と言い表すならば、わたしたちはキリストにあるあがないによって義とされ、神の子とされているのです。信仰によって義とされ、聖霊を受け、子としての命に生きているのです。ところがしばしば、このように信仰によって義とされたことが救いのすべてであるかのように強調されて、「救い」には、信仰によって義とされた者が「救いを達成する」ことを目標にして進む過程であるという面もあることが見落とされています。
 
 信仰によって義とされる、または神との和解を受けることは、わたしたちが救いを達成するための場に入れられたことを意味するのであって、それがただちに救いの達成ではありません。そのことをパウロ自身がこう言っています。

 「それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです」。(ロマ五・九〜一〇)

 ここで同じことが並行する二つの文で表現されています。この二つの文で、「義とされた」と「和解させていただいた」は過去形です。それに対して「救われる」は両方とも未来形です。わたしたちは信仰によってすでに義とされ、和解を受けているのです。そして、その場にとどまるかぎり、来るべき裁きにおいて神の怒りから救われ、これからの歩みにおいて「御子の命によって救われることになる」のです。「神の怒りから救われるであろう」には、黙示思想的な終末観の名残がありますが、「御子の命によって救われるであろう」という未来形は、パウロの救済観を理解する上で重要です。キリストに血によって義とされ和解させていただいた場にとどまることによって、復活されたキリストの命にあずかり、その復活の命によって神の子としての姿を完成する歩みが可能になるのです。その目標に向かう過程が「救われるであろう」という未来形で語られているのです。同じことが、「主の霊の働きにより、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます」(コリントU三・一八)とも語られています。
 
 「恐れおののきつつ」というのは、終わりの日の神の裁きを恐れ、滅びるのではないかという不安におののきつつ、という意味ではありません。「恐れおののきつつ」努めなければならない理由は、続く一三節で語られています。すなわち、「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです」。この文の重点は、「あなたがたの内に働いておられるのは神である」という部分にあります。あなたがたは死人の中からの復活に達し、終わりの日の栄光にあずかることを望み見て、苦難に耐え、信仰の働きを続けているが、それは決して人間の願いと努力によるものではなく、神があなたがたの内に働いて、そのような望みを持たせ、そのような働きをさせておられるのである、ということです。自分の内に働いておられるのが神であるとすると、そのような望みをもって働くことは神に従うことであり、それを軽視したり無視したりすることは神に背くことになるのです。その自分の内に働いてくださっている神への関わりと責任という真剣さが、「恐れおののきつつ」という表現で語られているのです。
 

 原文では一三節の最後に置かれている「その心を超えて」または「その心に従って」という句については議論があり、解釈と翻訳が分かれています。大多数は「神の御心に従って」と理解していますが、それも「御心のままに望ませ、行わせておられる」(新共同訳)と理解するか、先行する部分全体を指して「それは神のよしとされるところ」(協会訳)と理解するか、分かれています。

 「恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい」と説き勧めたパウロは、救いを達成するための歩みにおいて大切なことを加えます。それが「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい」(一四節)という勧告です。この勧告の背景には、約束の地を目指して荒れ野を四十年にわたって旅をしたイスラエルの民が、不平を言ってつぶやいたために約束の地に入ることを許されなかったという旧約聖書の物語があります(民数記一四章)。この手紙の少し前に書かれたと見られるコリント第一書簡(一〇章)でも、パウロはこの物語を用いてこう勧告しています。

 「彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはならない。不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました」。(コリントT一〇・一〇)

 「不平を言う」ことだけが、救いの達成を妨げるものとして取り上げられているのは、それが「従順」の反対だからです。不平は、召された方への信頼からその言葉に委ねきる在り方からは出てきません。不平は不従順、不信仰の現れです。不平を言うことなく、従順に徹して歩むのは、「とがめられるところのない清い者となり、神の子供となる」ためです(一五節以下は一四節の目的を示す文です)。ここで、救いの達成が別の表現で語られています。「となる」のは、自分の働きではなく、信頼をもって御言葉に委ねる者に対する神の働きの結果です。そして、「神の子供」とされた者の姿が様々な表現で、(原文では)後に続きます。
 

 ここは《フィオス》(息子)ではなく、《テクナ》が用いられているので、「子供」と訳しておきます。神から生まれ、神と同質の命に生きている者という気持ちで用いられていると考えてよいでしょう。

 救いとは、「よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子供となり」、「世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保ち」つつ生きることです。ここでは救いが、「時代の中で」および「世にあって」と、現実世界の中での神の子供の姿として描かれています。「時代」《ゲネア》は、わたしたちの用語ではほとんど「歴史」と言ってもよいでしょう。神に背き、自己の利益や権力や名誉のために隣人を抹殺することをためらわない「よこしまで曲がった」歴史の中で、そして、神から離反して暗闇と死の支配の下に陥っている現実の世界《コスモス》の中で、神の子供たちは「星のように輝き、命の言葉を保つ」のです。
 
 「非のうちどころのない」神の子供というのは、道徳的に完璧な人間という意味ではなく、神に信頼して委ねる「従順」において「非のうちどころのない」ことを指しています。この意味での完全さは、時代の道徳や宗教に背く場合もあります。この意味での「非のうちどころのない」神の子供の原型は、やはりイエスです。イエスは父に完全に信頼して従われたために、当時の宗教であり社会規範である律法に違反する者として死に追いやられたのでした。
 
 真に神に従う者が迫害され、死に追いやられる事実は、この現実の歴史世界がいかに深く闇の中に陥っているかを示しています。キリストにあって命の光を受けた者は、それだけに深く現実世界の暗闇を見ます。すでにパウロは、この光の世界と闇の世界の深い対立を見ていますが、その対立はヨハネ福音書において頂点に達します。
 
 この段落を読みますと、「よこしまで曲がった」歴史の暗闇の中で、「命の言葉を保って、星のように輝いた」多くの神の子供たちを思い起こします。語り出すときりがないので、その中で最近の一人だけ名をあげておきます。世界が先の大戦の惨禍と憎悪の中にあったとき、その闇の権化とも言うべきヒットラーの支配に抗して、神に従うとはどういうことかを命をかけて示したボンヘッファーの姿が思い起こされます。彼の獄中書簡を読むと、「命の言葉を保つ」ということがどういうことかが迫ってきます。死が迫る苦難の中で明るさと愛に満ちた姿は、獄中からこの喜びの書簡を書いたパウロの姿を彷彿とさせます。彼の存在は、歴史の暗闇に輝く星であることを実感します。
 

 ボンヘッファーについては、宮田光雄『ボンヘッファーを読む』(岩波書店)を読まれることをお勧めします。

 パウロの視線は、獄中にあって「キリストの日」に向かっています。フィリピの人たちも獄中の使徒と同じく、「キリストのために苦しむことも恵みとして与えられている」者として、福音のために共に戦い、集会の内では、自分を無とされたキリストの思いをもって一致を守り、各自が従順に徹して救いの達成に務め、「非のうちどころのない」神の子供となるならば、その事実は、「キリストの日に」、すなわちキリストが来臨されて一切が明るみに出るとき、「自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄でなかった」ことが明らかになり、「わたしにとって歓喜となるのです」(私訳)と言います。パウロは「キリストの日」の歓喜を現在の苦難の中での支えとしているのです。この歓喜が、続く文で自分の死をも超えて響き渡るのです。
 
 パウロは自分の死を見つめながら言います、「然り、たとえわたしがあなたがたの信仰の供え物と礼拝の上に(わたしの血を)注ぐことになっても、わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい」(私訳)。「注ぐ」という動詞は、祭儀において祭壇に神酒などを注ぐときに用いられる動詞です。原文には「血」という語はありませんが、状況から見て、パウロは自分の命を注ぐことを言っているのは明かですので、「わたしの血を注ぐ」とか「自分自身を(供え物として)注ぐ」と理解しなければなりません。実際、パウロはすべての異邦人が信仰によって感謝の供え物を献げ、神を礼拝するようになるために、自分の血を注いだのです。このときエフェソの獄からは釈放されたのでしょうが、結局は殉教することになるのですから。
   
 たとえ処刑されることになっても、わたしが命をかけて伝えた福音によってあなたがたが天来の喜びを受けたことを喜び、あなたがた一同のその喜びと合わせて共にわたしも喜ぶと言い、さらに、獄中にあってかの日の栄光を望み見て喜ぶ自分の喜びに、あなたがたも呼応して喜びなさいと呼びかけます。獄の中と外とを貫き、生と死を超えるこの喜びの響き合い、これこそ「キリストにある」救いが人間の悲惨な現実を貫いて溢れている姿です。
 

 手紙の結びの前に、協力者のテモテを派遣することと、フィリピから来てパウロに仕えたエパフロディトを帰す予定について書いていますが(二・一九〜三〇)、この部分はこの書簡の執筆事情を説明するところで触れましたので、ここでは省略します。

 そして、最後に繰り返して「主にあって喜びなさい」と呼びかけて、この手紙をいったん締め括ります(三・一a)。この溢れる喜びが、この獄中の書簡を「喜びの書簡」としています。これこそ、「福音にふさわしく」生きる、すなわち「喜びの知らせ」にふさわしく生きる者の証言です。

 最初の「フィリピ書の構成」で述べたように、三章一節後半から四章一節までは別の機会に書かれた書簡であると見られるので、この部分は次節で扱うことにして、獄中書簡の「福音にふさわしく」の項は四章二節に飛びます。


結びの勧告

 2 わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。3 なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。(四・二〜三)

 獄中からの手紙の後半で(一・二七以下)、「福音にふさわしく」歩むことをことを求めたパウロは、その中でとくに集会が「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして」歩み(二・二)、福音のために戦うことを願ってきました(一・二七)。最後に心を痛めている具体的な問題を取り上げます。ここに名をあげられている二人の女性エボディアとシンティケは、フィリピ集会の形成期にパウロと協力して働いた「協力者」であり、おそらく「監督たちと奉仕者たち」(一・一)の一員として集会の運営や世話に当たっていた女性であると考えられます。フィリピの初穂であり、自分の家を集会の場所として提供していたリディアも女性であり、初期の集会では女性が積極的な役割を果たしていたことがうかがわれます。この二人は対立していたようですが(どういう性質の対立であったのかは分かりません)、二人の対立が解消しなければ、フィリピ集会の一致は保てません(この対立は二人の女性と集会全体との対立であると読むことも可能です)。パウロは二人に「主にあって(互いに、または集会と)同じ思いを抱く」ように切に求めます。二人に求めるだけでなく、パウロは信頼する「真実の協力者」にも二人の間(あるいは二人と集会の間)に立って、問題を解決するように切に懇願します。
 

 ここで「あなたにもお願いします」と直接呼びかけられている「真実な協力者」とは誰であるのか、決定することは困難です。ここで「協力者」と訳されている語は、「クレメンスや他の協力者たち」という場合とは違う用語で、「シュジゴス」という人名と見ることも可能ですが(NRSV欄外)、「軛を共にする仲間」という意味の名詞と見るのが順当です。パウロの同労者としてテモテやシルワノやエパフロディトなどがあげられ、また、フィリピの集会を代表してこの手紙を読む立場にある人物としてリディアなどが候補になりますが、決定はできません。この部分が獄中からの書簡として二・一九〜三〇と同じ書簡に属すのであれば、テモテではありえなくなります。

 なお、「クレメンスや他の協力者たち」に添えられている「命の書に名を記されている」という句は、神に属している者たちの名は神のもとにある書に書き記されているという旧約聖書の表象から来ています。すでにモーセもこの表現を用いて祈ったとされ(出エジプト記三二・三二〜三三)、詩編でも用いられ(六九・二九など)、黙示文書にも現れます(ダニエル一二・一)。この表象は新約聖書にも引き継がれ、パウロがここで用いるだけでなく、ルカ(一〇・二〇)も用い、とくにヨハネ黙示録が多く用いています(三・五、一三・八、一七・八、二〇・一二、二〇・一五)。なおこの句は「クレメンスや他の協力者たち」と共に二人の女性にもかかると読むことも可能です。パウロは、彼女たちも共に「命の書に名を記されている」仲間であるのだから、退けないで助けてあげてほしいと言っていると理解することもありえます。

 4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
 8 終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。9 わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。(四・四〜九)

 「福音にふさわしく」生きるようにという勧告は、「いつも喜んでいなさい」という勧告で締め括られます(四節私訳―現在形の命令文は継続を示しています)。パウロはこの書簡ですでに何回も喜びを語り(二・一七など)、喜ぶように求めてきました(二・一八、三・一)。獄中の陰惨な状況を背景にしますと、この書簡の喜びの基調音は福音の救いの輝かしさをいっそう印象深くします。獄中の使徒は、別れを告げるにあたって最後にもう一度、「重ねて」喜ぶように求めます。喜びこそ、福音に生きる者のもっとも輝かしい標識だからです。
 
 人間は、「喜びなさい」と命令されたからといって、喜ぶことはできません。喜びは内から自然に湧きあがってくる来るものです。喜びは聖霊によって内から湧きあがるものです。わたしたちの喜びは聖霊による喜びです(テサロニケT一・六、ガラテヤ四・二二、ロマ一四・一七)。しかし、聖霊を受けているからといって放置しておきますと、心は世の思い煩いや不満や不安に覆われて、喜びの泉は塞がれてしまいます。内から喜びの泉がいつも溢れているためには、主キリストにしっかりと結びついて、無条件絶対の恩恵の現実に身を置いていなければなりません。どのような状況でも、心が見えるものにではなく見えないものにしっかり向いていなければなりません。それで、「いつも」、すなわちどのような状況にあっても、「主にあって」喜んでいなさいと求められるのです。
 
 この喜びは「主にあって」溢れるものです。すなわち、キリストにおいて受ける恩恵に対する感謝と賛美がその源泉です。この恩恵への感謝が、どのような隣人も、またどのような状況も無条件で受け入れる「広い心」になります。このキリストにある者の「広い心」あるいは「温和さ」が、自分と関わりをもつすべての人に知られるように、自分の損得を超えて、差別なく仕えるように求められます。そうするのは「主は近い」からでもあります。
 
 「主は近い」というのは、主の来臨の時が近いという時間的な意味と、主はすぐ身近にいてくださるという場所的な意味がありますが(新共同訳はこの意味に理解しています)、ここではどちらか一方に決める必要はないでしょう。「キリストにあって」生きる者は、この両方を意識して生きているのです。主の来臨の時は近いのですから、地上の出来事や状況に思い煩うことはありません。主は身近にいてくださるのですから、人からの毀誉褒貶に動揺することはありません。主が近いことを自覚している者は、地上の思い煩いから解放されて、どのような状況に置かれても「感謝を込めて祈りと願いをささげ」、求めているものを人にではなく「神に打ち明け」、必要なものは神から恩恵によって賜物としていただいているのだという自覚で生きていくことができます。そのような、自分の力と計らいを放棄した歩みには「あらゆる人知を超える神の平和」が宿り、心と思いを不安や恐れから守るのです。
 
 最後に「真実なこと、気高いこと、正しいこと、清いこと、愛すべきこと、名誉なこと、また、徳や称賛に値すること」は、「すべて」心に留めて追求するようにという勧告が来ます(八節)。この「すべて」は、それがどの宗教や文化に属するものであれ、またどのような名で呼ばれているものであれ関わりなく、という意味でしょう。ここに上げられている徳目は、どのような宗教や文化圏でも価値あるものとして尊ばれているものです。キリスト者はキリスト教というレッテルが貼ってあるものだけを追求するのではなく、広く人間にとって価値あるものを、キリスト教の外にいる人たちと一緒に追い求めていくように励まされているのです。
 
 最後に自分を模範にして歩むように勧めて(九節)、結びの挨拶に入り(二一〜二三節)、この手紙を締め括ります。
 

 四章一〇〜二〇節については、第一節「独立伝道者パウロ」、とくに「援助への感謝の手紙」の項を参照。


結びの挨拶

 21 キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たちに、よろしく伝えてください。わたしと一緒にいる兄弟たちも、あなたがたによろしくと言っています。22 すべての聖なる者たちから、特に皇帝の家の人たちからよろしくとのことです。23 主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。(四・二一〜二三)

 「皇帝(カエサル)の家の人たち」については、第一節の中の「フィリピ書について」の「獄中書簡」の項を参照。




第三節 復活を目指して


警戒しなさい

 この書簡の三章(厳密には三・一b〜四・一)は、獄中から書かれた本体とは別の手紙であると見られることは、最初の「フィリピ書の構成」で述べました。しかし、本体より先か後か、またこの手紙も獄中からのもかどうか、決定は困難です。

 この手紙の内容からしますと、フィリピの集会も、ガラテヤの集会の場合と同じように、後から来た「働き手たち」によって「福音の真理」から逸脱する危険にさらされていたようです。ガラテヤ書のように明確には語られていませんが、フィリピでも「よこしまな働き手たち」は、異邦人信徒に割礼を受けることを求めたのでしょう(コリントII一一・一三でも同様)。

 1b 同じことをもう一度書きますが、これはわたしには煩わしいことではなく、あなたがたにとって安全なことなのです。2 あの犬どもに注意しなさい。よこしまな働き手たちに気をつけなさい。切り傷にすぎない割礼を持つ者たちを警戒しなさい。 3 彼らではなく、わたしたちこそ真の割礼を受けた者です。わたしたちは神の霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇りとし、肉に頼らないからです。(三・一b〜三)

 三章一節後半は二節以下の手紙に属し、「同じことをもう一度書きますが」という句は、これよりも先に、割礼を誇る「よこしまな働き人を警戒せよ」という同じ内容の手紙があったことを指していると見るのが順当でしょう。

 彼らは「犬ども」とも呼ばれています。ユダヤ人は、食物規制をもたない異邦人を、何でも見境なく食べる犬だと軽蔑していました。その軽蔑の呼称を、パウロは割礼を誇るユダヤ人に投げ返すのです。この書簡のパウロには、感情的に激しい表現が見られます。自分が宣べ伝える福音を破壊しようとする者たちへの怒りの激しさは、福音の真理を守り抜こうとする使徒の情熱の激しさを示しています。
 
 彼らは「切り傷にすぎない割礼を持つ者たち」と呼ばれています。彼らが割礼の価値を誇示しているので、割礼は「切り傷にすぎない」と、パウロはその無価値さを暴露するのです。また、割礼を受けていないが「神の霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇りとし、肉に頼らない」わたしたちこそ「真の割礼を受けた者」であるとされていることからも、彼らが異邦人信徒に割礼を受けることを要求したことが推察されます。すなわち、わたしたちこそ「真の割礼を受けた者」であるから、その上に「切り傷にすぎない」割礼を受ける必要は全くないという議論です。
 

 パウロは、《ペリトメー》(割礼)と似た音をもつ《カタトメー》(切り傷)という語を意図的に用いていると見られます。ユダヤ教において神聖な契約のしるしである割礼を「(包皮の)切り傷」に過ぎないとするパウロは、ユダヤ人からは生かしておくことのできない背教者であると見られることになります。

 「真の割礼」については、すでに預言者エレミヤが「包皮に割礼を受けた者を罰する。心に割礼のない者を罰する」(9・24〜25)とか、「主によって割礼を受け、心の包皮を取り去れ」(4・4 「主によって」は私訳)と叫んでいます。パウロも「真の割礼」とは、身体に受ける切り傷によって神の民に属する者であると誇るのではなく、一切の人間的な価値に頼ることなく、ただわたしたちのために一切を成し遂げてくださったキリスト・イエスだけを誇り、神の霊によって新しくされた心で神に仕えることであるとするのです。キリストにある者はすでに御霊により「真の割礼」を受けているのです。この上、どうして身体に切り傷を受ける必要があるでしょうか。
 

 割礼についてはすでに「ガラテヤ書講解」で詳しく論じていますので、ここではこれだけに止めます。

 

 

肉の誇り

  4 とはいえ、肉にも頼ろうと思えば、わたしは頼れなくはない。だれかほかに、肉に頼れると思う人がいるなら、わたしはなおさらのことです。 5 わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、 6 熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。 (三・四〜六)

 割礼を誇り、異邦人信徒に割礼を受けることを要求するユダヤ人の働き人に対して、パウロは自分も彼ら以上に「肉に頼れる」者であることを誇った上で、キリストを知ることは、そのような肉の誇りを塵芥とするのだと論を進めます。
 
 「生まれて八日目に割礼を受け」というのは、成人してから割礼を受けた改宗者ではなく、ユダヤ人の両親から生まれたユダヤ人であり、生まれながら「イスラエルの民に属し」ている者であることを強調しているのです。イスラエル十二部族の一つ「ベニヤミン族の出身で」、彼のヘブライ名「サウル」は、ベニヤンミン族が生んだ初代の王サウルに因んでつけられた名です。そしてさらに、このように出生からして「ヘブライ人の中のヘブライ人」であることを誇るだけでなく、「律法に関しても」、すなわちユダヤ教徒として、律法順守において彼らに負けない完璧な者であることを誇ります。
 
 「ファリサイ派の一員」であることは、当時のユダヤ教では律法の学習と順守ではエリート階層に属する者であることを示すレッテルでした。そして、律法順守に対する熱心さでは誰にも引けを取らない者であったことを、「教会の迫害者」であった事実で証明します。すなわちパウロは、イエスをメシアと信じる者はもはやモーセ律法を順守しなくてもよいというような主張をする者たちを探索し、逮捕し、会堂で鞭打つことで、律法への熱心を示したのです。パウロは律法を順守することにおいては、「非のうちどころのない者」であるという自負をもって生きてきたのです。
 

 ユダヤ教時代のパウロについては、「ガラテヤ書講解」で講じていますので、ここではこれだけにしておきます。詳しくは、第一章「ユダヤ教徒パウロ」の第一節「ユダヤ教時代のパウロ」および第二節「迫害者パウロ」を参照してください。



キリストを知ることの絶大な価値

  7 しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。 8 そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、 9a キリストの内にいる者と認められるためです。(三・七〜八)

 このようにユダヤ教の優等生であったパウロの生涯がひっくりかえる出来事が起こります。イエスを信じる者たちを逮捕しようとしてダマスコへ急ぐ途上で、復活されたイエスに遭遇するのです(使徒言行録九・一〜一九)。この「ダマスコ体験」はパウロの在り方そのものを根底から変えてしまうのです。
 
 パウロは、自分の前に神的な栄光をもって現れた方に向かって、「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねます。その方は、「わたしはあなたが迫害しているイエスである」と答えられます(使徒言行録九・五)。この遭遇体験によって、パウロは十字架上に処刑されたイエスが復活された方、約束されていた救済者キリストであることを知り、その方の前にひれ伏します。迫害者は降参し、迫害してきた方の奴隷として仕える者になるのです。
 
 この出来事はよくパウロの「回心」と呼ばれますが、これは改宗ではありません。ユダヤ教からキリスト教に改宗したのではありません。まだキリスト教という宗教は存在していません。パウロはあくまでユダヤ教の中にいるのです。いや、その中にいるかいないかは、もはや問題ではなくなったのです。自分の在り方が根底から変わったのです。その転換がこの一段で端的に表現されているのです。
 
 この短い部分(七〜八節)に、「キリストを知ることのあまりのすばらしさのゆえに」を含めて、「キリストのゆえに」という表現が三回繰り返されています。この句は転換の原点を指しています。「キリストのゆえに」この転換が起こったのです。
 
 キリストのゆえに「わたしにとって有利(利益)であったこれらのこと」、すなわち直前に列挙したユダヤ教徒として価値ある事実を「損失と見なすようになった」のです。それは、まさに律法の観点から見て価値あることを追求する彼の熱心さが、神が遣わされたキリストであるイエスに敵対させたからです。そして、「そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさのゆえに、今では他の一切(キリストを知ること以外の一切)を損失とみています」と言うのです。今やパウロにとって、キリストを知ることが価値のすべてです。キリストの中にすべての宝(価値)が隠されているのです。キリストの中に宇宙(コスモス)、歴史、人間に関わる一切の奥義が含まれているのです。キリストを知ることは、この奥義に参与し、究極の価値にあずかることです。この奥義に参与しないことは一切無価値であり、無価値なものに関わることは損失にすぎません。
 
 そのようなキリストをパウロは「わたしの主」と告白しています。このキリストであるイエスに、パウロは生涯をかけて奴隷として仕えていくのです。その方のために命を投げ出して仕えるのです。パウロはその方を告知する福音に仕えるために、「すべてを失いました」。それまで築いてきたユダヤ教教師としての名声も、ユダヤ教社会の中での安定した生活も、そして命の保証さえも失いました。しかし、「それらを塵あくた(くず、ごみ、糞を指す語)と見なしています」と断言します。
 
 これは「価値観の転換」というような生やさしいものではありません。「価値観の転換」の場合は、価値を判断する自分は維持されています。ここでは、価値を判断する自分自身が失われ、捨て去られているのです。そして、「わたしの主キリスト・イエスを知ることの価値」だけが一切となっているのです。「キリストを得る」ことだけが追求されているのです。
 
 ここで、自分自身を含め「すべてを失う」のは、「キリストを得るため」、また「キリストの内にいる者と認められるため」であると告白されています。「(わたしが)キリストを得る」と「わたしが彼の中に見出されるようになる」(直訳)は同じです。「わたしがキリストを得る」という能動態と、「わたしがキリストの内に見出される」という、神を隠れた行為者とする受動態が一息に語られます。わたしの願いと神の働きが一つになって、キリストと一つになる境地が実現するのです。これは、「わたしはキリストと共に十字架につけらています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラテヤ二・一九〜二〇)という境地です。自分自身をキリストの中に(キリストのゆえに)失うのでなければ、自己をキリストの中に見出すことはできません。

死者の中からの復活

  9b わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。 10 わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の形に合わせられて、 11 何とかして死者の中からの復活に達したいのです。 (三・九b〜一一 一部私訳)

 パウロの文は、原文では八節から一一節までが一つの文として続いています。七節を転換点として、律法に熱心なユダヤ教徒としての誇り(五〜六節)が塵芥のように打ち捨てられ、この一文(八〜一一節)によって「わたしの主キリスト・イエスを知ることの絶大な価値」、「キリストを得て、キリストの中に自分が見出される」境地が一気に告白されるのです。原文は複雑な構造をしていますが、その大意を見ておきましょう。
 
 まず、「キリストを得て、キリストの中に自分が見出される」境地、すなわちキリストと一つにされる境地がどのような内容のものであるかが、「義」という用語で語られます。「義」はユダヤ人が神との関わりを語るときには、いつも中心に来る用語です。それは、神に受け入れられるための人間の在り方であり、そのための資格です。フィリピの人たちに割礼を受けることを求めた「よこしまな働き人たち」も、異邦人の信徒が義とされるためには、割礼を受けてモーセ律法を順守する必要があると主張したのです。それに対してパウロは、キリストによる救いの場では、「律法(の順守)からの義」ではなく、「キリスト信仰からの義」、換言すれば「信仰に基づく神からの義」が与えられているのだとします(九節)。
 
 ここで「律法からの(または、律法による)義」と「信仰からの(または、信仰による)義」が対照されています。人が義とされて神に受け入れられるのは、律法の順守によるのではなく、信仰によるのである、これがパウロの福音の根本的な主張です。とくに、ガラテヤ書やローマ書のように、義とされるためには律法順守が必要であるとするユダヤ人キリスト教の主張に対抗するときには、この点が前面に強く出てきます。このフィリピ書でも、割礼を求める働き人への警告の部分では、僅か一行か二行に要約された形にせよ、この点を繰り返さざるをえません。
 

 「信仰による義」については、すでに「ガラテヤ書講解」で詳しく論じていますので、それを参照してください。また、パウロが言う「信仰」とは「キリストの信仰」(直訳)ですが、この「キリストの信仰」の意味と、それを「キリスト信仰」と訳す理由については、第一部第三章第二節「信仰による義」の中の「キリスト信仰」の項を参照してください。

 ここで重要なことは、キリストと一つに合わせられている境地が、義という観点からだけでなく復活の観点からも語られていることです。パウロの福音は、宗教改革以来、信仰による義認がすべてであるかのように語られることがありますが、それは入り口に過ぎず、キリストの福音の本体は、信仰による義という場で与えられる復活者キリストとの交わり、その中で得られる復活信仰の方です。
 
 キリストとは復活者のことです。「キリストを得る」とは、復活に達することなのです。「自分がキリストの内に見出される」とは、自分が復活者の中にいることです。このことが一〇節で「キリストを知ること、すなわち、キリストの復活の力を知り、キリストの苦難への参与を知ること」と説明されます(原文の「彼」をキリストと読んで直訳)。霊なるキリストとの交わりの中で、キリストを死者の中から復活させた神の力を体験し、キリストの苦難にあずかることを身をもって知ること」が、パウロにとって「キリストを知る」ことなのです。
 

 一〇節は「知ること」あるいは「知るため」という不定詞句で語られています。この「知る」という動詞の不定詞形の後に、「彼(キリスト)を」、「彼の復活の力を」、「彼の苦難の交わり《コイノーニア》を」という三つの目的語が、「そして」あるいは「すなわち」で結ばれて続いています。この不定詞句は、「キリストを知る知識」(七節)とか「キリストを得る」(八節)ことの内容を敷衍説明していると見てよいでしょう。

 パウロにとって、「キリストの復活の力を知る」ことは、「キリストの苦難にあずかることを知る」体験の中で実現することです。そのことは、この警告の手紙とほぼ同じ時期、エフェソでの入獄体験の後に書かれたと見られるコリントの信徒への第二の手紙の中(四・一〜一五)で、詳しく語られています(第九章「復活信仰の具体相」参照)。ここではそれが僅か二節(一〇〜一一節)に凝縮しているのです。
 
 そして、「キリストを得る」こと、すなわち、キリストの苦難にあずかることを通してキリストの復活の力を知りたいという願いが、おそらく殉教の可能性を見つめて、「キリストの死の形に合わせられて、なんとかして死者の中からの復活に達したいのです」(私訳)という最終的な形で告白されます。
 

 新共同訳の「その死の姿にあやかる(感化されて似る)」という表現は不適切で、「その死の形に合わせられる」(私訳)とか、「その死のさまにひとしくなる」(協会訳)、「彼の死と同じ形にされる」(岩波版)、「キリストの死と同じ状態になる」(新改訳)などの方が適切です。ここに用いられている動詞は、同じ《モルフェー》(形)にされるという意味ですが、新約聖書の中でも外でも他にはどこにも用いられていません。おそらくパウロは、あの「キリスト賛歌」の前半(二・六〜七)で、神の《モルフェー》であるキリストが僕の《モルフェー》をおとりになり、死に至ったという箇所を念頭において、この語を用いたのでしょう。この句は、この警告の手紙(三章)も獄中で書かれたことを示唆すると見ることもできますが、決定的ではありません。

 パウロが、キリストの死の形に合わせられて、「なんとかして達したい」と願っている目標は「死者の中からの復活」です。キリストが死者の中から復活されたように、自分も死者の中から復活する者になりたいという切望です。「なんとかして達したい」という表現が明らかに示しているように、「死者の中からの復活」にあずかることは、将来の目標です。そのことが次の段落(12節以下)で力をこめて説かれます。
 

 ここでパウロが用いている「死者の中からの復活」という表現には議論があります。まず、ここの「復活」は他の箇所に出てくる「復活」とは違い、「〜から」という意味の接頭辞を伴っており、新約聖書ではここだけの用語です。「死者の中からの」という説明を伴っていることもあって、この「復活」は一般の死者たちの中から先ずキリストに属する者だけが復活する(コリントI一五・二三)とか、殉教者だけが復活すること(黙示録二〇・四〜六)を指しているとも考えられます。しかし、「復活」というような時間と歴史を超えた事柄について、その段階や順序を厳密に区別することは意味がないので、ここの「死者の中からの復活」は、コリントI一五章で語られている「死者の復活」と同じであると見てよいと考えられます。パウロが将来の「死者の復活」をどう見ているかについては、第8巻『復活の福音』、または第七章「死者の復活」を参照してください。



目標を目指して

  12 わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。 13 兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、 14 神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。 15 だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます。 16 いずれにせよ、わたしたちが到達していたところに、堅くとどまるべきです。 (三・一二〜一六、ただし一六節は私訳)

 コリントの集会にも、死者の復活などはないとか、復活はすでに起こったのだと主張する人たちがいました。彼らはキリストによって与えられた霊知によって「既に完全な者となっている」と称し、霊において死から復活しているのだから、これ以上「からだの復活」は必要ではない、すなわち「死者の復活」などは神の救済計画にはない、と主張していたようです。それに対してパウロは、コリントの信徒への第一の手紙一五章で、「肉と血は神の国を受け継ぐことはできない」、すなわち地上にいる限りは完全・完成はないのであって、終わりの日に「この朽ちるべきものが朽ちないものを着る」とき、自然の命の体が霊の体に復活するとき、わたしたちキリストにあって生きる者の目標は達せられ、初穂としてキリストを復活させた神の救済計画は完成するのだと説いています。
 
 フィリピの集会においても、外からの「働き人たち」が影響を及ぼし、集会の中にも自分たちは「既に得た」とか「既に完全な者になっている」と考える人々が出てきていたのでしょう。フィリピ書の場合は、パウロは「なんとかして死者の中からの復活に達したい」と切望して、「目標を目指してひたすら走る」自分の姿を語ることによって、フィリピの集会が正しい道に歩むように説得しようとするのです。
 

 「既に得た」とか「既に完全な者になっている」という表現は、反対者たちの主張をパウロが引用していると見られます。何か特定をものを得たというのはなく、目的語なしで一切を得たという表現や、「完全な者になっている」という用語には、グノーシス主義的傾向や密儀の影響があるとも考えられます。

 パウロは「キリストを得ること」、すなわち「キリストとその復活の力を知ること」、最終的には「死者の中からの復活に達すること」を目標としています(八〜一一節)。その目標とするものを「既に得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません」と言います。キリストにある者は途上にあるのです。目的地を目指す旅の途上にあるのです。この地上で、これで完成だと腰を下ろすことはできないのです。
 
 パウロは目標を「何とかして捕らえようと努めているのです」。そして、そうするのは「自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです」と告白します。自分がキリストを得よう、死者の中からの復活に達しようと努めているのは、自分から出るのではなく、キリストが自分を捕まえて、そのように努めないではおれないように働いておられる結果だというのです。パウロにおいては、自分の努力と内なるキリストの働きが一つになっています。ここに「キリストにある」という人間の在り方、キリストと合わせられて生きる人間の秘密が示されています。すでにキリストとの交わりにあるという現実の中にありながら、いや、そのような現実にあるがゆえに、将来の完成を身を乗り出して待ち望み(ローマ八・一八〜二五)、「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ」、その「目標を目指してひたすら走り続ける」のです。
 
 ここでパウロは自分の姿を陸上競技のレースにたとえて語っています(コリントI九・二四〜二七参照)。レースにおいて「ひたすら走る」のは賞を得るためです。キリストに属する者は、「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために」、すなわち「死者の中からの復活に達する」ために、地上の事柄については節制し、己を打ちたたいて服従させ、ゴールを目指して脇目もふらず、ひたすら走るのです。これがキリスト者の終末的な生き方です。
 

 「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞」は、テサロニケT二・一二では「あなたがたをその御国と栄光へと召している方」と表現されていましたが、ここでは文脈からして、「その御国と栄光」は具体的に「死者の中からの復活」を指していると理解すべきでしょう。

 このようにパウロは自分自身を模範として示して、もし自分を完全な者と考える者があるならば、その完全さはこのように考えるべきであると説きます(一五節前半)。パウロの言う「完全」は、反対者が言うような、すでに得たという「完全」ではなく、途上にあることを正しく自覚した終末的な在り方の完全さです。
 
 一五節後半と一六節はその文意を決定することが困難で、研究者の意見は分かれています。しかし、この一段の大意は明かです。すなわち、パウロはここで示した自分自身の在り方に倣う者になるように、フィリピの集会に求めているのです。そのことはこの段落の主旨をまとめる一七節で明言されています。したがって、この難しい箇所もこの線で理解しなければなりません。
 
 「そして、もし誰かが何事かを違った仕方で考えるなら、神はこのことをもあなたがたに啓示してくださるであろう」(一五節後半の直訳)も、この線で理解するならば、「もし集会の中の誰かが、外からの働き人の影響を受けて、パウロとは違った考え方を持つようになっているならば、それが使徒パウロの考えとは違うということも、(あるいは、そのことも含め、正しい考えを)神ご自身がフィリピの集会に啓示してくださるであろう」という意味になると考えられます。
 
 「いづれにしても、わたしたちが到達していたところに、堅くとどまるべきである」(一六節直訳)という文で、「わたしたちが」到達したところは、「各自が」到達したところではなく、パウロとパウロによって形成されたフィリピの集会が、その成立の時点において到達していた信仰の地点を指していると見るべきでしょう(「到達していた」という動詞は現在完了形ではなくアオリスト形)。「各自が到達したところ」と理解すると、この一段の勧告の意味がなくなります。パウロはフィリピで福音を伝えたときすでに、ここで告白しているような終末的な待望を含む信仰を伝えました。フィリピの人たちはその福音を受け入れてキリストの民となりました。その時に到達していた地点に「堅くとどまること」を求めているのです。
 

 「堅くとどまる」と訳した動詞は、大部分の日本語訳では「進む」と訳されています。しかし、この動詞の本来の意味は「一致する」であって、ここでも「堅くとどまる」の意味であるとされています(バウアー)。岩波版だけが「堅持すべきである」と訳しています。なお、この動詞は不定詞形で、特定の相手に対する命令法ではなく、一般原則の提示という形をとっています。



国籍は天に

  17 兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、わたしたちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。18 何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。 19 彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。 20 しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。 21 キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。 1 だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。(三・一七〜四・一)

 パウロはここまで、死者の中からの復活に達するという目標に向かって、「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ」、ひたすらに走りつづける 自分の姿を告白してきましたが、それはフィリピの集会に向かって、「皆一緒にわたしに倣う者となりなさい」と言うために他なりません。パウロはこの手紙(三章)でフィリピの集会を「よこしまな働き人たち」の影響から守るために心を砕いていますが、それを(コリントI一五章のような)教義的な議論によるのではなく、自分自身の姿を範例として示すことでしようとしているのです。
 
 しかし、パウロは今フィリピの人たちから遠く離れています。それで現在フィリピにいて「わたしたち(パウロと同労者)を模範として歩んでいる人々」に目を向けるように勧告します。この「人々」とはおそらく、フィリピの集会の中で成立の時からパウロに忠実に従い、現在も宣教や集会の運営に奉仕している人々を指しているのでしょう。この勧告は、「わたしに倣う者となりなさい」という求めを実際的にしています。
 
 このようにパウロが「わたしに倣う者となるように」求めるのは、パウロを批判して「キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多い」からです(一八節は一七節の勧告の理由を示す小辞で始まっています)。パウロは、フィリピの集会に働きかける「よこしまな働き手たち」、自分の福音を破壊する質の教えをもたらす者たちを、「キリストの十字架の敵」と呼びます。彼らの教えは、その核心において「キリストの十字架」に敵対しているというのです。
 
 パウロはこの時期、「十字架につけられたままのキリスト」だけを宣べ伝えてきました(コリントI一・二三、二・二)。復活者キリストがわたしたちのための死を負った方として宣べ伝えられているのです。このキリストに身を委ねて合わせられることが救いです。キリストの死に合わせられて、罪である自分が死に、キリストを復活させた命に生きるようになることが救いです。それ以外のものは何も必要でないということが、パウロの福音の核心です。ところが、キリストを信じる者の中に、割礼を受けてモーセ律法を順守することが救いには必要であると主張する者が多くいて、パウロの働きを妨害してきたのです。彼らは、キリストの十字架の出来事においてわたしたちの救いに必要なことがいっさい成就していることを認めないで、「キリストの十字架をむなしい」ものにしており、その意味で「キリストの十字架に敵対している」のです。
 
 パウロはこのような「十字架の敵」と戦いながら、独立の異邦人伝道を進めてきました。とくにエフェソに滞在している期間には、ガラテヤ、(おそらくテサロニケも、)フィリピ、コリントなど、パウロが形成した異邦人の諸集会に対する彼らの働きかけが及び、パウロは警告や対決の手紙を書き、腹心の同労者を派遣して、彼らと戦わなければなりませんでした。パウロの敵は「多いのです」。パウロは彼らのことをこれまで「何度も言ってきたし、今また涙ながらに言います」。神の最終的な救いのわざである「キリストの十字架」に敵対している以上は、過去の宗教的伝統にいかに忠実であろうと、人々の目にいかに立派に見えようと、「彼らの行き着くところは滅びです」と言わざるをえません。
 

 「キリストの十字架の敵として歩む者たち」を描く一九節は、直訳すると「彼らの終わりは滅び、彼らの神は腹、その栄光は彼らの恥の中に、彼らは地上のことを思っている」となります。初めの三句は構造が並行しているので、その並行構造から解釈すると、主語の位置にある「彼らの《テロス》、彼らの神、彼らの栄光」と、述部にある「滅び、腹、恥」はそれぞれ同じ事態を指していると理解しなければなりません。その理解に従うと、一九節は次のようなことを語っていることになります。

 彼らは、自分たちは《テロス》(終わり、目標)に達して「完全な者になった」と言っているが、神が裁かれるとき彼らの《テロス》(終局)は滅びに他ならない。また、彼らは自分たちは神に仕え、神との交わりにあると誇っているが、彼らの神は彼らが侮蔑してやまない「腹」にすぎない。すなわち、終わりの日には神が滅ぼされる「腹」であって(コリントT六・一三)、永遠の命とか復活には与ることができないものである。そして、彼らが今自分たちの栄光としていることは、審判の日には恥の中に現れることになる。このように、現在彼らが誇っていることは、終わりの日の審判においては無価値なものとして廃棄されるのだと言っていることになります。
 

 一九節を異邦人信徒に割礼を要求するユダヤ主義者に対する攻撃の言葉として、以下のような解釈もありえます。「彼らは腹を神とし」というのは、これを食べてはならないとか、あれは食べてよいというモーセ律法の食物規定を順守することで神に仕えるのだとするのは、「腹を神とする」ことだという痛烈な皮肉であり、また、「恥ずべきものを誇りとし」というのは、割礼を誇ることへの痛烈な皮肉であるとする解釈です。ユダヤ教の外の一般社会では、包皮の切り傷をもって宗教的な誇りとすることは野蛮なこととして軽蔑されていました。神聖な契約のしるしである割礼を「恥ずべきもの」と扱うのは、ユダヤ教から見れば赦しがたい背教です。しかし、パウロは割礼を「切り傷にすぎない」と明言しています(三・二)。

 最後にパウロは自分の姿と対比して、彼らの本質を暴露します。結局、彼らは「この世のことしか考えていない」(直訳は「彼らは地上のことを考えている」)のだというのです。彼らは「来るべき世《アイオーン》」を視野に入れず、この地上での宗教的栄光だけを志向しているのです。それと対照して、パウロはキリストにある者の本来の姿を、「わたしたちの本国は天にあります」と表現します。
 

 「本国」と訳されている《ポリテウマ》という語は、新約聖書ではここだけに用いられている語で、本来《ポリス》(都市国家)に所属している者の身分とか資格を意味します。現代では「国籍」に近い語です。また、ある《ポリス》に所属する者たちが他の土地に入植して共同体を形成した場合、彼らの「本国」とか「故国」を指す意味もあります。フィリピは退役軍人たちによって築かれた植民都市で、彼らはイタリア本国と同じ特権(イタリア権)を与えられ、自分たちの本国はイタリアにあると意識していました。このようなフィリピの特殊な事情を念頭において、パウロはこの語を用いたのかもしれません。

 わたしたちキリストにある者の「本国」または「故国、故郷」は天にあります。ですから、この地上では「旅人であり、仮住まいの身」なのです(ペトロT二・一一、ヘブル一一章)。「地上の事柄」に心を向ける《フロネオー》ことはできません。むしろ、異境を旅している者として、つねに「本国」を慕い、異境で苦しんでいるわたしたちを救い出してくださる救い主が、そこから来てくださることを切に待ち望んでいるのです。
 
 この場合の「天」と「地」は、新約聖書の通例と同じく、「来るべき世」と「この世」という二つの《アイオーン》の対比を象徴しています。「そこから(天から)主イエス・キリストが救い主として来られる」というのは、復活して霊なる主として働いておられるキリストが顕現される《パルーシア》(来臨)の出来事を指しています。その「来臨」によって「来たるべきアイオーン」が到来し、救済史が完成するのです。わたしたちキリストにある者は、その時を待望し、その時のために現在を生きているのです。
 
 その時、主イエス・キリストは「救い主として」わたしたちのところに来られます。「救い主」という称号は、パウロ書簡ではここだけですが、来臨されるイエスを「救い主」と見る見方は、すでにテサロニケ書簡(一・一〇)にもあります。そこではイエスが「来るべき怒りからわたしたちを救ってくださる」方として待ち望まれています。それに対してここでは、「万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださる」方として、すなわち、死者を復活させてくださる方として待ち望まれています。
 
 死者の復活については、コリントあての手紙では「蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです」(コリントT一五・四二〜四四)と言われていました。ここではそれが「卑しい体が栄光の体に変えられる」と一句にまとめられていますが、内容は「自然の命の体が霊の体に変えられる」と同じです。これが「死者の復活」です。
 
 コリント第一書簡(一五章)では、キリストが「初穂」として復活され、わたしたちキリストに属する者が、キリストの来臨の時に、すでに死んでいる者も地上にいる者も、初穂キリストにあずかる者として栄光の体に変えられると説かれていましたが、ここでは、同じことが「キリストの栄光の体と同じ形に変えられる」という一句で表現されています。ここでもキリストの復活がわたしたちの復活の希望の根拠とされてます。
 
 ここで主イエス・キリストは、「万物を支配下に置くことさえできる力によって」、わたしたちの体を変えてくださると言われています。キリストの来臨《パルーシア》は、キリストが「万物を支配下に置く」ことが成就する時ですが、その時に何が起こるのかについて、パウロは地上の歴史の中で起こることについてはほとんど語らず、もっぱら時間と歴史を超えた事態である「死者の復活」に集中しています。このことは、パウロが黙示思想の世界を突き抜けて、復活信仰を中心とする福音の現実にしっかりと生きていることの現れです。パウロの終末的希望は復活に集中しています。わたしたちの希望も、パウロのように、来るべき復活を現在に生きるという終末的な生き方を意味します。
 
 「警戒せよ」という三章の勧告を、パウロは「だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によって(または、主にあって)しっかりと立ちなさい」(四・一)という勧めで締め括ります。パウロはこの三章の勧告を、自分を模範として示して、「わたしに倣う者となりなさい」という形で行いました。この短い勧めの手紙の中に、パウロがこの時期に書いた手紙の内容が凝縮して語られています。テサロニケ第一書簡のキリスト来臨の希望、ガラテヤ書簡の信仰による義、コリント第一書簡の十字架の福音と復活の希望が、パウロ自身の告白として語られています。その意味でこの章は、「パウロによるキリストの福音」を理解する上で貴重です。


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