パウロによるキリストの福音 II

 第八章 新しい契約

  ― コリントの信徒への手紙 II ―


 コリント集会とパウロ

第一書簡の結びの挨拶

 コリント集会からの使者が持ってきた質問に答えたり、伝え聞いた問題について勧告を与えるという形で、パウロはこの手紙(第一書簡)を書きました。信仰問題や実際問題についての勧告の中に、パウロが生きているキリストの現実が溢れ出ており、「パウロによるキリストの福音」を理解する上で貴重な資料となっています。

 最後に「死者の復活」に関する章を書き終えて、パウロは手紙の結びに入ります(一六章)。パウロは手紙の結びの挨拶を書く前に、コリント訪問の予定について書いていますが(一六・一〜一二)、この部分は後で見ることにして、先に結びの挨拶の部分(一六・一三〜二四)を簡単に見ておきます。

 13 目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。14 何事も愛をもって行いなさい。
 15 兄弟たち、お願いします。あなたがたも知っているように、ステファナの一家は、アカイア州の初穂で、聖なる者たちに対して労を惜しまず世話をしてくれました。16 どうか、あなたがたもこの人たちや、彼らと一緒に働き、労苦してきたすべての人々に従ってください。17 ステファナ、フォルトナト、アカイコが来てくれたので、大変うれしく思っています。この人たちは、あなたがたのいないときに、代わりを務めてくれました。18 わたしとあなたがたとを元気づけてくれたのです。このような人たちを重んじてください。
 19 アジア州の諸教会があなたがたによろしくと言っています。アキラとプリスカが、その家に集まる教会の人々と共に、主においてあなたがたにくれぐれもよろしくとのことです。20 すべての兄弟があなたがたによろしくと言っています。あなたがたも、聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。
 21 わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。22 主を愛さない者は、神から見捨てられるがいい。マラナ・タ(主よ、来てください)。23 主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。24 わたしの愛が、キリスト・イエスにおいてあなたがた一同と共にあるように。 (一六・一三〜二四)

 短い締めくくりの励ましの言葉(一六・一三〜一四)に続いて、個人的な挨拶が書かれています(一六・一五〜二〇)。ステファナ、フォルトナ、アカイコの三名は、コリント集会を代表して、質問の手紙をもってきてパウロの指導を仰いだ使者たちです。とくに筆頭者のステファナは「アカイア州の初穂」であり、コリント集会を代表する人物であったのでしょう。パウロは彼らの労を感謝し、パウロの意をよく受け止めて手紙(この第一書簡)を持ち帰る彼らを集会が重んじて従うように求めています。

 パウロは、アキラとプリスカ夫妻の挨拶を伝えていますが(一九節)、その書き方から、この夫妻の家に集まる集会はパウロと別の集会を形成していたという印象を受けます。この夫妻はパウロよりも先にエフェソで伝道活動を始めており、パウロがエフェソに来て活動を始めたときには自分の家にかなりの規模の集会をもっていたのでしょう。この間の事情については、第三章の「コリント第一書簡の執筆事情」を参照してください。

 最後にパウロは自らの手で挨拶を書きます(一六・二一〜二四)。ここまでは口述筆記で書かせてきた手紙を、自筆の文字で締め括ります。そこに「マラナ・タ」というアラム語の祈り(または叫び)の言葉が出てきます(おそらくパウロはギリシャ文字を用いてこのアラム語の祈りを書いたのでしょう)。
 
 このアラム語は、新共同訳が解説しているように、「主よ、来たりたまえ」という意味です(語の区切り方を変えて「主は来たりたまえり」と読む読み方もあります)。この主の来臨《パルーシア》を熱烈に待ち望む祈り(または叫び)は、アラム語を用いるパレスチナ(とくにエルサレム)の諸集会で広く用いられており、パウロはその祈りを彼らから受けて、ギリシャ語を語る異邦人の集会にもそのまま伝えたのです。このアラム語の祈りはそのまま「主の晩餐」でも唱えられ、信徒の間の合い言葉のようになっていたのではないかと考えられます。パウロは、この終末待望の熱気に生きる信徒たちの合い言葉を用いて、同じ希望に生きる同志としての挨拶で手紙を締め括ります。
 

コリント訪問の予定

 ところで、パウロはこの結びの挨拶の前に、募金と自分のコリント訪問の計画について書いています(一六・一〜一二)。

 1 聖なる者たちのための募金については、わたしがガラテヤの諸教会に指示したように、あなたがたも実行しなさい。2 わたしがそちらに着いてから初めて募金が行われることのないように、週の初めの日にはいつも、各自収入に応じて、幾らかずつでも手もとに取って置きなさい。3 そちらに着いたら、あなたがたから承認された人たちに手紙を持たせて、その贈り物を届けにエルサレムに行かせましょう。4 わたしも行く方がよければ、その人たちはわたしと一緒に行くことになるでしょう。
 5 わたしは、マケドニア経由でそちらへ行きます。マケドニア州を通りますから、6 たぶんあなたがたのところに滞在し、場合によっては、冬を越すことになるかもしれません。そうなれば、次にどこに出かけるにしろ、あなたがたから送り出してもらえるでしょう。7 わたしは、今、旅のついでにあなたがたに会うようなことはしたくない。主が許してくだされば、しばらくあなたがたのところに滞在したいと思っています。8 しかし、五旬祭まではエフェソに滞在します。9 わたしの働きのために大きな門が開かれているだけでなく、反対者もたくさんいるからです。
 10 テモテがそちらに着いたら、あなたがたのところで心配なく過ごせるようお世話ください。わたしと同様、彼は主の仕事をしているのです。11 だれも彼をないがしろにしてはならない。わたしのところに来るときには、安心して来られるように送り出してください。わたしは、彼が兄弟たちと一緒に来るのを、待っているのです。
 12 兄弟アポロについては、兄弟たちと一緒にあなたがたのところに行くようにと、しきりに勧めたのですが、彼は今行く意志は全くありません。良い機会が来れば、行くことでしょう。 (一六・一〜一二)

  それによりますと、パウロは五旬節まではエフェソに滞在し、その後マケドニアを経由してコリントを訪ね、場合によってはコリントで冬を過ごすことになるかもしれないと言っています(五〜九節)。パウロは「旅のついでに」立ち寄るのではなく、相当の期間滞在して、じっくり腰を据えてコリント集会の問題に対処したいと考えているようです。手紙だけで解決するとは考えていないのです。パウロは、自身が陸路マケドニア経由で到着するのはかなり遅くなるので、その前に弟子のテモテを(おそらく海路で)派遣して準備をさせようとします(一〇節)。パウロは、自分が出発する前にテモテがエフェソに帰ってきて、コリント集会の状況を詳しく伝えてくれるのを期待しています(一一節)。パウロは、現在エフェソにいるアポロにも、兄弟たち(おそらくステファノらコリントから来た兄弟たち)と一緒にコリントへ行って、諸問題の解決に尽力するように要請していますが、アポロはこの要請を断っています(一二節)。パウロはアポロを対立する分派の指導者としてではなく、同労者として深く信頼しているのです(第三章の「パウロとアポロ」の項を参照)。
 
 このように、パウロがコリントを訪ねる計画を立てているのは、コリント集会の分派などの諸問題に対処するためですが、もう一つ重要な目的があります。それはパウロ自身がこの手紙の結びの部分の最初に触れている「聖なる者たち(聖徒たち)への募金」の問題です(一六・一〜四)。「聖徒たち」というのはエルサレムの教団を指します。パウロは、自分が宣べ伝えている「割礼なしの福音」をエルサレム教団に認めてもらうために、バルナバと一緒にエルサレムに上り、ヤコブ、ペトロ、ヨハネらエルサレム教団の柱と目されている人たちと談判しました。その結果、彼らは異邦人が割礼を受けないままでキリストの民となることを認め、ペトロたちは割礼の者たちへ、パウロたちは割礼を受けていない者たちへ福音を伝えるという理解と協定に達しましたが、そのさいパウロによって形成される異邦人の諸集会が「貧しい人たちのことを忘れないように」という要望、すなわちエルサレムの母教団への援助を忘れないようにという要望が加えられたのでした(この会議と献金については、第一部第二章の「エルサレム会議」を参照)。
 
 パウロはこの募金に熱心に取り組んできました。それはたんに「貧しい人たち」を援助するという意味だけではなく、パウロにとってはキリストにあってユダヤ人と異邦人が一つの神の民《エクレーシア》を形成するためという、救済史的に重要な意義を担う活動であったのです。パウロがこの募金活動をいかに重視し、苦労して進めてきたかについては、募金問題を取り上げている第二書簡の八章と九章の講解で詳しく触れることになりますが、ここではこれから予定しているマケドニア州とアカイア州への旅行の主要な目的がこの募金活動であることを指摘するに止めておきます。今回のパウロの旅行(いわゆる第三次伝道旅行)は全体として募金旅行という性格をもっているのです。
 
 パウロは先の第二次伝道旅行で形成したアジア州(ガラテヤ)、マケドニア州(フィリピ、テサロニケ、ベレヤ)、アカイア州(コリント)の諸集会を歴訪して用意された献金を集め、それを異邦人諸集会の代表者にもたせてエルサレムに届ける計画なのです。マケドニア経由で陸路コリントへ向かうのもそのためです。コリントで代表者たちが顔を揃え、そこからエルサレムに向かうことになるとパウロは期待していますが(六節)、この手紙執筆の段階では、パウロ自身が献金を届ける使節団と同行するかどうかは明言していません(四節)。しかし、募金活動に対する熱意からすると、パウロは自身が異邦人代表団を率いてこの献金をエルサレムに届けることを真剣に考えていたと推察してよいでしょう。
 
 この手紙の執筆の時点では、パウロはこの募金活動が重大なトラブルに見舞われることを予想せず、募金の仕方を指示しています(一〜二節)。ところが、この募金活動がパウロとコリント集会の関係を引き裂きかねない深刻な問題を引き起こすことになるのです。

 パウロがここで「ガラテヤの諸集会」に募金の指示をしている事実(一六・一)は、この「ガラテヤ」が、第一次伝道旅行で活動したガラテヤ州南部ではなく、現在のアンカラ近くのガラテヤ地方のことであるという「北ガラテヤ説」の一つの根拠にすることができます。アンティオキア教団から独立したパウロが、アンティオキア教団の伝道活動で成立したガラテヤ州南部の諸集会に募金の指示をするとは考えられないからです。

最初の弁明書簡

 ところが、事態はパウロの計画通りには進みませんでした。まずパウロの側で状況が変わりました。パウロは五旬節の後に出発する予定でしたが、思いがけない事情で果たせなくなりました。それは第一書簡の執筆後、投獄されたからだと考えられます。パウロの手紙にはエフェソでの投獄について明確に触れている箇所はありませんし、ルカもパウロのエフェソ伝道を語る箇所(使徒言行録一九章)で投獄のことは何も書いていません。しかし、パウロがテモテを派遣した後、アルテミス神殿の銀細工師デメテリオの扇動による「ただならぬ騒動が起こった」ことが伝えられています(使徒言行録一九・二一〜四〇)。その騒動のときにパウロが投獄されたかどうか、ルカは何も伝えていませんが、それはルカの護教的動機によるものでしょう。それに対して、パウロの手紙にはエフェソでの投獄を示唆する表現が見られます。たとえば、エフェソから書き送った手紙で複数回の投獄に触れていますが(U一一・二三)、フィリピでの投獄の後で他に可能性のあるのはエフェソということになります。「死の宣告を受けた思い」をする「アジア州で被った苦難」もエフェソでの投獄を示唆しています(U一・八〜九)。後で詳しく触れますが、「フィリピの信徒への手紙」や「フィレモンへの手紙」という獄中書簡も、エフェソで投獄されたときの手紙と見ると、もっとも自然に理解できます。

 以下、コリントの信徒への手紙を扱う講解においては、第一書簡の箇所を示す場合はTを、第二書簡の箇所を示す場合はUを、章節を示す数字の前に付けて区別します。

 一方、コリント集会の事情も急激に変わったようです。第一書簡執筆の前後に派遣したテモテが、エフェソに戻ってきてパウロに報告したコリントの状況はパウロを驚かせました。最近巡回してきた伝道者たちがパウロの使徒としての資格を問題にして、公然とパウロを批判し非難しているというのです。その非難の中には、パウロが熱心に進めているエルサレム教団への募金も実はパウロの私腹を肥やすためであるという中傷も含まれていたのです。第一書簡で取り上げていたお互いの間の争い(T一・一一〜一二)とは違い、コリントの集会全体が公然とパウロ批判に傾き、パウロから離れる危険があるというのです。

 コリントでパウロを非難した伝道者たち(「パウロの論敵」と言われる人たち)がどのような立場とか信仰の人たちであったかについては、近年熱い議論が続いています。本講解ではこの議論に深入りすることはできませんので、彼らとの論争においてパウロが触れている箇所で彼らの姿を推察するに止め、ここではその論争に現れているパウロの福音理解に焦点を絞って見ていきたいと思います。ただ一点だけ指摘しておくと、第二書簡の「論敵」は、第一書簡でパウロが論争した相手とは違う人たちであったと考えられます。第二書簡では、「論敵」はパウロの使徒としての資格そのものを問題としており、パウロは自分がキリストの使徒であることを弁証するために力を注がなければなりませんでした。これは第一書簡にはない状況です。彼らは最近外からコリントへ入ってきて、反パウロの活動を始めた「働き人」(伝道者)と考えられます。

 この危険に対処するために、とりあえずパウロは手紙を書きます。この手紙は元のままの形では残されていませんが、第二書簡の中に組み込まれて伝えられています。すなわち、第二書簡の二章一四節から七章四節の部分です(ただし六章一四節から七章一節は後の挿入として除きます)。もともと独立の手紙として初めの挨拶や結びがあったのでしょうが、他の手紙に組み込まれるにさいして省略され、本体の部分だけが残っていると見られます。
 
 この手紙は期待したような成果を上げず、コリントの状況はますます悪くなり、パウロはマケドニア経由で陸路コリントへ行く計画を変更して、急遽コリントへ自らが直接乗り込むことになります。所期の成果を上げることはできませんでしたが、この手紙には「キリストの福音の使徒」としてのパウロの姿が生き生きと描かれており、その中に福音の現実が溢れ出ています。まず、この手紙の中に溢れているキリストの福音の質を見ていきたいと思います。

 正典の「コリントの信徒への手紙二」は単一の手紙ではなく、パウロがコリントの集会にあてて書いた数回の手紙が一つに合わせられたものであることが広く認められています。どの部分がどのような機会に書かれたものか、手紙の構成については議論がありますが、ボルンカムの分析が説得的で広く用いられています。青野訳の岩波版もそれに従って五つの手紙に分け、年代的な順序に従って訳しています(アンカー聖書辞典もほぼ同じ)。たしかに、このように分けて、パウロが置かれていた具体的な状況に即して読むと理解しやすいので、本講解でもこの順序に従い、パウロとコリント集会の状況の変化を追いながら本文を講解していきます。それぞれの手紙が書かれた状況については、その都度取り上げますが、最初に五つの手紙が「第二書簡」のどの部分に相当するのかを掲げておきます。「 」内は手紙の特色を示すために仮につけた呼び名です。

 手紙A 「最初の弁明」  二章一四節〜七章四節
       (六章一四節〜七章一節を除く)
 手紙B 「涙の手紙」   一〇章〜一三章
 手紙C 「和解の手紙」  一章一節〜二章一三節、七章五〜一六節
 手紙D 「募金の手紙T」 八章
 手紙E 「募金の手紙U」 九章



 新しい契約


キリストの香り

 神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。このような務めにだれがふさわしいでしょうか。わたしたちは、多くの人々のように神の言葉を売り物にせず、誠実に、また神に属する者として、神の御前でキリストに結ばれて語っています。(U二・一四〜一七)

 パウロはこの手紙ではいつも「わたしたち」について語っています。この「わたしたち」は基本的にパウロ自身と彼の同志の伝道者たちを指しています。パウロは自分の使徒としての立場を弁証するにさいしても、「わたし」という単数形を使わないで、「わたしたち」という複数形で語っています。この「わたしたち」は、パウロを非難する働き人たちと対照されるパウロ側の伝道者たちを指す「わたしたち」、「彼ら」に対する「わたしたち」です。もっとも、パウロがキリストの僕としての自分たちを語るとき、その姿がキリストに属するすべての者たちの姿と重なるときは多くあり、それが現在のわたしたちにとって重要な意味をもつことは確かです。この講解もそこに焦点を合わせて進めることになります。しかし、この手紙が書かれたときには、「彼ら」に対する「わたしたち」の姿を告白することで、コリントの集会に対して「彼ら」ではなく「わたしたち」の側につくように呼びかけているのです。「わたしたち」につくことによって真にキリストにつく者となるのだという主張が、この「わたしたち」の告白の背後に響いています。
 
 まずパウロは「わたしたち」の使命を「香り」の比喩で表現します。神は「キリストの知識の香り」を、キリストの勝利の行進に連なる「わたしたち」、すなわちキリストに結ばれることによって死に打ち勝ち復活のいのちに生きる「わたしたち」を通して、世に注いでおられるのです(一四節)。その意味で「わたしたちは神に献げられるキリストの香りです」(一五節直訳)。わたしたちは「キリストの香り」を発散させているのです。この「香り」は救われる者たちと滅びる者たちの両者にとって、それぞれいのちの道と死の道を歩む歩みをますます加速する刺激となるのです(一六節)。

 「勝利の行進に連ならせる」と訳されている動詞は、ローマ世界では普通、勝利を祝う軍事パレードで征服して捕虜にした敵の王を鎖につないで引き回すという意味で使われます。コロサイ書の著者はこの意味で使っています(コロサイ二・一五)。ここも同じ意味に理解する見方、すなわちパウロは自分をキリストの勝利の凱旋に捕虜として引き回されている者としているという見方もあります(ファーニッシュ)。たしかにパウロはこの書簡で、自分を最後に引き出される死刑囚にたとえたり(T四・九)、イエスの命が現れるためにたえずイエスの死にさらされているという、死生の逆説を語っています(U四・七〜一二)。しかしここでは、前後の文脈から、(大多数の現代語訳と同様)この動詞のもう一つの意味を採り、神が自分をキリストの勝利にあずからせてくださっているという意味に理解します。

 「香り」の比喩は、キリストにある者の使命は義務とか努力目標とかではなく、内から自然に発する生き方であることを思い起こさせます。キリストにある者は、この世にあること自体がある独特の香りを発しているのです。その香りは、それに接する人たちに「キリストを知る」とはどういうことかを直感させるのです。それは多くの議論で説得するよりも説得力があるものです。
 
 このように「キリストの知識の香り」を放つことを務めとする者として、おのずから内から発する言葉を語らざるをえない、それが「神の前で誠実に語る」ことだとし、そのような「わたしたち」が「神の言葉を売り物にする」ようなことはどうしてできようかと言っています(一七節)。これは、エルサレム教団への募金活動をパウロは自分のためにしているのだという中傷があることをすでに聞き知っていて、偽りのない動機を改めて宣言していると見ることができます。

推薦状

 わたしたちは、またもや自分を推薦し始めているのでしょうか。それとも、ある人々のように、あなたがたへの推薦状、あるいはあなたがたからの推薦状が、わたしたちに必要なのでしょうか。わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、わたしたちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています。あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。(U三・一〜三)

 ユダヤ教において、ある地域の共同体に外から入ってくる人は「推薦状」を携えてくる習慣があったようです。初期のキリスト教集会でも、外から入ってくる信徒、とくに伝道者は「推薦状」を携えてきました。エフェソの集会はアポロをアカイア(コリント)に送り出すとき推薦状を書いています(使徒言行録一八・二七)。パウロもこの習慣を知らないわけではありません(たとえばロマ一六・一〜二)。フィレモンあてにも一種の推薦状を書いています。
 
 「ある人々」、すなわちコリントの集会に最近やってきて活動を始めた伝道者たちは、エルサレム教団のような有力な集会からの推薦状を携えてきたのでしょう。彼らは、パウロにはそのような推薦状がないことを取り上げ、パウロの使徒としての資格を問題にした可能性があります。それに対して、パウロはコリントの集会の存在自体がパウロへの推薦状であると反論します。福音を携えてコリントに来て、初めてコリントにキリストを信じる者たちの共同体を建設したのはパウロなのです。この事実が何よりもパウロがキリストの使徒であることを証明する「推薦状」だというのです。
 
 パウロは「あなたがた自身がキリストの手紙である」と言います。コリントの集会自体が「墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙」であり、キリスト御自身がパウロを公に推薦するために書かれた手紙であるというのです。ここではパウロへの推薦状が問題になっていますが、キリストにある者は世界に向かって神の霊によって書き送られた「キリストの手紙」であるという事実は、現在のわたしたちにキリスト者としての使命を思い起こさせます。世の人々は聖書ではなくキリスト者を読んでいるのです。

 二節の「(その推薦状は)わたしたちの心に書かれており」の句は、少数の写本で「あなたがたの心に書かれており」となっています。より困難な読みの方が元の形であるという写本の傾向からすると、「わたしたちの心に」と読むのが有力で、大多数の現代語訳はこう読んでいますが、「あなたがの心に」の方が文脈に適合しており、RSVがこの読みに従っています。


御霊による契約

 わたしたちは、キリストによってこのような確信を神の前で抱いています。もちろん、独りで何かできるなどと思う資格が、自分にあるということではありません。わたしたちの資格は神から与えられたものです。神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく御霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、御霊は生かします。(U三・四〜六 一部私訳)

 パウロは、「キリストの知識の香り」を注ぐというような務めを行う資格が自分にあるのではなく、神の恵みによって賜ったものであることを十分自覚しています(T一五・一〇)。神から恩恵により賜った資格によって、パウロは「新しい契約に仕え」、「文字ではなく御霊に仕える」のです。ここで「新しい契約に仕える」ことが「御霊に仕える」ことと等置されていることが重要です。「旧い契約」は文字による契約でしたが、「新しい契約」は御霊による契約なのです。

 「文字」《グラマ》というのは本来「書かれたもの」という意味の語で、「モーセ五書」という形で書き記された「律法」《トーラー》全体を指します。しかしここでは、新しい状況に適用するためにその律法を解釈した律法学者たちの口伝伝承も含めて、神から与えられたとされる行為規範の全体を指しています。「旧い契約」が文字による契約であるというのは、契約すなわち神と民との関わりが、人間がこの「文字」(律法)を行うことに基づいて成立する契約であることを意味します。当時のユダヤ教はこのような性格の契約に生きていました。それに対して、キリストによって立てられる「新しい契約」が御霊による契約であるというのは、それがキリストを信じる者に無条件で与えられる御霊によって形成される神と人との関わりであることを意味します。ここでは、人間が律法を行うかどうかは契約関係成立の条件とはなっていないのです。

 新共同訳は《ト・プニューマ》を「霊」と訳していますが、パウロが用いる《プニューマ》は、僅かの例外を除いて、普通は「御霊」すなわち神の霊を指しています。身体に対立する内面的・精神的な次元は、意識されえたものであれ意識下のものであれ、人間に所属するものであるかぎり、「いのちを与える」《ゾーオポイエン》ことも、神とのつながりを形成することはできません。それができるのは神からの霊、すなわち御霊だけです。パウロにおいては《プニューマ》は人間ではなく神に属しています。そのことを示すために、《プニューマ》を「御霊」と訳します。

 「新しい契約」という表現は、パウロ書簡ではここと「主の晩餐」の言葉(T一一・二五)との二カ所で用いられています。「主の晩餐」を「新しい契約」としている用例からも、キリストの十字架の血を「新しい契約」の血と理解する伝承は、福音宣教のごく初期から確立していたと見られます。しかし、このキリストの血によって立てられる「新しい契約」が、モーセ契約と質的に違うものであることを、最初にもっとも鋭く自覚したのはパウロではなかったかと思います。すでにガラテヤ書でこの違いを鋭く提示しています。ここではパウロは両者の違いを、「文字による契約」と「御霊による契約」の違いだとし、「文字は殺すが、御霊は生かす」という標語でその本質を喝破するのです。そして、二つの契約の栄光を較べます。

 「新しい契約」について、とくに「文字による契約」と「御霊による契約」との対比については、「福音講話集 26、27」の「キリスト契約の諸相 I II」を参照してください。


新しい契約の栄光

 ところで、石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務めさえ栄光を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イスラエルの子らが彼の顔を見つめえないほどであったとすれば、御霊に仕える務めは、なおさら、栄光を帯びているはずではありませんか。人を罪に定める務めが栄光をまとっていたとすれば、人を義とする務めは、なおさら、栄光に満ちあふれています。そして、かつて栄光を与えられたものも、この場合、はるかに優れた栄光のために、栄光が失われています。なぜなら、消え去るべきものが栄光を帯びていたのなら、永続するものは、なおさら、栄光に包まれているはずだからです。(U三・七〜一一)

 パウロは、自分が恵みによって賜っている務め、すなわち「新しい契約に仕え、御霊に仕える」務めがどれほど優れた務めであるかを、「旧い契約に仕え、文字に仕える」務めと較べ、その違いを「栄光」の違いとして語ります。「旧い契約」を仲介したモーセは、契約の文字を刻んだ石の板を携えて山から下ってきたとき、その顔が栄光に輝いていたので、イスラエルの民は彼の顔を見つめることができませんでした(出エジプト記三四章二九〜三五節)。それは神から授かった契約の言葉であったので、それに仕えるモーセは神的な栄光に輝いていたのです。イスラエルにとってモーセが果たした務めほど栄光に輝く尊いものはありません。

 ところが、パウロはそのモーセの務め、すなわち律法の文字に仕える務めを「死に仕える務め」、「人を罪に定める務め」と呼びます。パウロはここでモーセの権威をもって教えるユダヤ教の律法学者たちと自分を較べているのでしょうが、彼らの務めが「人を罪に定める務め」であり、その結果人を死に宣告する務めであることはモーセ以来同じだというのです。これはユダヤ教に対するたいへんな挑戦です。しかし、そもそもモーセが栄光に輝く顔をもって山を下り、契約の文字を刻んだ石の板を与えた(出エジプト記三四章)のは、すでに金の子牛をを拝んで背神の罪を犯した民(出エジプト記三二章)に対してなのです。ですから、このときモーセが与えた契約の言葉は、民の罪を断罪する裁きの言葉にならざるをえないのです。実際モーセは罪を犯した民を殺すことを、自分の側につくレビ人に命じています(出エジプト記三二・二五〜二九)。彼の務めは文字通り「死に仕える務め」にならざるをえなかったのです。彼の後の預言者たちも、律法の言葉に基づいてイスラエルの罪を弾劾し、神の審判を宣言することがおもな使命になりました。そのような罪にもかかわらずイスラエルが存続しえたのは、モーセが自分の命をかけて主にとりなした(出エジプト記三二・三〇〜三五)からであり、それに応えてくださる主の憐れみがあったからです。
 
 そのように「罪に定める務め」、「死に仕える務め」でさえ栄光に輝いたのであれば、「御霊に仕える務め」、「人を義とする務め」ははるかに勝る栄光に輝くはずではないか、とパウロは論じます。キリストの福音は信じる者に聖霊の賜物を約束し、実際信じる者は聖霊を受けて、新しいいのちに生きるようになります(ガラテヤ三・一〜一四など)。そして、御霊によって罪と死の支配から解放され、義とされて神との平和の中に生きるようになるのです。福音に仕える者は、御霊に仕える務め、人を義とする務めを果たしているのです。それは地上でもっとも光栄ある務めです。
 
 そして、人に罪を示す律法は、福音が到来し信仰が現れるまでの一時的なものである(ガラテヤ三章)にもかかわらず、その務めが栄光に輝いていたとすれば、神の最終的で永続的な啓示である福音に仕える務めは、さらに勝る栄光に輝くことになります。


変 容

 このような希望を抱いているので、わたしたちは確信に満ちあふれてふるまっており、モーセが、消え去るべきものの最後をイスラエルの子らに見られまいとして、自分の顔に覆いを掛けたようなことはしません。しかし、彼らの考えは鈍くなってしまいました。今日に至るまで、古い契約が読まれる際に、この覆いは除かれずに掛かったままなのです。それはキリストにおいて取り除かれるものだからです。このため、今日に至るまでモーセの書が読まれるときは、いつでも彼らの心には覆いが掛かっています。しかし、主の方に向き直れば、覆いは取り去られます。ここでいう主とは、御霊のことですが、主の御霊のおられるところに自由があります。わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の御霊の働きによることです。(U三・一二〜一八)

 契約の言葉を刻んだ石の板を携えて山から下ってきたモーセの顔が輝いていたので、イスラエルの民は恐れて近づくことができませんでした。それで、モーセは民に語るときには顔に覆いをかけました(出エジプト記三四章二九〜三五節)。この記事の「覆い」を比喩として用いて、パウロはイエスをキリストと認めないイスラエルの霊的無理解と、主の御霊によって「覆いを除かれて」主の栄光を映し出して生きるキリストの民を対比します。

 モーセが顔に覆いをかけたことを、パウロは「消え去るべきものの最後をイスラエルの子らに見られないように」するためであったとし、旧い契約が過ぎゆく性質のものであることの現れとします。それに対して、自分が仕えている新しい契約は過ぎゆくことのない永続的なものであるから、覆いをかけるようなことはせず、大胆に確信をもってあらわに語るのだと言います。あらわに語っているにもかかわらず、イスラエルが福音を受け入れないのは、彼らの心に覆いがかかっているからだというのです。
 
 イスラエルの律法学者は熱心に律法を研究し、民は安息日ごとにモーセの書の朗読とその解説を聴いています。しかし、律法とは契約そのものではなく、罪を明らかにするために付け加えられた過渡的な性質のものであることを理解していないために、キリストがアブラハム以来の契約を成就するかたであることが見えないのです。これが彼らの心にかかっている覆いです。
 
 モーセは主の御前に出るときは覆いをはずしていました。このことを比喩にして、パウロはイスラエルの民も「主の方に向き直れば、覆いは取り去られる」と言います。ただ、「ここでいう主とは御霊のこと」であって、恵みの賜物として御霊を受けるときはじめて、覆いが取り除かれて、律法の本質を理解し、新しい契約の栄光をはっきりと見ることができるようになるのです。
 
 そのようになるのは、「主の御霊のおられるところに自由がある」からです。ここの「自由」《エレウセリア》は「解放」の意味です。主の御霊が働かれるところでは、心にかかっている覆いから解放されるのです。キリストにあって御霊の賜物を受けている「わたしたちは皆、覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます」。鏡に覆いがかかっていると光を反映することはできず、覆いが取り除かれてはじめて光を反映します。そのように、御霊によって霊性にかかっている覆いが取り除かれた者は、「神の似姿であるキリスト栄光」を内に宿し、「イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光」を反映するようになるのです(U四・四、六)。しかも、この「栄光」は働きかける人格的主体としてわたしたちの内に留まるのです。ここで、物理的な光をただ反射するだけの鏡の比喩は乗り越えられます。わたしたちは、「主の栄光」としてわたしたちの内に留まる御霊によって、「栄光から栄光へと、主と同じ姿(主の似姿、主の《エイコーン》)に造りかえられていきます」。
 
 「造りかえられる」ことは御霊の働きによるものであることは、パウロがこの段落の最後で「これは主の御霊の働きによることです」(新共同訳)と明言しています。ただ、この文は文法的には「御霊の主(御霊なる主)の働きによる」とも訳すことができます。どちらの訳も働きの主体が御霊であることを示す点では同じですが、「御霊なる主」の方がパウロのキリスト理解をより鮮明に表現していると思われます(ルター訳、RSV、NRSV、協会訳など多くの現代語訳は「御霊なる主」と訳しています)。

 キリストを御霊の現実として理解するパウロのキリスト論については、「キリスト信仰の諸相」の「霊なるキリストーパウロのキリスト告白」を参照してください。

 「造り変える」《メタモルフォー》という動詞は、パウロ書簡ではこことロマ書一二章二節だけですが、救いが無罪の判決というような法廷的な意味とか、将来の出来事を待望するというだけのことではなく、現在わたしたちの内に始まっている神の働きであるというパウロの福音理解を示す重要な鍵語(キーワード)です。救いは現在の過程です。

 この点については、「聖書小窓」92「変容」を参照してください。なお、この動詞は福音書においては山上でのイエスの変容について用いられています(マルコ九・二とマタイ一七・二)。そこでの用法については「マルコ福音書講解 46」を参照してください。

 この「造り変える」という動詞は、新約聖書に出てくる上記四カ所ですべて受動態で用いられています。パウロのもう一つの用例(ロマ一二・二)では、受動態の現在形命令法です。すなわち、「造り変えられ続けよ」とか「造り変えられることに身を委ね続けよ」というような意味合いをもっています。造り変えられることは一回的な出来事ではなく、キリスト者の生涯にわたる継続的な体験であるのです。そしてこのことが、パウロがロマ書一二章以下で説き勧めるキリスト者の生き方の根底をなすのです。
 
 救いが御霊の働きによる現実であり、現在の過程であるとするのは、パウロの救済論の重要な特徴です。たとえば、パウロはこうも言っています。

 「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです」(フィリピ二・一三)

 わたしたちの内に働かれる神とは御霊に他なりません。わたしたちキリストに属する者は、生涯御霊の働きに身を委ねることによって、主と同じ形に造り変えられていくことを目標として賜っているのです。


前章に戻る    次章に進む

目次に戻る   総目次に戻る