福 音 と 宗 教 2 


    第一章 宗教とは何か― 宗教学の視点から   

                      


  
 第一節 近代における宗教学の開始と進展



キリスト教共同体における宗教学の開幕

 先に序章「福音と諸宗教の遭遇」において、福音を世界に告げ知らせることが主から受けた使命であるとして、大航海時代以来自分たちのキリスト教世界以外の地に進出した教会の活動が、そこでの民がキリスト教以外の多くの宗教によって生活している現実に直面したこと、また、それが教会の活動であるため、彼らのキリストを伝える福音活動は不可避的にキリスト教という宗教への改宗運動と重ならざるをえなかった事情を見ました。キリスト教を説くにあたって、彼らは現地の人たちの宗教を理解しようと努めますが、その理解は自分たちの宗教であるキリスト教との比較にならざるをえませんでした。このような海外での伝道活動に従事したカトリックの神父やプロテスタントの宣教師が最初の比較宗教研究者ということになります。そして、彼らの報告書がヨーロッパの神学者たちや思想家にキリスト教以外の諸宗教を広く理解する必要を教え、その研究を刺激し、資料を提供します。

 すでにヨーロッパの神学界でも、近代神学の父と呼ばれるシュライエルマッハーが『宗教論』(一七九九年)を著し、「宗教の本質は思惟でも行為でもなく直感と感情である」として、宗教の独自性、個別性、非合理性を明らかにし、宗教をそれぞれの宗教そのものから理解するように説き、近代宗教学への門戸を開いていました。彼の「信仰とは絶対依存の感情である」という定義は有名です。ただここで「感情」というのは、喜怒哀楽というような次元での感情ではなく、働きかけられたり働きかける人間の精神の深みを指しており、その感情の場で人間は全く依存している存在としているのです。その依存に「絶対」という語がつくのは、様々な依存関係の中で、その依存がなくてもすむ場合があるという性質の依存ではなく、人間としてそれなくしては存在できない根源的な依存であることを指しています。そのような依存の対象が神と呼ばれることになります。このような人間の側の体験的な事実を土台として構築される神学は、人間主義的な近代思潮に適合し、その後の近代主義神学の源流となります。

 彼自身はドイツ敬虔主義の流れを汲む神学者であって、他宗教を専門に研究した学者ではありませんが、宗教を即事的に研究する道を開き、その後(一九世紀以降)の宗教研究に大きな貢献をしました。彼はその宗教論において、どの宗教にも真理契機が含まれていることを主張しています。

       シュライエルマッハーの『宗教論』は佐野・石井訳で岩波文庫に収められています。

 こうしてヨーロッパのキリスト教圏で始まった諸宗教の比較研究は、一九世紀にさらに進展していきますが、その中で特筆すべきはマックス・ミューラーの業績でしょう。彼はドイツで生まれイギリスで活動したインド学者であり言語学者で、ヒンズー教のヴェーダやウパニシャッド、仏教のサンスクリット仏典などのインドの宗教聖典を中心に、イスラムから中国の宗教にいたる東方の宗教文献を広く校訂して英訳し、それを五一巻の『東洋の聖典』として刊行(一八七九年〜一九〇四年)、ヨーロッパのキリスト教圏に紹介し、それまで未知の世界であった東方の諸宗教の研究に基礎的な資料を提供します。我が国の仏教学と宗教学もミューラーに師事した学者が多く、彼から大きな影響を受けています。彼は「人類の真の歴史は宗教史である」として、世界の諸宗教を広く比較研究すべきこと、しかも価値判断抜きに客観的学術的に研究すべきことを主張しました。彼は主著の一つを『宗教学概論』(Introduction to the Science of Religion 1873 )と名づけましが、" the Science of Religion " という呼び方に彼の研究の姿勢がこめられています。本書をもって宗教学という名称と学問が始まったと言われ、彼は宗教学の父とも呼ばれています。

 ヨーロッパキリスト教圏の思想は、一七〜一八世紀の啓蒙思想によって大きく変化していきました。すべてを合理的に、また実証的に理解しようとする啓蒙思想の大きなうねりの中で、人間の社会的・歴史的営みである宗教も人文科学や社会科学の一部門として理解の対象となりましたが、その神秘的非合理性や伝統に固執する保守性からおもに批判の対象となり、啓蒙思想以後のヨーロッパの社会が宗教的な次元を徐々に見失い世俗化していく要因となります。一九世紀にもその流れは進行し、ついにはマルクスの「宗教は阿片である」という説に至ります。そのような流れの中で、宗教固有の意義を宗教自身の場に立って客観的に、また学術的に確立するために奮闘した研究者が出ます。自身がキリスト教信仰に深い理解をもつ神学者が、その宗教理解に基づいて他宗教や宗教そのものを客観的実証的に理解しようとし、宗教学の伝統を形成していきます。ここでは、このような伝統に連なる宗教学の進展を概観して、福音と宗教との関係を理解するための一助にしたいと思います。


二〇世紀における宗教学の進展

 こうしてヨーロッパのキリスト教圏で始まった宗教学は、その担い手が同時に神学者でもあったという事実が重要な意味をもつことになります。この点は第二章「宗教の神学」で扱うことになりますが、ここではヨーロッパキリスト教圏における二〇世紀の宗教学の動向を概観しておきます。

 二〇世紀に入る前後にこの世紀の方向を示唆する象徴的な著作が相継いで現れます。一つはドイツの神学者アドルフ・フォン・ハルナックの『キリスト教の本質』(一九〇〇年)です。この書は、当時の神学界の権威であったハルナックが改めて「キリスト教とは何か」という問題について発言したもので、当時の人々に広く読まれました。ここでキリスト教の本質についてのハルナックの所説に立ち入ることは出来ませんが、この書の出現自体が、それまでは何世紀にもわたって問題とならなかった「キリスト教とは何か」という問題が、他の諸宗教との遭遇によってヨーロッパキリスト教世界で問題となってきていたことを象徴しています。しかし宗教学との関連で見ますと、ハルナックは「キリスト教はその純粋な形態においては他宗教と並ぶ一つの宗教ではなく、唯一の宗教( die Reli-gion)である」とし、「この宗教(キリスト教)を知らない者は(宗教について)何も知らないが、この宗教をその歴史とともに知っている者はすべて(の宗教)を知っている」として、そのベルリン大学総長就任講演「神学部の課題と一般宗教史」(一九〇一年)において宗教学部の新設や神学部内に宗教史の講座を設けることに反対しています。このようなハルナックの考え方に問題提起するものとして、先に見たトレルチの『キリスト教の絶対性と宗教史』(一九〇二年)が書かれます。この書については第二章「宗教の神学」で取り上げることになります。

       アドルフ・フォン・ハルナックの『キリスト教の本質』は山谷省吾訳で岩波文庫に収められています。

 次に現れたのが、米国の心理学者ウイリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』(一九〇一〜一九〇二年)です。この書は心理学の立場からおもに欧米のキリスト教世界での霊的体験を様々な状況の人々の手紙や日記などを資料として解析したもので、とくに回心体験を重視して分析し、それによって人間にとって宗教とは何かという問題に迫ろうとしています。二〇世紀初期にはフロイトやユングの活動も始まっており、宗教的経験の理解に心理学、とくに無意識の領域を扱う深層心理学が用いられるようになり、宗教心理学の分野が開拓されることになります。

     ウイリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』は枡田啓三郎訳で岩波文庫に収められています。ギッフィオード講演として行われたこの宗教心理学の古典的名著については、訳者の「解説」をご覧ください。

 続いて一九〇四年にマックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を発表して、当時の思想界に大きな衝撃を与えます。ウェーバーは近代の社会学の大成者として重要な学者ですが、社会学にとどまらず政治学や経済学を含む社会科学全般にわたって鋭い考察を行い、西欧の近代社会の問題を深く掘り下げて問題提起した思想家でもあります。ウェーバーは近代西欧社会の基調は合理主義であること、また経済が社会と歴史を動かす大きな力であることを認めています。その合理主義が近代の資本主義を生み出したことについては、当時興りつつあったマルキシズムと見解を共にしていますが、近代合理主義が見捨てて顧みなかった宗教こそが資本主義を成立させた原動力であることを論証し、宗教を阿片として退けるマルキシズムと対峙します。彼は、宗教改革以来西欧社会に確立したプロテスタンティズムの宗教がもたらした世俗内禁欲の精神が、世俗の職業を神の召命(ベルーフ)とする職業人の倫理を生み出し、その倫理が資本主義という合理的経済を形成したことを、この論文で明らかにします。こうして、宗教こそ社会を形成する原動力であることを見たウェーバーは、中国、インド、古代ユダヤの比較文化史的研究を続け、その成果は『世界宗教の経済倫理』(一九二〇年)としてまとめられ、『宗教社会学論集』に収められることになります。その中でも『古代ユダヤ教』は聖書の理解に直接関連し、聖書学と神学に大きな影響を与えます。こうして、ウェーバーによって明らかにされた宗教と社会の緊密な関係は、以後の宗教学に「宗教社会学」という分野を成立させることになります。

 この宗教宇社会学の分野では、フランスのエミール・デュルケムが宗教の起源や機能を社会的に説明することを提唱し、『宗教生活の原初形態』(一九一二年)を出して大きな貢献をしています。彼は未開社会に見られるトーテム信仰を分析して、トーテムが個人を超えた集団にかかわるものであることを明らかにし、個人を拘束し集団を統合する力を象徴するものとされます。こうしてトーテムは、一つの聖なる力であるとともに社会的・現実的な力となり、神と社会を同時に象徴し、「神と社会の合一」という彼の宗教理論を導き出すことになります。

 ドイツでは先に見たエルンスト・トレルチが『キリスト教諸教会・諸集団の社会教説』(一九一九年)を書いて、キリスト教と社会の関わり方の諸類型を分析します。以後、この宗教と社会の関わりを研究する宗教社会学は、宗教学の重要な分野として進展することになります。

 このように宗教学は二〇世紀には宗教心理学や宗教社会学などの裾野を広げながら進展していきますが、ここでは福音との関係を考察するために、宗教に固有の現象を対象とする狭い意味での宗教学に限定し、その代表的な事例を数例取り上げるだけにとどめます。

       マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は大塚久雄訳で岩波文庫に収められています。『古代ユダヤ教』には内田芳明訳があります(みすず書房)。両書の意義とウェーバーの思想史的意義については、両書につけられた訳者の解説と序文を参照してください。
       エミール・デュルケムの『宗教生活の原初形態』は古野清人訳で岩波文庫にあります。なおこの著作が現れた一九一二年は、後にエリアーデがその著『宗教の歴史と意味』の第二章で宗教の科学的研究の歴史において重要な年であったとして言及しています。事実、この年の前後にはトーテミズム(トーテム信仰)に関連する重要な研究が、宗教学だけでなく文化人類学ではフレーザーの『金枝篇』や精神分析学のフロイトやユングの諸著作にも現れており、宗教学と関連諸学(民俗学、文化人類学など)の進展に時代を画しています。実は、すでに一八八五年にフレーザーは『エンサイクロペディア・ブリタニカ』に「トーテミズム」と「タブー」の項を執筆しており、一九世紀末から二〇世紀初頭にかけてのトーテミズムとタブーに関する議論の中心にいました。デュルケムの研究もこの流れの中での成果と見られます。宗教学と文化人類学の重なりは宗教研究には大きな問題ですが、問題が大きいのでその分野の専門書に委ねます。



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