福 音 と 宗 教 7 


    第二章 宗教の神学   

                      


はじめに

 前章で見たように、近代に入ってヨーロッパのキリスト教界は世界の諸宗教の現実に直面し、とくに一九世紀から二〇世紀にかけて宗教に関する知見を大いに拡大し、かつ人間の宗教的な営みに理解を深めてきました。その結果、キリスト教会はその神学において、人間の宗教的な営み(具体的には宗教史)をどのように位置づけ、また意義づけるかを問題にしなければならなくなります。それまでのキリスト教会、とくに中世のヨーロッパのキリスト教会は、自分が形成した文化圏の中で、キリスト教を絶対化し、他の宗教は異教として退けていればよいのであって、宗教を神学の対象とする必要はありませんでした。しかしながら、多くの宗教がそれぞれ自己の絶対性を主張してひしめく現代の世界にあっては、キリスト教もその中の一つの宗教として、現代の神学は宗教そのものを位置づけ、その意義を理解する課題を背負うことになります。すなわち、宗教そのものを神学の対象とする「宗教の神学」が求められることになります。

 本章「宗教の神学」では、まず欧米のキリスト教神学がこの課題にどう対処してきたかを概観した後、福音によって生きるわたしたちは、福音の立場から宗教をどう位置づけ理解するべきかを探求したいと思います。この課題はあまりにも大きくて、一つの著作の中の一章で扱い切れるものではありませんが、一つの試論として、その方向だけでも見ることができればと願い、模索してみたいと思います。

 


      第一節 『キリスト教の絶対性と宗教史』 ― トレルチ


宗教史学派

 前章「宗教とは何か」で見たように、一九世紀から二〇世紀にかけての欧米のキリスト教界では、人類の宗教的な営みについての知見が大いに広がり、かつ理解が深まります。そこで見たように、このような宗教に関する理解の深まりを先導したのは、キリスト教の神学者たちでした。宗教学は神学者たちによって形成されてきましたが、宗教学は神学と違ってキリスト教信仰を前提としないで、宗教という現象を客観的・学術的に研究する人文科学または社会科学の一部門であることを標榜してきました。しかし、宗教という事柄の性質上、対象とする宗教への何らかの主体的な共感とかコミットメント(信仰)なしに宗教を理解することはできないということから、その客観性は常に問題にされてきました。事実、神学者が形成する宗教学は、キリスト教をすべての宗教が収斂すべき究極の宗教と見る傾向は避けられませんでした。

 一方神学の方でも、その中に宗教史という内容を含むようになって、神学の方法と方向が影響を受けることは避けられませんでした。すでに近代神学の父と呼ばれるシュライエルマッハーは『宗教論』を著し(一七九九年)、宗教を「絶対依存の感情」とし、キリスト教も一つの宗教としてその信仰をこの立場から理解すべきことを説いていました。彼はその宗教理解によってそれぞれの宗教をその宗教自身によって理解する道を開き、一九世紀の宗教学の進展に門戸を開きました。これも前章で見たように、一九世紀にはヨーロッパの宗教学は大いに進展し、マックス・ミューラーの業績に見られるように、ヨーロッパの神学界と思想界は世界の諸宗教、とくに東洋の宗教に触れて衝撃と刺激を受けます。二〇世紀に入る頃、ハルナックはキリスト教こそ宗教そのものであるとして、他の諸宗教の研究は神学にとって必要なしとして、神学部に宗教学の講座を設置することに反対しました。しかし宗教学の進展の流れには抗しきれず、ドイツの大学の神学部にも次々に宗教史の講座が開かれるようになります(ドイツでは宗教学は宗教史と呼ばれれています)。このような流れの中で、ドイツのプロテスタント神学者の中に、キリスト教の成立を周囲の古代宗教の文脈の中で理解し、その神学を宗教史的方法で進める神学運動が起こります。このような傾向の神学は「宗教史学派」と呼ばれています。この宗教史学派については、「世界宗教大事典」(平凡社)に簡潔で的確にまとめた項がありますので、それを引用させていただいて、その学派の紹介とします。

  宗教史学派
   一八八〇年代の終りに、古代キリスト教を宗教史的方法によって解明しようとしてドイツの一群のプロテスタント神学者が始めた学問的運動とそのサークル。代表者は年長順に、アイヒホルン、ヴレーデ、ライツェンシュタイン、グンケル、ブセット、トレルチなど。彼らは宗教への内的共感から宗教の生きた発展の姿をとらえようとする宗教史的方法をとくに原始キリスト教に適用し、その祭儀や思想の奥にある霊的・内的敬虔としての宗教性が周辺の世界の宗教に連なることを文献学的に究明しようとした。それによって原始キリスト教はヘレニズム宗教史に位置づけられ、その構成要素の起源は東方にまでさかのぼって求められた(ライツェンシュタイン、ブセット)。グンケルは聖書文献の成立史を文学的・類型的に研究する方法を開発した。またトレルチは宗教史的方法の学問的基礎づけに努力した。この学派が提起した、イエスとパウロとの関係、原始キリスト教の起源(ヘレニズム起源かユダヤ起源か)、キリスト教の絶対性などの問題は、キリスト教神学の根幹にふれる重大な問題として大きな議論を呼び、教会史家ホルや弁証法神学者バルトなどの激しい批判を招いた。その全盛期は一九二〇年代で終わったが、ブルトマンらの次代の新約学者に大きな影響を与えた。グノーシスを含む広範な実証的・宗教史的研究の成果とともに、その根本的な問題提起は今日もなお意義を失っていない。(水垣 渉)
                                                                                                             
 ここにも言われているように、この神学運動はその後に起こった弁証法神学や実存主義神学の大きなかけ声にかき消され影が薄くなりましたが、神学は宗教史を内に含んでいなければならないとする理解は、二〇世紀神学の大きな底流となっていきます。前章であげたオットー、ゼーデルブロム、レーウのような神学者にして宗教学者である人たちはこの底流を噴出させた人たちであり、その確信はゼーデルブロムの次の言葉に代表されています。彼は死の床でこう言ったと伝えられています。「神が生きておられることを私は知っている。私はそのことを宗教史によって証明することができる」。

 ここは宗教史学派の神学を叙述する場所ではないので、本書の主題に関してこの学派から出された重要な問題点を一つに絞って取り上げておきます。それはトレルチが提出した「キリスト教の絶対性と宗教史」の問題です。


トレルチの『キリスト教の絶対性と宗教史』

 ヨーロッパのキリスト教は、中世以来自分が形成したキリスト教文化園での唯一の宗教として、他の宗教と比較して自分の価値を主張する必要はなく、キリスト教の絶対性については何の問題もありませんでした。宗教改革はキリスト教の内部で、キリスト教の解釈や教会の在り方に激しい論争を巻き起こしましたが、キリスト教の絶対性の前提は変わることはありませんでした。ところが近代に入って、キリスト教は世界伝道の過程で自分以外の諸宗教の現実に直面し、同時に近代の啓蒙主義の合理性の立場から、自己自身の本質を反省的に自覚する必要に迫られます。そのような状況の中で出されたハルナックの主張、すなわちキリスト教は唯一の真の宗教であるから神学にとって諸宗教を研究する宗教史は不要であるとの主張に対して、その翌年に宗教史学派から抗議の声があがります。それがトレルチの『キリスト教の絶対性と宗教史』(一九〇二年)です。この書は、キリスト教の絶対性の前提の上に安住していたヨーロッパのキリスト教界に波紋を呼び、神学においても深刻な議論を巻き起こします。

 トレルチはこの書において、これまでキリスト教の絶対妥当性の根拠とされてきた論拠が、歴史的宗教としてのキリスト教には適用できないことを論証します。まず復活を含む奇蹟による論証は、宗教史は他の諸宗教も奇蹟を主張していることを明らかにしていて、近代歴史学の立場からは否定されるとします。次に近代的な歴史進化論による論証(たとえばヘーゲル)も否定されます。それは人類史の全体から一つの普遍的な宗教概念が抽出され、それを規範として諸宗教における実現の程度が計られ、キリスト教においてその実現が最高の段階まで達しているから、キリスト教が絶対宗教であるとする進化論的な絶対性です。このような進化論的絶対性の主張に対してトレルチは、1 宗教史は反復できない個別事例について語るだけで、宗教史の中に普遍概念を求めることはできない、2 一つの宗教は他の宗教と関連性があり、普遍概念が一つの宗教に実現するとは言い得ない。また普遍概念が一つの宗教において実現するとしても、歴史的発展の途中でそれを言うことはできない。3 キリスト教は他の諸宗教と同じく、その発生と展開において歴史的諸条件に制約されている歴史的現象である。歴史的とは相対的ということであり、歴史的宗教が絶対的宗教であるとは言えない、4 発展概念で人類の歴史をすべて説明することはできない、などの理由をあげて否定します。

 しかしトレルチは、このように歴史的宗教としてのキリスト教の絶対性を否定することはキリスト教の価値を貶めることではなく、キリスト教が持つ最高の妥当性について語ることはできるとします。人類が宗教史において示してきた諸価値の中で重要性と永続性をもつものは多くはなく、民族の枠を超えて高次の精神的世界に導く普遍的な宗教、いわゆる「世界宗教」の中で最終的に考慮すべきものは、インドの宗教、とくに仏教と、預言者的な宗教、とくにキリスト教だけだとします。その二つの宗教で二者択一を迫られるならば、人格主義的な宗教性のもっとも強力で集中的な啓示であるキリスト教を選ばざるを得ないとしています。

 選び取る決断は個人的・主体的確信ですが、それは恣意的なものではなく、宗教史が示す諸宗教が生み出した価値の比較によってなされるとされます。その比較の結果、キリスト教が諸宗教の努力と志向の総括をなしているとされ、キリスト教が宗教的発展の頂点または収斂点とされます。しかし現在はそれに至る途中であり、「今までのところ頂点」ということになります。歴史の中に絶対を求めることは幻想であり、絶対は歴史を超えた神の中にのみ求めるべきものであり、根源的神秘と人間の魂との出会いの体験から生まれる素朴な絶対性主張(イエスに見られるような)で十分とされます。

 トレルチはこの書の最後の章「キリスト教はその教会的=歴史的形態から分離可能であること」の冒頭で、それまでの議論を総括して以下のような結論を述べています。

 「キリスト教は、これまでのあらゆる宗教の最高点であり、また将来のあらゆる強力明晰な宗教心の基盤であり、前提であり、同時にまた、われわれの歴史的視界が及ぶ限りでは、キリスト教の歴史的基礎から離されてほかの基礎の上に移されるような蓋然性をなに一つもたない。これがこれまでの考察の結論である。この考察は歴史的相対的なものをすべて考慮の内にいれ、しかも同時にまた、神との交わりと救いの確かさを求める宗教的要求をも満足させる」。

 この結論は、教会の自己理解と対立するとして、キリスト教を教会的=歴史的形態から切り離すことができるかという核心的問題に導くとします。わたしは、この問題提起の仕方には用語の混乱から来る概念の混乱があると思います。おそらく著者はキリスト者の信仰(キリスト信仰)は教会的=歴史的形態のキリスト教宗教から切り離すことができるかと問い、それはできることを論証したいのだと思います。ところが、そのキリスト教から切り離されるキリスト者の信仰が「キリスト教」と訳されると、そもそもキリスト教という宗教はキリスト者の信仰の教会的=歴史的形態なのですから、この問題提起は、「キリスト教をキリスト教から切り離すことができるか」という、意味を成さない文になります(この用語の混乱の問題については、第四節でクレーマーを扱うときに取り上げる予定です)。事実、トレルチはこの議論において「素朴な絶対性」という表現を繰り返し用いて、教会的=歴史的形態のキリスト教の絶対性主張と切り離し対立させています。トレルチは歴史主義者であり、歴史的なものは相対的であることを熟知しています。それで歴史的形態の一宗教であるキリスト教は相対的であり、絶対性を主張できないことを十分理解しています。それでもなおキリスト者の確信を基礎づけるために、教会的=歴史的形態のキリスト教から切り離された「素朴な絶対性」を持ち出します。

 トレルチの「素朴な絶対性」の議論には多くの共感できるところがありますが、その内容については問題が感じられます。トレルチはある宗教の草創期の燃える情熱の中に見られる絶対性の確信を「素朴な絶対性」として、キリスト教の場合はイエスにその「素朴な絶対性」を見ています。「イエスが最も高く最も深いことを最も簡潔に述べるときのあのおどろくべき素朴さ、またこのことを自己の父による派遣の信仰に最も簡潔に結びつける時の素朴さである」と言って、このイエスの素朴な偉大さ、広さ、自由こそイエスの力であるとして、「このイエスの力をわれわれは良心をもって最高の宗教力とみなし、深い畏敬の念と情熱をもって、これにわれわれ自身をゆだねてもよいであろう」と言っています。たしかにその通りです。しかし問題は、「素朴な絶対性」をイエスにだけ認めて、パウロ以下の最初期の福音告知については何も語らず、むしろそれをキリスト教の教会的=歴史的形態の中に含めて、原初の「素朴な絶対性」から除外しているように見えることです。おそらくこれは当時の「パウロからイエスへ」というスローガンに見られる神学的傾向の表れでしょう。パウロに代表される原始の福音告知にも、草創期の情熱から出る「素朴な絶対性」は十分に現れており、これを除外することは不適切です。この除外は、イエスにもパウロを初めとする使徒たちにも同じ聖霊が働いて、同じ質の福音を告知させているという、聖霊の現実についての認識が欠けているからではないかと考えられます。もし草創期の「素朴な絶対性」を言うのであれば、最初期の福音運動における聖霊による絶対性の確信から出発すべきではないかと考えます。

 トレルチを待つまでもなく、もともと宗教における絶対性とは霊的体験に基づく個人的・主体的確信の問題ですが、ヨーロッパのキリスト教が無反省に歴史的宗教の一つである自己を絶対化していたことに対して、宗教史の立場から反省を迫り、キリスト教の絶対性や他の宗教に対する優越性を証明することは不可能であることを神学的に論証したことはトレルチの功績でしょう。しかし、このように絶対性の主張が主体的・告白的性格のものであることを認めながら、なおトレルチはキリスト教の絶対性主張の妥当性を客観的に論証しようとして諸宗教の価値の比較をしていますが、そのさいに西欧の人格主義が東洋の非人格主義よりも優れているとするなど、論証できない価値観を前提にしていることが批判されています。
 
       トレルチは、最後にはベルリン大学の哲学教授として活躍する人物ですから、その著作は哲学の用語や議論に貫かれていて、哲学の素養のない一般読者には難解です。ここでは理解できる範囲でその要旨をまとめ、その批判を試みてみました。トレルチはこの「キリスト教の絶対性」の問題に生涯をかけて取り組み、この書以降は、宗教哲学的立場から、さらに歴史哲学的立場から考察を進めていきます。その過程については、大林浩『トレルチと現代神学 ― 歴史主義的神学とその現代的意義』(日本基督教団出版局、神学双書4)が詳しく追跡しています。なお、トレルチのもう一つの代表作とされる『キリスト教会と諸派の社会教説』の、第二章「中世カトリシズム」と第三章「プロテスタンティズム」を除いた、序言、序論、第一章「古代教会における諸基盤」の邦訳が、『古代キリスト教会の社会教説』(高野晃兆・帆苅猛訳)という書名で出ています。ご参考までに。

 そのトレルチが晩年に出した『世界諸宗教におけるキリスト教の位置』(一九二四年、生前の講演草稿の死後出版)においては、キリスト教がヨーロッパ文明と密着した宗教であるという認識が深まり、ヨーロッパ世界では当分妥当性を維持するであろうが、非ヨーロッパ世界での妥当性には懐疑的になっており、キリスト教の絶対性についてさらに相対主義な見解になっていた、と言われています。そもそもキリスト教という歴史的宗教は世界諸宗教の中の一つなのですから、諸宗教を比較して(=宗教史的方法で)その絶対性を主張することはできません。トレルチ自身が言うように諸宗教を比較する基準となる普遍的宗教概念はないのですし、価値を計る基準もないのですから。本書『福音と宗教』は、その第一部で「世界諸宗教における福音(あるいはキリスト信仰)の位置」を探ろうとしています。キリスト教もその世界諸宗教に含まれます。福音、あるいはそれが人間において受容された姿であるキリスト信仰は、宗教とは次元の違う現実です。福音とキリスト教は直ちに同じであるのではありません。その違いを明らかにして、ヨーロッパの神学界に突きつけたのが、次節で取り上げるバルトではないかと思います。

         「福音」と「キリスト信仰」という表現の関係については、拙著『福音の史的展開T』の42〜43頁を参照してください。

   


     前節に戻る        次節に進む  

 「福音と宗教」 目次に戻る   総目次に戻る