福 音 と 宗 教 9 


    第二章 宗教の神学   

                      


       第三節 「成人した世界」 ― ボンヘッファーにおける宗教


ボンヘッファーの生涯

    ディートリヒ・ボンヘッファー(1906-1945)はドイツのルター派教会の牧師にして神学者です。若き日に神学を志し、二一歳で神学博士の学位をとっています。アメリカのユニオン神学校にも短期間ですが留学し、エキュメニカルな視野と人脈を広げています。帰国後、二五歳でベルリン大学で組織神学の講義を担当するようになっています。バルトの神学に深く共鳴してその路線に立ち、バルトよりは二〇歳歳下ですが、ヒトラーの時代に教会闘争を共に戦った同時代人です。ヒトラーが政権をとった一九三三年に「教会とユダヤ人問題」という講演をして、ドイツにおけるユダヤ人の市民的権利を、神学的な立場から擁護し、教会に行動を促しています。ボンヘッファーはナチズムの誤った疑似宗教的性格に対する神学的批判から、政治的な批判と抵抗へと進んでいくことになります。

 ボンヘッファーは一九三三年秋にロンドンにあるドイツ人教会の牧師として赴任し、翌年に開かれたバルメン教会会議には出席していませんでしたが、バルトが起草したバルメン宣言の六つのテーゼを支持し、告白教会こそドイツの正当な教会であることを、英国をはじめ欧米諸国の教会に認知させようとして奔走しています。一九三五年にドイツに帰国して以来、五年にわたって牧師研修所の指導にあたります。この研修所はやがて国家秘密警察(ゲシュタポ)の手によって閉鎖されますが、その後は非合法な地下活動として続けられます。この年月は神学的思索と著作には実り多き恵まれた期間となり、ボンヘッファー神学の重要な主題がまとめられて著作となり、あるいは草案として残されたり、後に獄中書簡の断片として世に知られることになります。

 一九三九年の九月についに第二次大戦が始まりますが、その直前の六月にボンヘッファーはアメリカからの招聘に応えてニューヨークに渡ります。牧師に求められたヒトラーへの忠誠宣誓の拒否とか兵役拒否など告白教会を揺るがせていた問題に直面して、自身死を覚悟しなければならない兵役拒否ですが、そのため告白教会がさらに窮地に陥るのを避けるためにアメリカに渡る決心をします。しかし、渡米の船中でその決意が間違っていたのではないかと悩み、「私がアメリカに来たのは間違いでした。私は、わたしたちの国の歴史の困難な時期をドイツのキリスト者たちとともに生きなければなりません。もし私がこの時代の試練を同胞と分かちあうのでなければ、私は、戦後のドイツにおけるキリスト教的生活の再建にあずかる権利をもたなくなるでしょう」という手紙をアメリカの友人に送って、すぐにドイツに帰ります。

 開戦の翌年に、ボンヘッファーは教会闘争の戦列からさらに一歩を踏み出して、ヒトラーに対する反乱計画に直接参加する決意をします。すでにドイツ国防軍諜報部の内部にヒトラー政権を倒す抵抗運動がありました。それを個人的ルートで知ったボンヘッファーは、国防軍諜報部の対外連絡員として勤務し、連合国側にこの抵抗運動の存在を伝え、ヒトラー打倒後の和平や戦後の秩序について理解を求めるために活動します。しかし、一九四三年四月に当局に探知されて逮捕され、テーゲルの軍用刑務所に収監され、一年以上未決囚として裁判を待つ身となります。やがて軍部のクーデタ計画は失敗し、関連した者は逮捕され処刑されていきます。ボンヘッファーもゲシュタポの地下牢に移され、厳しい取り調べを受けることになります。しかし、囚人として拘束されている状況においても、ボンヘッファーは周囲の同囚の人たちや、監視の兵士までにも魂の牧者としての働きをして信頼され、それが獄中で書いた草稿や断片を外部の同志に伝えることを可能にし、ボンヘッファーの獄中の思索が断片の形ながら後世にに伝えられることになります。そして、ドイツの敗戦が迫る一九四五年の初頭、ボンヘッファーは各地の強制収容所に転々と移され、ついに四月九日に処刑されるに至ります。こうしてボンヘッファーは、ヒトラーが支配したドイツの苦難の時代にキリストの御名を告白するために命を投げ出した殉教者の一人となります。


ボンヘッファーの神学

 このようにナチ支配下の厳しい教会闘争の中で営まれた神学は、書斎の中の理論に終わらず、極めて実践的な性格をもつことになります。しかし一方、ボンヘッファーは大学の神学部教授であり、その神学的著作は高度な理論的構成と表現をもっているので、それを読みこなすことは一般の生活者には困難な仕事です。ここではボンヘッファー神学のキーワードに注目して、彼がこの時代のキリスト教世界に問いかけ訴えた主題を取り上げて紹介するにとどめます。そのキーワードというのは、ボンヘッファーの忠実な同労者であり、伝記作者であり、彼の多くの著作の編集者であったベートゲがあげた次の三つ、1「高価な恵み」、2「究極的なもの」、3「成人した世界」です。「言葉の名人芸」と評されるように、ボンヘッファーはこれらの簡潔に定式化された表現で、その思想の根幹を世界に訴えています。1と2はボンヘッファー神学の基本的な神学思想の紹介として本項で簡潔に取り上げ、3は本書の主題である宗教にかかわるものであるので、項を改め次項でやや詳しく扱います。

「高価な恵み」 
  これは「安価な恵み」と一対のキーワードとして、牧師研修所での講義案をまとめた著作である『ナッハフォルゲ』の内容を要約しています。「ナッハフォルゲ」というドイツ語の書名は「後ろについていく、後に従う」という意味の語で、邦訳では「服従」とか「キリストに従う」(新教出版社版ボンヘッファー選集3)となっています。この書の第一部「恵みと服従」のT「高価な恵みと服従」において、ボンヘッファーはまず「安価な恵み」と「高価な恵み」を対比して、ルター派教会の信仰義認の教理がすっかり観念化して、教説・原理・体系としての恵みとなり、一般的真理としての罪の赦しになってしまっていることを厳しく批判します。この服従を伴わない原理としての罪の赦しの恵みが「安価な恵み」であり、それに対してそれを受ける者を服従に招く恵みこそが「高価な恵み」とされます。「高価な恵み」は畑に隠された宝であり、それを得るために人は自分の持ち物を全部進んで売り払い、イエスに従います。イエスは弟子たちに「わたしについてきなさい」と言って招かれました。弟子たちはそれを聞いて直ちに一切を捨てて従っていきました。その姿からボンヘッファーは、「自分の持っていたものをすべて放棄してイエスに対する服従に生きる者のみが、ただ恵みによって義とされると言うことが許される。彼は、服従への招き自身を恵みとして知り、また恵みをこの招きとして知る」と言います。さらに直ちにイエスに従った弟子たちの行動から、ボンヘッファーは、服従するとは決然たる歩みを始めることであり、この一歩と共に服従する者は信じることが可能になるとして、次の有名な命題、「信じる者だけが従順であり、従順な者だけが信じる」を掲げます。

 続いてU「山上の説教」で、マタイ福音書の五章から七章のイエスの言葉を、この高価な恵みの視点から、すなわち服従に招く恵みの視点から読み解いていきます。これまでのルター派教会の神学では、山上の説教は人間に不可能な生き方を要求することで罪を自覚させ、信仰による義へと導くためのものだという解釈がしばしば行われていましたが、ボンヘッファーはそのような解釈を「安価な恵み」から出るものと厳しく批判し、まさにイエスが歩んでおられる十字架の道を歩むように弟子たちを招くものであり、その服従への招きを恵みとして語っておられるのだとします。そしてV「使者」でのマタイ福音書一〇章の派遣説教の講解でも、イエスによって世界に遣わされる使者としての使命を、委託者であるイエス・キリストへの服従の観点から説き勧めています。さらに、第二部「イエス・キリストの教会と服従」において、現実の見える教会こそキリストの体であり、そこにイエス・キリストは現臨して服従に招いておられるのだから、説教を聞き礼典を受けて、そこでキリストに出会って服従するように説いています。ボンヘッファーの「ナッハフォルゲ」は、どの頁にも「人に従うより神に従う」ことによって彼の時代の教会の危機的状況を打破しようとする激しい意志と、この世界に対するキリスト者としての強い責任感が滲み出ているのを感じ、厳粛な思いになります。

 「恵みと信従(ナツハフォルゲ)」はどのような関係にあるのかという問題は、用語の問題ではなく、キリスト信仰の中身の問題です。この問題は、神の在り方・働きと人間の姿勢・行為の関係の問題です。神の命令と人間の服従の問題ではありません。恵みとか恩恵は、絶対的に(=相手の価値とか資格に関わりなく)無条件によいものを与えてくださる神の本性とか働きを指しています。その恵みを無条件に、すなわち自分の価値をまったく主張することなく受け取る人間の姿が信仰です。神はこの恵みをキリストによって与えてくださいました。キリストが神の恵みの本体です。このキリストに自分の全存在を投げ込んで生きる姿が信仰(キリスト信仰)ですが、この「キリストにあって」という場で神は無条件に「よいもの」すなわち聖霊を与えてくださいます。わたしたちがキリストに従うのはこの聖霊の働きによって生きる結果です。パウロは「キリストにある」者の生き方を説くとき、山上の説教などイエスの教えを引用して、その言葉に服従するように説いたのではなく、「御霊に従って生きよ」と説きました(ガラテヤ五・一六)。そうすることが同じ霊にょって歩まれたイエスの後についていくことになるのです。山上の説教は命令ではなく、御霊の世界に歩まれたイエスの告白、恵みの世界の告知です。御霊こそ恵みと信従の両方の中身です。この共通の中身である御霊の現実を欠く信仰は、両方が分離してしまいます。ボンヘッファーはこの分離を克服しようとして、両者が一致するキリスト信仰の姿を「高価な恵み」、ナッハフォルゲと一体の恵みとして説きました。それは既に新約聖書、とくにパウロが説いた「信仰の従順」の道、聖霊を受け、聖霊に従う道です。

「究極的なもの」 
  
これは「究極以前のもの」と一対の表現で、『倫理』の時期の神学思想を指すキーワードです。『ナッハフォルゲ』と並んでボンヘッファーの代表作の一つとなる『倫理』は、ボンヘッファーが告白教会内の抵抗運動から一歩踏み出し、国防軍情報部の一員として諸外国に渡り和平工作を進めていた時期(一九四〇〜一九四三年)に各地で書いた草稿を、その没後にベートゲが編集して出版したものです。この時期のボンヘッファーの思索は、キリストに従うというキリスト者の生き方はこの世界においてどのような形をとるのかという「倫理」の問題に集中していたようで、彼はこの書を自分の主著としてその構想を練っていたようです。しかし、この書も未完のままに終わりました。没後に編集された本書は『ボンヘッファー選集』(新教出版社)の第五巻『現代キリスト教倫理』(森野善右衛門訳)として邦訳されています。

 この書の最初でボンヘッファーは「この人を見よ」と叫んでいます。それは、「この人」イエス・キリストこそ人となりたもうた神にほかならず、この人こそ人間の倫理の根底であるからです。そして、この十字架されたイエス・キリストにおいて成し遂げられた「罪人の義認」の出来事こそ「究極的なもの」であり、すべてのキリスト教的生の根源と本質であるとします。さらに、ガラテヤ書二章二〇節を引用して、キリスト教的生とはキリストの生そのものであることを強調しています。ボンヘッファーは、この恵みによる罪人の義認の出来事が「究極的なもの」であるということには二重の意味があるとします。一つは質的・内容的にこれを超える、これ以上の御言葉は存在しないということです。この究極の言葉・出来事はそれ以外のすべてを断罪破却します。第二に時間的に、「究極的なもの」はそれ以前のしばらくの時を前提にして、その時の終わりに出現するもの、それ以前のものを成就するのではなく破却するものとして現れるとされます。ボンヘッファーのいう「究極以前のもの」とは、新約聖書がいう「この世」に近いものと理解して読んでもよいものでしょう。

 その「究極以前のもの」も人間の現実である以上、「究極的なもの」によって生きるキリスト者もそれと関わらなくてはなりません。この関わり方に二つのタイプがあるとして、ボンヘッファーは「急進主義」と「妥協」をあげます。急進主義は、ただ究極的なものだけに目を注ぎ、究極以前のものとはただ断絶だけを見ます。それは既存のものに対する憎悪、創造に対する憎悪から出ています。この世界に由来するものは滅び行く。ここでは神の究極的な恵みの言葉は、すべての抵抗を破砕する冷酷な律法になります。一方、妥協においては、究極の御言葉は究極以前のものから分離され、究極以前のものは自分自身の中に存在の権利をもち、究極のものによって脅かされることはなく、この世界に対する責任おいて処理されなければならないとされます。急進主義と妥協の両者は、同様に極端であり、同様に真理と誤謬を含んでいるとして、ボンヘッファーは解決の道としてイエス・キリストを指し示します。イエス・キリストが人間であることは、神がこの被造世界の現実に入りたまい、我々が人間であることを許されていることを示してます。十字架につけられた方としてのイエス・キリストは、神が堕落した被造世界に対して決定的な判決を宣言しておられることを示しています。しかし同時に、この裁きにひれ伏す究極以前のものを受け入れる恵みを指し示しています。そして、復活されたイエス・キリストは、神が死に対して終わりを告げ、新しい命を贈り給うことを意味します。キリスト教的生活とは、受肉の力によって人間であることであり、十字架の力によって裁かれ赦されることであり、復活の力により新しい生活を生きることである、とされます。そして結論として、「キリスト教的生活は、究極以前のものの破壊でもなく、聖化でもなく、キリストにおいて神の現実がこの世の現実に出会い、われわれはこの現実の出会いにあずかることが許されるのだ」と述べています。

 「究極的なもの」に生きるキリスト者が「究極以前のもの」と関わる関わり方は、「道備え」という視点から考察されます。ボンヘッファーは、究極的なものから見て究極以前のものとして「人間であること」と「善くあること」の二つをあげています。 人間が道具や機械となっているところでは究極的なものは到来できません。飢えている人にパンを与え、拘束されている者に自由を与えなければ、究極的なものをもたらす御言葉が受け容れられることは、不可能とは言えないとしても極めて困難になります。人間であることと善くあることが実現するように努めることが「道備え」となります。しかし、最後の道備えは人間がすることではなく、主ご自身の働きであることを、ボンヘッファーはよく知っています。神はキリストの前に洗礼者ヨハネを遣わして道備えをされましたが、キリストご自身も悔い改め、すなわち恵みを受け容れるへりくだりという道備えをされました。

 ボンヘッファーはこの観点から、神学的には「恩寵と自然」という対立の図式で、恵みの光輝の前で罪という夜陰の中に没してしまいがちな「自然的なもの」を福音に基づいて回復しなければならないとして、「神によってこの堕落した世界の中で保持されている生活の形」である「自然的なもの」について具体的に考察を進めていきます。ここでその具体的内容に触れることはできませんが、自然的生活、身体的生活の権利、自殺、生殖と生まれ出る生命、身体的生活の自由、精神的生活の自然的権利、などの項目名を見るだけでも、彼がいかに真剣にこの世界での倫理問題(特にナチ支配下の人権侵害)を考えているかが解ります。このような議論によって ボンヘッファーは自然的(生得的)人権を神学的に基礎づけているといえます。

  ボンヘッファーは「究極的なもの」(die Letzten 最後のもの)という呼び方で福音がもたらす終末的な現実(ボンヘッファーはその中心に恵みによる罪人の義認を置いています)を指し、その現実との関わりの視点から、この世界の中での人間の生き方や行為の問題、責任の問題など、すなわち倫理の問題を考察しました。この視点が宗教(彼の場合はキリスト教)に及ぶとき、宗教を卒業した世界を見ることになります。続く獄中書簡の時期に「成人した世界」という思想が出てきますが、それは突然出てくるのではなく、「究極的なもの」の延長上にある思想と見ることができます。


成人した世界

 第三のキーワード「成人した世界」は、ボンヘッファーの獄中からの手紙に現れるようになります。一九四三年の四月に逮捕されたボンヘッファーは一九四四年九月までの一年半ほどの期間、テーゲルの国防軍刑務所に収監され、延引される公判を待つ身ととなります。この期間はかなり神学的思索に集中し、それを手紙や草稿にして外の友人に伝えることができた状況でした。その時の獄中からの手紙や草稿には、それ以前のボンヘッファーを知る友人たちを驚かすような新しい姿のボンヘッファーが現れています。その時期の思索を、獄中からの手紙や草稿の主な受取手であり、後にボンヘッファーの草稿を編集して出版することになるベートゲの叙述に従って見ることにします。

 ボンヘッファーは獄中からの手紙の中で、その時期の思索のテーマを「キリストと成人した世界」というキャチフレーズで示し、さらにそれを「僕のテーマは、成人した世界をイエス・キリストによって要求することだ」と述べています。このテーマが語られるようになる少し前の手紙で、ボンヘッファーは「ある書物の草案」と題された短いメモで、この書の骨組みとなる三つの章の内容を漏らしています。それは、1 キリスト教の総点検、2 キリスト教信仰とはそもそも何か、3 いくつかの結論、の三章です。この書物の内容は手紙の中で議論され、ほぼその内容は断片的に伝えられていますが、ボンヘッファー自身がまとめ始めたとみられる原稿はその後の情勢の変化の中で失われ、世に出ることはありませんでした。ベートゲは獄中からの手紙の神学思想を、この「ある書物の草案」の三章の構成に従って、次の三つの項にまとめています。

 1 「成人した世界」(第一章 総点検)
 成人性の概念は獄中書簡の時期になってはじめて現れます。それまでボンヘッファーは、人間が自己の責任で営む生の領域を語るときは「自律性」という語を用いていましたが、この時期にいたって「《神》という後見人」からの解放を語るようになります。この文の神にはいつも引用括弧がつけられています。これは、後見人としての神は福音や神学の神ではなく、宗教が神と呼んでいる神であるからです。「《神》という後見人」という表現は、律法(ユダヤ教)や異教の神々の宗教を「養育係」とか「後見人」と呼び、「信仰(キリスト信仰)が現れたので、もはやわたしたちは養育係の下にはいません」と語ったパウロの比喩(ガラテヤ三・二三〜四・七)を用いていると考えられます(しかるに、ベートゲの解説では、「未成人性とは、ほかの人の導きなしでは自分自身の悟性を用いることができない人のことである」というカントの啓蒙についての定義は引用されていますが、パウロのガラテヤ書が言及されていないのは奇異に感じられます)。ボンヘッファーはこの時期の手紙で、「・・・・神は、われわれが神なしに生活を処理できるものとして生きなければならないということを、われわれに知らしめたもう。・・・・神の前で、神と共に、神なしにわれわれは生きる」とか、「成人した世界は、神なき世界であり、そしてそのゆえに恐らくまさに、未成人の世界よりも神により近いであろう」と言ってます。このような発言の中で、「神なしで」という場合の神は宗教の《神》を指しており、成人した世界とは宗教を卒業した世界であることに留意しなければなりません。

 2 「非宗教的解釈」(第二章 この世的信仰)
 ボンヘッファーは獄中の神学的思索を「成人した世界における聖書的諸概念の非宗教的解釈」の試みであるとも言っています。後見人としての神を不要とし、宗教を卒業した「成人した世界」においては、キリストの現在(プレゼンツ)は非宗教的に経験されなければならないし、福音は非宗教的に理解され告知されなければならないとして、「この世的解釈」、「非宗教的にキリスト者であること」、「宗教なしに生きる」というような言い方をするようになります。

 ボンヘッファーが「宗教」と言うときは、バルトと同じく、欧米の社会と文化の根底をなしているキリスト教のことを考えています。ボンヘッファーは獄中書簡でもバルトを賞賛し、「バルトは宗教批判を始めた最初の神学者である。これは今でも彼の偉大な功績である」と書いています。ボンヘッファーもバルトと同じく、宗教を不信仰として信仰の対極に置き、その方向で思考しています。ただバルトはその方向を徹底せず、始めたことをやり抜かなかったと判断しています。ボンヘッファーにとって 宗教はもはや人間に永遠に随伴する基本的な状態ではなく、一つの歴史的な、過ぎ去るべき、したがって恐らく再び戻ってくることのない「西欧的」現象と見えていたようです。この点でボンヘッファーは、トレルチが晩年の『世界諸宗教におけるキリスト教の位置』(一九二四年、生前の講演草稿の死後出版)で予感していたこと(本書105頁)を明言するに至った神学者であると言えるでしょう。

 ボンヘッファーの宗教概念のメルクマール(標識)あるいは本質的特徴としてベートゲは次の七つをあげています。@形而上学(人間の理解や経験を超えた世界を扱う)、A個人主義(個人的、内面的な事態)、B部分性(信仰は人間生活の全体を含む行為であるのに対して、宗教的行為はつねに部分的)、C機械仕掛けの神(人間の困窮の場面だけに現れる神を提供)、D特権(宗教は本質的に選別する標識となる)、E後見役(成人していない人間の後見役)、Fなくてもすますことができるもの(宗教の西洋的形態は過去の時代の遺物)。ボンヘッファーは、以上の七つの特徴すべてにおいて、イエスの現臨(プレゼンツ)が欠けているだけでなく、イエスの形姿(ゲシユタルト)が欠けていることを指摘し、「イエスは一つの新しい宗教に召したもうのではなく、(一つの新しい)生へと召したもうのである」と述べています。こうしてボンヘッファーの「非宗教的解釈」は解釈のプログラム以上のもの、倫理的な悔い改めの呼びかけとなります。

 3 「秘義保持の訓練」 (第三章 教会の形態のためのいくつかの帰結)
 ボンヘッファーのいう「秘義」とは、「この地上において神の苦難にあずかること」ですが、その秘義を地上の生の中で保持していくための訓練の場としての教会について語っています。しかし、この「秘義保持の訓練」という句は獄中書簡に二回しか現れず、この主題に関してのボンヘッファーの発言は極めて断片的で、彼の教会論は未完のままに終わっています。しかし、この主題は「非宗教的解釈」というテーマの対極をなしていることは明らかです。成人した世界ではすべての聖書的概念は非宗教的に解釈されなければならないとするならば、「祭儀はどうなるのか」という問いを取り上げます。その問いは祭儀を廃棄するためではなく、真正の祭儀を保持するために問いかけられています。この世的解釈は、御言葉とサクラメントと教会を端的に愛の行為の中に解消するものではなく、教会をこの世における自己犠牲の道に訓練することによって、主体性を喪失することなく再獲得させるためです。この世の苦難と連帯することによってイエスの苦難にあずかり、「他者のための人間」となることが求められます。この世性と成人した世界における非宗教的解釈とは、秘義保持の訓練と結びつけて保持されなければならないとされています。その上でボンヘッファーは、戦後の教会の在り方についていくつかの提案をしていますが、十分考え抜かれたものではなく、未完の断片に終わっています。ボンヘッファーにとっては、成人した世界においてもキリスト教会のないドイツは考えられなかったことをうかがわせます。


世俗化と成人性 
 
 先に「第一章 宗教に関する理解の進展」の「結び 問題の所在」において、現代の宗教問題では「世俗化」の問題が不可避であり、極めて重大な問題になっていることをあげておきました。この問題に正面から取り組んだ神学者がボンヘッファーです。ただし、ボンヘッファーは「世俗化」という用語は避けて使いませんでした。それは「世俗化」という用語と概念には、人々の関心が宗教から離れていくことに対する宗教の側からの嘆きと批判の気持ち、世界がもっとも重要な事柄を失っていくという消極的評価が含まれているからです。ボンヘッファーは世俗化した世界を「成人した世界」と呼び、現代世界の関心がますます宗教から離れていく現実を、世界が成人した結果であると積極的に理解しました。現代の世界はもはや宗教の神、「後見人としての神」を必要としなくなった世界であるとして、それを「成人性」の概念で解明したのです。彼は「僕のテーマは、成人した世界をイエス・キリストによって要求することだ」と述べています。このボンヘッファーの「成人した世界」の思想が大戦後の神学思想に巨大な影響と波乱を引き起こすことになります。

 ここで現代の重大問題である世俗化の問題を、ボンヘッファーの路線で積極的に意義づけた代表的神学としてハーベイ・コックスの『世俗都市 ― 神学的展望における世俗化と都市化』(塩月賢太郎訳、新教出版社)を取り上げて検討しておきたいと思います。コックスがボンヘッファーの路線で思索していることは、コックスの次の文からも明らかです。コックスは現代人を世俗化し都会化した人間であり、プラグマティズムと現世主義に生きる人間であるとした上で、次のように述べています(同書100頁)。

   現代人を非世俗化し、非都会化し、彼からプラグマティズムと現世主義を奪い去ろうするいかなる試みも、深刻な誤りである。それは人間は福音を聞くことができる前に、まず「宗教的」にならなければならない、という誤った前提に立っている。この誤りに満ちた仮説を堅く拒絶し、このような考えはずっと以前に廃棄された、人はキリスト者になる前に、まずユダヤ人として割礼を受けなければならないという考えにあまりにも類似したものであることを、初めて明確に指摘したのは、ディートリッヒ・ボンヘッファーであった。彼は、われわれが世俗的な人間に対して、福音の非宗教的解釈を見出しさなければならないということを強く主張している。彼の言うことは正しい。

 コックスは「序論 世俗都市の新紀元」で、人類の文明の進展を、1 部族社会、2 ギリシアのポリスに代表される町の文明、3 現代のテクノポリスに代表される世俗都市文明、の時代の三段階に分け、3の段階に突入しつつある現代の文明史的意義を論じています。もともと文明( civilization )とは civilize (都市化する)という語からきているのですから、文明の質を都市の性質で区分するのは当を得たことでしょう。そして、クーランジュが指摘したように宗教的共同体であったギリシアのポリスと違い、もはや宗教的な象徴や活動を受け容れる余地のない世俗化したテクノポリスの出現によって、現代は文明の新時代に入りつつあると見ています。そして本論において、その世俗都市の形態としての匿名性や流動性、そのスタイルとしてのプラグマティズムと現世主義を分析し、そのような世俗都市で教会が果たすべき役割を論じています。それぞれ興味深く、真剣に耳を傾けなければならない問題です。しかし、ここではそのすべての議論を紹介することはできませんので、われわれにとって最も重要だと思われる第一章の「世俗化の聖書的根拠」だけをとりあげてておきます。

 コックスはこの章で、「世俗化」の意味を解明し、世俗化と硬化したイデオロギーである世俗主義を厳しく区別した上で、世俗主義は拒否すべきだが、世俗化は嘆くべきことではなく、聖書的神信仰の当然の帰結として積極的に受け容れるべきことを論じています。コックスは世俗化を三つの局面で考察し、それぞれが聖書的根拠に基づいていることを論じています。

 1 自然の魔術からの解放としての創造 未開社会や古代社会では、先に第一章で見たように、自然界は「聖なるもの」の顕現に満たされていて、それへの礼拝とかその力の利用(魔術)がかれらの生活のすべてでした。すなわち彼らの全生活が宗教でした。その中で聖書の創造信仰は、天地の万物を神の創造の結果と見ることで、自然の神聖性から人間を解放しました。たとえば、天体はもはや「聖なるもの」の顕現、人間を支配するものではなくなりました。この自然界の聖性とか魔術からの解放は、自然科学の発展の先行条件であり、現代の科学技術の上に成立するテクノポリスの先行条件となります。自然の魔術からの解放は世俗化の不可欠の要素となります。

 2 政治の非神聖化としての出エジプト 聖書の神ヤハウェは、稲妻や地震などの自然現象の中ではなく、エジプトからの解放という歴史的出来事を通して決定的に語った神です。神の働きの座として、自然ではなく歴史が現れてきます。わたしは先に出エジプトの出来事は宗教からの脱出であることを述べましたが、政治的・社会的に見ますと、それは古代では当然の祭政一致の体制からの脱出という先駆的事件であったわけです。イスラエルはエジプトから脱出して、政治権力の神聖視を拒否しました。初期のキリスト者たちも、皇帝のために祈ることはしても皇帝の祭壇で香を焚くことは拒否して、政治の非神聖化に重要な貢献をしました。彼らは世俗化の担い手であったとされます。

 3 価値の非聖別化としてのシナイ契約 現代の世俗人は、自分が世界を歴史的・社会的に制約され規定された特異な視点から見ていることを知っています。現代はすべての価値が相対化された時代です。以前は不安なくすべてを基礎づけていた究極の価値はもはやなくなりました。現代は「こわされた象徴の国」(ティリッヒ)です。すべての価値を「聖なるもの」として宗教的に見ていた部族の民から、現代のすべての価値を相対化して見る世俗化した現代に至る過程は、聖書のシナイ契約から始まる、とコックスは見ています。ここでシナイ契約というのはとくに、「わたしの他にいかなる神があってはならない、いかなる偶像も造ってはならない」という偶像禁止の戒律を指しています。この偶像禁止によってイスラエルの民にはヤハウェ以外の神々はありえなくなりました。そして、古代の人々には神々は価値体系と同じ意味をもっていましたから、この偶像禁止の命令は、人間が作り上げる一切の価値体系とその象徴の否定となりました。ただしコックスは、聖書は神々やその価値のリアリティーは否定せず、相対化しているのであって、「人の手によって造られたもの」を受け容れており、近代の社会科学の立場に近いとしています。イスラエルの偶像禁止の伝統はキリスト教においては聖像破壊の伝統に受け継がれ、聖書信仰の歴史を通じて見られる偶像と聖像に対する戦いは、建設的な相対主義への基盤を提供する、とコックスは述べています。歴史的相対主義は、世俗化の結果的所産であり、偶像や聖像に対する反対の非宗教的表現であり、それは創造主に対する信仰の必然的で論理的な帰結である、と論じられています。

 このように、コックスは聖書的信仰が世俗化を進める原動力であることを三つの局面で考察し論じてきました。コックスの『世俗都市』は、ボンヘッファーの「成人した世界における聖書的諸概念の非宗教的解釈」の一つの実例です。ボンヘッファー自身はこの主題を獄中書簡で断片的に提示しただけで、その思索を体系的にまとめることなく世を去りましたので、このような「非宗教的解釈」は他にも戦後の神学界に多く現れました。G・グティエレスの『解放の神学』、J・モルトマンの『希望の神学』、W・ハミルトンやT・アルタイザーらの「神の死の神学」などは、このボンヘッファーの流れを汲む神学です。ブルトマンの実存主義神学も、宗教的教理や伝統にではなく人間の実存的状況に基礎を置く神学として、この流れに属する神学と見る人もいます。

 ところで、ボンヘッファーの流れを汲むといわれるこれら現代神学の「成人した世界における聖書的諸概念の非宗教的解釈」は、はたしてパウロのガラテヤ書(三・二三〜二五)における「しかし今や、信仰(キリスト信仰)が現れたので、もはやわたしたちはこのような養育係の下にはいません」という成人性の信仰を正しく実現しているのでしょうか、それとも、たんに世俗化した現代世界を神学的に追認しているだけの理論でしょうか、検討しなければならない課題です。ボンヘッファーは「僕のテーマは、成人した世界をイエス・キリストによって要求することだ」述べています。はたして、これらの成人した世界における神学を標榜する神学が、聖霊の現実としてのキリスト信仰の結果として実現したものか、それとも聖霊の現実としてのキリスト信仰がないところで、現代世界の世俗性を正当化するための人間の思想にすぎないのでしょうか。このような問題を抱える世俗化の問題は、「宗教の神学」の重要な課題として、本章の最後の節で改めて取り上げることにします。
 なお、このような世俗化の進展とそれを積極的に評価して「非宗教的解釈」を進める神学を批判して、宗教の回復を唱える神学もあります。この傾向の一例としては、佐藤敏夫『宗教の喪失と回復 ― 運命としての世俗化とキリスト教』があります。この書は、世俗化した現代世界において宗教の領域の弱体化と喪失を嘆き、祭儀とそれに関わる聖職者と諸制度という媒体を通して神と間接的に関わる宗教の必要性を論じ、宗教の領域の回復を求めています。ここにも聴くべき多くの問題が扱われていますが、ここでは名前をあげるだけにとどめ、これも本章の最後の節で改めて取り上げることにします。


     前節に戻る        次節に進む  

 「福音と宗教」 目次に戻る   総目次に戻る