福 音 と 宗 教 8 


    第二章 宗教の神学   

                      



      第六節 「宗教の将来」 ― ティリッヒ (下)


世界諸宗教の出会いと対話

 ティリッヒは現代における宗教の多元化にも強い関心をもっており、在日中の講演でも「世界諸宗教の出会い」と題する講演をしています。その要約は前項で扱った『文化と宗教』という講演集にも収められています。しかしその講演は、問題の大きさに較べてわずか一回の講演でまとめていますので簡潔に過ぎ、問題の所在を示唆するにとどまるという印象を受けます。ティリッヒは日本での活動を終えてアメリカに帰国したあと、この問題にさらに本格的に取り組み、シカゴ大学でエリアーデと共同のセミナーをもって宗教問題に取り組みます。ティリッヒにとって日本での仏教や神道との出会いは、ドイツからアメリカに渡ったときに受けた衝撃と並ぶ、生涯の転換点となった、と自身で述懐しています。この時期のティリッヒの思想は、日本訪問二年後の一九六二年に出版された『キリスト教と世界諸宗教との出会い』によく示されていますので、この書によって現代の宗教問題に対するティリッヒの見方をまとめておきたいと思います。


 第一講は「現在状況の確認 ― 諸宗教、疑似宗教ならびにそれらとの出会い」と題されています。

ティリッヒは最初に、この世界諸宗教の出会いという主題をキリスト教の立場から取り扱うことの正当性を述べています。宗教の外に立って客観的に観察することを標榜する者も、自身は宗教の基礎をなす問いに対する答えを持っていて、内的に関与しているのであり、意識的に特定の宗教的立場から出発する神学者も同じであるとします。

  宗教を「究極的な関心事によって捉えられている状態」と定義するティリッヒは、究極的なものに対するもっとも普通の名称である「神」を使わないで、世俗的な別の何かを究極的なものとして宗教的な(無制約的な)献身を要求する運動を「疑似宗教」と呼び、典型的な疑似宗教としてファッシズムとコミュニズムの二つをあげています。ファッシズムは民族を、コミュニズムは特定の社会体制(共産社会)を究極的なものとして、人々に忠誠と献身を要求する運動であり、狭義の宗教の形をとっていない宗教として疑似宗教と呼ばれます。民族主義の急進化・過激化がファッシズムであり、社会主義の急進化・過激化がコミュニズムです。それに対して多数の西欧諸国において優勢な自由主義的ヒューマニズムはそれに対抗しうる一つの疑似宗教であるのか、とティリッヒは問い、それは脆いものであり、その民主主義的形態は歴史上では稀にしか存在しなかったと述べています。それは他の宗教や疑似宗教から挑戦されると、自己の原理に反する絶対主義に駆り立てられるからです。ここでティリッヒは自由主義的ヒューマニズムとプロテスタンティズムの親近性に触れています。プロテスタンティズムは、初代キリスト教がそうであったように、律法から自由な「霊の宗教」です。両者は対立する勢力から挑戦を受けたとき、自己の霊性を放棄して、律法主義と権威主義を受け容れることになりました。ここに真の危険があり、われわれはこの危機的時期にいると警告します。

  現代の諸世界宗教の出会いは疑似宗教からの攻撃によって劇的なものになっていますが、その攻撃の武器は近代的技術であり、それは一連の産業革命もたらし、文化的宗教的伝統の世俗化と破壊をもたらしています。技術の侵入は世俗化と宗教的無関心をもたらしましたが、自分自身の存在の意味に対する問いへの無関心は一時的な状態にすぎず、短時間だけ持続するだけです。伝統的な宗教が力を失うやいなや、技術的な創造物にも世俗的な思考の深みにもある宗教的要素(科学的な誠実さ、権威からの解放、正義と真のヒューマニティーへの熱望、よい社会秩序に向かう希望など)が現れてきます。古い伝統にさかのぼるこれらの諸要素から新しい疑似宗教の諸体系が発生し、人生の意味について新しい答えを与えるのです。技術文明の形をとった世俗主義は、疑似宗教に道を開きました。疑似宗教は古い伝統的宗教に帰ることでもなく、全くの無関心主義に至るのでもない別の道を提供したのです。

 4 疑似宗教に向かうものとして、ティリッヒは最初に民族主義(ナショナリズム)を取り上げます。すべての社会集団は、生物の通例として当然の自己主張をもっています。世俗化前の時代においては社会的共同体と宗教的共同体は重なっていました。世俗的な批判によってこの重なりが解体して宗教が傍らに押しやられ、その空白が無制約性にまで高められた民族の理念によって満たされた時に、近代的な形態の民族主義、ナショナリズムが興りました。一つの民族は二つの要素、すなわち成長する生きた権力構造としての自然の自己主張と、無制約的な価値の原理を擁護し実現するために召されている意識の二つの要素によって規定されています。民族主義がもっている疑似宗教的な性格は、この両方の要素の統一に基づいています。その実例としてティリッヒはギリシア人から現代に至る諸民族の使命意識の実例を列挙しています。民族がかかえる最重要の問題は、この権力と使命意識とのあいだの緊張です。この疑似宗教的な民族主義が、ただ民族的な権力に奉仕するだけになると、民族主義は悪霊化し、自己破壊的になります。民族主義は理念によっては帝国主義にもなり、ヒューマニズム化されることもありえます。また、自分とは別の究極的な価値に召されていると感じるときは人類統一の代表者なることもありえます。使命意識が権力構造と均衡を保つ国もあります。しかし、その国も優勢な権力意志をもつ他の国に脅かされる時には、その均衡を破って自分の権力意志に屈服する場合があります。ティリッヒは今日(この講演の時期)のロシアに対するアメリカの関係を実例としてあげます。

  ロシア共産党のイデオロギーが侵略とでもいうべき仕方でロシア全土を制圧したのは、疑似宗教が本来の宗教と戦う場合の力学を示しています。それは東方キリスト教に対するイスラム教の侵略と比較されます。イスラムの宗教と共産主義という疑似宗教のあいだには構造上の類似があります。両方とも旧約の預言者たちの主張とユダヤ教の律法主義にその根をもっています。それまでロシアを支配していた静的・聖礼典的組織は、内に含む将来のヴィジョンによって法外な勢力をもつ信仰の攻勢に抵抗できなかったのです。もっともロシア共産主義の東欧衛星諸国に対する侵略の場合は違います。この場合、共産主義は強度に中央集権的なローマカトリック教会や深い宗教的伝統をもつ諸国を、外的には支配できたが、精神的勝利を得ることはできなかったのです。ロシアへの攻撃と制圧見られたイスラム教と共産主義の類似は、イスラム世界が共産主義に抵抗する力を説明します。イスラム教の社会的・法的組織と日常生活の組織は、個人に安全さの感情を与えるので、共産主義が入り込めないのです。アフリカの原始的な諸宗教に対しては、独立を達成して高揚している民族主義のために、共産主義は入り込めないでいます。むしろ人種差別をしないイスラム教が強い影響力を示しています。インドと東南アジアではヒンドゥー教と仏教がもっとも重要な宗教的伝統を形成しているが、この二つの宗教は社会改革を実現する力をもっていないので、共産主義的疑似宗教に地盤を用意することになっています。共産主義と西欧文化との出会いについては、文化的精神的な出会いとしては、イスラエルの預言者的伝統を汲む宗教が様々な革命運動の源泉となってきたので、西欧文化は共産主義に対して比較的に免疫性をもっていることになります。最後にティリッヒは、脆弱なものとされてきた宗教の二つの形態、すなわち霊的プロテスタント宗教と自由主義的ヒューマニズムの疑似宗教が共産主義に対して強い抵抗力をもち、民族主義に対しても不完全ながらある程度の抵抗力を持つことを、最近訪れて体験した日本の実例をあげて述べています。技術文明と宗教的無関心という世俗化が日本ほど進んでいる国はアジアでは他にありません。その日本で伝統的な宗教的伝統である神道と仏教は、民主主義のための象徴や理念を持っていないのです。そこに悪霊的に過激化された軍国主義的ファッシズムが入り込んできました。この日本は戦後に戦勝者の手から民主主義を受け取りましたが、その民主主義の精神的基礎は、統計には表れていませんが日本に根付いている自由主義的ヒューマニズムとキリスト教プロテスタンティズムの理念です。

 第二講は「非キリスト教的宗教を批判するさいのキリスト教的諸原理」と題されています。第一講で疑似宗教と本来の意味における諸宗教との出会いに集中して現代の宗教的状況を概観したティリッヒは、第二講でそのような状況におけるキリスト教の位置につて議論を進めます。

  1 まず、キリスト教はその歴史において他の諸宗教についてどう考えてきたのかを振り返ります。その前にティリッヒは、いかなる懐疑主義者も自分の懐疑主義に反対する者に対して自分の懐疑主義の妥当性を主張する権利をもつように、キリスト者個人とキリスト教諸集団が自分の信仰に異なる者とか反対する者に自分の信仰の妥当性を主張するのは当然であるとして、ただその反対の仕方が問題となると言って、問題の所在を明らかにします。反対の仕方について、第一に、敵対する者の主張を何でも全面的に拒否する姿勢です。相手に対する拒否は完璧で、状況によってはその拒否は破壊的です。第二は、相手の主張の一部分は正しいとするが、他の部分は間違っているとする姿勢で、これは寛容な態度になりますが、この方法では宗教という複雑な現実を理解することができなくなります。第三の可能性として、受容と拒否の弁証法的統一の可能性です。この方法には緊張や不確かさや動揺が伴いますが、キリスト教の歴史全体はこの姿勢によって貫かれています。しかし、現実の歴史では他の宗教、とくに疑似宗教に対するキリスト教の対応には統一がなく曖昧であったとして、この実情を歴史的に概観します。

 他宗教に対するユダヤ・キリスト教的宗教の態度が不統一であることは旧約聖書から始まるとして、ティリッヒはイスラエルの預言者たちの態度から始めます。預言者たちは他の民の神々はイスラエルの神ヤハウェより力が劣るとしましたが、劣る故にヤハウェの前に無であるとされるに至ります。彼らは排他的な一神論者となりました。しかしアモス以後の預言者たちは、ヤハウェは正義を行わないならば自分の民をも滅ぼす神であると告知して、正義があらゆる宗教を超える原理であることを示しました。この「制約をもった排他性」が以後のキリスト教においても指導原理となるべきであるとし、イエスの場合の最後の審判の比喩(マタイ二五章)や善いサマリア人のたとえ話を指し示しています。パウロはユダヤ教徒も異教徒も同じく罪の支配下にあり、宗教を超える神の救済の出来事(キリストの出来事)によって救われることを主張しました。初期キリスト教においては、ロゴス思想が他宗教に対する姿勢を規定しています。ロゴス、すなわち神の自己開示の普遍的原理があらゆる文化と宗教の中に種子として存在していることを教父たちは主張し、異教の諸宗教で問われている問いをキリスト教の使信が答えていることを指し示しました。そのさい彼らはギリシア的な生活感情や概念を用いることをためらいませんでした。これらの事実は、初期キリスト教が徹底的に排他的な宗教ではなく、すべてを包括する一宗教であったことを示しています。ティリッヒは、イエスの「父のように完全であれ」というお言葉は、「父のようにすべてを包括する者であれ」と解釈する可能性もあることを指摘しています。初期キリスト教は、ストア哲学の道徳原理、密儀宗教の礼拝構造、ローマの法制度、ゲルマンの封建的諸秩序などを取り入れて自己形成を進めます。

  このような驚くべき普遍主義は、常に一つの究極的な基準によって制限されてきました。その基準とはキリストとしてのイエス像です。普遍性と具体性とのこの両極を携えてキリスト教は中世初期に歩み入ります。中世初期にはキリスト教は自分と戦う他宗教とは出会うことなく、地中海世界でもヨーロッパ世界でも包括的な唯一の宗教と包括的な唯一の文化が支配します。ところが七世紀になってキリスト教はイスラム教という熱狂的で攻撃的な新しい宗教と出会うことになります。攻撃側のイスラム教は圧倒的に勝利し、東方キリスト教地域を支配し、全キリスト教世界を弱体化して脅かします。この事態はキリスト教側に、自己を防衛しなければならないという認識を呼び起こし、キリスト教は(防衛側の通例として)次第に排他的となり、十字軍運動を引き起こすまでになります。この事態はユダヤ教をも一つの他宗教と感じさせることになり、それまで比較的寛容であったユダヤ人に対する態度を変えさせ、反ユダヤ主義が狂信的になります。この宗教的反ユダヤ主義が後に人種的反ユダヤ主義に発展し、アンティ・セミティズムという急進的な民族主義的疑似宗教が生まれます。

  新しい世界宗教との出会いは、キリスト教を狂信的排他性へ駆り立てたという一面がありましたが、他方寛容なヒューマニズムへと導く一面もあったとして、ティリッヒは中世における二つの著しい実例をあげています。一つは一三世紀初めのシシリー島のフリードリヒ二世の宮廷でキリスト教やイスラム教やユダヤ教の源泉によって養われた一つの寛容なヒューマニズムが発達したことです。もう一つは、一五世紀にローマ教会の偉大な枢機卿ニコラウス・クザーヌスが『諸信仰の平和について』を著し、偉大な諸宗教の代表者たちが天上でする神聖な対話を描き、そこで「ロゴス(理性)の天に諸宗教間の和合がつくり出された」と述べている事実です。ティリッヒはこのクザーヌスの理念が宗教改革以後、近代に入って多くの代表者たちによって発展した事実をあげています。彼らは初期キリスト教の普遍主義をさらに発展させます。エラスムスやツウィググリなどはキリスト教会の外にも神の霊の働きを認めていましたし、ロック、ヒューム、カントらの啓蒙主義の先駆者たちはキリスト教を含むすべての宗教を理性の判断基準に隷属させました。一方啓示をキリスト教だけに保留し、宗教概念を他宗教だけに適用する伝統に固執する人々もあり、この二つの流れの中でキリスト教の位置を問う「キリスト教の絶対性」の問題が浮かび上がってきます。この問題に正面から取り組んだトレルチ(ティリッヒの師)は、キリスト教を宗教概念に含まれるもろもろの可能性の最も妥当な現実化であるとしましたが、その宗教概念そのものが時代のキリスト教的・ヒューマニズム的伝統に基づいているので堂々巡りになります。トレルチ自身もこれに気づいており、後にはあくまで西欧文化の範囲内でと言う制限をつけて語るようになります。こうしてキリスト教の絶対性が揺らぎ、キリスト教が普遍性の王座から降りたとき、キリスト教の排他性に固執する多数派は、諸世界宗教に対するキリスト教の相対主義的姿勢はどれもキリスト教の絶対的真理を否定すると見なして批判します。この批判を担う排他的な神学の代表例がバルトの神学です。この神学は宗教概念をキリスト教に適用することを断固拒否します。キリスト教はイエスにおける唯一の啓示に基づくものであり、宗教は人間の側からの無益な試みであり不信仰であるのだから、諸宗教との出会いは歴史的には興味ある問題であるとしても神学の問題とならないとします。この排他的な姿勢から、この学派では初期キリスト教の普遍主義の表現であったロゴスの教理も放棄されています。こうして現在では、諸世界宗教に対するキリスト教の姿勢は、歴史上の姿勢と同様、明かではないことになります。

 4 もう一つ、世俗主義から生じた諸疑似宗教に対するキリスト教の原則的関係が扱われます。宗教と対立し宗教を閉め出す世俗主義に対しては、すべての宗教は否定の姿勢を取らざるをえません。しかし、世俗的領域は包括的な宗教体制の内部での要素になりえます。キリスト教は世俗的領域の文化を、それがどのようなものであれ、キリスト教自身の世界を構築するために用いてきました。この世俗的領域に対するキリスト教の姿勢では、プロテスタンティズムがもっとも積極的な姿勢を示してきました。プロテスタンティズムにおいては教会的領域と世俗的領域とは両方が無制約的なものに対して同等であり、共に神的なものに無限に遠く、無限に近いからです。その結果、プロテスタンティズムは疑似宗教に対してカトリックよりも開放的で、そのためたやすくその餌食になる傾向があります。カトリックは三つの型(民族主義的、社会主義的、自由主義的ヒューマニズム的な型)の疑似宗教のどれに対しても堅く反対します。それに対してプロテスタンティズムのそれらの疑似宗教に対する関係は弁証法的で(肯定と否定の両方を含む)、しばしば曖昧なものになります。ときにはそれに屈服することもありました。ティリッヒはこの曖昧な理由と実態を分析しています。そして結論として、キリスト教は自分に出会う諸宗教を簡単に否定することはできず、弁証法的な姿勢を取ってきたが、これはキリスト教の弱さではなく偉大さであるとし、とくにキリスト教の自己批判的な形態であるプロテスタンティズムについてこう言えるとします。

 第三講は「キリスト教と仏教との対話」と題されています。第一講では現在の諸宗教と疑似宗教の間の出会いの光景を描き、疑似宗教の力動性と特別な役割が描かれました。第二講ではキリスト教が諸宗教を判断する場合の諸原理が取り上げられ、キリスト教本来の普遍主義と、キリスト教の基礎をなしている啓示の出来事(キリストの出来事)こそが判断の基準であり、この基準が諸宗教を判断し変革する力であることが語られました。そしてこの第三講で、諸世界宗教の中で最大であり、それ自体伝道的な宗教である仏教との出会いが取り上げられます。

  最初に、人間の宗教的実存全体の内部でキリスト教と仏教がどのような位置に立っているかを理解するために、その方法としての類型論が検討されます。宗教史では宗教の諸類型や、それらに共通の一般特徴、相互の間の位置など発見しようとして類型論がよく用いられます。類型論は比較の方法として確かに便利です。しかし、諸類型は論理的な理想型であり、実際には個々の現象に諸類型の混合物を見るだけです、類型論は空間的な思考の基礎の上に立ち、静的で、内部の力動性を見逃しています。どの類型にも種々の緊張が存在し、その緊張が類型を駆り立ててそれ自体の限界を踏み越えさせます。一つの構造の内部にある緊張を対立する両極間の緊張として叙述する弁証法が必要です。このような弁証法を含む類型論こそが宗教の理解と比較に最適の方法であるとして、ティリッヒはこれを「動的類型論」と呼びます。ここでの弁証法は、一つの方向だけに進み、乗り越えてきたものを過去に放逐するヘーゲル学派の弁証論と違います。ヘーゲル学派の弁証法は、仏教を宗教的発展の中で歴史がすでに克服してしまった早い段階とみなし、世界精神はもはや仏教の中では創造的に働いてはいないとします。それに対して動的類型論は、仏教を一つの生きた宗教として、すなわちその中では一定の対極的な要素が優勢であり、そのために別の要素が優勢である他の宗教と現に対極的な緊張関係に立つ宗教として理解します。生きている宗教間の対話には、歴史的な偶然の形態ではなく、それらの宗教を出現させた内的な要素、内部の緊張の中で優勢な要素、その類型を決定している聖なるものの要素だけが重要です。ここではキリスト教と仏教という両極が取り上げられます。両方の宗教はサクラメンタルな基礎(今ここで、この事物、この人物、この出来事に現臨しているものとして聖なるものを体験すること)から生じているが、この段階を超えて成長し、同時にこの段階を内に保持しています。このサクタメンタルな根底は、神秘主義的な方向か倫理的な方向で、砕かれ超越されることができます。インドに由来する宗教には前者の、そしてイスラエルに由来する宗教には後者の方向が優勢であり、それぞれの宗教内での諸要素間の対話が、歴史的諸宗教間の出会いを規定します。
 
  仏教とキリスト教の出会いはこれまでにもあったが、それはごく僅かであったとされます。仏教は西欧キリスト教世界に仏典の翻訳やオットーの著作などで紹介されるようになりましたが、その影響はごく限られたものでした。キリスト教は伝道という直接の道、文化を通しての間接的な道、個人的な対話の道という三つの道で仏教が支配的なアジア世界に入りましたが、これもごく限られた結果に終わっています。この両宗教の相互影響は、疑似諸宗教が両宗教に及ぼした法外な影響に較べると、まことに僅かだったということになります。それで、両宗教間の対話が、共同の問題である人類全体の世俗化、そしてそこから発する疑似宗教による本来の宗教への脅かしに対処するために続けられなければならないとされます。そして、その対話のための前提条件として、対話者が相手の宗教の価値を否認しないこと、自分の宗教的立場を確信をもって代表しうること、一つの共通の土台が存在すること、互いに批判に耳を傾けること、の四つをあげます。両宗教だけでなくすべての本来的な宗教の代表者の間で行われるすべての対話においては、疑似宗教とその土台になっている世俗主義にどう対処するかという問題が特に重要です。この姿勢が些細な教義上の違いを乗り越えて、世界の問題を共同で解明する場とならしめます。

  諸宗教間の対話は、神や人間や歴史や救済の理解の仕方を比較することからではなく、あらゆる存在に内在している目的(ギリシア語では《テロス》)に関する問いから始めるべきである、とティリッヒは主張します。キリスト教のテロスは、「神の国」であらゆる人間とあらゆる事物が成就することであり、仏教のテロスは、「涅槃」においてすべての人と事物とが一つになることです。「神の国」と「涅槃」という両概念は象徴であり、神の国は一つの社会的・政治的・個人的な象徴であり、その材料は正義と平和の国を築く一人の支配者の形姿から出ています。涅槃は一つの存在論的な象徴であり、その材料は有限性と誤謬との彼岸、存在それ自体の根底におけるあらゆる存在の至福の一致という表象から取られています。この二つの象徴の間にある深い対立にもかかわらず、対話は可能です。それは両者とも同一の否定的な存在の評価に基礎を持っているからです。神の国はこの世の国、すなわち歴史や個人の生活の中で支配しているデモーニッシュな権力構造に対立して立っており、涅槃は外見の世界と対立する真の世界、個々の事物がそこから出てそこに帰る真の世界にあります。この共通の基礎の上で、種々の対照が際立ってきます。キリスト教では無制約的なものは人格的な諸範疇によって象徴されますが、仏教においては絶対無というような超人格的な諸範疇によって象徴されます。キリスト教において人間は堕落の咎による罪人として判決されていますが、仏教では人間は有限の産物として、元から我執、盲目、苦悩という円環に縛られています。

 このような大きな違いの故に対話をやめるのではなく進めるべきであるとして、両者の中にある共通のものをあげます。たとえばキリスト教における「存在そのもの」(esse ipsum)は超人格的な範疇であり、仏教の「絶対無」の意味を理解することを容易にしています。この概念は究極的に価値あるものの無制約性と無限性を指し示しています。逆に仏教にも、大乗仏教の法身仏(Buddha-Geist)のように様々な人格的特質をもった仏が現れています。両者の対話は、神の国と涅槃という両象徴が互いに排斥しあうものかどうかという問いに導きます。しかし、あらゆる宗教的類型は「聖なるもの」の体験を構成する諸要素から派生していることを考えると、排斥しあうことはありえません。両象徴の歴史は、両者が合致していく傾向を示しているとして、パウロが神の国を神が万物の中にある状態と同一視していることや、ヨハネにおいて永遠の命という象徴に取り替えられている事例をあげています。対話は倫理的な問題に向かい、神の国と涅槃という二つの象徴の基礎になっている異なった二つの存在論的な原理として、「参与」の原理と「同一性」の原理が取り上げられます。まず自然に対する関係において、西欧世界で見られるように、自然に対する参与の意味が見失われ、自然を技術的に支配して利用しようとする意志だけが残る場合があります。仏教諸国の芸術に見られるように、同一性の原理のもとでは情感あふれる自然との同一性が到達されています。ヒンドゥー教では様々な動物の中に自分の化身を見る信仰が残っています。ティリッヒは仏教における同一性原理の卓越した実例として石庭をあげています。そしてキリスト教においても、自然神秘主義では参与の原理がほとんど同一性の原理と同じになっている場合をあげています。自然に対する姿勢において仏教的な思惟と対立するのはキリスト教そのものではなく、カルヴァン主義のプロテスタンティズムであるとします。

 次に人と人との関係において両原理がもつ意味を比較して、参与は《アガペー》に導き、同一性は慈悲(あるいは共苦)に導くとして、両者を比較しています。《アガペー》は受け入れがたきものを受け入れ、相手を神の国が象徴するもの向かって変革しようとします。慈悲(Mit-Leiden)は他者の苦しみを他者と一つとなって苦しみます。しかし、慈悲には他者が自分自身を超えるように高めようとする意志が欠けているとします。この変革への意志という点で歴史が問題になってきます。神の国という象徴が重視されているところでは、歴史は個人の運命が決定される舞台ではなく、歴史は一つの運動として見られており、その運動の中で新しいものが作り出され、絶対的に新しいもの、「新しい天と地」に向かって急ぎます。この運動の中で神の国というヴィジョンは革命的な性格、社会の変革に向かう意志を持ちます。仏教には変革の意志はなく。仏教の目標は現実の変革ではなく、現実からの救済です。水平方向において前方へと駆り立てる革命的な力動性にもかかわらず、キリスト教には垂直方向に神に向かう神秘主義的な体験があり、歴史に対する無関心となっている場合があります。こうして、キリスト教は歴史との関係においては仏教よりも多くの対極的な緊張を含むことになります。しかし、歴史そのものが仏教に歴史を本気で相手にするように迫ってました。日本は戦勝者からデモクラシーを受け取りましたが、そのデモクラシーの前提となる一人一人の人間に対するキリスト教的な評価が仏教にも神道にもないことに気づき、それを探し求めています。ティリッヒは、両宗教の対話は「さしあたりここで終わる」としていますが、この対話はなお世界史的な課題として残ります。

 第四講は「諸世界宗教との出会いの光に照らされたキリスト教の自己自身についての判断」と題されています。はじめにティリッヒはこれまでの三回の講演を要約しています。第一講では本来的な意味での宗教と疑似宗教を区別して、現在では疑似宗教と諸宗教との出会いが今日的な状況となっていること、したがってあらゆる宗教が世俗主義とそこから出る疑似宗教にどう対処するかという問いに直面していることを結論としました。第二講では預言者とイエスに始まったキリスト教の長い普遍主義の歴史を振り返り、それがイスラム教の台頭とキリスト教の反ユダヤ主義によって中断されたが、ルネサンスと啓蒙主義によって再興したこと、その後も排他的な単独主義によって曖昧にされていることが論じられました。第三講では正しい類型論が提示され、それに基づいて一つの典型としてキリスト教と仏教との対話が試みられました。両者の対極性は神の国と涅槃という象徴によって総括され、西欧で発達した民主主義が、それを発達させた宗教的基盤なしで根付くことができるかという問いで終わりました。この問いが第四講の主題に導くということを述べて前置きとしています。

 1 キリスト教が自己自身を判断する基準は、キリスト教を基礎づけているただ一つの現実、すなわちキリストの出来事と、この出来事の永続的な霊的力に参与することであるとして、この参与の意味内容を語ります。このような過去の出来事に参与することは歴史的な知識によってはできないのであり、人はこの出来事の霊的な力に捉えられ、捉えられることによって今も働くその霊的な力によって証言や伝承を理解することによってはじめて可能になります。キリスト教は他の諸宗教に対し、また疑似宗教に対し緊張関係にありますが、この緊張はキリスト教の基礎になっているあの一つの出来事から生じていますが、その出来事の意味は一つの新しい個別宗教を成立させることではありません。この出来事は一つの人格的な生であり、その像は神との一致において亀裂がなく、自分の特殊性を絶対化する要求のない生であったのです。この出来事が、そこから出る一切の帰結を裁きます。

  キリスト教はこの土台に立って、旧約聖書の伝統を受け継ぎ、接触した諸宗教から様々な要素を受け取りながら一つの特殊な宗教に発展します。キリスト教史の力動性は、諸宗教や諸文化に対する審判的な判断と、それらの宗教や文化の諸要素を受容する自由さの間の緊張から生まれています。この自由さはキリスト教固有の内的な原理から生まれたものであり、その開放性と受容能力がキリスト教の偉大さの証拠でした。こうしてキリスト教は他者からの批判を受け入れる備えをもっていますが、この備えは聖職階級と論争によって次第に制限されるようになります。聖職者の公会議の決定は撤回や変更は困難になります。教会の教義上の決定は歴史上に生じた問題の解決ですが、一度決定されると他の可能性を切り捨てます。それは拒否の準備態勢を固め、他者からの批判を受容する備えを減少させます。キリスト教はキリストの十字架の裁きを自分自身に向けることを怠った程度に応じて、自分を一つの特殊宗教として発展させていきます。ここでティリッヒは、キリスト教が他の宗教を判定した方法と、他の宗教からなされる判定を受け入れてきた仕方を、二三の実例をあげて説明します。

 初期のキリスト教は、ユダヤ教の伝統に従って、多神教を偶像礼拝あるいはデモーニッシュな力の崇拝として断罪しました。しかし、多神教を象徴的に解釈した教養ある多神教徒から無神論の批判を浴びます。それはキリスト者が自然と歴史のさまざまな領域に神的なものが臨在することを否定したからです。その批判はキリスト者に世界のなかにある神的なものの様々な形での開示を見つけるようにさせます。キリスト者は自然と歴史の中に天使的な諸力とデモーニッシュな諸力の痕跡があることを認識します。また、神と人間の間に神的な仲保者を崇拝し、そのような仲保者たちとも言える一群の聖人や殉教者を崇拝するようになります。これはキリスト教が多神教的な要素を受け入れたことを意味しています。この実例は、キリスト教がその徹底的な拒否にもかかわらず、批判した要素を受け入れることを妨げなかったことを示しています。次にキリスト教は旧約聖書の上に建てられていながらユダヤ教を退けているというユダヤ教との関係について、恐怖と狂信が築いた中世の抑圧が取り外され、自由主義的ヒューマニズムを経過してからは、キリスト教は間接的にユダヤ教からの批判を受け入れ、旧約聖書の預言の精神が呼び覚まされています。イスラム教については、最初の出会いからは戦争と相互の拒否しか起こらなかったし、キリスト教の自己批判に役立つのは人種問題の解決と原始的民族に接するさいの賢明さの二つぐらいであるとして、ごく簡単な記述に終わっています。
 
  他宗教を部分的に受容しながら根本的には拒否している実例として、ティリッヒはキリスト教とペルシャの二元論的宗教との出会いをあげています。この宗教はグノーシス主義の形でキリスト教の中に入ってきましたが、キリスト教は創造は善であるという確信で、悪の存在を悪神に帰するこの二元論を克服しました。しかし、悪の現実はキリスト教に中にも二元論的諸要素を含ませることになりました。インドの神秘主義的傾向の宗教に対して、キリスト教会がその非人格的、非社会的、非歴史的な姿勢を指摘してきたことは正しかったが、一方通俗的キリスト教の人格主義は原初的で、その深化のためには超人格的な範疇を必要とするという神秘主義からの批判も受け入れ、多くのキリスト教神学者は神観の表現に神秘主義的な超人格的要素を使用してきました。この少数の実例だけでも、キリスト教は他宗教を根本的に批判する場合でも、他宗教からの反批判を受け入れてきたことを十分示しています。

  キリスト教が一つの宗教以上のものであろうと望むのであれば、キリスト教は自分の中にあって自分を一宗教ならしめているあらゆるものに抵抗して戦わなければなりません。ティリッヒは狭い意味での宗教の特性をなしているものとして神話と祭儀の二つをあげています。キリスト教が宗教としての自分を克服しようとするならば、この二つに抵抗して戦わなければなりません。キリスト教はそれをしてきました。聖書はそれをしています。聖書は宗教的な書物であるだけでなく、反宗教的な書物です。聖書は神に味方し、宗教に抗して戦っています。旧約聖書では預言者たちがその戦いの担い手でした。彼らは民衆的な宗教がもっている祭儀全体と民族の神に絶対性を帰す神話を退けました。彼らの批判によってイスラエルの神は非神話化されて普遍的な神に高められたのです。新約聖書においては、イエスが愛を行うために儀礼上の律法を破ることをされたと伝える記事があります。パウロにおいては、儀礼上の律法全体がキリストの出現によって廃棄されています。ヨハネにおいては、非儀礼化に非神話化が加わります。永遠の命は今ここにあります。

 初期の教会は神観念とキリストの意味をプラトン的ストア的伝統から取りだした観念で非神話化しようとしました。教父たちは神的なものは有限なる象徴を超えていることを示そうと努めました。「神の上にある神」(ティリッヒ自身の表現)という観念はすでに教父たちにも暗に存在していました。彼らは、人格的な神が特殊なグループのためにだけ働くという「単神教的」神話に沈み込むことに敏感に抵抗しました。昔の神学者たちは、神的な根源に直接参与するという神秘主義によって、あらゆる神的なものの象徴、すべての聖礼典(サクラメント)を超越し、祭儀と神話は神的深淵の中に沈み込むことを説きました。このような神秘主義も、預言者的また神学的批判と並んで、宗教のためになされる宗教への攻撃となります。宗教改革は宗教に対する神の戦いにおける一つの決定的な勝利でした。ルターは修道院の宗教生活を攻撃、神は世俗の生活の中に臨在されることを説きました。儀礼的な要素は宗教改革の運動においてその意義を失いました。啓蒙主義は神話と祭儀の価値を完全に下落させました。宗教から残ったものは、断言命法の保証としての神という哲学的概念でした。カントは教会を道徳的諸目的の達成に仕える団体と定義しました。

 このような運動において、宗教に抵抗する戦いが表現されています。しかし、宗教としてのキリスト教を維持しようとする力の方が勝り、結局それが勝利しました。反撃にあたって決定的な役割を果たしたのは、祭儀と神話の喪失は宗教の基礎をなしている啓示体験の喪失を意味する、という説得でした。啓示によって与えられたものは自己を維持しるためには自己を明示しなければならず。そのためには祭儀と神話による表現を必要とする、という説得です。その必要は、宗教を否定する疑似宗教においても同じです。疑似宗教は日常の諸概念や人物や出来事を神話に造り変え、日常的な行事を祭典や儀式に造り変えて、その世俗的な神話と世俗的な祭儀で自己を表現してきました。非神話化と非祭儀化の努力にかかわらず、神話と祭儀は繰り返し浮かび上がってきます。宗教と戦う者は自分自身が宗教的にならねばならないという逆説的状況に置かれています。今日のキリスト教はこの状況を知っており、ボンヘッファーが言うようにキリスト教は世俗的になり、世俗の中に永遠の意味を見いだすことになります。

 キリスト教が自分自身に対してもっているこの判断は、他の諸宗教に対するキリスト教の姿勢に何をもたらすでしょうか。この判断は改宗させる試みを許しません。歴史上でこの改宗の試みは失敗してきました。キリスト教はこれからもユダヤ教、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教と対話を続けなければなりません。そのさい重要なのは、それが改宗の試みではなく対話だということです。対話においてキリスト教が他の諸宗教や疑似宗教を批判するとき、その批判はキリスト教も自分自身を批判していること忘れてはなりません。この姿勢は世俗主義に新しい意味を与えることになります。そのときにはあらゆる現存の宗教に対する世俗主義の攻撃は、もはや純粋に否定的なものではなく、人類を宗教的に一つにしようとする運命がたどる間接的な道として理解されることもできます。人類の大部分の世俗化が、人類の宗教的な変貌に向かう道になりうるという希望さへもちえます。われわれの目標となるのは、諸宗教の融合とか、特定の一宗教の支配とか、宗教時代の終焉とかではなく(宗教が生の意味への問いである限りこれはありえません)、それぞれの宗教が自己自身を超越することによって生の究極的な意味への問いに答える力を保持することです。個々の生きた宗教の深みには、宗教がそれ自体として自己の重要性を失う一点があります。その一点で個々の宗教が指し示しているものが、あらゆる形態の生と文化の中に現存する神的なもののヴィジョンを創造することになる、とティリッヒは結論します。

       先の注記で言及した二つの邦訳のうち、丁野訳は内容の理解と日本語の訳文で優れた点がありますが、題名を「キリスト教徒・仏教徒 対話」としているのは、本書全体の内容からするとやや適切でないと考えられます。たしかにわたしたち日本人にとってはキリスト教と仏教の対話は重大事であり、それを主要な話題として印象づけたいという願いは理解できます。しかし本項で要約紹介したように、本書の主要関心事は、キリスト教が世界の諸宗教と出会うという事実の意義を問い、その出会いの姿と方向を指し示すことです。そのさいティリッヒはとくに疑似宗教との出会いを重視しています。仏教と対話は重要なものですが、これらの出会いの一例に過ぎません。全体の内容からすると、この書の題名はやはり「キリスト教と諸世界宗教との出会い」が適切でしょう。なお、ここ(第四講の最後)で用いた紹介で、野呂訳が「回心」と訳しているところは、丁野訳は「改宗」とか「回宗」と訳しています。ここは個人の内面的な転換ではなく、他の宗教に変わることを話題にしているので「改宗」が適切と思います。

 

宗教の将来
 本節のこれまでの諸項で、組織神学者であり宗教哲学者でもあるティリッヒの宗教論を、おもに『文化と宗教』と『キリスト教と諸世界宗教との出会い』という二つの講演集に依拠して見てきました。ティリッヒは、はじめに宗教のことを語るのに用いる「宗教」という語に二つの意味があり、その二つを厳密に区別すべきことに注意を促していました。ティリッヒはその二つを「広い意味における宗教」と「狭い意味における宗教」と呼びましたが、それは本書の第一章の「結び 問題の所在」で指摘した「単数形の宗教と複数形の宗教」の区別に対応します(本書92頁)。「広い意味における宗教」とは、ティリッヒが宗教を「究極的なものに無制約的にかかわること」と定義する時の宗教です。それは人間の宗教性そのものであり、いつも単数形で指されます。それは人間が人間であるかぎり問わなければならない存在とか生きることの意味を求める営みであり、人間をやめない限りなくなるものではありません。それに対して「狭い意味における宗教」とは、「聖なるもの」の体験が何らかの形で社会的に制度化された産物であり、祭儀と教義と聖職制度を持つ歴史的な形態を取った宗教、わたしたちが普通宗教と呼んでいるものです。それには原始的な部族生活を営んでいる人たちの部族宗教から高度に発達した文明社会の高等宗教にいたるまでの多くの段階と形態があります。これにはゾロアスアー教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、道教など多くの実例があるので、この意味における宗教一般を指すときには複数形が用いられます。キリスト教もそのような諸宗教のなかの一つです。宗教という語を用いて語るときは、どちらの意味で使っているのかが、明示的にか暗黙にか、区別される必要があります。

 ここで著作集第四巻(白水社版)に収められている宗教関連の諸論稿を少し見ておきましょう。ティリッヒは「宗教の未来に関する問い」の冒頭で、「宗教の未来について語るとき、わたしは強い不快感に満たされる」と言っています。おそらくこの話題について語ることを求めた人たちは、この世俗化の時代に諸宗教はどうなるのかについて意見を求めたのでしょうが、広い意味での宗教は人間が人間であるかぎりなくならないとするティリッヒは、狭い意味の宗教だけを見る風潮に不満を覚えたのでしょう。人は宗教のない人間には未来がないことを理解して、宗教の未来を問わなければならないし、宗教自体がこの問いを提起しなければならないとして、永遠的なものと時間的なものとの関係を、垂直線と水平線という空間的隠喩で語ります。垂直線すなわち宗教的方向のなかで、人間は永遠的なものを有限性の不安と罪責の絶望とを克服する精神的能力のなかで経験します。それに対して世界との関わりという水平線の方向では、永遠的なものがもつ力によってこの世界の現実を捉え変革していく体験となります。宗教史はこの両方向の緊張でなりたってきました。宗教の未来はこの両方向の結びつきを求めている、という結論で締めくくられます。

 次の論稿「人間精神の一機能としての宗教か」で、最初に二つの方向から宗教を人間精神の機能であることを否定する批判を記述してそれに答えます。一つは神学的批判です。宗教は神からの啓示だけに基づくのであって人間精神の機能ではないという批判です。もう一つは諸科学からくる批判です。科学は宗教の諸理念や実践が多様であり諸概念が神話的であることを指摘して、宗教は人間の発展の神話的段階を示し、現代の科学的時代にはいかなる場所もないとします。しかし両方とも宗教を神と人間の関係としていることは共通しています。その神は存在と非存在を人間が争うことができる神であり、諸存在と並んである一つの存在であって、そのような存在との関わりから宗教を批判することは筋違いであるとします。宗教が人間精神の機能であるというのは、人間の精神生活の深みのなかを見うる視点からみた機能です。宗教は精神生活の特別の機能でありません。宗教は人間の精神的な諸機能の中に自分の住まいを見つけようとして遍歴し、倫理的機能、認識的機能、芸術的機能、ついには感情まで経巡りますが自分の故郷とか住まいを見いだすことはできません。だが宗教は自分の宿り場所を見つける必要はなく、あらゆる機能の深みとしてあるのです。宗教はわれわれに無制約的に関わるものとしてすべての精神的機能の深みにあり、人間の精神生活の実質・根底をなしています。さらに続く論稿「失われた次元」で、現代の世界において、人々の関心が見えるものに向かい、精神生活の深みの次元が見失われている実態を分析し警告しています。

 ところで狭い意味での宗教については、ティリッヒはそれを「軛」と呼んで、それからの解放を説いている説教があります。『地の基ふるいうごく』と題された最初の説教集(1948)に「宗教の軛」という説教が収められています。ティリッヒは一五歳の堅信礼の時に会衆の前で引用した聖句、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」(マタイ一一・二八〜二九)について、ここでイエスが「重荷」とか「軛」と言っておられるのは生活上の重荷や苦労ではなく、「宗教である律法、律法である宗教」のことであるとして、イエスはこの「宗教の軛」から人間を解放する方であることを説いています。宗教は教義として信じられないことを信じることを要求し、われわれはその要求の重荷の下で苦労し、それに反発しても懐疑主義の空虚の中で生きられない人間は何か他の教義とか信条を見いだして、その新しい軛の下で労することになります。また、宗教は儀礼や宗教的催し、伝統や祈祷の尊重を要求し、われわれの能力以上の献身、自己否定、自己完成を要求します。それに反発し冷笑する者も、冷笑主義の空虚さに耐えられずにより狂信的となり、別の軛につながれます。このような重荷や軛を負う者に、イエスは「わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と呼びかけられます。イエスが「わたしの軛」と言われるとき、それはもはや要求ではなく、上からの力に捉えられている姿を指し、それが軽いのは宗教の重荷と比べて量的に小さいというのではなく、もやは自分が何をしなくても上から捉えている力がすべてをするからです。イエス自身が「新しい存在」であり、この新しい存在を世界にもたらされた方です。ティリッヒは結びの部分でこう言います。「イエスは宗教の創始者ではなく、宗教への勝利者である。イエスは新しい律法の作者ではなく、律法への勝利者である。キリスト教の教師や牧師は人をキリスト教に招くのではなく、新しき存在に招くのである。キリスト教は自らとこの新しき存在を混同せず、ただこの新しき存在の証人だけになるべきである。あなたがイエスの招きを聞くとき、すべてのキリスト教教理を忘れなさい。あなた自身の確信も疑いも忘れなさい。すべてのキリスト教道徳、あなたの成功と失敗のすべてを忘れなさい。あなたからは何も求められていないのですから」。わたしはこのティリッヒの言葉に深く共感します。ティリッヒはさらにこう言って説教を結びます。「われわれはイエスをキリストと呼ぶ。それはイエスが新しい宗教をもたらしたからではなく、彼が宗教の終焉であり、宗教と非宗教、キリスト教と非キリスト教を超えた上にあるものだからである」。これはまさにパウロの告知を現代に響かせています。この説教はティリッヒの宗教論の一面を的確に表現しています。

 ティリッヒを扱った本節の最後に、ティリッヒの没年直後に出版された最晩年の講演集『宗教の未来』(1966, 邦訳は大木英夫・相沢一訳、聖学院大学出版会)を取り上げ、ティリッヒの宗教論をまとめておきたいと思います。この書には追悼礼拝でなされたシカゴ大学の同僚教授たち(エリアーデを含む)のティリッヒへの追悼講演が三つ収められており、米国の神学界と思想界に及ぼしたティリッヒの大きなインパクトがうかがえます。ティリッヒの講演は、「宇宙探検が人間の条件と様態に対して与えた影響」というようなきわめて現代的な主題を扱った興味深い講演や、「未知の世界」、「進歩の理念の衰退と妥当性」というような歴史哲学的な問題を扱った重要な講演もありますが、ここでは宗教の神学にとって直接に関係する講演を選んで要約して紹介しておきます。

 「組織神学者にとっての宗教史の意義」と題された講演(一九六五年)は、ティリッヒが亡くなる一〇日前に行われた講演で、文字通り彼の最終講義となったものです。ティリッヒは一九六〇年の来日時に神道や仏教の人たちと対話を重ねますが、その東洋の非キリスト教宗教との出会いの体験はティリッヒに強烈な衝撃を与え、帰国後にエリアーデと共同のセミナーを立ち上げて、新しい宗教史の神学を構想し、自身の組織神学の刷新を図ります。それは未完に終わりますが、その「新しい洞察の光に照らして書き直される」新しい組織神学がどのようなものになるのかを垣間見させるのがこの最終講義です。それはティリッヒの神学の最終到達点であると同時に、これからの新しい段階への出発点となります。

 ティリッヒはこの講義の最初に、神学と宗教史の関わりを主題として考察しようとする者は、すでに二つの基礎的な決断をしているのであるとして、その二つの決断を明らかにします。一つは自分の宗教以外のあらゆる宗教を排除してしまうような神学、もう一つは非宗教の宗教とか神なき神学、世俗の神学というような神学を拒否するという決断です。

 前者は長い歴史をもち、二〇世紀にはカール・バルトによって復活させられた神学で、自分の宗教だけを本物の宗教(vera religio)とし、他の宗教をすべて偽りの宗教(religiones falsae)とする、換言すれば、自分の宗教だけが啓示であり、他の宗教はすべて神に達しようとする人間の無意味な努力であるとする神学です。このような正統主義的態度を排除するためには次のような組織神学的諸前提を受け入れる必要があるとして、五つの前提をあげます。1 啓示の経験は普遍的に人間的なものであり、人はどこででも救いの力が含まれている特殊な経験である啓示を与えられるのである。2 啓示は人間の有限的状況、疎外されている人間の性質の下に受け入れられるので、常に歪曲された形で受容される。3 これらの啓示受容の限界や歪曲に対して批判する啓示の過程(そのような批判は神秘主義的、預言者的、世俗的という形態をとる)もあることを信じること。4 おそらく宗教史の中にはこのような批判の諸成果を総合する一つの中心的な出来事、普遍的な意義を持つ具体的な神学の成立を可能にする中心的な出来事があるであろうということ。5 宗教史はその本性において文化史と並んで存在するものではなく、聖なるものは世俗的なものの傍らにあるのではなく、その深みであり、その創造的な基盤、同時に批判的な審判である。

 二つの決断のうち後者は、「神という言葉を用いない神学」と世俗的なものの排他的な強調とを排除する決断です。宗教(諸象徴・儀式・組織などで成り立っている一領域という意味での宗教)は、最も世俗化された文化や最も非神話化された神学にとってさえも失われることのない必要性をもっています。この必要性は、精神は現実化し実効力のあるものとなるためには具体化する必要があるという事実から来ます。こうして神学者は、正統的・排他的なものと世俗的・拒絶的なものという二つの障壁を突破して、宗教史への自由な接近を可能にします。この二つの抵抗は、互いに正反対の方向から来るにもかかわらず同盟を形成していることで強力なものになっています。どちらの立場も還元主義的であり、ナザレのイエスの像以外のあらゆるものをキリスト教から排除する傾向があります。新正統主義はイエスだけを啓示の言葉が聞かれる場とすることによって、そして世俗主義はイエスを神学的に妥当な世俗性を代表する人物とすることで、同じことをしています。意義ある宗教史の理解を持つためにはこの正反対の両極が形成しているイエス中心主義同盟(正統主義と世俗主義)を突破しなければなりません。

 このような前置きをした上で、ティリッヒは本題の「宗教史の神学」に入ります。伝統的な宗教史は旧新約聖書に語られている歴史だけに限定されていて、他の諸宗教は一括して原啓示に基づいてはいるが曲解されたものであり、キリスト教神学にとって何らかの価値のあるものではなく、救済の経験はないものとされてきました。それらは異教であって、民族宗教ではあるが啓示と救済の担い手ではないとされてきました。しかし、この原則は貫かれないで、ときには他宗教がキリスト教を窒息させるほどの宗教的影響を及ぼしました。そこでわれわれに必要なのは、普遍啓示の積極的な評価が批判的な評価と均衡を保っているような宗教史の神学なのです。ティリッヒはここで、自分が宗教史学派の諸研究によって聖書の伝統にアジアの少数民族や地中海文化がいかに貢献したかについて目を開かれたことを感謝をもって振り返っています。
 
  この観点からすると、宗教史の総体が救済者像の諸象徴を生み出したのであり、それらはイエスと彼の活動に関する新約聖書的理解の枠組みを提供したのです。それらは隕石のように天から降ってきたのではなく、《カイロス》すなわち時宜にかなった時、成就された時にキリストとしてのイエスの出現を最終的に可能にした長い予備啓示の歴史があったことを示しています。イスラエルおよびキリスト教の歴史における第一の問いは救済史の問題ですが、救済史とは歴史の中にあるものです。それは偉大な象徴的瞬間に現れます。たとえばキリスト教史における諸改革のような《カイロイ》(カイロスの複数形)に現れます。このように見ると、宗教史と救済史を同一視することはなく、その代わり象徴的瞬間が探し求められることになります。ここでティリッヒはカント、ヘーゲル、トインビー、シャルダンらの名をあげて彼らの宗教思想に共感と批判を簡潔に述べた上で、自身のアプローチ、動的類型論を要約的に展開します。

 聖なるものの経験にはいくつかの要素があるとして、とりあえずの青写真として以下の三つをあげます。それらの要素のどれが支配的であるかによって、その宗教の類型が作り出されるのです。1 宗教の普遍的な基盤は有限なものの中における聖なるものの経験であり、聖なるものはその神秘的性格にかかわらず、見て聞いて触れることができる有限で個別的なものの中に特別の仕方で現れます。これがすべての宗教の「サクラメンタルな基盤」です。それなくしては宗教集団は道徳クラブになります。2 サクラメンタルなもののデーモン化(サクラメンタルなものを利用可能な一対象にしようとすること)に対する批判の運動の一つとしての神秘主義の要素。人は究極的なものすなわち聖なるものの具体的表現にはけっして満足せず、それらの多様性を超えて一つのものへ向かい、個別的なものは究極的な一者のために否定されます。3 「かくあるべし」という倫理的・預言者的要素。これはイスラエルの預言者たちがデーモン化した宗教儀式に対してなした戦いであり、あらゆる宗教儀式の廃棄にまで貫徹される場合もあります。しかし、宗教がまったくサクラメンタルな要素や神秘的要素を欠くならば、道徳主義的になり最後には世俗的になります。

 これらの三つの要素が総合されている宗教を、ティリッヒはとりあえず「具体的霊の宗教」と呼び、それこそが宗教史の内的《テロス》(目的とか終わりという意味のギリシア語)であるとします。種子の《テロス》が木になることであるように、宗教史はこの「具体的霊の宗教」に達するための運動であると言えます。ティリッヒはパウロの聖霊論以上にこの三つの要素を総合しているもはないとして、パウロにおいて二つの根本的要素、アガペーの意味における愛として表れる脱自的(エクスタティツク)要素と、神に関する知という意味のグノーシスとして表れる理性的(ラシヨナル)要素の結合を見ています。これらの諸要素や諸動機の積極的・消極的関わり合いが、内的《テロス》である「具体的霊の宗教」に向かう宗教史に動的な性格をあたえます。「具体的霊の宗教」は将来に期待されるだけのものではなく、サクラメンタルな基礎の批判がデーモン的あるいは世俗的歪曲に陥ることに対する闘争の中に、どこにでも現れます。宗教史にはこの偉大な総合が断片的にではありますが現実となる瞬間があります。宗教史全体はこの「具体的霊の宗教」のための闘い、「宗教の内部における宗教に対する神の闘い」と見ることができます。ティリッヒはここで「宗教の内部における宗教に対する神の闘い」という衝撃的な表現を、混沌とした宗教史を理解するための鍵としてあえて用いています。わたしたちキリスト者にとっては、キリストとしてのイエスの出来事の中にこの闘争における決定的な勝利を見ることができます。

 ここでティリッヒは(エリアーデとの)共同演習の中心的な問い、こうした宗教史の動態は宗教的なものと世俗的なものの関係とどう関連づけられるか、という問いを提出します。聖なるものはデーモン化に対して、またそれに対する神の闘いに開かれていると同時に、聖なるものの世俗化に対しても開かれています。世俗化が(神秘主義的批判と預言者的批判と並ぶ)第三の、そして最も根本的な非デーモン化の形態であるかぎり、デーモン化と世俗化は深く関係します。「世俗的」を指す形容詞のprofaneは聖域の扉の外、secularは世界に属しているという意味です。どちらも、人は普通の合理的構造をもつ世界のために聖なるもののエクスタティックで神秘的な畏れを離れることを指しています。それに抗して戦い、人々を聖域にとどめておくことは、もし世俗的なものがそれ自身批判的な宗教的機能が与えられていなかったならば容易であったでしょう。その機能があることが、この問題を深刻なものにしています。世俗的なものは合理的であり、合理的なものは聖なるものの非合理性を、そのデーモン化を裁かねばなりません。このような文脈で起こる世俗化は自由解放であり、このような意味で預言者と神秘主義者は世俗化の先駆者となります。世俗化の過程で聖なるものは徐々に道徳的な善に、あるいは哲学的な真理に、後には科学的な真実に、あるいは美的な表現へと変わっていきます。しかしその時には深遠なる弁証法が露わになり、世俗的なものはそれ自体単独では存在し得ないことが明らかになります。聖なるものの支配に対する闘いおいては正しいものである世俗的なものは、空虚になり疑似宗教の餌食になります。疑似宗教は宗教のデーモン的要素と同じような圧政的な力をもち、この時代にみられるように、よりいっそう悪いものとなります。

 ここでもう一つの《テロス》すなわち宗教史の内的な目標が現れるとして、ティリッヒはそれを「神律」と呼びます。自己が他者によって決定される他律(自分以外のものがノモスとなる在り方)と、近代の標語である自律(自分が自分のノモスとなる在り方)の両方を統合するものとしての神律(神が自分を含むすべてのもののノモスとなる在り方)が、宗教史の《テロス》となりますが、それが歴史の中で現れるのは断片的であり、その成就は終末において、その達成は時間を超えた永遠において期待されるとします。

 ティリッヒは最後の考察として、宗教的諸現象の光の下での神学的伝統の解釈の問題を取り上げます。ティリッヒは二年にわたる共同演習が、キリスト教のあらゆる個々の教理的表現や儀式的表現に新しい意義深さを見させてくれたことについてエリアーデに感謝の意を表し、このような組織神学的研究と宗教史的研究の解釈をめぐるさらに長期にわたる集中的な研究期間が必要であろうが、宗教思想の構造が神律あるいは具体的霊の宗教の断片的な顕現との関連で発展することに期待を表明しています。そのためには宗教史が組織神学者に与えてくれる個別的なものの強調の実例を見るべきであるとして、それは超自然神学の否定と自然神学の否定という二つの否定の中に見られるとします。超自然神学的方法は、霊感を受けているが歴史の中で準備されたものではない啓示文書(キリスト教の聖書的文書やイスラム教のコーランなど)によって形成され、通常は教理的闘争との関わりの中で信条や公的な教理条項の中で系統的に述べられ、哲学の助けを借りて神学的に説明されたものです。自然神学的方法は、総体として出会われる実在、とりわけ人間精神の構造の分析から宗教概念を哲学的に導き出す方法です。この二つの代表的な伝統的方法に対して宗教史の方法は次のような段階を踏んで行くとされます。1 実存的に経験されているものとしての伝統の、対象から距離を置いた姿勢での観察。2 宗教史の研究は、宗教的な問いがこの世界の中での人間的経験(有限性の経験、存在の意味への関心の経験、「聖なるもの」の経験など)の中に位置づけられるために、自然主義的方法から精神と現実の分析を引き継ぎます。3 宗教の現象学の提供。諸現象、とりわけ宗教史において自らを提示する諸現象(象徴や儀式、理念や活動など)を提示すること。4 それらの諸現象(それらの間の親近性、相違、矛盾など)の、伝統的な概念に対する関係や、そこから生じる諸問題に対する関係を指し示す作業。5 再解釈された諸概念を、宗教的およぼ世俗的な歴史の動態の枠組み、とくに現在の宗教的文化的状況の枠組みの中に位置づける努力。この五つの段階は先行する方法の一部を含んでいますが、それらは先行する方法がなしたものを人類史の文脈および宗教史の偉大なる諸象徴の中に表現されている人間的経験の中へ引き入れます。

 この最後の段階は、一つのきわめて重要な到達点へわれわれを導きます。それは宗教的象徴を、それらがその中で育ち、今日われわれはその中へ再び導き入れる必要があるところの社会的全体図との関係において理解する可能性を提供します。宗教的象徴は天から降ってきた隕石ではなく、地域的環境も含んだあらゆる人間的経験の総体の中に、政治的・経済的両分野の中にその根を持っているのです。この可能性は、象徴を使用し再導入しようとするわれわれの方法にとってきわめて重要です。この(宗教史的)方法によるもう一つの積極的な帰結は、われわれが宗教的象徴主義を人間論の言語として、すなわち人間学の言語として用いることができることです。宗教の諸象徴は人間がその本性においてなしてきた自己理解の方法について何事かを語っています。たとえばキリスト教は罪を強調するがイスラム教にはそのような強調は欠けているという議論は、この二つの偉大な宗教および文化における自己理解、すなわち人間としての人間の理解の間に根本的な相違があることを示しています。これは、どのような個別的で専門的な心理学よりも包括的に人間本性の理解を拡大するのです。

 ここでティリッヒは「わたしの最後の言葉を述べよう」と言って、この最後の講義をしめくくります。その最後の言葉をそのまま引用しておきます。「こうしたことは、自分自身がその宗教の神学者であるところの宗教に対する我々の関わり方に対して何を意味するのか。彼の神学はその経験的基盤に根ざし続ける。それなしにはどのような神学も不可能である。しかし、それは普遍妥当的であるような基礎的な経験を普遍妥当的な言葉で表現しようとする。宗教的表現の普遍妥当性は全体包括的な抽象の中にあるのではない。それは宗教としての宗教を破壊してしまうであろう。それはあらゆる具体的な宗教の深淵にある。とりわけそれは自分の基盤からの、また自分の基盤への霊的自由へと開かれていることの中にあるのである」。

結 び
 以上、本節では二〇世紀神学の巨峰の一つであるパウル・ティリッヒの神学における宗教論を、おもに宗教に関する講演や論説によってまとめてみましたが、そこで感じるのは宗教問題に対するティリッヒの真剣な姿勢です。ティリッヒは宗教を「究極的なものに無制約的に関わること」と定義しましたが、無制約的に関わるとは、自分の存在の全体をかけて真剣に関わることです。人類は聖なるものに真剣に関わって宗教史を形成してきました。ティリッヒはキリストの啓示に立つ神学者として、この人類の宗教史に真剣に関わることで、現代の宗教問題に対する深い洞察を見せ、重要な発言をしてきました。ティリッヒは「人間は考えなくてはならない。そして、考える以上は徹底的に考えなくてはならない」と言っていますが、彼自身哲学者として人間とその歴史を徹底的に考え抜くことで、現代の宗教の問題に深く切り込んでいます。ティリッヒから学ぶこと、啓発されることは多く、本章のまとめとなる次節「現在の宗教問題」も、ティリッヒの宗教論に負うところが多くなると思います。宗教の言語としての象徴についての論説は啓発的です。とくに宗教という場に働くデモーニシュな力を明らかにし、聖なるものの経験における対極的な力の相克を弁証法的に把握して、宗教学を力学として理解していることに深く共感します。わたしも神学は力学であることを唱えてきました。ティリッヒがこの力学的な視点から宗教を動態的に観察して、宗教の動的類型論を提唱していることにも共感を覚えます。また、狭い意味での宗教、すなわち祭儀と教理と聖職階級からなる社会体制となった歴史的諸宗教を批判する視点も明確で、そのような意味での宗教からの脱却の必要が随所で唱えられていますが、同時にその脱宗教がもたらした世俗化の問題点と、世俗化した世界に生じた疑似宗教の分析も、ティリッヒの宗教論の重要な貢献であり、今後の宗教学の方向を考える上で重要な要素です。ティリッヒがエリアーデとの共同演習で始めた組織神学と宗教学のコラボレーションが短期間で終わったことが惜しまれますが、この方向はこれからの指針として、神学においても重視されなければならないと思われます。

 


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