福 音 と 宗 教 10 


    第二章 宗教の神学   

                      



      第七節 宗教の多元化と世俗化 ― 現代の宗教問題 (下)


 

            V 疑似宗教の拡大と宗教の過激化


疑似宗教の成立と拡大

  現代における世界の世俗化は、二つの深刻な宗教問題を引き起こしました。一つは擬似宗教の成立とその巨大な勢力の拡大、もう一つは本来の宗教の原理主義化と過激化の問題です。


  擬似宗教とは、宗教の外で、すなわち世俗の領域での価値を究極的な目標として掲げ、その実現を追求する運動が、その目標を「究極的なもの」として、運動の従事者に無制約的な服従と献身を要求する運動です。そこでは神とか聖典礼というような宗教的用語は用いられませんが、「究極的なもの」に対する無制約的な服従と献身が求められるという点で宗教的な実質をもつ運動です。ティリッヒは現代の擬似宗教の典型としてナショナリズム(民族主義)とコミュニズム(共産主義)の二つをあげています。ナショナリズムはある民族の栄光とか使命を究極的な価値として掲げ、その実現のために民族の成員に無条件の服従と献身を求める運動です。このナショナリズムは近代以降に成立した国民国家、民族国家には大なり小なり程度の差はあっても、民族の自己主張として必然的に伴っていましたが、それが過激化した形態がドイツのナチズムやイタリアのファッシズムとなり、戦前の日本の国家神道となって、世界に破壊的な惨禍を引き起こすことになります。もう一つのコミュニズムは階級なき社会を目指す社会主義の急進化・過激化した形態です。ロシアのコミュニズムという擬似宗教は、東方キリスト教の牙城であるロシアからロシア正教を追い出して全土を制圧するに至りました。これらの歴史的事実は、諸宗教にとって擬似宗教がいかに重大な問題であるかを示しています。ティリッヒは「キリスト教と世界諸宗教との出会い」という講演の第一講「現在状況の確認」で、今日の状況で諸宗教が直面している緊急の問題は、他の宗教との対決ではなくて、擬似宗教の攻勢にいかに対処するかの問題であることを強調しています。

  擬似宗教は世俗化の産物です。世俗化していないところでは、宗教そのものが支配しているのですから擬似宗教は生まれてきません。近代以降世俗化が進行した国々では、それまで支配的であった宗教の思想や習慣がが抑圧として感じられ、それらからの脱却が追求されるようになり、だんだんと宗教自体への無関心が広まります。それと共に、それまで支配的な宗教が土台を提供していた社会の秩序とか安定性が揺らいできます。確かな拠り所のない不安定な社会においても、移ろい行く俗なる世界の中で移ろい行かない永遠なるもの、究極的なものを求めないではおれない人間の本性、ホモ・レリギオーススとしての本性は変わりません。その本性に向かって様々なイデオロギーや思想が、呼びかけ働きかけます。これこそが究極的なものであり、これを追い求めることこそ人生の意味であり目的であると呼びかけます。この目的に無制約的に真剣に自分を献げることが人生の意義を全うすることだ宣言します。こうして神とか他の宗教的用語を使わないで宗教的献身を求める運動が勢力を拡大していき、擬似宗教が生まれます。

  擬似宗教は神とか天国とか地獄、その他の神話的用語は使いません。また祭りや儀式は行いません。しかしその社会の文化が提供するあらゆる手段を総動員して自己の主義主張を宣伝して多くの人たちを引きつけ説得しようとします。彼らは折に触れてまたは定期的に祭典を催します。彼らの議事は祭司たる指導者たちの権威を承認する儀式となります。ナチズムではスポーツの大会も民族の祭典となります。彼らはかれらの主張の実現を語る神話を声高に叫びます。彼らの思想は終末論的となります。彼らは粛清や公開裁判で反対者は裁かれることを公示し、思想統制が進みます。


疑似宗教に対する諸宗教の対応

 このような擬似宗教の拡大に対して既成の宗教はどのように対処したのでしょうか。このテーマは詳論するにはあまりにも巨大であるので、代表的な事例を瞥見するにとどめます。二〇世紀には、ティリッヒが指摘したように、二つの擬似宗教が世界に衝撃を与え、歴史の流れを大きく変えました。すなわち、社会主義が過激化したコミュニズム(共産主義)と民族主義が過激化したファシズム(ドイツのナチズムや日本の国家神道など)です。

 二〇世紀最初の世界史的大事件となる第一次世界大戦の時に起こったロシヤ革命によって、ロマノフ王朝の支配は崩壊し、共産党一党独裁のソヴィエト連邦が成立します。この革命に至る過程で、それまでロシヤの社会的精神的基盤とされていたロシヤ正教は、ユダヤ人マルクスがユダヤ教終末論を世俗社会の階級なき社会という理念に置き換えたコミュニズムという擬似宗教が持つ巨大なエネルギーに立ち向かうことはできませんでした。東方キリスト教の主流であるギリシア正教の正統の後継者であることを誇るロシア正教は、独特の深い神秘主義的思想をたたえる宗教でしたが、儀礼的でサクラメンタルな面が強く、静的な体制宗教となっており、社会的改革に向う姿勢も力も持っていませんでした。このような宗教は、コミュニズムという擬似宗教が当時の民衆の苦悩という状況から吸い上げた巨大なエネルギーに立ち向かうことは到底できませんでした。ロシアはコミュニズムが支配する国となり、コミュニズムという擬似宗教がロシアからロシア正教を追い出したのは、昔イスラム教がビザンチン帝国の東部からギリシア正教を追い出した歴史に比べられます。その革命の余波は貧困に苦しむ世界に大きな影響を及ぼし、その革命に対抗する陣営と世界を二分する結果となり、第二次世界大戦後にはいわゆる東西冷戦の時代をもたらします。

  社会主義が過激化した形態であるコミュニズム(共産主義)という擬似宗教は、ロシアでは成功しましたが、ローマカトリックのキリスト教とプロテスタントキリスト教が確立しているヨーロッパでは成功しませんでした。第二次世界大戦後の一時期、ロシア共産党がその軍事力によって東ヨーロッパを政治的に支配することに成功しましたが、その宗教的基盤を崩すことはできませんでした。キリスト教のヨーロッパは社会主義の理念は受け入れましたが(両大戦間の時代にはヨーロッパに宗教社会主義の運動が起こりました)、コミュニズムは拒否することになります。ヨーロッパは別の擬似宗教、すなわちナチズムに代表される民族主義の過激化した形態の擬似宗教との戦いを余儀なくされます。

  ナチズムはヒトラーのアーリア至上の異様な民族主義理念が過激化して、その巧みな扇動によって権力を得て悪霊化した擬似宗教です。このナチズムという擬似宗教に対してドイツのキリスト教会はどのように対処したのか、この仕方が擬似宗教に対する宗教のあり方の典型的なケースを示しています。ナチズムの台頭によってドイツの教会(正確にはプロテスタント教会)は二分されます。一九三三年にヒトラーが首相の座に就き権力を掌握してから一九四五年にナチス政権が崩壊するまで、ドイツのプロテスタント教会はヒトラーに迎合する「ドイツキリスト者」の運動と、ヒトラーを厳しく批判する「告白教会」に二分されます。首相になったヒトラーは当初は教会に対して宥和的な態度を取りますが、教会を自分の政策に取り込むために、ドイツキリスト者の運動を介して教会の組織に干渉してきます。それまでの領邦教会を一元化して帝国教会を組織化し、意にかなったミュラーを総監督に任命し、教会を意のままにコントロールしようとします。それに対して、ナチズムの危険を見抜いたキリスト者たちは、世界の主はイエス・キリストだけであるとして、ヒトラーに対抗する告白教会の運動を組織します。そして一九三四年にバルメンで第一回の総会を開き、六条からなる信仰告白的な神学宣言、バルメン宣言を発します(正式名は「ドイツ福音主義教会の現状に関する神学的宣言」)。この宣言の主要な起草者はカール・バルトです。ドイツキリスト者運動がヒトラーに迎合することができたのは、ルターの二王国説(神は教会と国家という二つの別の王国にそれぞれ別の支配権を与えたという説)に基づいて、国家権力に従う根拠にしたからであると考えられますが、カルヴァンの流れを汲む改革派の神学者バルトは、徹底的に神の啓示だけに従うべきことを説いてこの宣言を起草します。このヒトラーに対するドイツのプロテスタント教会の闘争は「ドイツ教会闘争」と呼ばれ、二〇世紀の擬似宗教に対するキリスト教からの批判抵抗運動の典型として、キリスト教史の貴重な一幕となります。


自由主義的ヒューマニズムの普遍性と脆弱性

  ファシズムの全体主義国家に対抗して戦った欧米諸国の連合国側の理念は自由の擁護でした。共産主義を敵として同盟したファシズム三国(日独伊)に対してソ連も連合国側に加わり、世界第二次大戦を戦いました。一九四五年にこの大戦が終わるまでの二〇世紀前半は、民族主義の過激化した形態であるファシズムという擬似宗教との戦いの時代となりました。その大戦に勝利した連合国側は、全体主義的な東側の共産主義陣営と自由主義的な西側諸国が対立して、二〇世紀後半は東西両陣営の冷戦時代を迎えます。

  東側陣営のコミュニズムという擬似宗教化したイデオロギーに対して、西側陣営はどのような理念とかイデオロギーをもってこの冷戦を戦ったのでしょうか。それはもはやキリスト教という宗教ではありませんでした。東側陣営は核兵器という究極兵器さえもつ軍事大国ソ連を盟主とし、その支配下にある東ヨーロッパ諸国の陣営です。その力に対抗するには共通の理念で結合した諸国家の連合でなければなりません。西側陣営は、世界最強の経済力と核兵器を含む軍事力をもつアメリカを盟主とし、共通のイデオロギーないし理念をもつ西ヨーロッパ諸国の連合となります。その共通の理念は自由主義と個人の尊厳の無限価値と平等です。これらの理念は確かにキリスト教によって培われたものですが、啓蒙主義の圧倒的影響力のもとで世俗化し、政教分離が徹底した近代以降の欧米では、世俗的領域での価値についての理念でなければ、多くの世俗国家を結合する理念とはなりえません。その理念が自由主義(個人と経済における自由)および個人人格の平等と尊厳、いわゆるヒューマニズムの理念です。ティリッヒはこの理念を「自由主義的ヒューマニズム」と呼び、このような世俗領域における価値を究極的なものとして無制約の献身を求める一つの擬似宗教として、ファシズムとコミュニズムに並ぶ第三の擬似宗教としています。

  この理念で結合した西側陣営が、東西両陣営の冷戦に勝利します。それは東側陣営がコミュニズムによる全体主義的な独裁政治に疲れ果て、経済的疲弊もあって、民衆の承認を得られなくなって、一戦も交えることなく自滅したからです。その結果、東欧の衛星国諸国も離れ去り、最後に東西冷戦の象徴であったベルリンの壁が一九八九年に崩壊します。その数年後に、ヘーゲルの流れをくむアメリカの政治学者フランシス・フクヤマが「歴史の終り」(1992)を出して、アメリカ流の自由主義の民主主義政体が最終的に勝利して、人類のイデオロギーの闘争史としての歴史が終わったことを宣言しました。確かにその後では社会主義諸国も自由主義的な体制を導入して発展し、民主主義の体裁を標榜するようになり、もはや政体の変革というような大きな衝突や革命はあり得ないようにも思われました。しかしフクヤマは宗教問題が解決していないことの重大性を見落としていたようです。彼の「歴史の終り」の数年後に、彼が師事したこともある政治学者のハンチントンが「文明の衝突」(1996)を出して、宗教の違いが今後の世界の大問題になることを警告したことは象徴的です。

  ところで一つの擬似宗教としての自由主義ヒューマニズムには、他の擬似宗教には見られない脆弱性があります。他の擬似宗教は民族の栄光とか使命、またはある社会体制を究極的な価値として、その実現のために無制約的な服従と献身を要求ないし強制して、民衆からエネルギーを吸収して巨大な勢力になる可能性があります。ところが自由主義ヒューマニズムはもともと個人の自由を究極的な価値とするのですから、全体として巨大な力になることはありません。それが大きな力となるのは、その理念が外からの攻撃で存立の危機に追い込まれたときです。そのような状況では、自由とか個人の尊厳という理念のためにすべての人が献身し巨大な力となります。しかしその危機が去ると、元のばらばらの個人の集合となり、擬似宗教としての動員力を失います。ティリッヒはソ連に対抗していた時代のアメリカにこのような自由主義理念の擬似宗教的な力を見ていますが、同時にこの種の擬似宗教として自由主義的民主主義が存続したのは歴史上稀であり、短時間のものであったことを指摘しています。

宗教の原理主義化と過激化

  ここまでに見たように、二〇世紀の宗教問題は擬似宗教の興隆と拡大が引き起こした諸問題に関するものでした。ところが二一世紀に入ると様相が変ってきます。それを象徴する事件が二一世紀の最初の年に起こります。すなわち二〇〇一年の九月一一日にビンラディンが率いるイスラム過激主義集団のアルカイダが、自由主義世界の牙城ともいうべき ニューヨークの世界貿易センタービルを乗っ取った航空機で爆破した同時多発テロ事件です。このテロ事件に対してアメリカのブッシュ政権はアルカイダに対する武力掃討作戦を発動しました。ブッシュ大統領はその武力行使はテロ集団に対するものであってイスラム宗教に対するものではないことをしばしば強調しましたが、過去に十字軍のトラウマ的な記憶をもち、近代の欧米諸国による植民地支配を恨むイスラム世界は、キリスト教的自由主義世界のチャンピオンとしてのアメリカに根深い敵意を持っていましたので、この武力行使はイスラム世界とキリスト教世界の全面的な衝突に至るのではないかと世界を震撼させました。その後もアメリカは、大量破壊兵器の保有を疑ってイラクに軍を進め、フセイン政権を倒し、イラクに混乱を引き起こしました。すでにそれまでに、アメリカはアフガニスタンでイスラム原理主義武装集団のタリバンと戦ってきていました。

  このような衝突はたんに宗教の対立から起こるものでないことは言うまでもありません。人種問題、差別問題、貧困問題、経済問題、政治問題など、実に多くの要素が複雑に絡み合って起こるものです。それがこの事件によって宗教的要素が前面に出てくることになります。すでに二〇世紀の終わり頃(一九九六年)にはサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」が出て、世界は宗教の違いから生じる諸文明間の対立と衝突の予感を持っていました。世界は、この事件が文明の衝突、宗教戦争、世界大戦の火付け役になるのではないかと震えあがりました。しかしそのような破滅的な結果になるには、現代の破壊技術があまりにも進みすぎていることがブレーキをかけたのでしょうか、そこまでは行きませんでした。しかし、九・一一事件が前面に引き出した世界紛争の宗教的な要素は、この世紀が進むにつれてますます強く出てくるようなりました。それは最近二〇一〇年代の「イスラム国」の問題に典型的に現れています。イスラム国を名乗るイスラム過激主義武装集団は、イスラム宗教とイスラム法だけが支配する国家の樹立を目指して、その目的に抵抗するいかなる勢力も殲滅するのに手段を選ばず、暴力(軍事力)を振るっています。戦争、虐殺、無差別テロ、誘拐など、その残虐さは世界を震撼させています。このイスラム国の姿は現代における宗教の過激化の行き着いた姿であり、われわれに宗教の原理主義化、過激化の問題を真剣に考えさせます。

  現代の世界の混乱の根源はパレスチナ問題である、とよく言われてきました。すなわち、世界に離散して迫害されてきたユダヤ人が、第二次世界大戦後にパレスチナこそわれわれの土地であるとして、先住のアラブ系住民を追い出してユダヤ人の国家「イスラエル」を建国したことから、アラブ系のイスラム諸国がユダヤ人を宿敵として対立し、ユダヤ人の後楯となった欧米キリスト教諸国、とくにアメリカと対立するようになった問題です。実はこれも宗教問題でした。ヨーロッパでポグロムやホロコーストというような民族虐殺の悲運を体験した離散のユダヤ人は、政治的に独立した祖国をもつことが悲願でしたが、それはなにもパレスチナでなくてもよいという思想もあり、離散の状態でもよいという考えさえありました。しかし、ユダヤ人の宗教聖典である聖書にカナンの地(パレスチナ)こそ神がユダヤ人のものだと約束されたのだからとして、パレスチナでの祖国建設を主張する原理主義的なシオニズムが主導的となり「イスラエル」国の建国となりました。そしてイスラエルを支援するアメリカの政権も聖書を文字通りに信じる原理主義的な宗教保守派に支えられている面があって、パレスチナ問題も宗教問題である色彩が強くあります。

  このように現代世界の混乱には宗教的な要素が色濃く出てきましたが、逆説的に聞こえますが、これは現代世界の世俗化の産物であると言えます。世俗化の趨勢に対して宗教は防衛の態勢を取ります。この防衛の仕方に二通りの仕方があることを先に見ました(本書246頁)。そのうちの一つの信仰復興運動は、それが真に霊的なものであれば、その宗教の改革運動として宗教自体の活力の復興として歓迎すべきものになりますが、宗教はもう一つの方向に向かいがちです。すなわち、宗教の原理や媒体の強調ないしは強制の方向です。宗教がその祭儀や教理信条を絶対化して、その順守を強要する方向です。外からの攻撃に対して防御する側は、体制維持のために強制的になる傾向があります。宗教は世俗化の攻勢に対して、自己の宗教としての原理(祭儀や教理など)を絶対化して、その成員に強制します。これが宗教の原理主義化です。聖典をもつ宗教では、その聖典を字句通りに解釈して従うことを要求します。祭儀中心の宗教ではその祭儀の忠実な執行を求めます。このように原理主義化した宗教は、当然他の宗教に対して不寛容となり、その宗教に反するあらゆるもに対して闘争的となり破壊的となります。

  このように原理主義化した宗教が、その宗教原理に熱心なあまり、宗教の限界を超えて手段を選ばなくなり、暴力に訴えたり権力と合体するまでになるとき、宗教の過激化が起こります。この宗教の過激化から起こる悲劇を歴史は繰り返し見てきました。一世紀のユダヤ教の「熱心党」は、ユダヤ教律法だけが支配する体制を求めて異教の支配者ローマと武力をもって戦い、その結果国を滅ぼしました。宗教改革の時代に千年王国主義のキリスト教原理主義集団は過激化して、当時のヨーロッパのキリスト教世界に多くの宗教戦争を引き起こしました。先に見たとおり、二〇世紀の擬似宗教は過激化して世界に悲惨な大戦を引き起こしました。世俗化して経済一辺倒になっていた大戦後の日本でも、オウム真理教という新興宗教が武装してテロに訴えるという事件が起こり、過激化した宗教の恐ろしさを印象づけました。現代ではイスラム世界の一部の原理主義集団が過激化して、アルカイダやイスラム国の運動となって、世界に暴力の恐怖を撒き散らすことになります。 現代の過激化した宗教は世俗世界で極度に発達した諸技術(インターネットなど)を駆使してその過激化した宗教思想と恐怖を撒き散らしています。
  このように世俗化が宗教を原理主義化し過激化する面がありますが、同時に原理主義化し過激化した宗教が世俗世界を原理主義化するという一面もあるようです。二〇一五年一月にパリの週刊誌社シャルレがイスラム過激派集団に襲撃されるというテロ事件が起こり、フランス社会に衝撃が走り、国の存立の基盤である自由を脅かす事件として、大統領をはじめヨーロッパの多くの指導者が先頭に立って、パリで空前の規模の反テロのデモが行われました。これは象徴的な出来事でした。これは自由の砦をもって自任するフランスが、自由を法律で(=権力で)規制する方向に踏み出すことを示しているからです。これはまさに自由という理念の原理主義化です。最近の時事問題を扱っている雑誌が、このような状況を「西欧とイスラム ー 原理主義の衝突」という表題で取り上げています。< BR>
  世界の世俗化は、これまで宗教の魔的な拘束から人間を解放し、宗教の枠から脱した場で人間として交流することができる場を提供するとして、積極的に理解されてきました。ティリッヒも「あらゆる現存の宗教に対する世俗主義の攻撃は、もはや純粋に否定的なものではなく、人類を宗教的に一つにしようとする運命がたどる間接的な道として理解されることもできます。人類の大部分の世俗化が、人類の宗教的な変貌に向かう道になりうるという希望さへもちえます」と言っていました。しかしここで見たように、世俗化が擬似宗教を生み出し、宗教を原理主義化し過激化する側面もあるとすれば、世俗化を手放しで喜ぶことはできず、宗教が宗教として健全に機能するように、すなわち宗教の回復を図らなければならないことになります。しかしこれも先に見たように、体制的な宗教、媒体としての宗教を回復しても、それは世俗化から生じる現代の宗教問題を克服する道にはなりえないのです。われわれ現代の人間は、世俗化と宗教の支配との間に別の道を探らなければならないのです。その道として次項で本書の主張として「宗教相対主義」の道を提唱することになります。


            W 宗教相対主義の道


現代の宗教多元化の問題は対話で解決できるか?

  本節(第七節)で現代の宗教問題として、宗教の多元化と世界の世俗化を概観しました。宗教多元化の問題というのは、人類の歴史ではもともと一つの共同体には一つの宗教があって、その宗教が共同体成立の基盤となっているのが原則であるのに、一つの共同体に複数の宗教があって、それらの複数の宗教がその共同体(単数)の基盤となる地位を争って複雑な関係を形成する事態です。ある共同体の内部で別の宗教が発生するという内発的な場合もありますが、大抵はもともとある一つの宗教によって成立している一つの共同体に外からの別の宗教が入ってくることによって宗教の多元化が起こります。その場合、元の宗教と新参の宗教(単数または複数)の間に、排斥、迫害、包摂、寛容、容認、混淆、乗っ取りなど複雑な関係が生じます。人類の宗教史はこのような複雑な事例で溢れています。ところで、現代の宗教多元化の問題がこれまでの多元化問題と違うのは、問題を抱える共同体が地球規模の一つの共同体となっているという事実です。これまでは地球上には多くの人間共同体があって、それぞれの共同体が宗教多元化の問題を抱えていました。大抵の場合、元の宗教と新参の宗教との複雑な力関係の問題でした。しかし現代では事情が違います。交通手段と通信手段の異常な発達の結果、どの民族、どの生活圏、どの文明圏も単独で孤立して存立できず、否応なく他と関わりをもって生きていかなければなりません。いわゆるグローバル化の時代です。人類は一つの共同体であることを自覚せざるをえません。現代の宗教多元化の問題とは、このような地球規模の宗教多元化の問題です。

  このような一つの人類共同体においては、もはや元の宗教とか新参の宗教というような区別はありません。どれもがみな地球上に存在してきた元の宗教です。どれか一つの宗教が他を包摂するとか排斥するという関係ではありえません。その関わり方は対等の立場で対話する以外にありえません。現代では宗教間の対話が叫ばれる所以です。どの宗教も人類共同体の基盤であるという主張を掲げて、他の宗教を排除したり、自分の中に包摂することはできません。自分自身の価値によって自分だけを「真の宗教」とすることはできません。

  では現代の宗教多元化から生じる諸問題は対話によって解決できるのでしょうか。確かに対話によって相互理解が深まることは有益です。しかし相互理解だけでは不十分であり、相互変容が必要であることは、先に見たように、すでにカッブの『対話を越えて』が唱えていました。しかしそこで述べたように、宗教自身に自己を変容する力がない以上相互変容は不可能であり、もしできたとしても地球上に無数にある宗教がすべて対話を通して相互変容して、人類共通の宗教を形成することは気が遠くなるほどの時間を要し、所詮は机上の空論に過ぎません。結論として言えることは、対話によっては現代の宗教多元化の問題は解決できないということです。


宗教相対主義の意味

  ではどうすればよいのでしょうか。わたしはここで宗教相対主義を唱えないないではおれません。宗教相対主義とは、すべての宗教は相対的なものであるという主張です。ここで言う宗教とは複数形の宗教、諸宗教の一つとしての宗教、社会体制としての宗教、祭儀や教理、神話や象徴で成り立っている聖なるものを指し示す媒体としての宗教のことです。原始的部族宗教からキリスト教やイスラム教や仏教などの歴史的現象としての宗教を指しています。こういう意味での宗教はすべて相対的のものであるという主張です。相対は絶対の反対です。相対的というのは絶対的ではないということです。そして、宗教を相対的なものとして位置づけるのは、宗教を無価値、無意味なものとして否定するのではなく、宗教の意義や価値を認めた上で、その絶対性の主張を否定するためです。宗教相対主義は諸宗教の絶対性主張(宗教原理主義)と諸宗教の無意味性主張(世俗主義)を否定する立場です。もちろん単数形の宗教、聖なるものを求めるホモ・レリギオーススとしての人間の営みそのものの意味を否定するものではありません。それを否定すれば、そもそも本書のような宗教を主題とする議論は成り立ちません。

  宗教は本性的に自己の絶対性を主張する傾向があります。宗教は日常の俗なる世界にいる人間に対する聖なるものの顕現ですから、人間に俗世界の論理を越えた無条件の尊敬と服従を求めます。人間は俗なる世界で価値あるものを捧げて聖なるものへの尊敬と服従を表現します。ここに宗教が成り立ちます。こうして聖なるものは俗なる人間の側の状況とか欲求とか理解とかの論理を越えて、すなわち相手の立場に絶して自己の要求を貫こうとします。このように相手の状況に絶した(= と無関係の、absolute の語意を参照)要求を絶対性の要求と言います。ここに宗教の絶対性の主張があります。このため宗教の世界には、とくに原始的な宗教では、その宗教の外にいる人間にはきわめて奇妙に見える行動が見られることになります。たとえば、ある宗教の人が絶対に豚肉を食べようとしない、時には命を賭けてそれを拒否するようなことは、その宗教の外にいる人には奇妙なことに見えます。

  このような意味での絶対性の要求をもつ宗教は、人間にとって強い拘束となる場合があります。宗教が重い軛となる場合があります。それは何らかの意味で人間が宗教の外に、あるいは宗教を超えて、何らかの究極な価値とか根拠を見出した場合です。近代の啓蒙主義は宗教の外に、すなわち人間に生得的な理性に人間にとっての究極的な価値の根拠を見出し、宗教を軛として撥ね退けて世俗化を推進する力となりました。しかし、宗教の内部でこのような宗教を超える究極的な価値とか力を見出して宗教の絶対性を乗り越えた場合もありました。ティリッヒは宗教内の宗教批判を預言者的な道と神秘主義的な道の二つをあげていました。両方とも聖なるものとの直接的な触れ合いによって宗教を乗り越える点では同じですが、前者は激しい宗教批判となり、後者は高踏的な宗教蔑視とか宗教無視になる点が違います。また前者は宗教を超える力によって直接的にそれに触れる体験へと召されるのですが、後者は禁欲とか瞑想などの努力によってそのような触れ合いに至ろうとします。ティリッヒが言うように、宗教史は宗教の内部で宗教を克服しようとする「神の戦い」の力動から成り立っている、ということになります。

  宗教相対主義は宗教の内部で宗教を克服しようとする道です。宗教の軛から脱するために、宗教の外に宗教を克服する力とか原理を求める世俗主義はとりません。世俗化した世界の中では宗教の回復を願います。しかし宗教の絶対化がいかに人間にとって不幸であり悲惨かを知っています。ティリッヒが「宗教は人類の栄光であり恥辱である」と言う時の恥辱は、絶対化の要求が暴力と結びついて過激化した現代の宗教が典型的に示しています。宗教は自分自身の中に自分を相対化する原理とか力をもっていなければなりません。ティリッヒはそのような原理を宗教の深みに求めました。彼は「宗教の深みには、宗教を宗教でなくする地点がある」と言って、各宗教がその地点に達して対話することを求めました。


パウロにおけるユダヤ教絶対性の否定

  わたしはティリッヒに共感するところが多く、引用も多くしましたが、わたしは宗教を相対化することの重要性をティリッヒから学んだのではありません。わたしはそれを生涯にわたる新約聖書の研究によって、イエスとかパウロとかヨハネというような新約聖書の主要人物から、とくに「福音と律法」の関係に命がけで取り組んだパウロから学びました。そのことは前著『福音の史的展開』の最後に置きました「終章  キリストの福音からキリスト教へ」でやや詳しく書きましたので、それを参照してただくことにして、ここでは宗教相対主義の主張の根拠を理解していただくために、パウロの議論を中心に簡潔にまとめておきたいと思います。

  パウロは十字架につけられたイエスを復活されたキリストとして、そしてそのキリストにおいて神がすべての人を救うための働きを成し遂げられたことを福音として、世界に告知しました。パウロはその福音をとくに異邦人に、すなわちユダヤ人でない人たち、ユダヤ教徒ではない人たちに告げ知らせることを、神から自分に与えられた使命として、当時の地中海世界の諸都市に広くキリストの福音を告げ知らせました。そのさいパウロは、ユダヤ教徒でない人たちには、割礼を受けてユダヤ教徒にならなくても、異教徒のままでこの福音を信じることによって救われ、神の民となると告知しました。これは「無割礼の福音」と呼んでいいでしょう。このパウロの「無割礼の福音」の主張が、ユダヤ教徒から激しい反対を受けることになります。割礼を受けてユダヤ教徒にならなくても神の民となれるのであれば、ユダヤ教が存在する意味がなくなるではないか、その主張はユダヤ教そのものを否定するものであるとして、ユダヤ教を穢す言説を世界に撒き散らす「疫病のような男」として命を狙われます。事実、パウロはこのようなユダヤ人から告訴されて処刑されるに至ります。それだけでなく、パウロはイエスをキリスと信じる同信のユダヤ人からも、イエスをキリストと信じる異教徒はまず割礼を受けてユダヤ教に改宗しなければ救われて神の民にはなれないとして反対され、彼の福音告知の活動は最後まで執拗な妨害に悩まされます。かれらの反対や妨害に対して、パウロはガラテヤ書で激しく論争し、ローマ書でそれが福音の土台であることを体系的に論述しています。

  パウロはその「無割礼の福音」の主張を貫徹するために、その書簡の中では「福音と律法」という対比で繰り返し語っています。「人は律法の行い(実行)ではなく、キリストの信仰によって救われる」という命題がパウロの福音の基本であることは広く認められています。ところがこの律法という用語が戒めとか戒律という意味だけに理解され、とくに近代では道徳規定と理解されて、人はどんなに道徳規範を立派に守って善人になっても、その価値で救われるのではなく、信仰によって救われるという主張になっています。しかも「キリストの信仰」という表現も、キリスト教という宗教への信仰と理解されて、パウロの真意を伝えていません。
  パウロが律法という語を使うとき、多くの場合それはユダヤ教という宗教の全体を指していることくを見落としてはなりません。パウロはその書簡をギリシア語で書いています。パウロは書簡で《ノモス》という語を多く用いています。《ノモス》というギリシア語は、法、法律、誡め、規範、法則、原理というような広い意味の語です。日本語の聖書ではほとんどの場合「律法」と訳されています。しかしパウロの時代のユダヤ人の間では、《トーラー》というヘブライ語を指す時、ギリシア語では《ノモス》という語を用いるのが普通でした。そして当時のユダヤ教徒は自分たちの宗教を指すのに《トーラー》という語を使っていました。今でこそユダヤ人の宗教はユダヤ教と呼ばれていますが、当時のユダヤ人が自分たちの宗教を「ユダヤ教」と呼ぶのは稀で(新約聖書での用例は二箇所だけ)、普通は《トーラー》と呼んでいました。《トーラー》は、狭い意味ではモーセ五書を指しますが、ユダヤ人の間ではモーセ五書の律法に基づくユダヤ教の全体を指す語になっていました。それでパウロが《ノモス》という語を用いる多くの場合、とくにキリストの信仰との対比で用いる場合は、ユダヤ教という宗教全体を指していると理解すべきです。

  こう理解しますと、パウロが「人が義とされる(救われる)のは、律法の実行によるのではなく、キリストの信仰によるのである」と宣言するとき、人の救いはユダヤ教の実行・実践とは関係なく、ただキリスト信仰によるのである、と主張していることになります。もし律法、すなわちユダヤ教の実行によって救われるのであれば、人は割礼を受け、安息日を守り、豚肉を食べないなどの食物規定を守り、その他のユダヤ教の諸々の規定を順守しなければ救われないということになります。これは、ユダヤ教を救いの条件とすること、ユダヤ教の順守者でないと救われないとするユダヤ教の絶対化です。パウロはこのユダヤ教の絶対化を否定したのです。実はこのユダヤ教の絶対性の否認はイエスから始まっています。イエスは、ユダヤ教諸規定を十分に守れないので、ユダヤ教指導者たちから「罪人」と烙印を押され、神の国を受け継ぐ神の民としての資格のない者とされていた人たちに向かって、「あなたたち貧しい人たちは幸いだ。あなたたちは神の国を受け継ぐのだから」と宣言されました。こうしてイエスは、ユダヤ教律法の諸規定を守ることを神の国を受け継ぐ(=義とされる、救われる)ことの条件とされなかった、すなわちユダヤ教の絶対性を否定されました。そのことがユダヤ教指導者たちからユダヤ教否定する者、ユダヤ教の神を穢す者として死刑の判決を受けることになります。パウロも同じです。自分の宗教を絶対とする者には、その宗教の絶対性を否定する者はその宗教そのものを否定する者となるのです。
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 宗教の相対的意義

  パウロは(そしてイエスも)ユダヤ教という宗教を否定したのではありません。ユダヤ教の絶対性を否定したパウロにユダヤ教徒は詰め寄ります。「ではユダヤ人に何の優れた点があるのか。また割礼の益は何か」、すなわちユダヤ教という宗教が与えられていることにどういう意味があるのか、と問い詰めます。それに対してパウロは、「それはすべての面で多くある」と答えて、まず神の言葉が委ねられていることを挙げます(ローマ書三章一節以下)。ローマ書九章一節以下では、ユダヤ教徒に与えられた数々の特権をあげています。すなわち、パウロはユダヤ教という宗教に、人間の救済にとって優れた意義があることを認めています。パウロは、キリストの福音を提示する最も綱領的な箇所で、「しかし今や、律法とは無関係に、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が表された。すなわち、イエス・キリスト信仰による神の義であって、すべて信じる者に与えられるのである」と言っています(ローマ書三章二一〜二二節)。「律法と預言者」という表現もパウロの時代では聖書の二大区分を指す表現で、聖書に立つユダヤ教の全体を指していました。最初に「律法とは無関係に」という表現で、救いがユダヤ教という宗教の実行とは無関係に与えられることを言った後、すぐに「ユダヤ教によって指し示されて」と続けています。すなわち、ユダヤ教という宗教はキリストにおける神の救いの働きの実現を指し示し、人がそれに備えるのに有益であると言っています。

  パウロはユダヤ教の中で生まれ育ち、最後までユダヤ教徒でした。パウロはユダヤ教の聖典である聖書が神の啓示の言葉であることを疑ったことはありませんでした。パウロはすべての議論を聖書を根拠にして進めています。パウロにとってユダヤ教は最高の宗教、宗教の中の宗教、真の宗教でした。しかし、いかに優れた宗教でも、それが宗教である限り、それを救いの根拠にすることはできません。その宗教に属することを救いの条件とすることはできません。これが宗教を相対化するということの意味です。パウロはユダヤ教の優れた意義を認めつつ、その絶対性を否定して、ユダヤ教を相対化しました。

  宗教相対主義の聖書的根拠を問われるならば、ローマ書三章二一節の「しかし今や、律法と無関係に、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が現れた」というパウロの言葉をあげることができるでしょう。パウロはここで《コーリス・ノムゥ》(律法なしに)と言っています。《コーリス》というギリシア語の前置詞は「なしに」という意味ですが、英訳では without がよく用いられます。この英語は本来 within (の中で)の反対で「の外で」の意味ですが、「なしで」という意味で使われるようになっています。先に見たように、《ノモス》をユダヤ教を指すと理解すれば、この句は「ユダヤ教の外で」とか「ユダヤ教なしで、ユダヤ教とは別に、と無関係に」神の義が現れた、と宣言していることになります。そして、パウロがここで「神の義」と呼んでいるのは、人間を救う神の働きのことであり(この理解については拙著『ローマ書講解』Tの91頁およびUの322頁を参照)、神の救いの働きがユダヤ教なしに、ユダヤ教の外で、しかもユダヤ教という宗教によって証言されて現れた、と言っていることになります。この「宗教の外で、しかも宗教に証言されて」ということが宗教相対主義の立場です。

  わたしはこの宗教相対主義を内村鑑三の「無教会主義」から学びました。内村は、人は洗礼を受けて教会に加入し、聖餐にあずかるキリスト教徒にならなくても、キリストを信じることによって救われると主張し、これを無教会主義と呼びました。いわば「無洗礼のキリスト信仰」です。内村は決して教会を否定し、キリスト教を無視したわけではありません。内村ほど聖書を深く研究し、キリスト教の伝統を熱心に学んだ人物はいません。日本にキリストを宣べ伝えるためには教会とも協力しました。しかし無教会主義という呼び方には、どこか教会とかキリスト教を否定する響きが伴いますので、わたしはパウロの言う《コーリス・ノムゥ》を「無しで」ではなく「の外で」と理解して、教会とかキリスト教の外でもキリスト信仰は成り立つことを主張し(この主張については拙著『教会の外のキリスト』を参照してください)、かつキリスト教という宗教がキリスト信仰の立証のために有意義であることを付け加えるために、この主張を宗教相対主義と呼んでいます。

キリスト教の相対化

  ではキリストの信仰から発して形成されたキリスト教はどうでしょうか。確かにキリスト教はキリスト信仰から生まれ出た宗教であり、キリストの福音を内に保持している宗教、キリストの福音を世界に告知することを使命としている宗教として、他の諸宗教とは違う独自の性格をもち、独自の立場にあります。しかし、それが宗教である限り、他の宗教と同じく相対化されなければなりません。一つの宗教としては、自己を絶対化して普遍性を主張し、自分だけを「真の宗教」として他の宗教を排斥したり包摂する立場にあるわけではありません。独自の祭儀と教理信条と聖職制度をもって一つの社会的歴史的体制となったキリスト教という宗教は、ユダヤ教やイスラム教、ヒンドゥー教や仏教などと並ぶ相対的な諸宗教の一つです。キリスト教も相対化されなければなりません。

  先に述べたように、その絶対化によって人間にとって拘束とか軛になった宗教から解放される力とか原理を、宗教の外に求める世俗主義をとるのではなく、宗教は宗教の中にその力とか原理を見出さねばなりません。ティリッヒの表現では、宗教は自分が宗教でなくなる深みを探求しなければなりません。イエスやパウロは、ユダヤ教の中に生きながら、ユダヤ教を超える人間の絶対的な根底を見出したのでユダヤ教を相対化することができました。イエスは神の絶対的な恩恵を体験されたゆえに、ユダヤ教の諸規定を相対化されました。パウロは信じる者を救う神の力としての福音を体験したので、ユダヤ教を相対化することができました。われわれはキリスト教を相対化する原理とか力をどこに見出すことができるのでしょうか。

  実は本章「宗教の神学」で、トレルチが「キリスト教の絶対性」を問題にして以来、欧米のキリスト教神学がこの問題と格闘してきたことを、代表的神学者の考えを紹介して跡づけてきました。彼らはキリスト教は相対化しなければならない必要を自覚しながら、結局はキリスト教の絶対性とか普遍性に固執することになりました。彼らは現在のキリスト教という宗教がそのまま人間の存在の根底になるのではなく、キリスト教が指し示している何かが人間存在の根底になる絶対的なものであるとして、そのキリスト教宗教とは区別される何かをさがし求めてきました。トレルチはその何かを「イエスの素朴な絶対性」に求めました。ティリッヒはこう言っていました、「キリスト教を一つの宗教と考えてはなりません。キリスト教の本質は、キリスト教の現実と同一視し難く、一つのメッセージであり、すべての宗教を審き、特にキリスト教を審くものと考えられるべきであります」。神の救いの働きであるキリストの出来事を告知するメッセージ、すなわち福音がキリスト教の本質であり、現実のキリスト教と混同すべきでないと言っているのです。そのことを言うのに、すべてキリスト教という表現を用いなければならないという事実に、欧米のキリスト教世界の問題点があります。欧米の諸語では、「キリストの」という語は「キリスト教の」という語と同じです。キリストの現実とキリスト教の現実を指す語が同じですから、表現と概念に混乱が生じています。この混乱は、ヨーロッパ世界が千年以上にわたってキリスト教だけの世界であり避けがたいことかもしれませんが、神学的議論においては避けるべきだと思います。

  ではキリスト教を相対化する力とか原理はどこのあるのでしょうか。その答えは単純です。それは聖書の中にあります。それはキリスト教を生み出した力そのものです。それは神の力ととしての福音です。パウロが「福音はすべて信じる者を救いに至らせる神の力である」と言ったときの福音です。福音はキリストを告知します。キリストにおいて神が救いの働きを成し遂げられたことを告知します。この福音を信じて自分をキリストに委ねて生きる者、キリストに自分を投入してキリストに結ばれて生きる者は、救いに至らせる神の力を体験します。その体験においてユダヤ教徒であるか他の宗教の教徒であるかは関係ありません。神はユダヤ教徒の神であるだけでなく、すべての人間、すべての宗教の中にいる人間の神です。キリストの福音は宗教を相対化しています。

  キリストの福音とキリスト教は同じではありません。キリスト教はキリストの福音によって一世紀以降のローマ帝国の領域に形成された新しい宗教です。キリストの福音は、キリスト教の中に保持されて働き続けてキリスト教を拡大してきました。同時にキリスト教の中にあるキリストの福音は、この福音こそが絶対的なもの、究極的なものであると迫って、キリスト教という宗教の絶対性を否定し、キリスト教を相対化する力です。福音こそ、キリスト教の中にあって、キリスト教を形成する力であり、同時にキリスト教を相対化する力です。

結び ― 諸宗教を相対化する力としての福音

  このように福音はキリスト教を相対化します。キリスト教という宗教を相対化する福音は、宗教という宗教を相対化する力です。キリストの福音は、宗教を否定しません。福音は宗教の中に入っていって、その宗教の絶対性の主張は否定しますが、その宗教が歴史とその土地の文化の中で形成した形態は、福音を否定するものでない限りは、その意義を認め尊重します。すなわち、福音はその宗教を相対化して、神の力、神の救いの働きとしての本質を貫きます。

  先に見たように、現代の宗教の多元化は地球上のどの宗教にも、自分だけが元からある真の宗教であるという主張を許しません。ある宗教がほかのすべての宗教の民を自分の宗教に改宗させようとすることはできません。もしキリスト教という宗教が世界をキリスト教の世界にしようとしても、それは無理ですし、するべきことでもありません。一時期のキリスト教は、キリスト教の絶対性ないし普遍性を信じて、世界宣教という看板を立てて、そのような活動をしました。キリスト教がなすべきことは、キリスト教がその中に保持しているキリストの福音を世界に告知して、自分自身を含む世界の諸宗教を相対化して、それによって諸宗教間が真の対話を持つことができるようにし、その対話によって人類が民族とか文明とか宗教の違いを超えて、人間としての問題を克服するための対話を持つことができるようにすることです。宗教相対主義は、宗教(とくに宗教の絶対性主張)という「隔ての中垣」を打ち壊して、諸宗教の民の間に平和をきずく道です(エフェソ書二章  節)。

  各宗教は自分の深みにある力によって自己を相対化しなければなりません。しかし宗教にはそれを見出す力も姿勢もなく、宗教にはむしろ自己を絶対化する本性とか傾向があります。わたしはすべての宗教の事情に詳しく通じているわけではありませんが、知る限りの僅かな事例からしても、それぞれの宗教が自分で自分自身を相対化するときが来るとは到底思えません。各宗教を相対化できるのはキリストの福音であると考えています。では福音とは何者であるのでそれができるのか、福音とはいかなる力であるのでそれができるのか、この問題を扱うのが本書第二部「福音における神と人間」の課題です。そこでは聖霊として働かれる「働きとしての神」について語られることになるでしょう。しかしその第二部に入る前に、わたしたちにとって最も身近な宗教である日本の宗教史を概観して、宗教に対する福音の関わりについて、とくに仏教に対する福音の関わりについて、次章「日本の宗教史と福音」で考察しておきたいと思います。


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