福 音 と 宗 教 11


    第四章   キリストの福音 ー その成立と告知  

                      



    第二節   使徒パウロによるキリストの福音



 V  パウロのエクレシア形成の努力


はじめに
  本節「使徒パウロによるキリストの福音」では、まずパウロの福音の提示として最後の書簡であるローマ書がその要約を示しているとして(T)、その内容の概要をまとめてもました(U)。続いて第三項として、そこで見たようなキリストの福音を携えて地中海世界の各地に活動し、とくにアンティオキア共同体から独立して自給の形で福音告知の活動をして、エーゲ海地域に異邦人を主体とする集会を形成し、その福音を信じる民の共同体を発足させた使徒が、それらの共同体を「神のエクレシア」として形成するためにいかに努力したか、パウロの福音告知の活動の目標とも言うべきものを見ておきたいと思います。
 

集会形成のための労苦 ― アナトリア縦断の旅

  パウロは独立自給の福音告知の活動に入る前に、すでにアンティオキア共同体の指導者であり同志であるバルナバと一緒に、キュプロスで福音を伝えた後、アナトリア(アジア大陸の西端に突き出た大きな半島、ほぼ現在のトルコ領)に渡って、ピシディア地方の中心都市アンティオキアをはじめ、そこから東に進んでイコニオン、リストラ、デルベなど、ガラテヤ州南部の諸都市に福音を伝え、信じる者の集会を形成してきました。一般的にこの伝道旅行はパウロの「第一次伝道旅行」と呼ばれていますが、これはアンティオキア共同体からその代表者とも言うべきバルナバと一緒に派遣された活動であり、パウロがアンティオキア共同体から別れて独立で行った活動と並べて呼ぶことには疑問があります(パウロがアンティオキア共同体から別れて行動した事情については、本書四一頁以下の「X 使徒パウロの独立福音活動」の項を参照)。しかし、パウロはこれらの諸集会を自分が福音を伝えて形成した集会として深く心にとどめ祈りを絶やさず、気にかけていました。その証拠に、パウロ一向がデルベまで東に進んだのは、もう少し東に行って「キリキアの峡門」を南下すれば、タルソを通ってアンティオキアに帰還できると考えたからでしょうが、そうはしないでデルベから引き返して西進し、それらの諸集会を再訪し、しっかり信仰に立つように励ましたという事実からも分かります(使徒一四・二一〜二六)。

  それで、パウロがバルナバとは別行動を取るようになって、バルナバがマルコを連れてキュプロスの諸集会を再訪して励ますことにしたとき、パウロはシラスを伴って再びアナトリアの諸集会を訪れることになります。しかし、今回は前回とは逆にタルソから北に向かい、「キリキアの峡門」を通ってアナトリア高原に入り、先に訪れたガリラヤ州南部の諸都市を逆方向に訪れようとします。事実、パウロはデルベからリストラまで行って、そこでテモテという青年に出会い、彼も一行に加えています。ところがなぜかそこから西進せず北に向かい、ガラテヤ地方に入ります。ガラテヤ地方(現在のアンカラを中心とする地域)というのは、南北に長いガラテヤ州のほぼ中央に位置し、もともとガラテヤ人と呼ばれたケルト系の民が、文化も気風も周囲のヘレニズム世界とは違う独立の王国を形成していましたが、前二五年にローマの属州となり、ガラテヤ州に組み入れられました。パウロの一行がなぜこのようなユダヤ人もいない未開のガラテヤ地方に赴いたのか不思議です。ルカはその行動を御霊の禁止の声に帰していますが、パウロの心情からすれば、キュプロスに渡ったバルナバが前回のようにアナトリアに渡り、北上してピシディアのアンティオキアに来ているのと鉢合わせすることを避けたのかもしれません。実は、パウロはこのコース(ピシディアのアンティオキアからデルベ)を以前にバルナバと一緒に歩き、リストラではユダヤ人からの石打ちにあって死ぬ思いをしています。今回のシラスとテモテを伴った旅は二度目のアナトリアの旅です。そして、この後三度目になりますが、やはりアンティオキアからキリキアの峡門を超えてアナトリアの山岳地帯に入り、「内陸の地方を通ってエフェソに下って来て」います。パウロは三回この困難なアナトリア縦断の旅をしています。

  いったいパウロはこの独立の伝道活動を開始するにあたってどこを目指したのでしょうか。パウロは後に書いた手紙でローマを目指していたと書いていますが、実際の旅程からすると最初はギリシア本土を目指したのではないかと推察されます。パウロ一行はガラテヤ地方から北のビテニア州に入ろうとしますが(おそらくニコメディアを目指して)、「イエスの霊がそれを許さず」、結局はアナトリア西端の港町のトロアスに入ります。パウロの一行はアナトリアの東の付け根の南部の部分にあるアンティオキアから北寄りにあるガラテヤ地方を経て西端のトロアスまで、大陸とも言うべきこの大きな半島の高地を南北に横断しながら東端から西端まで縦走したことになります。これは驚くべき事実です。アンティオキアからトロアスまでは直線距離で一〇〇〇キロほどあり(これはほぼ北海道から九州に至る距離です)、山間の迂回を考えると一〇〇〇メートル以上の高低差のある高地の坂道を千数百キロにわたって自分の荷物を背負ってすべて徒歩で旅をするのは、まさに超人的な事業です。いくらローマ帝国が軍用の舗装道路を全国に張り巡らせた時代とはいえ、宿泊施設のない区間もあり、野宿の夜もあったことでしょう。現代のパウロ研究者が車でこの旅程を走破して、これをすべて徒歩で歩き通したパウロの情熱に驚嘆して、『旅のパウロ ― 経験と運命』という著作を出して、パウロの福音が決して書斎の産物ではなく、旅の労苦で鍛えられたものであることを世に示しています。
 
       その著作とは佐藤研『旅のパウロ ー その経験と運命』 (岩波書店、二〇一二年)です。著者はこのアナトリアの区間だけでなく、パウロのローマに至る旅程をすべて、自動車による旅ですが走破して、行き先の諸都市とその道程の具体的な実情を詳しく報告しており、パウロ理解について重要な提言をしています。その中で一箇所、教会的立場の著者がパウロの「無割礼の福音」について興味深い発言をしているところがありますので紹介しておきます。「ユダヤ教の中からいわば自己革命的な思想が出てきたのです。ユダヤ教徒であるにもかかわらず、ユダヤ教の枠を越えようとして、そのことがユダヤ教の元来のあり方、つまり神の元来の意志だというとらえ方です。今日の状況に置き直して、キリスト教に当てはめてみれば、バプテスマを受けてキリスト教徒にならなくても、キリスト教の救いにあずかれると言っているのと同じことです」と著者は言っています(同書八七頁)。まさにそのことを日本の内村鑑三が言ったのです。これは欧米のキリスト教からは出てこない主張です。わたしも「教会の外のキリスト」でその主張をしています(ただしキリスト教の救いではなく、キリストの救いです)。著者はパウロの「無割礼の福音」の革命性を引き立てるために内村の無教会主義を引用しているだけで、その主張に共鳴して実践しているのではないのでしょうが、現代のキリスト教会はパウロの「無割礼の福音」の主張を真剣に受け止めるべきだと思います。それは現代では「無洗礼の福音」となります(コリントT一・一七参照)。


集会の目的 ― 神の民形成のために

  パウロはトロアスからマケドニアに渡ってからは、エーゲ海を取り囲むギリシア文明発祥の地を巡って福音を告げ知らせ、その主要都市に信じる者の集会を形成しました。エーゲ海の北ではマケドニア州(フィリピ、テサロニケ、ベレア)、西ではアカイア州(コリント)、東ではアジア州(エフェソおよびコロサイなどの周辺諸都市)です。これらのエーゲ海を囲む地域では船便も多く、その地域を駆け巡るパウロ一行の旅も、アナトリアの縦断ほどの困難はなかったでしょうが、それでも陸路も多く、持病か障害を抱えたパウロには厳しい旅であったと想像されます。

  このような困難な旅、まさに超人的な旅を続けさせるエネルギーはどこから来るのでしょうか。もちろんそれは復活されたキリストこそがすべての民を救う方であるのだから、この救い主をすべての国民に伝えなければならないという使命感からですが、その中でも、その救い主であるキリストがすぐにも来臨されて、神の民の招集を終わり、神の民の数が満ちて完成される時が近いという強い切迫感があったからであると考えられます。このキリスト来臨《パルーシア》の信仰はテサロニケ第一書簡の四章に見られます。パウロはその福音活動の初めからこのように告知していましたし、その活動の最後に書いたローマ書にもそのように信じていたことがうかがえます。だからこそ、パウロはどの州の民もキリスト出現の報知は聞かなければならないとして、帝国のすべての州の州都に、また地域の中心となる大都市にこの福音を証言する集会の形成を急いだのです。パウロは自分の生涯のうちにキリストが来臨されると考えていたようで、帝国(それは当時の人には全世界でした)の東半分には福音を満たしたのだから、西の端のスペインまで福音を告げ知らせておかなければという使命感に燃えていました(ローマ一五・二三)。

  しかし、一個人であるパウロが福音告知の活動を及ぼすことができる地域と時間は限られています。パウロは自分と協力者たちの努力によって、帝国各地の主要都市にキリストの民の集会を形成することによって、自分がいない時でも継続的に福音を地域の人々に告げ知らせることができるように精力を傾けます。しかし、そのために形成した集会は、生身の人間が形成する共同体ですから、様々な種類の問題やトラブルが絶えませんでした。とくにパウロが形成した集会はおもに異邦人が主体となっていた集会でした。異邦人は、ユダヤ人のように長年にわたって神の啓示の言葉を与えられて、救済史信仰に鍛えられた民ではありません。最近まで様々な異教の宗教の中にいた人たちです。そのような人たちが形成する共同体として、その内部に宗教的思想の相違や生活上の実際の意見の衝突があっても仕方がありません。パウロはそのような問題を解決して、集会を自分の理想とする集会にするために真剣に取り組んでいます。パウロはその願いを次のように書いています。「わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう」(フィリピ二・一二〜一六)。ここの「従順」はパウロへの従順ではなく、神の言葉(ここでは福音)への従順、「信仰の従順」です。パウロのほとんどの手紙はこのエクレシア形成のための取り組みを証言しています。以下の諸項目でパウロの書簡が証言するその取り組みを見ることにします。

神のエクレシア《エクレーシア・トゥ・テウ》

  最初にパウロが福音によって形成された諸集会をどのように見ていたのかを、彼の手紙から見ておきます。パウロはエフェソからコリントの人たちに宛てた手紙で、彼らを「神の《エクレーシア》」と呼んで挨拶を送っています(コリントT一・一〜九)。この箇所はパウロの《エクレーシア》理解の基本を示しており重要です。旧約聖書は神の民を指すのに《カハル・エール》(神の会衆)というヘブライ語を用いました。最初期のキリスト者が用いていた七十人訳ギリシア語聖書は、この《カーハール》(会衆)という語を《シュナゴゲー》と《エクレーシア》という二つのギリシア語で訳していましたが、キリスト者はユダヤ教徒一般を広く指す《シュナゴゲー》は用いず、神が終わりの日にイスラエルの民の中から選び分かたれた神の民を指す用語として《エクレーシア》の方を用いました。《シュナゴゲー》がユダヤ教徒の共同体を指すようになっていたのに対して、《エクレーシア》はもともとポリスの中で市会に呼び集められた自由民を指す語であったので、終わりの日に神に選ばれて呼び集められた民を指すのに適切であったのでしょう。

  先の項でローマ書をまとめた時に第三部のイスラエルの救いについて見たように、パウロはイスラエルという本来の神の民に異邦人が加えられることによって、そしてその両方の数が満ちることによって神の支配が完成するというという終末観を抱いていました。その終末的な神の民の「残りの者」という根に異邦人の中から召された者が接木されて「神の会衆」《エクレーシア・トゥ・テウ》が完成すると信じていました。パウロが異邦人の諸集会からの献金をエルサレム集会に届けることにあれほど熱心であったのは、それが彼の終末的な神の民の実現に必要な証であったからです。単なる「義理堅さ」からではありません。パウロは自分が歴史の中にもたらした諸集会がおもに異邦人から成り、イスラエルの民が受け継いできた救済史的な伝統に不慣れなことを心配して、ユダヤ人と異邦人の融合に心を配りました。しかし、歴史の実情はパウロの期待に反して、パウロが舞台から去ると、ほぼ同時期にエルサレム共同体を代表するヤコブは殺され、エルサレム共同体は辺地に逃れて、ユダヤ戦争によるエルサレムと神殿の崩壊にともない歴史の舞台から消えて行きます。《エクレーシア》は以後のユダヤ教徒の共同体である《シュナゴゲー》とますます対立するようになり、パウロ以後の時代では急速にユダヤ教とは別の信仰共同体であるとの自覚を深めることになります。これが後にキリスト教がユダヤ教とは別の宗教が成立する地盤になります。

神の宮としてのエクレシア

 コリント書簡や他の書簡でパウロがエクレシアについて語るところは、おもに異邦人から成るキリスト信仰共同体を神の民としてふさわしい民とするためのパウロの懸命な努力のあとがうかがわれる貴重な証言です。とくにコリント書簡はパウロの福音活動の最後の時期になるエフェソ滞在中に書かれた書簡として、彼の福音の思想的な要約となるローマ書簡と並んで、実践的な面で福音の提示を担っている重要な文書になります。その重要性はローマ書に比べて勝るとも劣ることはない書簡です。

  パウロはこのコリント第一書簡(三章)で、エクレシアは神がそこに住まれる「神の宮」であることをエクレシアに自覚させるように言葉を尽くして語っています。パウロがこの書簡で最初に取り上げている重要問題は、コリントにおける分派問題です。コリントでは「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っていることを伝え聞いたパウロは(コリントT一・一一〜一二)、そのように分派を作ることはキリストをいくつにも分ける行為だとして、この手紙の最初の三章を使って分派を厳しく戒めています。その中に、キリスト信仰は人間の知恵に絶して、愚かさの極みと見える「十字架につけられたままの復活者キリスト」の告知にだけ生きることであるという、極めて重要な秘義が語られています(二章)。しかし、この分派問題が最後に具体的に取り上げられるのが三章のエクレシアの一致の問題です。

  パウロはまずコリントにパウロ派とアポロ派という分派があって、互いに妬みや争いを起こしている事実を取り上げて戒めています。初めは、パウロは植えアポロは水を注いだが、神が作物を成長させたという畑の比喩を用いていますが、すぐに建物の比喩に移行して、パウロが据えたイエス・キリストという土台の上に、後から来た働き人(アポロやペトロ)がいろいろな材料で家を建てるのだと言って、そうして建てられた建物こそが神の建物、すなわち神殿であるとします。そして「あなたがたは、自分たちが神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」と問いかけます(コリントT三・一六)。地上には神々の住まいであると称する神殿や宮が数多くありますが、天地万物の創造者である唯一の神が住まれる神殿は、「あなたたち」すなわちキリスト信仰によって形成されたエクレシアであると言うのです。キリストある交わりは、その中に働く聖霊によって形成され、その中に聖霊が住まわれる神殿なのです。この事実を知るキリスト者は、人の手が作った神殿やお宮には神が住んでいないことを知っています。エクレシアこそ神が住み、神の霊が働く神殿です。ですから、分派行為などで神の住まいを壊す者は、神がその人を滅ぼされます。神殿は聖なるものです(三・一七)。このような厳しい警告をもって、人間の知恵を誇って分派行為を行う者を戒めます。

  パウロはこの書簡のほかの箇所(六・一九)で、キリスト者は一人ひとりがその体の中に聖霊を宿す神殿だとしています。その事実を自覚することで、キリストにある者はその身体をみだらなことに用いることなく、身体をもって神の栄光を現すように求めています。パウロがこのように個々のキリスト者に身体の行為において聖なることを求めるのは、エクレシアが聖なる神の住まいとして聖なるものであるからです。ガラテヤ書(五・一六)では、キリスト者個人の倫理も「御霊によって歩め」の一語で要約されています。個人の肉の欲求から出る汚れや罪は、聖なるエクレシアの交わりを妨げるからです。御霊によって歩む限り、肉の欲求を満たすことはなく、エクレシアを聖なるものとして保ち、その一致を保つことができるからです。


終末的共同体としてのエクレシア  

  パウロはダマスコ途上で復活されたイエスと遭遇して回心し、このイエスをキリストとして告知する活動に身を捧げました。そして三年後にエルサレムに上り、ペトロを通してエルサレム共同体の信仰告白を受け継ぎ、それから一〇数年バルナバと共に働いたアンティオキア共同体でも、同じ信仰を深め、その信仰を宣べ伝えてきました。その信仰告白の内容は、パウロ自身がその書簡の中で引用しています(コリントT一五・三〜五、ローマ一・二〜四など)。基本的には、キリストであるイエスの十字架の死と復活において神が成し遂げられた人間の贖い(救い)の告知です。しかしその中に、今は栄光の中に父と共にいます復活のキリストがやがてこの世界に来臨されて、その働きを完成されるという《パルーシア》(来臨)の信仰が含まれていたことは確かです。その事実は、パウロがその独立の福音告知活動の最初の時期に形成されたテサロニケの集会に当てた書簡(テサロニケ第一書簡)が、このキリストの《パルーシア》を主題として扱っているという事実からも明白です。パウロの福音活動を伝えるルカの文書(使徒言行録)では、間近なキリストの来臨を待望するという《パルーシア》信仰を克服して、エクレシアが歴史の中を歩むことになる覚悟を求める時代を迎え、《パルーシア》信仰は後退し、ルカの使徒言行録ではエルサレム共同体もアンティオキア共同体もそのような《パルーシア》信仰に燃えていた様子はうかがえません。しかしパウロの時代の共同体がこのような間近な復活者キリストの来臨を待ち望む共同体であったことは確実です。パウロ自身も、自分の生存中にキリストの来臨があると考えていたことが、その後期の書簡からもうかがえます(コリントT一五・五二)。

  パウロはキリストの間近な来臨を待望する当時の《パルーシア》信仰を共にしていますが、パウロにはこのユダヤ教黙示思想的な終末信仰を克服する萌芽が見られます。それは、パウロがこの出来事をキリストの《アポカリュプシス》と呼んでいるという事実です(コリントT一・七)。《パルーシア》という語は到着という意味で、今はここにいない人が到着することです。それに対して《アポカリュプシス》というのは、覆いが取り除かれて隠れているものが顕れるという意味の語です。《パルーシア》信仰は、天に帰って今はここにおられないキリストが帰って来られるという信仰で、普通「再臨」と言われています。それに対して《アポカリュプシス》は、今すでにここに隠された姿でおられるキリストが、覆いを取り除かれて顕れることを指しています。この語を使うことで、パウロはキリストが今すでにエクレシアの中におられるのであるが、やがて時が満ちてキリストが顕な形でその充満を現される時が来るとの信仰です。エクレシアの中に聖霊が働いておられるという事実は、キリストがその内におられて働いておられることを意味します。それがなければキリストの民ではありません(ローマ書八・九〜一〇)。パウロはこのような形での将来を熱く待望しているので、キリストにある者の希望を語るローマ書(八・一八〜二五)では、この《アポカリュプシス》とその動詞形を用いることになります。

  おもに異邦人から成る集まりを、このようなキリストの「顕現」《アポカリュプシス》を待ち望む「神のエクレシア」として形成するためにパウロはこのコリント書簡を書いています。その全体が終末的な民の健全な成長を目指しているのは当然です。その民の終末的性格は初めの挨拶の言葉(一・四〜九)からも十分に感じられますが、手紙の本体部分でその集会が神の霊が住む神の宮であることを自覚させ(三章)、結婚生活や性生活の問題、裁判などの社会生活全般にわたって(六〜七章)、具体的な指示を与えています。ここでその細目に立ち入ることはできませんので講解や注解書に委ねて、ここではエクレシアの終末性を以下の三つの点に絞って見ておきます。


宗教的祭儀とエクレシア ー 主の晩餐をめぐる諸問題

  社会的な体制宗教となった諸宗教には、まず必ずその宗教が目標とする境地を指し示す象徴としての儀式(祭儀)があります。むしろ宗教とはそのような祭儀のシステムだと言ってよいぐらいです。そして諸宗教はそれらの祭儀を宗教自身とし、その祭儀を欠けるところなく実行しなければ、その宗教に所属する者ではないとします。その宗教が指定する祭儀の実行を、その宗教が提供する救済(神とのあるべき関わり)の条件とし、またその宗教が統合している共同体への所属の条件としています。祭儀に加わらない者を、その宗教から、すなわちその宗教が統合している共同体から排除します。象徴が条件になっています。宗教共同体であるローマがローマの神々の礼拝儀礼に参加しないキリスト者を迫害したのもその実例です。

  たとえば赤という色は、血液とか内なる情熱とかある政党の主張とか様々な事実を象徴しています。ところで、信号機の赤は「停止せよ」という国家の命令です。従って赤信号を無視して停止しない者は国家の法律によって処罰されます。しかし、信号機以外の赤にどのように対応するかは自由です。赤色をどのように図案に使用するかは勝手です。信号機の赤は、象徴が条件になっている場合です。ところで、宗教において象徴が条件となる場合は、様々な問題が起こります。ある宗教が自分の祭儀なり教義(教義は言葉を象徴として用いています)を救いの条件とする時、その宗教は自己を絶対化して、その祭儀なり教義を救済を求める人間に強制することになります。人間は宗教を外からの拘束と感じるようになります。宗教は人間にとって軛となります。イエスは宗教における条件をすべて取り払われたのです。安息日やその他のユダヤ教の規定や祭儀を行う事ができない人たちを無条件で神の支配に受け入れられたのです。キリストあって神は無条件に背く者を赦し受け入れておられます。ここに恩恵の支配が実現しています。パウロがあれほど割礼という儀礼を受けようとすることに強く反対したのは、その儀礼を救済の条件としようとした者への激しい反対からです。すでに割礼を受けていて信仰に入った者には、割礼のままでいること(ユダヤ教徒にとどまること)に反対しませんでした。

   パウロはこの書簡(三章)で、コリントのキリスト者の集会はその内に神の霊が住んでおられる神の宮であることを強調しました。人の手が建てた神殿とそこで行われる祭儀の中に神がおられるのではなく、キリストにある者の集まりがすでに神の霊が住み、その働きの場となるという終末的な現実が起こっていることを強調していました。それは預言者が終わりの日に地上に実現すると待ち望んだ現実、終末的現実です(エレミヤ三一・三一〜三四、ルカ一〇・二三〜二四)。キリスト信仰によってその終末的現実が来ているのに、さらにある宗教の象徴をそのための条件とすることにパウロは耐えられなかったのです。信じる者はすべて割礼を受けるべきだという主張は、福音告知の活動をユダヤ教への改宗運動にします。

  そのパウロがコリントの集会に「主の晩餐」と呼ばれる行事を正しく行うように勧めています(一一・一七〜三四)。「主の晩餐」と呼ばれていた行事は、神殿で行われる祭儀ではなく、キリスト者の集まりで行われる食事の交わりでした。パウロの時代に行われていた集会がどのような順序と内容で行われていたのか、正確に再現することはできません。おそらく使徒が語り伝えるイエスの伝承、使徒の教え、聖書(旧約聖書)の朗読や解釈、詩篇などの賛美の歌、祈りなどの後、食事を共にして、主イエス・キリストを礼拝したと考えられます。アンティオキア共同体はこの共同の食事を礼拝の重要な要素としていたことが、ペトロと衝突した時のパウロの姿勢からもうかがえます。パウロはこの共同の食事についてコリントの集会で問題があることを聞き及んで、この食事の在り方について注意し、コリントの人たちに警告します。

  注意をするさいに、パウロは彼自身が受けた主からの伝承を引用します(一一・二三〜二五、二六節はこの食事に対するパウロの意義づけです)。この伝承は後に共観福音書に「最後の晩餐」の伝承として伝えられている伝承の中のルカが伝える伝承の系列に属しているようです。イエスは地上におられる時、いつも弟子たちと食事を共にされましたが、翌日には十字架に「引き渡される夜」、最後となる食事の席で、パンを裂いて与え、「これは、あなたがたのためのわたしの体である」と言い、ぶどう酒の杯を回して、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である」と言われたと伝えられています。パウロはそれぞれに「わたしの記念としてこのように行いなさい」という言葉を加えて、キリストの民がイエスの死の意義を日常の食事の中に保持するように、イエスが望まれたことを強調しています。コリント書簡のこの箇所は、最後の晩餐の時のイエスの言葉が文書に記録された最初の文献です。

  この「わたしの体、わたしの血」のお言葉は、イエスの十字架の死の意義をイエス自身が語り出されたものとして、イエス復活の証言と並んで、福音告知の言葉の中でもっとも基本的で重要なものです。最初期の共同体はこのお言葉を日常の食事の場で刻みこむために、集会の礼拝行為として行われる共同の食卓で唱えました。パウロはその後に「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」(一一・二六)という言葉を加えて、この「主の晩餐」と呼ばれる共同の食事が、十字架、復活、来臨を含む福音告知活動の一部であることを自覚するように求めています。しかしコリントにおいては「主の晩餐」の食卓が、この意義を無視されて、富裕な者が貧しいものを顧みないで宴席を楽しむような場になっていることを心配して、パウロは会員の交流や日常の食事や宴席は各自の家でして、集会での食事はキリストの死の意義を告げ知らせるものにするように求めます。これが集会でのパンと杯が日常の食卓から切り離されて、教会の聖餐式になっていく過程の始まりです。

  パンと杯が教会の儀式となるに伴って、キリストに自分を委ねる者であることを告白するバプテスマも、その聖餐にあずかる資格を得るための儀礼になります。もともと人がキリストに属するものであることの象徴であった水のバプテスマが聖餐にあずかるための条件となり、バプテスマと聖餐がキリストの民である事の条件となります。こうして、バプテスマと聖餐という二つの儀礼を基本的な祭儀とするキリスト教という宗教が成立し、バプテスマを受けて聖餐にあずからなければ神の祝福を受けられないとするキリスト教宗教が出現することになります。

  福音を聞いて、福音が告知する復活者キリストに全存在を委ねて生きている人、すなわち「キリストにある」人の在り方の全体を、わたしは「キリスト信仰」と呼び、そのようにキリストにある人、キリストにあって聖霊によって歩んでいる人を「キリスト者」と呼んでいます。キリスト者は、洗礼を受けて聖餐にあずかり、キリスト教という宗教に所属している「キリスト教徒」、宗教統計にキリスト教徒として現れる教会員とは一応別です。必ずしも重なっていません。キリスト教徒の中に立派なキリスト者が多くいます。しかし神の霊、キリストの霊によって生きるのではなく、キリスト教の儀礼にあずかっている形だけのキリストの民もいます。彼らはキリスト教徒ですが、キリスト者ではありません。聖霊によって生きるキリスト者は終末的な現実であり、キリスト者の交わりであるエクレシアも、神の霊がその内に住んで働いておられる終末的な現実です。聖霊は神が終わりの日にその民に与えると約束されてきた賜物であり、聖霊によって生きるキリスト者とその共同体であるエクレシアは、終末が地上に、歴史の中に現実となってきている事態なのです。


愛の共同体としてのエクレシア ー 聖霊の賜物について

  愛の共同体としてのエクレシア  コリントの集会は聖霊の賜物が豊かな集会でした。エクレシアが発足したばかりの最初期においては、歴史の中に誕生した終末的な共同体を形成するために、神は必要な能力を賜物として豊かに注がれたのでしょう。しかしそれを受けた人間の側は、初めてのことなのでその能力を正しく目的に沿って使いこなすことに習熟しておらず、とくに異教から集められた人が多いコリントでは、混乱が生じていたのでしょう。おそらくコリントからパウロのもとに質問書を持ってきた人たちの質問事項の一つだったのでしょう。パウロはその質問に答える形で、この書簡の一二章から一四章で聖霊の賜物について丁寧に指導しています。
  パウロは最初に、聖霊の働きのもっとも基本的な性格を明らかにします(一二・一〜三)。コリントの集会では霊の高揚の中で、「イエスはアナテマだ」とか「イエスはキュリオスである」というような声や叫びがあって混乱が見られたようです。「イエスはキュリオス(主)である」という叫びは、信仰の基本的な告白として当然であり理解できるのですが(ローマ一〇・九)、「イエスはアナテマ(除かれよ)」という声はどう意味で言われたのか、理解が難しく議論があります。おそらく、自分たちの信仰は霊なるキリストだけに依存すればよいのであって、十字架につけられた人間であるイエスの地上の言葉や働きは除外すればよいというような、将来グノーシス主義という形でエクレシアに侵入してくる思想の萌芽ではないかという理解もされます。パウロよりかなり後になりますが、ヨハネが「あなたたちはこうして神の霊を見分けるのです。すなわち、イエスを肉の形をとって来られたキリストち言い表す霊はすべて神からの霊です。そして、このイエスを言い表さない霊は神からのものではありません」(ヨハネT四・二〜三 私訳)と言っているのと同じであると理解してよいでしょう。

  このように神からの霊の基本的な質を明らかにした上で、パウロはこの神の霊がエクレシアの各人に分け与えて神の民の形成のためになされる働きを詳しく記述し、その霊の賜物を用いる際の心構えを説きます。それがこの書簡の一二章から一四章に至る大きな部分を占めます。その一つ一つ詳しく解説ことはできませんので、聖霊の賜物を用いる上で重要な各人の心構えについて、パウロが強調している数点に絞ってまとめておきます。

  第一に、エクレシア形成のために必要な働きと能力には様々な種類があり、それは各人の才能や資格に応じるものでなく、神が賜物として恩恵によって分かち与える能力です(一二・四〜一一)。パウロはこの箇所で教える知恵や知識、病気のいやしなどの奇跡を行う力、預言や異言などの異常な言葉など、すべてを霊の現れ、務め、現れと呼んで、それらを「賜物」《カリスマ》としています。無資格、無代価で賜ったものだから、その働きを自分の価値として誇り、他者を見下したり不必要なものとしてはなりません。このことを教えるためにパウロは集会を人体にたとえています(一二・一二〜一九)。人体には不要な肢体(メンバー)がないように、エクレシアの各人に無価値で不要なメンバーはいません。この人体の比喩は解りやすい比喩ですが、パウロには人体を比喩とするだけでなく、「あなたたちはキリストの体である」と言って(一二・二七〜三〇)、キリストにある共同体をキリストの体と実体的に同一視している面があります(一二・一二〜一三)。このことを語るパウロの言葉は重要ですので、私訳を掲げてその意味を確認しておきましょう。

  パウロはこう言っています。「わたしたちはみな、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由人であろうと、一つの御霊によって一つの体の中へバプテスマされ(浸し入れられ)、みな一つの御霊を飲んだのです」(一二・一三 私訳)。ほとんどの日本語訳は、《バプティゾー》という動詞の受動態を「洗礼(バプテスマ)を受ける」と訳し、洗礼儀式を受けることと理解しています。しかしこの動詞の本来の意味は「(水などの中に)沈める、浸す」ということですから、前後に「御霊によって」と「体の中へ」という前置詞句を伴っていることからも、ここは「浸し入れる」という原意で用いていると理解すべきでしょう。ここでパウロは「聖霊によるバプテスマ」という出来事を指しているのです。この語が福音の恵みを指す標語になるのはマルコ以後であるにしても(マルコ一・八)、すでにパウロはこの表現をキリスト信仰の重要な場面で使っているのです。わたしたちは宗教的差異や身分的差異を越えて、ただ聖霊によってキリストの体に組み込まれてエクレシアという共同体を形成するのです。エクレシアはただ聖霊という終末的な神の働きによって形成されるのです。

  第二に、すべての聖霊の賜物《カリスマ》は、「エクレシアを建てるために」与えられているのであるという目標の強調です。パウロは一四章で預言と異言という最初期のエクレシアに豊かにあったこの二つの《カリスマ》について、その性格と用い方について詳しく勧告しています。この二つの《カリスマ》は現代の教会には馴染み薄く、これがどういう事態を指しているのか理解できないでいます。最近この《カリスマ》の復興が見られることは喜ばしいことですが、馴染み薄いだけにその使用には混乱も見られ、ここでのパウロの勧告が重要になります。ここでパウロは、この御霊の賜物《カリスマ》が一つの目的のために与えられているものであることを繰り返しています(一四・五,一二など)。その目標が「教会を造り上げるために」と訳されていることも問題です。ここではエクレシアという霊的共同体が建物の比喩で語られていて、「建てる」という動詞が使われています。預言や異言、その他の御霊の賜物はすべて、「エクレシア」という霊的、終末的共同体をこの歴史の中に形成するために与えられていることを、キリスト者はつねに銘記する必要があります。

   第三に、そしてもっとも重要なことは、エクレシアは愛《アガペー》の共同体であることです。使徒パウロは様々な霊の賜物《カリスマ》を列挙してその働きや能力を述べるこの区分(一二〜一四章)のただ中で、「あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるように熱心に努めなさい」と励ました上で、「そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます」と言って(一二・三一)、一三章に入ります。この章で扱われる愛《アガペー》こそ、神の霊によって形成される終末的共同体としてのエクレシアのもっとも基本的で重要な中身です。パウロは最初に(一三・一〜三)、いかなる信仰の働きも苦労も愛《アガペー》がなければ何の益もない空しいものであることを強調した上で、愛の働きを(原語では)すべて動詞を並べて描きます(一三・四〜七)。愛《アガペー》は定義することはできず、ただその働きを記述してその実態を指す示すほかはありません。「愛は忍耐強い。愛は情け深い」と言った後、その後の動詞はほとんどが「〜しない」という否定形であることが目立ちます。ここで否定されている動詞は、通常の人間性に普通のこととされている性格とか行為です。たとえば最初のねたむという動詞は人間の通常の愛にはつきものです。このねたむという行為や心情のために人間の間の親しい関係においてわれわれはどれほど苦しむことでしょうか。聖霊がもたらす《アガペー》の愛はその「ねたみ」を駆逐するのです。以下多くの動詞を用いて、《アガペー》の愛がそれらを駆逐することで人間関係を平和と建設的な方向に導くことを述べて、《アガペー》の愛が破れやすい人間関係を救う力であることを示しています。パウロは最後にいかなる事態についても《アガペー》がとる姿勢を肯定の動詞を用いて記述して結びます。わたしはこの最後の文を次のように訳して愛唱しています。「愛はすべてを包み、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを担う」(一三・七)。

  パウロは最後の一段(一三・八〜一三)で、愛だけが永遠に存続するものであることを語って、愛の尊さを強調しています。預言や異言や知識などは、部分的で一時的である、すなわち時代の必要に応じて、一部の人たちに与えられるものですが、信仰と愛と希望はいつの時代にもすべてのキリストにある者に与えられる御霊の賜物です。しかし、信仰と希望はキリストが現れる時には成就されて、愛だけが神と人の交わりでの現実となって存続します。その意味で「その(三つの)中で最も大いなるものは愛である」と言えるのでしょう。

  
エクレシアの標識としての希望ー 死者の復活について

  エクレシアが終末的共同体であることを自覚させるために、パウロが最後に取り上げるコリント集会の大問題は「死者の復活」の問題です。コリントの集会の一部の者が「死者の復活などはない」と言っていると聞いたパウロは、これを放置すればコリントの集会が福音に立つ共同体でなくなるという危機感をもち、この書簡の一章を当てて詳しくその信仰を述べています。最初にパウロは、自分が「受けて伝えた福音」を繰り返してコリントの人たちに思い起こさせます(一五・一〜一一)。その最も重要で基本的な内容は「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」。その福音を宣べ伝えるとき、パウロは終わりの日に、すなわちキリストが来臨される時に、キリストにあって眠った人たちは目覚めさせられる、すなわち復活すると宣べ伝えました。これが「死者たちの復活」の信仰です。彼らはイエス・キリストが復活されたことを否定したのではありません。彼らはキリストの復活を福音の基本信条として信じていました。しかし、キリストにあって死んだ人たちがキリストの来臨の時に復活するとは信じなかったのです。従って自分が復活することを望み見て地上で生活することもありませんでした。パウロはこのような人たちに、「どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、それをしっかり保持していれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう」と言います(一部私訳)。この信仰を保持しないと、信仰が無益で無駄になる、福音が福音でなくなると言います。この「死者の復活」の信仰は福音の本質に関わる問題だというのです。

  続いてパウロは、死者の復活を否定することはキリストの復活を否定することであり、福音そのものを否定することになる、という議論を展開していきます(一五・一二〜一九)。その議論の前提として、パウロは「死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです」と言います(一五・一三)。この言葉は普通、人間は一度死ねば復活することはないのだから、一人の人間であったキリストが復活したこともありえない、という意味に理解されます。しかしパウロはこのような自然科学的な前提で議論しているのではありません。パウロは聖書的な救済史的前提で議論しているのです。すなわち、もし神が死者を復活させるという形で人間を救済されるのでなければ、救済者であるキリストが復活されることもなかったはずだ、という論理です。この救済史的前提に立つと、死者の復活を否定する者はキリストの復活を否定しているのであり、キリストの復活を否定することで、使徒たちの復活証言を偽証とし、自分たちのキリスト信仰を実質のない空虚なものにしてしまいます。

  次の一段(一五・二〇〜二八)で、パウロは「しかし今や、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となりました」と言って、救済史的思考に不慣れな異邦人の多いコリントの集会に、「初穂」という比喩を使ってキリストの復活の救済史的意義を明らかにします。この「初穂」という比喩を解説して、パウロは「死が人によって来たのだから、死者の復活も人によって来るのです」と言います(原語には「一人の」という句はついていません)。最初の「死が人によって来た」というのは、聖書の最初にあるアダムの記事で、アダムが神に背いた結果、死が支配するようになったという物語を指していますが、アダムという語は人という意味の普通名詞ですから、この記事は「死が人によって来た」ことを語っていることになります。それに対して、キリストは神が終わりの日に地上に出現させる新しい人間を代表する存在であり、「終わりのアダム(人間)」と呼ばれます(一五・四五)。この人によって死者の復活が起こるのです。イエスが復活されたのは、この死者の復活が歴史の中で最初に起こった出来事であり、その出来事でキリストにある者が復活することを含み保証していますので「初穂」と呼ばれるのです。ただ時間の中にいる者には、すべてのことに順序があります。「最初にキリスト、次いでキリストが来られるときにキリストに属している人たち(が復活し)、その後に世の終わりが来ます」。キリストが来られる時以後のことは永遠に属し、わたしたち時間の中にいる者にはその両者の関係は分かりません。わたしたちに分かることは、わたしたちキリストにある者は二つの復活、すなわちキリストの復活と来臨の時の死者の復活という二つの復活の中間、「時(複数形)の間に」にいるということです。わたしたち人間は、生まれながらの人間としては、すなわちアダムにあっては死に定められ、キリストにあっては新しい別種の命に生き、復活にいたるのです。

  このように初穂であるキリストの内に生きるキリスト者は、地上の生活で「的を外さない」ように歩むことを、パウロは実例をあげて求めます(一五・二九〜三四)。使徒は「罪を犯すな」と言っていますが、ここで使われている動詞は「罪過(規定違反の諸行為)を犯すな」ではなく、この動詞の原意である「的を外すな」の意味に理解すべきです。キリストにぁる者は死者の復活を目指すという的を外さず生活しなさいという勧告です。その上で、死者の復活を信じない人たちが常に持ち出す「死者はどんなふうに復活するのか」とか「(復活のとき死者は)どんな体で来るのか」という質問に答えます(一五・三五〜四四)。この時も最初に種蒔きや、当時のギリシア人の動物や天体の体という比喩を用いて、「死者の復活もこれと同じです」と言って、本体の「自然の命《プシュケー》の体」と「霊《プニューマ》の体」の関係を指し示します。

  わたしたち人間はこの世に生まれて来た時には「朽ちるもの」として、すなわち必ず死ぬことになる体をもって生まれてきます。地上の生は死に定められています。しかし、神から恩恵によって賜った新しい命は「朽ちないもの」に復活します。この世に生まれることが種として「蒔かれる」ことにたとえられ、時が来れば芽を出して違った体で収穫されることを比喩として、復活が語られます。人間は「蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです」と復活が語られます。その上で結論として、「つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです」と言って、「霊の体」の存在がこの生まれながらの体の存在を根拠にして、同じように確実であることが結論とされます。いま自分が生きているこの体の存在を疑う者はいません。それが確実であるのと同じように、今新しい御霊の命に生きている者には、その命にふさわしい別種の体(パウロはこれを霊の体と言います)の存在は確実です。それがどのような体になるのか、地上のことしか体験していない人間はそれを記述することができません。復活されたイエスの顕現に接して、せいぜい「朽ちることのない、輝かしくて力強いもの」と言うことができるだけです。イエスはすべて死者の中から復活する者の初穂として復活されたのです。

  パウロは救済史におけるキリストの位置をこう表現します。「『最初の人アダムは命のある生き物となった』と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです」(一五・四五)。「最初のアダム」とは創世記に記されているアダム、すなわち生まれながらの人間です。「最後のアダム」というのは最後の人、すなわち終わりの日に現れた人キリストです(ここでの「人」は共観福音書がいう「人の子」の概念を継承しています)。「最初の人アダムは《プシュケー》(命のある生き物)となった」と創世記にありますが、パウロはその命に属する体を《ソーマ・プシュキコン》(自然の命の体)と称しています。そして、終わりの日に現れたアダムであるキリストは復活によって「命を与える霊」となったといいます。アダムは神の息(霊)によって命を与えられたのですが、キリストは命を与える霊となったのです。神は終わりの日にキリストに属す者に聖霊を与えて新しい命、復活の命を与えておられるのです。復活は終わりの日における創造です。復活は創造の冠、初めの日から続けられてきた創造の働きの頂点です。

  ですから創造には順序があります。「最初に霊の体があったのではありません。自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです」ということになります(一五・四六)。最初の創造において「自然の命の体」が造られました。そして終わりの創造において「霊の体」が造られるのです。復活は神の創造の働きです。無から造られるのです。わたしたちがそれを理解できないのは当然です。それは信じられるべきものです。当時の宗教界には原人思想がありました。それは、人間は最初は完全な者(原人)であったが、現実の人間は無知と迷妄の暗闇にいるので、その堕落したところから救い出して人間を本来の姿に回復することが救いであるとする思想です。この思想では、先に天に属する人があり、次に地に属す人があります。パウロはこの順序を逆転します。先に地に属す人があり、その人を復活によって天に属す人にすることが救いとなります(一五・四五〜四九)。人はアダムにあって死に定められていますが、キリストにあって復活の命に生きます。最初のアダムと最後のアダムであるキリストが、創造の働きに基づく救済史のもっとも大きな枠組みを形成します。

  最後にパウロはこれまでこの章で語っていたことをまとめてこう言います。「兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません」(一五・五〇)。キリスト者の目標、そしてすべての人生の目標は、「神の国」を受け継ぐことです。「神の国」は「朽ちないもの」の王国です。この生身の人間(パウロはこれを血と肉と言っています)はこの王国を受け継ぐことはできません。わたしたち血肉の人間、朽ち果てる人間が朽ちないもの、死なない存在に変えられたとき、聖書の預言、万人の願い、救済史の目標が成就し、「死は勝利に飲み込まれた」という凱歌が溢れます。確かにその時は未来、まだ来ていません。しかし、この死の現実の中でキリストにある者は、もはや死の恐怖とか不安に打ち勝っていますキリストという生死を超えた絶対的価値をもつことで生と死は相対化されています。この復活の希望によって死の支配に打ち勝っています。その勝利の中で、「死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか」と叫ぶことができるのです(一五・五〇〜五八)。


結 び

 「肉のために弱くなっているので律法がなしえなかったことを、神は成し遂げくださったのです。・・・・ それは、律法の正しい要求が、肉に従ってではなく御霊に従って歩むわたしたちにおいて満たされるためです」(ローマ書八・三〜四)。この言葉はここでは罪からの解放のためのキリストにおける神の働きを語っていますが、これはエクレシアの形成においても同じです。人間はその生まれながらの本性が病み衰え弱くなっているため、理想的な共同体の形成を切に願いながら、そしてそのために様々な工夫を凝らしながら、その目的を達成できませんでした。モーセ律法に代表される宗教もそれを目指しながら実現できませんでした。宗教や法律など人間の諸々の制度が成し得なかったことを、神が成し遂げてくださったのです。宗教が目指した正しい目標の一つ、すなわち人間のあるべき共同体を形成する働きを、神が成し遂げてくださいました。それはキリストにあって聖霊の働きによるエクレシアにおいて成し遂げられました。

  パウロはその方向を目指して命がけの努力をしました。わたしたちはこの「V パウロのエクレシア形成の努力」という項でその一端を見てきました。パウロはエクレシアを建て上げるために生涯を捧げました。パウロは「無割礼の福音」を告知し、その福音の上にエクレシアを建て上げることにあらゆる力を注ぎ、ついにはその福音のために命を捧げました。その覚悟は彼の書簡の端々に出ていますが(たとえばコリントU四・七〜一一)、最後の獄舎では「わたし自身は既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました」と言っています(テモテU四・六)。パウロは無割礼の福音を宣べ伝えたので、割礼を絶対化するユダヤ教徒から憎まれ、告訴され、処刑されるに至りました。パウロはその「無割礼の福音」のために殉教したと言えます。

  パウロはエクレシアの土台を据えました。パウロは福音によってキリストという土台を据え、他の人がその土台の上に様々な材料で建物を建てるという建築物の比喩を用いましたが(コリントT三章)、パウロが福音によって据えた土台はキリストです。しかもそのキリストは割礼という枠をはめられていないキリストです。異邦人信者に割礼を要求したユダヤ教徒は、神の民となるには割礼が絶対に必要だとした人たちでした。すなわち、割礼絶対主義、割礼の上に立つユダヤ教絶対主義者だったのです。キリストに割礼すなわちユダヤ教という枠をはめようとしたのです。パウロはそのユダヤ教絶対主義と命がけで戦ったのです。わたしたちはパウロが据えた土台以外の土台にエクレシアを建てることはできません。すなわち、割礼とか他の特定宗教儀礼の枠をはめられたキリストを土台とすることはできません。それは福音が告知するキリストは、ユダヤ教であれどの宗教であれ、キリストを独占することはできないということです。ある特定の宗教を絶対化して、その宗教の民でなければ神の民ではない、神が与える神の救済にあずかることができないとするのは間違っています。すべての宗教にはそれぞれの美点があり有益です。とくにキリスト教は福音から生み出された宗教として、福音の確立のためにはもっとも重要な優れた宗教です。それゆえにキリスト教を「真の宗教」と呼ぶ人も多くいます。しかし宗教は、キリスト教も含めて、すべて相対的なものです。ある特定の体制的で社会的な宗教を絶対化してはなりません。これが本書『福音と宗教』の基本的な立場です。

  以上に見たように、最初期に福音告知の活動によって生み出された共同体を、当時の人たちは《エクレーシア》と呼びました。しかし、これはギリシア語です。わたしたち日本人が日本で福音の告知によって形成された共同体を呼ぶときには、どう言ったらよいのでしょうか。この共同体は福音によって生まれ、福音を世界に告知することだけを使命とする共同体ですから、差し当たり「福音共同体」という呼び方で話を進めて行きましょう。もし新約聖書が語る《エクレーシア》を福音共同体と呼ぶならば、この共同体はキリスト教会やその他の宗教教団とは重なりません。どれかの宗教教団とか教会が直ちにこの福音共同体であるとは言えません。福音共同体はすべての宗教を貫いて存在することができます。キリスト教においても、特定のキリスト教会やキリスト教団が直ちにこの福音共同体であるのではありません。その中には立派なキリスト者がいて、その交わりであるキリストにある共同体、すなわち神の民が存在します。しかし、その宗教の儀式にあずかり、その教理を信奉しているだけのキリスト教徒もいます。宗教統計に現れる「キリスト教徒」です。このようなキリスト教徒に限って、キリスト教宗教を絶対化して、キリスト教への改宗活動に熱心です。

  福音共同体はキリスト教会の中だけでなく、他の宗教の中にも存在することができます。パウロが「無割礼の福音」で主張したのは、このことではなかったでしょうか。キリストはユダヤ教の外にもいますことを宣べ伝えたのではなかったのでしょうか。日本の内村鑑三は、洗礼を受けてキリスト教会に所属する者にならなくても、神の民でありうると主張したのです。この福音共同体の主張も、すべての体制的宗教を相対化してキリストの福音を受け入れるところで、神と人間の本来の関わりを形成することを目指しています。
  


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