市川喜一著作集 > 第10巻 パウロによるキリストの福音U > 第5講

第三節 聖霊の宮

パウロとアポロ

肉の人

 パウロはコリントの集会あてにこの手紙を書くにあたって、まず分派の問題を取り上げ、これを克服するために多くのことを語らなければなりませんでした。その部分(一・一〇〜四・二一)が本書簡(コリントの信徒への手紙T)の最初の大きなまとまり(第一部)を構成します。その中でパウロはまず、自分が宣べ伝えた福音は人間の知恵には愚かでしかない「十字架の言葉」であることを思い起こさせ、人の知恵を誇ることを戒めます(一・一八〜二・五)。しかし、コリントの集会の中に、十字架につけられたキリストを信じることよりも一段進んだ知恵を所有することを誇るような傾向が出てきた(それが分派の原因)のに対して、パウロは御霊による「神の知恵」があることを認めますが、その「神の知恵」は「霊の人」によってのみ理解されるものであるので(二・六〜一六)、「お互いの間にねたみや争いが絶えない」ような「肉の人」は受けることができないことを理由に、分派心を戒めてこう言います。

 1 兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。2 わたしはあなたがたに乳を飲ませて、固い食物は与えませんでした。まだ固い物を口にすることができなかったからです。いや、今でもできません。3 相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか。4 ある人が「わたしはパウロにつく」と言い、他の人が「わたしはアポロに」などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか。(三・一〜四)

 前段では、御霊を受けた「霊の人」と御霊を受けていない生まれながらの「自然の人」が対照されていましたが(二・一二〜一四)、ここでは御霊によって存立するエクレシアの中で、御霊による歩みにおいて成熟した「霊の人」と、せっかく御霊を受けていながら実際の歩みでは生まれながらの本性に従っている「肉の人」とが対照されています。パウロはこのような「肉の人」を「キリストにおける乳飲み子」と呼んで、「固い食べ物」すなわち「ミュステーリオンにおける神の知恵」を受ける資格のない者としています。御霊によって恩恵を絶対とし自己を無とする「信仰」を身につけた「霊の人」でなければ、《ミュステーリオン》の知識はその所有者を誇らせるだけに終わるからです。
 「わたしはパウロに」とか「わたしはアポロに」と言って分派を形成し、その間にねたみや争いが絶えないというのは、コリントの人々が御霊に従って歩まず、自己主張を本性とする生まれながらの人間性(パウロが言う「肉」)に従って生きているからです。他者が自分より優れていることを認めることができない「ねたみ」とか、他者を押しのけて自己を主張する「争い」は、「肉」の典型的な現れです(ガラテヤ五・一九〜二一参照)。本当に「神の知恵」を持ちたいのであれば、まず肉に従う歩みを捨てて、御霊に従う歩みに成熟し、「霊の人」となって「固い食べ物」を食べることができるようになりなさい、とパウロは勧めるのです。

植える者・水を注ぐ者

 5 アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。6 わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。7 ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。8 植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。9 わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。(三・五〜九)

 コリント集会の分派問題でパウロがもっとも心を痛めているのは、アポロ派とパウロ派の対立であったようです。この対立は、パウロがコリントを去った後にアポロが来て福音を宣べ伝えたことから起こりました。もしアポロがパウロの福音に反することを教える働き人であるならば、パウロはガラテヤ書やフィリピ書(三・二以下)でしたように、彼を激しく排撃すればよいのです。しかし、アポロはパウロの福音をよく理解し、同じ質の福音を宣べ伝える「同労者」なのです。パウロはアポロを有能な仲間として、自分の働きに協力してもらいたいのです。そのためにはどうしてもコリントでの両派の対立を克服しなければなりません。パウロは細心の配慮をして、福音の場における自分とアポロの関係を語ります。
 まず、福音によるエクレシア形成を畑にたとえて、「わたしは植え、アポロは水を注いだ」と言います。畑から収穫を獲るためには、種を蒔く(植える)ことも水を注ぐことも不可欠の作業ですが、それは生命を生む大地の力があってのことです。そのように、エクレシア形成のためには、御言の種を蒔くことも教え導くことも必要なことですが、その労苦が実るのは御霊によって生命を与え成長させてくださる神の働きがあってのことです。パウロは、植える者や水を注ぐ者ではなく、成長させてくださる生命の源なる神を指し示すことで、コリントにおける両派の対立を、神への讃美の中に解消しようとします。神の民を畑にたとえることは、すでに預言者イザヤの有名な「ぶどう畑の歌」(イザヤ五・一〜七)にあり、イエスも「神の国」をしばしば畑や収穫のたとえで語っておられます。パウロもこのようなイスラエルの伝統の中にあって、自然に畑の比喩が出てきたのでしょう。
 ここでパウロは「わたしたち(パウロとアポロ)は神の同労者である」(九節直訳)と言っています。この「神の同労者」というのは、神の言葉の宣教において神と一緒に働く人間という意味ではなく、新共同訳が訳しているように、「神のために(お互いに)力を合わせて働く者たち」と理解すべきでしょう。パウロはアポロを尊敬して、助手ではなく対等の同労者として扱います。
 二人の働きの対象であるコリントの集会に対して、「あなたがたは神の畑、神の建物なのです」(九節)と語られ、比喩は畑から建物へと移ります。建物の比喩に移る前に、アポロについて見ておきましょう。

アポロ

 使徒言行録(一八・二四)は「アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家」と報告していますが、それを否定する材料はないので、この情報は問題ないと見られます。アポロが「聖書に詳しいアレクサンドリア生まれのユダヤ人雄弁家」であることは、アポロを初期の福音の展開において重要な位置に置きます。

アレクサンドリアは当時の地中海世界において最大のヘレニズム文化都市でした。プトレマイオス王朝の積極的な奨励もあって、アレクサンドリア図書館に象徴されるように、ギリシアの学芸と文化の最高水準を誇る都市となっていました。そこにはユダヤ人もかなり多く居住し(五区のうちの一区ーフィロンによれば二区ーを占めていたと言われます)、政治的にもかなりの自治を認められた共同体(ポリテウマ)を形成していました。そこで、アレクサンドリアのユダヤ人は自分たちが誇る伝統的宗教(ユダヤ教)を周囲のギリシア人に理解してもらうことに最も熱心で、すでに前三世紀にはモーセ五書のギリシア語訳を完成していました(その後、預言書と諸書が翻訳され、「七十人訳ギリシア語聖書」となります)。そのような流れの中からフィロンが現れ、最高のギリシア哲学の素養をもってユダヤ教の聖書を寓喩的に解釈して、その真理と優秀さをギリシア教養人に伝えます。フィロンがアレクサンドリアで活躍したのは一世紀前半で(フィロンの没年は四五年頃とされています)、パウロがヘレニズム世界に福音を宣べ伝える活動を進めた時期(五十年代)の直前になります。

 年代から見ると、アレクサンドリア生まれのアポロが青年期にフィロンの教えを受けた可能性も考えられます。直接弟子として教えをうけたのではないにしても、当時のアレクサンドリアのユダヤ人で聖書研究に熱心な青年が、フィロンの影響の外にあったことは考えられません。「聖書に詳しい雄弁家《アネール・ロギオス》」という表現は、アポロが聖書とギリシア哲学両方の専門教育を受けていたことを示唆しています。新約聖書でアレクサンドリアが言及されるのはほとんどここだけですが、二世紀から三世紀にかけてアレクサンドリアはクレメンスやオリゲネスなどの活躍により、キリスト教をヘレニズム世界に確立する中心地となったことを考慮に入れますと、アポロはその源流として重要な位置を占めることになります。ルターは「ヘブライ人への手紙」の著者をアポロではないかと推定しましたが、この説は最近の研究者の間でも有力になってきています。著者がだれにせよ、「ヘブライ人への手紙」の聖書解釈がアレクサンドリア・ユダヤ人の学風を色濃く示しているのは事実です(有賀鉄太郎『ヘブル書註解』参照)。
 ルカはアポロについて「彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネのバプテスマしか知らなかった」(使徒一八・二五)と言っています。アポロがいつどのようにして「主の道を受け入れた」(イエス・キリストを信じるようになった)かは分かりません。だいたい、いつどのようにしてアレクサンドリアに福音が伝えられたのかも分かっていません。後のアレクサンドリア教会は、マルコがアレクサンドリアに来て福音を伝えたと主張しましたが、この伝承には確かな根拠がありません。おそらく、ヘレニストたちのキリスト宣教が始まったとき、エルサレムにいたアレクサンドリア出身のユダヤ人たちが福音を持ち帰ったと見てよいでしょう(使徒六・九)。ローマの場合と同じく、アレクサンドリアもエルサレムやパレスチナとはユダヤ人の交流が盛んで、福音はこのような無名のユダヤ人によってかなり初期にアレクサンドリアにもたらされたと考えられます。アポロはアレクサンドリアで福音に接したのか、または、パレスチナに行ってそこでイエス伝承に接したのかも分かりません。アポロはパレスチナに行ってバプテスマのヨハネの運動に接し、続いてイエス伝承にも触れたと見る説がありますが、これも確証がありません。
 アポロはイエスを信じるようになって、各地を回って「イエスのことについて熱心に語り」、エフェソまで来ます。そしてユダヤ人の会堂で大胆にイエスをメシアとして宣べ伝えます。そこにプリスキラとアキラ夫妻がいてアポロの話を聴き、「ヨハネのバプテスマしか知らない」アポロを(おそらく自宅に)招いて「もっと正確に(神の)道《ヘ・ホドス》を説明」します(使徒一八・二六 有力な写本に「神の」がありません。《へ・ホドス》(道)はキリスト信仰を指すルカの用語)。この夫妻はコリントでパウロと一緒に福音のために働き、パウロのキリスト宣教の内容をよく知っていたので、(ヨハネのバプテスマ運動とそれに続くイエスのメシア的な働きというパレスチナのイエス伝承しか知らない)アポロに、聖霊によって霊なるキリストと結ばれて生きるというパウロ的なキリスト信仰の質を説明したと推察されます(「聖霊のバプテスマ」という表現はマルコ以後と考えられますので、この段階で「ヨハネのバプテスマしか知らないアポロに聖霊のバプテスマのことを教えた」とするのはアナクロニズムになります)。
 アポロがアジア州(その州都エフェソ)からアカイア州に渡ることを望んでいたので、「兄弟たち」はアポロを励まし、かの地の弟子たち(当然アカイア州都コリントの集会を指します。使徒一九・一参照)に、アポロを有力な福音の伝道者として紹介し推薦する手紙を書きます(使徒一八・二七前半)。このことは、(パウロが計画した通りに)エフェソに残ったプリスキラとアキラ夫妻によって、エフェソにある程度の規模で信徒の群が成立していたことを示しています。アポロをコリントの集会に紹介する手紙は、コリントの人たちによく知られているプリスキラとアキラ夫妻が書いたのでしょう。
 コリントに着いたアポロは、早速会堂に入って「公然と」、ユダヤ人が待ち望んでいたメシアとはイエスにほかならないことを、「聖書に基づいて」論証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せます。聖書学者アポロのユダヤ人に対する熱烈な伝道活動は、ユダヤ人信徒を増やしただけでなく、パウロの働きによってすでに信仰に入っていたコリントの人々に大きな励ましとなります(使徒一八・二七後半〜二八)。こうしてコリントには、パウロの伝道によって信仰に入った人々と、アポロの活動によって信仰に入った人たちという二つのグループが形成され、それぞれが(おそらく後者が先にアポロの聖書学者としての知恵に感嘆して)自分を信仰に導いた伝道者を誇り、「わたしはアポロに」というようなことを言い出し、それに対抗して古くからの者が「わたしはパウロに」などと言うようになったのでしょう。この状況を憂いたパウロが本書簡(とくにこの三章)を書かなければならなくなったのです。
 なお、パウロがこの手紙を書いている時点では、アポロはエフェソに戻ってきています。パウロは(本章に見られるように)アポロを決して対立するライバルとは見ず、同じ福音のために働く仲間の同労者として扱い、アポロに、パウロを訪ねてきたコリントの兄弟たちが帰るとき一緒にコリントに行くように勧めますが、アポロは(おそらくコリントの分派的な状況に対して、火に油を注ぐような結果になることを心配して)コリント行きを断っています(コリントT一六・一二)。

神の建物

すでに据えられた土台

 10 わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。11 イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。(三・一〇〜一一)

 畑のたとえに続いて、パウロはエクレシアを建物にたとえて自分とアポロの関係を説明し、集会内のねたみや争いがいかに重大で危険なものかを警告します。まずパウロは自分の役割を「熟練した建築家のように土台を据えた」こととします。そのさい、土台を据えるという最も重要で栄光ある役割も決して自分の能力から出たことではなく、「神からいただいた恵みによって」なしたことであると付け加えることを忘れません。パウロがコリントに据えた土台とは「イエス・キリスト」であり、「ほかの土台」を据えることはだれにも許されません。もし誰かがパウロが宣べ伝えた「十字架につけられたキリスト」とは異なる救済者を持ち込むようなことをすれば、パウロはガラテヤ書でしたように激しくそれを排除しなければなりません。
 しかしここでは、アポロをはじめ他の働き人の仕事を、パウロによって据えられた土台の上に建物を建てる作業としています。ここではパウロは、アポロの名を出さず、自分の後にコリントの集会に働きかけた者一般について語るという形をとっています。ここでパウロは自分を、アポロを含め後に来た他の働き人とは違う立場にある者であると暗に主張していることになります。アポロという優れた聖書学者であれ、ケファというイエス伝承の重要な担い手であれ、その他の知恵を誇る教師であれ、コリントの集会にとってパウロは「土台を据えた者」として、それらの人たちとは違う特別の立場にあるのです。

建物を試す火

 12 この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、13 おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。14 だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、15 燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます。(三・一二〜一五)

 エクレシアはイエス・キリストという土台の上に建てられる建物です。その建物の様式や色彩は、それが建てられる環境によって違ってきます。エクレシアはそれが形成される場によって、すなわち文化や時代の違いによって、それぞれ特有の形と色彩をもつことになります(教会制度のことを言っているのではありません)。エクレシアを形成するために労する働き人たちは、人々になじみやすく入りやすくするために、時代の文化や思想、宗教や芸術など、さまざまな分野から切り出してきた素材を用いて、イエス・キリストを表現する建造物を建てようとします。そこに用いられた素材は、金・銀・宝石のように、長年の使用に耐える価値の高いものもあれば、木・草・わらのように、さし当たっての必要から用いられたがすぐに腐ってだめになる安物も混じっています(この比喩は実際の建築素材としての耐久性と正確に対応していないので、あまり厳密に考えるべきではありません)。歴史の試練の中で、霊なるキリストと深く結びついた真に価値あるものは残り、時代の必要に応じただけの見せかけだけの内容は消滅していきます。
 エクレシアは歴史の中を歩む民として、歴史の試練という火にも耐えなければなりませんが(このような見方はルカ以後のものです)、「キリストの来臨《パルーシア》」を間近に待望していたパウロは、歴史の試練を飛び越えて、その検証の日がすぐに来ることを語ります。「かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味する」のです。パウロは「かの日」、すなわち「キリストの来臨《パルーシア》」を火の象徴で語ることは(ここ以外には)ありません。しかし、ここではエクレシアが神の裁きに耐えられる質をもつかどうかを問題にするために、終わりの日は火の中に現れるという当時の黙示思想をそのまま用いて「建物のたとえ」を構成します。

「かの日は火と共に現れる」(直訳すると「火の中に現れる」)という思想は当時の黙示思想によく見られます(聖書に収められている文書だけを実例としてあげると、「ダニエル書」七・九〜一一、旧約続編「ラテン語エズラ記」七・三八、一三・一〇、一五・二三、一五・六二、一六・九、一六・七八、「ヨハネ黙示録」八・七、二〇・九など)。最終的な神の審判が火によって行われるという思想は、古代イランの宗教であるゾロアスター教から発しています。もともと火は光や技術・文化の源として、また同時にすべてを焼き尽くす破壊力として畏敬され、神話でもその起源が畏敬をもって語られ、さらに神格化されて神として拝まれるようになります。その中でも拝火教と呼ばれるゾロアスター教は、終末論的色彩が強く、人間の最終的な裁きが火によってなされることを強調します。イスラエルの宗教はもともと地上の祝福を約束するものでしたが、捕囚前後の預言者たちの活動を通じて終末的な様相を深めていくにともない、火による世界の終末審判という思想が出てきます(ゾロアスター教の影響が議論されています)。その延長上に黙示思想が成立することになり、「かの日は火の中に現れ」という声が響き渡るようになります。このような流れを代表するもっとも偉大な預言者がバプテスマのヨハネです。ヨハネは火による審判が迫っていることを宣べ伝えた大預言者です(マタイ三・一〇〜一二、なおその中の「聖霊と火でバプテスマする」という言葉は、本来のヨハネの宣教では「火でバプテスマする」であったと考えられます)。ヨハネはクムラン宗団となんらかの繋がりがあるとされますが、ヨハネにおいてクムラン宗団の緊迫した黙示思想的終末待望が火による審判という預言者的な使信と結びついて、彼独自の宣教を形成したと見られます。

 「かの日は火の中に現れ」という黙示思想の声が広く響きわたっている状況で、パウロがこの思想をここ以外では用いることなく、終末待望をいつも死者の復活に与ることを中心にして述べていることは、注目に値します。この事実は、パウロが黙示思想を自分の思想の枠組みとしながらも、その内実では黙示思想の二元論を克服して、御霊による現実に軸足をおいていることを、改めて思い起こさせます。イエスも神の裁きや地獄を火の象徴を用いて語られたとされていますが(マタイ七・一九、一三・四〇、一八・八〜九)、イエスの「神の国」宣教全体の中では僅かであり、その意義も周辺的です。
 建物のたとえは働き人の報酬について語っています。かの日の火によって検証された結果、仕事が残れば報酬を受け、仕事が燃え尽きれば損失を受けるとされます。この働きと報酬の関係は、福音書ではいっそう詳しく展開されています(ルカ一九・一一〜二七「ムナのたとえ」)。パウロでは用いた素材の価値を規準にしていますが、福音書では委ねられた賜物にどれだけ忠実であったかが報酬の規準になっています。そして、福音書のたとえでも敵は滅ぼされますが、悪しき働き人は報酬を失うが滅ぼされなかったように、パウロにおいても、愚かな働き人は報酬を失うという「損失を受けます」が、「その人自身は、(命からがら何も持たないで)火の中をくぐり抜けて来た者のように救われます」。
 このような終末論的な報酬思想は、ユダヤ教から福音宣教にも受け継がれたものでしょうが、ここでの重点は報酬ではなく、イエス・キリストという土台に忠実な働きを求めていることです。パウロはこのたとえで、自分の後に来てエクレシアのために働く人たちに、それが誰であれ、自分が据えた土台であるキリストにふさわしい仕事を求めているのです。それはパウロの人間的要求ではなく、福音の本質が要求するところだからです。 

御霊が住む神殿

 16 あなたがたは、自分たちが神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。17 神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。(三・一六〜一七 一部私訳)

 パウロがエクレシアを建物にたとえたのは、エクレシアが神の霊の宿る聖なる神殿であることを教え、コリントの人々に(そして現在の私たちにも)自分たちが神の宮であることを自覚させたかったからです。それは、コリント集会の中の分派的傾向がいかに危険で重大であるかを警告するためです。特定の伝道者を誇り、分派を形成し、ねたみと争いで交わりを妨げる行為は、神の霊の住まいである神殿を破壊することに他ならず、神の厳しい裁きを身に招きかねない重大な問題であると、パウロは警告するのです。ここに来て、一章から始まっていた分派を戒めるパウロの議論は頂点に達し、その厳しい一面を見せることになります。

新共同訳は一六節を「あなたがたは、自分が神の神殿であることを知らないのですか」と訳していますが、原文の動詞「である」は明らかに複数形主語に対応する形ですから、「自分たちが神の神殿であること」と変えておきました。「自分が神の神殿である」という表現は、個々の信徒ひとり一人が神の霊の住まいであることを意味していると理解される可能性があります。そのことは後で取り上げられます(六・一九)が、ここでは複数の「あなたがた」、すなわちコリントの集会が、「神の神殿」(単数形)を形成することを自覚させて、分派の危険を知らせようとしているのです。なお、新共同訳はいつも「神の神殿」と訳していますが、「神の」がつくときは「神殿」と表現が重複している感じがしますので、本稿では適宜「神の宮」という表現を用いています。

 「あなたがたは神の神殿である」という宣言は、ここでは分派を戒めるという文脈で用いられていますが、この宣言自体はパウロによるキリストの福音において重要な意義を担っています。少し立ち止まって、その意義を見ておきたいと思います。
 パウロはエルサレムの「ヘレニスト」(ギリシア語を話すユダヤ人キリスト信者)を迫害し、後に回心して彼らの信仰に立つようになったのです。彼らは「この聖なる場所(エルサレム神殿)と律法(モーセ律法)をけなして、一向にやめようとはしません」(使徒六・一三)と訴えられた人々でした。誰よりも律法に熱心であったパウロが彼らを迫害したのは当然です。ところが、ダマスコ途上で復活されたイエスに出会ったパウロは、モーセ律法の順守(その中に神殿祭儀の実行が含まれます)によって義とされる時代は終わり、キリスト信仰によって神の民となる時代が始まったことを悟ります。キリストは律法の終わりとなられたのです。その結果パウロは、異邦人は割礼を受けてユダヤ教徒にならなくても、異邦人のままでキリストを信じることで救われると宣べ伝える「異邦人への使徒」となります。このような福音においては、もはやエルサレム神殿の役割はありません。このような福音によって始めて、異邦人を含むキリストの民に向かって「あなたがたが神の神殿である」と言えるようになったのです。
 この宣言は、「律法の外に神の義が現れた」というパウロの福音の一つの具体的内容をなしています。異邦人に割礼を要求し、ユダヤ教徒として律法を順守することを求める人たちは、エルサレム神殿以外に神殿があるなどとは決して言えません。モーセ律法はエルサレム神殿を唯一の神殿としているからです。七〇年に神殿が破壊されて以来、ユダヤ教は神殿なしの宗教になりますが、まだ神殿がその権威を誇っていたときに、エルサレム神殿の他に神がその霊を置いて住まいとされる場所があると主張することは、パウロの福音がユダヤ教に対していかに革命的であったかを示しています。もっとも、この神殿なき宗教に向かう傾向は、神殿から遠く離れて信仰生活をしていたディアスポラのユダヤ人から始まっていたのでしょうが、イエスの激しい神殿批判の精神を受け継いだ「ヘレニスト」たちによって具体的になり、パウロに至って明白に宣言されることになります。
 キリストの民、すなわちキリスト信仰によって形成される交わりこそ、その中に神の霊が住みたもう神の神殿であるというパウロの宣言は、その後のエクレシア理解の基本になります。霊なるキリストとの交わりによって生成される民こそ、地上に霊なる神が住まわれる場であり、そこから世界に働きかけられる拠点であるのです。本書簡でもこの視点からさまざまな具体的な問題が取り上げられ、勧告と指示が与えられています。

人間を誇るな

 18 だれも自分を欺いてはなりません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。19 この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。「神は、知恵のある者たちをその悪賢さによって捕らえられる」と書いてあり、20 また、「主は知っておられる、知恵のある者たちの論議がむなしいことを」とも書いてあります。21 ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。22 パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、23 あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。(三・一八〜二三)

 分派を戒めるパウロの議論は、前段の「神の神殿を壊すな」という勧告で頂点に達します。そして最後にもう一度、分派心の原因である人間の知恵を誇る誇りを戒めて、長い議論を締め括ります。
 「自分を欺く」というのは、「自分はこの世で知恵のある者だと考える」ことです。そう考えること自体、「この世の知恵は、神の前では愚かなものだから」、神の前では愚かな自分を知恵ある者と考えることになり、自分を欺くことになるのです。神の知恵に至る第一歩は、自分が神の前で愚かであることを知ることです。このことが、「知恵ある者となるために愚かな者となりなさい」と言われます(原文には「本当の」という語はありません)。神の前では、自分の知恵を放棄して、自分の愚かさに徹することが、知恵に達する唯一の道となります。
 このことは、分派を戒める議論の最初にパウロが明言したことでした(一・一八〜二五)。パウロは十字架につけられたキリストを「神の知恵」として宣べ伝えました。人間の知恵にとっては愚かさの極みである「十字架につけられたキリスト」に自分を投げ入れることが、「神の知恵」を身につける唯一の道になるのです。十字架の場で愚かさに徹するという「神の愚かさ」だけが、神の恩恵と真理の世界を認識する知恵を得させるに至るのです。こうして、パウロは議論の最後に再び最初に戻ることによって、分派問題を神の知恵と人間の知恵との対比に包み込み、人間の知恵に誇ることこそが分派問題の根源であると指し示しているのです。
 パウロは「この世の知恵は神の前では愚かである」ことを、聖書から二つの句を引用して根拠づけ、「ですから、だれも人間を誇ってはなりません」と結論します。
 引用された聖句の第一のものは、七十人訳ヨブ記五・一二〜一三を要約して引用しています。用語も変わっています。第二のものは、七十人訳詩篇九三・一一(新共同訳では九四・一一)の「人間の」を「知者たちの」に変えて引用しています。パウロが聖書の隅々まで熟知していることに驚くとともに、引用の自由さも注目されます。
 「だれも人間を誇ってはなりません」という勧告の根拠として、パウロは「すべては、あなたがたのものだからです。パウロもアポロもケファも、・・・・一切はあなたがたのものだからです」と語ります(この文は《ガル》で前の文に続いており、理由を示しています)。パウロもアポロもケファもみな、コリントにエクレシアが形成されるために働いた者たちに他なりません。働き人はエクレシアに属しているのです。彼らだけでなく、「世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも」すべてエクレシアに属しているのです。そのようにエクレシアは神の経綸の目標として中心に位置しているのですから、エクレシアそのものである「あなたがた」が、「わたしはパウロに属する」とか「わたしはアポロに」と言うのは、まったく本末転倒で、あってはならないことだというのです。
 どこでも宗教家や伝道者は、自分が教え導いた信徒を「わが弟子」と見る傾向があります。教えられた人たちにも教師を誇る心から、わたしは誰それの弟子であるという思いが生じます。それが一対となって、人間的な派閥が生じ易いものです。しかし、神のエクレシアの中では、そういう人間を誇る心から生じる分派はあってはならないのです。パウロは自己を空しくしてエクレシアに仕える神の僕として、そういう人間的な心から出る分派に耐えられません。コリントの人々の目を、「一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のもの」という壮大な目標に向けさせて、人間性に潜む小さい分派心を乗り越えさせようとします。