市川喜一著作集 > 第11巻 パウロによるキリストの福音V > 第6講

第三章 信仰の逆説

        ― コリントの信徒への手紙 Uから(中) ―


        (本章で書名のない引用箇所はすべてコリント第二書簡の章節を指しています)

はじめに――「涙の手紙」

 パウロは第一書簡の最後で、マケドニア経由でコリントを訪問する計画を述べていました。しかし、五旬節まではエフェソに留まらなければならない状況であるので、まずテモテをコリントに派遣します(コリントT一六・五〜一一)。パウロの訪問やテモテの派遣の主要な目的は、エルサレム教団への募金活動を進めるためでした。この時点ではパウロは募金活動が順調に進むことを楽観しています(コリントT一六・一〜四)。ところが、テモテがエフェソに戻ってきて報告したコリント集会の状況はパウロを驚かせました。募金どころの状況ではないのです。最近外から来た「働き人」が、コリントで公然とパウロを非難し、パウロの使徒としての資格を問題としているというのです。コリントの集会も影響されて、パウロから離れる危険さえあるというのです。それでパウロは、自分が「新しい契約」に仕える使徒であることを弁証し、「神の和解」に基づいて自分と和解するように求める「最初の弁明」書簡を書きます。
 これまでに見てきたように、この「最初の弁明」書簡(二・一四〜七・四)は、「新しい契約」とか「十字架の愛」とか「神の和解」というような福音の基本的な質にまで遡って言及するゆとりが見られ、論敵に対する批判の言葉も間接的です。パウロはコリントの集会が再び自分に心を開いてくれることを楽観しています(七・二〜四)。ところが、この手紙はパウロが期待したような結果を生まなかったのです。コリントの事態は予想していたよりはるかに深刻になっていました。パウロがどうしてそれを知ったのかは明らかではありません。その後の状況を見るために再び派遣されたテモテの報告による可能性もあります。パウロは自分が直接コリントに乗り込んでいって、事態を打開しなければならないと考えるにいたります。
 マケドニア経由で陸路コリントに向かう計画を変えて、おそらく海路で突然コリントに到着します。このコリント滞在については使徒言行録は何も伝えていませんが、パウロ自身のコリント滞在の回数の数え方(一二・一四、一三・一〜二)からして、最初に福音を携えてコリントで働いた時と、最後に献金を準備してエルサレムに旅立つ前に冬を過ごしパウロが「三度目」と言っている滞在の間に、「二度目の滞在」がなければならないことになります。
 この「二度目の滞在」は、パウロにとって惨めな結果に終わったようです。パウロはその時に起こった出来事については、その後に書いた手紙でも具体的にはほとんで触れていません。この時パウロはコリントの集会を舞台に、外から入り込んで来た「偽使徒たち」と対決したと見られます。しかし、彼らに扇動されたコリント集会でパウロはひどい仕打ちを受け、深く傷つけられたのです。パウロはコリント集会の支持を回復することができず、深く傷ついてエフェソに戻ります。
 エフェソに戻ったパウロは、そこから再びコリントの集会あてに手紙を書きます。パウロはこれより後に書いた手紙で、「わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました」(二・四)と言っていますが、それはこの「二度目の滞在」からエフェソに戻ったときに書いた手紙を指していると見られます。この「涙の手紙」はどこにあるのか、議論が残りますが、一般に第二書簡の一〇章から一三章(一〇節まで)にその手紙の主要部分が保存されていると見られています。仮にパウロが「涙ながらに書いた」とする手紙は失われたとしても、現在の第二書簡一〇〜一三章は「涙の手紙」と呼ぶにふさわしい内容であり、この時期に置くのがもっともふさわしいので、これを「涙の手紙」として見ていきます。
 この「涙の手紙」には、先の「最初の弁明」の手紙に見られたような、福音の基本的な内容に触れたり、論敵を間接的に批判するようなゆとりは、もはや見られません。論敵を「偽使徒」と決めつけて攻撃し、自分が使徒であることを「気が狂ったように」と自ら言うまで激しく主張し、また自ら「愚か者」となって誇り、皮肉や逆説、優しさなどあらゆる弁論の技巧を用いて、コリントの人たちの支持を回復しようとします。これはパウロの手紙の中でも特異な性格の書簡となっています。

パウロの論敵

 では、「二度目の滞在」のときに起こった出来事とはどのような性質のものだったのでしょうか。また、パウロが「偽使徒、ずる賢い働き手」(一一・一三)と呼んでいるパウロ批判者たちはどのような種類の伝道者だったのでしょうか。パウロは具体的にその内容に触れていませんし、他に資料はありませんから、この「涙の手紙」でしているパウロの反論から推察するほかありません。この「論敵」については注解者や研究者の意見は分かれ、新約聖書研究の中でもっとも熱い議論が続いている分野です。その議論に立ち入ることは本講解の性質上できませんので、ここでは必要最小限に触れるにとどめ、この手紙に示されている使徒としてのパウロの姿に焦点を合わせ、その使徒であるパウロが身をもって示している「キリストの福音」に目を注ぎたいと思います。
 まず最初に確かなことは、パウロの論敵はユダヤ人キリスト者の「働き人」であることです。パウロはこう言っています。「彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。イスラエル人なのか。わたしもそうです。アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです。キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです」(一一・二二〜二三)。初期の「働き人」がほとんどユダヤ人であったことを考えると、彼らがユダヤ人であったこと自体は特別の意味を持たないかもしれません。しかし、彼らがユダヤ人であることを自分たちの権威と集会への要求の根拠としたことは、(パウロの反論から)明らかです。そのことは、彼らの要求がユダヤ主義的な面をもっていたことを示唆しています。しかし、ガラテヤ書やフィリピ書(三・二以下)で主題となっている割礼やモーセ律法の順守がここでは全然問題になっていないことから、コリント第二書簡の論敵を、異邦人信徒に割礼を要求するガラテヤの「ユダヤ主義者」と全く同じと見ることは困難です。彼らが「ユダヤ主義者」であるとしても、その要求の仕方はガラテヤ書やフィリピ書の場合とはかなり違った形になっていたと考えられます。彼らは奇跡を行う霊的能力や与えられている特別の啓示を誇り、そのような能力のない(または小さい)パウロを権威ある使徒と認めず、集会を自分たちの権威に従わせようとしたと見られます。
 第一書簡では、集会内部の一部の者たちが、自分たちの霊的知識を誇り、「すでに得ている」とか「完全になっている」と主張したので、パウロは(完成を未来に待つ)救済史的な観点で見られた十字架の信仰によって批判し、愛の原理でたしなめなければなりませんでした。彼らの主張はヘレニズム宗教の霊肉二元論に影響されたと見られ、後にグノーシス主義と呼ばれるようになる宗教に向かう萌芽が見られます。しかし、彼らはパウロが使徒であることを否定したりはしていませんし、パウロも彼らを「偽使徒」だとか「サタンに仕える者」などとは呼んでいません。それに対して第二書簡の論敵は、外から入ってきた者たちであり、パウロが使徒であること自体を問題にしています。この外から入ってきたパウロの敵対者たちとコリント集会内部のパウロ批判勢力との関係がどうであったのかは、分からないというほかはありません。

ガラテヤ書やフィリピ書(三章)でのパウロの戦いが「ユダヤ主義者」との論争であるのに対して、コリント書簡は「霊的熱狂主義」に対抗するための書である、とよく言われます(たとえば、ボルンカム『パウロ』、タイセン『新約聖書』など)。しかし、もし「霊的熱狂主義」とは「神が御自分の霊を通して人間の中に住み、その人間を新しい存在に変容させるということに信を置く者のことである」ならば、パウロこそ霊的熱狂主義者であり(コリントU三・一八などは典型的)、パウロがコリントで対峙するのはそのような霊的熱狂主義を彼自身と共有する人たちである、ということになります(タイセン『新約聖書』大貫訳110頁)。パウロはガラテヤ書やフィリピ書で、律法に対して御霊だけを神との関わりに生きるさいの力としたのでした。この立場は、「文字は殺し、御霊は生かす」という標語で宣言されます(このような立場を「霊的熱狂主義」と呼ぶのは不適切で、他の適切な表現が求められます)。そうすると、パウロはコリント書簡で「霊的熱狂主義」そのものを批判しているのではなく、パウロ自身が立つ「霊的熱狂主義」がコリントで健全に展開するように苦心していることになります。

 論敵の出身や背景がどのような種類のものであれ、彼らがコリントでしたことは、パウロが使徒であることを否定して、自分たちこそ正統な信仰を継承する使徒であると主張し、パウロが宣べ伝えたのと「異なるイエス」、「違った福音」を宣べ伝え、コリントの人たちがパウロの宣教を通して受けたのと「違う霊」を受けさせようとしたのです(一一・四)。もしコリントの集会が彼らの宣べ伝える「違った福音」を受け入れてパウロから離れるようなことになれば、パウロは一つの地域集会を失うというだけでなく、これまで走ってきたことが無意味になるほどの損失になると感じています。パウロは自分の世界宣教の計画の中でそれほどコリント集会の存在を重要と考えていたようです。そのことはエフェソに滞在して活動していた期間、パウロが何よりもコリントの問題を重視して行動していることからもうかがえます。
 この危機に直面して、パウロは自分の立場を弁証するために、論敵の批判を論駁して、何よりもまず自分がキリストの使徒であることをコリントの人たちに納得させようとします。「二度目の滞在」での悲痛な体験と深刻な危機感から、この「涙の手紙」の表現は激しく、パウロの感情の高ぶりを示しています。それにもかかわらず、その中にやはりパウロが生きている福音の本質が滲み出ています。パウロがそこに生き、パウロを使徒としている福音の本質、すなわち十字架の福音が貫かれています。論敵との対決の仕方の中に、パウロの福音の質が対照されて浮かび上がっています。今回はその点に注目して、この「涙の手紙」を読んでいきましょう。



第一節 使徒としての誇り

わたしたちの戦いの武器

 1 さて、あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている、このわたしパウロが、キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願います。2 わたしたちのことを肉に従って歩んでいると見なしている者たちに対しては、勇敢に立ち向かうつもりです。わたしがそちらに行くときには、そんな強硬な態度をとらずに済むようにと願っています。3 わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。4 わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、5 神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、6 また、あなたがたの従順が完全なものになるとき、すべての不従順を罰する用意ができています。(一〇・一〜六)

 最初にパウロは自分に対する批判を取り上げます。パウロはコリントの集会では「面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている」というのです。批判者たちは、パウロがそのように行動するのを「肉に従って歩んでいると見なしている」からです。すなわち、人間的な配慮とか計算で行動していると見なしているのです。それに対してパウロは、「弱腰」と見えるのは、パウロが「キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願い」勧めているからだと答えます。パウロを「肉に従って歩んでいると見なして」、パウロの働きに対して、とくに募金活動に対してとかくの批判をする者たちに対しては、「勇敢に立ち向かうつもり」だとしながらも、次にコリント行ったときに強硬な態度をとらずに済むように、今はコリントの人たちに「キリストの優しさと心の広さとをもって」切に呼びかけるのです(一〜二節)。
 批判者たちがパウロを「肉に従って歩んでいると見なしている」のに対して、パウロは自分の働きが「肉に従って」しているものでないことを強調します。たしかに、わたしたちはみな「肉において歩んでいます」。すなわち、わたしたちは誰でも人間としてこの社会に生きる以上は、生まれながらの人間本性から出る判断や計算をして実際的な社会生活をしなければなりません。しかし、わたしたちの「戦い」、すなわちこの世の勢力と戦って福音の真理を確立するための働きにおいては、そのような人間的な配慮や計算に基づいて行動するのではありません。そのことをパウロは「わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません」(三節)と喝破します。
 では、何に従って戦うのか、パウロはここでは明言していませんが、それは「神に由来する力」、すなわち御霊の力に他なりません。わたしたちが福音の真理を妨げたり破壊しようとするこの世の原理と戦うとき、わたしたちの戦いの武器は「肉のもの」ではありません。人間が本来備えている知恵や能力で戦うのではありません。「神に由来する力」、すなわち御霊の力によって戦うのです。それは「要塞も破壊する」力とたとえられます(四節)。御霊が働かれるときには、「理屈を打ち破り、神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせる」のです。信仰の問題は、人間の知恵でいくら議論しても解決しません。人間が立てこもっている「理屈、知識、高慢」を打ち砕き、人を「キリストに従わせ」るのは、人の思いを超える御霊の働きの他にはありません(五節)。
 御霊の働きによって、コリントの集会全体が使徒としてのパウロの権威に服すようになったとき、パウロは「すべての不従順を罰する」用意ができていると警告します(六節)。では、「罰する」権威とはどのようなものでしょうか。パウロは続いて、自分の使徒としての権威について語ります。

使徒の権威

 7 あなたがたは、うわべのことだけ見ています。自分がキリストのものだと信じきっている人がいれば、その人は、自分と同じくわたしたちもキリストのものであることを、もう一度考えてみるがよい。8 あなたがたを打ち倒すためではなく、造り上げるために主がわたしたちに授けてくださった権威について、わたしがいささか誇りすぎたとしても、恥にはならないでしょう。9 わたしは手紙であなたがたを脅していると思われたくない。10 わたしのことを、「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」と言う者たちがいるからです。11 そのような者は心得ておくがよい。離れていて手紙で書くわたしたちと、その場に居合わせてふるまうわたしたちとに変わりはありません。(一〇・七〜一一)

 「自分はキリストのものだと信じきって」、パウロの指示は仰がないと高ぶっている人たちについて、パウロはコリントの人たちに、「目の前にあるものを見よ」と、事実を直視するように呼びかけます。彼らは自分がキリストに属し、「キリストに仕える者」であるとしているが(一一・二三)、わたしたち(パウロと同労者)も同じようにキリストに属し、キリストに仕える者であるという事実を認めるように促します(七節)。そうであるならば、同じくキリストに属する者の中で、一方が他方を排除することはできないではないか、という論理です。

七節前半は、新共同訳をはじめ日本語訳はみな「見ている」と訳していますが、この動詞形は命令法とも見ることができます。英訳や独訳では「眼前にあるものを見なさい」と訳しているものが多くあります(RSV、NRSV,NTDなど)。後半との整合性を考慮して、ここでは命令法と理解します。

 その上で、「あなたがたを打ち倒すためではなく、造り上げるために主がわたしたちに授けてくださった権威」、すなわち使徒としての権威の性格を思い起こさせます。パウロはこれまで厳しい処置も執ってきましたが、それはコリントの集会を「打ち倒すためではなく、造り上げるために」したこと、しかも「主がわたしたちに授けてくださった権威」によってしたことであって、あなたたちはそのことをよく知っているはずだから、「わたしがいささか誇りすぎたとしても、恥にはならないでしょう」とします(八節)。
 パウロはこれまで何通かの手紙をコリントの集会に書き送りました。その時、手紙はいつも「神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロから」という書き出しで手紙を始めています(各書簡の書き出し)。パウロは自分がどういう立場で手紙を書いているのか、十分自覚し、また宛先の集会がパウロの使徒としての権威を認めて読むように求めています。しかし、それは手紙で脅したり、打ち壊すためではなく、あくまで主から使徒として立てられ与えられた権威を用いて、信仰を堅くし集会を建て上げるためです。そのことを集会が理解するように願います(九節)。
 しかし、コリントの集会の中には、パウロのことを「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」と言う人がいたようです。そのような者たちに対して、パウロは手紙で書いているとおりに行動すると強く宣言します(一〇〜一一節)。

限度を超えて誇らず

 12 わたしたちは、自己推薦する者たちと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです。13 わたしたちは限度を超えては誇らず、神が割り当ててくださった範囲内で誇る、つまり、あなたがたのところまで行ったということで誇るのです。14 わたしたちは、あなたがたのところまでは行かなかったかのように、限度を超えようとしているのではありません。実際、わたしたちはキリストの福音を携えてだれよりも先にあなたがたのもとを訪れたのです。15 わたしたちは、他人の労苦の結果を限度を超えて誇るようなことはしません。ただ、わたしたちが希望しているのは、あなたがたの信仰が成長し、あなたがたの間でわたしたちの働きが定められた範囲内でますます増大すること、16 あなたがたを越えた他の地域にまで福音が告げ知らされるようになること、わたしたちが他の人々の領域で成し遂げられた活動を誇らないことです。17 「誇る者は主を誇れ。」 18 自己推薦する者ではなく、主から推薦される人こそ、適格者として受け入れられるのです。(一〇・一二〜一八)

 パウロはここでコリントの人たちに対して、自分が使徒であることを思い起こさせています。そのことをパウロは、使徒であることを「誇る」と言っていますが(八節)、その誇りはきわめて抑制された誇りです。すなわち、「わたしたちは限度を超えては誇らず、神が割り当ててくださった範囲内で誇る、つまり、あなたがたのところまで行ったということで誇るのです」(一三節)。パウロはキリストの福音を携えてコリントに到達し、コリントの人々に福音を伝え、コリントの集会を形成したのです。コリント集会の生みの親として(コリントT四・一五)、コリント集会を育て導く立場にあるのです。その事実を思い起こさせているのです。そのことによって、パウロの批判者たちが自分が建てたのでもない集会に外からやってきて権威を主張するのは、「他人の労苦の結果を限度を超えて誇る」ことだと批判しているのです(一四〜一五節)。
 論敵たちは「仲間どうしで評価し合い、比較し合っています」、すなわち(おそらく)奇跡を現す力や聖書やイエスの言葉に対する解釈などの霊的能力を仲間の間で比較し合って、パウロより勝る自分たちを「自己推薦」していたのでしょう(一二節)。それに対してパウロは、彼らと霊的能力を比較して「自己推薦」するのではなく、「福音を携えてだれよりも先にあなたがたのもとを訪れた」事実をもって、「主から推薦された者」であることを弁証するのです(一八節)。パウロは、「誇る者は主を誇れ」という預言者の言葉(エレミヤ九・二二〜二三の要約)で、自分を誇るのではなく、権威を与えてくださった主を誇ることを求めます(一七節)。
 「誇る」とか「 誇り」という用語(新共同訳)は、他の新約文書よりもパウロ書簡に多く(六六回)、その中でもコリント第二書簡が約半数を占め(三六回)、とくにこの「涙の手紙」に集中して出てきます(二五回)。この語が「涙の手紙」を貫く一つのキーワードになっています。