市川喜一著作集 > 第16巻 対話編・永遠の命U > 第5講

第四節 新しい命令

47 去って行くイエス(13章 31〜38節)

 31 さて、ユダが出て行くと、イエスは言われる、「今や人の子は栄光を受けた。また、神も人の子によって栄光をお受けになった。 32 神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐに栄光をお与えになる。
 33 子たちよ、いましばらく、わたしはあなたたちと一緒にいる。あなたたちはわたしを探すことになる。わたしが行くところにあなたたちは来ることができないと、以前ユダヤ人たちに言ったように、今わたしはあなたたちにも言う。 34 わたしはあなたたちに新しい命令を与える。互いに愛しなさい。わたしがあなたたちを愛したように、あなたたちも互いに愛しなさい。 35 あなたたちが互いの間に愛を保つならば、すべての人がそのことによって、あなたたちがわたしの弟子であることを知るようになる」。
 36 シモン・ペトロがイエスに言う、「主よ、どこへ行かれるのですか」。イエスは答えられた、「わたしが行くところに、あなたは今はついてくることができない。しかし、後でついてくることになる」。 37 ペトロがイエスに言う、「主よ、なぜわたしは今あなたについて行くことができないのですか。わたしはあなたのために命を捨てます」。 38 イエスは答えられる、「わたしのために命を捨てるのか。アーメン、アーメン、わたしはあなたに言う。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言うであろう」。

栄光の時

 さて、ユダが出て行くと、イエスは言われる、「今や人の子は栄光を受けた。また、神も人の子によって栄光をお受けになった」。(三一節)

 ユダは出て行きました。ユダが行動を起こした以上、もう後戻りや変更はありえません。イエスの身に起こると定められていることは、起こり始めたのです。イエスがこれまで「わたしの時」と語ってこられたその時が始まったのです。このことを「今や」の一語で指し、始まった出来事の全体をすでに起こったものとして、「今や人の子は栄光を受けた」と語り出されます。
 「人の子」は、イエスがご自分を指すときに用いられたと伝えられている称号です。ヨハネ福音書も他の福音書と同じ程度に「人の子」という称号を多く用いています。「人の子」は本来黙示思想の用語ですが、その用語を黙示思想から脱却しているヨハネ福音書が多用している事実は、この称号が初期のイエス伝承に深く根付いていることを示しています。共観福音書においては、この称号は終末時に天から現れる超自然的な審判者・救済者という黙示思想的な面を強く保持していますが、ヨハネ福音書ではそういう面はなく、現在地上で働いているイエスが天から降ってきた「人の子」であるという面が強くなっています。

ヨハネ福音書における「人の子」について詳しくは、『ヨハネ福音書講解T』118頁以下の「天から降った人の子」と「上げられる人の子」を参照してください。

 「栄光を受けた」の動詞は過去形です。これから起ころうとしている十字架と復活の出来事を、イエスはすでに起こった出来事として語り、「今や人の子は栄光を受けた」と語り出されます。イエスの十字架と復活の出来事こそ、人の子が「栄光を受ける」ことであると、この福音書は繰り返し語ってきました(七・三九、一二・一六、一二・二三)。今やそのことが起こったのです。
 人の子が栄光を受けるこの出来事(十字架と復活)は、同時に神が人の子によって栄光をお受けになる出来事です。イエスが十字架の死に至るまで従われたことによって、神はイエスを復活させて高く上げ、その出来事によって神はその義と愛を現して栄光を示されました。パウロであれば、イエスの十字架・復活は「神の義と愛を現す」と言うところを、ヨハネは「神の栄光を現す」と表現します。

 「神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐに栄光をお与えになる」。(三二節)

 前節ではこれからイエスの身に起こることが全体として人の子が栄光を受け、同時に神が栄光をお受けになる出来事として語られましたが、ここではそれが、人の子が神に栄光を帰すためになされる働きと、それに応えて神が人の子に栄光をお与えになる働きの二つの面に分けて語られます。人の子イエスが十字架の死に至るまで神の御旨に従うことによって神の栄光を現されたので、神はイエスを死者の中から起こし、高く上げて栄光の座につかせるであろうと語られます。これは、パウロがフィリピ書(二・六〜一一)で引用している初期のキリスト賛歌のヨハネ的表現と言えます。
 本節前半の人の子が神に栄光を帰する働きは過去形で語られていますが、後半の神が人の子に栄光をお与えになるところは未来形で述べられています。地上のイエスが食事の席で語られる時点では、受難はすでに始まっている既成の事実ですが、復活はその後に起こる将来の出来事として未来形で語られます。それは「しかも、すぐに栄光をお与えになる(未来形)」と、すぐに必ず起こるのだと念を押されます。

この節前半部の「神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば」という部分を欠いている写本があります。この場合は、この部分が直前(三一節末尾)の文と同じであるので、写字生がこの部分を飛ばした可能性が高いと考えられます。底本はこの部分を括弧に入れて保持しています。

新しい命令

 「子たちよ、いましばらく、わたしはあなたたちと一緒にいる。あなたたちはわたしを探すことになる。わたしが行くところにあなたたちは来ることができないと、以前ユダヤ人たちに言ったように、今わたしはあなたたちにも言う」。(三三節)

 イエスは弟子たちに「子たちよ」と呼びかけられます。この呼びかけは、ラビが弟子たちに呼びかけるときによく用いた呼び方です。ヨハネ文書において、福音書ではここだけですが、手紙にはよく用いられています(七回)。著者が普段集会で用いている呼びかけが、思わずここに出たのでしょうか。
 この世から去る時を目前に控え、自分が突然いなくなることを、「あなたたちはわたしを探すことになる」という言葉で示唆されます。イエスは死を覚悟してエルサレムに入り、この時を迎えておられるのに、弟子たちは最後の最後まで、イエスがこの日に自分たちから取り去られるとは考えていなかったようです。
 これから起こる出来事によって、イエスは弟子たちがいる地上の生とは次元の違う世界に去って行かれます。そのことをここで弟子たちに、「わたしが行くところにあなたたちは来ることができない」と、以前ユダヤ人に言われたのと同じ言葉で語られます。イエスはすでに二回この言葉をユダヤ人に言っておられます(七・三三〜三四、八・二一)。これで三回目になります。このように繰り返される予告は、共観福音書で三回繰り返されている受難予告に相当します。
 今回の文には出てきませんが初めの二回の予告では、「わたしは去って行く」という動詞が用いられています。共観福音書の受難予告では「引き渡される」という受動態で語られていたことが、ヨハネ福音書では「わたしは去って行く」と、イエスの自発的行為として描かれます。おそらくイエスご自身の受難予告の言葉は共観福音書が伝えるものに近いものだったのでしょう。ヨハネはそれを、天から降り再び天に帰って行く人の子という独自の視点から、その方の自発的行為として描きます。

受難予告の原型については、拙著『マルコ福音書講解T』378頁「謎の言葉」を参照してください。

 「わたしはあなたたちに新しい命令を与える。互いに愛しなさい。わたしがあなたたちを愛したように、あなたたちも互いに愛しなさい」。(三四節)

 世を去ろうとしている親が残して行く子供たちに遺言するように、弟子たちを後に残して世を去ろうとしておられるイエスは、残される弟子たちが守るべき「新しい命令」をお与えになります。「命令」というと強圧的な感じを与えますが、ここでは親の「いいつけ」というくらいの意味です。

「命令」と訳した《エントレー》という語は、「戒め」とか「掟」とも訳されています。しかし、この語は父から派遣されるさいの「定め」とか「命令」(一〇・一八、一二・四九〜五〇)、イエスの居所を知る者は通報せよとの祭司長たちの「命令」(一一・五七)にも用いられているので、「戒め・掟」はあまり適切でないようです。この用語は、ヨハネ福音書では13〜15章に5回出てくるだけですが、ヨハネの第一の手紙では10回用いられています。

 この命令は「新しい命令」と言われています。それが「新しい」のは、これまでユダヤ人として(弟子たちはみなユダヤ人です)聞いてきた「昔の人の教え」とか「先祖たちの言い伝え」などと違う、新しい時代をもたらされた復活者イエスの命令だという意味です。マタイはそれを、「昔の人たちはこう命じられている。しかし、わたしは言う」という形で表現しました。ヨハネはそれを「新しい命令」と直裁に表現します。
 その命令の内容は、「互いに愛しなさい」ということです。しかし、これだけであれば、それはすでにユダヤ教の中にあり、しかも中心的な戒めとして重視されていました。ユダヤ教のラビたちは、数多くある戒めを要約するさい、心を尽くし力を尽くして神を愛するという申命記(六・四〜五)の戒めと、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」というレビ記(一九・一八)の戒めを用いていました。すなわち、神の民がお互いに愛し合うことはユダヤ教の要約であったのです。
 では、どこに「新しさ」があるのでしょうか。それは、すぐに続くイエスの言葉で示されています。イエスは言われます。「わたしがあなたたちを愛したように、あなたたちも互いに愛しなさい」。では、イエスはどのように「あなたがた」、すなわち弟子たちを愛されたのでしょうか。それは、イエスご自身がこう語っておられます。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたたちを愛した」(一五・九)。イエスが弟子たちを愛される愛(一三・一)は、イエスご自身が体験された父の愛です。イエスは神の命の質である愛をもって、弟子たちを愛されたのです。そしてその愛の姿を、「人が友のために自分の命を捨てる、これより大きな愛はない」(一五・一三)と表現されます。
 主イエスの十字架上の死は「わたしを愛して、わたしのために身を献げられた」出来事であるとのパウロの体験と理解(ガラテヤ二・二〇)は、ヨハネも共有しています。イエスはご自分の命を与えるまでに弟子たちを愛されたとします。それは、「世を愛して、そのひとり子を与えてくださった」神の愛の具体的な現れです。そのような質の愛をもって、互いに愛し合うところに「新しさ」があります。
 では、そのような質の愛はどうして可能かという問題は、ここでは取り上げられていません。それは、「わたしがしていることは、今あなたには分からない。しかし、後で分かるようになる」(一三・七)と言われたように、「今はできないが、後で、すなわち御霊が来るときには、そうするようになる」という意味が含まれています。この御霊による愛(その愛についてはパウロがガラテヤ書五章やコリント第一書簡一三章で詳しく展開しています)こそが「新しさ」の中身になります。

 「あなたたちが互いの間に愛を保つならば、すべての人がそのことによって、あなたたちがわたしの弟子であることを知るようになる」。(三五節)

 イエスの愛のような無条件絶対の愛によって形成される共同体が、イエスの弟子の共同体、すなわち「イエスの民」です。この民を識別するための標識は、この絶対愛だけです。他に何も求められていないことが意義深いです。普通宗教的な共同体は、何らかの祭儀に共に与ることによって識別されます。たとえば、キリスト教会は洗礼を受け聖餐に与っている人たちの共同体だとされます。しかし、洗礼を受け聖餐に与っている人たちが、お互いの間にこのような質の愛を保っていないならば、それは復活者イエスに属する民ではないということになります。逆に、洗礼とか聖餐というような祭儀に与っていなくても、極端な場合他の宗教祭儀に与っている人々でも、もしもその間にこの質の愛が保持されている場合があれば、その人たちはイエスの弟子であると言えることになります。そうなると、イエスの弟子の共同体は、もはや宗教的な祭儀共同体(教会とか教団)ではなく、新しい人間性に生きる者たちの幅広い(諸宗教を横断する)交わり(コイノニア)ということになります。
 しかし、そのような御霊による愛をお互いの交わりの中にいつも変わることなく保つのは、たいへん困難な課題です。それは、御霊の働きは人間の生まれながらの本性(それは自己主張ですが、パウロはそれを「肉」と呼んでいます)と逆の方向に向いているからです。わたしたちが人間としての本性に従って生きていると、いつの間にか御霊の愛とは反対方向に進んでしまいます。「肉の望むところは御霊に反し、御霊の望むところは肉に反するからです」(ガラテヤ五・一七)。もともとイエスの弟子の共同体として出発したキリスト教会も、「初めの愛」を保つことができず、その長年の歴史の中で分裂と抗争、憎しみと敵意をもって争い、お互いに殺し合うところまで行ってしまいました。御霊の愛を保つためには、十字架の恩恵の場にしっかりと留まり、つねに自分が打ち砕かれた姿で生きる必要があります。
 なお、ヨハネ福音書では弟子たちの間で「お互いに愛しなさい」と求められていますが、愛についてのイエスの教えの中で際だっている「敵を愛しなさい」という言葉がないのが問題になります。共観福音書でイエスの中心的な教えとして重視されている、敵にさえも及ぶ隣人への愛は、ヨハネ文書(福音書と手紙)では言及されていません。それで、ヨハネにおける愛は「壁の中の愛」(仲間内だけの愛)ではないかという問題が提起されることになります。
 これは複雑な問題を含んでいますが、ここでは簡単に触れておきます。ヨハネの思考は厳格な二元論的枠組みの中で動いています。ヨハネは世界を命と光の領域と死と闇の領域の二つに峻別し、二つの領域は行き来できない別の世界となっています。ただ、光の領域から闇の領域である「世」に下ってこられた御子イエスを信じることによって、人は死の領域から命の領域に移ることができるのです。愛《アガペー》は命の領域を構成する原理であって、死の領域にはありません。イエスを信じて死から命に移ることによって初めて互いに愛し合うことができるのです。(ヨハネから見た)あちら側には愛はありえないのです。それで、ヨハネの愛はこちら側だけの愛、すなわち神から生まれた者たちの間だけの愛となり、兄弟愛に集中することになります。
 こちら側では隣人はすべて兄弟であり、敵はいなくなります。兄弟愛がすべてを含むことになります。こちら側では、あちら側での価値、すなわち人間的な物差しで測った価値はすべて無意味になります。ただ彼が神から生まれた者であるというだけで、あらゆる人間的な差別を超えて同じように愛することが求められるのです。こうして、ヨハネが求める兄弟愛は、一見「壁の中の愛」に見えますが、実はイエスが求められた敵を愛する愛と同質の、無条件絶対の愛であることが分かります。ヨハネは、敵をも愛する無条件の愛が兄弟愛として成立する場を提示しているのです。

三六節のペトロの質問は三三節に自然に続きます。それでその間に「新しい命令」(三四〜三五節)を入れたのは、後の編集者ではないかという推定がなされています。たしかにこの部分は、内容だけでなく用語と文体において「ヨハネの第一の手紙」に類似しています。ヨハネ福音書が複雑な編集過程を経て成立していることを考慮しますと、第一の手紙の著者が挿入したという推定も可能です。しかし、編集者は福音書の著者と同じ信仰と思想の枠の中にいるはずですから、たとえ別人でも現形の福音書を著者の使信として受け取ることができます。

人間の決意の無力

 シモン・ペトロがイエスに言う、「主よ、どこへ行かれるのですか」。イエスは答えられた、「わたしが行くところに、あなたは今はついてくることができない。しかし、後でついてくることになる」。(三六節)

 イエスが「子たちよ」と呼びかけ、去って行くことを語られたので、驚いたシモン・ペトロが「主よ、どこへ行かれるのですか」と訊ねます。この場面での「主よ」は、「子たちよ」という師の呼びかけに対する弟子の師への呼びかけです。
 ペトロはこの時に至るも師が取り去られるとは考えもしていなかったので、驚き、戸惑い、思わずこのような質問を発したのでしょう。イエスが同じ言葉をユダヤ人たちに語られたときに、彼らがそれを理解できず戸惑った(七・三五〜三六、八・二二)のと同じように、弟子たちもこの時点ではイエスが語っておられることが理解できないでいます。

ペトロの質問「どこへ行かれるのですか」のラテン語訳が「クオ・ヴァディス」です。ネロの迫害の時、ローマを去ろうとしたペトロにキリストが現れ、「主よ、どこへ行かれるのですか」というペトロの問いに、キリストが「お前が見捨てるので、わたしがローマへ行く」と答えられたので、ペトロはローマに引き返して殉教した、という物語が伝えられています。ノーベル文学賞を受けたシエンキヴィッチのこの題名の小説が、ハリウッドのスペクタクル映画「クオ・ヴァディス」となり、このラテン語が有名になりました。

 イエスはペトロに、「わたしが行くところに、あなたは今はついてくることができない」と言われます。先のユダヤ人に対する言葉(三三節)では「来ることができない」と言われていましたが、ここでは弟子として「従う」という意味で、「ついてくる」という別の動詞が用いられています。まだ聖霊を受けていない今は、自分の決意とか力では、イエスが行かれるところに従って行くことはできません。そのことが続く対話で明らかにされます。
 イエスは続いて「後でついてくることになる」と言われます。動詞は未来形です。イエスが栄光をお受けになった後、信じる者は聖霊を受けて、聖霊の力によって歩むときはじめて、イエスに従い、イエスの道を歩むことができるようになるのです。ここでは、ペトロがイエスと同じ受難の道を歩むことを示唆しておられます(二一・一八〜一九参照)。

 ペトロがイエスに言う、「主よ、なぜわたしは今あなたについて行くことができないのですか。わたしはあなたのために命を捨てます」。(三七節)

 ペトロは、イエスが「わたしが行くところに、あなたは今はついてくることができない」と言われる理由が分かりません。自分は師のために命を捨てる覚悟をしているのに、どうして師が行かれるところについて行くことができないのか、分かりません。これだけの決意があれば、どんなことでもできるとペトロは信じています。
 復活者イエスと共に生きる、復活者イエスの命の次元に生きるようになることは、ただ聖霊の働きによってのみ可能になることであり、いかなる人間の決意も能力も入りえない境地であることを、ペトロはまだ理解していません。それは、自分の決意とか力でイエスに従おうとするペトロが死ぬことによって初めて可能になります。イエスはペトロの勇ましい決意表明に答えて、人間の決意とか覚悟というようなものがいかにもろくて無力なものかを、直ぐ後にペトロが経験することになると予告されます。

 イエスは答えられる、「わたしのために命を捨てるのか。アーメン、アーメン、わたしはあなたに言う。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言うであろう」。(三八節)

 ペトロが夜が明けるまでに三度もイエスを否認するというイエスの予告は、共観福音書では最後の食事を終えてゲッセマネに向かう途上でなされたことになっていますが、ヨハネ福音書では、最後の食事の席でなされたことになっています。
 この予告がその通りに自分の身に起こったことを体験して(一八・一五〜二七)、ペトロは泣き崩れます(マルコ一四・七二)。ヨハネ福音書には、ペトロが「激しく泣いた」という表現はありませんが、決意とか自信が崩れ去り、自分が裏切り者に過ぎないという激しい悔恨に陥ったのは同じです。
 この予告は食事の席で、すなわち皆の前でなされています。ペトロも後に自分の身にその通り起こったことを語ったことでしょう。この予告とペトロの否認という出来事は、初期の教団で重要な伝承として語り伝えられ、すべての福音書に取り入れられます。それは、人間の弱さと、その弱さを包み込んで救ってくださる復活者イエスの恩恵の働きの物語として語り伝えられていきます。

「鶏が鳴くまでに」は、「夜が明けるまでに」の意。共観福音書に見られる「二度」は、三度の否認に合わせて劇的に構成された形であると推定され(マルコ一四・三〇に「二度」を欠く写本もあります)、ヨハネ福音書のこの形が原型であろうと考えられます。