第二節 十字架刑の執行
16b そこで、彼らはイエスを引き取った。 17 イエスは自ら十字架を担って、「頭蓋骨の場所」と呼ばれている所、ヘブライ語でゴルゴタという所へ出て行かれた。 18 その場所で彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒に他の二人を、イエスを真ん中にして、こちら側とあちら側で十字架につけた。 19 ピラトは罪状書きを書いて十字架の上に掛けた。それには「ナザレのイエス、ユダヤ人たちの王」と書かれていた。 20 この罪状書きを多くのユダヤ人が読んだ。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったからであり、また、それがヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていたからである。 21 そこで、ユダヤ人たちの祭司長たちはピラトに言った、「ユダヤ人たちの王と書かないで、この男は自分がユダヤ人たちの王であると言ったと書いてください」。 22 ピラトは答えた、「わたしが書いたものは、わたしが書いたのだ」。
23 こうして、兵士たちはイエスを十字架につけた時、彼の上着を取り、それを四つの部分に分け、それぞれの兵士の取り分とした。下着も取ったが、その下着は縫い目が無く、上から全体を一枚に織ってあった。 24 そこで、彼らは互いに言った、「これは裂かないで、誰のものにするか、くじで決めよう」。それは、「彼らはわたしの上着を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた」とある聖書が成就するためであった。兵士たちは、まさにこのことをしたのである。
25 ところで、イエスの十字架のそばには、彼の母、彼の母の姉妹、クロパの妻マリア、マグダラのマリアが立っていた。 26 そこで、イエスは母と愛した弟子がそばに立っているのを見て、母に言われる、「女よ、ごらんなさい。あなたの子です」。 27 それから、その弟子に言われる、「ごらんなさい。あなたの母です」。この時から、その弟子は彼女を自分のところに引き取った。
28 この後、イエスはすでにすべてが成し遂げられたことを知り、聖書が成就されるために、「わたしは渇く」と言われる。 29 酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。そこで彼らは、この酸いぶどう酒を含ませた海綿をヒソプに巻き付け、イエスの口元に差し出した。 30 この酸いぶどう酒を受けると、イエスは「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。
ゴルゴダで十字架に
そこで、彼らはイエスを引き取った。(一六節後半)
前段の最後で触れたように、ここの「彼ら」は一八節の「彼らはイエスを十字架につけた」の「彼ら」と同じであり、十字架刑を執行するローマの兵卒としなければなりません。イエスは自ら十字架を担って、「頭蓋骨の場所」と呼ばれている所、ヘブライ語でゴルゴタという所へ出て行かれた。(一七節)
十字架に処せられる死刑囚は、自分がかけられる十字架の横木を担って(あるいは引きずって)刑場まで歩かされました。縦木は刑場に用意されているのが普通であったとされています。イエスは、仲間による奪還を警戒するローマの兵士たちに厳重に取り囲まれて、エルサレムの狭い街路を引かれて行かれます。十字架刑の実際の執行方法については、『マルコ福音書講解U』280頁以下の「十字架刑の歴史」を参照してください。
マルコは刑場として「ゴルゴタ」という地名を先にあげて、その後にギリシア語で「頭蓋骨」という意味であると訳をつけています。ヨハネは先に「頭蓋骨の場所」というギリシア語の呼び名をあげて、その後にヘブライ語(正確にはアラム語)の名称を付けています。小高い形が頭蓋骨に似ていることと、そこが処刑場としてよく用いられたので、そう呼ばれたのでしょう。後にウルガタ(ラテン語訳聖書)で、頭蓋骨を意味するラテン語「カルヴァリア」が用いられ、それが英語の「カルヴァリー」となります。この場所がどこであったかは確定できませんが、現在の聖墳墓教会がある場所とされています。その場所で彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒に他の二人を、イエスを真ん中にして、こちら側とあちら側で十字架につけた。(一八節)
ここで、この時の十字架刑の執行がイエス一人ではなく、他に二人の囚人の十字架刑が同時に執行されたことが述べられます。共観福音書では、この二人が「強盗」《レーステース》と呼ばれていますが、これは単なる物取り強盗の類ではなく、バラバがそうであったように、ローマの支配に武装して反抗する革命家を、ローマ側がさげすんでそう呼んだものです。ヨハネ福音書は、この二人がどのような人物であるかには関心を持たず、淡々とイエスを中央にして三人が同時に十字架につけられた事実だけを報告します。イエスの罪状書き
ピラトは罪状書きを書いて十字架の上に掛けた。それには「ナザレのイエス、ユダヤ人たちの王」と書かれていた。(一九節)
処刑される者の罪状を書いた札が十字架の上部につけられました。それが「罪状書き」です。イエスの場合、その書き方は四福音書で少しずつ異なりますが、「ユダヤ人たちの王」は共通しています。この「罪状書き」は、判決を下したピラト自身が書きました。この「罪状書き」は、イエスがローマへの反逆罪で処刑されたことを公示しています。この罪状書きを多くのユダヤ人が読んだ。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったからであり、また、それがヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていたからである。(二〇節)
十字架刑は見せしめの刑ですから、都市の近くの人通りの多い街道に面した場所で行われました。有名な奴隷の反乱(スパルタクスの反乱)のときには、ローマ周辺の街道の両側に幾千の十字架が立てられたと伝えられています。イエスの十字架は人通りの多い街道に面していましたから、多くのユダヤ人がこの「罪状書き」を読むことになります。そこで、ユダヤ人たちの祭司長たちはピラトに言った、「ユダヤ人たちの王と書かないで、この男は自分がユダヤ人たちの王であると言ったと書いてください」。ピラトは答えた、「わたしが書いたものは、わたしが書いたのだ」。(二一〜二二節)
ピラトが書いた「ナザレのイエス、ユダヤ人たちの王」という罪状書きの文言に、ユダヤ人の祭司長たちが抗議します。この文ではまるでイエスがユダヤ人の王であることが事実であるかのように聞こえるではないかという抗議です。「この男は自分がユダヤ人たちの王であると言った」、すなわち不遜にも自分で王を自称していた罪で処刑されたと明示するように要求します。イエスの衣を分ける兵士たち
こうして、兵士たちはイエスを十字架につけた時、彼の上着を取り、それを四つの部分に分け、それぞれの兵士の取り分とした。下着も取ったが、その下着は縫い目が無く、上から全体を一枚に織ってあった。そこで、彼らは互いに言った、「これは裂かないで、誰のものにするか、くじで決めよう」。それは、「彼らはわたしの上着を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた」とある聖書が成就するためであった。兵士たちは、まさにこのことをしたのである。(二三〜二四節)
ここの「四つの部分に分け、それぞれの兵士の取り分とした」という記事から、イエスを取り囲んで警護して刑場まで連れて行き、十字架につけ、その前で監視し、その死を確認する任務に当たったローマの兵士は四人であったことが分かります。三人の受刑囚に四人ずつと、それを警護する部隊が一人の百人隊長(マルコ一五・三九)に率いられていたことになります。イエスの母と愛弟子
ところで、イエスの十字架のそばには、彼の母、彼の母の姉妹、クロパの妻マリア、マグダラのマリアが立っていた。(二五節)
イエスの母マリアが十字架のそばにいたことを伝えるのはヨハネ福音書だけです。並行するマルコ一五・四〇およびマタイ二七・五六との比較から、ここの「彼の母の姉妹」の名はサロメであり、「ゼベダイの子ら(ヤコブとヨハネ)の母」と推察することも可能ですが(そうだとするとイエスとゼベダイの子らは従兄弟関係になります)、マルコとマタイの記事は「遠くから見守っていた」女性たちの名をあげているだけで、十字架のそばにいた女性を正確に伝えるものではないので、この並行関係は推定の根拠としては弱いと考えざるをえません。そこで、イエスは母と愛した弟子がそばに立っているのを見て、母に言われる、「女よ、ごらんなさい。あなたの子です」。それから、その弟子に言われる、「ごらんなさい。あなたの母です」。この時から、その弟子は彼女を自分のところに引き取った。(二六〜二七節)
弟子たちは皆、イエスが逮捕されたときに逃げ去っていました。十字架の場所まで来たのは四人の女性だけでしたが、その中に一人の男性弟子が入っています。反逆罪で処刑されるイエスの刑場に、壮年の男性弟子がついてくることは、奪還する意図がある仲間として警戒され逮捕される危険がありますから、その姿がないのは当然です。女性だけの中にこの男性の「(イエスが)愛した弟子」がいることは、どうして可能だったのでしょうか。この「愛弟子」とその年齢については、本書附論の『「もう一人の弟子」の物語―ヨハネ文書の成立について』を参照してください。
この愛弟子は、この時まだ十歳代半ばの少年であり、敬愛する師の最後を見届けるために、女性たちに交じって十字架の刑場までついて来ます。イエスは十字架の上から母とこの「愛弟子」がいるのを見て、母に「女よ、ごらんなさい。あなたの子です」と言い、この弟子に「ごらんなさい。あなたの母です」と言って、母をこの弟子にお委ねになります。母には、わたしが亡き後はこの弟子を子として生涯を委ねなさいと言っておられます(ヨハネ福音書では、イエスは母に対しても、他の女性の場合と同じように「女よ」と呼びかけておられます)。この弟子には、これからはこの女性を母として世話するようにと、最後の苦しい息の中から母をお委ねになります。すべてが成し遂げられた
この後、イエスはすでにすべてが成し遂げられたことを知り、聖書が成就されるために、「わたしは渇く」と言われる。(二八節)
「聖書が成就されるために」という句は、先行する文にかけて、「聖書が成就するために(必要な)すべてのことが成し遂げられたことを知って」と訳すことも可能です(岩波版)。ここでは(多くの英訳や独訳およびほとんどの日本語訳と同じく)以下に語られるイエスが酸いぶどう酒をお受けになったことを、詩篇(六九・二二、二二・一六、六三・二など)の成就として描いていると理解して訳しています。この解釈は、イエスの身に起こったことが最後の最後まで聖書の正確な成就であったことを強調することになります。酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。そこで彼らは、この酸いぶどう酒を含ませた海綿をヒソプに巻き付け、イエスの口元に差し出した。(二九節)
「酸いぶどう酒」は、共観福音書でも同じ用語《オクソス》で描かれています(マルコ一五・三六、マタイ二七・四八、ルカ二三・三六)。これは、ローマ兵が元気をつけるために用いた水と酢と卵を混ぜ合わせた飲物とされていますが、ヨハネ福音書ではそれが器に満たしてそばに置いてあったことになっています。十字架執行にさいして囚人に与えるためにローマ側が用意していたことも考えられます。この酸いぶどう酒を受けると、イエスは「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。(三〇節)
ヨハネ福音書は「この酸いぶどう酒を受けると」と明記していますが、共観福音書ではこの酸いぶどう酒をお受けになったことは言及されないで(むしろお受けにならなかった印象を与える書き方です)、大声を出して息を引き取られたとなっています。