144 エマオで現れる(24章13〜35節)
ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。(二四・一三〜一四)
「ちょうどこの日」、すなわち週の初めの日(日曜日)で、女性たちが墓が空になっているのを見つけた日、「二人の弟子」がエルサレムの近くにあるエマオという村に向かっていました。この「二人の弟子」は、イエスが選ばれた「十二人」の弟子団には含まれていません。そのことは、この二人が「エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まっていた」(二四・三三)とあり、この「二人」は「十一人」(十二人からユダを除く十一人の使徒団)の中の二人でないことが確認できます。エマオの位置については議論があります。現在のパレスチナの地理に詳しい研究者によれば、エマオは現在のアムワスであるとされています。しかし、アムワスはエルサレムから約二三キロ(一二〇スタディオン)あり、ルカの記述とは合いません。ヨセフスはエルサレから三〇スタディオンのところにある現在のカローニエをエマオとして言及しています。なお、ルカの記事に基づいて、エルサレムから六〇スタディオンの距離にあるエル・イクレーベに、エマオでの顕現を記念するフランシスコ派の修道院が一五世紀に建てられました。エマオの位置は正確に確認することはできませんが、わたしたちの新約聖書理解にとっては、それがエルサレムから遠くないユダヤの村であるという事実で十分です。
この「二人の弟子」が何のためにエマオに向かっていたのかは明らかではありませんが、エマオに着いてからイエスを夕食に招き、、さらに泊まるように勧めていることから、この二人はエマオの住人で、イエスを自宅に招いたのではないかと考えられます。二人は過越祭のためにエルサレムに来ていましたが、(ある程度以上の距離の旅ができない)安息日が明けた翌日の日曜日に、自宅に戻る途中であったと見てよいでしょう。ヨハネ福音書一九章二五節には、「ところで、イエスの十字架のそばには、彼の母、彼の母の姉妹、クロパの妻マリア、マグダラのマリアが立っていた」とあります。「クロパの妻マリア」は、直前の「彼の母の姉妹」と同格と読んで、「彼の母の姉妹であるクロパの妻マリア」とすることも文法上は可能ですが、そうすると「彼(イエス)の母」もマリアですから、二人の姉妹が同じ名前であることになり、これはありそうにないことです。「彼の母の姉妹」と「クロパの妻」は別人として、四人の女性が立っていたとしなければなりません。エウセビオスが引用する古代教会の伝承(前出)は、クロパをイエスの父ヨセフの兄弟とし、「主の兄弟ヤコブ」の次にエルサレム教会の主教となったシメオンの父としています。
この二人は「弟子」ですから、過越祭のエルサレムで起こったイエスにかかわる出来事は身近に見ていたはずです。この二人がガリラヤからイエスに従ってきた「使徒たち」とどれほど身近であったかは確認できませんが、もしこの「クレオパ」がヨハネ福音書一九章二五節に出てくる「クロパ」と同一人物であるならば、彼の妻がイエスの母と一緒にイエスの十字架の前にいたことになり、「使徒たち」とかなり近い親密な交わりにあったことが推測されます。そうすると、日曜日の早朝に墓が空であることを見つけた女性たちが報告したとき、それを聞いた「使徒たち」と一緒にいた可能性もあります。こうして、信じていたイエスが十字架上で刑死し、その遺体までがなくなっていたという出来事に失望落胆して、「この一切の出来事について」どう考えてよいのか分からず途方に暮れ、(一七節にあるように)「暗い顔をして」互いに語り合っていたのでしょう。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。(二四・一五〜一六)
ルカは二人の話し合いを「議論する」という動詞を用いて描いています。二人はイエスの身に起こった出来事、とくに刑死という事実で終わった出来事の意義が理解できず、ああではないか、いやこうであるにちがいないと、議論が続いていたのでしょう。そこに「イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められ」ます。近づいてきた人物を「イエスご自身」と指し示すのはこの物語を伝えるルカまたは伝承であって、「二人の弟子」当人にとっては一人の見知らぬ旅人にすぎません。二人がそれがイエスだと分からない理由を「二人の目は遮られていて」分からなかったのだとしています。イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。(二四・一七)
イエスは二人が歩きながら話している会話の内容を知っておられます。しかし、彼らにその意義を教えるために、「その話は何のことですか」と訊ねて、彼ら自身にそれを語らせようとされます。二人は「暗い顔をして」立ち止まり、話し始めます。彼らが「暗い顔をして」いたのは、「この数日そこ(エルサレム)で起こったこと」、すなわち彼らがこの過越祭のエルサレムで体験したことが、あまりにも彼らを落胆させ悲しませたからです。「暗い顔をして」と訳されている語は、「悲しげに(相手を)見つめて」という訳も可能です。また、「悲しげな顔をして歩きながら」と読む写本もあります(NRSV欄外)。どの読みや訳を採っても、二人の弟子の落胆した暗い心境を指していることは同じです。
その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか」。(二四・一八)
「二人の弟子」とクレオパという名の人物については先に述べました。イエスの問いにクレオパが答えたとされているのは、二人の中でクレオパの方が年長で、二人を代表する立場の人であったからでしょう。クレオパはイエスの質問に驚きを示しながら答えています。その驚きは「あなただけはご存じなかったのですか」という問い返しによく現れています。クレオパは、この見知らぬ旅人も自分たちと同じくエルサレムからエマオに向かう旅人として一緒に歩いているので、当然これまでエルサレムに滞在していたものと理解しています。エルサレムにいながら、「この数日そこで起こったこと」を知らないとは驚きだ、という気持ちをこめてこう問い返しています。この数日そこで、すなわち過越祭のエルサレムで起こった事件は、エルサレム中の人は皆知っており、大きな衝撃を受けたのに、そこに居合わせていながら「あなただけはご存じなかったのですか」という驚きです。イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした」。(二四・一九)
イエスは彼らに語らせるために、「それはどういうことか」と重ねてお訊ねになります。今度は「二人」が答えます。実際に語ったのはクレオパかもしれませんが、ルカはこれを「二人は言った」としています。原文は「彼らは言った」で、これは以下の対話をイエスと弟子たち一同の対話として読ませたいルカの意図を示唆しています。以下の対話の「わたしたち」は、この二人だけでなく弟子たち一同を指していると理解すると、この対話の意義がいっそう明らかになります。「それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです」。(二四・二〇)
このようにイエスは神から遣わされた預言者であったのに、こともあろうに、「わたしたちの祭司長たちや議員たち」、すなわちわたしたち神の民イスラエルの指導者たちは、イエスを裁判にかけ、死刑に相当すると判決し、異教徒の支配者であるローマ総督に(死刑を執行してもらうために)「引き渡し」、ローマ人の手によって十字架につけて殺してしまったのです、と二人は嘆き悲しんでいる訳を話します。「わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります」。(二四・二一)
ユダヤ人の中にはイエスを神から遣わされた預言者として認める者も多くいたのですが、「わたしたち」イエスに従った弟子たちはさらに一歩進めて、この方こそ終わりの日に現れてイスラエルを異邦人の支配から解放してくださるあの預言者、すなわち「メシア」であると信じてエルサレムまでついてきました。弟子たちがイエスをそのような当時のユダヤ教徒が期待していたメシアであると期待したことは、カイサリア・ピリポでのペトロのメシア告白とその後の福音書の記事によく示されています。「わたしたち」は、エルサレムに入られるならばイエスは大いなる神の力を現し、イスラエルの民を異教徒の支配から解放する目覚ましい働きをされるに違いないと「望みをかけていました」。ところがエルサレムで起こった事態はこの期待を裏切る悲惨な結果に終わりました。イエスは神殿当局に逮捕され、最高法院で死刑の判決を受け、異教の支配者であるローマ総督に引き渡され、十字架につけられて処刑されたのでした。「ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです」。(二四・二二〜二三)
二人は続けて、そのことがあってから三日目になる」今日の早朝に起こった出来事を語ります。仲間の婦人数人が朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来て、そこに現れた天使たちが「イエスは生きておられる」と告げたと報告します。ここの「遺体」の原語は「からだ」《ソーマ》です。「仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした」。(二四・二四)
それでも事実を見届けるために「仲間の者が何人か墓へ行ってみます」。この記事は一二節の記事に対応していますが、一二節ではペトロ一人が墓に走っています。二二〜二四節の記事は、すでに初版で報告している空の墓の記事の後に顕現物語を付け加えて増補改訂するさいに、その空の墓の記事との整合性を維持するために書き入れた部分だと考えられますが、墓に行った弟子が複数形になっているのは、ルカが用いたヨハネ(二〇・一〜一〇)との共通の伝承が墓に走った弟子を二人としていることの影響である可能性が考えられます。そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」。(二四・二五〜二六)
十字架の死と空の墓の事実に直面して驚き途方に暮れている弟子たちに向かって、イエスはそれを彼らの不信仰であると嘆き、聖書に基づくメシアへの信仰を説かれます。弟子たちは、メシアと信じてきたイエスが十字架上に刑死された事実にすっかり落胆し嘆き悲しんでいるが、それは預言者たちが預言していた言葉を信じることができないからだとし、弟子たちの「物分かりが悪く、心が鈍い」ことを嘆かれます。この嘆きは、神の言葉を預かってイスラエルの民に語った預言者たちが、その言葉を理解せず拒否しつづけた民の心の頑なさと無理解を嘆いた歴史の延長上にあります。弟子たちの無理解を嘆いた上で、復活されたイエスご自身が預言者たちのメシアについての預言を解き明かされます。《ホ・クリストス》の訳語の問題は、拙著『マルコ福音書講解T』330頁の「メシアとキリスト」の項を参照してください。
神から油を注がれて民の救済のために遣わされるメシアは、「このような苦しみを受ける」、すなわち民の指導者からは見捨てられ、弟子に裏切られ、敵対者に引き渡され、神に打ち砕かれるような死を遂げることは、預言者たちが預言したことであり、このような苦しみを受けた後に、メシアはその本来の栄光の地位に高められることになっているではないか、と復活されたイエスは弟子たちに語られます。ここの「〜することになっている」(新共同訳では「〜するはずだ」)には、あの神的な必然を指す《デイ》が用いられています。英語の"must"に相当するこのギリシア語は、神が働かれるときの必然を表現しています。とくに、神が終末的な救済の働きを成し遂げられるときの必然として、キリストの受難と復活を語る文に用いられます(マルコ八・三一など)。その聖書に預言されている必然を理解しているならば、ただ嘆き悲しんでいるのではなく、受難に続いて起こる神の栄光の働きを待つことができたであろう、と諭されます。そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。(二四・二七)
そして、前節の「預言者たちの言ったことすべて」のことが、続けて「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていること」と具体的に説明されます。イエスの時代では、ユダヤ教の「聖書」の範囲はまだ流動的でしたが、少なくともモーセが書いたとされる《トーラー》(律法、モーセ五書)と「預言者」(ヨシュア記、士師記、サムエル書、列王記の「前の預言者」とイザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、十二小預言者の「後の預言者」)は「聖書」《グラフェー》として権威が確立していました。詩編を代表とするその他の文書群「諸書」はほぼ形を取っていましたが、まだ確定はしていなかった(閉じられていなかった)と見られています。ルカがここで「モーセ(五書)とすべての預言者から始めて」という句に「聖書《グラフェー》全体」を加えているのは、最初期の共同体が詩編など諸書の中の文書も、メシアの受難と復活を預言する聖書預言として用いていた状況を反映しているものと見られます。ルカは、彼の時代の共同体が聖書全体をメシア・キリストとしてのイエスの受難と復活を預言するものとして解釈している状況を、復活されたイエスの働きとしてエマオ物語に取り入れます。最初期の共同体、とくにルカが活動した異邦人を主体とする共同体が、聖書(旧約聖書)をもっぱら来たるべきキリストの預言として読んでいた状況が浮かび上がります。一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。(二四・二八)
二人の弟子とイエスの一行三人は目指す村エマオの近くまで来ますが、イエスはなおも先へ行こうとされます。この二人の弟子はエマオの住人であると考えられるので、この不思議な人物からさらに話を聞きたかったのでしょう、一緒に自分たちのところに泊まるようにイエスを引き止めます。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。(二四・二九)
時刻は夕方近くになり、日も傾いていました。二人の弟子は昼過ぎにエルサレムを出発してエマオに向かったのでしょう。なお先に行こうとされるイエスを無理に引き止めて、一軒の家に迎え入れます。当時のユダヤの寒村に旅館というような施設はないのでしょうから、この家は自分たちの家であると推察してよいでしょう。イエスは二人の懇願を聞き入れて、二人の家に入られます。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。(二四・三〇)
エルサレムからエマオまでは二時間半くらいの行程ですから、日は傾いていたとしてもまだ日没ではありません。当時のユダヤ人は午前と午後遅いめの二回に食事をとったようです。二人は泊まってもらうことになった見知らぬ旅人に午後の食事、夕食を用意します。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。(二四・三一)
はたして、二人の弟子はこの動作をされるイエスを見たとき、「目が開かれて」(動詞は受動態)、この方がイエスだと分かります。二人は最後の晩餐の席にいたわけではありませんから、そのイエスの動作を見たからイエスだと分かったのではありません。そのときに「目が開かれて」、今まで隠されていた秘密、すなわちその見知らぬ旅人がイエスであるという秘密が明らかになった、ということになります。彼らの「目を開いた」のは聖霊である、としか言いようがありません。顕現体験はいつも聖霊の働きの結果です。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。(二四・三二)
二人は、ここまで自分たちと一緒に行動された見知らぬ旅人がイエスだと分かったとき、エマオへ向かう道の途上で体験したことを思い起こします。その方が自分たちに話しかけて、聖書を解釈し、その真意を説明してくださったとき、自分たちの「心は燃えていた」という体験を思い起こします。ここで「説明してくださった」と訳されている動詞は、二七節で用いられていた《ヘルメネオー》(解釈する)の複合形ではなく、《アノイゴー》(開く)の複合形です。それは前節で「目が開かれて」というときに受動態で用いられていたのと同じ動詞です。ここでは復活されたイエスご自身が「聖書を開いて」、隠されていた聖書の内容を明るみに出すという形で「説明された」と言われています。その隠されていた内容というのは、「御自分について書かれていること」でした。すなわち、終わりの日に出現すると約束されていたメシア・キリストとしてのイエスの出来事について聖書が予め語っている内容でした。「メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入る」と預言されているのに、ユダヤ人にはその奥義が隠されていて、理解されていませんでした。イエスは「聖書全体」を神の救済の働きの預言と見る視点から、その隠された意味を「開き示された」のです。この視点からの聖書全体の理解(救済史的解釈)こそ、最初期の共同体が聖書に接した基本的な姿勢でした。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。(二四・三三〜三四)
二人は「時を移さず出発して」エルサレムに戻ります。エマオからエルサレムまではほぼ二時間半の行程です。ユダヤ人の夕食は、午後の四時とか五時というような遅めの午後になされたので、食事が始まるときにイエスの姿が見えなくなった直後に出発し、急げば夜の闇が迫る前にエルサレムに到着できたでしょう。彼らは、イエスが生きておられ自分たちに現れてくださったこの出来事を、仲間の弟子たちに知らせるために、この道のりを息せき切って急いだことでしょう。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。(二四・三五)
二人は、エマオへ向かう途中「道で起こったこと」や、家に入って食事をしたとき「パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第」を報告します。この二人の「イエスは生きておられる。わたしたちはそのイエスを見た」という証言を聞いて、他の弟子たち一同がイエスの復活の事実に喜びに溢れたということにはならなかったようです。墓が空であったという女性たちの報告を聞いたときと同じように、あまりにも意外な報告や証言に戸惑うばかりで、彼らの失望や落胆、また恐れの心は変わらなかったようです(マルコ一六・一二〜一三)。そのことは次の段落が示しています。