ヨハネ福音書 翻訳と講解 

 良い羊飼い

                           ―― ヨハネ福音書 一〇章 ――


第一節 「良い羊飼い」をめぐる論争

  34 羊飼いと羊の群れ(10章1〜21節)

 1 「アーメン、アーメン、わたしはあなたたちに言う。羊たちの囲いに入るのに、門を通らないで、ほかのところを乗りこえて来る者は、盗人であり、強盗である。 2 門を通って入ってくる者が、羊たちの羊飼いである。 3 この人には門番は戸を開き、羊たちはこの人の声を聴きわける。そして、彼は自分の羊たちをその名で呼び、群れを連れ出す。 4 自分の群れをすべて出してしまうと、先頭に立って群れを導く。そして、羊たちは彼の後に従う。羊たちは彼の声がわかるからである。 5 ほかの者にはついて行かないで逃げ出すことになる。ほかの者たちの声はわからないからである」。
 6 イエスはこの謎を彼らに語られたが、彼らはイエスが彼らに語られたことがわからなかった。 7 そこでイエスは再び言われた、「アーメン、アーメン、わたしはあなたたちに言う。わたしが羊たちの門である。 8 わたしよりも前に来た者はみな、盗人であり、強盗である。羊たちは彼らの言うことを聴かなかった。 9 わたしが門である。わたしを通って入る者は救われ、入ったり出たりして、牧草を見つけるであろう。 10 盗人が来るのは、盗み、屠り、滅ぼすためにほかならない。わたしが来たのは、彼らがいのちを得るためであり、豊かに得るためである。
 11 わたしが良い羊飼いである。良い羊飼いは羊たちのために自分のいのちを捨てる。 12 雇い人にすぎず羊飼いでない者、すなわち羊たちが自分のものでない者は、狼が来るのを見ると、羊たちを置き去りにして逃げてしまう。――狼は羊たちを奪い、散らしてしまう。―― 13 彼は雇い人であって、羊たちのことを心にかけていないからである。 14 わたしが良い羊飼いである。わたしはわたしの羊たちを知っており、わたしの羊たちはわたしを知っている。 15 父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは、羊たちのために自分の命を捨てる。
 16 わたしには、この囲いに属さないほかの羊たちもいる。わたしはその羊たちをも導かなければならない。その羊たちもわたしの声を聞き分けるようになり、一つの群れ、一人の羊飼いとなるであろう。
 17 わたしが自分の命を捨てるので、父はわたしを愛してくださる。それは、わたしがその命を再び得るためである。 18 その命をわたしから奪う者はだれもいない。わたしが自分からその命を捨てるのである。わたしは自分の命を捨てる力があり、それを再び得る力がある。この定めを、わたしはわたしの父から受けた」。
 19 これらの言葉のために、ユダヤ人たちの間に再び分裂が生じた。 20 ユダヤ人たちの中の多くの者は、「彼は悪霊につかれており、気が狂っている。あなたたちはなぜ彼の言うことを聴くのか」と言っていた。 21 他の者は言っていた、「このような言葉は悪霊につかれた者の言葉ではない。悪霊は目の見えない人の目を開けることなどできないではないか」。


一〇章の構成について

 九章からの続きとして一〇章を通読すると、その構成に不自然さを感じます。まず、九章の末尾(四一節)と何のつながりもなく突然一〇章の羊飼いの説話が始まっていることに驚きます。さらに、一九〜二一節で目の見えない人の目を開いた出来事が締めくくられた後、冬の神殿奉献祭という別の祭りのさいに再び同じ羊飼いの説話が繰り返され(二二〜三〇節)、それを聞いてイエスを石打ちにしようとするユダヤ人との論争が続きます(三一〜三九節)。
 仮に一七〜二一節を九章の直後に続けると、目の見えない人の目が開かれた記事の結びとして自然に続きます。そして、一〜一八節の羊飼いの説話を神殿奉献祭の時の対話として二二〜二六節(または二二〜二七節)の後に続けると、これも自然に続き、全体として自然な流れになります。研究者の中には、これが元の構成であったと見て、現在の構成は後の編集者の手によるものと見る人もいます。
 誰の手によるものであれ現在の構成では、一〜一八節の羊飼いの説話は、九章の目の見えない人の開眼の結びの記事(一九〜二一節)の前に置かれることによって、その出来事を機縁として行われた説話になっています。この説話をこの位置に置いた意図から解釈すると、イエスをキリストと言い表したためにユダヤ教会堂から放逐された目の見えない人に出会われたイエスこそ、その人に真の命を与える真の羊飼いであることを説いていると理解できます。

 

羊飼いと盗人のたとえ

 「アーメン、アーメン、わたしはあなたたちに言う。羊たちの囲いに入るのに、門を通らないで、ほかのところを乗りこえて来る者は、盗人であり、強盗である」。(一節)
 羊飼い説話の最初の一段(一〜五節)は、羊飼いと盗人・強盗との違いをたとえの形で語っています。
 パレスチナでは、一つの村の羊は共同の囲いに入れられている場合が多かったようです。その共同の囲いの門番は、顔見知りの羊飼いたちだけに門を開き、羊飼いは門から囲いに入り、自分の羊の名を呼んで、多くの羊の中から自分の羊だけを連れ出します。羊も自分の羊飼いの声を聞き分けて、その人だけについていきます。ですから「門を通らないで、ほかのところを乗りこえて来る者は、盗人であり、強盗である」ということになります。
 羊飼いは朝ごとに門から囲いに入って、自分の羊たちを牧草地に連れ出します。それに対して盗人や強盗は、夜ひそかにやって来て、塀を乗り越えて囲いに侵入し、羊たちを奪い殺します。
 一〜五節は、このような現実の羊飼いの仕事ぶりを比喩として用いて、イエスと敵対するユダヤ教指導者たちを対照しています。神の民の指導者を羊飼いにたとえる語り方は、イスラエル古来の伝統です(民数記二七・一六〜一七、エゼキエル三四、ゼカリヤ一一・四〜一七など)。また、イエスもこの比喩をよく用いられたことは、共観福音書伝承の「羊飼いのいない羊の群れ」という表現(マタイ九・三六)や「失われた一匹の羊を捜す羊飼い」のたとえ(ルカ一五・三〜七)などにも示されています。

 「門を通って入ってくる者が、羊たちの羊飼いである。この人には門番は戸を開き、羊たちはこの人の声を聴きわける。そして、彼は自分の羊たちをその名で呼び、群れを連れ出す」。(二〜三節)
 真の羊飼いの条件は、まず門を通って囲いに入ってくることです。門番に顔を知られていて、「この人には門番は戸を開き」となることが必要です。しかし、それだけではありません。肝心なことは、「羊たちはこの人の声を聴きわける」ことです。普段から羊たちの世話をして、羊たちにその声がよく知られている必要があります。突然、他の人が来て羊を連れ出そうとしても、羊はついて行きません。
 多くの羊の中から自分の羊だけをまとめて連れ出すために、羊飼いは「自分の羊たちをその名で呼び」ます。羊飼いは自分の羊を一頭ごとに知っており、普段からその名を呼んで世話をしていますから、自分の羊の名を呼ぶことで、自分の羊だけを選び出すことができます。羊飼いでない者にはこのようなことはできません。

 「自分の群れをすべて出してしまうと、先頭に立って群れを導く。そして、羊たちは彼の後に従う。羊たちは彼の声がわかるからである」。(四節)
 自分の羊たちをその名で呼んで囲いから連れ出した羊飼いは、「先頭に立って群れを導き」、命を養う牧草や水のあるところに連れて行きます。羊たちは彼の後に従って行きます。この光景は、「主はわが牧者」というあの美しい詩編二三編を思い起こさせます。

 「ほかの者にはついて行かないで逃げ出すことになる。ほかの者たちの声はわからないからである」。(五節)
 この節は、羊は自分の羊飼いの声がわかるので従って行くという三節と四節の主張と同じことを、裏側から描いています。
 この一〜五節の比喩は、ユダヤ人がイエスを信じない理由を語る二六節の「ところが、あなたたちの方が信じないのである。あなたたちはわたしの羊たちに属さないからである」という言葉の後に置くと自然に続き、二七節の「わたしの羊たちはわたしの声を聞き分け、わたしもまた彼らを知っており、羊たちはわたしについて来る」とほぼ同じ内容になっています。それで、この羊飼いの説話はもともと神殿奉献祭のときのメシア論争(二二〜二六節)を導入部として語られたものであるという見方が出てくることになります。

 イエスはこの謎を彼らに語られたが、彼らはイエスが彼らに語られたことがわからなかった。(六節)
 「謎」の原語《パロイミア》は、共観福音書で「たとえ」の意味で用いられる《パラボレー》とは別の語で、たとえで真の意図を隠した表現、諺とか格言を意味する語です。ヨハネ福音書では霊的次元の現実を覆い隠すような、謎めいた比喩的表現を指すのに用いられています(他には一六・二五、一六・二九)。この「謎」は、七節以下でイエス自身によって解き明かされます。
 ここで謎を語りかけられた「彼ら」とは、九章からの続きだとすると、ファリサイ派の人たちを指すことになります(九・四〇参照)。イエスを信じた目の見えない人を追い出したユダヤ教会堂にとって、ヨハネ共同体が告知する復活者イエスは謎のままにとどまります。「彼らはイエスが彼らに語られたことがわからなかった」のです。

 

わたしが門である

 そこでイエスは再び言われた、「アーメン、アーメン、わたしはあなたたちに言う。わたしが羊たちの門である」。(七節)
 この謎がわからないファリサイ派のユダヤ人たちに、イエス自身が謎を解き明かされます。それは、ユダヤ教会堂に対するヨハネ共同体の宣言です。「アーメン、アーメン、わたしはあなたたちに言う」という荘重な形式で、ヨハネ共同体は復活者イエスの本質を告知します。その謎を解き明かすイエスの言葉は二重になっています。すなわち、ヨハネ共同体はこの謎を二重の比喩として解き明かし、復活者イエスの本質の二つの面を告知します。
 一つは、「わたしが門である」という面です(七〜一〇節)。もう一つは、「わたしが(良い)羊飼いである」という姿です(一一〜一八節)。「アーメン、アーメン、わたしはあなたたちに言う」の後に、「《エゴー・エイミ》〜」という復活者イエスの自己宣言の句が続くヨハネ福音書特有の形で、復活者イエスの本質が告知されます。「わたしが羊飼いである」という宣言には、「アーメン、アーメン、わたしはあなたたちに言う」がついていませんが(一一節と一四節)、七節のアーメン句はここの二つの「わたしが〜である」という宣言句にもかかっていると理解できます。

 「わたしよりも前に来た者はみな、盗人であり、強盗である。羊たちは彼らの言うことを聴かなかった」。(八節)
 一〜五節は本来、羊飼いと盗人の違いを示すための比喩ですが、著者はそれを「謎」として寓喩的に取り扱い、それぞれの語句に特定の意味を持たせて解釈し、それをもって復活者イエスを告知する説話を構成します。まず、その比喩にあった門が取り上げられ、復活者イエスこそが「羊たちの門」、すなわち「羊たちが出入りするための門」であるとされます(七節)。
 門は朝に開かれ、夕方に閉じられます。ですから、朝に門が開く前に、門を通らないで塀を乗り越えて囲いに入ってくる者は盗人であり強盗であることになります。復活者イエスこそがその門であれば、朝に門が開く、すなわちイエスが復活される前に、羊たちのところに来る者はみな、盗人であり、強盗であることになります。
 「わたしよりも前に来た者たち」(複数形)が誰を指すのかは議論されています。「わたしよりも前に」という句を欠く有力な写本が多くあるので、底本は括弧に入れています。「来た」という動詞がアオリスト形であるので、この句がなくても過去の出来事であることには違いありませんが、イエスとの前後関係は明確ではなくなります。
 「(わたしよりも)前に来た者たち」がモーセや預言者たちという旧約聖書の指導的人物を指すと理解することは、イエスだけを啓示者として旧約聖書の啓示を全面的に拒否することになり、この福音書を完全にグノーシス主義の書とすることになります。この見方は、ヨハネ福音書の内容と矛盾するので、成り立ちません。イエスより以前に現れた自称メシアたちを指すとする理解も、それだけに限定して理解する必然性が乏しいようです。
 八節を解く鍵は、この節の「わたし」は復活者イエスを指しているという事実です。イエスが死人の中から復活してキリストとして立てられるという終末的な出来事の前に、羊たちの救済者であり導き手である地位を自分に要求する者たちが、「前に来た者たち」あるいは「わたしよりも前に来た者たち」と呼ばれていることになります。「前に来た」は、必ずしも時間的な意味ではなく、「復活という終末的な出来事と無関係に」来たという意味に理解すれば、「わたしの前に」という句があってもなくても、復活者イエスが門であるという宣言の結論として八節を理解することができます。この理解は、復活者イエスこそが最終的な神の啓示であると主張するこの福音書の基本的な主張と一致します。

 旧約の預言者たちは、彼らの預言が復活者イエスにおいて成就したという意味で、復活という終末的な出来事にあずかっており、門を構成する一部とみなされ、「門を通らないで、ほかのところを乗りこえて来る者」には入りません。それに対して、ヨハネ共同体に対立するファリサイ派ユダヤ教会堂は、復活者イエスを拒否することで、自分たちが門を通って入ってきた者ではなく、「門を通らないで、ほかのところを乗りこえて来る者」であることを示しています。

 「わたしが門である。わたしを通って入る者は救われ、入ったり出たりして、牧草を見つけるであろう」。(九節)
 八節は、復活者イエスが門であることが、門を通らないで塀を乗り越えて入ってくる盗人との関係で見られていましたが、九節ではその門を通って出入りする羊たちとの関係で見られています。復活者イエスという門を通って「キリストにある」という場に入ってきますと、そこは御霊の命が豊かに溢れる恩恵の世界です。その霊的現実が「牧草を見つける」という比喩で語られます。その恩恵の世界に妨げられることなく自由に入っていけることが、「入ったり出たり」という句で表現されます。

 「盗人が来るのは、盗み、屠り、滅ぼすためにほかならない。わたしが来たのは、彼らがいのちを得るためであり、豊かに得るためである」。(一〇節)
 ここでたとえ本来の目的である羊飼いと盗人の対比が取り上げられます。盗人が来るのは、羊を盗み、屠り、滅ぼすためですが、羊飼いが羊たちのところに来るのは、羊を牧草地や水辺に導いて、羊たちが豊かに養われるためであるという日常生活の事実を比喩として、イエスがその民のところに来られた目的が宣言されます。すなわち、イエスが復活者イエスとして世に到来しておられるのは、彼に属する民が彼によって「いのち《ゾーエー》を得るため」です。
 この「いのち《ゾーエー》」は「永遠の命」を指しています。「永遠の命」は、この福音書ではしばしば《ゾーエー》という語だけで表現されます。この福音書の中心使信は「永遠の命」を与えることですが(三・一六、二〇・三一)、ここではそれが羊飼いを比喩として宣言されています。
 ここでの「わたし」は、門であるよりは羊飼いのイメージに移行しており、次の「良い羊飼い」の一段(一一〜一六節)を導入することになります。

 

羊のために命を捨てる羊飼い

 「わたしが良い羊飼いである。良い羊飼いは羊たちのために自分のいのちを捨てる」。(一一節)
 復活者イエスこそが羊飼いであることは、盗人と対照して一〜五節の比喩で十分示されていました。ヨハネ共同体はさらに、他の羊飼いたちと対照して、復活者イエスこそが「良い羊飼い」であることを宣言します。この「良い羊飼い」という表現は、英語で言えば定冠詞つき大文字の単数形で書かれる「羊飼い」で、「真の、唯一の羊飼い」という意味を含んでいます。復活者イエスこそ、その「真の、唯一の羊飼い」なのです。
 復活者イエスがそのような「真の、唯一の羊飼い」であるのは、イエスが神の民のために御自身の命を捧げられたからです。イエスの十字架の死は、神の民が永遠の命を得るために御自身の命を捧げられた出来事です(三・一六)。その死によって、イエスは「真の羊飼い」、「良い羊飼い」であることを示されたのです。そのことが、やはり羊飼いの比喩を用いて、「良い羊飼いは羊たちのために自分のいのちを捨てる」と語られます。
 この比喩はけっして誇張ではなく、イスラエルの羊飼いは羊を狙う野獣と命がけで戦って羊を守りました(サムエル記上一七・三四以下参照)。イエスは神の民のために御自分の命を投げ出して、「真の羊飼い」であることを示されました。復活者イエスが十字架の死を負っておられる事実こそ、この方を「真の、唯一の羊飼い」とします。このことを際だたせるために、次の節で真の羊飼いでない者の姿が対照して語られます。

 「雇い人にすぎず羊飼いでない者、すなわち羊たちが自分のものでない者は、狼が来るのを見ると、羊たちを置き去りにして逃げてしまう。――狼は羊たちを奪い、散らしてしまう。―― 彼は雇い人であって、羊たちのことを心にかけていないからである」。(一二〜一三節)
 自分は羊飼いであると自称しているが、実は「雇い人にすぎず羊飼いでない者、すなわち羊たちが自分のものでない者」は、羊のために自分の命を捧げるというようなことはしません。逆に、「狼が来るのを見ると、羊たちを置き去りにして逃げてしまう」のです。
 神の民の指導者をもって任じているが、実は民のために身を捨てて仕えるのではなく、民を食い物にして自分の益を図る偽りの指導者は、ここで語られている「良い羊飼い」の反対の「悪い羊飼い」、「偽の羊飼い」です。「災いだ、羊を見捨てる無用の羊飼いたちは」(ゼカリヤ一一・一七)と叫んだ預言者と同じく、イエスは、ローマの権力を恐れ自分の地位の保全のために民を見捨てる大祭司を初めとする神殿の祭司階級(一一・四七〜五〇)を「雇い人にすぎない者」と弾劾されます。
 この対照はすでに旧約聖書のエゼキエル書三四章に詳しく語られていました。この章の一〜一〇節では、「羊たちのことを心にかけず」、羊を養わずに自分自身を養うイスラエルの牧者たちが厳しく弾劾されます。真の牧者のいない羊たちを「狼が奪い散らす」様も見事に描かれています。続く一一〜一六節では、主なる神御自身が御自分の群れを探し、救い養われると預言され、最後に二三節以下で、主は彼らを養う一人の真の牧者を起こすと約束されます。
 「良い羊飼い」の比喩を語る著者やヨハネ共同体はもちろん、対論相手のユダヤ教会堂もこのエゼキエル書の預言はよく知っているはずです。この福音書が「わたしが良い羊飼いである」と宣言するとき、それは復活者イエスこそがエゼキエルが預言し、神の民が終わりの日に待ち望んでいた、主御自身によって立てられる真の牧者(単数形)である、とユダヤ教会堂に向かって宣言しているのです。

 「わたしが良い羊飼いである。わたしはわたしの羊たちを知っており、わたしの羊たちはわたしを知っている。父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは、羊たちのために自分の命を捨てる」。(一四〜一五節)
 すでに一一節にあった「わたしが良い羊飼いである」という宣言が繰り返されて、改めて「良い羊飼い」とはどういう羊飼いであるかが、二つの点について述べられます。一つは、良い羊飼いは自分の羊たちをよく知っていることです。一匹一匹の名前とその性質をよく知っていることです。もう一つは、羊たちのために自分の命を捨てるほど、羊たちを大事にしていることです。
 まず、復活者イエスが「良い羊飼い」として、御自身に属する民を一人ひとり知っておられ、民もイエスを自分の救い主として知っていることが、父と子であるイエスの交わりと同質であるとされ、「父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである」と述べられます。この「知っている」は、相手について様々な情報を持っているという意味ではなく、人格間の交わりと結びつき、すなわち愛を内容としています。この「知る」は、ヨハネ福音書の特色ある中心概念の一つです。
 そして、わたしが自分の羊たちを、父が自分を知ってくださっているように知っている、すなわち愛しているのであるから、「だから」という気持ちで、「わたしは、羊たちのために自分の命を捨てる」と続きます。ただ、この命を捨てることについては一七〜一八節で詳しく取り上げられますが、その前にこの「良い羊飼い」に属する羊たちの範囲について大切なことが語られます。

 

他の囲いにいる羊たち

 「わたしには、この囲いに属さないほかの羊たちもいる。わたしはその羊たちをも導かなければならない。その羊たちもわたしの声を聞き分けるようになり、一つの群れ、一人の羊飼いとなるであろう」。(一六節)
 「この囲いに属さないほかの羊たち」というのは、「この囲い」、すなわち律法《トーラー》という囲いの中にいない民、イスラエルという契約の民に属さない異邦諸民族の中にいる神の民を指しています。ヨハネ共同体はもともとユダヤ人信徒の共同体であると考えられますが、この福音書が執筆されたときには、異邦人信徒を受け入れるようになっていたことが、本節からうかがえます。
 ヨハネ共同体でも、本来のユダヤ人構成員と、後から参加した異邦人構成員とが融合して、一人の主イエス・キリストの下で一つの共同体を形成すること、すなわち「一つの群れ、一人の羊飼いとなる」ことが緊急の課題になっていたことがうかがわれます。この課題は、最後の夜のイエスの祈りにも表現されています(一七・二〇以下を参照)。
 「この囲い」、すなわち律法《トーラー》という囲いの中にいる民ユダヤ人は、律法(契約)を成就するために来られた自分たちのメシアの声を聞き分けるのが当然です。ところが、その声を聞き分けることができたのは少数でした。それに対して、その囲いの外にいる多くの異邦人が、イエスの声を聞き分けて、この復活者イエスこそ自分たちの救い主であり、命への導き手であるとして、イエスに従ったのです。こうして、、囲いの中の羊たちと囲いの外の羊たちが同じ一人の羊飼いの導きに従うようになり、一つの群れとなります。キリストの民の中では隔ての中垣は取り去られています(エフェソ二・一四)。
 ところで、ここで「一つの群れ、一人の羊飼いとなるであろう」と言われていますが、「一つの囲いとなる」とは言われていないことが注目されます。ここでの「囲い」はモーセ律法に基づくユダヤ教という宗教ですが、視野を広くして世界を見渡しますと、世界の諸民族は様々な宗教の囲いの中にいることが見えてきます。その多くの囲いを一つにすることはできない相談です。また、する必要もありません。囲いはそのままでよいのです。それぞれの囲いの中にいる民が、真の牧者である復活者イエスの声を聞き分けて、その方の羊として従えばよいのです。

 そのようなことはありうるでしょうか。わたしはありうると信じています。典型的な事例としてガンジーを取り上げてみましょう。ガンジーはヒンドゥー教徒であり、最後までヒンドゥー教という囲いにとどまりました。しかし、若き日に英国で聖書に接し、イエスの愛敵と非暴力の教えに感動し、イエスの精神でインドの独立運動を指導しました。ガンジーは「他の囲い」の中で、真の羊飼いの声を聞いた人たちの中の代表的な一人です。そのような人たちが一人の羊飼いに導かれる一つの交わりを形成し、歴史を形成する要因となるとき、世界の歴史はその根底に神の救済の働きを体験するはずです。
 現在では、イエスをキリストと信じる民の共同体が「キリスト教会」を形成しています。そのキリスト教会も、ギリシア正教会と東方諸教会、ローマカトリック教会とプロテスタント諸教会など、数え切れないほどの教会に分かれており、それぞれが民を囲い込む「囲い」となっています。その中のどれかが、他の教会を吸収したり支配して、一つの教会にすることは不可能ですし、そのような努力は争いと戦いをもたらすだけで有害無益です。また、世界の諸国民をみなキリスト教会に組み込むため働くこと(いわゆる「伝道」)も、神が求めておられることではありません。復活者イエスに属する民がなすべきことは、自分たちが聞いている真の牧者の声を響かせて、「他の囲い」の中にいる人たちがそれを聞くことができるようにすることです。その声が、囲いを超えて一つの群れを形成します。宗教という「囲い」は相対的なものであり、力ずくで一つにするべき性質のことではありません。

 

命を得るために命を捨てる

 「わたしが自分の命を捨てるので、父はわたしを愛してくださる。それは、わたしがその命を再び得るためである」。(一七節)
 先にイエスは「わたしが良い羊飼いである。・・・・わたしは、羊たちのために自分の命を捨てる」と言われました(一四〜一五節)。この「自分の命を捨てる」は、イエスの十字架の死を指しています。ここ(一七節)でその結果が語られます。イエスが自分の命を捨てるまでに父の御旨に従われたので、父はイエスを愛して、イエスにその命を再びお与えになった、すなわちイエスの立場から言えば、「わたしがその命を再び得る」ことになります。これが復活です。
 一七節の後半「それは、わたしがその命を再び得るためである」は、原文では直前にある「わたしは自分の命を捨てる」という文の目的とか意図を示す節になっています。自分の命を捨てることは、真の命を得るためであるという逆説は、他の福音書(マルコ八・三五など)と同じですが、この福音書も独自の表現で強調するところです(一二・二四〜二五参照)。
 しかし、ここではこのような霊的な世界の原理を一般的に述べているのではなく、イエスの十字架と復活という出来事が、イエスを愛される父の働きとして述べられています。イエスの十字架と復活の出来事をすでに知っている著者とわたしたち読者にとっては、「わたしがその命を再び得る」は意図ではなく結果です。イエスが「自分の命を捨て」死に至るまで父の御旨に従われた結果、父がイエスに再び命を与えて、高く引き上げられたのです。この節は、フィリピ書二章六〜一一節にある「キリスト賛歌」のヨハネ版であると言えるでしょう。

 「その命をわたしから奪う者はだれもいない。わたしが自分からその命を捨てるのである。わたしは自分の命を捨てる力があり、それを再び得る力がある。この定めを、わたしはわたしの父から受けた」。(一八節)
 イエスの十字架上の死について、共観福音書ではいつも「渡される」とか「殺される」と受動態で語られていますが、ヨハネ福音書では「わたしが自分からその命を捨てるのである」と、イエスの自発的な行為として描かれています。誰か他の者がイエスから命を奪うのではありません。それは「羊たちのために」(一五節後半)、すなわち信じる者たちが「いのちを得るために」行われる救い主の自発的行為です。
 敵対する地上の勢力がイエスから命を奪うのではなく、イエスが「自分からその命を捨てる」のであることは、ゲツセマネでの逮捕の記事にも表現されています。師を渡すまいとして戦おうとした弟子たちに向かって、イエスはこう言っておられます。「わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう」(マタイ二六・五三〜五四)。この共観福音書のイエスの姿を、ヨハネ福音書はイエス御自身の言葉として語るのです。
 イエスは、「わたしは自分の命を捨てる力《エクスーシア》があり、それを再び得る力《エクスーシア》がある」と言われます。《エクスーシア》というのは、普通「権威」とか「権能」と訳されれる語ですが、ここではそのような行為をすることができる立場を指していると理解してよいでしょう。自分の命を捨て、それを再び得ることができる立場、すなわち十字架を通って復活に至る道を歩むという「この定め」を、イエスは父からお受けになりました。イエスは「この定め」に従い、十字架の死に至るまで父への従順を貫かれました。その結果、父から再び命を与えられ、「主《キュリオス》」という高い立場に上げられました。この全体が、イエスが受けられた「定め」です。

 

目の見えない人の開眼物語への結び

 これらの言葉のために、ユダヤ人たちの間に再び分裂が生じた。(一九節)
 この一段(一九〜二一節)は、もともとは九章の物語の結びとして、その末尾に続いていたと見られますが、その場合は「これらの言葉」は、九章でのイエスの言葉、とくに四一節のファリサイ派の人たちに対する言葉を指すことになりますが、「良い羊飼い」の説話(一〇・一〜一八)が挿入された現行の形では、その説話の言葉を指すことになります。どちらにしてもイエスの「これらの言葉」のために、「ユダヤ人たちの間に再び分裂が生じ」ます。イエスをめぐって「ユダヤ人」の間に「分裂」《スキスマ》が生じたことは、すでに 七・四三 と九・一六で報告されていました。ここの「ユダヤ人」は、九・一六の場合のように、イエスを裁く会堂の指導者たちを指しています。この目の見えない人の開眼の出来事とそれに続くイエスの説話の言葉のために、会堂評議会(イエスの時代では最高法院)の中に意見の対立が生じます。

 ユダヤ人たちの中の多くの者は、「彼は悪霊につかれており、気が狂っている。あなたたちはなぜ彼の言うことを聴くのか」と言っていた。(二〇節)
 ここでも多数の者は「イエスは悪霊につかれている」と判定します。ユダヤ人はすでに繰り返しイエスをこう判定していました(七・二〇、八・四八、八・五二)。共観福音書でも、律法学者たちがこう判定しています(マルコ三・二二)。同じことが「彼は気が狂っている」とも言われています。共観福音書(マルコ三・二一)でも、(原語は異なる用語ですが)同じように判断されています。イエスが目覚ましい奇跡を行われたことは否定できない事実であったので、イエスを認めない当時のユダヤ人たちは、このような言葉や「詐欺師」とか「魔術師」というようなレッテルを貼って攻撃し、イエスの信用を失わせようとしました。

 他の者は言っていた、「このような言葉は悪霊につかれた者の言葉ではない。悪霊は目の見えない人の目を開けることなどできないではないか」。(二一節)
 しかし、指導層のユダヤ人の中にもニコデモのように、イエスがされる業を見て、イエスが悪霊につかれた者ではなく、神から遣わされた方であることを認める者も、少数ながらいました。しかし、このような少数派の声は多数派の声に圧倒され、ユダヤ教会堂は公式にはイエスを断罪します。イエスの時代の最高法院は、イエスを神を汚す者として断罪し、異邦人に引き渡します。この福音書の時代のユダヤ教会堂は、イエスを言い表す者を会堂から追放します。
 この一段(一九〜二一節)をもって、著者は九章の目の見えない人の開眼の物語を締め括ります。

 


  第二節 イエスを石打にしようとするユダヤ人

    35 神殿奉献記念祭での論争(10章 22〜42節)

 22 その頃、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。 23 イエスは、神殿の境内でソロモンの柱廊を歩いておられた。 24 すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った、「いつまでわたしたちをじらすのか。あなたがメシアであるならば、はっきりとわたしたちに言ってほしい」。 25 イエスは彼らにお答えになった、「わたしはあなたたちに言ってきたが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によってしている業が、わたしについて証ししている。 26 ところが、あなたたちの方が信じないのである。あなたたちはわたしの羊たちに属さないからである。 27 わたしの羊たちはわたしの声を聞き分け、わたしもまた彼らを知っており、羊たちはわたしについて来る。 28 わたしは彼らに永遠のいのちを与え、彼らは永遠に滅びることはない。また、わたしの手から彼らを奪う者は誰もない。 29 わたしに与えてくださった父は、すべてのものより偉大であり、父の手から奪うことができる者は誰もない。 30 わたしと父は一つである」。
 31 ユダヤ人たちは、イエスを石打にしようとして、再び石を取り上げた。 32 イエスは彼らにお答えになった、「わたしはあなたたちに父からの良い業を多く見せた。その中のどの業のために、わたしを石打にするのか」。 33 ユダヤ人たちはイエスに答えた、「良い業のために、お前を石打にするのではない。冒涜のためだ。お前は人間でありながら、自分を神にしているからだ」。 34 イエスは彼らにお答えになった、「あなたたちの律法に、『わたしは言った、あなたたちは神々だ』と書かれているのではないか。 35 もし聖書が神の言葉の臨んだ人たちを神々と言っているのであれば――聖書が廃棄されることはありえない――、 36 父が聖別して世に遣わされた者が、『わたしは神の子である』と言ったからといって、あなたたちは『お前は冒涜している』と言うのか。 37 もしわたしが父の業をしていないのであれば、わたしを信じるな。 38 しかし、もしわたしがしているのであれば、わたしを信じなくても、業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることがわかり、悟るにいたるであろう」。 39 そこで、彼らは再びイエスを捕らえようとしたが、イエスは彼らの手から逃れて、去って行かれた。
 40 イエスは、再びヨルダン川の向こう側、ヨハネが最初にバプテスマを授けていた場所に行き、そこに留まっておられた。 41 大勢の人たちがイエスのもとに来て、こう言った、「ヨハネは何のしるしも行わなかったが、ヨハネがこの人について言ったことはすべて本当だった」。 42 こうして、そこでは多くの人がイエスを信じた。


神殿奉献記念祭

 その頃、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。(二二節)
 神殿奉献記念祭とは、ヘブライ語で「ハヌカ」(聖別、奉献の意)と呼ばれる祭りを指しています。セレウコス朝のアンティオコス四世エピファネス(在位前175〜164年)は、ユダヤを徹底的にヘレニズム世界に組み込もうとして、ヤハウェ礼拝と割礼を初めとするモーセ律法の順守を禁止して、違反者を死刑で処罰し、エルサレム神殿にはゼウス・オリンピオスの祭壇を建てたりしました。これに対して、ユダヤ教に忠実な「敬虔な者たち」は、マカベヤ家のユダに率いられて反乱に立ち上がり、苦戦の末勝利しました(マカベヤ戦争)。前164年にはエルサレムのセレウコス側のエルサレム守備隊を撃ち破り、キスレウの月(現行暦では一一〜一二月)の二五日に神殿から異教の神像を除き、神殿を清めました(マカバイ記T四・三六〜五九)。それ以後ユダヤ教では、これを記念する「ハヌカ」の祭りが年ごとに祝われるようになります。この祭りは同時に、ソロモンの神殿と第二神殿の奉献を回顧する祭りとして、仮庵祭にならって八日間燈火をつけて祝われました(マカバイ記U一・一八以下)。

 神殿奉献記念祭はキスレウの月(現行暦では一一〜一二月)の二五日であるので、季節は冬になります。ヨハネ福音書では、イエスの最後のエルサレム(およびユダヤ地方)滞在は、秋の仮庵祭(七・二)、冬の神殿奉献記念祭(一〇・二二)、春の過越祭(一一・二五)と、三つの祭りにまたがり、半年近い長い期間になります。この点で、春の過越祭の直前にガリラヤからエルサレムに到着されて、一週間ほどの短い滞在であったとする共観福音書と大きく違っています。

 イエスは、神殿の境内でソロモンの柱廊を歩いておられた。(二三節)
 「ソロモンの柱廊」は、神殿の前庭を取り囲む柱廊の東側の部分になります。ここには異邦人も近づくことができたので、説教などがよく行われました。イエスと使徒たちもここで活動したと伝えられています(ここの他では使徒言行録三・一一、五・一二を参照)。

 すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った、「いつまでわたしたちをじらすのか。あなたがメシアであるならば、はっきりとわたしたちに言ってほしい」。(二四節)
 「メシア」の原語は《ホ・クリストス》です。これは「油を注がれた者」という意味のギリシア語であり、「メシア」のギリシア語訳として用いられています。イエスと当時のユダヤ人との間の対話では、イエスがメシアであるかどうかが問題になるはずですので、「メシア」と訳しています。

 イエスは彼らにお答えになった、「わたしはあなたたちに言ってきたが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によってしている業が、わたしについて証ししている」。(二五節)
 地上のイエスが自分をメシアであると公言されたことはありません。「わたしはあなたたちに言ってきたが」という文は、ヨハネ共同体がユダヤ人に向かって、「イエスこそメシア・キリストである」と言い続けてきた歴史が重ねられています。ヨハネ共同体はこれまでずっとユダヤ人に向かって、イエスこそメシア・キリストであると言い続けて来ましたが、ユダヤ人たちはそれを信じませんでした。
 また、ヨハネ共同体は、イエスがなされた奇跡の業を示して、その業がイエスが父から遣わされた方であることを示していると主張してきました。「父の名によってしている業」とは、イエスが父から遣わされた方としてなしておられる業を指しています。ヨハネ福音書は、イエスの奇跡の業を「しるし」と呼んできましたが、それはイエスの業が「父の名によって」なされたこと、すなわちイエスが父から遣わされた者であることを指し示す「しるし」であるという主張です。
 イエスが行われた奇跡の中から代表的なものを集めて、その奇跡の業によってキリストであるイエスの救いを説く「しるし福音書」と呼ばれる文書があって、ヨハネ福音書はそれを資料として用いているという見方がありますが、その資料がどのようなものであれ、ヨハネ福音書は一貫して、イエスがなされた「力ある業」(奇跡)を、イエスが父から遣わされた方であることを指し示す「しるし」としてあげて重視しています。
 このように、ヨハネ共同体は言葉によってはっきりとイエスこそメシア・キリストであると宣言し、イエスの力ある業をイエスが父から遣わされた方であることの「しるし」として示してきました。おそらくヨハネ共同体自身がイエスの名によって多くの力ある業(奇跡的な癒しなどの働き)をなして、その主張を裏付けてきたと考えられます。

 「ところが、あなたたちの方が信じないのである。あなたたちはわたしの羊たちに属さないからである。わたしの羊たちはわたしの声を聞き分け、わたしもまた彼らを知っており、羊たちはわたしについて来る」。(二六〜二七節)
 ところが、ユダヤ人たちはそのヨハネ共同体の証言を信じませんでした。それはなぜか。その理由を著者は、羊飼いと羊の関係を比喩として用いて表現します。すなわち、ヨハネ共同体の証言を信じない(聞き入れない)のは、彼らはもともと真の羊飼いである復活者イエスに所属する羊ではないからだと断言します。
 ヨハネの論理によりますと、ユダヤ人たちがイエスを拒否したから真の羊飼いであるイエスに属する羊でなくなったのではなく、もともとイエスに属する羊でないからイエスを拒否したということになります。今ヨハネ共同体のユダヤ人がイエスを信じているのは、もともと彼らはイエスに属するものであったから、自分たちの羊飼いであるイエスが来られたとき、その声を聞き分けてイエスに従うことになったのです。イエスに従ったから、イエスに属する羊になったのではありません。
 これは一種の予定説です。同じイスラエルの宗教的伝統を受け継ぎながら、一部のユダヤ人はイエスを信じましたが、大部分のユダヤ人はイエスを拒否しました。この区別はなぜ起こったのでしょうか。同じ囲いの中にいながら、すでにイエスが来られる以前に、イエスという羊飼いのものである羊たちとそうでない羊たちがいたのです。それで、羊飼いが来たときに、その声を聞き分けて従った羊たちと、その声を聞き分けることができない羊たちが分かれたのです。
 イエスが来られる前にこの区別があったのだとするのは、今自分たちがイエスの声を聞き分けて従っているのは、自分たちの理解や意志でイエスを自分の羊飼いとして選んだからではなく、神がその選びの恩恵によって自分たちをイエスのものと予め定められていたからであって、自分たちの側に何の根拠もないことを言い表すためです。この問題(大部分のユダヤ人がイエスを拒否している事実)はパウロも苦闘した問題で、ローマ書の九〜一一章で神の恩恵の選びの視点から詳しい議論を展開しています。ヨハネはそれを羊飼いのたとえで簡潔に言い表します。
 ここに一〜五節の「羊飼いと盗人のたとえ」をもってくると、たしかに「わたしの羊たちに属さない」という表現がよく分かります。それで、この「羊飼いと盗人のたとえ」はもともとここにあったものを、編集者が目の見えない人開眼の物語の結びとするために現在の位置に移したのだとする見方も出てくることになります。しかし、そのたとえの核心はここにも十分残されています。

 「わたしは彼らに永遠のいのちを与え、彼らは永遠に滅びることはない。また、わたしの手から彼らを奪う者は誰もない」。(二八節)
 良い羊飼いが羊たちを牧草地と水辺に導いて豊かに命を与えるように、イエスは御自分に属する者たちに永遠の命を与えてくださいます。また、良い羊飼いに導かれる羊たちは飢えて滅びることがないように、復活者イエスから命を受ける者は「永遠に滅びることはない」のです。
 ヨハネ福音書では、永遠のいのちを与えるのは「わたし」、すなわち復活者イエスです。この文では「わたし」が強調されています。パウロや共観福音書では、神がイエス・キリストを通して永遠のいのちを与えます。また、復活についても、パウロや共観福音書ではあくまで(イエスと共に)復活させるのは神ですが、ヨハネ福音書では復活者イエスが死者を復活させます(六・三九、六・四〇参照)。ヨハネ福音書では、復活者イエスと父が一つに重なっています(三〇節で明白に宣言されます)。
 さらに、良い羊飼いは自分の命をかけても野獣から羊を護りますから、野獣は羊を奪うことができません。そのように、イエスに属する者を復活者イエスの手から奪うことができる者は誰もありません。イエスは復活して、霊界のすべての権威や支配にまさる名を与えられた方です。その復活者イエスから奪い取る力をもつ者はありません。

 「わたしに与えてくださった父は、すべてのものより偉大であり、父の手から奪うことができる者は誰もない。わたしと父は一つである」。(二九〜三〇節)
 イエスに属する者を復活者イエスの手から奪うことができる者は誰もないことを保証する事実として、彼らをイエスに与えてくださった父がすべてのものより偉大であることがあげられます。「すべてのものより偉大な父の手から奪うことができる者は誰もない」のですから、イエスの手から奪うことができる者はないのです。

 このように、ヨハネ福音書では復活者イエスと父の働きが一つに重なっています。そのことが「わたしと父は一つである」(三〇節)という一文で宣言されます。
 ヨハネ福音書では、「キリストにあって」神がなされる働きが、復活者イエスの働きとして受け取られ、体験され、告白されています(二八節の講解を参照)。この「わたしと父は一つである」という宣言は、復活者イエスと父の働きが重なって一つになって体験されていることを告白する実践的な命題と理解されるべきです。三位一体論の父と子の関係を議論するさいの理論的根拠とするような性格のものではありません。


再度の石打の試み

 ユダヤ人たちは、イエスを石打にしようとして、再び石を取り上げた。(三一節)
 イエスが自分を父と一つであるとされる言葉を聞いて、ユダヤ人たちはイエスを石打にしようとして、石を取り上げます。「再び」とあるのは、すでに八章(五九節)で、ユダヤ人たちはイエスを石打にしようとしていたので、これは二度目になるからです。
 「石打にする」はユダヤ教における正式の処刑方法の一つです。神の聖性を汚す行為(安息日違反、偶像礼拝、冒涜、背教への誘惑行為など)や性的禁忌の侵犯などは石打刑で処刑されるべきことが、モーセ律法に規定されています(レビ記二四・一三〜一六)。被告は絶壁とか城壁など高いところから後ろ向きに突き落とされ、証人が重い石を投げ落として殺しました。公式の裁判による処刑以外に、神を汚す者だと民衆が憤激して、石を投げて殺す場合(私刑)もありました。イエスの言辞に対して、律法に熱心なユダヤ人たちが憤激して「石打にしようとした」ことは、ここ以外にも八・五九、ルカ四・二九に見られます。使徒言行録(七・五八、一四・一九)では、ステファノ(裁判による処刑か私刑かは争われています)やパウロに対して行われたことが記録されています。ただし、「石打」は必ずしも処刑を意味するのではなく、民衆の憤激の表現として石を投げた場合もあります。パウロの場合はそうであったと見られます(使徒一四・一九、コリントU一一・二五)。
 ルカは、故郷のナザレの人たちがイエスを石打にしようとしたことを伝えています。石を取り上げたことは言われていませんが、「町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした」のは石打にしようとしたことを意味しています(ルカ四・二九)。ただ、このナザレでの出来事は、ルカが置いているような、イエスのガリラヤでの活動の初期ではなく、マルコ六・一〜六の場面、すなわちガリラヤでの活動の終わりの時期の出来事と見るべきでしょう(シュタウファー)。
 このように、ガリラヤでも、またヨハネが伝えるようにエルサレムでは二度までも、石打にされようとしたことは、イエスがユダヤ教社会でどのような扱いを受けていたか、また、イエスの宣教の質がどのようなものであったのかを理解する上で重要な事実です。イエスはガリラヤでもユダヤでも石をもって追われる立場、「枕するところのない」立場であったことがうかがわれます。

 イエスは彼らにお答えになった、「わたしはあなたたちに父からの良い業を多く見せた。その中のどの業のために、わたしを石打にするのか」。(三二節)
 以下のイエスとイエスを石打にしようとするユダヤ人たちとの問答は、イエスを律法違反者として(異邦人の手に引き渡すことによって)殺したユダヤ教勢力、今イエスを宣べ伝えるヨハネ共同体に対立して非難するユダヤ教会堂勢力に対するヨハネ共同体の反論です。
 イエスがなされた多くの力ある業は、悪霊を追い出し病人を癒すなど、人が人として生きることを助ける「良い業」でした。それは、人がなしえない業であり、父から賜る力でなされた働きでした。その中のどの業が、石打に相当するような行為になるのか、とイエスは反論されます。それは、ヨハネ共同体の反論でもあります。

 ユダヤ人たちはイエスに答えた、「良い業のために、お前を石打にするのではない。冒涜のためだ。お前は人間でありながら、自分を神にしているからだ」。(三三節)
 この節は、ヨハネ共同体とユダヤ教会堂との対立点がどこにあるのかを明確にしています。イエスご自身は自分を神とするような発言はされていません。イエスを神として宣べ伝えたのはヨハネ共同体です。ヨハネ共同体は復活者イエスを神として拝しました(二〇・二八)。その復活者イエスを地上のイエスと重ねて語るのがこのヨハネ福音書です。したがって、地上のイエスが神として宣言される場面が多くなります。ヨハネ福音書は、本来神の自己啓示の宣言句である《エゴー・エイミ》という重大な句を大胆に用い、イエスがそれを語られたとします。これは、「人間でありながら、自分を神とする」行為、ユダヤ教徒には見過ごせない冒涜になります。
 「冒涜」とは、神または神の名を悪く言う行為、神を汚す行為です(レビ記二四・一四〜一六参照)。神殿を批判攻撃することも、罪を赦すなど神に属する権能を行使することなども、自分を神とする行為として「冒涜」とされます。人間が自分を神と宣言する行為は、もっとも重大な冒涜です。
 共観福音書でも、イエスの行為や言葉のあるものが、このような神の権限を冒す行為として問題とされていました。ヨハネ福音書では、イエスご自身が「アブラハムが生まれる前から『わたしはいる』《エゴー・エイミ》」と宣言され、「わたしと父は一つである」と語られます。これが「人間でありながら、自分を神とする」もっとも重大な冒涜行為として追及されます。
 誰かある地上の人物をメシアであると宣言しても罪にはなりません。最初期に弟子たちがイエスをメシアであると宣べ伝えても、それが直ちに冒涜の罪として追及され迫害されたのではありません。イエスをメシアと信じるユダヤ人の中で、ヘレニスト(ギリシア語を用いるユダヤ人)が神殿や律法を批判したり無用としたために、ユダヤ教側からの迫害を受けたのです。その代表格がパウロです。
 イエスをメシア・キリストと宣べ伝える運動の中で、このヨハネ福音書に見られるように、ヨハネ共同体は復活者キリストを神として宣べ伝える高度のキリスト論を展開します。ヨハネ共同体がイエスをたんにメシアとして告知するだけではなく、地上の人間イエスを神とするような「高度の」キリスト論をどのようにして形成するに至ったのか、その状況や過程は議論されています。ここではその議論に入ることはできませんので、それに対するユダヤ教会堂側からの激しい反発とヨハネ共同体の反論からなるこの段落の議論を追うだけにします。

 イエスは彼らにお答えになった、「あなたたちの律法に、『わたしは言った、あなたたちは神々だ』と書かれているのではないか。もし聖書が神の言葉の臨んだ人たちを神々と言っているのであれば――聖書が廃棄されることはありえない――、父が聖別して世に遣わされた者が、『わたしは神の子である』と言ったからといって、あなたたちは『お前は冒涜している』と言うのか」。(三四〜三六節)
 イエスが聖書を「あなたたちの律法」と言われたことは考えにくいことです。これは、すでにユダヤ教会堂と厳しく対立しているヨハネ共同体が、相手の聖典を根拠にして相手を論駁している姿勢を示唆していることになります。引用は詩編八二・六からですが、ここでは詩編もユダヤ教正典の一部として「聖書」に含まれているものと扱われています。

 引用されている詩篇八二・六は、七十人訳ギリシア語聖書からです。詩篇の文脈から、これを新共同訳のように「あなたたちは神々なのか」と(否定の答えを予期する)疑問文に訳す近代訳もありますが、文脈から切り離して聖書証明として用いるのは、ラビの通常の仕方です。ヨハネは七十人訳ギリシア語聖書の文言をそのまま引用して、自分の主張の根拠とします。
 「神の言葉の臨んだ人たち」は、直訳すると「神の言葉が生起した人たち」となります。この表現は、旧約聖書において「神の言葉が臨んだ(来た)」という意味で、(とくに預言者の召命体験を語るときに)数多く用いられています。著者は、そのような人たちが「あなたたちは神々だ」と言われていると解釈して、そのような人たちが聖書で神々と言われているのであれば、「父が聖別して世に遣わされた者」であるイエスを、ヨハネ共同体が神の子として告知したからといって、どうしてそれを「冒涜」と言うのかと反論します。
 地上のイエスは「わたしは神の子である」というような発言をされていません。たしかにイエスは神を父と呼んで、子としての全き信頼に生きられましたが、自分が神と等しい者だとか神性を持つ「神の子」であるというような発言はされていません。これはヨハネ共同体がイエスについてしている証言です。ヨハネはこの証言を「聖書」(論争相手の正典文書)で根拠づけて、その「聖書が廃棄されることはありえない」という確信を論争相手のユダヤ教会堂と共有していることを確認します。ヨハネ共同体ももともとユダヤ人の共同体であり、著者ヨハネも生粋のユダヤ人ですから、これは当然です。

 「もしわたしが父の業をしていないのであれば、わたしを信じるな。しかし、もしわたしがしているのであれば、わたしを信じなくても、業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることがわかり、悟るにいたるであろう」。(三七〜三八節)
 称号や言葉の上だけの論争は水掛け論に終わります。ヨハネ共同体は、イエスがなされた業を指し示して、事実によって決着をつけようとします。この福音書が集めて伝えているイエスの働きだけでも十分分かりますが、イエスがなされる力ある業は、人間がなしうることではなく、神だけがなしうる業、すなわち「父の業」です。イエスの言葉はあまりにも人間の思いを超えているので、はじめはイエスが語られる言葉を信じることができなくても、イエスがなされる働きが人から出たものではなく、神から出たものであることを信じるならば、イエスの内に父(神)が働いておられ、イエスが父(神)の内におられる方であることが分かるようになるはずだ、とユダヤ人に向かって呼びかけます。
 ヨハネ福音書は、業(奇跡)を見なければ信じないことを非難しながらも(四・四八)、イエスがされる業を父がイエスを遣わされたことの「証し」と意義づけ(五・三六、一〇・二五)、業そのものを信じるように求めます(一四・一一)。それがイエスを信じることへの入り口になるとします。
 ここで「わかり、悟るにいたるであろう」とした部分の二つの動詞は、「知る、理解する、悟る」という意味の同じ動詞が用いられていますが、前者はすでに起こった相、後者はこれから起こる相で用いられているので、このように訳し分けておきます。

 そこで、彼らは再びイエスを捕らえようとしたが、イエスは彼らの手から逃れて、去って行かれた。(三九節)
 「父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいる」というような言葉を聞いて、ユダヤ人たちはやはりイエスは神を汚しているとして、イエスを捕らえようとします。しかし、イエスの時はまだ来ていないので、イエスは彼らの手から逃れて、去って行かれます。仮庵祭の時も、石を投げようとしたユダヤ人たちから身を隠して、神殿から出て行かれました(五・五九)。この神殿奉献記念祭でも同じように、イエスは彼らの手を逃れて、神殿から去って行かれます。

 

ヨルダン川の向こう側で

 イエスは、再びヨルダン川の向こう側、ヨハネが最初にバプテスマを授けていた場所に行き、そこに留まっておられた。(四〇節)
 ここまでは神殿奉献記念祭のとき、神殿境内のソロモンの柱廊での出来事でした。石打にしようとしたユダヤ人たちの手を逃れて去って行かれたイエスは、「ヨルダン川の向こう側、ヨハネが最初にバプテスマを授けていた場所」に行かれます。この「場所」については、一・二八にベタニアという地名が上げられていますが、それがどこを指すのかは不明です。イエスが最後の週に泊まられたエルサレム近くのベタニアとは違います。
 イエスが最後にエルサレムに入られる前に、「ヨルダン川の向こう側」に滞在して活動されたことは、共観福音書にも伝えられています(マルコ一〇・一、マタイ一九・一)。ただ、地名や行程については、福音書の間に相違や混乱が見られます。しかし、イエスが最後にエルサレムに入られる前に、「ヨルダン川の向こう側」に滞在された事実は、確かな共通の伝承であったと見られます。
 ヨルダン川の(エルサレムから見て)こちら側、すなわち西側はローマ総督ピラトの管轄地です。それに対して、ヨルダン川の向こう側、すなわち東側はペレアであり、(ガリラヤと共に)ヘロデ・アンティパスの領地です。イエスは、ローマ総督の支配領域(それは神殿当局の直接の支配領域でもあります)から逃れて、領主ヘロデ・アンティパスの保護下に身を置かれたことになります。しかし、ヘロデ・アンティパスも自分の権力保持のためには洗礼者ヨハネを処刑した人物です。その領地も決して安全な場所ではありません。ファリサイ派の者たちがイエスにヘロデを警戒するように忠告した(ルカ一三・三一以下)のは、この時期のことではないかと考えられます。彼らは忠告の仮面をつけて、イエスがペレアを去って再び(自分たちの直接の支配領域である)ユダヤに戻るように策謀したのです。それに対して、イエスはヘロデに対する恐れからではなく、使命から自らエルサレムに向かうことを言明しておられます。

 大勢の人たちがイエスのもとに来て、こう言った、「ヨハネは何のしるしも行わなかったが、ヨハネがこの人について言ったことはすべて本当だった」。こうして、そこでは多くの人がイエスを信じた。(四一〜四二節)
 マルコやマタイによると、この期間にもイエスは活動を続けられたことが報告され、多くの出来事や問答が記録されています(マタイでは一九〜二〇章)。ヨハネ福音書も、この期間にこの地域で「多くの人がイエスを信じた」ことを報告しています。彼らが言った「ヨハネは何のしるしも行わなかったが、ヨハネがこの人について言ったことはすべて本当だった」という言葉から、この時期にもイエスが多くの「しるし」を行われたことが推察できます。「ヨルダン川の向こう側(東側)」は、当時のユダヤ人から辺境扱いされていましたが、初期にはそこにかなりの数の信徒がいたことを、この記事は示唆しています。 イエスについての洗礼者ヨハネの証言が、最初の証言(一・一九〜二八)に呼応して、同じ場所で想起され、イエスの宣教活動全体が囲い込まれることになります。
   


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