マタイによる福音書 2

貧しい者は幸いである

 ― 御国の福音(1) ―





はじめに

 前回見たように、マタイは自分たちの教会が担い伝えてきたイエスの語録集を、マルコ福音書の物語に組み入れることによって、この福音書を構成したのでした。そのさい、マタイは、すでに文書の形で手元にあるイエスの語録集とマルコ福音書の説話部分を、自分の意図に従ってかなり自由に用いて、イエスの教えを主題別にまとめています。マタイによるイエスの教えのまとめは比較的明確で、次の五つになります。
 一 五〜七章    山上の説教
 二 一〇章     弟子の派遣にあたっての訓戒
 三 一三章     たとえ集
 四 一八章     集会での振る舞いについて
 五 二四〜二五章  終末についての教え

 この五つの説教は、どれもみな「イエスはこれらの言葉を語り終えると」という意味の定型文で締めくくられているので(七・二八、一一・一、一三・五三、一九・一、二六・一)、そのまとまりを見落とすことはないでしょう。

 イエスの生涯の出来事については、前回の連載「マルコ福音書講解」で詳しく見ましたので、今回のマタイ福音書講解では、この五つの説教にまとめられたイエスのお言葉を中心に見ていくことになります。そして、この五つの説教の中でも、「山上の説教」とか「山上の垂訓」と呼ばれる五章から七章が、マタイ福音書の特色をもっともよく示しており、内容から見ても重要であると考えられますので、まずこの箇所を取り上げて、ここにマタイが伝えているイエスのお言葉を、現在のわたしたちがどのように受け止めて生きるべきかを、ご一緒に考えていきたいと思います。

 (この連載では、テキストとしては原則として新共同訳を用い、必要に応じて私訳を掲げることにします。なお、数字だけの引用箇所はマタイ福音書の章と節です)

 御国の福音

 イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。そこで、イエスの評判がシリア中に広まった。人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った。

(四・二三〜二五)

 マタイはマルコに従い、イエスがヨハネが捕らえられた後、ガリラヤで宣教を開始されたことを報告しています(四・一二〜一七)。ただ、その宣教が、マルコでは「神の国は近づいた」と表現されているのに対して(マルコ一・一五)、マタイでは「天の国は近づいた」とされているのが違います。マタイの時代のユダヤ教では、聖書引用以外は「神」という語の代わりに「天」という表現を用いるようになっていたようです。イエスは「神の国」という表現を用いられたし、イエスの語録集も「神の国」という表現を用いたと考えられますが、当時のユダヤ教の傾向に従って、マタイがそれを「天の国」と言い換えたものと見られます(この事実にもマタイの教会がユダヤ人の教会であったことが示されています)。

 今までの日本語訳はこれを「天国」と訳していましたが、「天国」という日本語は、死後に誰もが行くところというイメージが強くて、聖書のいう「神の国」とは全然違いますので、新共同訳が「天国」を避けて「天の国」という訳語を用いたのは順当なことだと思います。なお、「国」と訳されている〈バシレイア〉は、本来(領土ではなく)王の支配を意味する語ですから、「天の支配」とした方が違いがさらにはっきりするでしょう。

 マタイは大部分の場合「天の国」という表現を用いていますが(三一回)、彼の資料に用いられていた「神の国」という表現をそのまま残しているところもあります(五回)。また、〈バシレイア〉だけを用いている箇所もあります(八回)。これは当然「神のバシレイア」のことですから、「御国」と訳すことができます。とくにマタイ自身がイエスの宣教の内容を要約する箇所で〈バシレイアの福音〉という表現を用いていることが目立ちます(四・二三、九・三五)。マタイもマルコの「福音」という用語を継承して、イエスが「天の国」を告知された言葉を「福音」としているわけです。そして、イエスが語られた「御国の福音」を五つの説教集、とくに第一の「山上の説教」にまとめているのです。「山上の説教」は実にイエスが宣べ伝えられた「御国の福音」に他ならないのです。この連載でも、マタイの用法に倣って、五章から七章を「御国の福音」という標題で講解し、イエスのお言葉を「福音」として聴いていくことになります。

 最初に掲げたテキストは、ガリラヤにおけるイエスの宣教活動を、マタイが自分の筆でまとめた記事です。マタイはイエスの宣教活動を二つの働きにまとめています。すなわち、「諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え」という言葉による教えの働きと、「民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた」という癒しの働きです(二三節)。そして、五章から七章でイエスが宣べ伝えられた「御国の福音」の言葉を集め、八章から九章でイエスが「病気や患いをいやされた」代表的な実例をあげています。その上で、この二三節とほとんど同じ言葉で、イエスの働きを締めくくっています(九・三五)。この同じまとめの言葉によって枠をはめられた五章から九章の構成は、著者マタイの意図をよく示しています。

 なお、マタイがまず「イエスの評判がシリア中に広まった」(二四節)と言った後、「こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った」(二五節)と、シリアから見てだんだんと遠くの地域をあげていく書き方は、マタイの教会がシリアにあったことを示唆する材料の一つになります。


 マタイの要約に見られるように、イエスの宣教においては、「御国の福音を宣べ伝える」ことと、「病気や患いをいやす」ことが二本の主柱で、この二つの働きは切り離すことはできません。一方を取り去ると建物全体が崩壊します。イエスは悪霊を追い出し病人を癒される業を「神の国」到来のしるしとし、「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」と言っておられます(一二・二八)。しかし、癒しの働きの方はマルコ福音書と重なっているところが多く、前回のマルコ福音書講解で詳しく取り扱っていますので、今回のマタイ福音書講解では省略し、イエスの言葉による「御国の福音」の宣教に焦点を絞って進めていきます。

 聴  衆

「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た」。

(五章一節)

 ところで、ここで注目しなければならない点は、五章一節に「イエスはこの群衆を見て、山に登られた」とありますが、「この群衆」とは四章二五節の「群衆」を指しているということです。すなわち、イエスの癒しの働きを身に受けて、イエスを通して働く神の救いの力を実際に体験した人たちや、その業を見てイエスを神から遣わされた人ではないかと予感し、神からの助けを求めてイエスのもとに集まってきた「大勢の群衆」です。

 イエスが五章から七章の「御国の福音」を語りかけた相手は誰かという問題は、古来多く議論されてきました。ある人々は、「イエスはこの群衆を見て、山に登られた」というところを、「群衆を避けて、山に登られた」と解釈し、「山上の説教」は弟子たちだけに語られたものであると理解しようとしました。おそらくこの解釈は、「あなたがたも完全な者となりなさい」という高度な要求を含む教えは、一般民衆ではなく選ばれた弟子だけに向けられたものであるという考えが動機になっているのでしょう。しかし、この解釈は成り立ちません。この「説教」の結びの箇所で、マタイははっきりと、「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた」(七・二八)と書いています。マタイは明白に、「群衆」がこの教えを聴いたのであると言っているのです。

 この節(一節)の書き方からすると、マタイは弟子たちがイエスにいちばん近いところで聴いたことを強調していることは確かです。マタイはイエスのこの教えの言葉を、自分の教会の信徒を含めて、自分の時代の「弟子たち」にとくに聴かせたかったのでしょう。しかし、マタイ福音書のここまでの物語の流れからすると、弟子として召されたのはまだ四人だけですし(四・一八〜二二)、その四人もまだ何もしていません。彼らもイエスの言葉を聴くことにおいては群衆と同じ立場です。ここでは、イエスの癒しの働きを身に受けた人々や、それを見てイエスに従ってきた「大勢の群衆」の中に、「弟子たち」も含まれます。イエスはこの「大勢の群衆」を見て、彼らに語りかけるために適当な場所を求めて、「山に登られた」と理解すべきでしょう。

 その「山」はどこかという詮索は無意味なことです。「山上の説教」はもともとイエスがどこかの場所でされた一回の説教ではなく、様々な機会にイエスが語られた個々のお言葉を集成した「イエスの語録集」を、さらにマタイが自分の構想に従って、イエスの「御国の福音」としてまとめたものですから、それを特定の場所に結びつけることはできません。マタイがそれを山で語られたものとしたのは、ユダヤ人にとって山は神の啓示の場所だからです。「モーセの十言」という旧い契約の言葉はシナイ山で与えられました。いま、それを超える新しい啓示の言葉がイエスの口を通して与えられるのです。その場所は、ユダヤ人にとっては、山でなければならないのです。

 現在ガリラヤ湖を見おろすなだらかな丘陵地に、イエスが群衆に「幸い」の言葉を語られたことを記念する「祝福の教会」が建っています。荒涼たる砂漠の岩山で、稲妻と雷鳴の中で与えられたとされる旧い契約の言葉に対して、イエスの祝福の言葉が優美な風光のガリラヤ湖畔の青草の丘に響いたという想像は、「御国の福音」を聴く心にふさわしいものでしょう。

 「腰を下ろされると」という表現も、ユダヤ教会堂での習慣が背景になっています。会堂(シナゴーグ)での礼拝において、ラビは会衆に対面する椅子に着座して、律法を教えました。「律法学者やファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている」(二三・二)と言われるわけです。いま、イエスはモーセを超える啓示の言葉、「御国の福音」を語り出そうとして、イエスだけに備えられた座に着かれるのです。その足元に弟子たちが座り、それを群衆が取りまいています。その群衆もみな、これから語られるイエスの言葉によって、弟子として従うように招かれているのです。

 わたしたちにとって大切なことは、わたしたちもこの「群衆」の立場でイエスの「御国の福音」の言葉を聴かなければならないということです。もしわたしたちが、自分はあのような癒しを求めて集まってきた群衆とは別だ、わたしはイエスを通して働く神の力に頼る必要はない、自分で自分のことは立派にやっていけるのだから、という立場で聴くのであれば、イエスのお言葉はわたしたちの外を通り過ぎるだけで、わたしたちの内に留まることはないでしょう。

 イエスの癒しの働きについては、マタイ福音書ではこの「山上の説教」の後で語られることになるのですが、わたしたちはすでにマルコ福音書によってよく知るところです。福音書の伝えるところによれば、イエスの癒しの働きは、「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返る」(一一・五)という、まことに驚くべき奇跡です。しかし、このような目を見張るような出来事の背後で、目に見えないところでさらに大きな奇跡が起こっていることを見落としてはなりません。それは「恩恵の奇跡」です。

 イエスは、病気に苦しみ助けを求める人々に、何も要求されませんでした。報酬はもちろん、神の救いの力を受けるのに何か資格を求められることはありませんでした。まったく無条件で癒しを与え、彼らを救っていかれました。必要なのは、イエスを通して働く神の恵みの力を無条件で受け取る空の手、すなわち信仰だけでした。癒しの働きを身に受けた人々は、自分は何もしていないし、何も差し出していない、それを受ける何の資格も功績もないのに、一方的に神の力が働いて癒されたことを体験していました。すなわち、彼らは神の圧倒的な恩恵の支配を体験していたのです。それを見て集まってきた人々も、そのような恩恵によらなければ、自分ではどうしようもない状況にあり、それを知り尽くしてる人々でした。彼らはすでに恩恵の場にいるのです。イエスはそういう「群衆」に語りかけておられるのです。

 わたしたちもこの群衆と同じ立場で、イエスのお言葉を聴くのです。すなわち、神との関わりにおいて何かを得ようとするとき、自分には何の資格もない者として、ひたすら神の無条件で一方的な恩恵に縋らないではおれない者として、イエスのお言葉を聴くのです。その時はじめて、「山上の説教」は「御国の福音」として、わたしたちの内に留まる命の言葉となるのです。

 そこで、イエスは口を開き、教えられた。

(五章二節)

 マタイは、イエスのお言葉の重要性を強調するために、わざわざ「イエスは口を開き」という荘重な導入の句を用いています。わたしたちも身を乗り出し、全存在をかけて聴かなければなりません。

 貧しい者

「霊の貧しい人々は、幸いである、
 天の国はその人たちのものである」。

(五章三節 私訳)

 そのイエスの口から最初に発せられたのが、「霊の貧しい人々は幸いである」という驚くべきお言葉です。天の国とは「霊の貧しい人々」のものである、というのです。この言葉はイエスの「御国の福音」の全内容を一言に凝縮しています。では、「霊の貧しい人々」とはどのような人たちのことでしょうか。

 内容に入る前に、ルカのテキストと比べてみましょう。ルカはこのイエスのお言葉をこう伝えています。

「貧しい人々は幸いである、神の国はあなたがたのものである」。

(ルカ六・二〇)

 マタイとルカの間には二三の相違点があります。まず、ルカはただ「貧しい人々」と言っているのに対して、マタイは「霊の貧しい人々」としています。次に、ルカは「あなたがたのものである」と二人称を用いているのに対して、マタイは「その人たちのものである」と三人称を用いています。さらに、ルカが「神の国」という表現を用いているのに対して、マタイは「天の国」を用いている点が違っています。

 理由を詳しく説明することはできませんが、結論だけ言うと、ルカの方がマタイよりも「イエスの語録集」の文面に忠実であり、また、本来のイエスのお言葉にも近いと考えられます。「神の国」を「天の国」と言い直しているのはマタイの特色です。また、ルカが「霊の」という句を削ったと見るより、マタイが「霊の」を加えたと見る方が自然です。さらに、イエスが直接聴衆に向かって「あなたがたのものである」、「あなたがたは〜される」と言われた発言を、祝福の言葉という類型に一般的な「その人たち」という三人称に変えて、全体を統一したのもマタイの編集の結果であると見ることができます。

 イエスのもとに集まってきた群衆に向かって、イエスは「あなたがた貧しい人たちは幸いだ。神の国はあなたがたのものである」と語りかけておられるのです。さきに「聴衆」のところで見ましたように、イエスの癒しの働きに神の恩恵の圧倒的な力を体験し、またそれに身を委ねようとして集まってきた群衆こそ「貧しい人たち」なのです。彼らは神の前に誇ることができる自分の持ち物は何もなく、神の恩恵に縋る以外に拠り所がない人たちなのです。

 たしかにイエスのもとに集まった「群衆」は、イスラエル社会では貧しい階層の人たちが多かったのは事実でしょう。しかし、イエスが「貧しい人たち」と言われるのは、収入や資産が少なくて貧しい生活をしている階層の人たちのことではなくて、神との関わりにおいて「貧しい人たち」のことを言っておられるのです。イエスは社会問題を解決するために登場されたのではなく、「神の国」を宣べ伝えることを使命として働いておられるのです。すなわち、人間の神との関わりを本来の正しい姿に引き戻して完成させるために登場されたのです。イエスは一切を神との関わりで見ておられます。ですから、イエスが「貧しい人たち」と言われるときは、神との関わりで貧しい人たちという意味です。神との関わりにおいて、誇るに足る価値ある物を何も持っていない人たちのことです。

 マタイが「貧しい者」に「霊の」という句を加えたのは、この「神との関わりにおいて」という意味を明確にするためであったと理解できます。ここに用いられている〈プニューマ〉という語は、「霊」とも「心」とも訳せますが、本来は「霊」を意味する語です。「心」は人間の内面の精神活動を広く指しますが、「霊」はその中でとくに、神との関わりをもつ人間の内的次元を指す用語です。それで、「神との関わりにおいて」という意味を表現するには、「心」よりも「霊」の方が適切だと考えられますので、今回の講解では「霊の貧しい者」という私訳を用います。

 マタイがこの句を加えたとき、イザヤ書の「打ち砕かれた心」(六一・一)や「霊の砕かれた人」(六六・二)という表現が念頭にあったのでしょう。マタイは「霊の」を加えることによって、イエスの「貧しい者は幸いである」という端的な表現の鋭さを減少させたかもしれませんが、イエスの言葉の意味を指し示すことによって、貧しい社会階層に属することが直ちに「神の国」を保証するという誤解を避けるのに役立ったという面もあると考えられます。

 「貧しい者」という表現については、イスラエルには預言者以来の長い伝統がありました。ヤハウェとの契約共同体としてのイスラエルには、本来貧しい者はいないはずでした。ヤハウェが各人に嗣業として土地を与えられたからです。しかし、王国時代には一部の力ある者が弱い者を圧迫して富を集め、貧しい者を苦しめるという傾向が出てきました。捕囚前の預言者たちは、これをヤハウェとの契約の重大な違反として、イスラエルの罪を糾弾しました。

「主はこう言われる。イスラエルの三つの罪、四つの罪のゆえに、わたしは決して赦さない。彼らが正しい者を金で、貧しい者を靴一足の値で売ったからだ」。

(アモス二・六)

「何故、お前たちはわたしの民を打ち砕き、貧しい者の顔を臼でひきつぶしたのか」と、主なる万軍の神は言われる。

(イザヤ三・一五)

 ここでは「わたしの民」と「貧しい者」が同格に置かれています。イスラエルの中で真に神に属する民が「貧しい者」と呼ばれるようになっているのです。

 ところが、バビロン捕囚の体験はイスラエル全体を捕らわれ人として、「貧しい者」の立場に突き落としました。捕囚期とそれ以後の預言者は、捕らわれのイスラエルに対して「貧しい者」を救われる主の恵みを告げ知らせました。その中でもっとも重要な預言がイザヤ書にあります。

「主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために」。

(イザヤ六一・一)

 このような預言者の伝統を受けて、イスラエルの祈りの書である「詩編」では、敵対する力によって圧迫され、神の救いを叫び求める魂が「貧しい者」と呼ばれるています。

「主よ、わたしは貧しく身を屈めています。わたしのためにお計らいください。あなたはわたしの助け、わたしの逃れ場。わたしの神よ。速やかに来てください」。

(詩編四〇・一八)

「主は流された血に心を留めてそれに報いてくださる。貧しい人の叫びをお忘れになることはない」。

(詩編九・一三)

 詩編では「貧しい者」とはイスラエルの中の敬虔な者であり、義なる神の救いの対象です。「貧しい者」は自分の救いだけでなく、神の義の顕現を叫び求める民でもあるのです。

 イエスの時代のユダヤ教では、とくにクムラン宗団の人たちが「貧しい者」という表現をよく用いました。彼らは自分たちを「貧しい者」と呼び、自分たちこそ終わりの時に召し集められた神の民であると自覚していました。死海文書の中の「感謝の詩編」では、繰り返し主が「貧しい者の生命を贖いたもうた」ことが感謝され、「戦いの書」では、主は「砕けた魂」「貧しい者」によって悪しき者を滅ぼされることが賛美されます。この書の中には「霊の貧しい者」という表現さえ出てきます(一四・七)。

 イエスが自分のもとに集まってきた群衆を「貧しい者」と呼ばれるとき、それはこのようなイスラエルの敬虔の伝統を受け継いでおられることは明かです。イエスご自身も生涯を通して詩編の祈りに親しんでこられた方ですから、神に救いを叫び求める民を「貧しい者」と呼ばれるのは自然の流れです。

 しかし、イエスの場合にはそれを超える面があります。パリサイ派の人たちが「罪人」と呼んだ人々を、イエスは「貧しい者」と呼んでおられる点に、イエスの場合の独自性があります。当時パリサイ派は律法学者の多数を占め、ユダヤ教の主流派となっていました。彼らは主の律法を厳格に行うことこそ主の民として救いと祝福にあずかるために欠かせない条件であるとしていました。そのために、聖書に書き記されているモーセの律法を、具体的な状況において行うにはどうすればよいかを熱心に研究し、律法を時代に合わせて解釈した学者たちの教えを、「父祖たちの言い伝え」として、聖書に書かれた律法と同じように権威あるものとしていました。このように神の律法を熱心に学び行う自分たちこそ「義人」であるとし、職業や生活の必要に追われて、律法を学び行うことができない階層の人々を「地の民」と呼んで軽蔑し、「罪人」として交わりから排除していました。

 イエスは、このように「罪人」と呼ばれていた人々を、「貧しい者」と呼び、「神の国はあなたがたのものである」と言われたのです。イエスの回りには、このように「罪人」と呼ばれる人々が集まってきていました(九・一〇〜一三)。イエスはそのような人々と食卓の交わりをもち、彼らにこの「御国の福音」を語られたのです。この点において、イエスが言われる「貧しい者」は、イスラエルの敬虔の伝統にとって革命的な面が出てきています。

 クムラン宗団に代表されるエッセネ派も、自分たちを「貧しい者」と呼んでいましたが、彼らの方がイスラエルの伝統に忠実です。それは、彼らはあくまで「律法を守る者として」、律法を無視する不義の民から苦しみを受け、神の救いに縋る「貧しい者」だからです(死海文書ハバクク書注解一二・二以下、詩編注解二・五以下)。クムラン宗団がパリサイ派以上に律法遵守に熱心であったことは、彼らが残した死海文書の全体から十分に伝わってきます。彼らが自分たちを「貧しい者」という言うとき、それはあくまでも純粋に律法を守る者であるゆえに、不敬虔な者たちから苦しめられている者であるという自覚を表現しているのです。

 それに対してイエスは、救いを求める者にいかなる資格も求めず、癒しを与えるのに何の条件もつけられませんでした。どれだけ律法を守っているかには全く無関係に救いを与えていかれました(「律法に無関係の救い」を最初に宣べ伝えたのはパウロではなくイエスです)。それで、イエスの回りには「罪人」が大勢集まってきたのです。このような人々を「貧しい者」と呼び、彼らに神の国の祝福と栄光を約束されたイエスの「御国の福音」は、イスラエルの伝統的敬虔をくつがえすものであり、パリサイ派の律法学者には(そしてクムランの敬虔な人々にも)赦しがたい冒涜になるのです。イエスもこのことをよく自覚しておられて、ご自分の働きを「貧しい人は福音を告げ知らされている」と要約された後、すぐに「わたしにつまずかない人は幸いである」と続けておられます(一一・六)。

 十字架の場で

 イエスはご自分の使命と働きを「貧しい者に福音を告げ知らせる」こととしておられました(一一・五)。この表現は明らかにイザヤ書六一章一節から来ています(ルカ四・一八)。イエスは、ここで見たような意味で「貧しい者に福音を告げ知らせる」ご自分の働きを、イザヤ書によって予言され、イスラエルにおいて待ち望まれていた終末時の救済を成就するものとしておられるのです。
 「貧しい者に福音を告げ知らせる」というイエスの宣教の働きにおいて、神の終末的な支配、すなわち「神の国」とか「天の国」と呼ばれる事態が到来しているのです。それは、(マルコ福音書講解ですでに見ましたように、そして、このマタイ福音書講解でこれから見ていくことになりますように)神の絶対的な恩恵の支配の実現です。

 それはイエスご自身の中に到来して実現していたのです。「霊の貧しい者」として、すなわち、神の前に自己を無として明け渡しておられたイエスに、神の霊の力が満ち溢れ、父の恩恵が圧倒的に支配しているのです。「霊の貧しい人は幸いである。天の国はそのような人たちのものである」という言葉は、何よりもまず、イエスご自身の告白なのです(小池辰雄『無者キリスト』)。イエスはご自分の中に到来している「神の国」の現実を宣べ伝えておられるのです。

 ところが、わたしたちは「霊の貧しい者」になることができない点が問題です。古来、「霊の貧しい者」というイエスのお言葉を、謙遜な心とかへりくだった生き方と理解して、なんとか謙遜な心で生活して、それによって神の国に入ろうと必死の努力をする人たちが絶えませんでした。ところが、人間には自己を主張してやまない本性があり、このような努力はどこかで行き詰まらざるをえませんでした。

 イエスが言われる「霊の貧しい者」というのは、そのような倫理的な次元のものではありません。自己の存在そのものが無になるという霊の次元の問題です。高度に霊的な宗教(たとえば禅)は、自己を無にすることが人間の真の完成の道であることを予感して、無を実現するために厳しい修行に励みました。しかし、それは常人にはできないことです。もし、この言葉を「霊の貧しい者になれ」という要求として受け取りますと、これは自己の存在と価値を主張してやまない人間本性とは逆の方向の要求ですから、自分で実現することは不可能です。

 この地点で、序章の「マタイ福音書の成立」について述べましたこと、すなわち、「福音書」は、「語録集」のようにイエスのお言葉を裸のままでわたしたちに伝えるのではなく、あくまで十字架と復活という神の救済の出来事の場に置いて伝えるものであるということが、重要な意味をもって立ち現れてきます。わたしたちは、このイエスのお言葉を十字架の場で聴かなければならないのです。

 福音とは「十字架の言葉」です。死者からの復活によって主(キュリオス)キリストとして立てられたイエスが十字架につけられて死なれたのは、実に「わたしのため」であったのです。わたしが死なければならない死を、十字架の上でイエスが死んでくださっているのです。イエス・キリストを信じるとは、復活されたキリストに自己の存在を全面的に委ねることによって、キリストの十字架上の死に会わせられ自己が死に、あらためて復活されたキリストの命に生きるようになることです。

 このキリストの十字架に合わせられて自己が死ぬとき、「霊の貧しい者は幸いである」と言われたときの「霊の貧しい者」が実現するのです。神の前に価値を主張する自己が徹底的に打ち砕かれて、自己がゼロであることを知るのです。その時、聖霊が与えられることによって、「神の国はあなたのものである」という現実が始まるのです。神の霊は、自己を空しくされたイエスに降り、満ち溢れました。それが、イエスが生きられた神の国の現実でした。わたしたちの場合は、十字架に合わせられることによって初めて聖霊が降るのです。聖霊は十字架の場においてのみ体験できるのです。そして、聖霊がわたしたちの生にもたらしてくださる現実こそ、地上に到来している終末の事態、「神の国」、「天の国」なのです。


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