マタイによる福音書 19

本物と偽物

 ― 御国の福音(18) ―





結びの勧告

 マタイは、イエスの「御国の福音」を、彼独自の仕方で長い「山上の説教」(五〜七章)にまとめました。「幸いの言葉」と「地の塩、世の光のたとえ」(五・三〜一六)を導入部とし、本論(五・一七と七・一二によって囲い込まれた部分)で、律法と預言者を完成するものとしてのイエスの教えを詳しく展開し提示します。この本論の提示を終えて、マタイは最後に締め括りの勧告を行います(七・一三〜二七)。 締め括りの勧告は三つのたとえで構成されます。第一は「狭い門と広い門」、第二は「良い実を結ぶ木と悪い実を結ぶ木」、第三は「岩の上に建てられた家と砂の上に建てられた家」のたとえです。いずれも対照のたとえで、この説教の言葉を行う者と行わない者が対照され、両者の終末における結末が比較されます。この対照によって、ここで聞いた言葉を行うようにと強く勧告されて、全体が締め括られます。

 狭い門


狭い門・狭い道

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」。

(七・一三〜一四)

 このたとえでは門と道のイメージが重なっています。「門」は「戸口」と違って、都市に入る城門などを意味する語ですから、門を通って道を歩き始めるというよりは、道を歩いてきて都に入る門にいたるという心象(イメージ)を思い描くべきでしょう。

 ルカ(一三・二四)に「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ」というイエスの言葉が伝えられています。おそらく「語録資料Q」にこの語録があり、ルカとマタイがそれぞれ独自の用い方をしたと見ることができます。「狭い門から入れ」というイエスの言葉に、マタイがよく知られた「二つの道」の対照を重ねた結果、このマタイ福音書の言葉になったと考えられます。「狭い門」という表現はユダヤ教テキストには珍しく、イエスの言葉遣いと見られますが、それに対して「二つの道」の対照はユダヤ教でよく知られた表現だからです(申命記三〇・一五、詩篇一、エレミヤ二一・八)。「二つの道」の思想がマタイの教会においてよく知られていたことは、マタイ的特徴を受け継ぐ教会に由来すると見られる『ディダケー』(一・二〜五・二)が「二つの道」を主題としていることによっても裏書きされます。マタイがQの狭い門に関する語録を、彼の教会に流布していた二つの道の訓戒的な表現で拡大したと見てよいでしょう。その結果、「そこから入る」という本来門に関わる表現の直前に「その道は広く」という語が来るという不自然な文になっています(一三節)。

 ここで対照されている二つの終着地「命」と「滅び」は、終末的な意味をもつ用語です。命《ゾーエー》と滅びについて、門の表象を用いて、「天の国に入る」(五・二〇)というときと同じ動詞「入る」が用いられていることからも、「命」が「天の国」(神の国)と同じく終末的に理解されていることがうかがわれます。

 この「狭い門を通って命に入る」という終末的な内容に「道」のイメージを加えたことは、マタイの特徴をよく示しています。すなわち、マタイにとっては、終末的な栄光に入るためには地上の歩みが不可分の要件となっているのです。本来終末的な命とか天の国を、地上での歩みで「律法学者やファリサイ派の人々の義にまさる義」を行うことに結びつけるのです。こうして、結びは導入(五・一七〜二〇)に対応して、本論を囲い込みます。命の都に入る門が狭いように、そこにいたる道も狭いのです。

 ところで、門を形容する「狭い」と道について語られる「狭い」は、原語では違う用語です。門が狭いというときの「狭い」は幅が小さいという普通の意味の語ですが、道が「狭い」というときの語は、「苦難」と同じ語幹から出た動詞の分詞形で、直訳すると「苦難に満たされた」という意味になります。道のイメージを付け加えたのはマタイですから、マタイが語録伝承の「狭い」の隠喩的意味を解釈して取り出しているわけです。マタイは、終末的な命に到達するための地上の実際の歩みは苦難に満ちたものであるが、安易な広い道を選ぶのではなく、「狭い」道を歩んで、命にいたる狭い門を見出すようにと説くのです。

 この門と道のたとえで、マタイは、広い道を歩み広い門から入る者は「多い」が、狭い道を歩み狭い門から入る者は「少ない」と、二つの道を歩む人数を対照しています。この対照は、欲望のままに流される安易な生活をする教会の外の多数の人たちと、信仰の厳しい生活をする少数者の群である教会とを対照しているのではありません。この結びの勧告全体(七・一三〜二七)は、マタイの教会自身に向けられているのです。教会の中で、広い道を歩んで滅びにいたる者が多く、狭い道を歩んで命に入る者が少ないという、きわめて厳しい警告なのです。マタイは教会を麦と毒麦が混じった共同体であると見ています(一三・二四〜三〇、三六〜四三)。イエスの弟子にも本物と偽物があることを知っています(七・一五〜二三)。「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」(二二・一四)のです。

狭い門としての十字架

 わたしたちキリストにあって生きる者には、十字架につけられたキリストが門であると同時に道です。わたしたちは、十字架につけられたキリストという門を通ってはじめて、御霊の命の世界に入ることができるのです(ガラテヤ三・一〜二)。そのことをヨハネは、「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる」と表現しました。このヨハネ福音書(一〇・九)の「わたし」は、パウロの場合と同じく、十字架の死を負う復活者キリストです(ヨハネ三・一四)。さらにヨハネ福音書(一四・六)は、「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」と言っています。同じ「わたし」が門であり、道なのです。門と道は「わたし」において重なって一つになっています。

 しかし、わたしたちの体験では、十字架につけられたキリストを信じることによって御霊による新しい命の世界に導き入れられ、そこからキリストにあって(キリストに合わせられた者としての)歩みが始まります。まず十字架という門を通って入り、そこから復活者キリストと共に歩む新しい道が始まります。ここでは、終末的な意味で命に入ることを念頭において語られたマタイの順序(道を歩いて行って門に至るという順序)とは逆になっています。それは、御霊によって終末的な現実がすでに信じる者の中に到来しているからです。すでに門から入っているのです。ただ、完成を目指す道が続いています。わたしたちは十字架の道を歩まれたイエス・キリストと共に、自分の十字架を背負ってキリストの道を歩むように求められているのです(マルコ八・三四)。

 偽預言者に対する警告


偽預言者を見分ける

「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」。

(七・一五〜二〇)

 福音宣教の最初期には「預言者」の活動が盛んでした。新約聖書で「預言者」というのは、主の霊の働きによって、主の言葉を語り、それを霊の力による業(奇跡的な癒やしや悪霊払いなど)で裏付けるカリスマ的伝道者のことです。その言葉は、かならずしも将来を語る「予言」とは限らず、広く福音を伝え、知恵を教える言葉でした。イエスを信じる民は、このような預言者たちによって指導されていたのです。

 パウロが形成したキリストの民の諸集会にも、使徒や教師と並んで「預言者」が活動したことが言及されています(コリントI一二・二八など)。小アジアやギリシャのパウロ系教会では、預言者は、特定の集会に所属するメンバーが御霊の賜物によって預言する力を与えられて、預言者としての活動をしたようです(コリントI一二・一〇 もっとも、これは巡回する預言者の存在を否定するものではありません)。それに対して、ガリラヤやシリアに展開したユダヤ人の信仰運動(「語録資料Q」を生みだした運動ですから「Q宗団」と呼ばれることもあります)では、「預言者」たちが各地を巡回して、新しい信仰を宣べ伝え、信じる者たちの群を指導したようです。このような預言者たちは定住せず、各地の群を巡回して訪ね、主の言葉を教えて回ったのです。このような巡回伝道者(預言者)の存在は、「語録資料Q」の中にしばしば言及され(ルカ一〇・二〜一二など)、また前提されています(ルカ一二・二二〜三一など)。マタイと同じくこの信仰運動の流れにあると見られる『ディダケー』(一一〜一三)では、巡回してくる「預言者」の扱いについて、真偽の見分け方から援助の仕方や滞在日数まで、具体的に述べています。マタイの教会もこのような巡回してくる預言者の働きを現に受けていることは、「あなたがたのところに来る」という表現が示唆しています。

 そのような「預言者」について、マタイは「偽預言者を警戒しなさい」とイエスの民に呼びかけます。霊感を受けて主の言葉を語ると主張する「預言者」が、みな本物の預言者であるとは限らないというのです。当時の一部の「預言者」たちの言動に、マタイの目から見て、信仰を間違った方向に導きかねないと思われる危険な傾向があったようです。マタイが危険と感じた「偽預言者」とはどのような型の指導者であったのか、特定することは困難です。強いて推定すると、この警告の最後(七・二三)に「不法《アノミア》を働く者ども」が断罪されていることから、何らかの意味でマタイが主張する「律法《ノモス》の完成」(五・一七〜二〇)の立場を否定するような言動をする者たちであったと考えられます。おそらくヘレニズム的な宗教思想の影響から、マタイが神聖視する律法を軽視するか無視するような言動をする者たちであったのでしょう。

 マタイが警告する「偽預言者」が反律法主義者であるとすると、ユダヤ人およびユダヤ人キリスト教徒から反律法主義者のレッテルを貼られて非難されていたパウロとその一派も含まれるのではないかという問題が出てきます。パウロは決して反律法主義ではありませんが、パウロの「律法とは別の神の義」や「キリストは律法の終わり」という主張は、現実にユダヤ人と保守的なユダヤ人キリスト教徒から激しく非難されていました。小アジアからギリシャに展開したパウロの福音活動の影響が、どの程度マタイの教会があるシリアにまで及んでいたのかを示す直接の資料はありませんが、パウロがもともとはアンティオキアで長年指導的な活動をしたことや、マタイの少し後の時代にアンティオキアの監督であったイグナティオスにパウロの影響が見られることなどから、シリアにもパウロの影響はあったと見るべきでしょう。しかし、マタイがどの程度パウロとその影響を関知していたか分かりませんので、マタイとパウロの問題はここでは留保せざるをえません。

 マタイは偽預言者を「羊の皮を身にまとった狼」と表現します。彼らは羊の皮を身にまとって、自分も羊の群の一員である、すなわちイエスの弟子の群に属する者であると見せかけていますが、実質は羊を食い荒らす貪欲な狼であるというのです。偽預言者は狼のように貪欲で、イエスの弟子を自分の弟子にして、自分の野望を満たすための道具とし、教会の一致を破壊し、羊を滅びへと連れ去るのです。
 羊と狼の比喩は、イエスの語録では「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ」(マタイ一〇・一六)があるだけですが、初期の教会はそれを羊の群に侵入する狼のイメージに変えて、偽教師に対する警告の譬として転用しました(ヨハネ一〇・一二、使徒二〇・二九、ディダケー一六・三)。ここのマタイのたとえもこの流れにあります。

 マタイは偽預言者を見分ける規準として木とその実のたとえを用います。「あなたがたは、その実で彼らを見分ける」という句で囲み込み(一六節aと二〇節)、「茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか」(一六節b)という問いかけで実例を挙げ、「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない」(一七〜一八節)という原則を明示します。そして、「良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」(三・一〇)という洗礼者ヨハネの終末審判の言葉を偽預言者に適用して、彼らの滅びに対する警告を付け加えます(一九節)。

 木と実のたとえは「語録資料Q」にある言葉ですが、ルカとマタイはそれぞれ少し違う形と意義づけをして用いています。ルカ(六・四三〜四五)は「平地の説教」の結び(マタイと同じ位置)で、この木と実の関係を(偽預言者とは関係なく)「人の口は心からあふれ出ることを語る」という人間の心と行動(とくに言葉)の結びつきのたとえとして用いています。マタイもこのたとえを他の箇所(一二・三三〜三五)でルカと同じような意味で用いていますが、「山上の説教」の結びの位置では、偽預言者に対する警告として用いているのです。マタイは語録資料にある一つのたとえを二重に用いていることになります。

 マタイはこのたとえで、預言者が本物であるか偽物であるかを見分ける規準として、その教えが規準に適っているかどうかという観点ではなく、その行動や生活が正しいかどうかという観点をあげていることになります。まだ正統教理(信条)とか正典が確立していない段階では、これ以外には規準がなかったわけです。また、木と実の関係が示しているように、この規準は理にかなっています。たしかに、良い実を結ぶ木が良い木であり、悪い実を結ぶ木は悪い木です。ただ、何を「良い実」または「悪い実」とするかによって、この判定規準は誤用される危険があります。

 後の時代の正統派教会は、自分たちと意見が異なる者を「異端者」として攻撃するときに、このたとえを用い、彼らの道徳的欠陥をあげることで、彼らが偽者であると主張しました。そのさい、道徳的欠陥とされるものは、特定の社会における特定の時代の社会的規範ないし習慣に違反する行為とか生活にすぎない場合があります。イエスの場合もそうでした。イエスは当時のユダヤ教社会の規範である律法(たとえば安息日律法)に違反する者として、「偽預言者」と判断されたのです。

 神の霊が結ぶ実は愛です。ところが、御霊の実としての愛は、しばしば社会や時代の規範や常識を超えたり反したりしているように見えることがあります。霊の質を判断することは難しいことです。ある程度の時間の経過の中で、「預言者」の霊がどのような働きをなし、どのような結果を生むのかを見極めなければならないでしょう。性急な判定は慎まなければなりません。マタイも最終的な判定は終わりの日における神の裁きに委ねております(次の段落)。

 マタイは、「山上の説教」で説かれたイエスの言葉を実行する生活を「良い実」としているのでしょう。この言葉を行う者を本物の預言者とするという形で、この言葉を行うように勧告しているのです。

 マタイは「実で見分けよ」という原則をかかげるだけで、「実」の内容については何も述べていないので、この原則は誰でもが自分の反対者を非難するときに利用できる原則となりました。それに対して、パウロは「実」について具体的な内容を語っています。「御霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」(ガラテヤ五・二二〜二三)。当然、これは「良い実」です。それに対する「悪い実」は、「肉の働き」であり、それも具体的にその内容が上げられています(ガラテヤ五・一九〜二一)。しかし、パウロが語る「御霊の実」と「肉の働き」の対照は、人間の生まれながらの本性(肉)と対照して、神の霊がもたらす新しい生の在り方を述べているものであって、預言者の真偽を判定する基準ではないことに注意しなければなりません。「実」という比喩が同じだからといって、直ちにパウロの「御霊の実」の議論によって、ここのマタイの木と実の比喩を解釈することはできません。


偽預言者に対する裁き

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしはたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ』」。

(七・二一〜二三)

 マタイは先の段落(七・一五〜二〇)で偽預言者を見分けるようにと信徒の群に警告しましたが、ここで偽預言者に向かって、終わりの日に神の裁きが臨むことを警告します。その警告は、「かの日」とか「天の国に入る(未来形)」という表現が示唆しているように、終末の審判を念頭において、「戸口または門から入る」というイメージで語られます。

 
 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者」とは、イエスを神的な権威の座にある方として告白することを指しています。ヘレニズム世界の異邦人諸教会がイエスを《キュリオス》と告白したのとはやや異なりますが、マタイの教会でもイエスに向かって「主」という呼びかけの言葉で信仰が告白されていたと見られます。

 アラム語を語るユダヤ人教会でもイエスに「主」という称号が用いられていたことは、《マラナ・タ》(主よ、来たりたまえ)というアラム語の祈りが、コリントの教会にも知られていた(コリントI一六・二二)ことからもうかがわれます。

 「かの日」、すなわち神が栄光の御国を完成される日に、神の裁きを通って御国に入ることができるのは、イエスを主と言い表す者全員ではなく、イエスが父として啓示された神の御心を行う者だけであるというのです。ユダヤ教では来るべき神の支配に与り、栄光とか命に入ることができるのは、律法を守り行う者とされていました。それに対して、イエスは律法を守ることができない者たちを招き、自分の仲間として食事を共にして、彼らに向かって、「あなたがた貧しい者は幸いである。神の国はあなたがたのものである」と宣言されました。神の国とか永遠の命に入る者は、律法を守り行う者ではなく、神の絶対無条件の恩恵を砕かれた心で無条件に受ける者であるという告知、すなわち恩恵の支配の告知こそイエスの福音です。マタイはそれを十分理解しており、この幸いの言葉を冒頭に置くことで、自分の福音書を恩恵の支配の告知としております。

 ところが、自分の全存在を恩恵の中に投げ入れ、恩恵の場に生きることをしないで、ただイエスの名を口にし、イエスの仲間であることを言い表しておれば、それで神の国に入れると考える人たちが出てきました。これは恩恵の支配の誤解です。恩恵の支配に入るとは、自分が父の恩恵、すなわち無条件絶対の慈愛によって生かされているのであるから、自分の隣人を同じ無条件の慈愛をもって受け入れ愛するという場に生きることです。イエスが「あなたがたの天の父が慈愛深いように、あなたがたも慈愛深い者でありなさい」(ルカ六・三六)と言われた通りです。マタイはこのお言葉を「あなたがたの天の父が完全であららるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(五・四八)と言い換えて、それを本論の部分(五・一七〜七・一二)で「ファリサイ派にまさる義」として具体的に展開するのです。ですから、マタイが「わたしの天の父の御心を行う者」というとき、それは本論の部分で提示された義を行う者のことであり、その本質は「父が慈愛深いように、慈愛深く生きる」ことです。そして、まさにこれが現実に恩恵の支配の場に生きることです。

 このように理解しますと、マタイが「父の御心を行う者だけが天の国に入る」と主張するのは、決してユダヤ教の律法主義に逆戻りしているのではなく、あくまで恩恵の支配を具体的・現実的に貫徹しようとしていることが分かります。マタイとユダヤ教との決裂は決定的です(二三章)。マタイはユダヤ教と対決するために、恩恵の場に生きる者の義はユダヤ教の義にまさることを強調しなければならなかったのです。

 マタイは「主よ、主よ」と言う者を、「わたしはたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか」と具体的に特定しています。これはイエスの名によって奇跡を行い、イエスの言葉を教え伝えるカリスマ的な「預言者」を指していることは明かです。このような「預言者」でも、ここで見たような意味で「父の御心を行う者」でなければ、「不法を働く者」として、「かの日」にはその名を呼んでいたイエスご自身から「あなたたちのことは全然知らない。わたしから離れ去れ」と拒否されるのです。

 ルカ(一三・二四〜二七)にもほぼ同じ内容の語録が伝えられています。「語録資料Q」にはどうあったのか確定することはできませんが、おそらくルカが伝えるように、「狭い戸口」と「閉じられた戸」のたとえが並んでいたのでしょう。このルカの記事と比較しますと、マタイがかなり独自の編集の手を加えていることが分かります。「狭い戸口」のたとえは、「狭い門と細い道」の二重のたとえとなり、「閉じられた戸」は「賢いおとめとと愚かなおとめ」のたとえで用いられ(二五・一〇〜一二)、戸口で「立ち去れ」と言われる者たちの記述が偽預言者を指すように変えられています。ルカでは「わたしたちはあなたと一緒に食べ、また飲み、あなたはわたしたちの広場で教えてくださいました」と言っていますが、マタイでは「あなたの名によって、預言し、悪霊を追い出し、奇跡を行いました」となっています。すなわち、ルカでは(そしておそらく語録資料では)イエスの食卓の交わりにあずかった者が全員終末の御国に入るのではないという主張ですが、マタイはそれを偽預言者への裁きの警告に変えているのです。ルカの記事から、イエスの名による食卓の交わりにあずかっていることだけを救いの根拠にするような信仰に警告を発することは、すでに「語録資料Q」の段階で始まっていたということが分かります。


 締め括りの勧告


岩の上の家と砂の上の家

「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった」。

(七・二四〜二七)

 最後に、「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者」と「わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者」が、岩の上に家を建てた人と砂の上に家を建てた人のたとえで対照されます。たとえの意味は明白です。「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者」は岩の上に家を建てた人のように「賢い人」と呼ばれ、「わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者」は砂の上に家を建てた人のように「愚かな人」と呼ばれています。このたとえは真の賢さ、すなわち「知恵」がどこにあるのかを指し示しています。

 イエスは知恵の教師であるという一面があります。イエスの言葉は、わたしたちに人間の本質を認識させ、真実の生き方を教え、幸いを与える知恵の言葉です。しかし、イエスが教えた知恵の言葉も、それを聞いているだけで実際に行うのでなければ、その言葉は私たちの身についた知恵、現実にわたしたちの人生を支える知恵とはなりません。

 イエスの言葉を「行う」というのは、律法とかその他の規範に従う個々の行為をするという意味とは違います。それは「生きる」と訳す方が適当でしょう。イエスの言葉が指し示す道を実際に歩み、自分の思想と人生の全体をイエスの言葉に従って形成することです。その時、私たちの人生はどのような試練や苦難が襲ってきても、それを乗り越える知恵を宿す人生になるのです。それは、これらの言葉が語っていたように、父の慈愛と信実が現実にその人の人生の土台となるからです。その人生は岩の上に建てられたものになります。それに対して、わたしたちがイエスの言葉を聞くだけで生きることをしなければ、わたしたちの人生は、父の慈愛とか信実に関わりなく、わたしたち自身の力に任されてしまいます。人間の弱さを考えると、自分の力と知恵だけに委ねられた人生は脆いものです。それは砂の上に建てられた人生です。

 知恵の教師としてのイエスは、しばしば弟子たちに「わたしを『先生、先生』と呼びながら、どうしてわたしの言うことを行わないのか」(ルカ六・四六)と呼びかけ、そのさいに家を建てる人のたとえを語られたのでしょう。マタイはこのたとえを「山上の説教」の最後に置いて、実際にイエスの言葉に従って生きるように勧告して、この「御国の福音」を締め括るのです。

 「山上の説教」の終わり


権威ある者

 イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。

(七・二八〜二九)

 「イエスはこれらの言葉を語り終えて」という表現は、マタイがまとめた五つの大きな説教集の終わりに現れ、各説教集の結びとなっています(ここと一一・一、一三・五三、一九・一、二五・一)。このような言葉による結びは、申命記(三一・一、三二・四五〜四七)にも見られ、マタイはユダヤ人読者にこのような聖書の言葉を想起させて、ここにまとめられたイエスの言葉がモーセ律法に対応する新しい啓示の言葉であることを示唆しているのかもしれません。また、イエスがこの言葉を語るために「山に登られた」(五・一)ことと、これらの言葉を語り終えた後「山を下りられた」(八・一)ことを語るのも、モーセが「十の言葉」(十戒)を受けるのに山に登ったことを想起させるためかもしれません。マタイがイエスの語録を五つの大きなグループにまとめたのも、モーセ律法が五書から成っていることに影響された可能性もあります。こういうところに、聖書学者としてのマタイの素養が出てくるのでしょう。

 マタイがまとめたイエスの語録の大きなグループは以下の五つです。
   山上の説教    五章一節〜七章二九節
   派遣の説教    九章三五節〜一一章一節
   たとえ集     一三章一節〜五二節
   集会生活について 一八章一節〜三五節
   終末預言     二四章一節〜二五章四六節

 マタイは、「これらの言葉」を聴いた群集の驚きを、マルコの表現をほとんどそのまま引用して描いています。マルコはイエスのガリラヤ伝道の最初の出来事を次のような言葉で伝えています。

「一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」。

(マルコ一・二一〜二二)

 マルコでは、一言で悪霊を追い出されたイエスの言葉の権威に驚いたのでした(マルコ一・二七)が、マタイは群集の驚きを、イエスの教えの言葉そのものの権威に対する驚きとしています。律法学者は書かれた律法(モーセ五書)と父祖たちの言い伝えを解釈しなおして民衆に教えていました(マタイは「彼らの」律法学者たちと突き放した表現をしていることが注目されます)。それに対して、(マタイの構成では)イエスは「あなたがたも聞いているとおり、昔の人はこう命じられている。しかし、わたしは言っておく」と、自分自身を権威として語り、昔の人が聞かされていたモーセ律法の権威を超えるものであるとされたのですから、モーセ律法を至上の権威としていたユダヤ人には大変な驚きであったわけです。

 わたしたちはイエスが復活されたキリストであることを知っています。そのような方の言葉として、イエスの言葉が権威があることを当然と感じがちです。しかし、イエスは地上におられた時から、その言葉に権威があり、接した民衆が驚いたことを見落としてはなりません。イエスは古い文書や伝統の権威によって語るのではなく、御霊によって生き、御霊によって力ある業をなしておられるご自身の現実から語り出しておられるので、聴く者に圧倒的な権威を感じさせるのです。それで、イエスの言葉に悪霊を追い出す力があることに驚くのも(マルコ)、教えの言葉に権威があることに驚くのも(マタイ)、同じことなのです。

イエスかマタイか

 以上の「山上の説教」の講解において、わたしは「マタイはこう言っている」とか、「マタイはこう主張している」というような表現を多く使いました。それに対して、「山上の説教」の言葉はすべてイエスの言葉ではないのか、すべて「イエスはこう言っておられる」とか「イエスはこう主張しておられる」と言うべきではないのか、という疑問を持たれる方があると思います。最後に、その疑問に簡潔にお答えしておきたいと思います。
 この講解では、ルカ福音書との比較によって、マタイが「語録資料Q」を彼独自の視点で編集して用いていることを見てきました。また、「語録資料Q」そのものも、イエスの言葉を完全な忠実さで伝えているものではなく、四十年前後に及ぶ歴史の中で編集の手が加えられて成立したものです。それで、マタイが書いた「山上の説教」は、イエスの本来のお言葉を核としながらも、マタイの神学(福音理解)によって構成された作品になっています(序論の「マタイ福音書の成立」を参照)。

 マタイはイエスの「恩恵の支配」の告知をよく理解し、それを彼の作品の中でよく保持しています。しかし同時に、この「恩恵の支配」の福音を、ユダヤ教会堂と対抗して、ユダヤ人同胞の間に確立しようと努力するユダヤ人聖書学者としての特殊な立場があります。マタイの作品を、最初期の様々な福音宣教の潮流の中に置いて比較しますと、マタイの特殊性がよく見えてきます。これはあくまでも「マタイによる」福音書なのです。
 この講解でマタイの編集の手を明らかにして、マタイの特殊性を認識することを努めたのは、この特殊性をもつ容器の中に盛られて告知されているイエスの「恩恵の支配」の福音を、できるだけその本来の姿で受け取りたかったからです。マタイの特殊性を特殊性と認識しなければ、マタイの特殊性をイエスの福音そのものであると誤解する危険があるわけです。

 どの部分がイエスの本来の言葉で、どの部分が以後に加えられた編集の手であるかを、正確に確定することはきわめて困難です。しかし、編集の手がどの方向に向かっているかを認識することにより、イエスの福音がどの方向にあるのかを知ることは可能です。この手法によって、わたし自身は、この講解の過程でイエスの「恩恵の支配」の福音がますます確実になったと感じています。


前講に戻る    次講に進む

目次に戻る   総目次に戻る