第二〇章 イエスの復活
―― ヨハネ福音書 二〇章 ――
第一節 空の墓
1 週の初めの日、マグダラのマリアは朝早く、まだ暗いうちに、墓へ行く。そして、墓から石が取りのけられているのを見る。 2 そこで、走ってシモン・ペトロとイエスが親しくしておられたもう一人の弟子のところへ行き、彼らに言う、「人々が主を墓から移しました。どこに置いたか、わたしたちには分かりません」。
3 そこで、ペトロともう一人の弟子は出かけて、墓に向かった。 4 二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方がペトロよりも速く、ペトロの先を走り、最初に墓に来た。 5 彼はかがんでのぞき、亜麻布が置かれているのを見る。しかし、中には入らなかった。 6 さて、その弟子に続いてシモン・ペトロもやって来る。彼は墓の中に入った。そして、彼は亜麻布が置かれているのを認める。 7 また、イエスの頭の上にあった布きれは、置かれている亜麻布と一緒にではなく、離れて、一つのところに丸められているのを認める。 8 そこでその時、先に墓に来ていたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。 9 彼は死者たちの中から復活することになっているという聖書を、彼らはまだ理解していなかったからである。 10 そこで、この弟子たちはまた自分たちのところに戻った。
ユダヤ人の埋葬の習慣
先の段落の「イエスの埋葬」(一九・三八〜四二)で、「彼ら」(ヨセフ、ニコデモ、母マリアを含む十字架の前にいた五人)は、十字架上で息を引き取られたイエスの遺体を、「ユダヤ人の埋葬の習慣に従って」、亜麻布で包み香料を添えて、近くにあった新しい墓に納めたことを見ました。この段落(二〇・一〜一〇)で、それから三日目の「週の初めの日」にこの墓で起こった出来事を見ることになりますので、その墓がどのような墓なのか、また、「ユダヤ人の埋葬の習慣に従って」埋葬するとはどういうことかを、少し詳しく見ておきます。この墓の構造や当時のユダヤ人の埋葬の習慣(とくに骨箱への再埋葬の習慣)については、『イエスの弟 ― ヤコブの骨箱の発見をめぐって』(松柏社、原著は二〇〇三年)の中の、ハーシェル・シャンクスによる第一部「驚くべき発見の物語」が詳しく記述しています。この書の第一部は、「主の兄弟ヤコブ」の骨箱の発見にかかわる論説ですが、イエスの埋葬についても貴重な示唆を与えるものです。著者のハーシェル・シャンクスは、古代のエルサレムや死海文書に関する著作も多くある現代イスラエルの代表的な考古学者です。
マグダラのマリアの報告
週の初めの日、マグダラのマリアは朝早く、まだ暗いうちに、墓へ行く。そして、墓から石が取りのけられているのを見る。(一節)
「週の初めの日」の原文は、「安息日(複数)の一日目」という表現です。安息日明けの一日目、すなわち日曜日を指しています。イエスが死なれたのは、安息日の前の「過越の準備の日」でしたから、この日は死なれてから安息日をはさんで(ユダヤ人の数え方で)「三日目」ということになります。この場面については、拙著『マルコ福音書講解U』317頁のマルコ一六・四への講解を参照してください。
この「石」は、先に述べた死体室をふさぐ石ではなく、外から洞窟室へ入る入口をふさぐ大きな石を指します。あたりが明るくなって、まず見えるのはこの石です。まだ内部の様子は見えないはずですが、マリアはこの入口の石が取りのけられているのを見て、誰かが墓に入って、イエスの遺体を運び去ったと考えてしまいます。そこで、走ってシモン・ペトロとイエスが親しくしておられたもう一人の弟子のところへ行き、彼らに言う、「人々が主を墓から移しました。どこに置いたか、わたしたちには分かりません」。(二節)
この重要な場面で再び「イエスが親しくしておられたもう一人の弟子」が登場します。ここの直訳は、「イエスが愛したもう一人の弟子」です。一九・二六の「(イエスが)愛した弟子」では《アガパオー》が用いられていましたが、ここでは身内の者に対する親愛の情を示す《フィレオー》が用いられているので、一応区別して「イエスが親しくしておられた」と訳しておきます。この《フィレオー》はラザロについても用いられています(一一・三、三六)。ヨハネ福音書に登場するこの無名の弟子は、ペトロ以上にイエスに親しく、イエスの出来事の証人としてペトロ以上に重要な弟子であることが主張されていますが、この復活証言においても、ペトロよりも先であることが語られることになります。この段落の動詞は、「行く」とか「見る」とか「言う」というような現場の状況を報告する現在形と、「走った」とか「来た」というような過去の出来事を物語る過去形が混在しています。日本語での不自然さは残りますが、ここの劇的な感じを残すために、あえて原文の時制の通りに訳しています。
二人の弟子が墓に走る
そこで、ペトロともう一人の弟子は出かけて、墓に向かった。(三節)
マリアの報告を聞いた二人の弟子、ペトロともう一人の弟子は、すぐに墓に向かって走り出します。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方がペトロよりも速く、ペトロの先を走り、最初に墓に来た。(四節)
「もう一人の弟子」の方がペトロよりも速く走り、ペトロよりも先に墓に来たのは、「もう一人の弟子」の方がペトロよりも若い世代であることを示唆するのでしょうか。『「もう一人の弟子」の物語―ヨハネ文書の成立をめぐって』で書きましたように、この「もう一人の弟子」は、この時には一〇歳代半ばと推察され、三〇歳代のペトロよりも早く走れたのでしょう。しかし、ヨハネが「もう一人の弟子の方がペトロよりも速く、ペトロの先を走り、最初に墓に来た」と書いたのは、この弟子の方が、復活証言においてもペトロよりも先んじていることを示唆したかったからだと考えられます。彼はかがんでのぞき、亜麻布が置かれているのを見る。しかし、中には入らなかった。(五節)
墓は人が中に入ることができる洞窟の小部屋ですが、この墓の入り口は小さかったのでしょう、先に到着した「もう一人の弟子」は「かがんで」中をのぞきます。入口をふさぐ石はすでに取りのけられています。この弟子は、薄暗がりの洞窟の小部屋に白い亜麻布が置かれているのを見ます。さて、その弟子に続いてシモン・ペトロもやって来る。彼は墓の中に入った。そして、彼は亜麻布が置かれているのを認める。(六節)
遅れて墓に到着したシモン・ペトロは、墓の小部屋に入り、そこに亜麻布が置かれているのを確認します。また、イエスの頭の上にあった布きれは、置かれている亜麻布と一緒にではなく、離れて、一つのところに丸められているのを認める。(七節)
この「布きれ」は、遺体の頭の上に置かれる布きれで、ラザロにも用いられていました(一一・四四)。使徒言行録一九・一二の「手ぬぐい」と同じ語で、本来は汗をぬぐうための布きれなどを指す語ですが、ここでは遺体の頭部を覆う布きれを指しています。そこでその時、先に墓に来ていたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。(八節)
ペトロが墓に入ったので、「先に墓に来ていたもう一人の弟子」も一緒に中に入ります。そして、「見て、信じ」ます。この文の主語は三人称単数形、すなわちこの節の主語である「もう一人の弟子」を指します。彼は、遺体がないのを見て、イエスが復活されたことを信じます。ペトロについては、このような記述はありません。ペトロは遺体がなく、亜麻布と布きれだけが置かれているのを認めますが、「信じた」とは言われていません。ヨハネ福音書では、この「もう一人の弟子」が、イエスの復活を最初に信じた弟子とされることになります。彼は死者たちの中から復活することになっているという聖書を、彼らはまだ理解していなかったからである。(九節)
最初期の教団は、聖書(旧約聖書)全体が来たるべきメシアは死者たちの中から復活すると預言していると理解するようになります(ルカ二四・二五〜二七、四四〜四六参照)。しかし、彼ら(ペトロを代表とする弟子たち)は、この時はまだ聖書をこのように理解していませんでした。それで、ペトロがこの空の墓を見たときには、まだイエスが復活されたと信じることはできませんでした。九節のはじめにある理由を示す小辞《ガル》は、弟子団がこの段階ではまだ信じることができないでいること(ここのペトロがそれを代表しています)を理由づけることになります。その中で、この「もう一人の弟子」が信じたことは、この弟子の聖書理解の正確さと、霊的事態への敏感さを際だたせることになります。ヨハネ共同体は、自分たちの指導者であり、この福音書の伝承の起源となったこの「もう一人の弟子」(二一・二四)が、ペトロが代表する「使徒団」に勝るとも劣らない証人であることを主張しているのです。そこで、この弟子たちはまた自分たちのところに戻った。(一〇節)
これは、エルサレムで彼らが滞在していた場所に戻ったという意味であり、その場所を「彼らの家」と限定することはできません。しかし、この「もう一人の弟子」はエルサレムの住民ですから、彼の家に戻った可能性はあります。「もう一人の弟子」がエルサレムの住民であることについては、拙著『「もう一人の弟子」の物語―ヨハネ文書の成立をめぐって』を参照してください。
ところで、この「もう一人の弟子」を、実在の人物ではなく、著者ヨハネが創作した象徴的な人物であるとする立場(たとえばNTDのシュルツ)では、この弟子とペトロが競合するここの場面は、復活信仰についてペトロが代表するユダヤ人キリスト教と、この「もう一人の弟子」が象徴する異邦人キリスト教の関係を指し示す物語と解釈されますが、この解釈は(NTDのこの箇所の注解を見ても)無理なことが分かります。この「もう一人の弟子」はあくまで実在の人物であり、「週の初めの日」の早朝にこのような出来事が実際にあったとしなければなりません。