結び ヨハネ福音書の受難物語
共観福音書との比較
ヨハネ福音書は一八章と一九章で、逮捕から裁判を経て十字架の処刑に至るまでのイエスの受難を物語っています。このヨハネ福音書の受難物語は、マルコを代表とする共観福音書の受難物語と較べますと、その内容と順序は基本的に同じです。イエスは過越祭のときに逮捕され、ユダヤ教側の裁判を経て、ローマ総督ピラトに引き渡され、ピラトの法廷での死刑判決によって、ローマ式の十字架刑によって処刑されたという内容と順序は変わりません。しかし、かなり重要な点で相違もあります。その違いについては、それぞれの場面の講解のところで触れておきましたが、ここで主要な相違点をまとめておきます。
逮捕の場面では、共観福音書がユダヤ教側の神殿警備員や群衆が逮捕に来ていると描いているのに対して、ヨハネ福音書は千人隊長に率いられるローマの正規軍も出動していることを伝えています(一八・一二)。
ユダヤ教側の裁判については、共観福音書は逮捕されたイエスをまず「大祭司カイアファ」のところに連れて行き、大祭司による尋問の後、夜明けとともに最高法院の法廷を開き、死刑の決定を下したとしています。それに対して、ヨハネ福音書ではアンナスの屋敷に連れて行かれ、アンナスの尋問を受けています。その年の大祭司はカイアファですが、彼の舅のアンナスが大祭司としてイエスを尋問しています。そして、アンナスからカイアファのもとに送られ、最高法院の裁判の記事はなく、直ちにピラトに引き渡されています(一八・二四、二八)。
ピラトの法廷では、イエスがローマの支配に反逆したことが訴因となっていること、ピラトは祭りの特例に従って釈放しようとしたが民衆はバラバの釈放を求めたこと、またピラトは無罪を認めていたのにユダヤ教指導者の圧力に屈して死刑判決を下したことなどは、共観福音書とヨハネ福音書に共通です。ピラトの「お前はユダヤ人の王か」という尋問に対してイエスは「あなたがそう言う」と答えられた裁判の核心部分は同じですが、ヨハネ福音書は共観福音書にはないイエスとピラトとの個人的な対話を挿入しています。
共観福音書では十字架の現場には誰もいず、数人の女性が遠くから見守っているだけですが、ヨハネ福音書では十字架の下に四人の女性と愛弟子がいます。十字架の上でのイエスの最後の言葉は、共観福音書(マルコとマタイ)では「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」という悲痛な叫びですが(ルカは変えています)、ヨハネ福音書では「成し遂げられた」という勝利の宣言になっています。
日時の点でも共観福音書とヨハネ福音書は食い違っています。すでに詳しく見たように、共観福音書は逮捕から十字架上の死に至る出来事はすべて過越祭の当日(ニサンの月の一五日)に起こったこととしていますが、ヨハネ福音書はそれを過越祭の準備の日(ニサンの月の一四日)とし、過越の小羊が殺されるその日の午後にイエスは死なれたとします。この一日の食い違いはいまだに解決していません。
それに、十字架刑の時刻も違います。イエスが十字架につけられた時刻は、共観福音書では午前九時(マルコ一五・二五、ただしマタイとルカでは時刻なしの午前)ですが、ヨハネ福音書では(ピラトの判決が正午ごろですから)正午過ぎになります。イエスは午後三時頃に絶命しておれますから、イエスが十字架上で苦しまれたのは、マルコでは六時間ほど、ヨハネでは三時間足らずということになります。マルコ(一五・四四)はピラトがイエスの早い死を不審に思ったと伝えていますが、ピラトの不審はヨハネの場合はさらに適切です。
埋葬については、アリマタヤのヨセフが遺体を引き取って、近くにあった墓に丁重に葬ったという基本的な内容は同じで、重要な相違はありません。
このように見ると、共観福音書とヨハネ福音書とではイエスの受難についてかなり重要な点で相違があることが分かります。では、歴史的事実としてはどちらが正しいのかとなると、決定することはきわめて困難です。歴史的事実としてはマルコ福音書が優先される場合が多いようですが、エルサレムでの出来事に関しては、ヨハネ福音書の方が正確である場合が多いようです。このような違いが出てくる伝承上の経過を研究することが盛んですが、わたしたちにとってはこのような歴史的事実の相違よりも、イエスの受難を描く視点の違いの方が重要です。この視点の違いについて、以下に触れておきます。
イエスの受難の理由
大祭司を頂点とする祭司長たちや最高法院が形成するユダヤ教指導層が、イエスの宣教を否定して、イエスを取り除くためにローマ総督に引き渡したのですが、ではなぜ彼らがイエスを拒否し憎んだのかという受難の理由になると、共観福音書とヨハネ福音書では微妙に違いが見られます。
マルコ(一一・一八)は、イエスが神殿で過激な行動をして指導層を批判されたのが、彼らがイエスを殺そうとした直接の動機だとしています(ルカも同じ)。しかし、ヨハネは神殿での行動を初期に置いていますから、これが直接の動機とはなりません。その行動のためにイエスのガリラヤでの活動に対していつもエルサレムからの監視団がつくようになり、イエスの言動が彼らの知るところとなって、律法違反の教師、背教を唆す異端の教師という疑いを強めていくことになります。そして、ラザロを生き返らせたという最大の業がエルサレムの近くで行われたとき、民衆への影響と騒乱を恐れたことが、ヨハネ福音書ではイエス殺害の直接の動機とされます。
安息日律法を公然と破るように(彼らには)見えるイエスの言動がイエスへの疑いを強める原因となったことは、共観福音書もヨハネ福音書も同じです。しかし、共観福音書では、イエスの「神の支配」の宣教が実は「恩恵の支配」の宣教であって、「律法の支配」というユダヤ教の原理と対立したことが強調されています。それは、イエスが律法を守れない「罪人」と食卓を共にして仲間とされたことに典型的に示されています。ところが、ヨハネ福音書にはこのようなイエスの言動は伝えられず、イエスと「ユダヤ人」(ユダヤ教指導層を指す)との対立は、もっぱらイエスとは誰か、どういう身分の者かという点に集中しています。
この問題については、共観福音書では最高法院での裁判で、大祭司の「お前はほむべき方の子、メシアなのか」という質問に、イエスが「エゴー・エイミ」と答えて、神からの者であるという身分を証言されたという記事が(マルコに)あるだけです。この答えを聞いて、大祭司は衣を裂いて、これを神への冒?とし、死刑の判決を下します。それに対してヨハネ福音書は、「ユダヤ人」との論争において、イエスは繰り返しこの「エゴー・エイミ」を宣言して、御自身が神から遣わされた者であると宣言しておられます。これを聴いた「ユダヤ人」はイエスを石打にしようとします。すでに公の論争で十分取り上げたためか、最後の大祭司による尋問では、この問題はもはや触れられていません。
このように較べてみると、共観福音書では、イエスはイスラエルの民に律法違反を唆す異端の教師として訴えられ、死刑の判決を下されたという面が前面に出ていますが、ヨハネ福音書は、イエスは自分を神とするという冒?の罪で死に値するとされたと主張していることになります。共観福音書で見るかぎり、地上のイエスは自分がメシアであるとか神の子であると公に宣言しておられません。それが事実であると考えられます。それに対してヨハネ福音書は、復活者イエスを神と等しい方と告白するヨハネ共同体と、それを神への冒?として反対するユダヤ教会堂勢力との激しい論争に支配されています。そのためにイエスを語るこの福音書の記事は、この問題に圧倒されて、イエスの死の理由も自分を神とする冒?の罪に集中する結果になったと見られます。
イエスの受難の意義
受難の理由よりも重要なのは、イエスの十字架の死の意義をどう理解しているか、受難の意義についての相違です。最初期の宣教において、自分たちが救済者キリストとして宣べ伝えるイエスが十字架刑という屈辱の死を遂げた事実をどう理解し意義づけるかが緊急の課題でした。イエスの弟子はみなユダヤ人でしたから、その出来事を聖書(旧約聖書)の成就と受けとめ、イザヤ書五三章を代表とするメシア受難の預言が実現したものと理解しました。それで、最初期の宣教(ケリュグマ)は、「キリストは聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだ」と宣べ伝えたのです(コリントT一五・三)。
ここで十字架上に死んだ方がイエスではなくキリストと言われています。復活して神からキリストと立てられた方が十字架上に死なれたのは「わたしたちの罪のため」とされ、それによってわたしたちの罪が赦される「贖罪」の出来事とされました。この理解はパウロにも受け継がれていますが、パウロは一歩進めて、わたしたちがキリストの死に合わせられて死ぬことによって、復活されたキリストの命に生きるようになるためだとしています。
共観福音書は、基本的には最初期のケリュグマの線でイエスの受難を意義づけています。すなわち、イエスの十字架上の死は「わたしたちの罪のため」であるという意義づけです。そのことは、最後の晩餐の席でイエスが語られた言葉に典型的に示されています。マルコとルカの「多くの人のために流されるわたしの血」という表現もイザヤ書五三章を指していますが、マタイはそれに「罪が赦されるように」という句を添えて明示しています。共観福音書は、このような理解と視点でイエスの受難を物語っていきます。イエスは「わたしたちの罪を担って」死なれるのです。それに、極めて聖書的な「血による契約」という視点が加わっています。
それに対して、ヨハネ福音書には贖罪とか契約という視点はありません。ヨハネ福音書のイエスは、その働きの最初から、御自身が死なれる時を「わたしの時」と呼んで、それを「わたしが上げられる時」と語っておられます。十字架にかけられて地から上げられることと、復活して天に上げられることが重なって「上げられる」と表現されます。そして、それは「栄光を受ける時」となります。
イエスはその時に向かって進んでいかれます。共観福音書では、「引き渡される、苦しみを受ける」と、受難はいつも受動態で語られますが、ヨハネ福音書のイエスはいつも自ら進んで受難の道を歩まれますので、能動態で語られることになります。そしてついにその時が来たとき、イエスは「成し遂げられた」と、使命の完了を宣言してその生涯を終えられます。
ヨハネ福音書において、イエスの死は、最初に「世の罪を負う神の小羊」という伝統的な贖罪信仰を宣言しているにもかかわらず、全体として見ると、地上に父を啓示するために来られた御子が、地上での使命を終えて天の父のもとに帰られる出来事として描かれています。十字架と復活は一体となって、啓示者の天への帰還の出来事となります。ヨハネ福音書はグノーシス文書ではありませんが、こういう点が後世のグノーシス主義と相通じるものがあり、グノーシス主義者特愛の福音書となったと考えられます。