ヨハネ福音書 翻訳と講解 

 第四章 御霊と真理による礼拝


  9 サマリアの女との対話 (4章 1〜26節)

 1 さて、イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、バプテスマを授けておられることがファリサイ派の人々の耳に入った。イエスはそれを知ると、 2 ―― もっともバプテスマを授けていたのはイエス自身ではなく、弟子たちであるが ――3 ユダヤを離れ、再びガリラヤへ去って行かれた。
 4 イエスはサマリアを通り抜けなければならなかった。5 そこで、シカルというサマリアの町に来た。それは、ヤコブが彼の息子ヨセフに与えた土地の近くにある町である。 6 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れ果てて、井戸のそばに座りこんでおられた。時は第六時の頃であった。
 7 サマリアの出の女が水を汲みに来る。イエスはその女に「水を飲ませてほしいのだが」と言われる。 8 弟子たちは食物を買いに町へ行ってしまっていたのである。 9 そこで、そのサマリア人の女はイエスに言う、「あなたはユダヤ人であり、わたしはサマリア人であるのに、どうしてわたしに水を飲ませてくれと頼むのですか」。ユダヤ人はサマリア人とは交わらないのである。
 10 イエスは答えて女に言われた、「もしあなたが神の賜物のことが分かっており、また、あなたに水を飲ませてほしいと言っている者が誰であるかが分かっているなら、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生ける水を与えたことであろうに」。 11 女はイエスに言う、「主よ、あなたは汲むものをお持ちでないし、井戸は深いのです。あなたはどこからその生ける水を手に入れるのですか。 12 まさかあなたはわたしたちの父ヤコブよりも偉いのではないでしょう。彼はわたしたちにこの井戸を与え、彼自身もその子らも、またその家畜もこの井戸から飲んだのです」。
 13 イエスは答えて女に言われた、「だれでもこの水を飲む者はまた渇くであろう。 14 しかし、わたしが与える水を飲む者はいつまでも渇くことなく、わたしが与える水はその人の中で湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう」。
  15 女はイエスに言う、「主よ、わたしが渇くことのないように、また、わたしが水を汲みにここに来なくてもよいように、その水をわたしに与えてください」。 16 イエスは女に言われる、「行ってあなたの夫を呼び、ここに連れてきなさい」。17 女は答えてイエスに言った、「わたしには夫はいません」。イエスは女に言われる、「夫はいないと言ったが、そのとおりだ。 18 あなたには五人の夫がいたが、いま連れ添っているのは夫ではない。あなたは本当のことを言ったのだ」。
  19 女はイエスに言う、「主よ、あなたは預言者であるとお見受けします。 20 わたしたちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています」。 21 イエスは女に言われる、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもなく、父を礼拝する時が来る。 22 あなたがたは知らない方を礼拝しているが、わたしたちは知っている方を礼拝している。救いはユダヤ人から来るからである。 23 しかし、まことの礼拝をする者たちが霊と真理によって父を礼拝する時が来るであろう。いや今がその時である。実に父はこのように礼拝する者たちを求めておられるのである。 24 神は霊である。神を礼拝する者は霊と真理によって礼拝しなければならない」。 25 女はイエスに言う、「わたしは、『油を注がれた者』と呼ばれるメシアが来ることは知っています。その方が来られるときには、一切のことを告げてくださいます」。 26 イエスは女に言われる、「わたしはある。あなたと話している者がそれである」。

イエスのバプテスマ活動

 さて、イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、バプテスマを授けておられることがファリサイ派の人々の耳に入った(一節)。

 イエスがその活動の初期には、洗礼者ヨハネと同じようにバプテスマを授けておられたことは、すでに三章二二節で明言されていました。その段落(三・二二〜三〇)でも、洗礼者ヨハネの弟子が「みんながあの人の方へ行っています」と訴えていたように、イエスの方に集まる人々は多くて、その評判と勢いは洗礼者ヨハネをしのぐものでした。おそらく、イエスのバプテスマ運動にはすでに力ある働き(奇跡)が伴っていて、民衆はイエスに大きな期待を寄せるようになっていたのでしょう。
 
 イエスがユダヤの地でバプテスマ活動をされており、多くの民衆が周囲に集まっていることが「ファリサイ派の人々の耳に入った」、すなわちユダヤ教の宗教当局が注目するところとなります。先にも見たように(一・二四についての注を参照)、この福音書が執筆された時期では、対立するユダヤ教側はファリサイ派だけとなっていましたから、著者はいつもイエスに敵対するユダヤ教指導層を「ファリサイ派」と呼んでいます。
 
 イエスの時代のユダヤ教の指導層(最高法院を構成する人々)は、民衆の間のメシア運動に対して神経質になっていました。それは、カリスマ的な指導者が現れて民衆を糾合し、それがローマの支配に反抗するメシア運動になると、ローマの権力によってある程度認められているユダヤ教団の自治権が危うくなるからです(一一・四八参照)。彼らは洗礼者ヨハネの運動に対しても、その成り行きを警戒して調査団を送っていることが先に述べられていました(一・一九〜二八)。事実、少し後に領主ヘロデは、洗礼者ヨハネの運動が民衆の間に拡大し不穏な状況が起こることを恐れて、彼を投獄し処刑します。

 洗礼者ヨハネの投獄・処刑の理由と事情については、『マルコ福音書講解T』33「バプテスマのヨハネの死」を参照してください。

 御自分のバプテスマ活動がユダヤ教指導層の注目するところとなったことをお知りになったイエスは、「ユダヤを離れ、再びガリラヤへ去って行かれ」ます(三節)。すなわち、ユダヤ教当局の監視の目が厳しいユダヤを離れて、ユダヤとは別の生活圏を形成しているガリラヤ、御自分のお育ちになった土地でもあるガリラヤに去って行かれます。
 
 この時すでに洗礼者ヨハネは捕らえられていたのかどうか、またはイエスは洗礼者ヨハネが逮捕されたことを知ってガリラヤに行かれたのかどうかは、ヨハネ福音書は沈黙しています。共観福音書は、イエスは洗礼者ヨハネの投獄を知ってガリラヤへ行かれた(マタイ四・一二)とか、「ヨハネが捕らえられた後」ガリラヤへ行かれた(マルコ一・一四)としています。洗礼者ヨハネの逮捕は、弾圧の切迫というような外面においても、またイエスの内面においてもイエスの活動の転機になったと考えられますから、共観福音書が伝えるように、ヨハネの逮捕を機にイエスは「ユダヤを離れ、再びガリラヤへ去って行かれた」と見てよいでしょう。
 
 ヨハネ福音書はすでにイエスがガリラヤのカナの婚礼に出向いておられることを伝えていますから(二章)、今回は「再び」ガリラヤへ行かれたと言うことになります。しかし、今回のガリラヤ行きは、前回の場合と異なり、イエスの宣教活動の質が変わる大きな転機となっています。おそらく洗礼者ヨハネの逮捕がきっかけとなった今回のガリラヤ行きの後では、イエスはもはやバプテスマを授けることはなく、バプテスマについて語られることもありません。これまではバプテスマを授けるという形で、イエスの使信は洗礼者ヨハネの宣教と深い関わりの中にありましたが、今回のガリラヤ行きを転機として、イエスの宣教は洗礼者ヨハネとは違う独自の内容を正面に出すことになります。共観福音書とくにマルコはこの転機を劇的に表現していることになります。
 
 なお、この福音書がイエスの行動を「ユダヤを離れ、再びガリラヤへ去って行かれた」と表現しているところに、著者がイエスの活動をエルサレムから見ていることが裏書きされています。
 
 この「イエスはそれを知ると、ユダヤを離れ、再びガリラヤへ去って行かれた」(一〜三節)という構文を破る形で、「もっともバプテスマを授けていたのはイエス自身ではなく、弟子たちである」(二節)という文が挿入されています。この文は、聖霊によってバプテスマする方としてのイエスを強調するこの福音書の立場から、イエスを水でバプテスマする洗礼者ヨハネと同列に置くと受け取られかねない福音書本文の記事を訂正するために、後代に(おそらく写本の段階で)挿入されたものと見られます。しかし、本来の福音書本文は三章二二節や四章一節で、イエスがバプテスマを授けたと明言しているのですから(二つの文の主語はいずれもイエスです)、わたしたちはイエスがバプテスマ活動をされた時期があったという事実から出発してよいでしょう。

サマリアを通って

 「ユダヤを離れ、(北の)ガリラヤへ行く」のに、普通はすぐ北のサマリアを通り抜けるのを避けて、東に向かいヨルダン川を渡り、ヨルダン川の東側を北上し、ガリラヤ湖近くで再びヨルダン川を西に渡り、ガリラヤに入ります。ガリラヤのユダヤ人がエルサレムの祭りに巡礼するときも、同じように、ヨルダン川の東を南下するという迂回路をとりました。それは、ユダヤ人とサマリア人は仲が悪く、ユダヤ人はサマリア人を汚れた異教徒と見ていたので、接触を避けたのです(この事情については後述)。

 この時、イエスはこの迂回路をとらず、まっすぐに北上してサマリアを通り抜けてガリラヤに入ろうとされます。福音書は「イエスはサマリアを通り抜けなければならなかった」(四節)と書いていますが、なぜそうしなければならなかったのかは説明していません。その具体的な理由は推測に委ねざるをえませんが、この選択の結果は明白で重大です。すなわち、イエスがあえてサマリアを通り抜けるという道を選ばれた結果、ユダヤ教徒とは犬猿の仲のサマリア教徒に福音が伝えられ、サマリアにイエスを信じる者たちの群れが生まれたのです。この事実が福音の進展の上で重大な意義を持つことを熟知する著者が、イエスのサマリア通過の旅を、神的必然を含意する《デイ》(ねばならない)を用いて語ったと見られます。
 
 イエスと弟子たちの一行は、ユダヤからまっすぐに北上し、「シカルというサマリアの町に来ます」(五節前半)。シカルは「スカル」とも呼ばれ、エルサレムから北へ約五〇キロにあるシケム遺跡の近くにある現在の「アスカル」という地ではないかと考えられます。著者は「シカル」という町について、「それは、ヤコブが彼の息子ヨセフに与えた土地の近くにある町である」(五節後半)という説明を加えています。「ヤコブが彼の息子ヨセフに与えた土地」というのはシケムを指しています。イスラエル十二部族の先祖であるヤコブが、その死の直前に特別に愛した息子ヨセフに、他の兄弟よりも大きな一つの「分け前」を与えます(創世記四八・二二)。その「分け前」(ヘブライ語で《シェケム》)がそのまま町の名となったのが「シケム」です。
 
 シケムは、イスラエル十二部族の定住地のほぼ中心に位置し、北のエバル山と南のゲリジム山の間にある交通の要衝です。モーセの後継者ヨシュアがここでヤハウェとの契約を結ぶ集会を開いて以来(ヨシュア記二四章)、士師たちが率いた十二部族の宗教連合の時代にはその祭儀の中心地として、さらに王国時代でも北王国イスラエルの最初の首都として、イスラエルの歴史で重要な位置を占めています。捕囚後はサマリア人のものとなりますが、前128年にハスモン王朝のヨハネ・ヒルカノスがシケムの町と近くのゲリジム山のサマリア教神殿を破壊します。その後は近くのシカル(スカル)がこの地域の代表的な町となったようです。サマリアでのイエスの働きの舞台がシケムの後継の町シカルであったことは、深い意味を持つことになります。
 
 このシカルには「ヨセフの墓」と共に、「ヤコブの井戸」がありました(六節前半)。これは、ヤコブが掘り、子孫に残した由緒ある井戸と語り伝えられている井戸です。「イエスは旅に疲れ果てて、井戸のそばに座りこんでおられた」(六節中間部)。これは、イエスを神の子、あるいは地上に現れた神として描くヨハネ福音書において、イエスの人間としての弱さや感情を描く数少ない箇所の一つです(他には一一・三五)。
 
 「時は第六時の頃であった」と、その時刻が説明されています(六節後半)。「第六時」は正午に相当します。真昼の日照の暑さと長途の旅の疲れで、イエスも疲れ果てて、その井戸のそばに座り込まれます。この「時は第六時の頃であった」という時刻の説明は、すぐに登場するサマリアの女の事情を説明する意味もあります。水汲みはふつう朝夕の女性の仕事であったので、この時刻に水汲みに来たのは、この女性が人目を避けていることを意味することになります。

サマリア人の女とユダヤ人のイエス

 「サマリアの出の女が水を汲みに来る」(七節前半)。

 ここからイエスとサマリアの女との対話が始まります。「水を汲みに来る」は現在形で、ここから二六節までのイエスとサマリア人の女との対話の中では、「イエスは言う」とか「女は言う」と動詞はみな現在形が用いられています(ただし一〇節と一三節では「イエスは答えて言われた」という定型句が使われているので過去形)。この現在形は、ドラマ脚本のト書のように、この場面の劇的な進行を生き生きと描いています。

 この女性は、九節では「サマリア人の女」となっています。「サマリア人」は、ユダヤ教とは別と見られていたサマリア教の宗徒を指し、「サマリア教徒」と同じです。それに対して「サマリア」は地名であり、サマリアという都市を指す場合と、都市サマリアを首都とする地域(地方)を指す場合(四節)があります。本節では「サマリア出身の」という形で用いられており、都市サマリアを指していると考えられます(サマリア地方で「サマリア地方出身」というのは意味がありませんから)。この女性は都市のサマリア出身者でシカルに住んでいたことになります(地元の女性ではないという含意)。都市サマリアはシケムから北西に10キロあまりのところにあります。

 イエスが疲れ果てて井戸のそばに座り込んでおられたとき、人目を忍んで一人の女が水を汲みに来ます。正午近くに水を汲みに来るのは、この女性に何か人目を避けなければならない事情があったのでしょう。さらに、この女性はシカルではよそ者であり、町ではのけ者にされて辛い日々を送っていたのでしょう。
 
 イエスはその女に「水を飲ませてほしいのだが」と言われます(七節後半)。この場面がイエスとそのサマリアの女の二人だけの場面であることが、「弟子たちは食物を買いに町へ行ってしまっていたのである」(八節)という文で説明されます。弟子たちが戻ってくる(二七節)まで、対話の場面はイエスと女だけになります。ユダヤ教のラビが女性と一対一で親しく語るのは異例のことです。
 
 そこで、その「サマリア人の女」は驚いてイエスに言います、「あなたはユダヤ人であり、わたしはサマリア人であるのに、どうしてわたしに水を飲ませてくれと頼むのですか」(九節前半)。
 
 ここでこの女性は「サマリア人」と呼ばれています。この名詞は九節に三回出てきます。最初に「サマリア人である女」、二番目では「あなたはユダヤ人で、わたしはサマリア人であるのに」という形で、三番目には「ユダヤ人たちはサマリア人たちと」という複数形で用いられています。三箇所ともサマリアという都市または地域の住民という意味ではなく、「サマリア教徒」という宗徒名です。この呼び方は、当時のユダヤ教徒とサマリア教徒との対立が背景になっています(この対立については後でやや詳しく説明することになります)。
 
 「どうしてわたしに水を飲ませてくれと頼むのですか」という問いは驚きの表現です。ユダヤ人はサマリア人を異教徒の血が混じった汚れた民であるとして、接触を避け、その食器に触れることも汚れとして避けていました。従って、ユダヤ人がサマリア人から提供される飲食物を彼らの食器を使ってとるのはきわめて異例のことになります。この女性は、一人のユダヤ教徒の男性が、一人のサマリア教徒の女性に親しく語りかけ、しかも彼女の器で水を飲ませてくれるように頼んだことに、大いに驚くのです(女であることは問題になっていません)。
 
 このサマリア人の女の驚きを説明するために、著者は「ユダヤ人はサマリア人とは交わらないのである」(九節後半)という説明文を対話の中に挿入します。おそらくこの文は、ユダヤ教徒とサマリア教徒との厳しい宗教的対立を知らない異邦人読者のために、著者または編集者が劇的場面の中に挿入した説明でしょう。

神の賜物

 イエスは答えて女に言われます、「もしあなたが神の賜物のことが分かっており、また、あなたに水を飲ませてほしいと言っている者が誰であるかが分かっているなら、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生ける水を与えたことであろうに」(一〇節)。

 人間は神の賜物を知りません。わたしたちを創造された神は、親が自分の子にすべて必要な食物を備えて与えるように、わたしたちに神の子として生きるのに必要な糧を賜物として、すなわち無条件で与えようとしておられます。それだのに人間は、その神の賜物を求めないで、糧にもならぬ空しいものを求めて苦労しているのです。このことは昔預言者イザヤがきわめて印象的な表現で叫んでいます。
 
 「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め、価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。
 なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い、飢えを満たさぬもののために労するのか。わたしに聞き従えば、良いものを食べることができる。あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう」。(イザヤ五五・一〜二)
 
 また、人間は神の賜物をどこに求めたらよいのかを知りません。様々な宗教が神の賜物を約束して、祭儀を行い、献げ物を捧げ、戒律を守ることを要求してきましたが、それは結局「糧にならぬもののために銀を量って払い、飢えを満たさぬもののために労する」ことでしかないことを思い知るだけでした。
 
 そのような世界に向かって、神の賜物を知り、それをどこに求めるべきかを知る者として、この福音書はそれをサマリア人の女に対するイエスの言葉という形で告知するのです。
 
 もしこのサマリア人の女が、旅に疲れ渇きに苦しんで一杯の水を求めている目の前の一人の人間が、実は神から遣わされた方であることが分かっているなら、この方に頼んで神の賜物を求め、この方から「生ける水」という象徴で指し示されている神の賜物を受けたことであろう。そのように、もし世の人々が、地上で十字架につけられたイエスこそ復活して神の子とされた方であることを知ったならば、その方を信じ、その方に求めることによって、まことの命の糧である聖霊を受けるのだと、この福音書は語ろうとしているのです。
 
 「生ける水」というのは本来、器に入れられた水に対して、「湧き出る水」、「流れる水」を指しています。著者ヨハネはこの表現を、神が与えてくださる尽きざる命、すなわち聖霊を指す象徴として好んで用います。他の箇所(七・三九)では、はっきりと「生ける水」とはイエスを信じる者が受けることになる聖霊を指していると明言されています。ただ、この対話の場面では、イエスはまだ復活者キリストではないし、神の賜物である聖霊も降っていないのですから(七・三九)、「与えたことであろうに」という、事実でない状況の中で述べる形(仮定法)で語られることになります。
 
 イエスが霊のことを語っておられるのに、それを聞く者が地上の身体的または物質的な意味でしか理解しないというすれ違いは、すでにニコデモとの対話においても印象的でしたが、ここでもサマリアの女はイエスの言葉をまったく物質的な意味にしか理解できず、こう言います。
 
 「主よ、あなたは汲むものをお持ちでないし、井戸は深いのです。あなたはどこからその生ける水を手に入れるのですか。まさかあなたはわたしたちの父ヤコブよりも偉いのではないでしょう。彼はわたしたちにこの井戸を与え、彼自身もその子らも、またその家畜もこの井戸から飲んだのです」(一一〜一二節)。

 サマリアの女はイエスに「主よ」と呼びかけています。二六節までの対話で、イエスに対する呼びかけとして《キュリオス》が用いられていますが(一一、一五、一九節)、ここでは復活者キリストを指す称号ではなく、女性が男性に敬意を込めて呼びかけるときの日常語です。

 シケム遺跡の近くには現在も「ヤコブの井戸」と呼ばれる井戸があって、その上に十字軍時代に立てられた教会の納骨堂が残っているとのことですが、その井戸は32メートルも深さがある深い井戸です。この女性はイエスが「生ける水を与えたことであろう」と言われた言葉を、この井戸の水(これも湧き出る水として「生ける水」と呼ばれます)を汲んで与えることとしか理解できず、思わず「あなたは汲むものをお持ちでないし、井戸は深いのです」と言います。さらに、もしどこか他の所から生ける水(湧き出る水)を得て与えるというならば、この井戸を与えた父祖ヤコブと同じかもっと偉い人物になるが、まさかそのようなことはないでしょう、と不審の思いをぶっつけます。サマリアの人たちは、ヤコブに特別に愛されたヨセフ系の部族であるエフライムとマナセの子孫であるとして、ヤコブを自分たちの祖として誇っていました。
 
 それに対してイエスは答えて言われます、「だれでもこの水を飲む者はまた渇くであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者はいつまでも渇くことなく、わたしが与える水はその人の中で湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう」(一三〜一四節)。
 
 この人間の無理解に対してイエスは御自分が与えようとされている賜物がどのようなものであるかを明らかにされます。大地が与える井戸の水は、それを飲んで渇きを癒しても、時間が経てばまた渇くことになります。それに対して「わたしが与える水を飲む者はいつまでも渇くことがない」と言われます。この「与える」は(本節の二回の用例とも)未来形です。先に見たように、ここでのイエスの言葉においては、水は聖霊の象徴として用いられています。聖霊を与えるのは地上のイエスではなく、復活されたイエスですから、この対話の場面では「与える」は未来のことになります。すでに復活者イエス・キリストが信じる者に聖霊を与えてくださっていることを知っているヨハネ共同体は、イエスとサマリアの女との対話という地上の場面に重ねて、「わたしが与える水」、すなわち復活者キリストが与える聖霊は、それを飲む者の中で「湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせる」という、福音の核心を世界に告知しているのです。
 
 地上の水は外から身体に入ってきて渇きを癒しますが、また渇くので繰り返し飲まなければなりません。それに対して、復活者キリストが信じる者に与えてくださる「生ける水」すなわち聖霊は、わたしたちの中に「湧き出る水の泉となる」のです。この内から溢れる聖霊こそ、この福音書の主題である「永遠の命」の実質です。自分の内にこの「湧き出る水の泉」がなければ、いくら外に立派なものを築いても(宗教祭儀や戒律の厳しい実行も)、それはイザヤが言ったように、「糧にもならぬもののために労する空しい労苦」になります。
 
 この「湧き出る水の泉」である聖霊は、神の「賜物」です。それは、「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め、価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ」と言われているように、無代価で無資格の者に与えられる「恩恵の賜物」です。その賜物を受ける場所は、イエスを復活者キリストと信じる信仰の場です。ヨハネ福音書は、世の人がこの信仰によって賜物として聖霊を受け、その聖霊によって永遠の命に生きるようになるために書かれた福音書です。
 
 ここでサマリア人の女に一対一で語られたのとまったく同じことが、やがて七章(三七〜三九節)では、エルサレムの祭りの日に群衆に向かって公に叫ばれることになります。これは同じ使信のたんなる繰り返しではなく、サマリア教徒にもユダヤ教徒にもまったく同じ聖霊の賜物が与えられるという点で、この福音書が示す福音の本質にとって重要な意義をもっています。その意義が以下の対話(一五〜二六節)で明らかにされることになります。

五人の夫

 イエスが「わたしが与える水を飲む者はいつまでも渇くことなく、わたしが与える水はその人の中で湧き出る水の泉となる」と言われたのを聞いて、 女はイエスに言います。「主よ、わたしが渇くことのないように、また、わたしが水を汲みにここに来なくてもよいように、その水をわたしに与えてください」(一五節)。

 イエスは水という象徴を用いて聖霊のことを語っておられるのに、サマリア人の女はここでもまだ物質の水のことを考えています。一度飲めばいつまでも渇くことがないという水があれば、もはや渇きに苦しむことはありません。自分の内に湧き出る泉があれば、もはや炎天下に人目を避けて井戸まで来て、重い水がめを運ぶという苦行をする必要もありません。そんな水は地上ではありえないことは明らかですが、世の人が霊的なことを理解できず、すべて地上での体験の範囲内で理解し、この世での利益だけを求める姿を印象的に描くために、著者はサマリアの女にこう言わせることになります。
 
 ここで「わたしが与える水」とは物質の水ではなく聖霊のことだと言葉で説明しても、この女性が理解できるわけではありません。イエスは、この女性を御霊の世界に導き入れることによって、イエスが言われる「生ける水」とは何かを理解させようとされます。そのためにまず、御自分の言葉がどのような質の言葉であり、それを語る者がどのような者かを示されます。
 
 イエスは女に言われます、「行ってあなたの夫を呼び、ここに連れてきなさい」(一六節)。イエスが女性に夫を呼ぶことを求められるのは、女性の不道徳な生活を暴露するためではなく、過去と現在を透視する霊的能力を現して、イエスが神から遣わされた方であることを示すためです(一章のナタナエルの場合もそうでした)。女性はすべてを見通すイエスの霊的能力と権威に圧倒されて、自分に語りかける方を神から遣わされた人物と認めることになります(一九節と二九節)。
 
 女は答えてイエスに言います、「わたしには夫はいません」。すると、イエスは女に言われます、「夫はいないと言ったが、そのとおりだ。あなたには五人の夫がいたが、いま連れ添っているのは夫ではない。あなたは本当のことを言ったのだ」(一七〜一八節)。
 
 「五人の夫がいた」というのは、この女性がこれまで次々と夫が替わり、五人の夫と暮らしたという過去の生活の実態をイエスが見通しておられることを示しています。この場合、「いま連れ添っているのは夫ではない」というのは、今一緒に生活している男性は正式に結婚している者ではない、すなわち内縁関係の男性ということでしょう。イエスの言葉は、この女性の過去や現在を非難しているのではなく、事実を正確に透視していることを示すだけです。このような生涯は、この女性が不道徳であって男を次々と取り替えたことを意味するとは限りません。病死や離縁などを繰り返す悲運の生涯もあります。それが不道徳の結果であれ悲運の結果であれ、そういう人間の側の事情に関わりなく、イエスはこのような不幸な女性に御霊の真理を与えようとされます。
 
 ところで、この「五人の夫」は比喩的な意味に理解することも可能です。聖書では、北王国イスラエルがアッシリアに滅ぼされた後、異邦の五つの町の住人がサマリアに移住して来て、地元のイスラエル人と結婚し、自分たちの神々を拝むようになったとされています(列王記下一七・二四〜三四)。「五人の夫」というのは、このようなサマリアの人種的・宗教的混淆を象徴すると見ることもできます。この場合、「いま連れ添っているのは夫ではない」というのは、現在のサマリア人が自分たちの神として拝んでいるゲリジム山の神は、正統な契約の相手である主ではないという意味になるでしょう。このように「五人の夫」を象徴的に理解した場合は、ユダヤ教の側から見たサマリア教への批判になりますが、たとえそのような(ユダヤ教からは異端的と批判される)宗教であっても、これから示される「御霊と真理による礼拝」の前では問題はないと主張していることになります。

宗教からの問いかけ

 自分の過去と現在をすべて見通されたイエスの言葉を聞いて、この女はイエスに言います、「主よ、あなたは預言者であるとお見受けします。わたしたちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています」(一九〜二〇節)。

 ユダヤ教では、ヨシヤ王の改革(前620年頃)以来、エルサレム神殿以外の場所での礼拝を一切認めていません。捕囚以後、律法の学びと祈りのための会堂《シナゴーグ》が各地に発達しますが、過越祭などの祭儀はエルサレムに限られ、ユダヤ人は各地から巡礼してその礼拝に参加しました。
 バビロン捕囚から帰還した南王国ユダの人たちがエルサレムに神殿を再建したとき(前530年頃)、協力を申し出たサマリア人を、人種的に混血し宗教的に堕落しているからとして、ユダヤ人は拒否しました。サマリア人は対抗してゲリジム山に自分たちの神殿を建設します(前330年)。ユダヤのハスモン家の大祭司ヨハネ・ヒルカノスがサマリアを攻めてゲリジム山の神殿を破壊しましたが(前128年)、サマリア人たちはその後も神殿跡地で過越祭を守り、ゲリジム山での礼拝を続けていました。このゲリジム山での過越祭は現代に至るまで続いています。

 この女性は、イエスが神から遣わされて神の言葉を語る預言者であると認めます。そして、この預言者に日頃から疑問に感じている宗教問題をぶっつけて、神からの解答を求めます。これは、ユダヤ教とサマリア教との対立、ひいてはすべての宗教間の対立を克服する終末的な霊的現実が到来していることを知り、それを世界に告知しようとする著者が、その主題を導入するために、福音書という対話編で設定した登場人物(ここではサマリア人の女)に語らせている設問です。
 
 その宗教的疑問というのは、サマリア教とユダヤ教とがなぜ対立し、どちらが正しいのかという疑問です。「わたしたちの先祖」サマリアの人々は、「この山」すなわちゲリジム山で自分たちの神ヤハウェを礼拝してきました(この対話はゲリジム山の麓のシケム近くで行われています)。ゲリジム山での礼拝がサマリア教です。それに対して、「あなたがた」、すなわちイエスが属するユダヤ人(ユダヤ教徒)たちは、ヤハウェを礼拝すべき場所はエルサレムの神殿だけであり、その他の場所での礼拝は異端であり間違っていると主張してきました。このユダヤ教から見れば、ゲリジム山で礼拝するサマリア教徒はまことのヤハウェ礼拝から逸脱した異端者であり、異邦人との人種的混淆もあって、ユダヤ教徒が接触してはならない汚れたものでした。この女性は、このような対立の事実をどう理解して対処すればよいのかと問いかけているのです。
 
 この問題はユダヤ教とサマリア教の対立だけの問題ではありません。世界には多くの宗教があり、世界の民はそれぞれ昔から継承してきた固有の礼拝のシステムをもっています。そのそれぞれの礼拝のシステムが宗教です。大抵の場合、人間はどれかの宗教の中に生まれ落ちて、その宗教の中で生き、当然その宗教が唯一絶対の宗教だと思いこんでいます。したがって異なる宗教が遭遇するとき、そこには人間の力では克服することができない対立が生じます。このサマリアの女はこのような宗教間の対立の狭間に身を置いて、どうすればよいのかと問いかけているのです。これは、諸宗教が対立する世界の現実が発する問いかけを代表しています。

御霊と真理による礼拝

 この問いかけに、イエスはサマリア人の女に言われます、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもなく、父を礼拝する時が来る」(二一節)。

 これからイエスが語り出そうとされる内容はあまりにも人間の思いを超えているので、イエスは語り出す前に、「わたしの言うことを信じなさい」と呼びかけておられます。その上で、「この山でもなく、エルサレムでもなく、父を礼拝する時が来る」と断言されます。
 
 「時が来る」は現在形で語られています。これは確実な将来を告知する現在形です。この福音書では、この表現は決定的な神の働きがなされ、新しい時代が始まるような「時」、すなわち終末的な意義を担った「時」の到来を指します。ここでは、もはやこのゲリジム山でもなく、エルサレムでもなく、すべての人が別の原理で父を礼拝する時が来ることを告知しています。すなわち、ゲリジム山で礼拝するサマリア教も、エルサレムで礼拝するユダヤ教もなくなり、これまでの「宗教」上の区別が廃されて、全人類的な礼拝が実現する終末的な時代の到来を告知していることになります。
 
 ところで、実はこの文は、「しかし、そうではなく」という、(二三節冒頭の)反対の事実を導く強い意味の接続詞《アッラ》で二三節に続いています。すなわち、「この山でもエルサレムでもなく、霊と真理によって父を礼拝する時が来る」と、二一節と二三節が対比をなす一連の文を構成しています。その間に、その明瞭な対比を分かり難くする形で、解釈困難な二二節が割り込んできています。
 
 「あなたがたは知らない方を礼拝しているが、わたしたちは知っている方を礼拝している。救いはユダヤ人から来るからである」(二二節)は、解釈が分かれる困難な節です。この言葉をあくまでサマリア人の女に対するイエスの言葉として、ここの「あなたがた」をサマリア人とし、「わたしたち」をユダヤ人とすると、本節の主張は「ユダヤ教は真の宗教であるが、サマリア教は偽りの(または未発達の)宗教である」と言っていることになり、この段落で表明されているユダヤ教とサマリア教の区別はもはや無意味であるという主張と矛盾します。また、本福音書全体における「ユダヤ人」についての見方とも矛盾することになります(八・一九参照)。その場合は、本節全体を後の挿入と見ざるをえないことになります(そう見る注解者も多くいます)。
 
 しかし、「わたしたち」を(この福音書でよく見られるように)著者が代表するキリスト者の共同体(ヨハネ共同体)とすると、「あなたがた」はユダヤ人もサマリア人も含んで、まだ古い「宗教」の枠の中にいる人たちを指すことになり、矛盾はなくなります。ここにも、イエスと相手の対話の中に、ヨハネ共同体の「わたしたち」が世に語りかける使信が重なっているという、この福音書の特色が出ていると理解することができます(三・一一を参照)。
 
 この場合、最後の「救いはユダヤ人から来るからである」という文は、二二節をあくまでイエスとサマリア人の女の対話の枠内で理解しようとした後代の編集者による挿入と見なければならなくなります。たしかに福音は、救い主イエス・キリストが「肉によればダビデの子孫から生まれ」と主張しています(ローマ一・三)。救いがユダヤ人から来るのは事実です。しかし、この文が先行する文の理由づけとしてここに置かれると、二二節をサマリア人に対するユダヤ人の優位を誇る意味にしてしまうことになります。それは二一節の「この山でもなく、エルサレムでもなく」という主張を否定することになるので、括弧に入れざるをえません。
 
 二二節を一応括弧に入れると、サマリア人の女に対するイエスの言葉は、「この山でもなく、エルサレムでもなく、父を礼拝する時が来る。しかし、そのような礼拝ではなく(このような意味が《アッラ》という接続詞一語に込められています)、まことの礼拝をする者たちが霊と真理をもって父を礼拝する時が来るであろう。いや今がその時である」という、きわめて明瞭な対比で構成されることになります。そして、このことこそがヨハネ共同体が宗教的対立に苦しむ世界に語りかける使信なのです。
 
 「霊と真理をもって父を礼拝する」とは、御霊による父との命の交わりをヨハネ流に表現したものです。たしかに、二三節の《プニューマ》には定冠詞がなく、本来霊の次元一般を指すので「霊」と訳していますが、キリストにあっては霊の次元は人間の生まれながらの精神性とか霊性ではなく、上から恩恵によって賜る神の御霊によって成立する霊なる神との交わりの次元です。したがって、ヨハネ福音書が「《プニューマ》において父を礼拝する」と言うとき、それは御霊による父との霊的次元の交わりを指していることになります。
 
 この「霊と真理をもって父を礼拝する」時が来ているというヨハネの宣言は、パウロの福音の延長上にあります。パウロはローマ書八章(とくに一五〜一六節)で、わたしたちキリストにある者は御霊によって「アッバ、父よ」と叫び、神の子として父なる神との交わりに生きるのだと語っています。その現実がここでは「霊と真理をもって父を礼拝する」と表現されているのです。ヨハネは直接パウロを継承しているのではないでしょうが、パウロとヨハネには深い近親性が見られます。
 
 御霊による父との交わりは、ヨハネ福音書の用語では、同時に「真理における」父との交わりです。ヨハネ福音書において「真理」とは、虚偽とか空虚に対するだけでなく、影とか象徴とかに対して実質とか本体(リアリティー)を指す用語です。そして、御霊こそわたしたちを真理(リアリティー)に導き入れてくださる「真理の霊」ですから(一六・一三)、「御霊によって」と「真理によって」が一息に語られることになります。
 
 この対話では、ゲリジム山での礼拝とかエルサレム神殿での礼拝と対比して御霊の現実が語られているので、御霊による父との命の交わりが「礼拝」という宗教用語で表現されています。そして、「御霊と真理をもって」父との交わりに生きることが「まことの礼拝」あるいは「本物の礼拝」として、諸宗教の礼拝行為と対照されます。今キリストにあって御霊による父との交わりの現実に生きるヨハネ共同体は、自分たちこそこのような「まことの礼拝」をしている者であると宣言します。
 
 「しかし、まことの礼拝をする者たちが霊と真理によって父を礼拝する時が来るであろう。いや今がその時である」(二三節前半)。
 
 イエスがサマリアの女に語っておられるときは、「まだ聖霊が降っていなかった」(七・三九)のですから、そのような「時が来るであろう」と未来形で語られています。しかし、すでに御霊によって父との交わりに生きる現実を知っている著者は、すぐに「いや今がその時である」と付け加えます。ここにも、イエスとサマリアの女との対話にヨハネ共同体の世に対する使信が重なっている書き方が見られます。
 
 そして最後に、御霊による礼拝こそ「まことの礼拝」であることを理由づける文を加え、世に向かって「まことの礼拝」に加わるように呼びかけます。
 
 「実に父はこのように礼拝する者たちを求めておられるのである。神は霊である。神を礼拝する者は霊と真理によって礼拝しなければならない」(二三節後半〜二四節)。
 
 このような霊と真理によるまことの礼拝が実現した今、父はすべての人が祭儀による影の礼拝ではなく、霊と真理による「まことの礼拝」を捧げるようになることを求めておられるのだから、キリストに来ることによってこの「まことの礼拝」に加わるようにと、この福音書は世界に呼びかけます。
 
 先に見たように、ここではゲリジム山での礼拝とかエルサレム神殿での礼拝と対比するために「礼拝」という用語で語られていますが、ここで父が求めておられる「礼拝」は、教会や寺院で行われる特別な宗教的礼拝行為が霊的な高揚の中で行われることではなく、日常の生活そのものが御霊によって導かれて神に喜ばれる献げ物になることです。このこともすでにパウロが求めていたことでした。パウロは、ローマ書一〜一一書でキリストにおける救済の現実を語った後、一二章から実践的な勧告に入るとき、その冒頭でこう言っています。「あなたがたの身体を、神に喜ばれる聖なる生きたいけにえとして献げなさい。それがあなたがたの霊的な礼拝です」(ローマ一二・一)。 キリストにあって御霊に導かれてこの身体をもって生きる日々の生き方が「霊的礼拝」となるのです。この「霊的礼拝」が基本原理となるとき、各宗教の礼拝行為は相対化されることになります。
 
 最後に、父がこのように礼拝する者を求められる理由が改めて付け加えられます。これまで人間との関係の中で神は「父」と呼ばれてきましたが、ここで「神は霊である」という神の本性が述べられて、「霊と真理によって礼拝する」必要が根拠づけられることになります。すなわち、神は霊であるから、礼拝する者は御霊によってはじめて、神と現実的な関わり(真理)を持つことができるのです。御霊によらないで人間が自分の行為として捧げる礼拝は、それがどのように壮麗であったり激しいものであっても、神との交わりを形成することはできないのです。それは(パウロの用語では)肉であり、霊なる神との関わりを持つことができないからです。

一切を告げるメシア

 イエスがそのような時が来るであろうと未来形で語られたのを受けて、女はイエスに言います、「わたしは、『油を注がれた者』と呼ばれるメシアが来ることは知っています。その方が来られるときには、一切のことを告げてくださいます」(二五節)。

 この女性は、聖霊が降る以前にいる者として、「いや今がその時である」という言葉を理解できる立場ではありません。そのような霊と真理による礼拝は、将来メシアが世に来られるときに実現するものと期待しています。神が終わりの日に世に遣わしてくださるメシアは、「一切のことを告げてくださり」、今はどうしても解決できないユダヤ教とサマリア教との対立というような問題も解決してくださるのだと期待を表明します。

 ここで「『油を注がれた者』と呼ばれるメシア」と訳した原文は、「キリストと呼ばれるメシア」です。ギリシャ語底本はこの《クリストス》を小文字で始めています。すなわち、福音が告知する「キリスト」という称号(この場合は大文字で始まる)ではなく、「油を注がれた者」という普通名詞として扱っていることになります(一・四一の注を参照)。「キリストと呼ばれるメシア」と訳すと、キリストという称号を指すことになり、サマリア人の言葉としては合わなくなります。サマリア教でも、ユダヤ教と同じく、申命記一八・一八のモーセの預言に基づいてメシアの到来を待ち望んでいました。サマリア教では、来るべきメシアはモーセの再来として待ち望まれており、「ターヘーブ」(再来者)と呼ばれていました。この女性(サマリア教徒)は、申命記一八・一八の「彼はわたしが命じるすべてを彼らに告げるであろう」を、いっさいの疑問を解決する啓示を告げるという意味に取って、その期待を語っています。

 この女性が未来に期待していることが、現にいま目の前に来ているのだとイエスは断言されます。イエスは女に言われます、「わたしはある。あなたと話している者がそれである」(二六節)。
 
 原文では、イエスの答えはまず「わたしはある」《エゴー・エイミ》という重要な言葉が来て、その後に「あなたと話している者が」という主格の名詞が続いています。《エゴー・エイミ》というギリシャ語は、英語の「I AM」に相当する語法で、共観福音書では最高法院での裁判(マルコ一四・六二)とか、湖上に顕現された時(マルコ六・五〇)など、イエスがご自分の栄光の本質を啓示される特別の場合だけに出てくる言葉です。それに対して、ヨハネ福音書では地上のイエスが対話の中でたびたびこの表現を用いておられます(ここや八・二四、八・二八など)。これも、この福音書では地上のイエスが栄光の復活者キリストと深く重なって語られている結果です。ここで福音書は、いまサマリアの女と話しているイエスこそ、栄光の復活者キリストであると世に告知しているのです。

 《エゴー・エイミ》については、拙著『マルコ福音書講解T』278頁の「エゴー・エイミの秘義」を参照してください。

 このように、地上のイエスを物語りながら、栄光の復活者キリストを告知するという重なりは、この福音書の各所に繰り返し出てきます。将来に待ち望まれている終末的な出来事が、今この福音書が告知する栄光の復活者キリストにおいて実現しているのだという宣言は、このサマリア教徒の場合と同じように、一一章ではユダヤ教徒に対して行われています。マルタがユダヤ教徒として死者の復活が終わりの日に起こると期待しているのに対して、イエスは「わたしが復活である」と宣言されます(一一・二四〜二六)。この「わたし」(原文では強調の《エゴー》)は復活者キリストです。


  10 サマリア人の信仰 (4章 27〜42節)

 27 ちょうどそのとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女と話しておられるのに驚いた。しかし、何を求めておられるのかとか、その女と何を話しておられるのかなどと言う者は誰もなかった。 28 そこで女は水がめを置いたまま町へ行き、人々に語る、 29 「さあ、来て見てください。わたしがしたことをすべて言い当てた人がいます。もしかしたら、この人が油を注がれた方ではないでしょうか」。 30 人々は町を出て、イエスのもとに次々と来るようになった。
 31 その間に、弟子たちは「ラビ、召し上がってください」と言って、イエスに勧めた。 32 ところが、イエスは「わたしには、あなたがたが知らない食べ物がある」と言われた。 33 そこで弟子たちは互いに言った、「まさか誰かが食べ物を持ってきたのではなかろう」。 34 イエスは弟子たちに言われる、「わたしの食べ物とは、わたしを遣わされた方の御心を行い、その方の業を成し遂げることである。
 35 あなたがたは『まだ四ヶ月ある。それから刈り入れが来る』と言っているではないか。見よ、わたしはあなたがたに言う、目を上げて畑を見なさい。色づいて刈り入れを待っている。既に 36 刈り入れる者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。種を蒔く者が刈り入れる者と共に喜ぶためである。 37 このことにおいて、『一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる』という言葉は本当になる。 38 すなわち、わたしはあなたがたを遣わして、あなたがたが苦労しなかったものを刈り取らせた。他の人たちが苦労し、あなたがたは彼らの苦労の実にあずかっているのである」。
 39 さて、その町のサマリア人たちは、「この方はわたしがしたことをすべて言い当てました」という女の証言の言葉によって、イエスを信じた。 40 そこで、サマリア人たちはイエスのもとにやって来て、自分たちのところに留まってくださるように頼んだ。それで、イエスはそこに二日間滞在された。 41 そして、さらに多くの人たちがイエスの言葉によって信じるようになった。 42 彼らは女に言った、「わたしたちはもう、あなたが話してくれたから信じているのではない。わたしたちは自分自身で聞いて、この方こそ本当に世の救い主であることが分かったのだ」。

サマリア人の女の証言活動

 ちょうどそのとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女と話しておられるのに驚いた。しかし、何を求めておられるのかとか、その女と何を話しておられるのかなどと言う者は誰もなかった。(二七節)

 イエスとサマリア人の女の対話がここまで来たちょうどそのとき、町まで食べ物を買いに行っていた弟子たちが戻ってきます。弟子たちはイエスがサマリア人の女と話しておられるのを見て驚きます。ユダヤ人がサマリア人と親しく語ることは異例のことです。さらに、ユダヤ教のラビは女性と一対一で話すことはありませんでした。弟子たちは、イエスの宗教的対立や伝統的習慣を超える自由な振る舞いに驚きます。しかし、何を求めておられるのかとか、その女と何を話しておられるのかなどと、あえてイエスに訊ねる者は誰もありませんでした。
 
 そこで女は水がめを置いたまま町へ行き、人々に語る、「さあ、来て見てください。わたしがしたことをすべて言い当てた人がいます。もしかしたら、この人が油を注がれた方ではないでしょうか」。 人々は町を出て、イエスのもとに次々と来るようになった。(二八〜三〇節)
 
 先に見たように、サマリア教徒たちは申命記一八章一八節の預言に基づき、モーセのような預言者が再来して、「一切のことを告げる」時代の到来を待ち望んでいました。その預言者は「ターヘーブ(再来者)」と呼ばれていました。このサマリア人の女は、自分がしたことをすべて言い当てたイエスを、「もしかしたらこの人が、わたしたちが待ち望んでいた、一切を告げる《ターヘーブ》ではないでしょうか」と、町の人々に語ったのだと思われます。福音書の著者は、この《ターヘーブ》をギリシア語で《クリストス》(油を注がれた者)という語を用いて、女の言葉を伝えています。

 原文の《クリストス》は、底本では小文字で始っています。すなわち、ここでも「キリスト」という称号ではなく(この場合は大文字で始まる)、「油を注がれた者」という普通名詞として扱っていることになります。小文字の《クリストス》については、四・二五の注を参照してください。

 この女性は町ではよそ者であり、いかがわしい経歴の女として避けられていました。この女性は、人目を避けて昼間に水を汲みにくるような立場でした。その女性が今や大胆に町の人たちに語りかけます。「油を注がれた者」の到来は、一私人の悩みの解決というような問題ではなく、世界の救済に関わる大ニュース、時代の転換を告げる重大な告知です。それは、個人的な事情や恥を考慮して秘められるべき事柄ではありません。著者はこのことを、サマリアの女の行動を描くことによって訴えているのです。
 
 この女性がサマリアの人々に呼びかけた、「さあ、来て見てください」という言葉は、メシアとしてのイエスに出会ったフィリポがナタナエルに向かって、「来て、見なさい」(一・四六)と言った言葉と同じです。ユダヤ人の間で起こったことと同じことが、ここではサマリア人たちの間で起こっているのだ、と著者は書いているのです。
 

あなたたちの知らない食べ物

 その間に、弟子たちは「ラビ、召し上がってください」と言って、イエスに勧めた。(三一節)

 この女の証言を聞いて、町の人々が次々とイエスのもとにやって来ます。「その間に」、すなわち女が町へ去って行った後、町の人たちがやって来るまでの間に、弟子たちが町で買ってきた食べ物をイエスに勧めたことがきっかけとなって、「食べ物」についてのイエスと弟子たちの対話が行われます(三二〜三四節)。
 
 弟子たちが町で買ってきた食べ物を勧めます。ところが、イエスは「わたしには、あなたがたが知らない食べ物がある」と言われた(三二節)。
 
 この文では「あなたがた」が強調されており、食べ物についてイエスと弟子たちの見方の違いが強調されています。弟子たちは日常の食べ物のことだけしか念頭にありませんが、イエスは別の種類の食べ物ことを考えておられます。この違いの強調は、ヨハネ共同体が、自分たちはこの世の人たちが知らない「まことの食べ物」、すなわち霊なる復活者キリストという食べ物を持っているという自覚(六章)が背景にあって、それをイエスと弟子たちとの対話という形で表明していると見られます。。
 
 そこで弟子たちは互いに言った、「まさか誰かが食べ物を持ってきたのではなかろう」。(三三節)
 
 サマリア人の女がイエスが語られた「生ける水」を井戸の水としか理解できなかったのと同じように、この段階の弟子たちはイエスが霊的な次元での食べ物のことを語っておられるのを理解せず、物質的な次元でしか考えていません。
 
 そこで、イエスは弟子たちに言われる、「わたしの食べ物とは、わたしを遣わされた方の御心を行い、その方の業を成し遂げることである」。(三四節)
 
 この段階の弟子たちが、ひいては世の人たちが知らないイエスの食べ物とは、自分を世に遣わされた父の御心を行い、父の働きを地上で成し遂げることであると、イエスは御自分の秘密を明らかにされます。このことがイエスを世の人々とは違う命に生かす糧であるのです。しかし、このイエスと父との一体性は、この福音書が繰り返し繰り返し語るところで、ここもその一例に他なりません。

刈り入れの時は来ている

 「あなたがたは『まだ四ヶ月ある。それから刈り入れが来る』と言っているではないか。見よ、わたしはあなたがたに言う、目を上げて畑を見なさい。色づいて刈り入れを待っている。既に刈り入れる者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。種を蒔く者が刈り入れる者と共に喜ぶためである」。(三五〜三六節)

 パレスチナでは穀物の種蒔きから収穫までが四ヶ月です。「まだ四ヶ月ある。それから刈り入れが来る」というのは、苦労の成果を刈り取るのはまだ先のことだという意味の諺であったのでしょう。ところで、聖書では「刈り入れ」は終末的な救いの時を指し示す比喩です。それは審判と選別の時であり、同時に歓びに満ちた栄光の顕現の時です(イザヤ九・三、ヨエル三・一三、マタイ三・一二、黙示録一四・一五)。イエスの譬でもこの意味で用いられています(ここ以外ではマルコ四・二九、マタイ一三・三〇など)。「あなたがたは『まだ四ヶ月ある。それから刈り入れが来る』と言っているではないか」というのは、弟子たちがユダヤ教徒の常識として、終末の審判と完成がまだ先のことだと考えていることを指しています。
 
 三五節は、前半の「あなたがたは言っているではないか」と、後半の「わたしは言う」の対照が強調されています。それは現状認識について、あるいは時の認識について、弟子たちとイエスの違いを強調していることになります。そして、この福音書では通例のことですが、イエスと弟子たちとの対照はヨハネ共同体と外の人たちとの対照を語るためです。この場合の「あなたがた」と呼ばれる外の人たちとは、終末の審判と完成を未来に待ち望んでいるユダヤ教徒だけでなく、著者の現在終末論を理解せず、未来のキリスト再臨を待望している一般のキリスト教運動の人々をも指していると見られます。著者はこの諺を用いて、終末はまだ先のことだと言っている人たちの考えを指し、彼らに対して、刈り入れの時がすでに来ていることを強調するのです。
 
 イエスは言われます、「見よ、わたしはあなたがたに言う、目を上げて畑を見なさい。色づいて刈り入れを待っている」。著者はイエスの言葉によって、世界がすでに「刈り入れの時」を迎えていることを宣言しています。他の人たちは刈り入れはまだ先だと言っているが、イエスは既に来ていると断言されます。「目を上げて見なさい」というのは、霊的次元の真相を見るように促す表現です。イエスと共に、「畑が色づいている」、すなわち収穫の時が来ていることを認識するように促しています。

 三五節の末尾に「既に」という語があります(この語を欠く写本もあります)。底本はこの語の前に終止符を付けているので、(この語は三六節の一部となり)「刈り入れる者は既に報酬を受けて――」と訳すことになります(新共同訳)。本訳は底本に従ってこう訳しています。しかし、後ろに終止符をつけて、(三五節の一部として)「既に色づいている」と読むこともできます(岩波版)。三五節後半と三六節は同じことを言っているので、どちらに用いても意味は変わりません。どちらの文も、終末的な「刈り入れ」が既に始まっていることを語っています。ここにも終末の現臨を強調するヨハネ福音書の特色が出ています。

 「既に刈り入れる者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。種を蒔く者が刈り入れる者と共に喜ぶためである」(三六節)。
 
 ここの「刈り入れる者」は、「永遠の命に至る実を集めている」という表現から、福音を宣べ伝える者を指していることが分かります。すでに今、福音の呼びかけに応えてイエスを信じた者には、人を永遠の命に至らせる聖霊が与えられ、その命を持つ者たちがイエスの名のもとに集められているのです。三五〜三八節の「刈り入れ」は、いま現にヨハネ共同体が体験している福音の宣教による終末的な神の民の招集を比喩で語っています
 
 「報酬を受けて」とあるのは、収穫期には臨時雇いの労働者が報酬を受けて収穫作業をしたことが比喩として用いられています。ここで「刈り入れる者」が受けるのは人からの報酬ではなく、神からの報酬です。その報酬が何であるかは語られていませんが、歓びなど、忠実な働きに対する神からの霊的賜物を指すと見てよいでしょう。そのように現に働きの場で受ける報酬だけでなく、来るべき決算の時には、その忠実さに応じたふさわしい形で神の栄光の富にあずかるという報酬を受けることになります。
 
 普通、種蒔きは苦労の時、刈り入れは喜びの時とされます(詩編一二六・五)。そして、収穫の時はすぐには来ないのですから、種を蒔く時は喜びの時ではありません。ところが、福音の宣教においては、御言という種を蒔く時が同時に収穫の時となり、蒔く者は同時に刈り入れる者として喜ぶことができます。「種を蒔く者が刈り入れる者と共に喜ぶ」ということが起こるのです。福音の言葉という種は、それを受け入れる者に直ちに永遠の命に至る実を与えるからです。ここにも「刈り入れ」という終末が、種を蒔く現在においてすでに成就しているというヨハネ福音書の現在終末論が現れています。
 
 「このことにおいて、『一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる』という言葉は本当になる。 すなわち、わたしはあなたがたを遣わして、あなたがたが苦労しなかったものを刈り取らせた。他の人たちが苦労し、あなたがたは彼らの苦労の実にあずかっているのである」。(三七〜三八節)
 
 最初の「このことにおいて」の「このこと」とは、内容から見て、直前の三六節ではなく、直後の三八節を指していると理解しなければなりません。このつながりを示すために、三八節を「すなわち」で始めています。
 
 「一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる」という言葉は、本来自分の苦労が報われないことを嘆く言葉です(ヨブ三一・八、コヘレト二・二一)。それが諺のようになって広く用いられていたのでしょう。ここではその言葉が、福音宣教において起こることを予告する言葉として引用されています。
 
 種を蒔く者と刈り入れる者とが別の人であるという点では諺通りですが、方向は逆になります。諺では、蒔く者の報われない苦労が語られていますが、福音における成就では、蒔く苦労なしの刈り入れが語られます。
 
 地上のイエスも弟子たちを宣教に派遣されました。しかし、ヨハネ福音書には共観福音書で詳しく語られているような派遣記事はなく、弟子たちは復活の霊なるキリストから地上に派遣されているという現在の事実が語られています。ここでも、「わたしはあなたがたを遣わして」と、父から派遣されたイエスが弟子たちを派遣しているという構造で、この福音書独自の派遣記事が構成されています。
 
 「あなたがたが苦労しなかったものを刈り取らせた」とありますが、ここでは(三六節とは異なり)種を蒔く苦労をした者と刈り入れをする者が(三七節の諺のように)区別されています。今弟子たちは、自分が種蒔きの苦労をしなかった実を刈り取っていると言われます。
 
 そこで、先に種蒔きの苦労をした「他の人たち」とは誰を指すのかが議論されることになります。初期のサマリア伝道という局面に限って見て、先にフィリポがサマリアに福音を伝え、その後でペトロとヨハネが派遣されてサマリアに教団を形成したこと(使徒八・四以下)を指すとする見方もありますが、これは福音書の言葉をあまりにも狭く局限していることになります。やはり、これは福音宣教一般について語っていると見なければならないでしょう。そうすると、先に苦労した「他の人たち」、弟子たちが「彼らの苦労の実にあずかっている」とされる「彼ら」とは、(複数形にこだわれば)福音が世に現れるまでの時代に、神のご計画の進展のために苦労したすべての預言者や聖徒たちを指すことになります。いまイエスの弟子たちは福音を宣べ伝えることによって、これまでの聖徒たちが苦労して形成してきた救済史の成就という実を集めていることになります。
 
 しかし、この「他の人たちが苦労し」というところは、彼ら旧約の聖徒たちすべてが目指したことを成就したイエス、すなわち、地に落ちて死ぬことによって多くの実を結ぶ「一粒の種」となったイエス自身をも含むと理解することもできます。弟子たちは、旧約の成就者としてのイエスがその苦難によって成就された結果を収穫していることになります。著者が「他の人たちが苦労し、あなたがたは彼らの苦労の実にあずかっているのである」と書くとき、彼はとくに、「わたしが地から上げられるならば、すべての人をわたしのもとに引き寄せるであろう」(一一・三二)と言われたイエスに思いを馳せているのでしょう。

イエスのサマリア伝道

 さて、その町のサマリア人たちは、「この方はわたしがしたことをすべて言い当てました」という女の証言の言葉によって、イエスを信じた(三九節)。

 この女性の証言は、その町のサマリア人がこぞってイエスを信じるという大きな結果を生みました。これは、サマリアの人たちが「一切のことを告げてくださる」メシアを待ち望んでいたので、「この方はわたしがしたことをすべて言い当てました」という証言に驚いて、イエスを受け入れたからでしょう。
 
 そこで、サマリア人たちはイエスのもとにやって来て、自分たちのところに留まってくださるように頼んだ。それで、イエスはそこに二日間滞在された(四〇節)。
 
 ヨハネ福音書は、「イエスはそこ(シカル)に二日間滞在され」、ご自身がサマリアで伝道されたとしています。このようなサマリアの扱い方に、ヨハネ福音書(ひいてはヨハネ共同体)とサマリアの深いつながりが感じられます。
 
 そして、さらに多くの人たちがイエスの言葉によって信じるようになった(四一節)。
 
 著者はシカルという小さい町だけではなく、背後のサマリア教の中心地であるシケムも含む地域の多くのサマリア人がイエスを信じたことを語っているのでしょう。これはヨハネ共同体には多くのサマリア人が含まれていたことを反映していると見られます。さらに、ヨハネ共同体はサマリアにあったと見る研究者もいます。
 
 彼らは女に言った、「わたしたちはもう、あなたが話してくれたから信じているのではない。わたしたちは自分自身で聞いて、この方こそ本当に世の救い主であることが分かったのだ」。(四二節)
 
 サマリアの人たちは「自分自身で聞いて分かったからだ」と言っています。著者ヨハネは、サマリア人の信仰が他人からの伝聞によるものではなく、直接イエスの言葉に基づくものであり、サマリア人信徒は直接イエスに所属する者であることを強調しています。著者は、サマリア人の共同体はエルサレムのユダヤ人教団と対等の独立した教団であることを強調したいのかもしれません。
 
 サマリアの人たちはイエスを「世の救い主」と呼んでいます。現在ではわたしたちに広く親しまれているこの称号は、新約聖書に現れることは意外に少なく、ここ以外ではヨハネ第一の手紙四章一四節だけです。著者はこの称号で、サマリア人たちがイエスを、ユダヤ人のメシアでもなく、サマリア人の「ターヘーブ」でもなく、世界全体の救いのために神から遣わされた御子であること(三・一六〜一七)を信じたと言おうとしています。著者ヨハネは、イエスが宣べ伝える福音を最初によく理解して受け入れたのは、ユダヤ人ではなくむしろサマリア人であると言っていることになります。

 このように、ヨハネ福音書四章は、イエスご自身がサマリアで福音を伝え、多くのサマリア人が信仰に入ったとしていますが、このイエスの姿は、弟子たちに「サマリア人の町に入ってはならない」と命じられたマタイ福音書(マタイ一〇・五)のイエスとは違います。また、サマリア伝道はイエスの復活後、フィリポやエルサレム教団からの伝道活動によってなされたとするルカ(使徒八・四以下)とも違います。おそらく、歴史的事実としては、イエスはサマリアに入られたことはなく、サマリア人が信仰に入ったのは、イエスの復活後、フィリポたちの伝道活動によるものでしょう。しかし、そのサマリア人信徒たちがかなり多く、ある時点でヨハネ共同体に入ってきたのではないかと推察されます。四章のサマリア人に関する記事は、イエスの時代の状況よりもむしろ、復活後この福音書が成立するまでの時代の状況を反映していると見なければなりません。
 この状況について、R.E.Brown , The Community of the Beloved Disciple は次のように分析しています。―― ヨハネ共同体は成立当初は洗礼者ヨハネの弟子であったユダヤ人を中核とするユダヤ人信徒の共同体であったが、フィリポのようにエルサレム神殿祭儀に批判的なヘレニスト・ユダヤ人たちがサマリアに伝道するに及んで、もともとエルサレム神殿と対立するサマリア人が信仰に入り、彼らがヨハネ共同体に加わるようになる。その結果、ヨハネ共同体は周囲の保守的なユダヤ教徒たちと対立を深め、(サマリア人の信仰を語る四章から後では)「ユダヤ人」全体を論敵とするようになり、ユダヤ教側からは「おまえ(たち)はサマリア人ではないか」(八・四八)と非難されるようになる。ヨハネ共同体と保守的なユダヤ教会堂との対立ないし決裂は、サマリア人の加入だけが原因ではないが、それを触媒として始まったキリストを神とする新しいキリスト論(保守的なユダヤ教のメシア論とは異質な信仰)による。――



  11 遠くの子供をいやす (4章43〜54節)

 43 二日後、イエスはそこを出てガリラヤへ行かれた。 44 イエスご自身、「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」と証言しておられたからである。 45 さて、イエスがガリラヤ来られたとき、ガリラヤの人たちはイエスを受け入れた。彼らも祭りに行っていたので、祭りの間にイエスがエルサレムでなされたことをすべて見ていたからである。
 46 さて、イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。そこはかって水をぶどう酒にされた所である。カファルナウムに王の家臣がいて、その息子が病気であった。 47 この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞いて、イエスのもとにやって来て、下って来て息子を癒してくださるように頼んだ。息子は死にかかっていたのである。 48 イエスは彼に言われた、「あなたがたはしるしや不思議を見なければ、決して信じようとはしないのだ」。 49 王の家臣はイエスに向かって言った、「主よ、わたしの子供が死ぬ前に下って来てください」。 50 イエスは彼に、「帰りなさい。あなたの息子は生きる」と言われた。その人はイエスが彼に言われた言葉を信じて帰って行った。 51 ところが、彼が下って行く途中、彼の従者たちが出迎えて、彼の子供が生きていることを告げた。 52 そこで、彼はよくなった時刻を彼らに尋ねた。すると、彼らは「昨日の第七時に熱が去りました」と言った。 53 父親は、イエスが自分に「あなたの息子は生きる」と言われた時刻であることを知り、彼自身も彼の一家もみな信じた。 54 イエスはユダヤからガリラヤに来て、またこの第二のしるしを行われたのである。



故郷では受け入れられない預言者

 二日後、イエスはそこを出てガリラヤへ行かれた。(四三節)

 四章一〜三節で始まったガリラヤへの旅は、サマリアの町に二日間滞在され(四〇節)、「二日後」そこを出発してガリラヤに向うという行程をとります。そして、イエスがなぜガリラヤへ行かれたのか、その理由がイエスご自身の言葉で説明されます。
 
 イエスご自身、「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」と証言しておられたからである。(四四節)
 
 「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」という言葉は、どの共観福音書においてもイエスの言葉として伝えられています(マルコ六・四、マタイ一三・五七、ルカ四・二四)。共観福音書ではガリラヤとかナザレが「自分の故郷」とされていますが、それに対してヨハネ福音書ではユダヤがイエスの故郷として扱われていることになります。
 
 ヨハネ福音書も、イエスはナザレの育ちであり、「ナザレのイエス」と呼ばれていたことは知っています(一・四五)。おそらく著者ヨハネは、エルサレムこそすべてのユダヤ人の霊的故郷であるという前提で語っていると考えられます。イエスはユダヤ教の本拠地であるエルサレムとユダヤでは受け入れられず、それで「異邦人の地」であるガリラヤに向かわれることになったのだと言おうとしています。

 実際にイエスの故郷がユダヤであるという見方も成り立ちます。誕生物語において、ルカはイエスの両親がナザレからベツレヘムに旅してきてイエスが生まれたとしていますが、マタイにはその旅の記事はなく、ヨセフ一家はベツレヘムの住人として扱われています。そして、ヘロデ王の幼児虐殺を逃れて、エジプトからナザレへ移住したことになっています。どちらの場合も、イエスの生地はユダヤのベツレヘムということになります。ヨセフ一家はもともとユダヤ教の中心地であるユダヤの住人であり、熱心なユダヤ教徒であったことは、イエスの弟のヤコブがエルサレムの住人に律法順守に厳格な「義人」として有名であったことからも示唆されています。

 さて、イエスがガリラヤ来られたとき、ガリラヤの人たちはイエスを受け入れた。彼らも祭りに行っていたので、祭りの間にイエスがエルサレムでなされたことをすべて見ていたからである。(四五節)
 
 イエスは自分の本来の故郷であるエルサレムとユダヤでは受け入れられなかったのでガリラヤに向かわれますが、途中のサマリアで、ユダヤ人からは異教徒よりも悪い異端者とさげすまれていたサマリア人に歓迎され、「ガリラヤに来られたとき」には、「異邦人の地」ガリラヤの人たちはイエスを受け入れます。このような書き方にも、ヨハネ共同体が「ユダヤ人」と厳しく対立し、異邦人世界を志向している姿が出ています。
 
 ヨハネ福音書は、イエスがされた主要な奇跡をエルサレムでなされたものとして伝え、ガリラヤでの奇跡は例外的に扱われています。ガリラヤの人たちがイエスを受け入れたのも、イエスがエルサレムでされた奇跡(二・二三)を見たからであるとされます。この福音書はイエスの活動をエルサレム中心に語っていることがここにも現れています。

遠くの子供の癒し

 さて、イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。そこはかって水をぶどう酒にされた所である。(四六節前半)
 
 イエスはすでに一度ガリラヤのカナに行っておられます(二・一〜一二)。そのときイエスが婚礼の宴で水をぶどう酒にするという「しるし」をなされたことは、読者がよく知るところです。いまイエスは「再び」カナに行かれます。ガリラヤでのイエスの活動を伝えることが少ないヨハネ福音書が、二度までカナでの出来事を詳しく伝えているのは、おそらくガリラヤのカナ出身の弟子ナタナエル(二一・二)が著者またはその共同体と親しい交わりにあったことと関係があると思われます(ナタナエルはヨハネ福音書だけに登場する弟子です)。
 
 カファルナウムに王の家臣がいて、その息子が病気であった。この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞いて、イエスのもとにやって来て、下って来て息子を癒してくださるように頼んだ。息子は死にかかっていたのである。(四六節後半〜四七節)
 
 カファルナウムはカナから約30キロ東にあるガリラヤ湖畔の町です(二・一二参照)。この距離がこの物語では重要な意味を持っています。すなわち、カナでのイエスの言葉が遠く離れたカファルナウムの出来事を起こしたのです。

 「王の家臣」とあるのは、原文では「王室に属するある者」です。四九節では「王室の者」という形で出てきます。当時ガリラヤはティベリアスを首都としてヘロデ・アンティパスが支配していました。彼はローマから任命された「領主」ですが、世間ではヘロデ大王の息子として「王」と呼ばれていました。そのヘロデの家の者を指しています。

 この段落は共観福音書の「百人隊長の息子の癒し」の記事(マタイ八・五〜一三、ルカ七・一〜一〇)との並行記事であると見られますが、ヨハネ版ではローマ軍団の百人隊長ではなく、「王の家臣」となっています。共観福音書では異邦人の百人隊長の信仰が賞賛されていますが(マタイ五・一〇〜一二)、ヨハネ福音書では「王の家臣」がユダヤ人であるか異邦人であるかは問題にされていません。
 
 この「王の家臣」は、息子が病気で死にそうになっていたので、イエスがカナに来ておられると聞いて、イエスのもとにかけつけます。そして、「下って来て息子を癒してくださるように」頼みます。カナはガリラヤ中央部の山地にあり、カファルナウムは海抜下200メートルのガリラヤ湖畔にあるので、カナからカファルナウムに行くことは「下って行く」と表現されます(二・一二でも)。

 「その息子」は原文では「その人の《フィオス》」で、明らかに「息子」を意味しています。共観福音書では百人隊長の《パイス》(マタイ)とか《ドゥーロス》(ルカ)とあるので、「僕(しもべ)」と訳されています。《パイス》には「子供」という意味があるので、もともと自分の子の癒しを求めた人の物語であったと見る方が自然でしょう。

 イエスは彼に言われた、「あなたがたはしるしや不思議を見なければ、決して信じようとはしないのだ」。(四八節)
 
 ここで「あなたがた」と複数形が用いられています。著者は、しるしを見なければ信じないユダヤ人たちの不信仰を嘆いています。それはユダヤ人だけでなく、人間はみな同じです。共観福音書でも百人隊長の願いに対してイエスは拒絶の言葉を発しておられますが(マタイ八・七は拒否の気持ちを示す疑問文)、この福音書ではこのような言葉で拒否の態度が示されます。カナの婚宴でも初めはイエスはマリアの願いを拒否しておられます(二・四)。
 
 王の家臣はイエスに向かって言った、「主よ、わたしの子供が死ぬ前に下って来てください」。(四九節) 拒否されても、状況の切迫から、この家臣はイエスに食い下がります。この態度は百人隊長の場合(マタイ八・八)や、シリア・フェニキアの女の場合(マタイ一五・二七)も同じで、このようにイエスの内に働く神の力と恩恵に縋りきって全存在を投げかけてくる者に、神の恵みの力が働きます。
 
 イエスは彼に、「帰りなさい。あなたの息子は生きる」と言われた。その人はイエスが彼に言われた言葉を信じて帰って行った。(五〇節)
 
 この家臣はまだ結果を見ていません。彼はイエスの言葉だけを信じて、イエスの「帰りなさい」という命令に従います。この行動に彼の信仰が表れています。彼は「しるしや不思議を見ないで」、イエスの言葉を信じたのです。イエスが「息子は生きる」と言われた以上、息子は死ぬことはありません。息子は生きるのです。
 
 共観福音書では、百人隊長は自分の命令の言葉がもつ権威からイエスの言葉を信じる動機を説明していますが、この福音書ではいっさいそういう説明はなく、彼はしるしを見る前にイエスの言葉を信じたという結論だけが述べられています。「見ないで信じる者は幸いである」(二〇・二九)という、この福音書の主張がここにも出ています。
 
 その後で彼が「見ないで信じた」結果が報告され、イエスの言葉が真実であることが語られます。
 
 ところが、彼が下って行く途中、彼の従者たちが出迎えて、彼の子供が生きていることを告げた。 そこで、彼はよくなった時刻を彼らに尋ねた。すると、彼らは「昨日の第七時(午後一時頃)に熱が去りました」と言った。父親は、イエスが自分に「あなたの息子は生きる」と言われた時刻であることを知り、彼自身も彼の一家もみな信じた。(五一〜五三節)
 
 「彼自身も彼の一家もみな信じた」とありますが、当時の家父長制では「彼の《オイキア》」は彼の妻子だけでなく、使用人(奴隷)たちを含む全員を指します。家父長の宗教は、彼の「家」全体の宗教となるのが普通でした。彼がイエスを信じたことにより、彼の家すべてがイエスを信じる信仰に入ることになります。
 
 イエスはユダヤからガリラヤに来て、またこの第二のしるしを行われたのである。(五四節)
 
 ガリラヤではカナの婚宴で水をぶどう酒に変えるという「最初のしるし」(二・一一)が行われていますから、これは「第二のしるし」となります。エルサレムでは多くのしるしがなされているのに、順番はつけられず、ガリラヤでなされた「しるし」が第二まで数えられています。この順番は、著者が用いた「しるし資料」における順番がそのまま用いられた可能性があります。
 
 こうして、ヨハネ福音書四章では、イエスが故郷の民であるユダヤ人には受け入れられず、異端の民であるサマリア人と異邦人の地であるガリラヤの民に受け入れられるようになることが語られます。

 

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