ヨハネ福音書 翻訳と講解 

  一 粒 の 麦

                           ―― ヨハネ福音書 一二章 ――


   40 ベタニアで塗油を受ける   (12章1〜11節)

 1 さて、イエスは過越祭の六日前にベタニアに行かれた。そこにはイエスが死者の中から起こしたラザロがいた。 2 イエスのために夕食の席がそこに設けられ、マルタが給仕していた。ラザロはイエスと一緒に席に着いている者たちの中にいた。 3 すると、マリアが純粋で高価なナルドの香油一リトラをもってきて、イエスの足に塗り、自分の髪の毛でその足を拭った。家は香油の香りで満たされた。 4 弟子たちの中の一人で、やがてイエスを引き渡すことになるイスカリオテのユダが言う、 5 「なぜこの香油を三百デナリオンで売って、貧しい人たちに施さなかったのか」。 6 彼がこう言ったのは、貧しい人たちのことが気がかりであったからではなく、彼が盗人であり、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。 7 そこでイエスは言われた、「彼女のしたいようにさせなさい。彼女はそれをわたしの葬りの日のために取っておいたのだ。 8 貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない」。
 9 イエスがそこにおられるのを知って、ユダヤ人の群衆が大勢でやって来た。それはイエスのためだけではなく、イエスが死者の中から起こしたラザロを見るためでもあった。10 祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。 11 多くのユダヤ人たちが彼のゆえに離れていって、イエスを信じるようになったからである。

 

ベタニアに戻るイエス

 さて、イエスは過越祭の六日前にベタニアに行かれた。そこにはイエスが死者の中から起こしたラザロがいた。(一節)
 前回の一一章の講解で書いたように、過越祭直前のエルサレムの様子を伝える一一章五五〜五七節の段落は、最後の過越祭にイエスがエルサレムに入られることを主題とする一二章の内容に属します。ただ一一章五七節がイエスを殺すことを決意した最高法院の行動に触れていることから、伝統的に最高法院の場面の段落(一一・四五以下)に入れられて、一一章の締め括りとされています。しかしこの段落は、内容からすると本来一二章の一部として扱うべきです。

 そこで見ましたように、過越祭直前のエルサレムは、イエスをめぐる問題で緊迫した状況でした。ラザロのことで、もはやイエスの活動を黙認することはできないとし、イエスを抹殺することを決意した最高法院は、イエスがどこにいるかを知る者があれば届け出るようにという命令を出して、イエスを逮捕するための行動を開始していました。祭りのために各地から巡礼して続々とエルサレムに集まって来たユダヤ人群衆は、このような情勢のエルサレムにイエスは来ないであろうとか、いや、エルサレムに来て何か大きな働きをするだろうとか、イエスの動静を予想したり噂しあって興奮していました。イエスはそのような状況のエルサレムにお入りになるのです。その最後のエルサレム入りが本章(一二章)の主題となりますが、ヨハネ福音書はここで共観福音書とは違う独自の視点でイエスの最後のエルサレム入りを描きます。

 最高法院が自分を殺そうとたくらんでいることを察知されたイエスは、「ユダヤ人たちの間を公然と歩き回ることはなさらず、そこ(ベタニア)から荒野に近い地方へ去って、エフライムという町へ行き、弟子たちとそこに滞在され」ます(一一・五四)。イエスはしばらくの間弟子たちと共に山間の隠れ村のような地に身を潜めて過ごされますが、「過越祭の六日前に」なって、再びベタニアに戻って来られます(一節前半)。しばらく身を隠された後、この時期になってあえて危険な地に戻ってこられたのは、過越祭にエルサレムに入るための決意の表れであると推察されます。

 このベタニアには「イエスが死者の中から起こしたラザロがいた」という説明がつけられて(一節後半)、一一章のラザロの出来事と一二章以下のエルサレムでの出来事の関連が改めて指摘されます。


   
マリアが香油を注ぐ

 イエスのために夕食の席がそこに設けられ、マルタが給仕していた。ラザロはイエスと一緒に席に着いている者たちの中にいた。(二節)

 ベタニアに到着されたイエスは、マルタとマリアの姉妹とその兄弟ラザロの家に滞在されます。その家でイエスのために夕食が用意されます(二節前半)。その夕食の席で「マルタが給仕していた」とあるのは、ルカ福音書(一〇・三八〜四二)のマルタとマリアの記事を思い起こさせます。この姉妹に関して、マルタがイエス一行のもてなしに熱心であったという伝承があったのでしょう。

 イエスが受難の直前にベタニアで香油の注ぎを受けられた記事は、マルコ(一四・三〜九)とマタイ(二六・六〜一三)に並行記事があります。マルコとマタイでは、それは「イエスがベタニアでらい病人シモンの家におられたとき」の出来事とされていますが、ヨハネでは姉妹の「マルタが給仕していた」という事実からも、ラザロの家と見なければなりません。

 「ラザロはイエスと一緒に席に着いている者たちの中の一人であった」(二節後半の直訳)とありますが、この夕食の席にラザロがいたことが強調されている点が、マルコ・マタイの並行記事と違う重要な点です。ヨハネはラザロが生き返った出来事をイエスの受難と深く結びつけ、逮捕の直接のきっかけとしています(九〜一一節)。これは、イエスの神殿での過激な行為を直接のきっかけとしている共観福音書と対照的です。

 すると、マリアが純粋で高価なナルドの香油一リトラをもってきて、イエスの足に塗り、自分の髪の毛でその足を拭った。家は香油の香りで満たされた。(三節)

 マルコ・マタイの並行記事では、イエスに香油を注いだ女性の名は伝えられていませんが、ヨハネはラザロの姉妹の一人マリアであると明示しています。「ナルドの香油」は東アジア原産の植物「甘松香」の根から精製される高価な香油です。「リトラ」は重さの単位で、一リトラは約三二六グラムです。この量のナルドの香油がいかに高価であるかは、ユダがこれを三〇〇デナリオンで売れると言っていることからも分かります。一デナリオンは労働者一日の賃金に相当する額ですから、三〇〇デナリオンはほぼ労働者の一年分の収入に相当することになり、現在の日本では数百万円の価格になります。

 マリアがこの高価なナルドの香油を惜しげもなく注いで、「イエスの足に塗り、自分の髪の毛で彼の足を拭った」ので、「家は香油の香りで満たされ」ます。イエスの足に香油を塗った女性の物語がルカ福音書(七・三八)にもありますが、ルカではその女性は「後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った」となっています。ヨハネには「涙でぬらし」はありません。ルカではその女性の名は伝えられていませんが、ヨハネではラザロとマルタの姉妹マリアであるとされています。

 

四福音書の記事の比較

 ところで、一人の女性がイエスに高価な香油を注いだという記事は四つの福音書すべてにありますが、それぞれがかなり違った形で伝えられています。ここでその異同を概観してまとめておきましょう。

 一人の女性がイエスに高価な香油を注いでイエスを信じ慕う真情を吐露したという出来事は、初期の教団に広く伝承されていたと見られます。その伝承をどのように自分の福音書の中に組み入れて用いるかは、それぞれの福音書によってかなり違ってきています。四つの福音書には、主要な三つの型が認められます。第一はルカの型、第二はマルコ・マタイの型、第三はヨハネの型です。

 ルカ(七・三六〜五〇)は、この出来事をイエスのガリラヤ宣教の時期に置き、イエスが罪深い女の罪を赦された美しい物語に仕上げています。したがって、ルカの記事にはイエスの葬り準備という意味はありません。この女性の名前は伝えられていませんが、敬虔なユダヤ教徒であれば触れることができないはずの「罪深い女(汚れた女)」であるという記事から、売春婦のような職業の女性だとされてきました。そして、「七つの悪霊を追い出していただいた女性」という伝承(マルコ一六・九、ルカ八・二)から、この女性はマグダラのマリアであると推定され、マグダラのマリアが売春婦であったという伝承が形成されるきっかけになりました。実は、マグダラのマリアが売春婦であったという伝承は、グノーシス主義に対抗するために正統派の教会が意図的に形成した伝承で、かなり後の時代のものです。ルカの記事からこの女性を特定することはできません。

 ルカはマルコを知っているはずですから、この出来事を受難の前に置いたマルコに従わないで、あえてガリラヤ宣教の時期に置いたのは、かなり確実な根拠または理由があったからだと推察されます。むしろ、この女性の伝承を受難の前において、イエスの葬りの備えとしての意義をもたせたのはマルコであると考えられます。

 マタイ(二六・六〜一三)はマルコ(一四・三〜九)に忠実に従っており、マルコ・マタイ型の物語を形成しています。この物語は、出来事を受難日の直前に置いて、イエスの葬りの備えであると意義づけている点で、ルカの物語と大きく違います。それに伴って、香油は足にではなく頭に注がれ、全身にしたたるようになっています。この女性の名前が伝えられていないことは同じです。

 ヨハネもマルコ・マタイと同じく、この出来事を受難の前に置いて、イエスの葬りの準備としての意味をもたせています。ヨハネが共観福音書を知っていたかどうかは議論のあるところですが、少なくともマルコ福音書は知っていたのではないかと見られています。この出来事を受難日の前に置いて、イエスの葬りの備えと意義づけるという点で基本的にはマルコ型ですが、物語の内容はかなり違っています。

 これがベタニアで起こったことは同じですが、マルコ・マタイでは「イエスがらい病人シモンの家におられたとき」のことですが、ヨハネではマルタ、マリア、ラザロの三人の家になっています。場所が違うだけでなく、日付も違います。マルコ・マタイでは過越祭の前日ですが、ヨハネでは過越祭の六日前で、エルサレムにお入りになる前日です。

 マルコ・マタイでは、香油はイエスの頭に注がれますが、ヨハネでは香油はイエスの足に塗られ、髪の毛で拭われます。この点ではヨハネはルカに近い描写になっています。また、文句を言ったのは、マルコ・マタイでは「ある人たち」とか「弟子たち」ですが、ヨハネではイスカリオテのユダであると特定され、ユダの裏切りの行為と関連づけられています。

 何よりも大きな違いは、ルカとマルコ・マタイの両方では女性の名前は伝えられていなかったのに対して、ヨハネではラザロの姉妹マリアであるとこの女性が特定されていることです。

 このように相異なる記事から一つの史実を確定することはできませんし、またする必要もないでしょう。それぞれの福音書がこの伝承を用いて語ろうとしている意図を受け止め、その物語の中に信仰への語りかけを聴くことが重要です。ここではヨハネが語る物語に耳を傾けていきましょう。

 

ユダの抗議

 弟子たちの中の一人で、やがてイエスを引き渡すことになるイスカリオテのユダが言う、「なぜこの香油を三百デナリオンで売って、貧しい人たちに施さなかったのか」。(四〜五節)

 高価な香油をイエスに注いだ女性の行為に文句を言ったのは、マルコでは「ある人たち」、マタイでは「弟子たち」ですが、ヨハネではイスカリオテのユダであると特定されます。 

 ユダの名がこの福音書に出てくるのは、ここが二回目です。一回目は六章七一節ですが、そこでもユダはイエスが弟子として選ばれた十二人の中の一人でありながら、「イエスを裏切ることになる」者という説明がついています。

 著者は、あの裏切り者のユダがこう言ったのだと特記して、この抗議の言葉がいかに邪悪な心から出たものであるかを印象づけます。そして、次節で彼がこう言った動機を説明します。

 彼がこう言ったのは、貧しい人たちのことが気がかりであったからではなく、彼が盗人であり、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。(六節)
 著者は、ユダが「金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていた」ことを「盗人である」として、彼が香油を三百デナリオンで売ることを主張した動機としています。すなわち、香油を売った金で、彼がごまかした会計の穴埋めをしようとしたとするのです。

 イエスが選ばれた十二弟子の中の一人がイエスを裏切ったという事実は、初期の教団にとって重荷であったので、裏切りの動機の説明において、ユダをだんだん卑しい人物として描くようになる傾向があります。ユダを「盗人」と決めつけるヨハネの記事は、その傾向のかなり進んだ段階を示していると見られます。

 

葬りの備え

 そこでイエスは言われた、「彼女のしたいようにさせなさい。彼女はそれをわたしの葬りの日のために取っておいたのだ。貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない」。(七〜八節)

 ここで「葬り」と訳している語は、本来「埋葬の準備」を指す名詞ですが、「埋葬」そのものを指すのにも用いられる用語です。ユダヤ人は遺体を埋葬するとき、遺体に香油を塗り、布で包んで墓に納めました。それが「埋葬の準備」です。イエスは御自分の死がそのような正式の「埋葬の準備」も許されない非業の死であることを覚悟しておられたので、マリアの塗油をご自分の埋葬の準備としてお受けになります。イエスは、生きながらにしてすでにご自分を遺体としておられるのです。

 七節のイエスのお言葉は、直訳すると、「彼女がそれ(香油)をわたしの埋葬の日のために取っておいたことになるために、彼女にそれをさせてやりなさい」となります。マリアは初めからこの香油をイエスの埋葬の日に用いようとして蓄えてきたのではないでしょう。しかし、これまでとくに目的を定めず蓄えてきた香油をこの日にイエスに注ぐことによって、これまで香油を蓄えてきた行為がすべてイエスの埋葬の準備としての意味、すなわち神の救済史のかけがえのない出来事に参与するという高貴な意味をもつことになります。そのように、わたしたちもイエスの死に自分を投げ込むとき、これまで自分が蓄積してきたものすべてが、イエス・キリストに仕えるため、キリストにあって神に仕えるためであったという尊い意義を獲得します。

 マリアがどのような動機でイエスの足に香油を注いだのかは、正確に知ることはできません。愛する兄弟ラザロを生き返らせてもらったことへの感謝、日頃深く敬愛する師イエスへの敬意もあったことでしょう。しかし、女性特有の愛の直感から、イエスのただならぬ決意を察し、これが最後の機会になると感じて、自分のもっている最も大切なもの、いや自分自身をすべてイエスに注ぎ込んだのでしょう。重要なのは、マリアの動機ではなく、これをご自分の埋葬の準備とされたイエスのお言葉です。そのお言葉が指しているイエスの死の事実です。このイエスの死がわたしたちために持つ意義です。

 この重要な意義の前には、貧しい人たちへの慈善という善い働きも二の次の問題となります。わたしたちにはまずイエス・キリストとの関係があって、その次に人々との関係が来ます。「わたしはいつも一緒にいるわけではない」と言って、世から去って行かれたイエス、すなわち十字架の死を通って天に帰られた方に自分を注ぎ尽くすことが、人々への奉仕の前になければなりません。

 マリアがイエスの足に香油を注いだとき、「家は香油の香りで満たされ」(三節)、イエスを囲む晩餐の席は、イエスから発するただならぬ霊気と共に、この世のものと思えない場になります。このベタニヤにおけるもう一つの「最後の晩餐」の光景は、イエスの死によって贖われた者たちにとっては、忘れることができない貴重な場面となります。この場面についてマルコ(一四・九)が伝える「世界中どこでも福音が宣べ伝えられるところでは、この女のしたこともまた語り伝えられて、彼女を記念することになる」というイエスのお言葉は、そのままこのヨハネ福音書のベタニアの晩餐についても言えます。

 

ラザロを殺す陰謀

 イエスがそこにおられるのを知って、ユダヤ人の群衆が大勢でやって来た。それはイエスのためだけではなく、イエスが死者の中から起こしたラザロを見るためでもあった。(九節)

 イエスの動向はエルサレム近辺のユダヤ人たちの大きな関心事となっていました(一一・五六)。イエスがベタニアまで来られて、ラザロの家に滞在されていることは、ベタニアのユダヤ人たちからすぐにエルサレムにも伝わったことでしょう。ラザロの葬儀のときもエルサレムから大勢のユダヤ人がベタニアに来ていました(一一・一八〜一九)。その時ラザロを生き返らせたイエスの力ある働きを見たユダヤ人たちは、イエスが再びベタニアに来ておられるのを知って、大勢でやって来ます。それは、大いなる預言者であるイエスを迎えるためだけでなく、死人の中から生き返らされたラザロがその後どのように生きているかを見るためでもありました。

 祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。多くのユダヤ人たちが彼のゆえに離れていって、イエスを信じるようになったからである。(一〇〜一一節)

 ひとたび死んで葬られたラザロが今現実に生きて生活しているという事実は、イエスが神から遣わされた方であり、真実の命を与える方であることの何よりの「しるし」です。この「しるし」を見て、多くのユダヤ人が大祭司の支配するユダヤ教から離れて、神殿体制を批判するイエスを信じる者になりました。ラザロはイエスの権威を指し示す生き証人です。彼の存在は、大祭司を頂点とする神殿ユダヤ教体制を脅かす脅威です。ユダヤ教の実質的な指導層である祭司長たちは、この脅威を除くためにラザロを抹殺することを決意し、そのための謀略を巡らし始めます。

 


  41 エルサレム入り ( 12章 12〜19節)

 12 その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞いて、なつめやしの枝を取り、イエスを出迎えるために出て来て、叫び続けた。
 13 「ホサナ、
   主の名において来るべき者に、
   イスラエルの王に祝福あれ」。
 14 イエスは子ろばを見つけ、それにお乗りになった。次のように書かれているとおりである。
 15 「恐れるな、シオンの娘よ。
   見よ、あなたの王が来る、
   ろばの子に乗って」。
 16 弟子たちは当初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光をお受けになったとき、これらのことがイエスについて書かれてあったのであり、これらのことを人々がイエスにしたのであることを思い起こした。 17 イエスがラザロを墓から呼び出し、死者の中から起こしたとき一緒にいた群衆は、見たことを証した。 18 群衆がイエスを出迎えたのも、イエスがこのしるしを行われたと聞いていたからであった。
 19 そこで、ファリサイ派の者たちは互いに言った、「あなたたちがしたことはすべて無駄であったことを認めなさい。見よ、世はあの男の後について行ってしまった」。


エルサレム入りの日付

 その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞いて、なつめやしの枝を取り、イエスを出迎えるために出て来て、叫び続けた。(一二節)

 「その翌日」、イエスはついにエルサレムに入られます。ベタニヤでの塗油が「過越祭の六日前」ですから(一二・一)、「その翌日」は過越祭の五日前になります。その年の過越祭は金曜日であったので、その五日前は日曜日に当たります。

 イエスを迎える群衆ついて、マルコとマタイでは「(葉のついた)木の枝を切って道に敷いた」とありますが、ヨハネ福音書だけがそれが「なつめやし」の枝であることを伝えています。「なつめやし」は棕櫚(しゅろ)の木のことで、この日曜日が後に「棕櫚(しゅろ)の日曜日」と呼ばれることになります。棕櫚(しゅろ)の木は仮庵祭で救いと統一の象徴として用いられる四種の木の一つであり(レビ記二三・四〇)、勝利を祝うときにその枝が振りかざされました(マカバイ記T一三・五一、ヨハネ黙示録七・九)。

     マルコ福音書では、イエスは「過越の子羊を屠る日に」、過越の食事の準備を命じておられます(一四・一二)。したがって、この日がニサンの月の一四日で、金曜日になります。イエスはエルサレムへ入られた日の「翌日に」神殿から商人たちを追い出し(一一・一二)、さらにその「翌朝早くに」枯れたいちじくを見ておられますから(一一・二〇)、金曜日から丸二日おいて遡った火曜日にエルサレムに入られたことになります。十字架の日付が一日違うなど、マルコとヨハネとの間には、受難週の出来事の日付について重要な相違がありますが、エルサレムでの祭りにさいしてのイエスの行動についてはヨハネ福音書が正確であると考えられます。教会暦もイエスのエルサレム入りを日曜日として「棕櫚(しゅろ)の日曜日」を祝っています。


都に入るメシアへの歓呼

 「ホサナ、
 主の名において来るべき者に、
 イスラエルの王に祝福あれ」。(一三節)

 「ホサナ」は、イスラエルの民がエルサレムに巡礼するときに用いた「ハレル歌集」(詩編一一三〜一一八編)の最後の詩編一一八編(二五節)に出てくる《ホーシーアンナー》(主よ、わたしたちをお救いください)が転化したもので、イエスの時代にはほとんど意味のない「ばんざい!」という喚声になっていました。

 イエスを迎える群衆は棕櫚の枝を振りかざして、「祝福あれ、主の名において来るべき者に」と歓呼します。これは、先の詩編一一八・二五の《ホーシーアンナー》(主よ、わたしたちをお救いください)にすぐに続いて出てくる句です(詩篇一一八・二六)。「来るべき方」は、当時約束されていたメシアを指す呼び方になっていました。ここで群衆は詩篇の言葉を用いて、イエスをメシアとして歓呼していることになります。そのことは、「主の名において来るべき者に」が、続いてすぐに「イスラエルの王に」と言い換えられていることからも明らかです。

 この「イスラエルの王に」という句は詩篇一一八では続いていません。すなわち、これはユダヤ人の群衆がイエスをメシアとして迎えて叫んでいる句になります。マルコでは「我らの父ダビデの来るべき国に」、マタイでは「ダビデの子に」と歓呼したとなっていますが、ルカは「王に」、ヨハネは「イスラエルの王に」としています。どの表現もみな、イエスをイスラエルに約束された王として歓呼していることには変わりはありません。

 

子ろばに乗るメシア

 イエスは子ろばを見つけ、それにお乗りになった。次のように書かれているとおりである。
 「恐れるな、シオンの娘よ。
  見よ、あなたの王が来る、
  ろばの子に乗って」。 (一四〜一五節)

 共観福音書では、子ろばに乗ってエルサレムに入るようにイエスが手配され、イエスの指示に従って弟子たちが子ろばを連れてきたとなっていますが、ヨハネ福音書では、イエスご自身が子ろばを見つけられたことになっています。ヨハネ福音書には、イエスの予知のモチーフはありません。

 共観福音書では、子ろばに乗ってエルサレムの城門に向かわれるイエスに群衆が歓呼したのですが、ヨハネ福音書では「イスラエルの王、ばんざい!」と叫ぶ群衆を見てから、イエスが子ろばに乗られたことになります。そうするとヨハネ福音書は、イエスが子ろばに乗られたのは、当時のユダヤ人民衆のメシア期待に対して、「わたしはあなたたちが考えているようなメシアではない」と言うためにイエスがなされた意図的な象徴行為である、と書いていることになります。

 イエスは子ろばに乗って都に入られます。棕櫚の枝を振りかざして、勝利の凱旋将軍を迎えるように歓呼している群衆の姿と対比して、子ろばに乗るイエスの姿は何と対照的でしょうか。軍馬に乗って堂々と都に入城する凱旋将軍と違って、イエスは大人を乗せて歩くのはやっとという弱々しい子ろばに乗って都に入られます。死ぬことを決意しておられるイエスは、おそらく沈痛な面持ちで群衆を見つめておられたのではないかと推察されます。イエスはエルサレムに入られる直前、エルサレムのために涙を流しておられます(ルカ一九・四一以下)。

 いつも頭を垂れ、重い荷物を背負って黙々と働くろばは、柔和さ、謙虚さ、平和を象徴します。イエスが子ろばに乗られたのは、群衆の「ダビデの子」としてのメシア期待に対して、別のメシア像を示すための預言者的象徴行為でした。権力をもって支配する王ではなく、人々の重荷を背負って、黙して苦しみを担う救済者(メシア)です。

 イスラエルの王となるべき人物が子ろばに乗って来るという預言は、すでに預言者ゼカリヤが語っていました。
 「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って」。(ゼカリヤ九・九)
 このゼカリヤの預言には次の預言の言葉が続いています。
 「わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ、大河から地の果てにまで及ぶ」。(ゼカリヤ九・一〇)
 イエスはこの預言を深く心にとめ、九節と一〇節の対比、すなわち子ろばと軍馬の対比も意識して、子ろばに乗られたのではないかと思います。

     エルサレム入りにさいしてイエスが子ろばに乗られたことについて、それがゼカリヤの預言の成就であるという理解は初期の教団に広く流布していたのでしょう。マタイとヨハネがそれを明記していますが、七十人訳ギリシャ語聖書のゼカリヤ九・九と比べると、マタイ(二一・五)は少し、ヨハネはかなり大きく簡略化しています。マタイは「柔和な方で、ろばに乗り」と、七十人訳ギリシャ語聖書に用いられている「柔和な」という形容詞を残しています。この語はマタイ特愛の用語だからでしょう。マタイではろばが二頭になっている問題については、拙著『マタイによるメシア・イエスの物語』285 頁の注記を参照してください。

 

御霊によって悟る

 弟子たちは当初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光をお受けになったとき、これらのことがイエスについて書かれてあったのであり、これらのことを人々がイエスにしたのであることを思い起こした。(一六節)
 「当初」とは、「出来事が起こったその時には」の意です。その時には、この出来事が預言の成就であること、およびその意義(イエスがろばに乗って都に入られたことの意味)を理解できませんでしたが、後で、すなわち、復活して「イエスが栄光をお受けになったとき」、聖書の預言がイエスについて書かれていることとその意義を弟子たちは悟った、ということです(二・二二の講解を参照)。

 「これらのことを人々がイエスにした」というのも、ここではイエスのエルサレム入りにさいしてエルサレムの群衆が歓呼したことを指しています。それは「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ」という預言の成就だからです。しかし、広く見れば、これだけでなくユダヤ人たちがイエスにしたことはすべて、イエスを殺したことも含めて、聖書に書かれていることが成就した出来事であると悟ることになります。

 当初、出来事が起こったその時には、弟子たちはイエスが子ろばに乗って都に入られたことの意義も、イエスがどのような意味で「イスラエルの王」であるのか悟ることができませんでした。それは、イエスがまだ栄光を受けておられなかったので、弟子たちに御霊が降っていなかったからです(七・三九)。栄光をお受けになったイエスから御霊を受けてはじめて、弟子たちはこの時の出来事が指し示している霊的内実を理解することができるようになったのです。「思い起こした」というのは、たんにその出来事があったのを思い出したということではなく、その出来事の意義を理解した、悟ったということです。

 そのことは後にイエスご自身がこう語っておられます。「だが、かの同伴者、すなわち父がわたしの名によって遣わされる聖霊であるが、その方があなたたちにすべてのことを教え、わたしがあなたたちに話したことを思い起こさせてくださる」(一四・二六)。また、「あなたたちに話しておくべきことはまだ多くあるが、今あなたたちはそれに耐えることができない。しかし、その方、すなわち真理の霊が来るときには、あなたたちをすべての真理に導き入れるであろう」(一六・一二〜一三)。

 一六節は、預言を引用するにあたって、著者または彼の共同体が挿入したコメントです。このようなコメントは、イエスの復活を体験した信徒の共同体が、イエスの出来事の意義を聖書の言葉で理解し、イエスの物語を聖書の預言の成就として構成していった様子をうかがわせます。

 イエスがラザロを墓から呼び出し、死者の中から起こしたとき一緒にいた群衆は、見たことを証した。群衆がイエスを出迎えたのも、イエスがこのしるしを行われたと聞いていたからであった。(一七〜一八節)
 イエスがエルサレムに入られるのを歓呼して迎えた群衆の中には、「イエスがラザロを墓から呼び出し、死者の中から起こしたとき一緒にいた」人たちも大勢いました。彼らがベタニアで見た驚くべき出来事を証言したので、エルサレムのユダヤ人たちの期待はいやが上にも高まり、このような力ある「しるし」を行われた王的なメシアに対する熱烈な歓呼となったわけです。

 そこで、ファリサイ派の者たちは互いに言った、「あなたたちがしたことはすべて無駄であったことを認めなさい。見よ、世はあの男の後について行ってしまった」。(一九節)

 イエスのエルサレム入りの状況においては、この言葉はイエスに敵対する祭司長たちの危機感を示す言葉です。しかし、この福音書が書かれた状況においては、著者が敵対するファリサイ派に向かって、イエスを信じる者を妨げ迫害する彼らの不信仰の働きが、死者を生き返らせるイエスの前ではすべて無駄であることを認識するように求めている言葉が重なっています。それは、この言葉を言ったものが、イエスを殺そうと謀略を巡らした祭司長たちではなく、「ファリサイ派の者たち」だけになっていることからもうかがわれます。この福音書が書かれた時期では、ヨハネ共同体に敵対するユダヤ教はファリサイ派だけのユダヤ教になっていました。


  42 時が来た  ( 12章 20〜36節)

 20 祭りのとき礼拝するためにのぼってきた人々の中に、何人かのギリシア人がいた。 21 ところで、彼らはガリラヤのベトサイダ出身であるフィリポのところに来て、「わたしたちはイエスにお目にかかりたいのです」と言って、彼に頼んだ。 22 フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。
 23 イエスは彼らに答えて言われた、「人の子が栄光を受ける時が来た。 24 アーメン、アーメン、わたしはあなたたちに言う。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままにとどまる。だが、もし死ねば、多くの実を結ぶ。 25 自分の生命に愛着する者は、それを滅ぼし、この世において自分の生命を憎む者は、それを護って永遠のいのちに至る。 26 もし誰かがわたしに仕えようとするのであれば、わたしに従ってきなさい。そうすれば、わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになる。誰かがわたしに仕えるなら、父はその人を尊重してくださるであろう」。
 27 「今わたしの心は騒ぐ。わたしは何と言おうか。父よ、わたしをこの時から救ってください。しかし、わたしはこの時のために来たのだ。 28 父よ、あなたの御名の栄光を現してください」。すると、天から声があった。「わたしは既に栄光を現した。さらに現すであろう」。 29 そばに立っていた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、他の者たちは「天使がこの人に語ったのだ」と言った。 30 イエスは答えて言われた、「この声が起こったのは、わたしのためではなく、あなたたちのためである。 31 今や、この世の裁きの時である。今こそ、この世の支配者は外に投げ捨てられるであろう。 32 わたしが地から上げられるならば、すべての人をわたしのもとに引き寄せるであろう」。 33 イエスは、自分がどのような死を遂げようとしているかを、しるしとして示そうとしてこう言われたのである。
 34 そこで群衆はイエスに答えた、「わたしたちは律法から、メシアはいつまでも留まると聞いています。それだのに、あなたが人の子は上げられると言われるのはなぜですか。この人の子とは誰のことですか」。 35 そこでイエスは彼らに言われた、「まだしばらく、光はあなたたちの間にある。暗闇があなたたちを捕まえることがないように、光のあるうちに歩みなさい。暗闇の中を歩む者は、自分がどこへ行くのか分からないのである。 36 光のあるうちに、光の子となるために、信じて光の中へ入りなさい」。
  イエスはこれらのことを語り、立ち去って彼らから身を隠された。

 

イエスを求めるギリシア人

 祭りのとき礼拝するためにのぼってきた人々の中に、何人かのギリシア人がいた。(二〇節)

 当時のユダヤ人の間では、「ギリシア人」という呼び方は、必ずしも民族とか国籍の名ではなく、ユダヤ教徒から見た非ユダヤ教徒を指す用語でした。彼らはまだ割礼を受けた正式のユダヤ教徒(ユダヤ人)ではないが(すなわち異邦人であるが)、ユダヤ教の神を敬い、会堂に集まって律法を聴いていたのでしょう。そして、ユダヤ教の大祭である過越祭で神を礼拝するためにエルサレムに巡礼してきたと見られます。このような異邦人は「神を敬う者」と呼ばれていました。もしこのギリシア人がすでに割礼を受けてユダヤ教に改宗している者であれば、彼らはすでに「ユダヤ人」であるので、「ギリシア人」と呼ばれることはありません。ヨハネがここで「ギリシア人」を登場させるのは、イエスの死が異邦人の救済にも関わりがあることを示すためであると見られます。

 ところで、彼らはガリラヤのベトサイダ出身であるフィリポのところに来て、「わたしたちはイエスにお目にかかりたいのです」と言って、彼に頼んだ。(二一節)

 イエスは地上でお働きになっている時には、ユダヤ人だけに働きかけるのを原則とされました。弟子たちを宣教に派遣するときも、「異邦人の道に行ってはならない。サマリア人の町に入ってはならない」と命じておられます(マタイ一〇・五)。イエスが異邦人と接触されるのはごく例外的な場合だけでした。異邦人の百人隊長がイエスに子の癒しを願ったとき、それを意外なこととして、「このわたしが(異邦人である)お前の子をいやすのか」と答えておられます(マタイ八・七)。また、ティルスで異邦人の女が娘の癒しを求めたときも、「わたしはイスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と答えておられます(マタイ一五・二四)。

 このギリシア人たちは、イエスの働きを伝え聞いてぜひイエスにお目にかかり、直接その教えを聴きたいと願ったのでしょう。あるいは、病気やその他の問題のために祈っていただきたいと願ったのでしょう。しかし、異邦人の立場で直接イエスのもとに行くことはできないことも承知していて、フィリポに仲介を頼みます。

 彼らがなぜフィリポに頼んだのか、その理由が「ガリラヤのベトサイダ出身であるフィリポ」という句に示唆されています。フィリポは最初から「ベトサイダ出身」と紹介されています(一・四四)。ここでとくに「ガリラヤのベトサイダ出身であるフィリポ」と出身地が強調されているのは、ギリシア人住民が多いギリシア風の都市であるベトサイダ出身のフィリポがギリシア語をよくしたからであろうと見られます。フィリポという名もギリシア名です。フィリポはギリシア的な素養があるユダヤ人であったのでしょう。あるいは、イエスに会いに来たギリシア人たちはベトサイダの住民であって、フィリポの知り合いであったのかもしれません。

 フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。(二二節)

 アンデレも、フィリポと同じベトサイダの出身です(一・四四)。この両名の仲立ちによって、異邦人はイエスに会うことができるようになったという本節の記事は、異邦人世界に福音を告げ知らせようとしているヨハネ共同体にとって、二人が重要な意義を担う使徒であることを反映していると見られます。

 ここに登場するフィリポは、十二使徒の中の一人ですが、共観福音書では十二人のリストに名を上げられているだけです。ヨハネ福音書ではパンの出来事などイエスとの対話が数カ所伝えられていますが(六・五〜七、一二・二一、一四・八)、その後の福音宣教の働きについては報告されていません。

 ところが、もう一人のフィリポ、すなわち、イエスの復活後エルサレムの原始教団においてギリシア語系ユダヤ人の間から選ばれた七人の中の一人であるフィリポ(使徒六・五)は、サマリア伝道をはじめ、地中海沿岸諸都市での伝道に活躍したことが、使徒言行録(八章)にかなり詳しく報告されています。このフィリポは後にカイサリアに居を定め、シリア州で広く活動したようです(使徒二一・八)。この同名の二人が重なって(混同されて)、初期の教団では「使徒フィリポ」を重視する流れがあったようで、後にグノーシス系文書にフィリポの名による福音書が現れることにもなります。

 アンデレも共観福音書では名が上げられているだけですが、ヨハネ福音書ではペトロをイエスに導いた人物として重視され(一・四〇〜四二)、ここやパンの奇跡の場面(六・六)で登場しています。ヨハネ福音書ではペトロ以外の弟子が活躍することが多くなっています。

 問題は、アンデレとフィリポは行ってイエスにこのギリシア人たちのことを話しましたが、それに対してイエスがどう対応されたのかが伝えられていないことです。次節に「イエスは彼らに答えて言われた」とあって、有名な「一粒の麦」のたとえが語り出されますが、その「彼らに」がアンデレとフィリポだけを指すのか、二人の紹介を受けてイエスにお目にかかったギリシア人たちも含むのかが決定できません。このギリシア人たちは、その後どうなったのかは全然触れられることなく、ここで姿が消えます。しかし、重要な「一粒の麦」のイエスの言葉を伝えるのに、ヨハネはこのようなギリシア人の来訪という場面を設定したのですから、このイエスのお言葉が異邦人の救いと深く関わっていることは確実です。そう理解しますと、このギリシア人たちもイエスにお目にかかって、「一粒の麦」のお言葉を聞いたとするのが順当でしょう。

 

「一粒の麦」のたとえ

 イエスは彼らに答えて言われた、「人の子が栄光を受ける時が来た」。(二三節)

 ヨハネ福音書では、イエスはこれまで、苦しみを受けて天に帰る出来事を「わたしの時」と呼んでこられましたが(二・四、七・六、七・八)、今その「わたしの時」が来たと宣言されます。そして、その「時」を「人の子が栄光を受ける時」と呼ばれます。
 著者ヨハネはこれまで、イエスが受難を経て復活される出来事を「イエスが栄光を受ける」という表現で指してきました(七・三九、一二・一六)。ここではイエスが御自分のことを語られる言葉として、主語が「人の子」になります。ヨハネ福音書も、イエスがご自身のことを語られるときには「人の子」という黙示思想の用語を用いて語られたことを伝える語録伝承の用例を継承しているようです。ヨハネ福音書でも、終末的な救済者としてのイエスの働きや権能を語るところでは、この「人の子」という称号が用いられています。共観福音書も、イエスがご自身の受難を語られるときは、「人の子」を主語にして語られたことを伝えていますが(マルコ八・三一、九・三一)、ヨハネ福音書はそれを「人の子が栄光を受ける時」と表現します。

 イエスはすでに、この過越祭こそ「人の子が栄光を受ける時」であると心定めて、エルサレムに入っておられます。そして、異邦人がイエスのもとに来たこの時に、イエスはその時が来たことを明確に宣言されます。「イエスは彼らに答えて言われた」とありますが、彼らは何も質問をしていません。イエスは、自分の前に現れた数名のギリシア人に全世界の諸国民の姿を見て、ご自身の死がすべての人のための死であることを、御霊に迫られて語り出されたものと推察されます。

 「アーメン、アーメン、わたしはあなたたちに言う。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままにとどまる。だが、もし死ねば、多くの実を結ぶ」。(二四節)

 共観福音書では、人の子が受難することを告知したお言葉の直後に、イエスに従おうとする者は苦難を覚悟し、自分を捨てなければならないという言葉が続きます(マルコ八・三一〜三八とその並行箇所)。ヨハネ福音書もここで、人の子の受難の告知(二三節)に続けて、弟子の覚悟に関わる言葉(二五〜二六節)を語りますが、その間にこの福音書独自の福音告知の形式(アーメン句)を用いて、先行する人の子の受難の意義と、後続する弟子の受難の歩みの両方に関わる「一粒の麦」の比喩を入れて、両者を結びつけます(二四節)。この構成は見事という他はありません。

 「アーメン、アーメン、わたしはあなたたちに言う」で始まる宣言は、これまでに何度も出てきましたが、この福音書がキリストの福音を世に告知するさいに用いる独自の形式です。ここではその福音の告知がたとえの形でなされます。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままにとどまる。だが、もし死ねば、多くの実を結ぶ」というのは、わたしたちが日常の中で観察し体験する自然界の事実です。麦粒が地に落ちて発芽する事実を、その麦粒が「死ぬ」と表現することで、これをイエスの死と重ね合わせ、イエスの死がもつ意義を語るたとえにしています。一人のイエスが死なれることによって、多くの人が真実の命に生きるようになるという福音の奥義が、たとえの形で宣言されています。このようにイエスの死の意義を麦の種子をたとえとして語るのはヨハネ福音書だけです。

 実は、福音の事態を種子のたとえで語ることは、初期の福音宣教において広く行われていました。イエスご自身も神の国のこと、すなわち命の世界のことを語るのに種の比喩を多く用いられました。パウロも、福音の核心である復活を語るのに種粒の比喩を用いています(コリントT一五・三五〜三八、四二〜四四)。ヨハネ福音書とそう変わらない時期に成立したと見られる使徒教父文書の一つ、「クレメンスの第一の手紙」(二四・四〜五)も、復活を種の比喩で語っています。その中で、イエスの死の意義を種粒の比喩で印象深く提示したのは、このヨハネ福音書だけであり、この福音書の大きな功績です。

 共観福音書もイエスの死が「多くの人のため」であることを語っていますが、それは「契約の血」という用語が示しているように、旧約聖書の祭儀を背景として表現されています(マルコ一四・二四)。それに対してヨハネ福音書は、地に落ちて死んだ麦粒が多くの実を結ぶという自然界の出来事を比喩として用いて、ユダヤ教徒でなくても誰もが理解できる形でイエスの死の意義を語っています。一人の人イエスが死なれたのは、実にその死によって多くの人が真実の命に生きるようになるためです。

 イエスの十字架の死は、一人の人間の死ではなく、キリストの死、すなわち復活者キリストの死です。復活者キリストがわたしたちすべての者のために死なれ、その死を負った方としてわたしたちに現れるのです(ガラテヤ三・一)。復活者キリストは「十字架につけられたままの姿」で現れるキリストです。このパウロの「十字架されたままのキリスト」《クリストス・エスタウロメノス》を、ヨハネは「栄光を受けたイエス」と表現します。これまで繰り返して見てきたように、ヨハネの「イエスが栄光を受ける」は、十字架を経て復活するイエスを指しています。十字架の死と一体として現れる復活者イエスを指しています。このイエスに合わせられて自分が死ぬとき、人は新しい命、イエスを復活させた命、永遠の命に生き始めます。これは、イエスを信じる者すべてに起こることですから、一人のイエス・キリストの死が多くの人の命となって現れることになります。これが福音の奥義《ミュステーリオン》です。この奥義が、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままにとどまる。だが、もし死ねば、多くの実を結ぶ」という比喩で宣言されているのです。

 「自分の生命に愛着する者は、それを滅ぼし、この世において自分の生命を憎む者は、それを護って永遠のいのちに至る」。(二五節)

 ついに人の子の受難の時が来たことを宣言し、イエスの死の意義を「一粒の麦」の比喩で語ったヨハネは、その比喩を真実の命に生きようと願う者に適用して、真の命に至る道を指し示します。

 「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままにとどまる」ことになります。そのように、「自分の生命に愛着する者は、それを滅ぼす」ことになります。ここに用いられている「生命(いのち)」の原語は、人間の生まれながらの命を指す《プシューケー》です。「永遠のいのち」の「いのち」《ゾーエー》と区別するために、ここでは「生命」と訳しています。なお、「愛着する」の原語は、肉親などの情愛を示す《フィレオー》ですが、ここでは「生命」に対する情愛であるので、執着という意味も含めて「愛着する」と訳しています。

 この「自分の生命に愛着する」は、次の「自分の生命を憎む」と対照して語られていますから、「憎む」についている「この世において」は、意味の上では「愛着する」にもかかっていると見るべきでしょう。「この世において自分の生命に愛着する者」とは、この世の価値だけを追い求め、そこに生の意味や充実を追い求める生き方です。それは快楽や富や名誉などだけでなく、教養や芸術など内面的な価値も含みます。そのような価値の中だけに自分の生命(プシューケー)の充実を求める者は、地に落ちて死なない種粒が一粒のままにとどまるように、その生命だけにとどまり、それ以外の命を受けることはありません。ところが、その生命《プシューケー》は必ず死にます。それは死に定められた生命ですから、その生命だけにとどまることは、結局生命を滅びに委ねることになります。

 それに対して、地に落ちて死ぬ種粒が多くの実を結ぶように、「この世において自分の生命(プシューケー)を憎む者は、それを護って永遠のいのち(ゾーエー)に至る」ことになります。「憎む」は「愛着する」の反対です。共観福音書では「自分を捨てる」(マルコ八・三四と並行箇所)と表現されていますが、ヨハネ福音書ではさらに強く「自分の生命を憎む」と表現されます。この表現は、地上の生命が生み出す文化的な諸価値を無視することを求めているのではなく、地上の生命に執着せず、キリストのためには捨てる覚悟をもつことを指しています。

 「この世において自分の生命(プシューケー)を憎む者」とは、この世に生きる主体としての自己が、キリストの死に合わせられて死ぬ者を指しています。これは仏教の厭離穢土の思想とは別です。汚れたこの世を厭い、汚れた世から離れて生きようとする思想とは違います。この思想では、厭い憎むのは穢土であって、生きる主体としての自己はそのままとどまっています。それに対して福音は、この世の価値に生きる自分が死ぬことが、真実のいのちに至る道であることを指し示しているのです。

 キリストの死に合わせられて自分が死ぬ者は、「それを護って永遠のいのちに至る」ことになります。ここの「それを護って」の「それ」は、文法上は「自分の生命《プシューケー》」を指します。しかし、この節全体の内容は、この世における生命(プシューケー)に愛着せず、それを憎み失うことによって、この世に属さない別種の「いのち(ゾーエー)」を得ることですから、《ゾーエー》を得ることが《プシューケー》の意義(わたしたちがこの世に生きた意義)を全うすることになるという意味で、「それを護って」と言われていると理解することができます。

 「もし誰かがわたしに仕えようとするのであれば、わたしに従ってきなさい。そうすれば、わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになる。誰かがわたしに仕えるなら、父はその人を尊重してくださるであろう」。(二六節)

 ヨハネ福音書における「わたし」は、復活者イエスと地上のイエスが重なっていることに留意しなければなりません。二六節は、復活者イエスに仕え、復活者イエスのいのちに生き、復活者イエスを世に現そうとする者は、地上のイエスに従い、地上のイエスが受けた苦難を身に受けて歩む覚悟を求めています。先の二五節とこの節は、共観福音書の「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである」(マルコ八・三四〜三五)という語録のヨハネ版と言えます。

 イエスの苦難を身に受けて従う者には、「わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになる」という約束が与えられています。「いることになる」という動詞は未来形です。イエスの苦難を身に受けて、イエスに従い仕える者だけが、復活者イエスの霊の次元に生きるようになる、という約束です。この約束は、後で一三〜一六章において詳しく展開されることになります。
 このようにイエスに仕える者は、「父はその人を尊重してくださるであろう」と約束されます。父がイエスを尊重されたように、父はイエスに仕える者を尊重してくださるという約束です。イエスに仕えることによって受ける苦難には、父がイエスに与えられたような復活の命と栄光が、父から与えられます。そういう形で父はイエスに仕える者を「尊重して」くださいます。イエスに仕えるということは、イエスの戒めを守り行うというような倫理道徳の問題ではなく、苦難の中で復活の命を顕すということです。

 そのもっとも典型的な実例は使徒パウロの生涯です。パウロは自分の生涯の体験からこのように告白しています。
 「わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために」(コリントU四・一〇〜一一)。
 このように語る使徒パウロこそ、「イエスに仕える」者の典型です。

 

ヨハネ福音書のゲツセマネ

 「今わたしの心は騒ぐ。わたしは何と言おうか。父よ、わたしをこの時から救ってください。しかし、わたしはこの時のために来たのだ。父よ、あなたの御名の栄光を現してください」。(二七〜二八節前半)

 数人のギリシア人が面会に来た場面で、イエスは「時が来た」と宣言され、ご自分の受難の意義を語り出されましたが、その後突然に、「今わたしの心は騒ぐ。わたしは何と言おうか。父よ、わたしをこの時から救ってください」と、ご自身の心情を吐露し始められます。

 「心」の原語は《プシューケー》です。「魂」と訳してもよいでしょう。「心は騒ぐ」とは、魂が震撼し苦悶している様を語り出しています。「栄光を受ける時」が来たとき、イエスがこのようにその魂に深い怖れと苦悩を覚えられたことは、この「栄光」の中には神の裁きの下に死ぬ苦悩が含まれていることを、イエスは予感されているからです。この苦悩は、共観福音書では「ひどく恐れてもだえ始め」と記されています(マルコ一四・三三)。

 イエスは、「父よ、わたしをこの時から救ってください」と祈られます。この文を疑問文と読む読み方もあります。すなわち、先行する「何と言おうか」の内容を示す疑問文として、「父よ、わたしをこの時から救ってください、と言おうか」と理解するのです(RSV、新共同訳をはじめ最近の訳に多い読み方です)。この訳は、イエスは実際にはこう祈られなかったことを示唆しますが、そうすると後続の文との緊張は弱まります。私訳では(協会訳も)、イエスが実際こう祈って直面する苦悩から救われることを切望されたが、同時に直後の言葉でその願いを克服する決意を示されたと理解しています。これは、共観福音書のゲツセマネの記事で、イエスが「この杯を取り除いてください」と祈られた後、「御心が行われますように」と言って、この杯を受ける決意を示された記事と対応することになります。

 イエスは、予想される十字架刑という怖ろしい処刑を恐れてこう祈られたのではありません。多くの殉教者たちが残酷な刑罰を恐れることなく、聖霊の満たしの中で信仰を告白して、従容として死んでいきました。イエスの受難は信仰告白のための殉教ではなく、人間の罪を贖うための贖罪の死です。神の裁きの下に、神から見捨てられ、呪われた者として死ぬのです(ガラテヤ三・一三)。子として父との親しい交わりに生きてこられたイエスにとって、これほどの苦悩はありません。もし自分がこのような苦しみを受けないで人間が救われる方法があるならば、自分から「この杯を取り除いて」別の方法をとってくださいと願わないではおれないのです。

 しかし、イエスはこの願いを、共観福音書では「御心が行われますように」という祈りによって、そしてヨハネ福音書では「しかし、わたしはこの時のために来たのだ」という使命の自覚によって克服されます。ヨハネ福音書は、イエスの死と復活の出来事をイエスが出現されたことの目的としています。イエスご自身が初めからそれを自覚して、それを「わたしの時」という言葉で表現してこられたとしています。共観福音書がイエスの死を「引き渡される」という受動態で語るのに対して、ヨハネ福音書は、イエスが自覚的かつ能動的にこの時に向かって歩まれたことを強調しています。ヨハネ福音書のイエスはこう言われます、「その命をわたしから奪う者はだれもいない。わたしが自分からその命を捨てるのである。わたしは自分の命を捨てる力があり、それを再び得る力がある。この定めを、わたしはわたしの父から受けた」(一〇・一八)。

 使命の自覚でご自分の願いを克服されたイエスは、ただ「あなたの御名の栄光を現してください」と祈られます。この祈りは、「主の祈り」の最初の「父よ、あなたの名があがめられますように」という祈りと同じです。イエスはこの祈りをもって生涯を貫かれた方です。子として父から見捨てられるという苦悩をも、父から与えられた使命を全うすることで、父がその栄光を現されるようになることだけを願う祈りで克服されます。共観福音書のゲツセマネでは、「この杯を取り除いてください」という願いを「御心が行われますように」という祈りで克服されます。ヨハネ福音書では、「この時から救ってください」という願いを「あなたの御名の栄光を現してください」という祈りで克服されます。この両方が「主の祈り」に含まれていることが注目されます。この二つは一つで、イエスの生涯を貫く根本的な祈りです。これは、父の御心と栄光の前に自分を無にする姿勢です。この祈りに、「自分を無にして・・・・・死に至るまで、それも十字架の死に至るまで」(フィリピ二・七〜八)従われたキリスト・イエスの姿が現れています。

 この場面は「ヨハネ福音書のゲツセマネ」と呼ばれています。この場面は、先のギリシア人たちの来訪から続いており、弟子たちも居合わせています。それに、次節では群衆もいたことが語られています。この状況は、連れてきた内輪の三人の弟子からも離れ、夜の暗闇の中でひとり祈られた共観福音書のゲツセマネの場面とは、随分様子が違います。しかし、イエスが苦しみを受ける直前に、心を騒がせ、苦悶の中でその苦しみが取り除かれるように祈られたという事実は共通しています。おそらく実際の出来事としては共観福音書が伝えるような場面があったのでしょう。しかし、ヨハネはその伝承を、自分の福音書の構成の中でこのような形で用います。イエスが十字架の苦難を、けっして殉教者の確信と平安の中で受けとめられたのではなく、神の裁きの下に死ぬ苦悩の中で受けておられるという神秘を垣間見させるこの伝承を、ヨハネも大切にしていることが分かります。その意味でこの箇所を「ヨハネ福音書のゲツセマネ」と呼ぶことは当を得ていると言えます。

 

天からの声

 すると、天から声があった。「わたしは既に栄光を現した。さらに現すであろう」。(二八節後半)

 このようにイエスが「あなたの御名の栄光を現してください」と祈られたとき、その祈りに応えて天からの声が聞こえました。その声は、「わたしは既に栄光を現した(過去形)。さらに現すであろう(未来形)」という声でした。この声は、父はイエスが行われた多くの「しるし」によって既に栄光を現されたが、これから起こるイエスの死と復活の出来事によって「さらに」大きな栄光を現すことになることを指しています。

 そばに立っていた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、他の者たちは「天使がこの人に語ったのだ」と言った。(二九節)

 天から来た声はイエスだけに聞こえたのではなく、周りの群衆にも聞こえました。その声があまりにも圧倒的な響きで迫ったので、群衆はその天からの声の響きを「雷が鳴った」とか、「天使がこの人に語ったのだ」と感じて、互いに驚きを語り合いました。

 イエスは答えて言われた、「この声が起こったのは、わたしのためではなく、あなたたちのためである」。(三〇節)

 イエスはすでに、ご自分の働きと受難の出来事が父の栄光を現す出来事であることを知っておられます。このときに、このような天からの声が起こったのは、事(イエスの受難)が起こったときに周囲の人たちがイエスを信じることができるようになるためです。

 共観福音書では、イエスがバプテスマを受けたときに「あなたはわたしの愛する子」という天からの声が聞こえます(マルコ一・一一)。また、山上の変容のさいイエスの受難について語られたときに、「これはわたしの愛する子」という声が雲の中から聞こえます(マルコ九・七)。ヨハネ福音書には、その両方ともありませんが、ここで、すなわち受難の直前に、イエスの苦悩の祈りに応えて、天からの声が、イエスこそ神の栄光を現す方であることを、公に宣言します。

 

上げられる人の子

 「今や、この世の裁きの時である。今こそ、この世の支配者は外に投げ捨てられるであろう」。(三一節)

 本節で二回繰り返される「今」は、「人の子が上げられる時」、すなわち主イエスの十字架と復活が起こった時を指しています。イエスがユダヤ教の宗教法廷とローマの法廷で裁かれて死なれた時、実はイエスを裁いている「この世」が神によって裁かれているのだと、この福音書は宣言します。そして、その裁きの内容を後半で、「この世の支配者たちが外に投げ捨てられる」ことと説明します。

 「この世の支配者」とは、この世《コスモス》を支配している諸霊の頭(かしら)のことです。「支配者」《アルコーン》というのは、当時の宇宙観では、階層をなす諸天(七層と見られる場合が多い)の各層を支配する霊的存在を指しています。パウロ書簡(とくにパウロの名による書簡)にも、「権威」《エクスーシア》と「勢力」《デュナミス》と並んで、宇宙を支配する諸霊として言及されており、後にはグノーシス主義的な文書に多く出てきて、その救済論の中で重要な構成要素となる名称です。ここでは、定冠詞つきの単数形で出て来ますので、そのような諸霊の首領を指し、ヨハネ福音書ではサタンを指しています(一四・三〇、一六・一一)。

 イエスが「上げられる時」、すなわち十字架の死を経て復活者の栄光に上げられるとき、「この世の支配者」は「外に投げ捨てられ」ます。彼は支配の座から追われて、神の支配の領域、神の栄光の領域の外へ投げ捨てられます。キリストの十字架と復活の出来事は、霊的宇宙《コスモス》の支配権が交代する時であるのです。

 ここの「投げ捨てられる」という動詞は未来形です。この支配権の交代は、著者の目にはすでに起こった事実ですが、あくまで死の前に語っておられる地上のイエスの言葉の中では未来形になります。「外へ投げ捨てられる」は、終末の審判によって神の支配から閉め出されることを指すのに、共観福音書にもよく用いられる表現で(マタイ七・二二、八・一二、二二・一三、二五・三〇など)、黙示思想から来ていると見られます。

 「わたしが地から上げられるならば、すべての人をわたしのもとに引き寄せるであろう」。(三二節)

 「地から上げられる」という表現は、ヨハネ福音書においてはイエスが十字架につけられて地面から引き上げられることと、復活して地上から天に引き上げられることの両方を含んでいます。ここでは、突き落とされる石打の刑とは対照的に、地面から高く挙げられた形で処刑される十字架刑が示唆されています。

 恥辱にまみれた十字架刑の死が「すべての人を引き寄せる」という逆説が成り立つのは、その死が栄光の場に上げられた復活者キリストの死であるからです。「すべての人」は、ユダヤ人と異邦人の区別なく、人間である限りのすべての人を指しています。十字架された復活者キリストは、世界の万民を自分のもとに引き寄せ、そのことによって万民を神に立ち返らせる救済者となります。ここではじめて、フィリポとアンデレの仲介でイエスのもとに来ようとしたギリシア人たちの願いが満たされる場が明らかにされることになります。

 イエスは、自分がどのような死を遂げようとしているかを、しるしとして示そうとしてこう言われたのである。(三三節)

 著者ヨハネ(あるいは編集者)は、このイエスの言葉(三二節)に、説明を付け加えます。イエスが「地から上げられる」と言われたのは、イエスが「どのような死によって死のうとしているか」(直訳)を予め語ることによって、ご自分の死が神の御旨の中の出来事であることを「しるし」として示されたのだとします。

 そこで群衆はイエスに答えた、「わたしたちは律法から、メシアはいつまでも留まると聞いています。それだのに、あなたが人の子は上げられると言われるのはなぜですか。この人の子とは誰のことですか」。 (三四節)

 イエスが「地から上げられる」という形でご自分の死を語られたので、それを聴いた群衆は、自分たちが期待しているメシアとは違うといぶかり、答えます。

 「わたしたちは律法から聞いています」いうのは、「聖書から教えられて信じている」の意です。ユダヤ人たちは「メシアはいつまでも留まる」と言っていますが、聖書には直接メシアの永生を語る箇所はありません。おそらくサムエル記U七・一三やイザヤ九・六、詩編八九・三七など、ダビデの王座が永遠であることを予言する箇所が念頭にあるのでしょう。

 当時のユダヤ教におけるメシア待望の内容は様々ですが、少なくとも敵対者から命を奪われて、地から取り去られるメシアはありえません。メシアは神の民イスラエルを支配する異教権力を打ち破って、イスラエルの栄光を回復する指導者でなければなりません。

 そうであるのに、イエスが「すべての人をわたしのもとに引き寄せる」とメシア的な発言をしながら、ご自分の死について語られるのは理解できません。

 ヨハネ福音書では、イエスはご自分の死を「わたしが地から上げられる」という形で語られることもありますが(三二節)、他の箇所では「人の子」が上げられるという表現で語っておられます(三・一四、八・二八)。共観福音書でも、イエスがご自分の受難について語られるときは「人の子」が主語になっています(マルコ八・三一など)。この事実は、イエスの受難を語る語録伝承では「人の子」を主語としていたことを示しています。ヨハネもこの伝承を用いて、イエスの受難を「人の子は上げられる」と表現しています。

 ユダヤ教において「人の子」とは天から現れる終末的な審判者であり救済者ですから、「上げられる(殺される)人の子」というような考え方は、ユダヤ人には理解できません。ユダヤ人は、十字架につけられたイエスが「人の子」であるという秘義につまずきます。ユダヤ人はイエスに、「あなたが人の子は上げられると言われるのはなぜですか。この人の子とは誰のことですか」と迫ります。これは、十字架につけらたイエスを「人の子」と告知するヨハネ共同体に対するユダヤ教団の反問でもあります。

 そこでイエスは彼らに言われた、「まだしばらく、光はあなたたちの間にある。暗闇があなたたちを捕まえることがないように、光のあるうちに歩みなさい。暗闇の中を歩む者は、自分がどこへ行くのか分からないのである。光のあるうちに、光の子となるために、信じて光の中へ入りなさい」。(三五節〜三六節前半)

 このユダヤ人の質問に直接答えることなく、イエスはご自分を光として告知されます。「わたしは、世にいる限り、世の光である」(九・五)と言われたイエスは、「今しばらくわたしはあなたたちと一緒にいる」(七・三三)とも言っておられます。したがって、地上のイエスの言葉としては、この言葉は「まだしばらく、光としてのわたしはあなたたち(ユダヤ人)の間にいる」という意味になり、この箇所(三五〜三六節)で二回繰り返される「光のあるうちに」は、イエスが地上におられる間に、という意味になります。しかし、世に呼びかける著者ヨハネ(あるいはヨハネ共同体)の言葉としては、「まだしばらく」復活者イエスは光として地上で働いておられる、やがてその働きは終わり、裁きの時が来る、それまでに光としてのイエスを信じるように、という呼びかけの言葉となります。

 復活者イエスが世の光として恵みの働きを進めておられる間に、その光を受けて内に宿し、その光に導かれて歩みなさい(生きなさい)、とイエスは呼びかけられます。それは、著者の世に対する呼びかけでもあります。そうでないと、「暗闇があなたたちを捕まえる」ことになります。「捕まえる」と訳した動詞は、「闇は光に打ち勝たなかった」(一・五)の「打ち勝つ」と同じ動詞です。両方で、「暗闇」は一つの霊的な勢力を指す語として用いられています。暗闇の力に打ち勝たれ、捕らえられると、「暗闇の中を歩む者」となり、「自分がどこへ行くのか分からない」生涯を送ることになります。復活者イエスという光を内に持たない者は、「暗闇の中を歩む者」です。

 人間は、生まれながらのままでは内に真実の光をもっていません。生まれながらの人間は「暗闇の中を歩む者」です。そのようなわたしたちが内に光を宿す「光の子」となるためには、光の中へ自分を投げ入れなければなりません。そのことが、「信じて光の中へ入りなさい」という形で呼びかけられています。この言葉は、直訳すると「光の中へ信じ入りなさい」という形で、この福音書にしばしば用いられる「彼の中へ信じ入る」(believe into Him)と同じです。復活者イエスの中に自分を投げ込み、この方に自分を結び合わせて生きる姿を指しています。

 イエスはこれらのことを語り、立ち去って彼らから身を隠された。(三六節後半)

 イエスがユダヤ人たちの間から立ち去って「身を隠された」ことは、すでに八章五九節でも語られていました。そこでは、ユダヤ人たちがイエスを石打にしようとしたので、イエスは「身を隠された」のでした。ここでは、石打にしようとする試みはありませんが、激しいメシア観の対立から(三四節)、ユダヤ人群衆は殺気をもってイエスに押し迫ったのでしょう。ここでイエスは最終的にユダヤ人群衆の間から立ち去り、これ以後はもはや「群衆」の前に現れて呼びかけることはなく、弟子たちだけに奥義を語られることになります。

 なおギリシア語底本では、二七節から始まる段落は三六節前半で終わり、この三六節後半は次の段落の導入部として扱われています。新共同訳やNRSV(英語の新改訂標準訳)もこれに従って段落を区切っています。この私訳では旧来の節区分に従い、(八章五九節の場合と同じく)この文を段落の締め括りとして扱います。


  43 前半部の結び ( 12章 37〜43節)

 37 ところで、イエスは彼らの前でこれほど多くのしるしを行われたにもかかわらず、彼らはイエスを信じなかった。 38 それは預言者イザヤの言葉が満たされるためであった。彼は言った、
 「主よ、わたしたちが聞いたことを
   誰が信じたでしょうか、
  主の御腕は誰に顕されたでしょうか」。
 39 彼らが信じることができなかったのはこのためであると、イザヤはまたこうも言った、
 40 「神は彼らの目を見えなくし、
  彼らの心をかたくなにされた。
  こうして、彼らは目で見ることなく、
  心で悟ることなく、立ち帰ることがなく、
  わたしも彼らを癒さない」。
 41 イザヤはイエスの栄光を見たので、このように言ったのであり、彼はイエスについて語ったのである。 42 とはいうものの、議員の中でさえもイエスを信じる者が多かったが、彼らはファリサイ派の人たちをはばかり、会堂から追放されないために、公に言い表さなかった。 43 彼らは神の誉れよりも、むしろ人間の誉れを愛したのである。

 

預言されていたユダヤ人の不信仰

 ところで、イエスは彼らの前でこれほど多くのしるしを行われたにもかかわらず、彼らはイエスを信じなかった。(三七節)

 ヨハネ福音書の前半(二〜一二章)は、「しるしの書」と呼ばれるイエスの奇跡集を基にして構成されたと見られています。この段落(三七〜四三節)は、その部分の結論をまとめる位置にあり、イエスが「これほど多くのしるしを行われたにもかかわらず」、イエスを信じなかったユダヤ人の不信仰を責める内容になっています。著者ヨハネは、このユダヤ人の不信仰を預言者によって預言されていたことだとして、イザヤ書から二カ所引用します。

 それは預言者イザヤの言葉が満たされるためであった。彼は言った、
 「主よ、わたしたちが聞いたことを
   誰が信じたでしょうか、
  主の御腕は誰に顕されたでしょうか」。(三八節)

 第一の引用は、七十人訳ギリシャ語聖書のイザヤ書五三章一節からです。「聞いたこと」と訳されている語の原意はたしかに「聞いたこと」ですが、この語は「聞いて報告したこと」、「告げ知らせたこと」という意味にも用いられます。それで、「わたしたちが告げ知らせたことを誰が信じたか」という訳もあります。いずれにしても、預言者イザヤは自分が示されて民に伝えた「主の僕」の姿が、あまりにも人間の思いを超えたものであることに驚いて、誰もそれを信じることがないのではないかと予感してこう言ったのですが、ヨハネはそれを自分が告げ知らせる十字架されたキリストをユダヤ人が信じなかったことの預言とします。

 彼らが信じることができなかったのはこのためであると、イザヤはまたこうも言った、
  「神は彼らの目を見えなくし、
  彼らの心をかたくなにされた。
  こうして、彼らは目で見ることなく、
  心で悟ることなく、立ち帰ることがなく、
  わたしも彼らを癒さない」。(三九〜四〇節)

 ヨハネはもう一つイザヤの預言を引用して、ユダヤ人がイエスを信じることができなかった理由を説明します。この引用は六章一〇節からの自由な引用です。イザヤ書(六・一〇)では、「この民の心をかたくなにし、耳を鈍く、目を暗くせよ」という預言者に対する命令文ですが、ヨハネは「彼(神)は〜した」という形にして引用しています。イザヤ書のこの箇所(六・九〜一〇)は、イエスに対するユダヤ人の不信仰を預言する句として、初期の教団においてよく用いられました(マルコ四・一二、マタイ一三・一三〜一五、使徒二八・二五〜二七)。ヨハネも、イエスに対するユダヤ人の不信仰を語る聖書証明として、この箇所を引用します。

 イザヤはイエスの栄光を見たので、このように言ったのであり、彼はイエスについて語ったのである。 (四一節)
 ヨハネはイザヤ書六章のイザヤの体験を、イザヤが主(キュリオス)としてのイエス、すなわち復活者イエスの栄光を見た体験と解釈します。その結果、六章一〇節の言葉を、イエスに対するユダヤ人の不信仰の預言とすることになります。
 旧約聖書の預言や出来事がすべてイエスにおいて成就したというのは、初期の福音宣教に共通する基本的な告知内容ですが、その中でも神《ヤハウェ》の栄光を見たとされるイザヤの体験を、イザヤはイエスの栄光を見たのだとするヨハネの解釈は突出しており、イエスを神とするヨハネ共同体の信仰告白にふさわしい解釈となっています。

 

隠れ信者の議員たち

 とはいうものの、議員の中でさえもイエスを信じる者が多かったが、彼らはファリサイ派の人たちをはばかり、会堂から追放されないために、公に言い表さなかった。彼らは神の誉れよりも、むしろ人間の誉れを愛したのである。(四二〜四三節)

 ユダヤ人たち、とくに律法学者たちのようなユダヤ教の指導層は、全体としてはイエスを信じませんでした。しかし、ユダヤ教指導の中でも最高位にある最高法院の議員の中にも、イエスを信じる者がいたのは事実です。たとえば、この福音書ではニコデモがそうです。イエスを自分の墓に葬ったアリマタヤのヨセフも「議員」と呼ばれています(マルコ一五・四三)。
 ここで「議員」と訳した語は「指導者たち」を意味する語ですが、当時の用語では、具体的には最高法院の議員や会堂の役員を指しています(三・一、七・二六、七・四八)。そのようなユダヤ教指導層にイエスを信じる者がいたことは事実ですが、ヨハネはそのような者が「多かった」として、ただ彼らは「公に言い表さなかった」ので、人々にその事実が知られることはなかったのだとします。

 「公に言い表す」《ホモロゲオー》、すなわち「口で言い表す」ことは、初期の福音宣教において、心で信じることと一体のものとして扱われ、「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです」と言われています(ローマ書一〇・九〜一〇)。ところが、イエスを信じた議員たちは、心では信じていながら、「ファリサイ派の人たちのために」(直訳)それを口で公に言い表しませんでした。

 「彼らはファリサイ派の人たちをはばかり、会堂から追放されないために、公に言い表さなかった」というのは、このヨハネ福音書が成立した時代の状況を示唆しています。イエスが地上におられた時も、イエスを神から遣わされた方だと公に言い表すことは危険なことでした。イエスは律法に違反する教師として最高法院の監視を受ける立場でしから、その方の仲間であると見られることは、とくにユダヤ教の高位の者にとっては自分の立場を危うくする行為でした。しかし、イエスの時代には、イエスを信じて弟子となることが、直ちに「会堂から追放された者」とされたのではありません。ところが、70年のエルサレム神殿の崩壊以後では、ファリサイ派だけがユダヤ教の担い手となり、そのファリサイ派指導層が「イエスをメシアと言い表す者があれば、会堂から追放される」と決議していました(九・二二)。

 ユダヤ人にとって「会堂から追放された者」となることは、ユダヤ教共同体からの永久の放逐として、神の民としての特権を失うだけでなく、生きる場を失う恐怖でした。現在もヨハネ共同体の宣教に惹かれて内心ではイエスを信じているが、会堂からの追放を恐れてイエスを信じることを「公に言い表さない」ユダヤ人も多かったのでしょう。著者ヨハネはそのようなユダヤ人について、「彼らは神の誉れよりも、むしろ人間の誉れを愛したのである」と断定します。「誉れ」の原語は「栄光」です。彼らは、神が遣わされたイエスを言い表すことによって神に栄光を帰すことよりも、「人間の栄光」、すなわち人の前で自分の栄光を保つことを優先したのです。

 ヨハネがこのように言うのは、そのような隠れ信徒に、「人間の誉れよりも神の誉れを愛して(求めて)」イエスを公に言い表すように励ましていると見ることができます。


  44 イエスの最後の呼びかけ  ( 12章 44〜50節)

 44 ところで、イエスは叫んで、こう言われた。「わたしを信じる者は、わたしを信じているのではなく、わたしを遣わした方を信じているのである。 45 わたしを見る者は、わたしを遣わした方を見ているのである。 46 わたしは光として世に来た。それは、わたしを信じる者が、だれも闇にとどまることがないようになるためである。 47 もしわたしの言葉を聞いて、それを守らない者があっても、わたしはその人を裁かない。わたしは世を裁くために来たのではなく、世を救うために来たのであるから。 48 わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者には、その人を裁くものがある。わたしが語った言葉そのものが、終わりの日にその人を裁く。 49 それは、わたしは自分から語ったのではなく、わたしを遣わされた父みずからが、わたしに言うべきこと、語るべきことを命じられたからである。 50 父が命じられたことは永遠の命であることを、わたしは知っている。だから、わたしが語っていることは、父がわたしに言われたように、そのまま語っているのである」。

 

前半部の使信の要約

 「イエスは叫んで、こう言われた」(四四節前半)とありますが、どのような場面で、誰に向かって叫んでおられるのか分かりません。「イエスはこれらのことを語り、立ち去って彼ら(群衆)から身を隠された」(三六節後半)のですから、現在の文脈では聴衆はいません。この段落(四四〜五〇節)は、おそらく著者または後の編集者が、これまでのこの世に対するイエスの呼びかけをまとめて、第一部(二〜一二章)の結語としたと考えられます。以下に、この段落の各節の言葉がこれまでのこの福音書の主張の繰り返しであり、まとめであることを示す引照箇所をあげておきます。この段落は全体として、この福音書の基本的な主張をまとめています。すなわち、イエスこそ父(神)からこの世に遣わされた方であり、この方を信じることが救いであり、永遠の命であるという使信です。そのさい、この福音書の「わたし」は地上のイエスと復活者イエスとが重なっていることに留意しなければなりません。

「わたしを信じる者は、わたしを信じているのではなく、わたしを遣わした方を信じているのである」。(四四節後半)
 イエスこそ父から遣わされた方であるという主張については、三・三四、四・三四、五・二三、五・二四、五・三六〜三八、六・二九、六・五七、七・二九、七・三三、八・二九、八・四二、一一・四二を参照。

 「わたしを見る者は、わたしを遣わした方を見ているのである」。(四五節)
 この主張はこれまでにはなく、これから後に語られることになります(一四・九、一四・一九、一六・一六)。

 「わたしは光として世に来た。それは、わたしを信じる者が、だれも闇にとどまることがないようになるためである」。(四六節)
 一・九、八・一二、九・五、一一・九、一二・三五を参照。

 「もしわたしの言葉を聞いて、それを守らない者があっても、わたしはその人を裁かない。わたしは世を裁くために来たのではなく、世を救うために来たのであるから」。(四七節)
 三・一七、八・一五を参照。

 「わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者には、その人を裁くものがある。わたしが語った言葉そのものが、終わりの日にその人を裁く」。(四八節)
 五・三〇、八・二六を参照。

 「それは、わたしは自分から語ったのではなく、わたしを遣わされた父みずからが、わたしに言うべきこと、語るべきことを命じられたからである」。(四九節)
 三・三四、六・三八、七・一六を参照。

 「父が命じられたことは永遠の命であることを、わたしは知っている。だから、わたしが語っていることは、父がわたしに言われたように、そのまま語っているのである」。(五〇節)
 「父が命じられたこと」、すなわち「父が遣わされた者を信じること」が永遠の命であることについては、三・一六、三・三六、四・一四、五・二四、六・四〇を参照。
 「父がわたしに言われたように」については、八・二六を参照。

 


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