ルカ福音書講解 14

 

    第一四章 神の国はいつ来るのか

                          ― ルカ福音書  一七章 ―   



はじめに

 ルカは、ガリラヤでの福音活動を描く第一部と、エルサレムでの受難を語る第三部ではほぼマルコに従っていますが、その間に第二部として長い旅行記を置いて、そこをマルコにはない「語録資料Q」の素材や自分だけが持っている独自資料を自由に用いる物語空間としています。
 ルカ福音書一七章においては、主人に仕える僕の比喩(一七・七〜一〇)や、十人のいやし(一七・一一〜一九)など、ルカだけが持っている特殊資料も使われていますが、むしろマルコやマタイと共通の資料をルカ独自の形に構成している仕方に、ルカの特色が表れています。そのことはとくに二〇〜三七節の「神の国はいつ来るのか」の段落によく示されています。

 一七章は次の四つの段落に区切るのが適切と考えられます。理由は本文で述べますが、一〜一〇節は別の主題をもつ二つの段落に区切るべきです。

 兄弟間の交わり(一〜四節)
 信仰を増し加えてください(五〜一〇節)
 十人のいやし(一一〜一九節)
 神の国はいつ来るのか(二〇〜三七節)

 


100 赦し、信仰、奉仕(一七・一〜一〇)

兄弟間の交わり

 イエスは弟子たちに言われた。「つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である。そのような者は、これらの小さい者の一人をつまずかせるよりも、首にひき臼を懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がましである。あなたがたも気をつけなさい。」。(一七・一〜三a)
 「小さい者をつまずかせる罪」についての語録は、マルコ(九・四二)とマタイ(一八・六〜七)にもあり、マルコとマタイではこの語録はイエスが子供を祝福された記事の後に置かれています(マタイではすぐ後、マルコではやや離れて)。そこでは「これらの小さい者の一人」は子供を指すことになりますが、ルカでは子供の祝福の記事は先行せず、 別の文脈に置かれています。すなわち、ルカでは後続(三〜四節)の兄弟の犯す罪への対処についての語録と一対にされています。したがって、ルカにおいては「これらの小さい者の一人」は、兄弟たちの共同体の中での「小さい者」を指していることになります。ルカはこの一対の語録を、イエスに従う弟子たちの共同体において、小さい者(信仰の浅い者や重要視されていないメンバー)をつまずかせることなく、赦しあって、亀裂や疵のない恩恵の共同体を形成するように励ます記事にしています。

 イエスは、人間の能力や価値と無関係に「貧しい者、小さい者」を受け入れてくださる父の恩恵を告知されました。そのようなイエスの恩恵の告知によって招かれた者たちの共同体では、「小さい者」を無視したり軽蔑したりして、その人が共同体にとどまることができず、信仰から脱落していくようなことがあってはなりません。それはその人をつまずかせ、倒れさすことなり、恩恵によってご自身の民を招かれた神への大きな罪となります。イエスはこの罪の重大さを、「首にひき臼を懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がましである」という、イエス独特の激しい比喩で強調されます。

 三節最初の一文「あなたがたも気をつけなさい」は、後続の「もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい」には意味が適合せず、先行する文を受けて、「小さい者をつまずかせることのないように気をつけよ」と続くと見るべきであるので、この文の後で区切ります。底本もこの一文は小文字で始めていますが、次の「もし兄弟が罪を犯したら」は大文字で始めて、この文の後に区切りを置いています。

 小さい者をつまずかせる罪の重大さを語る語録の後に、マルコは片方の手や足や目が「あなたをつまずかせる」ならば、その手や足や目を切り捨てて、地獄の火に落ちることなく命にあずかるようにせよ、という自分のつまずきに関わる厳しいイエスの言葉を続けています(マルコ九・四三〜四八)。マタイはマルコに従っていますが、ルカはこの部分を欠いています。ルカがこの部分を取り上げなかった理由はおそらく、続きに罪を悔い改める兄弟を赦すべきことを説く語録を置いて、この一段(一〜四節)を恩恵の共同体を目指す語録集にするため、その文脈と整合しないこの部分採り入れなかった(略した)ものと考えられます。

 「もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい」。(一七・三b〜四)
 共同体内の小さい者をつまずかせないように気をつけるように促した後に続けて、ルカは罪を犯した兄弟の扱いに関する語録を置きます。「もし」以下の三節の文は、マタイ(一八・一五)にほぼ同じ内容の語録があり、「語録資料Q」から採られたと見られます。この語録を先の「小さい者をつまずかせる」罪の重大さを語る言葉の続きとして聴くならば、この「罪を犯す」は、共同体の中の「小さい者」を無視したり軽蔑して、その人を傷つける行為を指すことになります。そのような言動を見かけたら、そのような言動はしないように戒めるべきであると求めていることになります。

 しかし、ここの「罪を犯す」をそのように狭く限定する必要はないでしょう。共同体においてキリスト者としてふさわしくない行為、怒ったり、罵ったり、心を傷つける言動を広く指すと見てよいでしょう。そのような言動があれば、それを放置することなく、そのようなことをしないようによく語り聞かせなさいと勧めます。マタイ(一八・一五)の並行箇所では、「行って二人だけのところで忠告しなさい」となっています。語り聞かせた結果、その人が自分の言動が悪かったと気づいて悔い改めるならば、「赦してやりなさい」と勧めます。すなわち、その犯した罪の行為のゆえにその兄弟を共同体の交わりから放逐するようなことはせず、今までのように受け入れなさいと勧めています。このことをマタイの並行箇所は、「行って二人だけのところで忠告しなさい」の後に、「言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる」と表現しています。

 このように、ここの「罪を犯す」は、「聖霊を汚す罪」のように救いの成否にかかわる罪ではなく、共同体の兄弟間の交わりにおけるキリスト者として不適切な言動を指していると理解できます。この理解は、この「罪を犯す」ことの実例として、「あなたに対して罪を犯す」場合が取り上げられていることからも補強されます。「あなたに対して罪を犯す」は、神に対する背神・背信の罪ではなく、誰かがあなたに悪をなし、心を傷つけるような行為をした場合を指しています。
  ルカはこの場面で、「彼があなたに対して一日に七回罪を犯しても、あなたは七回その人を赦すべきである」という「語録資料Q」の語録に基づいて書いていると推察されます。イエスが「七回どころか、七の七十倍までも赦せ」と言われたとする印象深い語録が、これと並行するマタイ(一八・二二)に伝えられていますが、これはペトロが兄弟がわたしに対して罪を犯したら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか」と訊ねたのに対して、兄弟を赦すことの重要性を強調するためにマタイが拡張した結果ではないかと推察されます。

 こうして、この一段(一〜四節)は共同体内の交わりを傷つける行為に対する対処の仕方を勧告した内容でひとまとまりをなしています。

 

信仰を増し加えてください

 使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう」。(一七・五〜六)
 ここでやや唐突に信仰を増し加えるという主題が出てきます。先行する段落と強いて関係づけるために、罪を犯した兄弟を七回も赦すことができるように「信仰を増してください」と願ったのだという説明がされることもありますが、これは無理で(他人の罪を赦すために信仰の力が必要とされることはありません)、別の場面で使徒たちが自分たちの信仰の弱さを感じて、いつも信仰によって力強い働きをしておられる主に、このようなお願いをしたことがあり、それをルカがここで(とくに前段との関係なく)取り上げたものと見られます。その場面とは、おそらく悪霊を追い出すとか病気をいやすなど「力ある働き」をする場面で、使徒たちは力の不足を感じることがあったのでしょう(マタイ一七・一九〜二〇参照)。

 先の段落(一〜四節)では、「イエスは弟子たちに言われた」となっていますが、この段落では「使徒たちは主に言った、・・・・そこで主は言われた」と、「使徒たち」と「主《ホ・キュリオス》」との間の対話になっています。ここでは用語にこだわって、「イエスと弟子たち」の間の対話はイエスが地上におられたときの出来事、「使徒たちと主」との間の対話は、復活後に福音告知のために遣わされた使徒たちと復活の主との対話である、と区別する必要はないと考えられます。ルカは、本来復活の主によって福音告知のために派遣された者を指す「使徒」という称号を、「十二人」については地上の働きの時期から用いており、「主《ホ・キュリオス》」という称号も、これまでに見てきたように福音書の中でしばしばイエスを指すのに用いています。たしかに、福音書は地上のイエスの働きを描くものですが、その中に復活者キリストの告知が重なっており(ヨハネ福音書だけでなく共観福音書においても)、両者の区別が困難な場合もあります。この場合は、表現が具体的であることからも、ここにはイエスの語録が用いられているとしなければなりませんが、弟子たちがこのイエスの語録を、復活後の福音告知の働きおいて「主《ホ・キュリオス》」からの言葉として聴いていたので、このような語り方になり、その語りをルカがそのまま伝えたと見ることができます。

 六節の「この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう」という語録は、マタイにも同じ内容の語録が少し違った形で伝えられています。マタイ(一七・二〇)では「もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる」となっており、「あなたがたにできないことは何もない」という言葉が続いています。マルコ(一一・二三)にも、「はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる」という形で伝えられています。

 弟子たちが「わたしどもの信仰を増してください」とお願いしたとき、イエスはまずからし種の比喩を用いて、信仰とは大きい小さい、多い少ないという量の問題ではなく、信じるか信じないかの問題であることを教えられます。信じるという行為は、その大きさがからし種ほどか大きな岩ほどかは問題ではない、信じるという全身的行為があるとき、人間の常識と理解ではありえないことが起こるのだ、とイエスは言っておられるのです。陸から海に移るのが桑の木でも山でも同じです。そのようなことは人間の常識と理解では起こりえないことです。しかし、わたしたちが「信じる」という行為をするとき、その起こりえないことが起こる、とイエスは断言されます。これはイエスご自身が普段なしておられる「奇跡」の秘密を語り出された言葉として重要です。

 量を問題にするのは、信仰を何か自分の内にある能力のように見ているからです。イエスのお答えは、その考えを根底から否定します。信仰とは何か自分の内にある能力とか資格ではなく、徹底的に神の信実と能力に自分を明け渡して、神の言葉に従うことです。神の信実だけを根拠にして、神の言葉に従うとき、神は御自分の言葉を必ず成し遂げられます。神は偽ることがありえない方であり、為しえないことがない方だからです。この消息がたとえで語り出されます。

 

 「あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい」。(一七・七〜一〇)
 このたとえ話は、ほとんどの翻訳と注解書で、先行する「信仰を増してください」という主題から切り離されて、別の主題を扱っているとし、別の標題がつけられています。たとえば岩波版佐藤訳はこの一段に「謙遜のすすめ」という標題をつけて、一つの段落として扱っています。新共同訳も、この部分には「奉仕」という標題を割り振り、五〜六節の「信仰」から区別しているようです。しかし、七節には一節と五節にあった新しい場面とか主題を導入する句はありません。六節の「からし種一粒ほどの信仰があれば・・・」を説明するたとえ話として自然に続いています。ただ、その関連が理解しがたいので、切り離して別の主題を扱う段落としているようです。

 この一段は、新しい場面を導入する句がないという形式上の理由だけでなく、内容からも六節の「からし種一粒ほどの信仰」を説明するたとえとして理解すべきである、とわたしは考えます。このたとえ話をたんなる謙遜の勧めとするのは、イエスをあまりにも平凡なたとえの語り手とすることであり、そんなあまりにも当たり前のことを語られるイエスを想像することはできません。イエスのたとえは「神の国」のことについて、また信仰のことについて、わたしたちの常識を根底から揺さぶる鋭い言葉です。このたとえを「謙遜のすすめ」とか「奉仕の心構え」と理解することは、宴席に招かれた客が上席を選ぶのを見て語られたイエスのたとえ(一四・七〜一一)をたんなる謙遜の勧めと解釈するのと同じ誤りです(当該箇所の講解を参照)。 

 このたとえは、主人に対する僕(原文は奴隷《ドゥーロス》)の立場を記述した上で(七〜九節)、それを比喩として「あなたがたも(その奴隷の立場と)同じことだ」と言って、「自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい」と結論(一〇節)を述べています。この結びの一〇節の言葉が、「わたしどもの信仰を増してください」という使徒たちの願いに対する主の回答となっています。

 「わたしどもの信仰を増してください」という使徒たちの願いに対して、主は「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう」と言って、信仰とは大小とか強弱というような量とか程度の問題ではなく、信じるという行為をするかしないかの問題であることを示された後、「信じる」という行為の質を教えるためにこの主人に仕える僕のたとえを語られます。

 このたとえの眼目は、信仰の行為とは人間の側の価値とか資格とか能力によるものではないことを示すためです。使徒たちは、信仰とは何か自分の内にある能力のようなものと考えていたようです。ですから、それを増し加えていくならば、さらに力強い働きができるはずだと考えて、それを増し加える方策を主に尋ねています。それに対する主の答えは、そのような信仰に対する弟子たちの理解を根底から覆します。

 このたとえによって主は、信仰とは神が命じられたことを、自分の側に何の理解も根拠も能力がなくても、それが神の言葉であるという理由だけで、神の言葉に従って行動することである、と教えておられるのです。このように神の言葉に従って行動するとき、神がご自分の言葉を成らせて、人の目には奇跡と見える力ある働きをなされます。そのとき、わたしたちはそれが自分の能力でなされたものでないことを自覚して、「わたしたちは当然のことをしただけであり、わたしたちには何の価値も能力もありません」と告白するのです。

 このような意味の信仰によって命じるとき、その言葉を成し遂げるのは神ですから、できないことはありません。イエスはこのことを、「この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう」と、イエス独特の意表を突く表現で語っておられるのです。

 この主人に仕える僕のたとえは、ルカだけにあるルカの特殊資料です。「わたしどもの信仰を増してください」という「使徒たち」の願いも、ルカだけにあり、他の福音書にはありません。使徒たちが、自分たちの信仰理解をくつがえすようなイエスのたとえを聴いたことを思い起こして語り伝えたものを、何らかの経路で入手したルカが、このような信仰についての主と使徒たちの対話として構成したと考えられます。

    
101 重い皮膚病を患っている十人の人をいやす(一七・一一〜一九)

 イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。(一七・一一)
 ここにイエスの一行がエルサレムに向かう旅の途上であることを思い起こさせるルカの説明文が入ります。これは三度目で、最初は九・五一にあり、二度目は一三・二二にあります。どの場合も、この説明文で始まる段落は、ユダヤ人以外の民に関連しています。第一の場合(九・五一)は、エルサレムに向かわれるイエスをサマリア人の村が歓迎しなかったので、弟子が天からの火で焼き滅ぼしましょうかと言ったのに対して、イエスがそれを戒められたという記事が続いています。第二の場合(一三・二二)は、終わりの日に戸が閉められるとき、神の国の宴会の席に着くのは、イエスの教えを身近に聴いたユダヤ人ではなく、世界の各地から召された異邦人であることが語られています。そしてここの第三の場合は、「あなたの信仰があなたを救った」というイエスの言葉を受けるのは、ユダヤ人ではなく一人のサマリア人であることが語られます。

 こうして見ると、ルカがイエスがエルサレムに向かって旅をしておられることを読者に思い起こさせるのは、イエス一行の旅程を説明するためではなく、エルサレムで実現するイエスの救いの働きが異邦人にもたらされることを指し示すための、ルカによる構成であると理解できます。旅程の説明としては、旅行記の終わりに近いこの箇所で「サマリアとガリラヤの間」におられるのは不自然です。

 ここの「イエスはサマリアとガリラヤの真ん中を通って、通過して行かれた」(直訳)は、原文の語法が不自然で様々な読み方が提案されています。サマリアが先に来るのはエルサレムから見て書いているからだとか、この「真ん中」を「の間」と解釈して「サマリアとガリラヤの中間地域」(新共同訳)とする説明があります。いずれにしても、旅行記のこの位置にこの表現が来るのは不自然です。ルカは地理的な状況には無関心で、これから始まる物語に登場する病人がサマリア人とガリラヤ人の混合であることを言いたいだけであるとする見方もあります(ノーランド)。

 ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。(一七・一二〜一三)
 「重い皮膚病」と訳されているギリシア語原語は《レプラ》ですが、これは旧約聖書のヘブライ語《ツァーラアト》のギリシア語訳です。この《ツァーラアト》と呼ばれる皮膚病は、ユダヤ教においては祭儀的に不浄とされる皮膚病で、祭司から《ツァーラアト》と宣告された者は、一般社会から隔離された場所で暮らし、神殿祭儀に参加することは許されず、一般の人が近づいたときは「汚れた者」と叫んで、その存在を知らせなければなりませんでした(レビ記一三〜一四章)。これは現代風に言えば、伝染を避けるための隔離であったのですが、ユダヤ教社会では祭儀的に不浄とされ、「神から打たれた者」として徹底的に疎外されました。ユダヤ教では、死人を生き返らせることと《ツァーラアト》を清めることは神にだけできることとされていました。それだけにイエスが《ツァーラアト》の人を「清めた」出来事は、死人を生き返らせたと同じ驚きであり、重大な意味をもつ出来事であったのです。

 それだけにこの《ツァーラアト》を「重い皮膚病」と訳すことは問題です。この訳語ではイエスが重症の病人をいやされたというだけの意味になり、祭儀的に汚れた者を清い者にし、ユダヤ教の祭儀社会に復帰させたという意味が見えなくなります。「らい病」という語は差別語として使用を控えるべきであるならば、「不浄皮膚病」とでも訳して、その祭儀的(=宗教的)意義を見失わないようにすべきではないかと考えます。

 ここの十人の《ツァーラアト》にかかっている人も、律法の規定に従ってイエス一行に近づくことなく、「遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて」、「汚れた者」と叫んだのでしょう。しかし、彼らはイエスが神の力によって病人をいやしておられることを聞き知って、イエスのもとに来たのです。「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と、遠くから声を張り上げて懇願します。

 ルカは先に(五・一二〜一六で)マルコ(一・四〇〜四五)の記事を用いて、イエスが一人の《ツァーラアト》の人を清められたことを伝えていますが、そこでは病人はイエスに「あなたの御心であれば、あなたはわたしを清くすることがおできになります」と言って、イエスの力を知っている上で、イエスの意志を訊ねています。それに対して、ここでは病人はイエスの力を信じて来ているのは同じですが、イエスの意思を問題にするゆとりはなく、ひたすら憐れみを懇願しています。憐れみを願うのは、自分には受ける価値とか資格のないことを認めて、相手の無条件の好意にすがる姿勢です。それが信仰です。

 イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。(一七・一四)
 イエスは彼らの窮状を憐れみ、彼らの信仰を見て、いやそうとされます。しかし、ここでは先の場合のように病人に手を置いて、「清くなれ」と言われるのではなく、ただ「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と命じられます。《ツァーラアト》をいやされた者は祭司に見てもらって、いやされたことを確認してもらい、清めの儀式を行って始めて「清い者」となって、ユダヤ教社会の交わりに復帰できます(レビ記一四・一〜三二)。イエスは、まだ《ツァーラアト》の症状があるままの十人に、自分の体を祭司に見せて、清めの儀式を受けるように命じられるのです。

 彼らがもし自分の体に《ツァーラアト》の症状が出ている現状を見て、「まだわたしの《ツァーラアト》は清められていない。このままの体では祭司のもとに行くことはできない」と考え、祭司のところに行こうとしなかったら、彼らは清められることなく、そのままの状態に留まったことでしょう。しかし、彼らはイエスがそう言われたのだからという理由だけで、《ツァーラアト》の体はそのままであるのに、祭司のいるところに向かって歩き始めます。彼らは、イエスがそう言われたのだから祭司のところでは清い体を見せるようになると、露疑わず歩いて行きます。この行動が信仰です。すると、彼らは「そこへ行く途中で清くされた」という驚くべき出来事が起こります。

 ガリラヤでの福音活動の初期にもイエスは一人の《ツァーラアト》患者をいやしておられますが(五・一二〜一六)、その時も「行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい」と命じておられます。ここでも《ツァーラアト》をいやされた者たちには、祭司による確認を得て清めの祭儀を行うように求めておられます。すなわち、イエスはユダヤ教律法規定を順守することを当然としておられます。この事実は、イエスがあくまでユダヤ人であり、ユダヤ教社会で生活し活動された方であることを再確認させます。神の力と信仰によって清められたのだから、もはやユダヤ教律法の規定は守らなくてもよいとはされません。いやされたユダヤ教徒は、ユダヤ教の定めを守って、その中で清められた者として生きるべきであるとされます。

 ところがイエスは、律法に背きユダヤ教の根幹を揺るがす異端者として、ユダヤ教の最高法院から死刑の判決を受けます。それはイエスが、神の絶対無条件の恩恵を告知し、その恩恵を無条件で受ける信仰によって救われることを宣べ伝え、律法の順守を条件とされなかったからです。それが、ユダヤ教を絶対的な条件とする指導層から死刑を宣告される原因となります。しかし、ここで「祭司に見せよ」という命令が示しているように、イエスはユダヤ教を否定されたのではなく相対化されたのです。すなわち、恩恵の絶対性のゆえに、ユダヤ教律法の順守を絶対条件とされなかっただけです。

 その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。(一七・一五〜一六)
 彼らが祭司のところへ行く途中で清められたという驚くべき出来事の後に起こったことが報告されます。いやされた十人の中の一人が、「自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら」戻って来ます。祭司のところまで行って体を見せ、いやされていることを確認してもらってから清めの儀式を行うには時間がかかりますから(レビ記の規定では確認に数週間、清めの儀式に一週間)、この人は祭司のところへ行く途中で、体がきれいになっていて、自分がいやされたことを知り、そこからすぐに戻ってきて「イエスの足もとにひれ伏して感謝した」と見られます。
 ところが戻ってきてイエスに感謝を捧げたのは、ユダヤ人ではなくサマリア人でした。この事実がこの記事の眼目になります。

 そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか」。(一七・一七〜一八)
 イエスによって清くされた十人の中、何人がユダヤ人で何人がサマリア人であったのかは分かりません。このことが起こった場所はガリラヤかサマリアかも決められません。従って、祭司もユダヤ教の祭司かサマリア教の祭司かも分かりません。ただ、イエスがサマリア人の《ツァーラアト》患者をいやされた伝承が語り伝えられていて、その伝承をどこかで入手したルカがこのような物語を構成した可能性も、頭から否定することはできません。この伝承は、福音が異邦人に及ぶことが神の御計画であるとするルカにとって、格好の素材です。

 ここで「外国人」と訳されているギリシア語は、「他で生まれた者」《アロゲネース》という意味の語で、新約聖書ではここだけに出てくる語です。この語は七十人訳ギリシア語聖書では、イスラエルの民以外の外国生まれの人を指すの多く用いられています(出エジプト記一二・四三ほか多数)。ルカがここで、ユダヤ人以外の民を指す通例の「異邦人」《エスノイ》という語を用いないでこの語を用いたのは、非ユダヤ教徒に対する蔑視の気持ちを含むようになっている「異邦人」《エスノイ》を避けて、たんに他国生まれの者という意味の語を用い、ユダヤ人に生まれたというだけで神に選ばれた民であるという誇りをもっているユダヤ人に警告する気持ちがあったのかもしれません。

 「あとの九人」が全部ユダヤ人であったのかどうかは分かりませんが、イエスのもとに戻ってきたのが一人のサマリア人だけであったということは、少なくともユダヤ人は誰も戻って来なかったことを意味しており、ユダヤ人に対する警告となっています。イエスは他のところで、イエスの教えを身近に受けたことを誇るユダヤ人に対して、「あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く」と言っておられます(一三・二八〜二九)。ルカは繰り返し、神の国がユダヤ人から取り上げられてユダヤ人以外の民に与えられることを語っています。ルカが、「よいサマリア人のたとえ」など、繰り返しサマリア人を称揚するのは、福音が異邦人に至るのは神の御計画だとする基本的な主張の一例です。

 それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」。(一七・一九)
 足もとにひれ伏しているサマリア人に、イエスは「立ち上がって、行きなさい」と言われます。その上、「あなたの信仰があなたを救った」と言われます。この言葉は、最初期共同体の福音告知において用いられたスローガン、あるいは戦闘の旗印のような言葉ですが、それがここでユダヤ人にではなく、イエスからサマリア人に与えられています。ルカが異邦人のために書いている福音書にふさわしい結びとなります。


102 神の国が来る(一七・二〇〜三七)

神の国はいつ来るのか

 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」。(一七・二〇〜二一)
 ここでまた新しい主題が導入されます。「神の国はいつ来るのか」という問いは、当時のユダヤ教徒の重大関心事でした。神殿での祭儀を牛耳り宗教的支配権を確立し、それによって現世での特権を享受していたサドカイ派は別として、当時強くなってきていた黙示思想的色彩のエッセネ派はもちろん、律法順守を根本原理とするユダヤ教主流のファリサイ派も、イエスの時代では終末的待望を強く示していました。そのファリサイ派の中の急進派が《ゼーロータイ》(熱心党)として、武力を用いてでも神の支配を地上にもたらそうとする過激な運動を進めていました。

 黙示思想では、現実の今の世は神に敵対する勢力によって支配されているが、やがて神の約束がすべて成就し、神が直接支配される世が来るとし、その「来るべき世」が到来する終わりの時が近いとします。イエスの時代は、このような終末待望が燃えていました。しかし、その終わりの日への待望を言い表す仕方は、ユダヤ教内で一様ではなく、様々な表現がありました。その中に、神がダビデに約束されていたメシアが到来し、イスラエルを異教徒の支配から解放し、神がイスラエルを通して世界を支配されるというメシア思想があり、われこそがそのメシアであると名乗る人物による「メシア運動」が頻発していました。

 このように、当時のユダヤ教徒にとって、神の支配の実現は最重要関心事であり、それがいつ、どのように起こるのかが議論されていました。この問いを、民衆の間で広く「神の国」を説いてこられたイエスに、ファリサイ派の人々が持ち出します。「神の国はいつ来るのか」という問いは、「神の国はどのように来るのか」という問いを含んでいます。この問いに対するイエスの答えは、神の国(=神の支配)の到来に関するイエスの思想と教えを端的に示す重要な言葉となります。

 この問いに対して、イエスはまず二つの否定の文を用いて、神の支配の到来に関するファリサイ派や当時のユダヤ教徒の思い違いを指摘されます。その第一は、「神の国は、見える形では来ない」という言葉です。そして、神の国は人の目に見える地上の出来事として来るのではないことが、第二の「『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない」という言葉で具体的に表現されます。この二つの否定の文で、神の支配の到来を何か地上の歴史的出来事と考えている当時のユダヤ教徒の思い違いを指摘し、その結論として神の支配が到来するとはどのような性格の出来事であるのかを語り出されます。それが、「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」というお言葉です。

 ここで「の間に」と訳されている原語は《エントス》というギリシア語です。この語の意味については多くの議論が行われています。この《エントス》は本来「内に、内側に、中に」という意味の副詞であり、冠詞を付けて《ト・エントス》という形で「内側、内部」という名詞として用いられます(マタイ二三・二六)。ここでは変則的に前置詞として用いられており、「あなたたちの内に」という表現になっています。

 この文の述語動詞は「ある」《エイミ》という動詞の現在形です。それで、この文を素直に聴けば、「神の支配はあなたたちの内に(現に)あるのだ」という意味になります。ただ、この「あなたたち」をここでの対話の相手であるファリサイ派の人たちと理解することはできません。ファリサイ派はイエスの批判者であり、イエスの「神の国」告知を拒否した人たちですから、このような人たちの「内に」神の支配があるとは言えません。したがって、この「あなたたち」はイエスが語りかける人間一般を指すとして、神の支配は人間の内面の出来事として現にあるのだ、という意味になります。

 ところが、神の国とか神の支配を人間の内面に限定するのは、イエスの「神の国」告知の性格に合わないとして、ここの《エントス》を「の間に」という意味に理解し、あなたたちのただ中に現れたイエスにおいて神の支配の現実が来ていると言っておられるのだ、と解釈する傾向が最近出てきています。この文の正確な意味については、後続する弟子たちへの言葉(二二〜三七節)や、福音書全体におけるイエスのこの問題についての発言、さらにルカの立場などを総合して考えなければならないので、この段落の最後の「補説」で触れることにして、ここではファリサイ派の人々の質問への答えとしての意義に限定します。

 ファリサイ派の人たちが「神の国はいつ来るのか」ということを問題にするのは、神の支配の現実は「見える形で来る」、すなわち「『ここにある』『あそこにある』と言える」形で来ると考えているからです。すなわち、神の支配は何らかの歴史的出来事として起こるものだと考えているから、それがいつ起こるのかが問題になります。しかし、イエスが告知される神の支配は、そのような歴史的出来事として起こるものではなく、「あなたたちの内にある」現実であるから、それが「いつ」起こるのかという問いは成り立たず、また必要でもないとされます。イエスの答えは、ファリサイ派の人々の質問そのものが見当違いであることを指摘しているのです。イエスはこの答えで、彼らの神の支配についての立場が間違っていることを指弾されているのです。イエスと批判者との対話においては、しばしばこのように質問者の立場そのものの間違いを指摘する答えがなされています。

稲妻がひらめくように

 それから、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたが、人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来る。しかし、見ることはできないだろう」。(一七・二二)
 このファリサイ派の人々との問答は、他の人たちも一緒にいる公開の場で行われたものと推察されますが、その後で弟子たちだけとおられる時に、イエスは弟子たちにこの問題についてさらに重要な秘密を語り出されます。この弟子たちへの語りかけにおいては、「神の国が来る」ことではなく、「人の子が現れる」ときのことが語られます。

 弟子たちに語られたイエスの言葉は、直訳すると「あなたたちは人の子の日々の一日を見たいと願う日々が来るであろう。そして、あなたたちは見ることはないであろう」となります。「人の子の日々」という複数形は二六節にも同じ形で出てきます。この複数形の「日々」はどのような時あるいは時期を指しているのでしょうか。この段落には「人の子が現れる日」という単数形も用いられており(三〇節)、そこでは「現れる」という動詞が用いられていて、明らかに「人の子」が天から現れる終末の日を指しています。それに対して二二節と二六節の「人の子の日々」には「現れる」という動詞はなく、三〇節の「人の子が現れる日」と対照的です。それで、単数形の「人の子が現れる日」と複数形の「人の子の日々」はどういう関係になるのかが問題となります。

 この「日々」の用法は、「イエスは、天に上げられる日々が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた」(九・五一)と同じ用法だと見られます。そこでは、十字架、復活、昇天という一連の出来事が起こる時、あるいはそれらの出来事自体を指しています。イエスは十字架の死も「人の子」に起こる出来事としておられます(二五節)。このような用例からすると、「人の子の日々」というのは、イエスが「人の子」としての役割を果たされる出来事が起こる日々、すなわち十字架、復活、昇天、天からの顕現(来臨)という一連の出来事が起こる日々、あるいはそれらの出来事そのものを指していると考えられます。

 そうすると、「人の子の日々の一日」というのは、これらの出来事が起こる日々の中の一日ということになりますが、神の支配の到来が話題になっているここの文脈では、「人の子」が天から現れて神の支配を地に確立される日、すなわち「人の子が現れる日」を見たいと願う時が来ることを予告されたと理解できます。イエスはやがて世を去り、弟子たちは十字架・復活・昇天によって自分たちのところから去られたイエスが「人の子」として天から現れる日を見たいと切に願う日々を迎えることになるであろうが、「人の子」が現れるのを見ることはないであろう、と言っておられるのです。

 この理解は、ここで「見ることを切望する」と「見ることはない」という形で、「見る」ことが主題になっていることとも整合します。この二二節は、二一節の「神の支配は見える形では来ない」と、二三節の「見よ、あそこだ、ここだ」という人々への警戒の間に囲まれて、見える形での終末の到来を待つことの間違いを指摘する文脈の中にあります。それで、イエスはここで弟子たちに「人の子」の現れを見える形で期待してはならないことを教えておられるのです。そのことが次の二三〜二四節の言葉で明確に語り出されます。

 「『見よ、あそこだ』『見よ、ここだ』と人々は言うだろうが、出て行ってはならない。また、その人々の後を追いかけてもいけない。稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである」。(一七・二三〜二四)
 イエスはすでに、「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない」と言っておられますが(二〇〜二一節)、同じことを重ねて語られます。「『見よ、あそこだ』『見よ、ここだ』と人々は言うだろう」は、マルコ福音書(一三・二一)に伝えられている「そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない」という語録と同じ伝承が用いられていると考えられます。マルコはそれを終わりの日の到来に先立つ大患難の時の出来事とし、メシア僭称者の出現を終わりの日の「しるし」としていますが、ルカは「メシア」を省いて神の支配を歴史的出来事とする表現に変え、「神の国は見える形では来ない」ことを教える対話の中に置いています。そして、そのことをきわめて印象的に語られたイエスの「稲妻の比喩」をこの対話のクライマックスとして用います。

 「稲妻の比喩」(二四節)はマタイ(二四・二七)に並行記事があり、「語録資料Q」から採られたものと見られます。ルカの形は、直訳すると「稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子も[彼の日には]そのようであろう」となります。[彼の日には](=人の子の日には)の句は有力な写本になく、底本も括弧に入れています。「現れる」という動詞もありません。この語録は、稲妻を比喩として用い、神の支配が現れるのは時空の枠を超えた出来事であることを指し示しています。

 古代では、稲妻はいつ起こるのか誰も予測することができない出来事、そして人間がコントロールすることができない出来事の代表格でした。それは一瞬の出来事です。しかし、その一瞬の出来事は、地の端から端までを照らし出し、全地をその出来事の中に巻き込みます。このように、稲妻は人間が限られた地域の中で、また日常の時間の経過の中で行っている営みとは全然別種の出来事として起こります。そのように、神の支配も、人間が地上で時間の中で行っている出来事(=歴史的出来事)とはまったく別次元の出来事として起こるのです。この稲妻の比喩は、「神の国は、見える形では来ない」(=時間と空間の枠の中で起こる歴史的出来事ではない)ということを指し示すイエスの重要な比喩です。

 このような性格の出来事を前にして、その日に備えるべきことを、ノアやロトの時代を引き合いに出して説く記事が続きますが(二六節以下)、その前にルカは、人の子がそのような形で(=稲妻のように)現れる前に、この地上では苦しみを受けなければならないこと思い起こさせる語録を置きます。

 「しかし、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている」。(一七・二五)
 イエスはすでに弟子たちに、ご自分が受けることになる苦しみを「人の子」を主語にして語っておられます(九・二二、四四)。ルカはその言葉をここに置いて、終わりの日に栄光の中に稲妻のように現れる「人の子」は、地上で苦しみを受けるイエスに他ならないことを、改めて思い起こさせます。

人の子の日に備えて

 「ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が襲って来て、一人残らず滅ぼしてしまった」。(一七・二六〜二七)
 二六節は直訳すると、「ノアの日々に起こったように、人の子の日々にもまた同じようにあるだろう」となります。ここで「人の子の日々」と複数形が用いられていますが、これは「ノアの日々」の複数形に対応する形であり、共に時代を指しています。そして、「ノアが箱舟に入るその日」に洪水が突如襲って来るまで、人々はそのような危機の時が来ることを意識せず、食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりという日常の生活に埋没していました。

 「ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった」。(一七・二八〜二九)
 「ロトの日々」にも同じようなことが起こったことが続いて語られます。聖書に親しんでいる者であればよくよく知っている有名な出来事を続けて引用して、世の人々が迫っている危機を自覚せず、日常の安逸に埋没している姿が描かれます。

 「人の子が現れる日にも、同じことが起こる。その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。同じように、畑にいる者も帰ってはならない」。(一七・三〇〜三一)
 ノアとロトの時代(日々)に起こったことを思い起こさせた上で、「人の子が現れる日にも、同じことが起こる」という警告がなされます。ここでははっきりと「人の子が現れる日」と単数形で、「現れる」という動詞を用いて、その日の出来事が描かれています(三〇節)。突如洪水が襲ってきたように、また突然天から火と硫黄が降ってきたように、その日には人の子が、稲妻が大空の端から端へと輝くように、思いがけないときに突如現れて、世界を裁くことになると警告されます。
 ところが、その日に備えて目覚めていなさいという勧告の部分に、マルコの「小黙示録」にある、差し迫っている戦禍から急いで逃れよという預言的勧告(マルコ一三・一五〜一六)がそのまま用いられています(三一節)。マルコのこの部分は、エルサレム神殿の崩壊を預言されたイエスの言葉の中で、迫っているローマ軍の徹底的な破壊から逃れるために急いで避難するように叫んだ(ユダヤ戦争時の)預言者の言葉が用いられたものと見られますが、その伝承を知っているルカが、それをこの世の安逸に埋没せず、地上の何物にも執着せず、すべてを捨てて「人の子の日」に備えるように説く素材として用いたと見られます。

 「ロトの妻のことを思い出しなさい。自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである」。(一七・三二〜三三)
 すべてを捨てて滅び行くこの世界から逃れることの緊急性を指し示す実例をとして、ルカはロトの妻のことを思い起こさせます。ソドムの町がその悪行のゆえに天からの硫黄の火で焼き滅ぼされた日、ロトは主の御使いに連れ出されて、「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない」と命じられます。ところが一緒に逃げた「ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった」と語り伝えられています(創世記一九章、とくに一七、二六節)。

 この後ろを振り返ったロトの妻のように、地上の命に執着して、それを維持することだけに汲々とするものは、結局滅び行くこの世界と共に滅んで命を失うことになるが、来たるべき「人の子」の日に備えて、この世の命を失うことも辞さないものは、かえってその地上の命を豊かに生き、最後には永遠の命に達するのだという、命の逆説が語られます。この命の逆説は、もともと苦しみを受ける人の子に従う弟子の心構えを説かれたときに語り出されたものでしょうが(マルコ八・三五)、ルカはその語録をマルコと同じく受難を告知された時にも用いていますが(九・二四)、「人の子の日」に備えることを説く文脈でも用います。

 「言っておくが、その夜一つの寝室に二人の男が寝ていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。二人の女が一緒に臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される」。(一七・三四〜三五)
 稲妻がひらめいて大空の端から端へと輝くように、人の子が現れる日に地上に起こることが、印象深く語られます。この語録の二人の男と二人の女は、外から見ればまったく同じように見え、また同じような状況にあっても、目には見えない「人の子」との関わり方によって、まったく別の定めに渡されることを指し示しています。「連れて行かれる」と「残される」が何を意味するかが議論されていますが、「人の子」が天から現れて御自身に所属する民を集められるということが語られているこの文脈では、「連れて行かれる」は「人の子」のもとに集められることを意味し、「残される」は地上に残されて滅びに渡されるという意味であるとしなければなりません。「人の子」が現れる日には、そのような性質の出来事が起こるのであるから、地上の生活に埋没せず、「人の子」が現れる日に備えているように説き勧める語録となっています。

 [畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される]。(一七・三六 異本による訳文)
 二人の男の場合は、マタイ(二四・四〇)では「畑にいる」となっているので、それに合わせた文が挿入されたものと見られます。底本は[ ]に入れています。

 そこで弟子たちが、「主よ、それはどこで起こるのですか」と言った。イエスは言われた。「死体のある所には、はげ鷹も集まるものだ」。(一七・三七)
 これも解釈が難しい語録です。第一の困難は、弟子たちの質問の意味です。イエスがはっきりと「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない」と言っておられるのに、「それはどこで起こるのですか」という質問は何を訊ねているのかという問題です。人の子は稲妻のように現れると言っておられるのですから、人の子が現れるのはどこですかという質問はありえません。強いて推察すれば、ノアの時の大洪水やロトの時の天からの火と硫黄のような終わりの日の大災害が起こるのはどこですかと訊ねていると考えられます。

 第二の、そして主要な困難はイエスの謎の言葉です。イエスは弟子たちの「どこで」という質問には答えず、謎の言葉《マーシャール》を語られるだけです。この困難な謎の言葉にはずいぶんと多くの解釈が提案されており、その一つ一つを検討するゆとりはないので、ここでは文脈から理解するように努めます。
 イエスの「死体のある所には、はげ鷹も集まるものだ」という謎の言葉で、「死体」と訳されている原語は《ソーマ》(体)です。並行するマタイ(二四・二八)では「死体」を指す語《プトーマ》が用いられているので、また内容からも当然、ルカの《ソーマ》は「死体」と訳されています(《ソーマ》には死体という用例もあります)。どちらも単数形で用いられているので、この言葉が与えるイメージは、戦場などで累々と横たわる死体の上にはげ鷹(複数形)が集まってくるというものではなく、死体が一つあればそこにははげ鷹が集まってくるものだという原理を述べていることになります。

 「神の国」は見える形では来ない、あるいは「人の子」は稲妻のように現れることを主張するこの段落の文脈からすれば、その結びとなるこの謎の言葉もその線上で解釈されなければなりません。マタイ(二四・二七〜二八)では、稲妻の言葉とはげ鷹の言葉は続いていて、「稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである。死体のある所には、はげ鷹が集まるものだ」となっています。弟子の質問に対する答えではなく、「人の子」が稲妻のように現れることと直接結びつけられています。すなわち、はげ鷹の言葉は稲妻の言葉の比喩による確認となっています。死体のある所にはげ鷹が集まるのは確実なように、このような腐臭を放つ世界に「人の子」が稲妻のように現れて、最終的な神の裁きを行うのは避けられないと言っていると理解できます。

 ルカでは弟子たちの質問に対する答えとして、なおそれが起こる場所のことを考えている弟子たちの誤りを指摘するために、イエスはこの謎を語り、「人の子」が稲妻のように現れて世界を裁くことになる必然性を確認されたとしなければなりません。


  補説 ルカにおける終末待望

ルカと来臨遅延の問題

 最初期のキリスト信仰共同体は、復活されたイエスがすぐにも栄光の支配者として世界に臨まれるという「キリストの来臨」《パルーシア》への待望に熱く燃えていました。とくにイエスの直弟子である使徒たちが直接共同体を指導していた前期(七〇年まで)には、キリスト来臨は自分たちの世代にあるという差し迫った待望として熱く燃えていました。しかし、使徒たちが世を去り、来臨と結びつけて語られていたエルサレム神殿の崩壊が起こった後も「キリストの来臨」はありませんでした。それで、後期(七〇年以後)には「来臨の遅延」が問題となり、共同体はこの問題に真剣に対処しなければならなくなります。

 この後期に、しかもその終わりの頃に二部作(ルカ福音書と使徒言行録)を書いたルカは、この来臨待望の問題をどのように扱っているのかを、ここで見ておきたいと思います。ルカは、前期と後期を通じて、パレスチナ・シリアから東地中海、ローマに至るまでの各地域の共同体で形成され伝えられてきた伝承を広く集めて、その二部作を著述しました。そのさいルカは忠実な歴史家としてそれらの伝承を公平に用いましたが、やはり著述にあたってはその表現や構成の仕方に彼の信仰理解が出てきます。伝承を用いて著作を構成する仕方から、ルカは「キリストの来臨」という問題をどのように理解し、どのように扱っているのか、その信仰をどのような形で共同体に提示しているのかを見ておきましょう。

 福音書において最初期共同体の来臨待望を伝える基本的な伝承は、マルコ福音書一三章に集められているイエスの語録集です。イエスが終末について語られた語録が、エルサレム神殿の崩壊について語られた預言をきっかけにしてまとめられています。この終末預言は極めて強い黙示思想的な表現(たとえばマルコ一三・二四〜二七)を用いて語られており、また黙示思想特有の終末の前に地上に起こる前兆が扱われているので、マルコ福音書一三章は「マルコの小黙示録」と呼ばれています。

 ルカが著述したころには、マルコ福音書は筆頭使徒であるペトロから出た伝承として、権威ある福音書として流布していたようで、ルカも福音書を著述するとき、基本的にマルコ福音書に従っています。とくにガリラヤでの福音活動を語る第一部とエルサレムでの受難を伝える第三部では、ほぼ忠実にマルコに従って著述しています。それで、ルカは第三部ではマルコに従い、イエスが神殿の崩壊を預言された後に続けて、二一章で「マルコの小黙示録」をほぼそのまま用いて、イエスの終末預言を伝えています。もっともエルサレム陥落を数十年前の過去の出来事として見ているルカの書き方は、その出来事の渦中で成立したマルコと違ってきていますが、この点については二一章の講解で触れることになります。

 ところが、これまでに繰り返し述べたように、第二部の「旅行記」では、ルカは自分がもっている独自の資料を自由に用いて、自分の信仰理解を表現しています。今回扱った一七章(二〇〜三七節)の終末預言もそのような性格の段落です。すなわち、二一章の方は当時の共同体一般の伝統的な終末待望の表現であり、一七章の方がルカ独自の終末理解を示しているということです。

 

神の国は見える形では来ない

 一七章(二〇〜三七節)の神の国の到来に関する終末預言の主旨は、この段落の講解で見たように、神の国は地上の歴史的な出来事として来るのではないということでした。その主旨は、この段落を構成する二つの主要な宣言の言葉で表現されています。一つは、「神の国は、見える形では来ない。・・・・実に、神の国はあなたがたのただ中にあるのだ」(二〇〜二一節)という言葉で、もう一つは「稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れる」(二四節)という言葉です。

 「神の国は、見える形では来ない」という言葉と、「実に、神の国はあなたがたのただ中にあるのだ」という言葉は、ルカだけにある言葉で、マルコとマタイにはありません。先に二三節の講解で述べたように、マルコ(一三・二一)がメシア僭称者の出現を終わりの日のしるしとして語っている言葉を、ルカは「メシア」を省くことで、「『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない」という形にして、「神の国は、見える形では来ない」という命題の根拠にし、「神の国はあなたがたのただ中にある」という主張の前置きとしています。そうすると、ファリサイ派の人たちの質問にお答えになったイエスの言葉の全体(二〇〜二一節)が、イエスの語録伝承を伝えるものというより、ルカによって構成された文、すなわち終末に関するルカの理解と主張を提示する文であることになります。

 それに対して稲妻の言葉はマタイに並行箇所があり、「語録資料Q」から採られたものと見られます。すなわち、ルカはここで伝承されたイエスの語録を用いて、神の国は地上の歴史的な出来事として来るのではないという理解と主張を根拠づけています。マタイはこの稲妻の言葉を「マルコの小黙示録」を再録する二四章に組み込んでいますが(マタイ二四・二七)、ルカは神の国は地上の歴史的な出来事として来るのではないことを主張するまったく別の文脈で用いています。その箇所の講解で見たように、稲妻の言葉は、神の支配は人間が地上で時間の中で行っている出来事(=歴史的出来事)とはまったく別次元の出来事として起こることを指し示しています。この稲妻の比喩は、「神の国は、見える形では来ない」(=時間と空間の枠の中で起こる歴史的出来事ではない)ということを指し示すイエスの重要な比喩です。わたしは、この稲妻の言葉がイエスの終末告知の基本的な性格を指し示していると考えています。

 

黙示思想に対するアンティテーゼ

 福音書に伝えられているイエスの終末告知を問題にするとき、いつも「マルコの小黙示録」だけが主要な資料として取り上げられることに対して、エレミアスはルカ福音書一七章のこの段落の重要性を指摘し、「福音書には二つの黙示録がある」と言って、「マルコの小黙示録」と並べてこの段落をあげ、これを詳しく分析しています。その分析には傾聴すべき点が多々ありますが、それを「黙示録」と理解している点が問題です。ルカのこの段落は「黙示録」でしょうか。

 たしかにルカ福音書一七章のこの段落には、「人の子が現れる日」のことが語られ、「人の子の日々」が扱われています。もともと「人の子」という表現は黙示思想に属するものですから、「人の子」が主題となる文は「黙示思想的」というレッテルを張られても仕方がありません。しかし、ルカのこの段落は、ここで見たように、「マルコの小黙示録」とは違った内容です。マルコ福音書一三章は、その核心部分(二四〜二七節)の表現が黙示思想そのものであり、それに先立つ地上の出来事が前兆として問題にされていることなど、「小黙示録」と呼ばれる理由があります。しかし、ルカのこの段落では「人の子」の現れる終末は地上の時間と空間の中で起こる歴史的出来事ではないということを語っているだけで、黙示文書特有の地上の出来事の時間表はいっさいありません。むしろ「神の支配は見える形では来ない」と主張することで、終末の到来を地上の出来事と関連づけて語る黙示文書と対立しています。これは黙示録というよりは、黙示録とか黙示思想的傾向に対するアンティテーゼ(対立する主張)です。

 もしこの段落を黙示思想に対してルカが提出しているアンティテーゼと理解するならば、「神の支配はあなたたちのただ中にある」という言葉は、必ずしもイエスの状況で理解しなくてもよいことになり、むしろルカが彼の時代の共同体に「あなたたち」と語りかけて、神の支配はすでにキリスト信仰共同体のただ中に実現しているのであり、黙示思想がしているように、その将来の到来をいつであるかとか、どのように来るのかと問題にする必要はないと主張していることになります。

 先に述べたように、ルカは第三部ではマルコに従い、「マルコの小黙示録」とほぼ同じ内容をイエスの終末預言として収録し、当時の共同体の一般的な終末待望を伝えています。しかし、これからの異邦人共同体がそのような黙示思想的な信仰に傾くと危険な面が出てくることを心配してか、あるいはもともと黙示思想的思考が異邦人共同体になじまないことからか、黙示思想的信仰のアンティテーゼとなるこの段落を、自分独自の主張を自由に置くことができる物語空間の「旅行記」に入れて、バランスを取ろうとしたのではないかと推察されます。わたしは、この段落の存在にルカの絶妙なバランス感覚を感じます。

 ルカが一七章のこの段落で黙示思想に対するアンティテーゼを提出しているからといって、終末待望そのものを否定しているのではありません。稲妻の言葉が指し示しているように、「人の子」の栄光が全世界に輝き渡る時がいつ来るか分からないのであるから、常に目覚めて備えていることが必要であることを、ルカはノアやロトの故事を引いて強調しています。これは「マルコの小黙示録」の結論部分(マルコ一三・三二〜三七)と同じです。

 

ルカの位置

 この段落を黙示思想に対してルカが提出しているアンティテーゼと理解するとき、それは福音の歴史的展開の流れの中でのルカの位置を思い起こさせます。「序章 ルカ二部作の成立」で見たように、ルカは最初期後期の最後の時期に著作活動を行い、それまでの様々な伝承や潮流をまとめて次の時代に引き渡す連結器のような位置に立っています。先に見たように、七〇年の神殿崩壊以後の後期においては、前期に見られた熱烈な黙示思想的来臨待望は主導的な傾向ではなくなり、異邦人が主流を占める共同体では、思考の枠組みそのものがギリシア化して、コロサイ書やエフェソ書に見られるように、来臨《パルーシア》そのものが語られなくなります。しかし一方では、マルコ福音書の流布に見られるように、パレスチナ・ユダヤ人が形成した黙示思想的来臨待望も使徒からの伝承として尊重され続けます。

 ルカはエーゲ海地域のパウロ系共同体を基盤として活動したと見られますが、忠実な歴史家として、パレスチナを含む各地の様々な傾向の伝承を公平に受け入れ、とくに使徒的伝承の結実であるマルコ福音書を尊重して、それに従って自分の福音書を書いています。しかし同時に、コロサイ書やエフェソ書に見られる後期の異邦人共同体の信仰の立場から、使徒的伝承にもアンティテーゼを立ててバランスを取っているように見られます。そして事実、二世紀以後のキリスト教会は、建前では使徒的な黙示思想的終末待望を標榜しながら、実質的にはこの段落の「神の支配はあなたたちのただ中にある」というルカのアンティテーゼの路線に従って歩むようになっていきます。


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