マタイによる福音書 20

 誕 生 物 語 の 福 音

     ー マタイ福音書 一〜二章 ー


第一節 イエスの誕生物語
第二節 イエスの幼児物語



 はじめに


 マタイ福音書は、イエスの働きと生涯の出来事を物語ることによって、キリストとしてのイエスに現された神の救いを宣べ伝えようとしています。したがって、そのような内容と性格において、マルコ福音書と基本的に同じです。マルコ福音書については、すでに詳しくその全体を講解していますので、この「マタイによる福音書」シリーズでは、マルコ福音書にない記事とか、マルコ福音書と違うマタイの特色を取り上げて、マタイが語る福音を聴いていきたいと考えています。

 すでに前回までで、マタイの特色がもっとも強く出ている「山上の説教」(五〜七章)を詳しく見ました。次に、マタイが福音書のプロローグ(序説)として最初に置いている「誕生物語」(一〜二章)を取り上げます。この「誕生物語」はマタイ独自の記事で、イエスの系図、誕生、幼児期を物語ることによって伝記的な体裁を整えると同時に、福音書全体で語ろうとする主題を予告する信号を発しています。「誕生物語」は、この福音書全体の基調を提示しているという意味で重要です。


第一節 イエスの誕生物語




 イエス・キリストの系図


標 題

 アブラハムの子でありダビデの子であるイエス・キリストの系図。

(一・一 私訳)

 マタイはその福音書を「イエス・キリストの系図」という書き出しの言葉で始めます。ここで「系図」と訳されている語は、ギリシャ語原典では「起源の書」という表現が用いられています。これは、旧約聖書に親しんでいるユダヤ人読者には直ちに創世記二章四節の「天と地の起源の書」とか、創世記五章一節の「人間たちの起源の書」(いずれも七十人訳ギリシャ語聖書の直訳)を思い起こさせる表現です。実際には直後に系図が来るのですから、マタイはこの表現で「系図」を指していると見てよいのですが、そのような表現を用いることによって、これから物語ろうとするイエス・キリストの物語は、天地創造や人間の歴史の物語に対応する重さをもつものであることを、マタイは読者に印象づけようとしたのかもしれません。

 マタイはイエス・キリストの物語を、その方の起源(由来)を示すことから初めます。まず、その方は「ダビデの子」であること、すなわちダビデの家系に由来する方であることが示されます。それは、イスラエルを救うメシアはダビデの家系から出ると、広くユダヤ人の間で信じられていたので、ユダヤ人読者にイエスが約束されたメシアであることを示すためです。イエスが「ダビデの子」であることは、ごく初期のユダヤ人キリスト教徒の間で重要視されていました。そのことは、パウロがロマ書の冒頭(一・二〜四)に引用している初期のキリスト宣教定式からもわかります。そこでは、「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ」と宣言されています。

 当時のユダヤ人のメシア待望と「ダビデの子」との関係については、マルコ福音書講解 69「ダビデの子」を参照してください。

 続いてイエス・キリストが「アブラハムの子」であることが加えられています(原文ではダビデの子の後)。ユダヤ人はみなアブラハムの子孫ですから、イエスが「アブラハムの子」であることにわざわざ言及するのはどういう意味があるのか、さまざまな見方があります。ユダヤ教において、アブラハムは偶像礼拝から唯一神礼拝に回心した改宗者の原型とされていましたから、異邦人伝道を志向するマタイがイエスを「アブラハムの子」として提示したのかもしれません。しかし、やはりイエスがアブラハムに与えられた約束を実現する方であるという主張をここに見るのがもっとも自然な見方でしょう。神はアブラハムを選び、「地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る」と約束されました(創世記一二・一〜三)。マタイはこの系図によって、イエス・キリストこそこの約束を成就する方であると主張していると見ることができます。
 
 新約聖書は大部分ユダヤ人によって書かれていますから、イエスをユダヤ教最大の預言者モーセとの対比で語ることが多いのですが(マタイもその一人です)、その中でパウロはイエス・キリストを(モーセではなく)もっぱらアブラハムに対応する方として語っています(ガラテヤ書三章)。おそらくマタイはパウロを知ることなく、パウロとは独立に、イエス・キリストを「アブラハムの子」として示すことで、福音がユダヤ人だけでなく、異邦諸民族すべてに与えられていることを示唆しているのです。こうして福音書の最初の節は、「あなたがたは行って、すべての民(異邦諸民族)をわたしの弟子としなさい」という最後の節と呼応することになります。

マタイが、異邦人伝道を否定する保守的なユダヤ人キリスト教体質と戦って、異邦人伝道を志向していることについては、マタイ福音書の成立事情を解説した「1 イエスの語録と福音ーマタイ福音書の成立」、とくにその中の「マタイ福音書執筆の状況」の項を参照してください。

 マタイは福音書全体でいつも「イエス」という名を用いますが、著作の標題的な位置を占める冒頭の節では「イエス・キリスト」という名称を用いています(この呼び方はマルコ福音書の冒頭と同じです)。この名称は一章一八節でもう一度用いられるだけで、他では用いられません。「イエス・キリスト」という名称は、マタイの時代にはすでに一人の人を指す固有名詞となっていましたが、ここでは「キリスト」はメシアとか救済者という地位を示す称号としての意味を保持していると見られます。すなわち、マタイは「キリスト(メシア、救済者)としてのイエス」の「起源の書」(一節)とか「誕生の次第」(一八節)を語るのです。「キリスト」がそのような意味で用いられていることは、一六節で「キリスト(メシア)と呼ばれるイエス」と説明されていることからもうかがわれます。

系 図

 アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、・・・・・・・・ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。

(一・二〜一七 中間の本文省略)

 マタイはアブラハムからヨセフに至る系図を掲げます。この系図はイエス・キリストの出現をイスラエルの歴史としっかり結びつけ、旧約と新約の連結器の役割を果たしています。この系図は、アブラハム以来、神がイスラエルの歴史の中に働いてこられた流れの到達点として、イエスがお生まれになったことを宣言するのです。逆に言えば、アブラハムから始まるイスラエル二千年の歴史は、イエス・キリストの出現によってその意義を全うするのであると宣言しているのです。
 
 詳しく見ると、この系図には多くの問題点があります。今は個々の問題点を考察するゆとりはないので、マタイの福音提示を理解するのに有益と思われる数点に絞って考察します。

 1 この系図はヨセフの系図ですが、ヨセフはイエスの誕生に直接関与していないことが明言されています(一・一八)。それにもかかわらず、ヨセフの系図が掲げられているのは、ユダヤ人社会では男性だけが系図を構成するからです。イエスが「ダビデの子」であるためには、イエスの父親がダビデの家系でなければならないのです。ところで、イエスがヨセフの実子でなくても、ヨセフが子と認知すれば、イエスはヨセフの家系を継ぐ者として、ダビデの家の出身となるのです。それで、ヨセフとの関係なしでマリアから生まれたイエスが、ヨセフの家系であるダビデ家の出身であることを示すために、マタイは次の段落(一八〜二五節)で天使のお告げによってヨセフがイエスを正式に子として受け入れたことを物語るのです。系図(二〜一七節)と誕生の次第(一八〜二五節)は一体として、メシアであるイエスの「血統証書」を構成するのです。
 
 2 この系図には、タマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻という四人の女性の名があげられています。系図に子を産んだ女性の名があげられるのは異例のことです。なぜこの四人の女性の名があげられているのか、その理由とか目的について様々な見方があります。四人の婚姻関係はみな問題をはらむものであったので、そういう婚姻関係からも神はメシアの先祖になる人物を得られることを示して、問題視されていたマリアの場合を擁護しているという見方もあります。しかし、この見方は、ユダヤ教では四人の女性が必ずしも非難されていないので困難です。おそらく、四人とも外国人女性であることが共通していますから(ウリヤの妻は外国人であるとは明言されていませんが、「ヘテ人ウリヤ」の妻として推定できます)、メシアの家系に外国人の血が入っていることを示して、神はイスラエル以外の異邦人をも顧みる神であることを語っていると見るほうが自然でしょう。この見方は、異邦人伝道を志向するマタイの意図にも合致します。
 
 3 マタイは、アブラハムからダビデまで、ダビデからバビロンへの移住まで、バビロンへ移されてからキリストまでという三つの区分を、それぞれ聖数七の倍の一四代という数でまとめています(一七節)。この数え方には不正確な点があって、必ずしも事実と一致しません。同一人物を重複して数えたり、逆に違う人物を一人に数えたり、王名が三代も欠落しているというような問題点があります。しかし、わたしたちはここに年代記的な正確さを求めるべきではなく、著者の神学的意図を探るべきです。当時ユダヤ教の一部には、歴史の中の神の働きを年数を区切って物語る風潮があり、そのさい、七年(週年)を単位として数える傾向がありました(たとえば「ヨベル書」)。マタイは、イスラエルの歴史の始まりであるアブラハムからダビデ王国の成立までを七の倍の一四代と数え、ダビデ王国がバビロン捕囚で滅びるまでを同じ一四代とすることで、次の出来事、すなわちダビデ王朝の回復を担うと約束されたメシアが到来するのも一四代後であると示唆した上で、捕囚から一四代目のイエスの誕生を語ります。そうすることで、イエスの誕生がまさにメシアの到来にふさわしい神の時であることを告げているのです。
 
 4 マタイは彼の福音書全体を通していつも「イエス」という名を用いていますが、一章の系図と誕生を語るところで、「イエス・キリスト」という名を二回(一節と一八節)、「キリスト」という名を二回(一六節と一七節)用いています。先に述べたように、ここでの「キリスト」は(神から油注がれた)メシアとか救済者の称号としての意味を保持しているので、原語のギリシャ語《クリストス》を「キリスト」と訳すか「メシア」と訳すかが問題となります。マタイの時代でも現代でも、「イエス・キリスト」という名は一体として用いられていますので、一節と一八節ではこう訳すのが自然でしょうが、一六節と一七節ではメシアとしての称号ですから、「メシア」と訳すか、「キリスト」とするにしても個人名ではなく称号であることを説明する必要があると思われます。

 最新の英訳聖書NRSVは四箇所とも「メシア」と訳しています(一節と一八節では Jesus the Messiah)。新共同訳は一六節だけを「メシア」と訳していますが、そうするのであれば少なくとも一七節は「メシア」と訳さないと、一貫性を欠くと思います。《クリストス》の訳し方については、「マルコ福音書講解44 苦しみを受ける人の子」の中の「メシアとキリスト」の項を参照。

 

 イエス・キリストの誕生


聖霊による誕生

 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。

(一・一八〜一九)

 マタイが語る「誕生の次第」では、ルカと違い、その主人公はマリアではなくヨセフです。天使はヨセフに現れ、男の子の誕生を告知し、イエスという名を与えることを命じます。この段落(一・一八〜二五)の動詞の主語はいつもヨセフです。

 婚約はしているが、まだ婚礼をあげ自分の家に入って結婚関係を結ぶにいたっていないマリアが妊娠していることが分かったとき、ヨセフはひそかに縁を切ろうと決心します。マリアの妊娠が「聖霊によって」であることは、後で天使のお告げで分かることです。一八節でそう語られているのは、読者がすでに知っていることをマタイが先取りして言及しているだけで、当のヨセフにはまだ分かっていません。ヨセフにとってマリアの妊娠は結婚を不可能にする悲しむべき大事件であったはずです。
 
 当時のユダヤ教社会では婚約関係は法的には夫婦として扱われますから、婚約中の女性が婚約相手以外の男性と性関係をもったことが明らかになれば姦通の罪に問われます。ヨセフは律法を遵守するという意味でも「正しい人」でしたが、相手への思いやりが深いという意味でも「正しい人」であったので、マリアを法の裁きにさらすことを望まず、ひそかに離縁することで問題を解決しようとします(独身女性が妊娠出産しても姦通罪にはなりません)。婚約を解消するにも、証人の前で離縁状を渡す必要がありますが、おそらく理由を明示しないで離縁状を渡すという形で、「ひそかに」離縁することを決心します。

 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」。(一・二〇〜二一)

 旧約聖書以来、とくに捕囚後のユダヤ教時代では、神の特別の啓示を人間に伝えるために、神の「御使い」が登場します。この時代のユダヤ教を彩る黙示文学では、いつも天使が天界の奥義と来るべき時代の秘密を見者に伝えます。メシアたるイエスの誕生物語も、天使の登場と告知によって、神の計画の進行が物語られます(一・二〇、二・一三、二・一九)。ヨセフがマリアを離縁すると決意したにもかかわらず、その決意を翻してマリアを妻として迎え入れたのは、夢に現れた天使のお告げによるとされます。こうして、すべてが神の計画によるものであることが強調されます。
 
 ヨセフは天使から「ダビデの子ヨセフ」と呼びかけられています。この呼びかけは、天使のお告げが生まれる子をダビデの家系に入れるための神の計画であることを、あらためて強調しています。天使は、マリアの胎の子は聖霊によって宿ったものであるという秘密をヨセフに明かして、ヨセフに恐れることなく、マリアを妻として迎え入れるように、すなわち、生まれる子を自分の子として受け入れるように促します。こうして、男性の関与なしに聖霊によって懐胎した子が同時にダビデの子であるという矛盾が、天使のお告げで解決されます。ヨセフとマリアは、人間的な悲劇の重荷に耐えて、神の計画を実現する器とされているのです。
 
 同時に天使はヨセフに、生まれる子にイエスという名をつけるように命じます。この物語は、イエスという名が人間の親の好みでつけられた名ではなく、神がその人物の使命を表現するために与えられた名であるという信仰を現しています。しかも、マタイはその名に、「自分の民を罪から救うからである」という説明を加えることで、自分が書く福音書の主人公の本質を一言で語りきっているのです。
 
 「イエス」という名は、モーセの後継者として民を約束の地に導き入れたヨシュアと同じ名です。この名は、ヘブライ語では「ヤハウェは救い」という意味をもつとされ、イスラエルの男子には珍しくない名前でした。マタイはイエスの名を「救い主」を意味する名としているのですが、同時にその救いを「罪からの救い」とすることで、これから描こうとしているメシアの姿に標題をつけているのです。マタイが描くメシアは「民を罪から救う方」なのです。
 
 マタイはイエスが「ダビデの子」であることを強調しています。これは、ユダヤ人にイエスをメシアとして示すためには必要なことでした。しかし、マタイはユダヤ人が期待する「ダビデの子・メシア」とはまったく違ったメシアを示すのです。当時のユダヤ人は、イスラエルの民を異教徒の支配から解放し、世界に自分たちの神の支配を確立するダビデのような人物を待望していたのでした。それに対して、マタイは「自分の民を罪から救う」メシアを提示するのです。ユダヤ人は律法を守る自分たちこそ義人であって、メシアは律法をもたない罪人である異邦人の支配から義人であるユダヤ人を救い出してくれる人物であると信じていました。ところが、マタイが提示する「ダビデの子」メシアは、罪に陥っている自分の民を罪の支配から救い出して、神との本来の交わりに回復してくださる方なのです。しかも、「自分の民」には異邦人も含まれるのです。マタイのメシア像は、ユダヤ人の誇りを打ち砕く質のものです。

インマヌエル

 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

(一・二二〜二三)

 マタイは、イエスという名に「自分の民を罪から救う方」という姿を見るだけでなく、この方の本質を示すもう一つの名をあげます。それは、預言者イザヤの書から取られた「インマヌエル」という名です。

 マタイが引用する預言者イザヤ(七・一四)の予言は、シリアと同盟した北王国イスラエルが攻めてくると怯える南王国のアハズ王に、主だけに信頼するように求めたイザヤの預言(イザヤ七・一〜十六)の中の一節です。その中で、主御自身が与えられるしるしとして一人の男の子の誕生が語られます。この予言の新共同訳が「おとめ」と訳している語は、ヘブライ語聖書では《アルマー》という語で、これは既婚と未婚を問わず結婚適齢期の女性を指します。未婚女性を指す《ベツラー》ではないので、他のギリシャ語訳聖書は「若い女」と訳していますが、七十人訳ギリシャ語聖書は処女という意味をも含む《パルテノス》という訳語を用いていますので、マタイは自分が用いる処女懐妊の伝承の聖書証言に最適だとしてこの訳を使ったと見られます。
 
 マタイがこのイザヤの預言を引用するさい、重点は「処女」が子を産むという予言としてではなく、その子が「インマヌエル」と呼ばれることにあります。マタイによれば、たしかにイエスはまだヨセフと関係していないマリアから生まれたのですが、そのようにして生まれたイエスは、イザヤが予言したとおり、「インマヌエル」の現実、すなわち「神が我々と共におられる」という現実をもたらす方となったことが強調されているのです。
 
 マタイはイエスの生涯を物語るさいに、この「インマヌエル」の視点 すなわち、イエスは神が我々人間と共にいてくださる現実をもたらされた方であるという視点から、イエスの働きを描くのです。イエスが語られる言葉は、イエスと共におられる神がイエスを通して人間に語られる言葉であり、イエスがなされる業は、神がイエスを通してなされる業なのです。「インマヌエル」は、マタイがイエスの像につけたもう一つの標題です。
 
 ところで、マタイ福音書は「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」という復活者イエスの言葉で終わっています(二八・二〇)。復活されたイエスが自分たちと共にいてくださり、自分たちの中に働いてくださっているというのが、最初期の弟子たちの共通の信仰内容でした。彼らにとって、復活者イエスが共にいてくださるとは、「神が我々と共におられる」ことに他ならなかったのです。マタイはこの現実の中から語り出すのです。「インマヌエル」であるイエスが、復活者として自分たちと共にいてくださる、これが初期の信徒の信仰内容であり、福音の核心です。こうして、福音書の前置きともいうべき誕生物語の中で掲げられたイエスの名「インマヌエル」は、福音書の最後の言葉と対応して「囲い込み」を形成し、この福音書全体の主題を提示することになります。すなわち、マタイ福音書は、今わたしたちと共にいますイエス・キリストを物語る書であり、それによって人間の中に現臨される神を示す書である、と言えます。これは他の福音書も同じですが、マタイはそれを「インマヌエル」という名を用いて表現しているのです。
 

 ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。

(一・二四〜二五)

 ルカの誕生物語とは違い、マタイではイエス誕生の光景は一切語られず、ヨセフの従順が強調されています。ヨセフは天使のお告げに従い、マリアを妻として迎え入れますが、子の誕生までは関係をもたなかったことが改めて言及され、イエスの誕生にヨセフが関わっていないことが強調されます。イエス誕生の出来事は語られず、ヨセフが天使の命令に従って、誕生の後「イエス」と名付けたことだけが語られます。

 「男の子が生まれるまで」の解釈は古代教会以はげしく争われてきました。カトリック教会は、マリアの永遠の処女性を擁護するために、男の子が生まれた後も引き続いてヨセフはマリアと関係しなかったと解釈してきました。「まで」はその後の状況の変化を必ずしも要求しないという言語上の理由です。それに対して古代教会以来一部の人たち、とくにプロテスタント側では、男の子が生まれるまでは関係しなかったが、その後は普通の夫婦関係をもち、イエスの弟や妹たちが生まれたと解釈してきました。カトリックの解釈では、イエスに弟妹はありえないのですから、マルコ福音書六章三節の「兄弟たち、姉妹たち」は「従兄弟、従姉妹」を意味するなどと、かなり無理な説明がされてきました。もともとマタイはイエスの誕生にヨセフが関与していないことを主張しているだけで、イエス誕生以後のことには関心をもっていないのですから、それ以後もマリアは処女であったというような無理な解釈はしなくてもよいはずです。マリアの永遠の処女性という思想は、マリアの無原罪の教理とともに、ずっと後代のカトリック教会の思想であって、新約聖書の解釈に持ち込むべきではありません。

「処女降誕」について

 新約聖書の中でも、パウロ書簡、マルコ福音書、ヨハネ福音書は誕生物語がなく、イエスの処女降誕も主張していません。詳しい誕生物語をもち、その中でイエスの処女マリアからの誕生を語っているのは、マタイ福音書とルカ福音書だけです。しかも、マタイ福音書とルカ福音書では誕生物語はかなり大きく異なっています。この事実は、初期においてはイエスの誕生に関する伝承はごく一部の地域またはグループに個々に伝えられていて、このような伝承を知らない地域またはグループも多かったことを示しています。初期には、イエスがどのように生まれたかには関心がなく、当然普通の誕生であったと考えていた人たちも多かったわけです。イエスの誕生をどう考えるかは、イエスをキリストと信じる信仰に関係がなかったのです。
 
 イエスの誕生に関する伝承がどのように伝えられ、マタイとルカの誕生物語に用いられるようになったのか、その経過は明かではありません。母のマリアを含むイエスの家族は最初期のエルサレム集会に加わっていますし(使徒一・一四)、とくに弟のヤコブは「義人」として内外の信望あつく、後にエルサレム教団を代表する指導者になっています。この家族から何らかの素材が出て、ユダヤ人信徒のグループで伝承が形成された可能性が考えられます。最初期のエルサレム教団で、イエスの家族と近親者、とくに母マリアが特別な立場にあったことは、イエスを生んだ母親への賛嘆をたしなめるような伝承(ルカ一一・二七〜二八)があることからもうかがえます。
 
 周囲のユダヤ人がイエスの出生を問題視していたことは、イエスが「マリアの子」と呼ばれたことからもうかがえます(マルコ六・三)。ユダヤ人社会では、「ヨセフの子イエス」と父親の名で呼ばれるのが普通です(父親がすでに亡くなっていても)。「マリアの子」という呼び方は、父親がわからない出生であるという疑念を表す呼び方です。イエスに反対する者たちは、イエスの出生をマリアの私通によるものと嘲笑し、イエスを信じる者たちはそれを「処女懐胎」と主張したのです。
 
 イエスの出生に関する秘密は、マリアまたは家族から出て、ユダヤ人キリスト教徒の間で伝承を形成し、マタイとルカによって美しい誕生物語に書きとどめられます。その過程はもはや解明することはできませんが、その伝承を担った人たちも書き記した人たちもみな、イエスを復活者キリストとして信じ宣べ伝える人たちですから、誕生物語が十字架と復活の福音の刻印を強く受けることは避けられません。むしろ、マタイとルカはこの福音を提示するために誕生物語を書いたと言えます。いまは個々の細い表現までに立ち入ることはできませんから、重要な数点に絞って見ておきましょう。
 
 まず第一に、イエスの誕生が聖書の予言を成就する出来事であることが強調されます。聖書の成就という福音の基本的な主張が誕生物語を形成します。その刻印は、ユダヤ人の間で成立したと見られるマタイ福音書にとくに強く現れています。すでに冒頭で系図がそのことを主張していますが、マタイは誕生物語で繰り返し、「主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった」という句を用います(一・二二、二・五、二・一五、二・一七、二・二三)。
 
 第二に、他の多くの点では大いに異なっているマタイとルカですが、イエスの誕生が聖霊によるものであることを強調するのは共通しています。この聖霊による受胎・誕生物語は、イエスが聖霊によって死から復活して神の子とされたという福音の告知(ロマ一・四)を反映しているからです。マタイもルカも共通してマリアが処女であったことを強調するのは、マリアの懐胎が人間の男性との通常の性関係によるものではなく、神の霊の働きによるものであることを示すためです。神の子は聖霊によって生まれるのです。
 
 ギリシャ・ローマ世界には、神々が人間と交わって子が生まれるという神話が多くありました。たとえばギリシャ神話で、天を司る最高神ゼウスは黄金の雨に変身して、青銅の部屋に閉じこめられているダナエを訪れ交わります。こうして生まれた子が英雄ペルセウスです。旧約聖書にもさらに古い神話の痕跡として、神の子らが地上の娘と交わりネフィリームと呼ばれる英雄たちを生んだという記事があります(創世記六・一〜四)。もちろん、新約時代のユダヤ教においては、神が人間の女性と交わって子を産むなどありえないことです。あくまで神の霊の創造的な働きの結果として、男性との関わりなしにマリアは懐胎するのです。処女懐胎は、復活信仰と同じく創造信仰の一局面です。後に処女降誕の記事は、ギリシャ・ローマ世界の人々にイエスが神の子であると説得する材料として用いられますが、本来は復活信仰の一部として、誕生伝承を素材として福音を告知するものであったことに留意すべきです。
 
 第三に、誕生物語はイエスの受難の生涯を先取りして、神の子の受難を物語ります。とくにマタイでは、三博士の礼拝に象徴されるように、イエスは世界の主として全世界に崇められますが、ヘロデ王の迫害に見られるように、イエスは同国人から迫害され命を狙われるようになることが予告されます。ルカもシメオンの予言という形で生まれた子の受難を予告します。このような受難予告は、誕生物語が福音の一部として形成されたことを示しています。

 第四に、誕生物語は福音に対する人々の対応を描いています。マタイではヨセフに代表される信じる者の従順、三博士に代表される世界の讃美、ヘロデに代表される信じない者たちの反抗が描かれます。ルカでは神が与えてくださった救いへの讃美の合唱が物語全体に響いています。

 このように誕生物語は、イエスの誕生について事実あったことを記録して報告する伝記とか歴史ではなく、神の子の世界への誕生を物語ることで福音を告知するものですから、わたしたちもそのようなものとして聴かなければなりません。このように聴くとき、処女懐胎というようなことは実際にあったのかどうか、そのようなことは可能かどうかなどは、もはや問題になりません。聖霊によってイエスを死者の中から復活させて神の子とされた方が、同じ聖霊によって処女マリアから神の子イエスをこの世界に誕生させられたのです。処女降誕は復活信仰の中に含まれます。そして両方とも万物を創造された神が、私たちの救いのために成し遂げてくださった大いなる働き、力ある業なのです。


第二節 イエスの幼児物語


  異邦人に崇められるメシア


東方の賢人たちの来訪

 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」

(二・一〜二)

 ルカと違い、マタイはイエス誕生の場面を語ることなく、ただちに誕生にともなう出来事を語り進めます。ここも「イエスがヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、占星術の学者たちがやって来た・・・・」(直訳)と物語は進みます。イエス誕生の時と場所は、東方の学者たちの来訪の時期を示す文の中で触れられるにすぎません。しかし、「イエスがヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」ことは、ルカにも共通する、確実で重要な伝承であったようです。

 ヘロデ王は紀元前四年に没していますから、イエスの誕生はそれ以前になります。ルカが伝える皇帝アウグストゥスの勅令による「キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録」(ルカ二・二)については議論が残っていますが、普通紀元前七年であったとされます。したがって、イエスの誕生は紀元前七年から四年の間であったと考えられています。誕生が何月何日であったかは分かりません。現在キリスト教界で広くキリストの誕生を祝う祝日とされているクリスマスは、四世紀頃から異教の冬至祭に対抗して制定された祝日であって、実際の誕生の日付とは関係がありません。

 
 イエスがガリラヤのナザレの人であることは当時から広く認められていましたが、出生地がユダヤのベツレヘムであることは、イエスの家族から最初期の教団に伝えられていた確かな伝承だったのでしょう。当時ユダヤとガリラヤは地理的にも文化的にも離れた地域(生活圏)でしたから、ガリラヤの人イエスがどうしてユダヤで生まれたのかが説明されなければなりませんでした。ルカは、ヨセフの出身地(本籍地)がベツレヘムであったので、そこで住民登録をするために現住地のナザレからベツレヘムへ旅をし、旅先で生まれたのだと説明しています。それに対してマタイは、ヨセフ一家がヘロデの迫害によってユダヤを去ってエジプトに逃れ、ヘロデが亡くなって帰国したとき、彼の子がユダヤを治めていると聞いてユダヤを避けガリラヤへ移住したと説明しています(二章)。マタイの記事は、ヨセフ一家はもともとベツレヘムの住人であったという前提で語られています(二・一一)。ヨセフ一家が律法に忠実な熱心派のユダヤ教徒であった(その家族の一員であるヤコブが厳格な律法遵守でエルサレムのユダヤ教徒の間で名声を得ていた)ことも、一家がもともとユダヤの住民であったと推定させます。ルカが伝えるように、ヨセフ一家がすでにガリラヤの住人であったとしても、代々の住人ではなく、ヨセフの代にガリラヤへ移住したばかりの入植者であったと推察されます(ガリラヤがエルサレムのユダヤ教教団の支配下に入ったのは、たかだか百年ほど前のことにすぎません)。
 
 イエスがベツレヘムで生まれたことが大切に伝承されたのは、イエスがダビデの家系に属することを強調するためであったと考えられます。ベツレヘムはダビデが生まれ、そこで油注がれて王位についた「ダビデの町」(ルカ二・一一)だからです。それで、将来ダビデの栄光を回復するメシアの出現に関する預言もこの町に結びつくことになります(二・四〜六)。
 
 東方の賢人たちがメシアを拝むためにはるばるエルサレムに来たことをマタイが語るのは、異邦人の学問と知恵もイエスがメシアであることを認めて、イエスを拝むようになることを示すためです。この物語は、ユダヤ教の枠を超えて福音を異邦人に伝えようとするマタイの意図を示唆する伏線となっています。
 
 「拝む」という動詞は、跪いて拝する動作を表し、マタイは懇願する姿勢にも用いていますが(二〇・二〇)、復活者イエスを神として礼拝することを示す動詞としてよく用いています(一四・三三、二八・九、二八・一七)。この段落で、異邦の賢人たちの態度が、復活者イエスに対する弟子たちと同じ「拝む」という動詞(二節、一一節)で表現されていることが注目されます。福音書の始まりと終わりで、イエスに対する異邦人の礼拝と弟子たちの礼拝が呼応しているのです。

 占星術は文明と共に旧い人類の知恵です。占星術は、天上の星辰の運動と地上の人間界の出来事との間に一定の照応関係があるとして、星辰の動きから地上の出来事の本性と帰趨を知ろうとする学問と技術であり、古代文明社会では祭祀、暦法、社会制度の基礎となっていました。オリエントに起こった占星術は、ヘレニズム文化とローマ文化の中で隆盛期を迎えます。マタイとその読者は、占星術師たちが星の動きに促されてエルサレムに来たという物語を素直に語り聴くことができたはずです。占星術が深く人類の無意識の底流となっていることは、現代の人々にも「ホロスコープ」による星占いが根強い人気を持っていることからもうかがわれます。
 すべてを因果律で説明しようとする近代科学の世界観では、星の動きと地上の歴史的事件との間に何らかの関係を求めることは荒唐無稽のこととして一笑に付されていますが、最近になって最先端をいく科学者からも、宇宙の出来事いっさいに(したがって天上の出来事と地上の出来事の間にも)、因果関係ではなく「意味の関連」を認めようという思想が現れてきているのは興味深いことです(F・D・ピート著・管啓次郎訳『シンクロニシティ』朝日出版社参照)。

 この時の「ユダヤ人の王」の星の出現について、それに相当する星の出現がなかったのか、中国の文献まで含めて多くの古代の天文学文献が調べられました。前一二年のハレー彗星や前五年の彗星などが指摘されています。また、前七年の木星と土星の接近が、王の星である木星と安息日の星、したがってユダヤ人の星である土星の重なりとして「ユダヤ人の王」の出現を示すと考えられたりしました。いずれにせよ、今ここでメシア的物語と自然科学的現象の接点を求めることは場違いなことであり、ここではあくまでマタイが語る物語の「意味」を考えるべきでしょう。

 

ヘロデとエルサレムの民の不安

 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである』」。そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。

(二・三〜八)

 異邦の賢人がイエスをメシアとして拝もうとしているのに対して、メシアの星が現れたという報せに、ユダヤ人の王であるヘロデとユダヤ教の牙城エルサレムの住民は不安に襲われます。自分の権力を維持するためには妻や息子たちも殺害したヘロデが、自分の他に「ユダヤ人の王」が出現することを恐れ、不安に襲われたのは当然ですが、マタイは「エルサレム人々も皆、同様であった」と付け加えて、後に顕わになるイエスに対するユダヤ教会堂の敵意を予感させます。東方の賢人来訪の記事は、メシア(キリスト)であるイエスに対するユダヤ人の拒否と異邦人の礼拝を対照して予告しているのです。
 
 ヘロデ王はユダヤ教の知者たちを集めてメシア誕生の場所を尋ねます。彼らが「民の」祭司長たちや律法学者たちと呼ばれているのは、本来神の民であるイスラエルの指導者が、彼らの聖書知識をもってメシア預言を知りながら、そのメシアを受け入れなかったことへのマタイの非難(または皮肉)が込められています。彼らは預言書(ミカ書五・一)を引用して、メシアはベツレヘムに生まれることになっていると答えます。ヘロデがメシア誕生の場所を尋ねたのは、そこへ行ってメシアを拝むためではなく、メシアを殺すためであったのです。また、ユダヤ教の祭司長たちや律法学者(聖書学者)たちは、彼らの聖書知識によってメシアを認め、異邦の賢人たちと一緒にメシアを拝もうとはせず、その知識によってメシアを殺そうとする権力者に荷担するだけです。
 
 ヘロデ王は東方の賢人たちを呼び寄せ、星の現れた時期を確かめ、「わたしも行って拝もう」という敬虔の装いで殺意を隠し、「その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ」と、情報の提供を求めます。

 マタイのミカ書引用は、ヘブル語原典と七十人訳ギリシャ語(両者はほぼ一致)とはかなり違っています。とくに原典ではベツレヘムについて「お前はユダの氏族の中でいと小さい者」とあるのが、「決して一番小さいものではない」と強い否定に変えられているのが目立ちます。この預言は、当時タルグム(ヘブル語聖書を民衆語であるアラム語に翻訳し、敷衍的に解説したもの)ではメシアの到来を予告するものと解釈されていたので、マタイはタルグムの表現を自由に用いているのかもしれません。さらに、マタイの引用文には、ダビデが民から王に推されたときの言葉、「わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる」(サムエル記下五・二)が、色濃く反映しています。

異邦人賢人の献げ物

 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

(二・九〜一二)

 星に導かれて幼子のいる家まで行くことができる占星術の賢人たちが、どうしてまずヘロデのところへ行って、メシア誕生の場所を尋ねなければならなかったのか、この物語には不自然さが残ります。しかし、まさにこの不自然さがマタイの意図を語っているのです。マタイはこの章で、イエスがモーセを超えるメシアであることを示すために、イエス物語をモーセ物語に対応する形で構成しています(この点については後述)。そのためには幼子を殺そうとする権力者(モーセの場合はファラオ)が登場しなければなりません。それで、この章ではヘロデ王が主役となり、幼子イエスのエジプト逃避とガリラヤ移住が主題となります。マタイは、幼子イエスに対するヘロデの殺意を説明するために、東方の占星術師の来訪を物語るのですから、彼らはまずヘロデにメシアを指す星の出現を告げなければならないのです。マタイは、ヘロデ王による幼子イエスの迫害物語を、このように東方の賢人たちのメシア礼拝を発端として物語ることによって、同時に異邦人への宣教を正当化しているのであり、極めて巧妙に物語を構成していることが見られます。
 
 東方の賢人たちは、東方の特産物である高価な宝三種、すなわち黄金、乳香、没薬を捧げて、幼子を「ひれ伏して拝み」ます。ここまで東方の賢人たちは複数形で語られてきましたが、何人であるのかは示されていませんでした。ここで彼らが三種類の贈り物をしているので、東方の賢人たちは三人であるという伝承が生まれ定着しました。さらに、この物語の背後にある旧約聖書の言葉(イザヤ六〇・一〜七、詩編七二・一〇〜一一)の影響で、この三人が王であると考えられるようになり、この物語は「三王礼拝」という題名で語り継がれ、また絵画に描かれるようになりました。
 
 彼らは「夢のお告げ」によってヘロデのところには戻らず、自分たちの国に帰ります。夢でのお告げで物語が進行していくことはヨセフの場合と同じですが、異邦人への「夢のお告げ」には主の天使は現れず、彼らの秘技である夢判断が用いられたことが示唆されています。
 

 東方の賢人たちが捧げた三種類の贈り物については、古来多くの象徴的な解釈が行われてきました。古代教父たち(たとえばエイレナイオスやオリゲネス)はキリスト論的に解釈して、黄金は王としてのイエスに、乳香は神としてのイエスに、没薬は(その死を示唆しつつ)人としてのイエスに捧げられたと解釈しました。中世以来、訓戒的に解釈され、グレゴリウス大教皇は知恵と祈りと肉を殺すこと、ルターは信仰と愛と希望を捧げることとしました。ときにはもっと具体的に、黄金は貧しいヨセフ一家を助けるために、乳香は馬小屋の悪臭を消すために、没薬は幼児の健康のために捧げられたと解釈されたりしました。この物語から説教を構成するにはこのような解釈が役立ちますが、マタイ本来の意図は、東方の賢人たちがもっとも高価な宝を捧げて礼拝したというだけですから、あまり寓喩的な立ち入った解釈は必要ないと考えられます。

 エジプトからガリラヤへ


エジプトへ避難

 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

(二・一三〜一五)

 再び物語は夢の中での御使いのお告げによって進行します。御使いはヨセフに、ヘロデが幼子イエスを殺そうとしていることを告げ、エジプトに逃れるように指示します。そこから帰国する時期も御使いの指示を待つように告げます。すべては神の計画に従って進んでいきます。ヨセフは御使いのお告げに従い、幼子イエスとその母マリアを連れてエジプトに逃れます。
 
 避難場所としてエジプトが選ばれたのは、イエス物語をモーセ物語と対応させようとするマタイ(またはマタイ以前の伝承)の意図によるのでしょう。神の民を罪から解放するメシア・イエスは、まずご自身がエジプトから導き出されるのです。同時に、この物語はイエスに結ばれる民が罪の支配(エジプトは聖書ではいつも奴隷の家の象徴です)から、モーセが民をエジプトから導き出したように、イエスと共に(イエスにあって)引き出されることを暗示しています。この物語がそのような二重の意味で語られていることは、マタイがこれを預言者ホセア(一一・一)の預言の成就であるとしていることからもうかがえます。
 
 「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」というホセア預言の「わが子」とはイスラエルの民であることは、読者はよく知っています(旧約聖書本文もそれを明示しています)。マタイはそれを承知の上で、あえてこの預言をイエスについての預言として引用します。そうすることによって、エジプトから神の計画によって導き出されるイエスが「わたしの子」、すなわち神の子であることが聖書的根拠を得ることになり、同時に、イエスのエジプトからの脱出が、この預言の本来の意味である神の民のエジプト脱出と重なってくるのです。
 

 マタイのホセア書引用は、七十人訳ギリシャ語聖書よりヘブル語聖書に近い形です。マタイは七十人訳ギリシャ語聖書に親しんでいる学者だと考えられますが、その写本すべてを目の前にしているのではなく、記憶から引用することも多いと見られます。そのさいヘブル語聖書の影響があるのでしょう。あるいは、すでに「聖書証言集」というような文書ができていて、マタイはそれを利用していることも考えられます。

ヘロデの幼児虐殺

 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」

(二・一六〜一八)

 ヘロデはメシアの星をいただいて生まれた幼子を殺すために、ベツレヘムと周辺の二歳以下の男の子を無差別に殺すという残虐な行為に及びます。権力を維持するために自分の息子まで殺して、皇帝アウグストゥスに「ヘロデの息子であるよりは豚の方が安全だ」と言わせたヘロデのことですから、物語がこのように進むことに、当時の読者はある種の納得があったことでしょう。
 
 このようなヘロデによる幼児虐殺が実際にあったのか、あるいはこの物語のきっかけになるような事件が実際にあったのか、またはなかったのか、確認することはできません。マタイは歴史を記述しているのではありません。マタイはイエス物語をモーセ物語に対応させるために、ヨセフ一家のエジプト移住の動機としてこの虐殺物語を物語っているのです。モーセが生まれたとき、エジプトの権力者ファラオはヘブルの民の男の子すべてを殺そうとしましたが、モーセは神の計画によって救い出され、後に偉大な民の解放者となるのです。そのように、モーセに勝る救い主イエスも、神の直接的な介入によって権力者の虐殺から免れるのです。
 
 マタイは、この事件も聖書の成就として預言者エレミヤ(三一・一五)の言葉を引用します。もともと預言者エレミヤの言葉は、北王国イスラエルがアッシリアに滅ぼされて民が捕らえ移されることへの嘆きを、北王国十部族の先祖の生みの母であるラケルがその子の悲運を嘆くという形で述べたものです。マタイはこのラケルの嘆きが、自分の子を殺されたベツレヘムの母親たちの嘆きにおいて成就したとするのです。ここでもマタイは、イエスこそがイスラエルの歴史の意味を成就する方であることを語っているのです。
 
 ただ、ここの聖書引用を導入する形が他の場合と微妙に違っているのが注目されます。他の箇所ではたいてい「主が預言者によって言われたことが成就するため」という形が用いられていますが、ここでは「主が言われたこと」とはされず、ただ「預言者を通して言われていたこと」となっています。この残虐な出来事が神のご計画によって起こったという印象を避けるために、「主が言われた」ではなく、ヘロデの残虐な行為が結果として預言者の言葉を実現することになったという形にしています。
 

 エレミヤ書の引用文は七十人訳とはかなり違っており、著者はヘブル語聖書をやや自由に引用しているようです。ラマはエルサレムの北約八キロにある町で、イスラエルの民が捕囚として連れていかれるとき通った町です(エレミヤ四〇・一)。そこにラケルの墓があるという伝承があったので(サムエル記上一〇・二)、ラケルがそこを通る自分の子孫イスラエルの捕囚を嘆いたというエレミヤの言葉が出てくることになります。ところが、ラケルは「エフラタ、今日のベツレヘムの近く」に葬られたという別の伝承(創世記三五・一九、四八・七)があるので、マタイをそれを用いて、ベツレヘムでの幼児虐殺をエレミヤの言葉の成就とするのです。

ナザレへの移住

 ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。

(二・一九〜二三)

 ヨセフに関する物語は、いつも夢の中に「主の天使」が現れてお告げを与える形で始まり(一・二〇、二・一三、二・一九)、ヨセフがそのお告げに従って行動し、それが「主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった」という「主の言葉」の成就の定式で結ばれます(一・二二、二・一五、二・二三)。こうしてマタイは、幼子イエスの身に起こったことすべてが神のご計画によるものであることを強調しているのです。
 
 「主の天使」のお告げによりエジプトを出たヨセフ一家は、「イスラエルの地」に戻りますが、故郷のベツレヘムがあるユダヤ地方はヘロデ大王の息子のアルケラオが支配していることを聞き、彼の支配を恐れてそこに帰ることをためらいます。そこで再び夢の中で警告を受け、ユダヤの地を避けてガリラヤ地方に移住し、ナザレという町に落ち着きます。

 紀元前四年にヘロデ大王が亡くなったとき、ヘロデの領地は分割されて三人の息子たちによって統治されることになり、その中でユダヤ・サマリア・イドゥメア地方を受けたのが、その残忍さで有名になるアルケラオスでした。マタイの物語はここで現実の歴史と接点をもつことになります。  なお、二二節の夢で「お告げがあった」と訳されている動詞は、「警告を受けた」という意味の動詞です(他に二・一二)。また、ガリラヤ地方に「引きこもり」と訳されている動詞は、「避難する」とか「退く、隠退する」という意味でマタイがよく使う動詞です(他に二・一四、四・一二)。

 こうして(二章で)マタイは、ユダヤのベツレヘム生まれのイエスがどうして「ナザレ人」と呼ばれるようになったのかを説明する物語を構成して、最後にそれが預言の成就であるという定式で結びます。ただ、この場合の「預言者たちを通して言われていたこと」が旧約聖書のどこを指しているのか確定できないので、様々な議論を招くことになります。
 
 旧約聖書には「ナザレ」という名は出てきません。強いて似ている名を探すと、サムソンが「ナジル人」として神に捧げられた記事があります(士師記一三・五〜七)。マタイは、「胎内にいるときからナジル人として神にささげられている」という言葉を(やや強引に)イエスに適用したのかもしれません。あるいは、これより可能性が高いのは、当時すでにメシア預言とされていたイザヤ書一一章一節の中の「若枝」《ネツェル》と「ナザレ」という地名を懸けたという説明です。両者は子音文字は共通し、発音も似ています。いずれにせよ、マタイはユダヤ人の間で広く「ナザレ人イエス」と呼ばれていた事実を、(やや強引に)預言の成就として意義づけて、この段落を締めくくります。
 
 この預言が旧約聖書のどこにあるのかという問題より重要なことは、マタイの集団が生を営んでいたシリヤでは、イエス・キリストを信じる者たちが「ナザレ人」と呼ばれていた事実です。イエスが出身地にちなんで「ナザレ人」と呼ばれていたのは、実はいま周囲から「ナザレ人」と呼ばれている自分たちを代表して、旧約預言の成就者としてそう呼ばれるようになったのであると、マタイは語っているのです。マタイの聴衆(または読者)は、この預言成就の物語に、イエスと重ねて、自分たちが旧約預言を成就する民であることを感じることができたのです。
 
 こうして、イエス一家が神の導きのよりユダヤからガリラヤに移住し、メシアとしてのイエスの働きが「異邦人のガリラヤ」(四・一五)から始まることを語ることで、マタイはここでも異邦人への宣教の必然性を示唆していることになります。

 「ナザレ人」と訳されている《ナゾーライオス》というギリシャ語(マルコとルカではときに《ナザレーノス》という別形)は、新約聖書においては「ナザレ(という町出身)の」という意味でイエスについて用いられますが、同時に、「ナザレ派の人」というグループの名としても用いられています。たとえば、使徒言行録二四章五節で、パウロはユダヤ人たちから「ナザレ人の分派」または「ナザレ派の者たち」(原語は《ナゾーライオス》の複数形)の首謀者として訴えられています。この事例からも、初期にはイエスをメシアと信じるユダヤ人たちは、周囲のユダヤ人たちから「ナザレ派の者」と呼ばれていたことが分かります。ラビたちもイエスの弟子たちを「ナザレ派」と呼んでいました。少し後にユダヤ教会堂で祈られる「十八祈願」に異端派の「ナザレ人たち」の壊滅を願う祈りが加えられます。また、教父たちの著作にも「ナザレ人たちが用いている福音書」がしばしば言及されています。なお、「ナザレ人たち」という呼称の由来については、日本聖書学研究所編「死海文書」(五七〜五九頁)を参考にしてください。

 

マタイによる「イエスの幼児物語」について

 以上に見たように、マタイは誕生後の幼児イエスの物語の各段落を、天使のお告げで始め、聖書の成就引用で意義づけながら進めてきました。そして、すでに講解の中で簡単に触れましたように、この物語全体の構想は「モーセ・ハガダー」を下敷きにしていると見られます。
 
 「ハガダー」というのは、聖書の中の「律法」ではない物語的な部分を、会堂の聴衆のために解説的に敷衍した(拡大した)物語のことです。アダム、エノク、アブラハム、ヨセフ、モーセのような聖書の主要人物については、このような解説的な物語が発達していました。ヨセフスやフィロなどヘレニズム期のユダヤ人の著作やその時期の外典や偽典文書には、このような「ハガダー」物語が素材として多く保存されています。新約聖書のユダヤ人著者も時折、このような聖書本文以外の「ハガダー」物語に親しんでいたことを示す文を残しています。

 マタイが用いている「モーセ・ハガダー」は、マタイの少し前のユダヤ人歴史家ヨセフスが「ユダヤ古代誌」に保存しているハガダーと同じだと見られます。ヨセフスがイスラエルの歴史を記述した「ユダヤ古代誌」の第二巻によると、エジプトの予言能力がある祭司がファラオに、イスラエルの民を解放する偉大な指導者の誕生を予言します。それを聞いて肝を潰したファラオが、イスラエルの民の中に生まれた男の子をすべてナイル川に投げ込んで殺すように命じます。そして、その命令を確実に実行するためにエジプト人の助産婦が出産に立ち会うように命じられ、男の子を隠して生かした家族は処刑されることになります。アムラムという人が、妻が身ごもっていたので、苦しみ抜いて神に祈ります。主は夢の中に現れ、彼にイスラエルを解放するするだけでなく、いつまでも全世界に覚えられる偉大な人物の誕生を告げます。出産は軽く、三ヶ月間ひそかに家で育てますが、ついにいっさいを神の保護に委ねて、防水したかごに寝かせてナイルの岸辺に隠します。このように、「ハガダー」は聖書本文の記事を拡大しながら、具体的に名をあげたりして語り進められます。

 マタイは、誕生の次第を詳しく物語っているモーセ・ハガダーを下敷きにして、イエスがモーセのように神のご計画によって生まれたことを示すと同時に、モーセを超える方であることを示すイエス誕生物語を構成します。しかし、幼児イエスの物語はモーセ・ハガダーと共通するところもありますが、違いも多くあります。当時抑圧と迫害の地であったエジプトは今は避難の地であり、当時イスラエルの幼児を殺したのは異邦人の王であったが今はユダヤ人の王であり、当時モーセの誕生を予言した魔術師たちは今はイエスを礼拝する賢人であり、むしろ幼児を殺す王に荷担するのはユダヤ人学者となるというように、物語は逆転しています。このように、ここで語られるイエスは新しいモーセであると同時に、「裏返しのモーセ」でもあるのです。マタイは、モーセ・ハガダーを裏返しにして用いることによって、ユダヤ教会堂から追い出され迫害されるイエスが、異邦人の全世界にあがめられる、モーセより偉大な新しい救済者であることを語っているのです。こうして、マタイは誕生物語を、これから語ろうとする福音書全体の主題を示唆するプロローグとしているのです。


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