マタイによるメシア・イエスの物語

第2章 メシア・イエスの出現

     ー マタイ福音書 三〜四章 ー


第一節 洗礼者ヨハネとイエス
第二節 ユダの荒野からガリラヤへ




 マタイ福音書の区分について


 マタイ福音書の区分については、さまざまな提案がなされています。たとえば、プロローグの部分をどこまでと見るかについても、二章末まで、四章一六節まで、四章二二節までなどの見方があります。それぞれ、福音書解釈の立場を反映する区分についての理論から出た見方です。ここでは区分に関する諸説を紹介したり批判したりする余裕はありませんので、本講解の立場を簡単に説明するにとどめます。

 これまでにも度々触れましたように、マタイはイエスの語録を五つの大きな説教集にまとめていることは広く認められています。それで、マタイはモーセ五書に倣って、神の国の新しい律法を五つの説教集にまとめて福音書を構成したという見方が、古くから行われていました。しかし、この見方は、受難物語を位置づけることができないなどの難点を批判されてきました。
 
 最初に「イエスの語録と福音ーマタイ福音書成立の意義」で見ましたように、マタイはマルコ福音書の物語を枠として、「語録資料Q」とマルコ福音書の説話部分などを用いて、イエスの教えの言葉を伝えることを重視した福音書を構成しました。その教えの言葉が、かなり明確に五つの説教集にまとめられているのですから、この五つの説教集は福音書を構成する主要な原理になっていることは認めなければなりません。マタイは十字架の受難にいたるイエスの生涯の物語の中に、この五つの説教集を配置して、特色ある福音書を構成しました。マタイは、(マルコにはない)誕生物語(一〜二章)を序文として置き、その後、物語と説話(説教集)を交互に配して、受難物語(二六〜二八章)のクライマックスに至るという形で福音書を書いたと見られます。それで、マタイ福音書は誕生物語と受難物語の間に(両者は大きな「囲い込み」を形成しています)、物語と説話からなる五つのブロックがあると見てよいでしょう。その最初のブロックが三章から七章であり、イエスの宣教開始を語る物語部分(三〜四章)と、イエスが宣べ伝えた「御国の福音」をまとめた説話部分(五〜七章)からなります(第二以下のブロックについてはその都度説明します)。
 
 イエスの働きと生涯の出来事についてはマルコ福音書講解で詳しく論じていますので、今回のマタイ福音書講解では、イエスの教えの言葉とマタイ福音書の特色を示す部分に集中したいと考えています。それで、五つの説話集をおもな区分原理として講解を進めていくことになります。


第一節 洗礼者ヨハネとイエス



 洗礼者ヨハネ


荒野の声

 そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。これは預言者イザヤによってこう言われている人である。
 「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
 『主の道を整え、
 その道筋をまっすぐにせよ。』」
ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。

(三・一〜六)

 ここからマタイの物語はマルコの物語と重なってきます。初期の福音宣教においては、「イエス・キリストの福音」は洗礼者ヨハネの宣教から始まるのが普通でした。事実、イエスの「神の国」宣教は洗礼者ヨハネの運動の中からスタートしたのです。洗礼者ヨハネは、イエスがイスラエルに現れるために道備えをする先駆者でした。福音書はみな、ヨハネをそのように意義づけて、それを預言者の言葉を引用することで示しています。ただ、そのさいマルコがマラキとイザヤの預言を合わせた形で引用しているのに対して、マタイはイザヤ(四〇・三)だけにしています。

 預言者を引用して洗礼者ヨハネをイエスの先駆者と位置づけるという基本的内容は同じですが、細かい点ではマタイはマルコと違います。たとえばマタイは、マルコ(一・四)の「罪の赦しを得させる悔い改めのバプテスマ」という表現を用いず、ヨハネの宣教の言葉(三・一)をイエスの言葉(四・一七)とまったく同じ言葉にしています。このような違いは、マタイが(マルコ以上に)洗礼者ヨハネとイエスを一体として扱い、ヨハネもイエスも共に拒んだイスラエル指導者階級(そして今も拒んでいるユダヤ教会堂)に対する非難を示していると見ることができます。
 
 最大の違いは、マルコがヨハネの宣教内容を福音の立場から「わたしは水であなたたちにバプテスマを授けたが、その方は聖霊でバプテスマをお授けになる」(マルコ一・八)という一句に要約して、実際の宣教内容を省略してしまっているのに対し、マタイは「語録資料Q」にあるヨハネの実際の宣教内容を保存して伝えている点です。この点にイスラエル指導者階級に対するマタイの非難はもっとも強く出ています。その内容が次の段落(三・七〜一二)です。

 洗礼者ヨハネの救済史での位置と意義については、「マルコ福音書講解 2」を参照してください。なお、マルコによるヨハネの宣教の要約については、福音講話 20「聖霊のバプテスマ」を参照してください。



神の裁きの迫り

 ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」

(三・七〜一二)

 洗礼者ヨハネの荒野での叫びは「エルサレムとユダヤ全土」に大きな反響を呼び、人々が続々とヨルダン川で洗礼を受けるためにやって来ました。その中の「ファリサイ派やサドカイ派の人々」に対して(七節)、洗礼者ヨハネは「蝮の子らよ」と呼びかけて、厳しい審判の言葉を投げつけます。この段落の厳しい審判の言葉は、ルカ(三・七)では「群衆」に語られたことになっていますが、マタイは「群衆」と区別して、指導者階層の「ファリサイ派やサドカイ派の人々」への審判の言葉としています。
 
 「蝮の子らよ」というヨハネの激しい表現を、マタイは後にイエスの口にも置いています(一二・三四、二三・三三)。イエスが彼らを「蝮の子ら」と呼ばれるのは、他の福音書にはありません。ここにもマタイは、洗礼者ヨハネとイエスを一体として扱って、ヨハネもイエスも共に退けたユダヤ教指導者階級に対する激しい批判の姿勢を示してます。群衆は洗礼者ヨハネに対してもイエスに対しても、共感と尊敬をもって受け入れましたが、指導者階級は批判と殺意をもって対したのでした。
 
 この段落のヨハネの言葉全体のキーワードは「火」です。「切り倒されて火に投げ込まれる」とか「消えることのない火で焼き払われる」という表現が示しているように、「火」は終末的な神の審判を象徴しています。洗礼者ヨハネは、「斧は既に木の根元に置かれている」と神の審判が迫っていることを叫んで、悔い改めを求めたのでした。しかも、その審判の警告は、異邦人ではなく、神の民であると自負しているイスラエルに向けられています。ヨハネは、アブラハムの子孫であるゆえに神の約束を受け継ぐ民であると自負するイスラエルの誇りを打ち砕きます(九節)。アブラハムの子孫であることは何の保証にもならない、悔い改め、その悔い改めにふさわしい実を結ぶこと、すなわち、神に立ち帰り、神の御心にふさわしい行いをすることだけが、神の裁きに立ちうる道であると説いたのです。
 
 この点で、洗礼者ヨハネは当時の黙示思想やメシア思想と根本的に違っています。黙示思想では、律法を守るイスラエルは神に属する義人として、悪が支配している現在のアイオーンでは苦しめられているが、やがて宇宙的破局を経て到来する新しいアイオーンでは、この世の支配者は裁かれ、義人であるイスラエルの民は神の栄光にあずかるとされていました。メシア思想においても、来るべき救済者メシアは、注がれている神の力によって異教徒の支配を滅ぼし、イスラエルの民を解放すると待望されていました。洗礼者ヨハネはそのイスラエルに神の裁きが迫っていることを叫び、悔い改めを求めたのでした。

 この段落(七〜一二節)の洗礼者ヨハネの厳しい審判の言葉は、ルカ(三・七〜九、および一六b〜一七)にもほぼ同じ文言があり、「語録資料Q」が用いられていると見られます。「語録資料Q」は本来イエスの言葉を保存して伝える文書ですが、その中に洗礼者ヨハネの使信が保存されて伝えられたのは、このイエスの語録集の担い手たちが置かれていた状況から出た結果であると考えられます。
 「語録資料Q」の成立については、本講解の序章「イエスの語録と福音ーマタイ福音書成立の意義」の「語録福音書」の項で述べました。このイエスの語録集は、イエスの死後、イエスの弟子たちがイエスの宣教を継承するために進めた、高挙されたイエスの言葉を宣べ伝える運動の中で成立したものです。この運動の担い手はユダヤ人であり、周囲のユダヤ人に、イエスの言葉に従う新しい生き方を宣教したのです。この運動はおそらくガリラヤで始まり、六六年に始まるユダヤ戦争を前にした不穏な時代に進められ、北のシリアへ広まっていったと見られます。この運動は華々しい成果を収めることなく、運動の担い手たちは周囲のユダヤ人たちの無関心と冷笑とに取り囲まれ、だんだんと自分たちだけの内輪に閉じこもるようになり、その分、外の不信仰の世界に対して厳しい裁きを語るようになっていったと考えられます。
 彼らの孤立の経験は、イスラエルに拒まれた知恵の預言者イエスの姿と重ねられて、ユダヤ教伝統の中の預言者的、知恵文学的、黙示思想的素材をもって表現され、この使信を拒否する者たちに対する厳しい審判が語れるようになります。この方向の延長上に洗礼者ヨハネの宣教が置かれます。ヨハネの終末的審判の使信は、まさにこの運動の担い手たちの終末観と一致したのです。この運動の担い手たちにとって、洗礼者ヨハネはけっしてイエスと対立するものではなく、不信仰のユダヤ人社会に対する関係では一体であったのです。事実、イエスの「神の国」宣教はヨハネの運動の中から始まったのです。両者を一体として扱うマタイの見方は、おそらく「語録資料Q」の態度を(ルカよりは忠実に)受け継いでいるのでしょう。
 なお、「語録資料Q」については、序章「イエスの語録と福音ーマタイ福音書成立の意義」で触れましたB・マックの『失われた福音書』以外に、その後日本語で出ました参考資料をあげておきます。同時に、「語録資料Q」と同じイエスの語録集として「トマス福音書」に関するものもあげておきます。
 佐藤研『Q文書』(日本基督教団出版局「現代聖書講座」第2巻)
 J・S・クロッペンボルグ他著、新免貢訳
  『Q資料・トマス福音書』(日本基督教団出版局)
 荒井献『トマスによる福音書』(講談社学術文庫)

 この段落全体の文脈からすると、ヨハネが水をもって施している自分のバプテスマと対比して、自分の後に現れる、自分よりはるかに勝る方のバプテスマについて語ったとき、それは審判の「火のバプテスマ」であったと考えられます。すなわち、「わたしは、裁きに備えて、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、その方は火であなたたちに洗礼をお授けになる、すなわち、焼き尽くす火をもってあなたたちを裁かれる」と語ったはずです。ヨハネの説教では、火は一貫して裁きの象徴です。
 
 イエスこそヨハネが「わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない」と語った方であり、洗礼者が道備えをした救済者であると宣べ伝えたイエスの弟子たちは、そのイエスが授ける「火のバプテスマ」が審判の火ではなく、聖霊の火であることを体験していました。聖霊によってバプテスマされる、すなわち聖霊に浸されて、その中から新しい自分が生まれ出るという体験はさまざまな形を取りますが、使徒言行録二章のペンテコステの記事が語っているように、火とか炎が下るというように表現せざるをえないような激しい体験もあることは事実です。モーセが体験した燃える柴や火の柱、イザヤが召命のとき体験した祭壇から取られた火など、旧約聖書でも火は霊による神の臨在を示す象徴でした。弟子たちが聖霊を受けたとき、これこそヨハネが預言した「火のバプテスマ」であると理解したのは自然なことでした。復活者キリストが施される聖霊のバプテスマを体験した弟子たちは、それを火の象徴を用いて語るようになります。その結果、火は聖霊の象徴と理解されて、ヨハネの「火のバプテスマ」の預言は「聖霊のバプテスマ」の預言と解釈されて伝えられます。
 
 マルコはヨハネの宣教内容を、ヨハネが授ける水のバプテスマに対して、後から来る方(キリスト)は聖霊によってバプテスマを授けるという福音的な内容だけに絞っているので、もはや「火」という象徴は用いません(マルコ一・八)。それに対してマタイ(とルカ)は、「語録資料Q」にあるヨハネの終末的審判の宣教を保存していますので、審判の象徴である火を略すことができません。それで「聖霊と火でバプテスマを授ける」という二重の表現を残すことになります。
 
 「聖霊と火」という二重の表現を、キリストは復活して聖霊によるバプテスマを授け、その後、再臨のキリストが火のバプテスマを授ける、すなわち終末的な審判を行うと解釈する説もあります。しかし、審判の告知は、その時代に語る預言者の告知であって、われわれの福音の場では、マルコがしているように、火を聖霊の象徴と理解して、ヨハネの告知を聖霊のバプテスマの預言の一点に絞る方がよいと考えます。


 イエスの受洗


今は止めるな

 そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。

(三・一三〜一七)

 イエスがヨルダン川でヨハネからバプテスマをお受けになった事実については、マタイは基本的にマルコと同じ内容を伝えています。しかし、大きな違いが一つあります。それは、ヨハネがイエスにバプテスマを授けることをためらい、イエスの説得によって授けたという記事(一四〜一五節)が入れられていることです。
 
 イエスを罪のない神の子と信じる初期の教団にとって、イエスがなぜヨハネからバプテスマをお受けになったのかを説明することは重荷でした。ヨハネよりはるかに勝るイエスがなぜヨハネからバプテスマを受ける必要があるのか、それではイエスがヨハネの権威の下に立つことになるのではないか、さらに、罪のないイエスがなぜ「罪の赦しを得させる悔い改めのバプテスマ」を受けなければならないのかなど、難しい説明をしなければなりませんでした。ルカ(三・二一)はイエスを民衆の中に置いて、イエスの受洗をできるだけ目立たないようにしています。ヨハネ福音書はイエスの受洗には触れず、むしろイエスをヨハネと並べてバプテスマを施す側に置いています(ヨハネ三・二六、四・一)。それに対して、マタイは正面からこの問題を取り上げ、解答を与えています。
 
 ヨハネからバプテスマを受けようという意図をもってガリラヤから出て来られたイエスを、ヨハネは「押し止めて」(直訳)こう言います、「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか」。このヨハネの驚きと戸惑いは、イエスがヨハネより勝る者であり、聖霊でバプテスマを授ける方であることを知っている教団が、イエスがヨハネから受洗された事実を前にして戸惑っている姿を代弁しています。教団にとっては、「女が生んだ者の中でもっとも大いなる者」であるヨハネも、一人の人間として、復活者キリストから聖霊のバプテスマを受ける立場にいるのです。その戸惑いに対して、イエスはこうお答えになった、とマタイは解答を与えます。
 
 イエスはまず、「今は止めないでほしい」と言っておられます。この「今は」という言葉には、イエスが復活されたときには、ヨハネが言ったように、ヨハネがイエスからバプテスマを受ける立場になるが、イエスが地上の働きを始めようとしておられる今は、ヨハネはイエスにバプテスマを授けることで先駆者としての使命を果たす立場にいるのだという意味(初期の教団の理解)が込められています。
 
 イエスは続けてこう言われます。「すべての義を満たすのは、我々にふさわしいことです」(直訳)。この「義を満たす」とか「義を行う」という表現は、マタイ特有の重要な理念を示しています。「義」《ディカイオシュネー》は四福音書全体で十回しか出てきませんが、その中七カ所はマタイ(三・一五、五・六、五・一〇、五・二〇、六・一、六・三三、二一・三二)に出てきます。そして、その七カ所はみな、マタイ特有の文かマタイが資料に手を加えた編集句です。マタイが用いる《ディカイオシュネー》(義)は、パウロとは異なり、ほとんど《ディカイオーマ》(神の正しい要求)と同じです。それで「義を満たす」とか「義を行う」という表現が出てくることになります(三・一五、六・一)。

 六章一節を新共同訳は「善行をする」と訳していますが、原文は「《ディカイオシュネー》(義)を行う」です。なお、マタイにおける《ディカイオシュネー》の意味については、「マタイ福音書講解 4 」を参照してください。

 マタイにとっては、洗礼者ヨハネは「義の道」の説教者なのです(二一・三二)。このヨハネが説く「義の道」に、ヨハネに勝るイエスが己を低くして従われるのです。すべて神が求められる正しいことを行おうと願う謙虚な神の民を代表して、「すべての義を満たすことは、我々にふさわしい」と言われるのです。この「我々」は、マタイにとっては、イエスを信じるすべての主の民を含んでいるのです。
 
 誰によって唱えられようと、すべて「義の道」に謙虚に従われる従順なイエスの姿こそ、マタイが描きたいイエスの姿なのです。イエスご自身が「わたしは柔和で謙遜な者」と言われるのは、マタイ福音書(一一・二九)だけです。イエスのこのへりくだった従順に対して、「これはわたしの愛する子」という天からの声が答えるのです。イエスが神の子であるのは、マタイにとっては、奇跡的な誕生とか力ある業(奇跡)によるのではなく、イエスの独一無比の神への従順によるのです。この従順において、イエスは「我々」神の子とされる者たちすべての原型となられるのです。
 
 ヨハネからバプテスマを受けて水から上がられるイエスに、神の御霊が鳩のように下り、天から「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声があったことは、マルコと同じです。ただ、細かい点では違いもあります。マルコでは「天が裂けて」という激しい表現でしたが、マタイでは「天が開かれ」となっています。マルコでは「あなたはわたしの愛する子」と二人称でイエスに語りかけられていますが、マタイでは「これはわたしの愛する子」と三人称で語られ、周囲の人たちにイエスの身分を示す文になっています。しかし、このような違いはこの物語の告知の本質には関係ありません。マタイも、マルコと共に、この記事によって、イエスこそ神の御霊によって神と一つの交わりに生きる方であり、神の御霊によって語り、御霊によって力ある業を行う方であること、また、この御霊がイエスに降った出来事によって、今まで人間の罪によって閉ざされていた天が開かれ、新しいアイオーン、すなわち神の支配の時が到来したことを告知しているのです。

 イエスに聖霊が降ったことの意義については、「マルコ福音書講解 3 」を参照してください。なお、「マルコ福音書講解 91」に述べましたように、福音書は地上のイエスを物語ることによって復活者イエスを告知する文書であるという二重性を持っています。このためイエス受洗の記事も、地上の出来事を報告すると共に、神の御霊によって死の中から復活し、神の子と宣言されたイエスを告知する記事になっていることは、マタイも本質的には同じです。しかし、マタイは洗礼者ヨハネの宣教内容を具体的に報告したり、ヨハネとイエスの問答を入れたりしていますので、マルコよりも歴史的な出来事の報告としての側面が強く印象づけられます。



エッセネ派・ヨハネ・イエス

 共観福音書はみな、イエスがヨハネからバプテスマを受けて水から上がられたときに聖霊が降ったと報告しています。しかし、これはマルコの(イエス復活の告知と重ねるために)単純化した記事に従った結果であって、ヨハネ福音書は事実がもう少し複雑であったことを示唆しています。先に見たように、ヨハネ福音書はイエスが洗礼者ヨハネと共にバプテスマを授ける運動を進めておられた期間があったことを伝えています。ところが、ヨハネが捕らえられ後、イエスがガリラヤで宣教を開始されたときは、もはやバプテスマをされないだけでなく、ヨハネとは異なる独自の福音を宣べ伝えておられます。このことから、イエスがユダヤでヨハネと共におられた時すでに、イエスは何らかの決定的な霊的体験をされて、ヨハネとは違う次元に入られたことがうかがわれます。それがどのような出来事であったのか、今ではうかがい知ることは不可能です。しかし、ヨハネ福音書(一章)は、ユダヤにおいてヨハネの弟子たちがイエスに従い始めたことを伝えていますから、この期間中にイエスの身に何か決定的な変化が起こったことが推察されます。共観福音書が伝える「荒野の試み」のように、イエスはユダの荒野で何らかの深い霊的体験をされ、その後「御霊の力に満たされてガリラヤに帰られた」(ルカ四・一四)と見られます。

 イエスの「神の国」宣教が洗礼者ヨハネの運動の中から出たことは、周知の事実でした。イエスがヨハネからバプテスマを受け、ヨハネのバプテスマ運動に身を投じ、ヨハネと同じ使信をもってバプテスマを授けておられたという伝承は、初期のイエス伝承の担い手の中にもともとヨハネの弟子であった者がいた事実(ヨハネ福音書一章三五節以下)に確かな根拠を持っています。さらに、イエスがヨハネからバプテスマを受け、その運動の中からご自身の宣教を開始された事実は、初期の教団にとって説明の重荷であったにもかかわらず、四福音書はみなイエスの「神の国」の福音をヨハネの宣教から始めていることや、イエスご自身がヨハネを最大の預言者と評価しておられる伝承を保存している(マタイ一一・二以下)ことなどからも確かにされます。
 
 ところで、洗礼者ヨハネの終末的な裁きとバプテスマの宣教は、(さきに「マルコ福音書講解 2 」でも触れましたように)当時のエッセネ派の信仰を背景としていると見られます。エッセネ派は当時、サドカイ派やファリサイ派と並んでユダヤ教の大きな流れを形成していました。当時のユダヤ教の歴史を詳しく記録した歴史家ヨセフスは、この三つをユダヤ教の主要な宗派であると紹介し、それに「熱心党」《ゼーロータイ》を第四の派として付け加えています。ところが、新約聖書(とくに福音書)には他の三つの派は何回も名前が挙げられていますが(おもに批判の対象として)、エッセネ派だけは一度もその名が出てきません。エッセネ派に関する沈黙は新約聖書の謎の一つです(この謎については後日扱いたいと考えています)。
 
 一九四七年に死海のほとりのクムランで発見された「死海文書」がエッセネ派の文書であることが広く認められるようになって、エッセネ派の全貌がかなり分かってきました。それに伴い、エッセネ派と新約聖書との関係が問題となり、その影響が議論されるようになりました。議論は続いてますが、新約聖書の人物の中で、エッセネ派にもっとも近く、その影響を強く受けていることが明らかな人物が洗礼者ヨハネであることは、広く認められています。

 エッセネ派について、また、パウロに対するエッセネ派の影響については、「ユダヤ教徒パウロ」の第一節「ユダヤ教時代のパウロ」を参照。

 そうすると、イエスも洗礼者ヨハネを介して、何らかの意味でエッセネ派の影響の中に立つことになります。もちろん、すでに洗礼者ヨハネはエッセネ派とは決定的な点で違っており、さらにイエスは独自の霊的体験によってヨハネの運動から出ていかれたのですから、イエスはエッセネ派とは違います。しかし、イエスとヨハネの深い結びつきは、イエスがエッセネ派の霊統の中にあることを示唆しています。エッセネ派は、死海文書から見るかぎり、きわめて終末論的な傾向の強い黙示思想に生きる人々でした。そして、黙示思想は、旧約聖書の預言者の思想が閉塞した時代状況の中で終末論的傾向を強めた産物として理解されますので、本来は預言者の霊統に属するものと理解できます。たしかに、エッセネ派、とくにその中核をなすクムラン共同体は、祭司的な性格も強い共同体ですが、洗礼者ヨハネはエッセネ派の終末的・預言者的側面を引き継いだ人物であって、従って、イエスもヨハネとの結びつきを介して、旧約の預言者の霊統に立つ方であると見ることができます。事実、イエスもご自身を預言者と自覚しておられたことを示す語録が伝えられています(ルカ一三・三三)。
 
 ここでイエスと洗礼者ヨハネとの結びつきを強調したのは、この事実こそイエスが預言者の霊統に立つ方であることを示す重要な根拠であるからです。たしかにイエスは預言者を超え、エッセネ派を超え、洗礼者ヨハネを超えておられますが、その流れの中にある方として見る必要があることを示しています。最近の「語録資料Q」の研究は、その最古の層とする内容から、イエスを知恵の教師とし、犬儒学派の哲学者のように見る傾向(たとえばB・マックに見られるようなクレアモント学派)がありますが、これは、イエスの宣教が洗礼者ヨハネの運動から出ているという事実を十分考慮に入れない結果ではないかと思われます。預言者の霊統から突然犬儒学派の哲学者は出てきません。人は自分が置かれている霊的・思想的伝統からそう簡単に抜け出ることはできないものです。福音書はすべてイエスの宣教を洗礼者ヨハネの預言活動から始めています。その中でもマタイは洗礼者ヨハネとイエスを一体として扱う傾向が強いことを見ました。この結びつきは、史的イエスを理解するための重要な視点を提供しているのです。  

 前出の佐藤研『Q文書』は、「語録資料Q」が預言の伝統に属する文書であることを主張しています。





第二節 ユダヤの荒れ野からガリラヤへ


 荒れ野の誘惑


マタイの誘惑物語

 さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、御霊に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。
 「『人はパンだけで生きるものではない。
  神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」
次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。
 『神があなたのために天使たちに命じると、
  あなたの足が石に打ち当たることのないように、
  天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」
イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。すると、イエスは言われた。
 「退け、サタン。
 『あなたの神である主を拝み、
  ただ主に仕えよ』と書いてある。」
そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。

(四・一〜一一)

マタイの状況と視点

 イエスがヨハネからバプテスマをお受けになった後、御霊に促されて荒れ野に入り、そこで四十日間サタンの試みをお受けになったという事実はマルコと同じですが、マタイの「誘惑物語」はサタンの誘惑の内容を三つ具体的に挙げている点で、マルコと大きく違います。マタイが語る三つの誘惑物語の意味を考える前に、マタイがどのような状況で、どのような視点からこの誘惑物語を書いたのかを見ましょう。

 マタイがあげる三つの誘惑は、順序が違いますがルカにも同じ内容で出てきますので、「語録資料Q」から取られていると見られます。「語録資料Q」は、(前節で述べたように)ユダヤ人同胞にイエスに従うように呼びかける信仰運動の中で、直弟子たちが伝えたイエスの語録を核として、ユダヤ戦争(六六〜七〇年)までの期間に漸次成長して現在の形をとるにいたったと見られていますが、この「誘惑物語」はその中でも最後期に(おそらくユダヤ戦争が勃発した後に)成立したと、多くの研究者は見ています。ユダヤ戦争の危機的状況の中で、故郷の地パレスチナを脱出しなければならなかったユダヤ人が、前途に待ち受けている荒れ野の中でイエスの弟子としてのアイデンティティを保持するための戦いを、イエスの体験に託して語ったものと考えられます。また、ユダヤ民族存亡がかかる危機的状況で、イエスはどのような意味でメシアであるのかというユダヤ教側からの厳しい問いかけに答えなければならないという一面もあったと見られます。この「語録資料Q」の担い手たちが直面した厳しい状況は、マタイとその読者が直面している状況でもありました。マタイが「語録資料Q」を用いるとき、それはマタイ自身が読者に語りかけたい言葉でもあったのです。

 この「誘惑物語」において、イエスはサタンの三つの誘惑を聖書の言葉を用いて退けておられますが、その聖書の言葉がみな申命記からの引用であることがまず注目されます。申命記は、エジプトを脱出したイスラエルが四十年間荒れ野を彷徨した後、ようやく約束の地を目の前にしたとき、モーセがイスラエルに改めて契約の言葉に聴き従うように求めた言葉です。その申命記においては、荒れ野四十年の彷徨は、イスラエルが御言に聴き従うかどうかを神が試された期間であるとされています。

 今日、わたしが命じる戒めをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたたちは命を得、その数は増え、主が先祖に誓われた土地に入って、それを取ることができる。あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。

(申命記八・一〜二)

 マタイは、イエスがユダヤの荒れ野で断食して祈り、そこで御霊の深い取り扱いを受けられたという伝承を、イスラエルが四十年荒れ野を彷徨した物語に重ねます。そうすることで、自分たちが地上の旅路で直面する誘惑と試練に、神の言葉に聴き従うことによって打ち勝つべきことを、イエスをモデルにして物語るのです。イエスご自身、その地上の生涯においてこのような誘惑にさらされ、父への従順によって打ち勝たれたのでした。
 
 イエスがユダヤの荒れ野におけるご自分の霊的体験を弟子たちに語られたのかどうか、また、語られたとすればどのように語られたのか、今では確認するすべはありません。しかし、イエスがその地上の生涯において様々な形で誘惑と試練を受けられたことは、一緒にいた弟子たちは見て知っています。イエスもこう言っておられます。

 「あなたがたは、わたしが種々の試練に遭ったとき、絶えずわたしと一緒にいてくれた者たちである」

(ルカ二二・二八)

 以下に見るように、この三つの誘惑ないし試練の物語は、イエスがその生涯において体験され、一緒にいた弟子たちが見た誘惑・試練の要約でもあるのです。

 イエスが荒れ野でサタンの誘惑に打ち勝たれた事実は、マルコが簡潔に伝えています(マルコ一・一二〜一三)。このことの意義については、「マルコ福音書講解 4 」に詳しく書きましたので、ここではマタイに特有の問題に限定して講解します。なお、この段落は《ペイラスモス》について語っていますが、この語には「誘惑」と「試練」という二つの意味があります。この二つの意味については、「主の祈り−第七講」を参照してください。



石をパンに変えよ

 イエスは「四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた」とあります。普通わたしたちは一日か二日も断食すれば耐え難い空腹感を覚えますので、この表現は不思議に思われます。しかし、断食は数日続けると、食事をしないことが自然になって、あまり空腹を感じなくなります。ところが、断食も四十日近くなると、飢餓状態になり回復不能な衰弱に陥ります。イエスはこの人間の限界ぎりぎりのところまで行かれたのです。

 まさにその時に「誘惑する者が来て」、イエスに言ったのです。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」。神の子であるならば、神の力をもってこれらの石をパンに変えて、自分の命を救ったらどうかという誘いです。ここで神の力は奇跡を行う力とされ、しかもそれを自分のために用いるように誘われているのです。この誘惑は最後の死の場面まで続いています。自分を逮捕しにきた軍勢を、イエスは父にお願いして十二軍団の天使で撃退することもできたのですが、神の御計画を成就するために、この誘いを退けられます(マタイ二六・五三〜五四)。十字架の上で苦しむイエスに向かって、「神の子なら」今十字架から降りて自分を救ってみよと、不信のユダヤ人たちは挑発しますが、イエスは黙して十字架の死を父の御旨と受けとめられます(マタイ二七・三九〜四四)。
 
 この誘惑に対して、イエスは申命記の言葉を用いてお答えになります。先に引用した申命記の後に、次の言葉が続きます。イエスはこの言葉に従うことによって、誘惑を退けられるのです。

 主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口からでるすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。

(申命記八・三)

 イエスは自分の命を救うことよりも、神の言葉に従うことを優先させられるのです。マタイは、このようなイエスを語ることによって、荒れ野に旅する主の民に同じ生き方と覚悟を促すのです。

 申命記はマナの奇跡はこのことを教えるためであったとしています。ところが、ユダヤ人たちはイエスに、モーセが荒れ野でイスラエルにマナを与えた以上の奇跡をしてみせるように要求したのです。イエスが神の子であるというのは、イエスがメシアであるという主張に他ならないのですが、メシアであるならば、イエスはモーセに相当するかモーセに勝る業をして見せよというのです。メシアの時代はモーセの時代を再現するはずなのです。もしイエスが石をパンに変えるように限りなく民衆にパンを与えるならば、イエスは直ちにメシアであると歓呼されて、イスラエルの解放というメシアの偉大な業を成し遂げることができるではないかという誘惑です。イエスはこのような人間の欲求を満たすメシアの道を退け、神の御旨に従い受難の僕の道を歩まれるのです。ヨハネ福音書六章はこのことを劇的な構成で描いていますが、マタイ福音書は荒れ野の誘惑物語の一つとして、簡潔に語るのです。

神殿で

 次に「誘惑する者」(ここでは「悪魔」と呼ばれています)は「イエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて」言います。「神の子なら、飛び降りたらどうだ」。現実にはイエスは荒れ野におられます。しかし、イエスの内面に起こった誘惑と戦いを、マタイは実際の光景のように描きます。ここでも再び「神の子なら」ということが問題になっています。すなわち、もし自分がメシアであるというのであれば、神殿の屋根から飛び降りて無事であることを見せれば、民衆は信じるであろうというのです。

 当時のメシア待望においては、神殿がメシアの栄光が現される場所とされていました。悪魔は聖書の言葉(詩編九一編一二節)を引用して誘惑します。ファリサイ派の人たちや律法学者たちも、彼らのメシア神学からしばしばイエスにメシアのしるしを要求しています。実際、チウダという自称メシアは一撃でヨルダンの水を分けると豪語して民衆を集め、魔術師シモンは空中を飛んでみせると言って高い建物から飛び降りて墜死したという伝説があります。このような伝説は、当時のメシア待望の雰囲気をよく伝えています。

 イエスは再び申命記の言葉を用いて、この誘惑を退けられます。イエスが引用された言葉は申命記六章一六節の「あなたたちがマサにいたときにしたように、あなたたちの神、主を試してはならない」から出ています。イスラエルは荒れ野を旅していたとき、水がないのでモーセと争い、モーセが本当に神から遣わされた者であるかどうかを問題にしました。モーセは「なぜ、わたしと争うのか。なぜ、主を試すのか」と言いますが、結局民の要求に応えて、ナイルを打った杖で岩を打ち、岩から出た水を与えます。それで、その地はマサ(試し)とメリバ(争い)と呼ばれるようになったというのです(出エジプト記一七章一〜七節)。こうして、イエスがメシアであるしるしを示すように要求するユダヤ教側からの攻撃を、マタイは聖書を用いて退けるのです。
 
 ここで主を試みるように誘惑する者も聖書の言葉を用いていることが注目されます。主を試みることも信仰も、聖書の言葉に従って行動しようとすることでは一見同じです。しかし、主を試みる行為は人間の側の欲求を神が満たすかどうかを試す行動であり、信仰は自己が無となって神の信実だけを根拠として行動するであって、まったく別物です。「主を試してはならない」という申命記の戒めは、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして(すなわち自己を完全に放棄して)あなたの神、主を愛しなさい」という根本的な戒め(申命記六・五)のすぐ後に置かれていて、この戒めの裏側をなしています。

ただ主に仕えよ

 次に「悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて」、言います。「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」。これもイエスが内面において戦い、その生涯を通して戦われた戦いを物語にしたものです。「国」《バシレイア》とは支配のことです。地上のすべての民と富を思うままに支配する権力を与えようというのです。これこそ英雄たちや王たちが切に求め、死力を尽くして戦い取ろうとしたものに他なりません。その権力を獲得するためには、他者を支配するむき出しの力を最高の原理として、すなわち神として拝まなければなりません。それは神に敵対する力を神として拝むことです。サタンを拝むことです。
 
 長年、異教諸帝国の強大な力の支配に虐げられてきたイスラエルは、それに打ち勝つ力をメシアに期待するようになっていました。メシアは世のすべての国を支配し、イスラエルをその支配にあずからせるする者でなければならないのです。そのようなユダヤ教のメシア期待に、イエス(とイエスの弟子たちの群)はサタンの誘惑を直感し、厳しく退けるのです。実際、この時代のイスラエルは武力によるローマ支配転覆の誘惑に勝つことができず、滅亡を招くのです。
 
 イエスは三度申命記の言葉を用いてこの誘惑を撃退されます。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」。これまで(マタイの文の中で)「誘惑する者」とか「悪魔」と呼ばれてきた者は、ここでイエスの口によって「サタン」という名で呼ばれて、厳しく退けられます。この「サタンよ、退け」という激しい言葉は、受難の秘義を語り始められたイエスを諫めたペトロに向かって発せられています(マルコ八・三三、マタイ一六・二三)。「主の僕」として受難の道を歩むイエスは、ペトロのメシア期待の中にサタンの誘惑を見て、激しく退けられるのです。その激しさは、イエスの内面における戦いの激しさを垣間見させます。そして、この激しい言葉を受けたペトロ自身が語り伝えた伝承によって、この言葉が「荒れ野の誘惑」物語のイエスの口に置かれたと見られます。
 
 イエスが引用される聖書は申命記六章一三節です。この節も「シェマー」(申命記六・四〜五)のすぐ後ろに出てくる言葉で、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」という根本的な戒めを言い直したものに他なりません。こうしてみると、三つの誘惑はみな、「あなたには、わたしの他に神があってはならない」という第一戒をめぐる戦いであることが分かります。
 
 イエスの場合は、「神の子なら」という誘惑の言葉が示唆しているように、イエスが父から受けられた啓示と召命とは別のメシアの道へと誘う誘惑でした。この誘惑を、イエスは第一戒の精神に固執することで克服されるのです。
 
 わたしたちも地上の歩みの中でたえず誘惑にさらされています。自己の欲望の充足とか、自分の栄光とか、他者を支配する力とかを神とする誘惑がつきまといます。この誘惑に対して、わたしたちはイエス・キリストにおいて現された神だけを神とし、この神に自己を委ねきることで勝利するのです。
 
 「そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた」。

ユダヤの荒れ野におけるイエス

 「誘惑物語」がどのようにして成立したのか、またその内容と意義については多くの議論があります。しかし、イエスがユダヤの荒れ野で決定的な霊的体験をされて、「神の国」宣教への召しを受けられたことは確かであると考えられます。共観福音書によると、イエスはガリラヤのナザレから出てきて、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受け、ユダヤの荒れ野で霊的体験を深め、ヨハネが投獄された後、ガリラヤに退いて独自の宣教活動を始められたことになります。ユダヤ地方でヨハネと一緒におられたのがどのくらいの期間であったのかは分かりませんが、ある程度の期間ユダヤ地方で洗礼者ヨハネの運動に参加しておられたことは十分推察できます。

 この期間のことについてはヨハネ福音書がやや詳しい伝承を伝えていますが、それによると、イエスもユダヤ地方でバプテスマを授ける運動を進めておられた時期があったようです(ヨハネ三・二二、四・一)。ヨハネ福音書は、イエスがヨハネからバプテスマをお受けになった事実には触れず(従ってその時に聖霊が降ったことは語られていませんが、イエスに聖霊が降ったことは証言しています)、荒れ野で四十日間断食されたことも伝えていません。しかし、ヨハネの弟子たちが師に倣って断食したことは伝えられていますから(マルコ二・一八)、イエスがヨハネと一緒におられるときに断食されたことは自然なことです。
 
 この期間のことについてヨハネ福音書が伝えているもう一つの重要な情報は、イエスの最初の弟子が洗礼者ヨハネの弟子であったこと、さらにアンデレ、ペトロ、フィリポ、ナタナエルというような弟子団がイエスのユダヤでの活動期間に形成されていたことです(ヨハネ一・二五〜五一)。この事実は、イエスがユダヤで活動されていた期間に、洗礼者ヨハネとは異なる質の教えが始まっていたことを示しています。
 
 以上の伝承を総合しますと、イエスはガリラヤのナザレから出てきて、洗礼者ヨハネのバプテスマ運動に投じておられた期間に、ユダヤの荒れ野で深く御霊の取り扱いを受け、父の啓示にあずかり、宣教への召しをお受けになったと見てよいと考えられます。この見方は、イエスがヨハネからバプテスマをお受けになったときに聖霊が降ったという可能性を排除するものではありませんが、事実はもうすこし複雑であったようです。共観福音書の語り方は、イエスの地上の出来事を用いて復活者キリストを宣べ伝えようとするマルコの福音宣教の動機から、単純化され図式化されいると見られます(「マルコ福音書講解ー結び一」参照)。マタイ(とルカ)はマルコの図式化を引き継ぎながら、イエスがユダヤの荒れ野で断食し深い霊的体験をされたという伝承を、「語録資料Q」が伝える誘惑物語で内容を与え、召命を確認する体験としたと考えられます。

 ガリラヤでの宣教開始


異邦人のガリラヤ

 イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
 「ゼブルンの地とナフタリの地、
  湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、
    異邦人のガリラヤ、
  暗闇に住む民は大きな光を見、
  死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。

(四・一二〜一七)

 領主ヘロデ・アンティパスは、洗礼者ヨハネの運動が拡大してメシア的な運動となり、領地に騒乱が起こるのを怖れ、ヨハネを逮捕しマケラスの要塞に閉じ込めます。この報せを聞いて、イエスはユダヤを去り、ガリラヤに退かれます。これは身の安全を図るためではありません。ガリラヤも同じヘロデ・アンティパスの領地だからです。イエスは、ヨハネの逮捕に自分が宣教に立つべき時が来たことを知り、それを「異邦人のガリラヤ」で始められるのです。
 
 イエスはユダヤの荒れ野で神の召しを受けて、別人としてガリラヤに帰って来られます。両親や兄弟が住む「ナザレを離れ」たことは、イエスの生涯が別の時期に入ったことを示しています。イエスは湖畔の町カファルナウムに住まいを定められます(イエスの家がカファルナウムにあったことはマルコ二・一も示唆しています)。この町がイエスのガリラヤ宣教の拠点になります。
 
 このカファルナウムに「ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町」という説明がつくのは、マタイの筆によります。マタイはこの説明文をつけることで、イエスがカファルナウムに住まれたことをイザヤ預言の成就であると、強く印象づけるのです。むしろ、この段落全体は、イエスがカファルナウムに住まれたことを、イザヤの預言からマタイが構成した物語であると見てよいでしょう。

 引用されているイザヤ書は、新共同訳では八・二三〜九・一です。マタイの引用文は、ほぼ七十人訳に従っていますが、マタイの編集の手が加わり、ところどころ用語も変わっています。とくに最後の「光が射し込んだ」は、七十人訳の「光が昇るであろう」という未来形を過去形にしています(もっともヘブライ語原典では完了形ですが)。「ゼブルン」と「ナフタリ」は、イスラエル十二部族の中でガリラヤ地方に住んだ部族の名です。「海沿いの道」は地中海沿岸地方、「ヨルダン川のかなた」はエルサレムから見て「かなた」、すなわちヨルダン川東岸地方を指します。そして、これらの地方や「諸国民」が入り交じったガリラヤ地方は「辱めを受けた」、すなわち、イザヤの時代にアッシリアに征服され、その属州にされたのです(前七三二年)。イザヤの預言はそれらの地方の回復を預言するものです。なお、マタイがカファルナウムにつけた説明文における「湖畔」の「湖」と、イザヤ預言の「海沿い」の「海」は、ギリシャ語では同じです。

 この引用で中心に来るのは「異邦人のガリラヤ」という表現です。マタイは、イエスがガリラヤで宣教を開始されたことを、「異邦人のガリラヤ」という預言の言葉で意義づけるのです。「異邦人」と訳されている語は、「民族」の複数形です。すなわち、イエスの宣教はユダヤ人だけでなく、諸々の民族に向かってなされているのだと宣言しているのです。すでに繰り返し見てきたように、マタイは、イエスの福音をユダヤ人の中だけに限ろうとする体質に対抗して、福音をユダヤ人以外の諸民族に伝えなければならないという主張をかかげて、この福音書を書いているのです。この段落の構成にも、マタイの意図がよく示されています。

 ガリラヤはダビデ王国の領域に含まれ、分裂後は北王国の一部として、イスラエル十二部族の一部が住んだ地方でした。しかし、北王国がアッシリアに滅ぼされる前後からアッシリアの属州となり、民族の混淆が進み、「失われた地」になりました。南王国のヨシア王が一時この地方を支配下に収め、ダビデ王国の領域を回復した時期がありましたが、これも短いエピソードに終わり、やがて南王国もバビロニアに滅ぼされます。捕囚後のペルシャ支配とセレウコス朝支配の時代には、他民族の入植が続き、ガリラヤの人種、宗教、文化の混淆は進みます。それで、エルサレムに再建されたユダヤ教団からは軽蔑の意味を込めて「異邦人(異教徒)のガリラヤ」と呼ばれることになります。ガリラヤが再びユダヤ教の土地になるのは、ハスモニア朝がガリラヤまで支配を及ぼし(前一〇〇年頃)、住民にユダヤ教を強制し、シナゴーグを建てるなどして教化活動を続けた結果です。また、ユダヤからの入植者を送り込みます(イエスの家族もこの時期のユダヤからの入植者であると見られます)。このユダヤ教化はかなり成功し、一世紀前半には「ガリラヤのユダ」を初めとするユダヤ教過激派「熱心党」の地盤となります。しかし、イエスの時代においては、ガリラヤは異教と接するユダヤ教の辺境・周辺地帯という意味で「異邦人のガリラヤ」であったと言えます。

 ガリラヤでイエスが宣べ伝えられた福音は、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と要約されています。この宣教の言葉は、洗礼者ヨハネの言葉(三・二)と同じです。先に見たように、マタイはイエスとヨハネが一体であることを強調します。イエスはヨハネと同じ内容をもって宣教を開始されるのです。たしかに、イエスはヨハネを超えておられます。しかし、イエスの宣教にはヨハネと同じく、終末的な審判の迫りと悔い改めを説く一面もあります。イエスの「恩恵の支配の福音」は終末的な場で語られているのです。

ガリラヤの漁師を弟子にする

 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。

(四・一八〜二二)

 この段落はマルコ(一・一六〜二〇)と同じです。強いて違いを探せば、シモンの名に「ペトロと呼ばれる」という句がついているだけです。先に触れたように、ペトロやアンデレはすでにユダヤでイエスの弟子となっているのですから、この記事は、復活されたイエスがガリラヤ湖畔でペトロたちに現れ、ガリラヤに逃げ帰っていた弟子たちを宣教に召された出来事を、イエスの在世時の出来事として語っていると理解する方が自然です。とにかく、マタイはマルコの記事をそのままここに置いて、イエスのガリラヤ伝道に最初に従った弟子の存在を語るのです。

 この記事を復活後の顕現とする理解については、「マルコ福音書講解 91 」の「復活者の顕現」で詳しく論じましたので、ここでは省略します。なお、この記事そのものの解釈については、「マルコ福音書講解 6 」を見てください。



ガリラヤでの宣教活動

 イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。そこで、イエスの評判がシリア中に広まった。人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った。

(四・二三〜二五)

 イエスがガリラヤを巡り歩いてなされた働きを、マタイは二つの働きにまとめています。すなわち、「諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え」という言葉による教えの働きと、「民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた」という癒しの働きです。そして、イエスが宣べ伝えられた「御国の福音」の言葉を五章から七章にまとめ、イエスの癒しの働きを代表的な事例を伝えて八章から九章にまとめるのです。その上で、この二三節と同じまとめの言葉で締め括っています(九・三五)。
 
 こうして、イエスのガリラヤにおける働きが要約され、さらに、イエスの言葉に耳を傾ける二つのグループ、すなわちイエスに従う弟子たちと大勢の群衆の存在が語られて、「山上の説教」の舞台が整うのです。

 この段落は、「山上の説教」を講解するときに、「御国の福音 1 」で聴衆の問題として扱っていますので、ここでは簡単にしておきます。なお、「御国の福音」という表現についても、その箇所を参照してください。


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