マタイによるメシア・イエスの物語 

第10章 エルサレムに現れるメシア

     ー マタイ福音書 一九〜二三章 ー





はじめに

 第四ブロック(一四〜一八章)では、イスラエルから立ち去り、少数の弟子たちを連れて異邦の地方を旅するイエスが描かれました。その旅を終えて、いよいよイスラエルの地に再び入ろうとするときに、フィリポ・カイサリアの地でペトロのメシア告白があり、その告白の上に建てられる「エクレシア」について語られるようになりました。このブロックは、「エクレシア」についてのイエスの訓戒をまとめた語録集(一八章)で締め括られました。この訓戒を弟子たちに与えたとき、イエスはまだガリラヤのカファルナウムにおられます(一七・二四)。ところが、「イエスはこれらの言葉を語り終えると、ガリラヤを去り、ヨルダン川の向こう側のユダヤ地方に行かれた。大勢の群衆が従った。イエスはそこで人々の病気をいやされた」(一九・一〜二)と続き、ここから第五ブロックが始まります。

 並行するマルコ(一〇・一)では、「それから、イエスはそこ(カファルナウム)を去って、ユダヤ地方に行き、ヨルダン川の向こう側に渡られた」となっています。ガリラヤからユダヤに行くには、普通ヨルダン川の向こう側(東ヨルダン、ペレア)を経てユダヤに入ることになります。それで、マルコの描く行程は不自然であるので、マタイは「ヨルダンの向こう側のユダヤに地」と書き換えています。いずれにせよ、イエスが最後にエルサレムに入る直前、「ヨルダンの向こう側」に滞在されたことは、共通の伝承であったと見られます(ヨハネ一〇・四〇参照)。

 第五ブロックの物語部分(一九〜二三章)はユダヤの地でのイエスの働きを物語りますが、この部分はエルサレム入城までの部分(一九〜二〇章)とエルサレムに入ってからの部分(二一〜二三章)に分かれます。しかし、この旅の目的地はエルサレムであり(ユダヤ地方での活動が目的ではなく)、イエスは受難を覚悟して、神の都エルサレムで最後の働きを成し遂げるために来られたのですから、この第五ブロックの標題は「エルサレムに現れるメシア」としてよいと思われます。
 
 聖都エルサレムでの働きを物語った後、マタイは人の子の顕現を主題とする、きわめて終末的な色彩の濃い語録集(二四〜二五章)を置きます。この第五の語録集も「イエスはこれらの言葉をすべて語り終えると」(二六・一)という句で締め括られて、いよいよメシア・イエスの物語は彼の十字架の死と復活というクライマックス(二六〜二八章)に入っていきます。
 
 第五ブロックの物語部分(一九〜二三章)は、ほぼマルコ福音書の順序に従っており、その内容も共通していますので、今回もそれぞれの段落の詳しい講解は「マルコ福音書講解」に委ね、ここではマタイによる構成と内容の特色だけを見ていくことにします。

 律法学者たちに対する批判の言葉を集めた語録集(二三章)を、それに続く終末に関する語録集(二四〜二五章)と合わせて、第五の語録集を形成しているとする見方もありますが、主題があまりにも違うのと、対象も違っているので、ここでは二三章を物語部分の一部として扱います。


 

  ユダヤの地で


離縁についての論争

 ユダヤの地に入るとすぐにファリサイ派の律法学者たちが近づいてきて、「イエスを試そうとして」論争をしかけます(一九・三)。すでにガリラヤで、安息日律法を公然と無視するような活動を続けるイエスに対して、ファリサイ派の人たちは「どのようにしてイエスを殺そうか」と相談し始めていました(一二・一四)。ガリラヤで多くの民衆を集めて教えを説くイエスが、ついに聖都エルサレムの近くまで来たのです。イエスの教えが明白に神聖な律法に違反することを民衆の面前で暴露して、イエスを捕らえ裁判にかけ、抹殺しなければなりません。こうして第四ブロックの物語は、イエスとファリサイ派の人たちとの論争物語になります。エルサレムに入る前(一九〜二〇章)ではまだ弟子たちへの語りかけもありますが、エルサレムに入ってから(二一〜二三章)は批判者たちとの激しい論戦ばかりになります。
 
 批判者たちが最初に持ち出したのは離縁の問題でした(一九・三以下)。彼らはイエスが以前から離婚を姦通だとする厳しい発言(五・三二参照)をしておられたことを知っていて、「離縁は許されない」という発言を民衆の面前で引き出し、イエスが律法の明文を無視する者であるとの公然の証拠をつかもうとしたしたのでしょう。彼らは、「そもそも離縁することは律法に適っているのかどうか」と訊ねます(三節)。イエスは彼らの意図を知りつつあえて、創世記の言葉を引用して、「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」と断言されます(四〜六節)。そこで彼らは、「では、なぜモーセは離縁状を渡して離縁するように命じたのか」と詰め寄ります(七節)。これは、「お前の言っていることは、モーセ律法の明文(申命記二四・一)を無視することではないか」という詰問です。それに対してイエスは、「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない」と答えられます(八節)。
 
 これは、モーセ律法を神から与えられた定めとし、絶対無条件に順守しなければならないとするファリサイ派ユダヤ教の立場を根底から覆す重大な発言です。離縁を認めたモーセ律法の規定は、「あなたがたの心のかたくなさに向かって」与えられたものであって、「初めからそうだったのではない」、すなわち本来の創造者の意志ではないというのです。そうであれば、律法の規定を守っていても、必ずしも神の意志に従っていることにはならないわけです。律法を順守すれば、神に義と認められるというユダヤ教の根本的な立場は崩れます。律法を守っていても、心のかたくなさ、すなわち神への背反は変わりません。
 
 では、神の意志を実現するにはどうすればよいのでしょうか。それは、恩恵の場にひれ伏して「心のかたくなさ」が打ち砕かれることです。人間の自我が打ち砕かれるとき、「神が結び合わせてくださったもの」を人が離すことはなくなるのです。二人を結び合わせるのは、神の恩恵です。
 
 こうして、もはや離婚がありえない恩恵の場における結婚関係について、マタイはそれを「不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる」(九節)という法文で表現します。マタイは、マルコやルカにはない「《ポルネイア》の場合以外で」という例外規定をつけています。すなわち「みだらな行いの場合以外は」離婚は許されないという戒律を教団に与えています。これは、離婚に関するユダヤ教の厳格な立場を代表するシャンマイ派とほぼ同じです。ここにもマタイのユダヤ教的体質がうかがわれます。
 
 このような厳格な禁止規定を聞いて、弟子たちは困惑し、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言います(一〇節)。おそらく、これは群衆の面前でのファリサイ派の人たちとの論戦の後、家に入ってなされた弟子たちだけとの間の問答であると考えられます。それに対してイエスは言われます。「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい」(一一〜一二節)。
 
 ユダヤ教において、結婚は成人した男女の神聖な義務でした。結婚しないのは「結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者」だけでした。ところが、イエスの弟子の中には「天の国のために結婚しない者」がありうるとされるようになったのです。独身生活を貫いて神に仕える生き方は、すでにクムラン宗団に先例がありますが、イエスの弟子集団にも(ユダヤ教では例外的な)独身を貫いて神の国のために仕える道が開かれたのです。
 
 ただし、イエスの弟子すべてがこの道に召されているのではないことが強調されます。「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである」のです。独身生活は結婚生活の煩わしさから逃れるためのではなく、神の国の働きのために生涯を捧げるためでなければなりませんが、それは、そうせざるをえないほどに御霊の恵みを力強く注がれた人の特権です。たとえば、パウロは使徒としての恵みの賜物を与えられたので、独身の生涯を貫いて福音に仕えたのでした。

 離婚問題についてのイエスの発言、九節の語録(とくに《ポルネイア》の訳)、また独身者について、詳しくは「マルコ福音書講解54 離婚について」、および「マタイ福音書講解11 恩恵の下にある男と女」を参照してください。



  天の国に入る者


子供のように

 次にイエスが子供を祝福された記事(一九・一三〜一五)が来ますが、これはほぼマルコ(一〇・一三〜一六)と同じで、とくにマタイの特色はありません。強いて違いを探せば、マルコ一〇・一五のお言葉は、マタイはすでに一八・三で使っているので、ここでは略されていることぐらいです。しかし、略されているこの句こそが、この段落の中心的なお言葉ですから、マタイの記事は何か中心がぼやけた感じが否めません。マルコはそのお言葉を「アーメン、わたしは言う」という句で始めており、この語録の重要性を示しています。マルコ(一〇・一五)では「子供のように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできない」となっています。「子供のように」、すなわち自分からは何もできない、何も提供するものがないという無の立場で、神が差し出してくださっている恩恵を受け入れるのでなければ、神の国に入ることはできないというのです。この自分を無として恩恵を受け入れることが信仰です。イエスはここで、「信仰によって神の国に入る(救われる)」という福音の根本を語っておられるのです。ところが、マタイはこのお言葉をここから外して、弟子たちに自分を低くして謙虚になれと説く訓戒にしたので(一八・三〜四)、焦点がはっきりしない記事になったようです。

 子供の祝福については詳しくは、「マルコ福音書講解55 子供と神の国」を参照。


金持ちの青年の問い

 続いてマルコと同じく、イエスに永遠の命を受け継ぐ道を尋ねた金持ちの青年の話が来ます(一九・一六〜二二)。マタイはこの記事もほぼマルコの記事(一〇・一七〜二二)をそのまま用いています。しかし、マタイはマルコの記事を微妙に変えています。マルコの「善い先生」という呼びかけの「善い」を外し、「何をすればよいでしょうか」という質問を「どんな善いことをすればよいでしょうか」にしています(マタイの倫理主義的な体質が現れていると見られます)。従ってイエスの答えも、「なぜ、わたしを『善い』と言うのか」から、「なぜ、善いことについてわたしに尋ねるのか」と変わります。掟を数え上げるときも、マタイは「奪い取るな」を略して、代わりに「隣人を自分のように愛しなさい」を入れています。また、マルコは永遠の命を受け継ぐためには掟を守ればよいという青年の理解を前提にして物語っているのに対して、マタイは「もし命を得たいのなら、掟を守りなさい」というユダヤ教の公式の立場をイエスの発言としています(一七節)。もっとも目立つ点は、マルコでは「あなたに欠けているものが一つある」と言っておられるところを、マタイは「もし完全になりたいのなら」と言い換えている点です(二一節)。
 
 「完全」という用語はマタイ独自で特愛のものです。「完全」はマタイの理想です。マタイはイエスの教えを、「天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」と要約します(五・四八)。この言い換えの結果、マルコでは掟を守ることで命を得ようとする立場そのものを捨てるように示唆しておられるお言葉が、修道院的な無所有の生活を要求する言葉と誤解されかねない表現になっています。マタイでは、命を受け継ぐための完全さは、いっさいの所有を売り払って施し、無一物となって、放浪巡回して宣教活動をするイエスの仲間になることによって初めて達成される完全さになりかねません。実際、キリスト教の歴史において、この言葉に促されて修道院的な生活に入った人たちが多くいたようです。もっとも、マルコの言葉もそのような理解に導く可能性はありますが、マタイの表現の方がいっそうその方向に導きやすいと言えます。しかし、この方向の理解は福音の根本原則に反します。マタイにおいても、「完全」という用語に幻惑されず、あるいは、そのような完全に達することは人間本性には不可能であることを悟って、自分の功績によって命を受け継ごうとする人間の立場を捨て切ることを求めていると理解しなければなりません。そのことは次の富に関する問答で明らかにされます。

 マルコはこの質問をした人物を「ある人」と言うだけですが、マタイは「若者」としています(二〇節と二二節)。それで、この段落の標題は「金持ちの青年」とされることが多いのですが、ルカ(一八・一八)は「ある議員」としています。「たくさんの資産を持っていた」のですから、「青年」よりは「議員」の方が理解しやすいと考えられます。ただし、理解しやすい方は後での書き換えである可能性が高くなります。


富める者と神の国

 「持ち物を売り払い、貧しい人に施しなさい」というイエスの言葉に従うことができず、悲しんで去って行った青年を見て、イエスは弟子たちに「金持ちが天の国に入るのは難しい」ことを語り出されます(一九・二三〜二六)。そして、その難しさを、「らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」というイエスらしい比喩で重ねて強調されます。この比喩は、金持ちが天の国に入る難しさを誇張したユーモラスな表現です。「針の穴」はエルサレムの城壁にあったごく小さいくぐり穴を指しているという解釈は必要ないでしょう。ラビ文学に、象が針の穴を通るという表現があると伝えられています。

 この「難しさ」は、人間が最高の能力を発揮しても達成できないという種類の難しさではありません。自分を無とすることの難しさです。イエスが金持ちの青年に財産を放棄することを求められたのは、今まで掟を守って行った善行にさらにもう一つの高度の善行を加えるように求められたのではなく、自分の善行や価値に頼る立場を放棄することを求められたのです。自分を放棄することは、資産や地位や教養などを多く持っている者ほど難しくなります。そういうものを持たない者、自分に頼るものを何も持たない「貧しい者」が神の国に入るのです。イエスの神の国の告知は、「貧しい者は幸いである。神の国はあなたがたのものである」で始まっています。
 
 この言葉を聞いて、弟子たちは驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言います。それに対してイエスは言われます、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」。自分を捨てきること、無になることは、人間にはできないことです。自我を主張することが人間の本性ですから。ところが、人間にできないことを神が成し遂げてくださるのです。どのようにして成し遂げてくださるのかは、まだ何も語られていません。それは、十字架の福音によって告知されることになるのです。キリストがわたしのために死んでくださることによって、キリストに合わせられてわたしは死に、自我が打ち砕かれるのです。キリストにあって、神の恩恵だけが支配し、自分が無になることができるのです。

すべてを捨てた者への報い

 持ち物をすべて売り払ってイエスに従うことができず、悲しんで去っていった青年に較べ、ペトロたちはいっさいを捨ててイエスに従って来ました。そこで、ペトロがイエスに言います。「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか」(一九・二七)。マルコでは「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」とだけありますが、マタイは「では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか」を付け加えて、報償の問題にしています。

 報償を求めるペトロの問いに対するイエスの答えも、マルコにはない言葉で始まります。マタイでは、イエスは黙示思想的な表現で報償を約束されます。「はっきり言っておく(原文は、アーメン、わたしはあなたがたに言う)。新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも、わたしに従って来たのだから、十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる」(一九・二八)。

 ほぼ同じ内容の語録が、「人の子」という語を使わないでルカ(二二・二八〜三〇)にも伝えられています。ここは「語録資料Q」から来ていると見られますが、この場合はマタイの方が「語録資料Q」の表現を忠実に残していると考えられます。

 「人の子が彼の栄光の座に着く更新の時には」(直訳)というのは、きわめて黙示思想的な色彩の濃い表現です。「人の子」が天から現れて「栄光の座に着くとき」、それまで不義なる者たちが支配していた「この(旧い)アイオーン」は覆され、神が支配される「来るべき(新しい)アイオーン」が実現します。その変革が《パリンゲネーシア》(更新、再生)と呼ばれていたのです。「このアイオーン」で迫害されてきた義人聖徒たちは、その更新のとき神の支配にあずかり、世界を裁く者の座に着くというのです。「語録資料Q」を生み出したユダヤ人の信仰運動は、このような黙示思想的な希望に立って、迫害を耐えてきたのです。ユダヤ教黙示思想では律法に忠実なイスラエルに約束されていた栄光を、イエスはすべてを捨てて忠実に従った弟子たちに約束されるのです。なお、イスラエルは十二部族から構成される神の民ですから、終末的な神の民を治める者も十二人とされ、そこから「十二使徒」の概念が出てくることになります。
 
 マタイは、自分の本来の伝統である「語録資料Q」に見られる黙示思想的な将来の栄光を約束した後、マルコ(一〇・二九〜三〇)が伝えるイエスのお言葉を用いています。しかし、マルコに較べるとずいぶん簡単に要約して書いています。「わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ」(一九・二九)。
 
 イエスに従う者が受ける報酬は、イエスに従う者に賜る聖霊によってイエスと同じ質の命に生きることです。その命に生きる者は、このアイオーンでは捨てた家族や畑の百倍を迫害と共に受け、来るべきアイオーンでは永遠の命を受け継ぐのです。イエスの語録にはユダヤ教黙示思想の用語や枠組みが多分に残っていますが、そこで語られていることは、十字架され復活されたイエス・キリストの福音において、聖霊による命の現実として実現するのです。
 
 マタイは、マルコに従って、この段落を「先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」という語録で締め括ります(一九・三〇)。これは人の運命の逆転を語る当時の格言であったのを、イエスが神の国の一面を語るのに用いられたと見られます。人間的な評価ではもっとも先に入ると見られる者ではなく、最後になると見られている者が先に神の国に入るのです。立派な大人ではなく何の能力もない幼子が、律法順守を誇る義人ではなく徴税人や遊女など罪人が、イスラエルではなく異邦人が先に神の国に入るのです。

 ここで「金持ちの青年の問い」、「富める者と神の国」、「すべてを捨てた者への報い」の三つの項で扱った事柄について詳しくは、「マルコ福音書講解56 金持ちと神の国」を参照してください。


ぶどう園の労働者のたとえ

 幼子の祝福からここまで、マルコに従って神の国に入ることを主題とした物語を続けてきたマタイは、最後にマタイだけにある「ぶどう園の労働者のたとえ」(二〇・一〜一六)を置いて、この部分を締め括ります。

 このたとえは当時のパレスチナの雇用状況をよく反映しています。都市に暮らす貧しい階層の人たちは、その日の生活の糧を得るための日雇い労働の口を求めて、町のアゴラ(広場または市場)に集まり、雇い主の声がかかるの待っていました。このたとえは、おそらくぶどうの収穫期のことでしょう。ぶどう摘みは夜が冷え込む雨期の始まる前に終えていなければなりません。ぶどう園の主人が、緊急を要する仕事のために何回も広場に出向いて労働者を集めることは実際にあったのでしょう。当時の日雇い労働者の一日の標準の賃金が一デナリオンでした。
 
 イエスのたとえはこのような実際の雇用状況に即しています。しかし、聴く者を驚かすのは、夜明けに雇われた者も、昼の十二時、午後の三時、そして夕方の五時に雇われた者も、みな同じ一デナリオンの賃金を与えられたという点です。普通は労働時間に応じた賃金が支払われます。ところが、このたとえの主人は、「最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に」、同じ一デナリオンの賃金を払ったのです。最後に賃金を受けた者は、「最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは」と不平を言います。それに対して主人は、「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか」と言ったというのです。

 このたとえは、マタイだけにありますがマタイの創作ではなく、当時のパレスチナの状況をよく反映していることと、その内容が世間的な常識に衝撃を与えるイエス独特のものであることから、イエスが語られたたとえであると見られます。このたとえは、これから見るように、ルカだけにある「放蕩息子のたとえ」と同じで、比較点を一つだけ持つ比喩であるので、物語の細部に意味を持たせた寓喩的解釈をするべきではありません。

 このたとえの主人公は、ぶどう園に雇われた労働者たちではなく、最後の者にも同じ賃金を与えた気前のよい主人です。標題としては「気前のよい雇い主」の方が、内容をよく現すでしょう。イエスはこの「気前のよい雇い主」をたとえとして、神の恩恵を語っておられるのです。イエスの父は、この雇い主のように、働きに応じて報酬を与えるのではなく、働きの多少にかかわらず無条件に同じ祝福を与えるのです。神の支配(神の国)とは、このような絶対無条件の恩恵の支配の場です。人間の側の働きや功績とか資格は問題にならない場です。
 
 では、イエスはこの神の恩恵を語るたとえを、実際にはどのような状況で誰に向かって語られたのでしょうか。それは「放蕩息子のたとえ」と同じように、イエスが告知される恩恵の支配に不平を言った人たち、すなわちイエスを激しく非難したファリサイ派律法学者たちにに向かって、恩恵の支配の福音を弁証するために語られた比喩なのです(ルカ一五・一〜三参照)。
 
 「放蕩息子のたとえ」では、父親の財産を放蕩に使い果たして帰ってきた息子を、父親が無条件に迎え入れて歓迎の宴を開きます。それを見て、ずっと父親の家で働いてきた兄が不平を言います。マタイの「気前のよい雇い主のたとえ」では、夜明けから働いてきた人が不平を言います。どちらも、自分こそ資格がある者なのに、資格がない者がよいものを受けることへの不満不平です。それでは自分の資格は無意味になるではないかという抗議です。
 
 ファリサイ派に代表されるユダヤ教では、律法を順守する者が義人として神の国を受け継ぐ資格があるとされていました。律法を知らず、守ることもない者は罪人であって、神の国を受け継ぐ資格はないのです。とことが、イエスは「罪人」と言われていた徴税人や遊女たちと食事の交わりを持ち、自分の仲間として受け入れ、神の国を受け継ぐ者とされたのです。もしイエスが告知されるように、神の恩恵によって資格のない者が神の国に入るのであれば、律法を順守することがその資格であるとするユダヤ教は根本から否定されることになります。ユダヤ教を代表する者たちがイエスを殺そうとしたのは当然です。この非難に対して、イエスは「放蕩息子のたとえ」やこの「気前のよい雇い主のたとえ」で反撃されるのです。この二つのたとえは一対です。
 
 「気前のよい雇い主のたとえ」がこのような意味であることは、それが置かれている位置からも確認されます。神の国に入ることを主題とする先行する部分の最後に、「先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」という語録が置かれていましたが、その意味を説明するかのようにこのたとえが続き、そして、このたとえの結びとして、同じ「このように、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」という言葉が置かれています(二〇・一六)。このたとえはこの御言葉に囲い込まれて、この御言葉の内容を示すものになっているのです。イエスの状況では、自分たちこそ真っ先に神の国に入る資格があると思っている「義人」ではなく、資格では最後の者であるとされている徴税人や遊女たちが先に神の国に入るのです(二一・三一参照)。マタイの状況では、ユダヤ教会堂に対する批判としてその意味も含んではいますが、さらに、先に選ばれたイスラエルの民よりも、律法を持っていない異邦人の方が先に神の国に入ることを示唆しています(八・一一〜一二参照)。これは、宣教をユダヤ人だけに限ろうとする体質を乗りこえて、異邦人に福音を宣べ伝えようとするマタイの立場の標語にもなっています。


  エルサレムを前にして


三度目の受難予告

 「ヨルダン川の向こう側のユダヤの地」でこのような教えを語られた後、イエスはいよいよ最後の目的地であるエルサレムへ上って行こうとされます(二〇・一七)。ヨルダン川を渡る前か後かは分かりませんが、「その途中」イエスは十二人の弟子たちだけをそばに呼び寄せ、三度目の受難予告をされます(二〇・一七〜一九)。この三度目の受難予告は、一度目(一六・二一)と二度目(一七・二二)に較べると、受難の過程が具体的に詳しく語られています。その分、実際の出来事を熟知している教団が手を加えた割合が大きくなっていると見られます。おそらくイエスは「人の子は人々の手に渡される」(一七・二二)という謎《マーシャール》の形で受難を予告されたのでしょうが、出来事を熟知している教団はそれを受難物語の要約のような形にして伝えたと考えられます。伝承の過程で形が事後予言のようになっていますが、イエスが御自分の受難を見据えてエルサレムへの旅を続け、それを予告された事実は疑えません。


ヤコブとヨハネの母の願い

 いよいよエルサレムを目指して旅が続きますが、そのとき、ゼベダイの息子たちの母親がイエスに、「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるように」頼みます(二〇・二〇〜二一)。この記事もマルコとほぼ同じですが、頼んだのがマルコではヤコブとヨハネ本人たちであるのに対して、マタイでは彼らの母親である点が大きく違います。イエス一行の最後のエルサレムへの旅には、ガリラヤから女性たちもつき従って行ったのであり、その中にはゼベダイの子らの母親もいたのです(二七・五五〜五六)。マタイは頼んだのを母親とすることで、十二使徒に数えられる二人を野心家の不名誉から救いたかったのかもしれません。しかし、二人は母親と一緒に頼んでおり、以下の対話(二二〜二三節)はイエスと二人の間の対話になっています。

 イエスは二人に、「あなたがたは自分が何を願っているのか、分かっていない」とお答えになります。エルサレムに向かう同じ道を行きながら、イエスと弟子たちとはまったく別の道を歩んでいることが露呈します。イエスは「多くの人の身代金として自分の命を献げるために」エルサレムに向かっておられれるのに、弟子たちは人の上に立って支配する者になりたいと願っているのです。イエスはイザヤ書五三章の「主のしもべ」の道を歩んでおられるのに、弟子たちは王として世界を支配するメシアを期待し、王の高官としての栄光にあずかることを願っているのです。ペトロもそのようなメシアを期待して、「サタンよ、引き下がれ」と叱責されて以来、途中弟子たちは互いにメシアの王国では誰が一番偉いかと議論し、最後までこのようなメシア期待を持っていたことを示しています。
 
 イエスは二人の思い違いを正すために、「このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」と言われます(二二節)。それに対して二人は、「できます」と答えます(マタイは、マルコが杯と並べて用いているバプテスマの象徴を略しています)。「杯」は、神から突きつけられる裁きの苦しみを象徴しています。それを飲み干すことは、イエスでさえ「できることなら、この杯をわたしから遠ざけてください」と祈らないではおれないほど苦しいものです。彼らが「できます」と言った決意がいかにもろいものであるか、また、実は何も分かっていないことは、イエスが十字架につけられたとき、ペトロがイエスを否認し、弟子たち全員がガリラヤへ逃走したことからも明かです。
 
 彼らの弱さを見通しながらも、イエスは彼らもやがてはイエスに従う者として、世からイエスと同じ扱いを受けて苦しむことを予告されます。しかし、それが栄光の座に座ることの資格になるのではなく、また、イエスさえもそれを決める立場ではなく、神だけが定められることであると諭されます(二三節)。

多くの人の身代金

 「ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立てた」のです。腹を立てたことで、ほかの十人も同じ願いを持っていたことを暴露しています。「そこで、イエスは一同を呼び寄せて」言われます(二〇・二四)。

 「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい」(二五〜二七節)。
 
 イエスは、この世の支配と神の支配という二つの場の原理の違いが明確に語り出されます。ここの「異邦人」というのは「ユダヤ人でない者」ではなく、「諸国民」という意味であり、世界の現実を語っています。この世界では、強い者、力を持つ者が支配し、その力で弱い者を服従させています。それに対して、神の支配にあずかるイエスの弟子の中ではそうであってはならず、強い者は弱い者にその力(能力)をもって仕えるのです。それは、神の支配とは恩恵の支配であり、愛の支配であるからです。
 
 そして、そのような愛の支配を成立させる根底が語り出されます。それはイエスご自身が愛の支配の体現者であるからです。マタイはマルコの表現を少し変えて、「人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように」と書いています(二八節)。マルコでは「のだから」とあるところを、マタイは「と同じように」言い換えています。「同じように」とあっても、イエスはたんに謙遜な心で仕えるという道徳的な模範であるのではなく、このような愛の支配を成立させる根底であると理解しなければなりません。
 
 イエスは「多くの人の身代金として自分の命を献げる」道を歩み抜かれました。これはイザヤ書五三章に預言されていた「主のしもべ」の道です。復活者キリスト、神の子が地上では「多くの人の身代金として自分の命を献げる」あの十字架の死を遂げられたことによって、神の恩恵の支配、愛の支配が実現したのです。この恩恵の支配の場において、はじめて力の支配とは逆の原理の共同体が成立するのです。

 ヤコブとヨハネとの対話、および重要な二八節の語録について、詳しくは「マルコ福音書講解58 ヤコブとヨハネの野心」を見てください。


エリコの盲人

 イエスの一行は、「ヨルダン川の向こう側(東側)」の地からヨルダン川を渡って、エルサレムへの旅を続けます。ヨルダン川を渡るとすぐエリコの町があります。おそらく、一行はこの歴史の古い町でしばらく留まって、エリコからエルサレムに至る「ユダヤの荒れ野」を旅する準備をしたことでしょう。このエリコの町での出来事として、ルカ(一九・一〜一〇)は徴税人ザアカイがイエスを迎え入れて救われたことを伝えています。

 イエスの一行がエリコを出ていくときに、道端に座っていた二人の盲人がイエスにいやされて目が見えるようになったという出来事が語られます(二〇・二九〜三四)。これはイエスの最後のいやしの業になります。マルコ(一〇・四六〜五二)では盲人は一人で、「テマイの子バルテマイ」という名まで伝えられています。マタイは名をあげず、二人の盲人としています(なぜ二人にしたのか理由は分かりません。マタイは別の伝承を用いているのかもしれません)。マルコが名を伝えているのは、この出来事が地域で大評判になり、「あのバルテマイが見えるようになった」と語り伝えられていた伝承をそのまま用いたからでしょう。マタイは奇跡物語を短くして一般化する傾向がありますが、ここでもそれが現れています。マルコの「盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのもとに来た」というような具体的な描写を省略しています。また、いやされた盲人にイエスが語られた「あなたの信仰があなたを救った」という重要な言葉も削られています。
 
 この盲人がイエスに向かって「ダビデの子よ」と叫んでいる点は、マタイにとって重要ですから、マルコの通り伝えられています。ユダヤ教指導者たちはイエスを殺そうとしていますが、民衆はイエスこそ「ダビデの子」として約束されていたメシアではないかと期待していたことが、このエピソードからも伝わってきます。この期待は、イエスがエルサレムに入城されるとき、大勢の人の歓呼となって響き渡ります(二一・九)。
 


 エルサレムに入るメシア


はじめに

 ついにイエスはエルサレムに入られます。エルサレムでの出来事については、マタイはほぼマルコの順序に従っていますが、三つのたとえ集や律法学者に対する激しい批判の語録集など、マタイ独自の構成も見られます。第五ブロックの物語部分「エルサレムに現れるメシア」の後半、すなわちエルサレムに入城してからのメシア・イエスの物語(二一〜二三章)は、次の四つの部分から構成されると見られます。
 T 三つの象徴行為―1子ろばに乗っての入城、2神殿で商人らを追い出す、3いちじくの木を枯らす、および権威についての問答(二一・一〜二七)
 U 三つのたとえ―1二人の息子のたとえ、2ぶどう園の悪い農夫のたとえ、3王の婚宴のたとえ(二一・二八〜二二・一四)
 V 四つの論争物語―1税金問答、2復活問答、3最大の掟の問答、4ダビデの子問答(二二・一五〜二二・四六)
 W 律法学者たちへの非難(二三章)
 

  三つの象徴行為


子ろばに乗って

 いよいよイエスはエルサレムに入られます(二一・一〜九)。エリコを通って東からエルサレムに近づいた一行は、オリーブ山沿いのベトファゲという所に到着します。ここでイエスは聖都エルサレムに入る準備をされます。近くの村から一頭のろばを子ろばと一緒に連れてくるように弟子たちに指示し、そのろばに乗ってエルサレムに入られるのです。イエスをイスラエルに遣わされたメシアとして描いてきたマタイは、子ろばに乗って都に入るイエスの姿に、ゼカリヤ(九・九)の預言の成就を見ます。メシアとしてイスラエルの王であるイエスは、力をもって民を支配するこの世の王とは違い、「柔和な方で、ろばに乗り、子ろばに乗って」その民のところに来られるのです。子ろばに乗って入城する王。この姿にイエスがどのような性質の支配をもたらす方であるかがよく象徴されています。

 このエルサレム入城の記事も、マタイはマルコと一部違っています。最大の違いは、マルコにはない預言の成就であることを入れている点(冒頭行はイザヤ六二・一一の、後はゼカリヤ九・九の一部の合成)ですが、その他にも微妙な違いがあります。マルコは「ベトファゲとベタニアにさしかかった」と書いていますが、ベタニアはベトファゲよりも東にあり、東から来た一行の行程としてはこの順序は不自然ですので、マタイはベタニアを省いています。マルコでは子ろばを一頭連れてくるように指示されていますが(ルカも同じ)、マタイは子ろばと一緒に一頭のろばを連れてくるようになっています。それにともない、七節の「イエスはそれにお乗りになった」の「それ」は複数形で不自然な表現になっています。これは、マタイがゼカリヤの預言の「ろばに乗り、子ろばに乗って」を別のろばと考えて(七十人訳ギリシャ語聖書ではそう読めます)、それに合わせて二頭のろばを連れてきたことにした結果であると考えられます。しかし、ゼカリヤの原文は「彼は・・・・ろばに乗ってくる、(すなわち)雌ろばの子であるろばに乗って」とありますから、一頭でよいはずです。ヨハネ(一二・一四)もゼカリヤの預言の成就としていますが、ろばは一頭です。なお、ろばを連れてくるさいの村人との会話や道に敷いた「木の枝」、「ホサナ」の歓声など、詳しくは「マルコ福音書講解60 エルサレムに入る」を参照してください。

 子ろばに乗って聖都エルサレムに入城するイエスを、群衆は自分の服や木の枝を道に敷き、「ホサナ」を叫んで歓迎します。マルコの「主の名によって来られる方」という歓呼に、マタイは「ダビデの子」という称号を添えています(二一・九)。マタイはこれまでずっとイエスをダビデの子として描いてきました。ダビデの支配を回復するとイスラエルに約束されていたメシアが、今その支配を現すはずの都に入られるのです。その歓呼の声に包まれながら、子ろばに乗る王は心の中でエルサレムのために泣いておられるのです。イエスは、イスラエルが期待するような力をもって支配する王ではなく、人々の重荷を背負う子ろばのように「柔和な方」として、都に入られるのです。このメシアを受け入れない民に臨む命運を思い、都を遠くから見て泣かれたイエスの心情(ルカ一九・四一〜四四)は、この時も同じであったと推察することが許されるでしょう(マタイ二三・三七〜三九も参照)。
 

神殿での象徴行為

 マルコ(一一・一一)では、エルサレムに入られたイエスは神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、夕方に弟子たちを連れて都を出て行かれたことになっていますが、これはイエスのエルサレム入城を歓呼して迎えた群衆の興奮からするとやや不自然に見えます。それでマタイはマルコの記事を改訂して、イエスがエルサレムに入られると、「いったい、これはどういう人だ」と言って、「都中の者が騒いだ」としています(二一・一〇〜一一)。おそらく、イエスの入城を歓呼した群衆とは、ガリラヤから来た巡礼者の一団で、イエスのガリラヤでの活動をよく知っていて、イエスを「ガリラヤのナザレから出た預言者」と仰いでいた人々だったのでしょう。実際には、イエスはこのような比較的小規模の「群衆」に囲まれて、あまり目立たないで都に入られたのでしょうが、マタイはそれを「都中の者が騒いだ」出来事とし、その騒ぎの中で預言者イエスはすぐに神殿に入り(マルコでは翌日)、神殿の崩壊を予言する象徴行為をされたとするのです(二一・一二以下)。
 
 イエスが「神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された」(一二節)という行為は、普通「神殿を清める」という意義づけがされます。神殿は本来「祈りの家」であるべきであるから、「強盗の巣にした」という弾劾は、「本来の祈りの家に戻せ」という粛正の叫びであると理解されているのです。しかし、イエスは後で弟子たちには神殿の徹底的な崩壊を予言しておられます(二四・二)。その事実からすると、この「強盗の巣にした」という弾劾は、「だからその崩壊は避けられない」という予言の声と理解しなければなりません。神殿でのイエスの激しい行為は、神殿粛正の鞭ではなく、神の拒否による神殿崩壊を預言する象徴行為なのです。
 
 ヨハネ福音書(二・一九)は、この時イエスが「この神殿を壊せ。そうすれば、わたしは三日で立て直そう」と言われたと伝えています。そして、マルコ(一六・五八)もマタイ(二六・六一)も、最高法院での裁判の席で(偽証としてですが)イエスがそう言ったのを聞いたという証人が登場したことを伝えています。イエスは神殿でこの象徴行為と共に、神殿崩壊を指す何らかの発言をされたことがうかがえます。この言葉によって、神に油を注がれたメシアの到来は神殿宗教を不要のものとし、三日目に復活されたメシア・キリストの霊なる体によって新しい(終末的な)神の民が生み出されることが予告されているのです。
 
 エルサレムがユダヤ教の聖地であるのは、そこに神殿があるからです。神殿を否定する預言者はそこで死ななければならないのです。死を覚悟したイエスの激しい神殿批判を聞いて、祭司長たちや律法学者たちはイエスに対する殺意を固めます(マルコ一六・一八)。
 
 祭司長や律法学者たちの殺意と対照して、マルコは直後に「群衆がみなその教えに感嘆していた」と書いていますが、マタイはそれを拡大して、イエスが境内で目の見えない人や足の不自由な人を癒されたこと(二一・一四)と、子供までがイエスを歓呼したこと(二一・一五〜一六)を加えています。目の見えない人や足の不自由な人は神殿に入ることが許されていなかった(サムエル記U五・八参照)禁令をイエスは廃棄されたことになります。そして、子供の歓呼も聖書の成就であるとして、詩編(八・二〜三の一部)の言葉を引用します。その後(マタイでは初めて)、イエスは「都を出て、ベタニアに行き、そこにお泊まりになった」ことが報告されます(二一・一七)。

 神殿での象徴行為について詳しくは、「マルコ福音書講解62 神殿から商人を追い出す」を参照してください。なお、マタイがマルコにある「境内を通って物を運ぶことを許されなかった」とか、「すべての国民の」祈りの家という句を省略し、禁令に反して境内に「目の見えない人や足の不自由な人」を登場させているのは、マタイの時代にはもはや神殿はなかったという事情が反映していると考えられます。


いちじくの木が枯れる

 マルコでは、イエスはエルサレムに入られた日はすぐに都を出てベタニアに行き、そこに泊まっておられます。それで、神殿での象徴行為はその翌日になりますが、その日の朝ベタニアから出かける時に、葉ばかりで実のないいちじくの木に「今から後いつまでも、お前には実がならないように」と言われたとされています。そして、神殿での象徴行為をされた日の翌日、ベタニアから出て行かれるときに、そのいちじくの木が枯れているのを弟子たちが見て驚き、信仰についての対話がはじまります。このように、マルコでは神殿での出来事がいちじくの木が枯れた記事で前後を囲まれているという構成になっていますが、マタイは神殿での出来事をエルサレム入城当日のこととしていますので、いちじくの木が枯れたことは神殿の出来事の翌朝の一回にまとめられています(二一・一八〜二二)。それで、イエスがその言葉を発せられると、(マルコのように翌日ではなく)「いちじくの木はたちまち枯れてしまった」ことになります。

 いちじくの木は、聖書ではいつもイスラエルの象徴です。そのいちじくの木が枯れたことは、実を結ばないイスラエルに対する神の裁きを象徴しています。マルコは、いちじくの木の記事で神殿での象徴行為を囲むことで、両者を一体として扱っていることを示しています。すなわち、神殿での行為も粛正の鞭ではなく、いちじくの木の象徴と同じく壊滅の預言であることを明確にしています。それに較べて、マタイは両者を切り離していますが、それでもいちじくがイスラエルの象徴であり、それが枯れたことはイスラエルに対する神の裁きを象徴することに変わりはありません。
 
 このように、エルサレムに入られたイエスは、三つの象徴行為によってイスラエルに神の言葉を告げておられるのです。子ろばに乗っての入城、神殿からの商人たちの追放、いちじくの木を枯らす行為はみな、神が遣わされたメシアと、彼を拒否して殺すに至るイスラエルに対する神の裁きを、象徴として指し示しています。

 いちじくの木が枯れた記事には、(マルコと同様マタイでも)祈りについてのイエスの言葉が続いています(二一・二〇〜二二)。いちじくの木が枯れた出来事は、異邦人キリスト者の教団において伝承される過程で、イスラエルに対する裁きという象徴的意味よりも、イエスの言葉の奇跡的な力の方が重視されて、祈りの力を教える実例として用いられるようになったのでしょう。いちじくの木の出来事の象徴的意味については、「マルコ福音書講解61 いちじくの木を呪う」で、また祈りの力の教えという意味については、「マルコ福音書講解63 いちじくの木が枯れる」で詳しく論じていますので、ここでは割愛します。ただ、祈りの力を教えるイエスのお言葉が、マルコでは「神の信を持て」(直訳)であったのが、マタイでは「信仰を持ち、疑わないならば」となっていることが注目されます。個人的な体験ですが、(マルコ福音書講解のその箇所で詳しく述べましたように)マルコの表現が「絶信の信」の消息に入っていく貴重なきっかけになったことを思いますと、マタイの表現は大事なものを見落とすことにならないかと心配されます。


権威についての問答

 神殿で売り買いする者や両替をする者たちを追い出されたという激しい行為は、神殿を拠り所とする宗教指導者階級を激怒させ、イエスへの殺意を固めさせました。彼らは神殿境内で教え続けるイエスに近寄ってきて、「何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか」と詰問します(二一・二三)。イエスがガリラヤで活動しておられる時から、彼らは部下を送って、イエスの言動を監視し、批判し、律法違反を咎めていました。いま神殿で彼らはイエスと直接対決し、最後通牒を突きつけます。

 この詰問に対して、イエスは彼らに一つの問いを突きつけて逆襲されます(二一・二四)。イエスの反問は、問題をすり替えるためのものではなく、彼らの問いが出てくる立場の矛盾を衝いて、彼らの詰問を無力にするものです。イエスが出された「ヨハネのバプテスマはどこからのものだったか。天からのものか、それとも、人からのものか」という問いに彼らは答えることができません。彼らは、そう信じていないので「天からだ」とも言えず、民衆はヨハネを神から遣わされた預言者と思っているので、民衆を恐れて「人からだ」とは言えず、窮地に陥ってしまいます(二一・二五〜二六)。答えることができない彼らは、自分たちの権威が人間からのものであり、イエスに権威の出所を問いただす資格がないことを露呈してしてしまいます(二一・二七)。
 
 この問答は、福音書記者(とくにマタイ)が洗礼者ヨハネとメシア・イエスを一組にして共同戦線に立つ者として描いていることを思い起こさせます。二人は、先駆者と本体という立場の違いはありますが、一組になって、終わりの日にイスラエルに語りかけられる神の働きを構成しているのです。
 
 この問答は、直接には神殿におけるイエスの激しい行為の結末を語っていますが、同時にイエスを批判し敵対する階層の人たちとの論争の舞台を準備します。マタイの物語では、イエスの反問に答えることができなかった者たちに、たとえによる追撃がすぐに(切れ目なく)続くことになります(二一・二八以下)。

 この問答について詳しくは、「マルコ福音書講解64 イエスの権威」を参照してください。


  三つのたとえ


「二人の息子」のたとえ

 エルサレムに現れて神殿で激しい批判の行動をするイエスを憎み殺そうとする勢力(マタイでは祭司長たちや長老たち)に対して、イエスは三つのたとえを用いて反論し、彼らの不信を詰問されます。その三つのたとえの中、第二の「ぶどう園の悪い農夫」のたとえはマルコにもあり、マタイはほぼ同じ形で用いています。第一の「二人の息子」のたとえはマタイだけの独自のもので、第三の「王の婚宴」のたとえも(ルカにはありますが)マルコにはなく、マタイは他の二つのたとえを加えることによって、「ぶどう園の悪い農夫」のたとえによる反論を拡大し、マタイ独自のユダヤ教批判を展開することになります。
 
 第一の「二人の息子」のたとえ(二一・二八〜三二)は、神の国に先にはいるのは「あなたたち」(祭司長や律法学者たち)ではなく、「徴税人や娼婦たち」であるということを指摘している点では、イエスの福音告知そのものであり、とくにマタイの独自性はありません。マタイの独自性は、このたとえを洗礼者ヨハネに対する二つのグループの態度のたとえとしてここに置いたことにあります。ユダヤ教指導層は律法を行うこと熱心で、その点で神がこれをせよと求められることに「はい」と答えていたことになります。ところが、神が洗礼者ヨハネを遣わして実際に律法の実行を求められると、ヨハネを信じないで拒否しました。それに対して、「徴税人や娼婦たち」は律法を知らず、神がこれをせよと求められることを拒んでいたが、洗礼者ヨハネが現れて義の道を示すと、ヨハネを信じて悔い改め、神の国に入る者となった、というのです。

 このたとえの核には、「徴税人や娼婦たちが(律法学者たちよりも)先に神の国に入る」(三一節後半)という、イエスの福音宣教を語る確固とした語録伝承があると見られます。それは、マタイが「神の国」という表現を残していることにもうかがえます。なお、「先に入る」という表現は、セム的語法では、順序を示すのではなく、先に入って独占することを意味し、徴税人や娼婦たちだけが入って、律法学者たちは入れないと言っているのです(J・エレミヤス)。マタイはこの語録を核にして「二人の息子」のたとえを構成するのですが、ややぎごちない印象を受けます。新共同訳は「兄」と「弟」と訳していますが、これがぎごちない印象を与える一つの理由になっているようです。放蕩息子のたとえでもそうですが、聖書はだいたい弟の方が神の御心にかなう者として選ばれています。原文は語りかけた順序を示す「第一の者」と「他の者」であって、兄と弟という関係ではありません。さらに、洗礼者に対する態度についても、律法学者たちの態度はたとえの「弟」と正確に対応していないように思われます。


「ぶどう園の悪い農夫」のたとえ

 次に「ぶどう園の悪い農夫」のたとえ(二一・三三〜四四)が置かれています。このたとえの核心は、イエスを殺そうとしているユダヤ教指導層は、神が最後に遣わされた「子」を殺そうとしているのであることを指摘する点にあります。先の「二人の息子」のたとえで、神からの使者である洗礼者ヨハネを拒否したユダヤ教指導者たちの不信が語られましたが、続いてこのたとえで,彼らは今や神が最後に遣わされた「息子」をも殺そうとしているのだと、彼らのイエスに対する拒否と殺意が糾弾されます。

 マタイはマルコ(一二・一〜一二)の記事をほぼそのまま踏襲していますが、細かい点で書き換えているところもあります。このたとえの意義については、「マルコ福音書講解65 ぶどう園農夫の譬」(『天旅』一九九一年5号)で詳しく論じましたので、それを参照していただくことにして、ここではマタイの特色だけにとどめます。このたとえは、イエスが語られた素朴な形から、初期の教団で伝承されていく過程で「寓喩化」されていることがうかがえます。すなわち、イエスは比較点を一点にしぼった単純な比喩を用い、それによって聴衆の決断を迫られるのが普通ですが、そのたとえを初期の教団が伝承していく過程で、たとえの中の個々の細目に意味を持たせて一つの物語にする(寓喩にする)という変化が起こります。

 このたとえの場合、トマス福音書65に伝えられている形がいちばん素朴で、イエスの語られた元の比喩の形に近いと考えられます。そこでは、ぶどう園の所有者は収穫の実りを得るために僕を遣わしますが、農夫たちは僕を殴りつけて追い返します。僕は主人に報告し、主人は別の僕を送りますが、農夫たちはその僕も殴って追い返します。三回目に主人は自分の息子を送ります。ところが、息子は相続人であることを知って、農夫たちは息子を捕らえて殺してしまいます。たとえはここで終わっています。このたとえは三つの共観福音書すべてに伝えられていますが、その中でルカ(二〇・九〜一九)がもっとも素朴な形を残しています。ルカはイザヤ書五章を用いてぶどう園をイスラエルに関連づけることなく、僕も一人づつ三回派遣されるだけで、誰も殺されていません。マルコになると、ぶどう園はイザヤ書五章を用いてイスラエルを指すことが示唆され、派遣される僕もイスラエルの歴史における預言者たちの運命を描くために、回数も人数も多くなり、殺される者も出てきます。マタイは基本的にマルコの寓喩化された形を用いています。ただ、派遣される僕が最初から複数で、彼らは農夫たちにたたかれ、殺され、石打にされます。続いてさらに多くの僕が派遣されますが、この第二群の僕たちも第一群の僕と同じ扱いを受けます。これは旧約聖書において預言者が「前の預言者」と「後の預言者」に区別されていたことに対応させたのでしょう。マタイが寓喩化をもっとも強く押し進めていることが読みとれます。
 
 共観福音書の著者たちは神殿が崩壊したことを知っており、それが神の子であるイエスを殺したことへの神の裁きであるとしているので、イスラエル滅亡の象徴として農夫に対するぶどう園主人の厳しい処罰が語られ、ぶどう園が「ほかの人たち」に与えられることが続きます。この部分(マタイで言えば二一・四〇以下)は、本来のイエスのたとえにはなく、イエスを神の子として宣べ伝えた初期の教団が寓喩を自分の時代まで延長したものと見なければなりません。そのさい教団は、イスラエルの指導者たちによって捨てられ、十字架につけられたイエスこそ、神が復活させて神の国の「隅の親石」(土台石)とされた方であることを証明するのによく用いた詩編(一一八編二二〜二三節)をここでも引用し、そのことによって、このたとえの「息子」が自分たちの宣べ伝えているイエス・キリストを指していることを明示しています。

 この「隅の親石」がイエスを信じないイスラエルにとっては「つまずきの石」になるというのは、初期の教団が好んで用いた象徴でした(ローマ九・三二〜三三、ペトロT二・六〜八)。この石がイスラエルを押し潰す石となるという語録(ダニエル書二・三四〜三五参照)が、やや不自然な位置(四四節)に置かれていますが、この四四節を欠く写本もあり、ルカ二〇・一八からの挿入ではないかと見られています。

 マルコは、イスラエルから取り上げられた神の国は「ほかの人たち」に与えられるとしていますが、マタイは「季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たち」とし、その寓喩的な表現を自ら解釈して「神の国はあなたたち(イスラエル、ユダヤ人)から取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族(単数形、キリストの民を指す)に与えられる」と明言します(四三節)。ここにも、ユダヤ教会堂と訣別し、異邦人世界に活路を求めようとしているマタイの教団の状況がうかがわれます。マタイはイエスのたとえを拡大して寓喩化し、自分の時代までの救済史の大枠を語る寓喩にしていることが分かります。

「王の婚宴」のたとえ

 マタイはさらにもう一つ、マルコにはない「王の婚宴」のたとえ(二二・一〜一四)を続けます。このたとえはルカ(一四・一五〜二四)に同じような内容の「盛大な宴会」のたとえがあり、共通の資料から取られていることをうかがわせます。しかし、マタイはかなり大きな改変を加えて、独自の寓喩的な物語に仕上げています。

 同じ内容のたとえはトマス福音書(64)にもあり、三つを比較すると、トマスとルカが(多少の編集の跡が認められますが)基本的には本来の形を残しているのに対して、マタイはかなり大きく編集の手を加えて拡大していることが認められます。まず、このたとえの主人公は、トマスとルカでは僕を一人しかもっていない一私人ですが、マタイでは多くの家来を持ち、軍隊を派遣することもできる王になっています。トマスとルカでは、宴会は私人の宴会ですが、マタイでは王が王子のために催す婚礼の宴会になっています。宴に招かれた人が招待を断る理由が、トマスとルカでは、畑を買った、牛を買った、妻を迎えたなどとかなり具体的に細やかに描写されていますが、マタイは「無視した」の一言で済ませ、その代わり、「王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺した」と、トマスやルカにはない行動を入れています。招待客が断ったことに対して、トマスでは、主人は道端で出会う人を手当たり次第連れてくるように命じて、たとえは終わります。ルカでは、その前に「貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人を連れてくる」ようにという命令が与えられており、それでも空席があるので、道端で会う人を無理にでも連れてくるという二段構え(イスラエルの中の罪人たちと異邦人の二段構成)になります。しかし、断った人々に対しては、トマスもルカも「彼らはわたしの食事を味わうことはない」という宣言が向けられるだけで、たとえは終わります。ところが、マタイでは、招待を断った者たちは王の家臣を殺したのですから、「王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った」という結末になります。そして、その後で、「見かけた者は誰でも婚宴に連れてきなさい」となります。さらにマタイでは、婚宴が始まって、王が礼服を着けていない者を見て、その者を外にほうり出すという(マタイだけの)結末が続きます。「軍隊を送って、・・・・その町を焼き払った」という言葉が示しているように、マタイはこのたとえを自分の時代の状況を物語る寓喩にしていることは明かです。

 ルカがこのたとえを置いている位置からも分かるように、このたとえは本来、イエスが徴税人や遊女たちと食事を共にされたことを批判した律法学者たちに対してなされた福音弁証のたとえであり、放蕩息子や見失った羊のたとえ、ぶどう園の労働者のたとえなどと同じく、神の国はこのような貧しい者たちのものであるという弁証なのです。ところが、マタイはそのたとえを寓喩化して、自分の時代の福音宣教を描く物語にしているのです。すなわち、「食事の用意が整いました」と伝える王の家来たちは、神の子が自分の民を花嫁として迎える準備ができたという福音を伝える使徒たちであり、あらかじめ選ばれていた招待客はイスラエルの民であるが、彼らは神の招きを無視し、使徒を殺しさえしたのです。それで神は彼らを見捨て、彼らの町エルサレムを外国の軍隊によって焼き払い、彼らの代わりに町の大通りで見かけた者はだれでも婚宴に連れてくることになります。すなわち、異邦の諸民族の者で神の子の婚宴の席は満たされるのです(八・一一〜一二参照)。
 
 最後に加えられた礼服を着ていない者のたとえ(二二・一一〜一三)は何を意味するのかについては議論が続いていますが、これはその位置からして、このように無条件に御子の婚宴にあずかるようにされた者も、その席ににふさわしい振る舞いをしなけれなならない、そうでなければ、すなわち王の意志にそった姿で席にいなければ、最後の審判においてふさわしくない者として外の暗闇に放り出されるという、マタイに特徴的な教団に対する警告(七・二一〜二三参照)を加えていると見てよいでしょう。
 
 マタイは最後に「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」という語録を置いて、このたとえの言おうとするところを締め括ります(二二・一四)。この言葉はここでは、あらかじめ王の婚宴に招かれていたイスラエルの民のごく一部の者だけが、イエスを信じて新しい神の民として選ばれたことを指しています。この締め括り方は、本来神の国は貧しい者たちに与えられているのだというイエスのたとえが、初期の教団ではイスラエルが全体としてはイエスを拒否したことを説明するたとえに転用されていることを示しています。

時代を語るたとえ集

 神殿における激しい象徴行為の後、イエスの権威についての問答があり、その後に「ぶどう園の悪い農夫」のたとえで、イエスを拒否するユダヤ教指導層の不信が弾劾されるという構成を、マタイはそのままマルコから引き継いでいます。ところが、マタイは「ぶどう園の悪い農夫」のたとえの前後に、マタイだけのたとえ、あるいはマタイ流に寓喩化したたとえを置いて、三つのたとえから成る小たとえ集を形成しています。実は、それによってマタイは自分の時代を物語っているのです。マタイの目の前には、洗礼者ヨハネから始まり、エルサレム神殿の崩壊を経て、福音書執筆の現在に至る、イスラエル史激動の半世紀があります。

 イスラエルに新しい時代を画する終末的な宣教運動は洗礼者ヨハネから始まりました。マタイはヨハネをイエスと同じ戦線に立つ者としてきました。そのヨハネを、「地の民」は神からの声と信じましたが、ユダヤ教指導層は信じませんでした。ヨハネに先駆されて、ついに神の子イエスがイスラエルに現れ、神の国を宣べ伝えましたが、神の民を委ねられていた指導層は、イエスを「ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった」、すなわち異端者と判決してユダヤ教の外にほうり出し、異教の権力者に引き渡して処刑したのです。そのイエスを神は復活させて神の子であると公示し、使徒たちを遣わしてイエスを信じるように招かれましたが、イスラエルはその招きを拒否し、使者たち(使徒たち)を迫害しました。その結果、イスラエルは神から見捨てられ、その都は焼き払われ、神の国は異邦諸民族に与えられるようになったのです。
 
 こうして、三つのたとえ全体が一連の寓喩として、マタイの時代を物語っているのです。この洗礼者ヨハネ、神の子イエス、キリストの使徒たちという、三者によるイスラエルへの呼びかけと拒否が三つのたとえで物語られ、イスラエル史のもっとも危機的な時代であるこの半世紀が回顧され、福音が異邦世界に向かう将来が展望されるのです。


  四つの論争物語


はじめに

 マタイが独自に構成した「たとえ集」の後に、税金問答(二二・一五〜二二)、復活論争(二二・二三〜三三)、最も重要な掟についての問答(二二・三四〜四〇)、ダビデの子論争(二二・四一〜四六)という四つの論争物語が続きます。この部分は、順序もマルコの通りであり、内容も基本的にはマルコと同じで、とくにマタイの特色は出ていません。強いて違いを捜せば、マタイは最も重要な掟に関する問答をマルコよりも簡潔な形にまとめていることと、その問答の最後にある「もはやあえて質問する者はなかった」というマルコの句を、ダビデの子についての論争の後ろに持ってきたことぐらいです。マルコではこの句の後にさらにダビデの子に関する論争が続きますが、マタイはそれ不自然に感じたのでしょうか、最後のダビデの子論争の後ろにもってきて、四つの論争物語の部分を締め括っています。  これらの論争の内容は、当時の状況における意味と共に、現在のわたしたちに対してもつ意義についても、「マルコ福音書講解」で詳しく論じましたので、その中のそれぞれの段落の講解を参照していただくことにして、ここでは「マタイによるメシア・イエスの物語」の流れを追うだけの簡単な要約に止めます。

皇帝への納税

 ユダヤ教の本拠地、祭司や律法学者たちの牙城エルサレムに現れたイエスは、当然イエスに敵意をもつユダヤ教指導者層からの激しい攻撃を受けることになります。その最初が税金問答(二二・一五〜二二)です。マタイは、この問答がイエスを陥れるための罠であることを、「罠にかけようとして」という句を用いて明確に表現しています。また、この罠を仕掛けた主体について、マルコは「人々は」ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わしたとしており、漠然とユダヤ教指導層(最高法院)を指していますが、マタイははっきりと「ファリサイ派の人々が」その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒に遣わしたと限定しています。これは、神殿崩壊後のマタイの時代には敵対する勢力がファリサイ派だけになっていたことによると見られます。

 ファリサイ派の人たちと一緒にイエスに問いかけたヘロデ派とはどういう人たちであったのか、明かではありません。普通ヘロデ家に忠実な親ローマ派の人たちとされていますが、当時ヘロデから好意的に処遇されていたエッセネ派を指すという見方もあります。

 「皇帝に税金を納めることは律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか」という質問が罠であるのは、どちらに答えてもイエスを陥れることができるからです。イエスの時代には熱心党の運動が拡がり始めていました。熱心党は、異教の支配者であるローマ皇帝に税を納めることは、その支配を認めることになり、神だけを拝むことを求める第一戒に背くことになる、皇帝に税を納めることは律法に適っていない、と主張したのです。そして、律法を守る「熱心」から、ローマに妥協する支配層のユダヤ人を暗殺したり、ローマに対するゲリラ的な武力闘争を行ったのです。ローマが属州民に課す税《ケーンソス》を納めないように扇動することはローマに対する反逆行為ですから、ローマ側からの厳しい弾圧を受けます。もしイエスが「律法に適っていない」と答えるならば、ローマへの反逆を企てる者として訴えることができます。イエスが「律法に適っている」と答えるならば、異教の支配者の圧政に苦しんでいる民衆の支持を失わせることができます。
 
 この罠を仕掛けた質問者に、イエスは当時のローマ帝国の通貨であるデナリ銀貨をもってこさせて、「これは誰の肖像か、また誰の銘か」と逆に尋ねられます。彼らが「皇帝のです」と答えると、イエスはすかさず「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と言われます。それを聞いた民衆は、イエスの見事な答えに驚嘆し、イエスへの共感と支持を表明します。民衆の前での論戦には勝負がつきました。彼らはイエスからローマ当局に訴える口実も引き出せず、ますますイエスへの支持を高める民衆の前から退散します。
 
 この質問をした人たちは、民衆からメシア的な期待を寄せられ、民衆の苦しみに深い同情を示しているイエスから、「律法に適っていない。皇帝に税は納めるべきではない」という(熱心党寄りの)答えを引き出して、ローマへの反逆者として訴える口実を得ようとしたのでしょう。それは、彼らは後にピラトの法廷で、根拠もないのに「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました」(ルカ二三・二)と訴えたと伝えられていることからも推察されます。この時は、彼らの罠は御霊の知恵に満ちたイエスの言葉によって破られますが、ローマへの反逆者として訴えてイエスを抹殺しようとした彼らの意図は、最終的には成功します。イエスはローマへの叛徒としてローマ総督から死刑の判決を受けることになるのです。十字架刑は属州の反逆者に対するローマの処刑法です。

復活論争

 次にサドカイ派の者が来て論争を挑みます(二二・二三〜三三)。サドカイ派は、終わりの日に神が死者を復活させるというファリサイ派の信条を、それが律法(モーセ五書)に書かれていないという理由で否定していました。そして、子なく死んだ兄の妻を、跡継ぎを得るために弟が娶らなくてはならないという律法にあるレビレート婚の規定を持ち出し、死者の復活を認めると、その妻は次々に結婚した弟たちの妻となるから、同時に複数の妻をもつことを禁じた律法に違反することになると論じて、ファリサイ派を批判していました。その議論をイエスに向けるのです。死者の復活については、イエスはファリサイ派と同じ立場に立っていると見て、サドカイ派が論争をしかけたのです。

 イエスは問いの立て方自体が間違っていることを突いて、批判者を撃退されます。彼らは復活者の世界にもこの地上の世界と同じように結婚という制度があるとする「思い違い」をしているので、こんな問いを立てるのです。彼らがこのような思い違いをするのは、神がまったく新しい世界を創造して、人間を天使のように朽ちることのない存在とされるという「聖書(の約束)も神の力を知らない」からです。そこでは、人間が存続するために結婚というような制度は必要でないのです。
 
 さらに、彼らが依拠するモーセ五書から「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と書かれているところ(出エジプト記三・六)を引用して、神がモーセにそう名乗られて以上、アブラハム、イサク、ヤコブは生きていることになる。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神であるから、神がそう名乗られたとき、彼らは生きていることになるからです。同じ聖書を読んでいても、イエスを生かしている復活の命が、このような驚くべき読み方を可能にするのです。

最も重要な掟についての問答

 次に、再びファリサイ派の律法の専門家が来て、最も重要な掟はどれかと尋ねたのに対して、イエスが、「心を尽くして神を愛すること」と「隣人を自分のように愛すること」を、一つにまとめて「同じように重要な掟」とされた問答が来ます(二二・三四〜四〇)。問答の内容はマルコの記事と同じですが、マタイは質問者の動機に「イエスを試そうとして」という句を入れ、また、イエスの回答に感心して同意を示した律法学者の記事を省略して、対決色を強くしています。マタイは、賛意を示した律法学者をイエスが誉められた記事は入れたくなかったのでしょう。


ダビデの子論争

 最後にダビデの子についての論争が来ます(二二・四一〜四六)。マルコは、先行する質問なしで、「イエスは答えて言われた」という句でこの論争を導入していますが、マタイは「ファリサイ派の人々が集まっていたとき、イエスはお尋ねになった」という句で始めます。この書き方にも、ユダヤ教会堂側のメシア理解が間違っていることを突こうとする、マタイの攻撃的な姿勢がうかがえます。

 「あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか」というイエスの質問に、ファリサイ派の人たちは「ダビデの子です」と答えます。メシアがダビデの子であること、すなわちダビデの子孫から出て、ダビデの王国を回復する人物であることはファリサイ派の信条であり、当時のユダヤ教で主流をなすメシア観でした。こう答えさせた上で、イエスは詩編一一〇編一節の言葉を引いて、「では、どうしてダビデは、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのだろうか。ダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか」と反論されます。
 
 この反論は、実はマタイのユダヤ教会堂のメシア観に対する攻撃でもあるのです。ここに引用されている詩編一一〇編一節は、初期の教団がイエスの復活を論証するのに好んで引用した聖句です。神はイエスを復活させて主《キュリオス》とされた。復活して神の右に上げられたイエスこそ真のメシアであり、ダビデはこの方を「主」と呼ぶのである。ところが、ユダヤ教会堂はイエスを復活された主《キュリオス》とは認めない。それでは、ダビデがメシアを主と呼んでいる詩編の聖句は矛盾に陥るではないか、という反論です。イエスの復活を信じて初めてこの詩編の言葉が成就するのだ、と主張しているのです。
 
 だからと言って、マタイはメシアがダビデの子であることを否定しているのではありません。イエスがダビデの子であることを強く主張しているのはマタイ自身です。ユダヤ人にイエスがメシアであることを説得するには、イエスがダビデの家系から出た方であることを示すことが不可欠でした。それで、「メシアは誰の子か」という問いに、マタイはこう答えます、「メシアは、人としてはダビデの子であるが、復活によって神の子とされた方である」。この答えは、初期の教団において共通の信仰告白となり、キリストは「肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められた」(ローマ一・三〜四)方として宣べ伝えられるのです。


  律法学者たちへの弾劾


律法学者・ファリサイ派の偽善

 論戦が終わったところで、マルコは「律法学者に気をつけなさい。・・・・彼らは人一倍厳しい裁きを受けることになる」という短い警告を置いています(マルコ一二・三八〜四〇)。それに相当する位置に、マタイは「律法学者たちやファリサイ派の人たち」に対する長くて激しい弾劾を置きます(二三・一〜三六)。この箇所はマタイが構成した独自の語録集であり、マタイの状況や立場がよく示されており、また、重要な問題も提起されているので、やや詳しく見ておきましょう。

 エルサレム神殿崩壊後のマタイの時代には、祭司階級や他の派は消滅し、ファリサイ派だけが神殿なき後のユダヤ教の再建を担っていました。最高法院(サンヘドリン)に代わってヤムニアの学院を拠点としてユダヤ教を指導した律法学者たちはみなファリサイ派でした。それで、マタイにおいては「律法学者とファリサイ派」はいつも一組で現れ、一体として扱われます。この時代に彼らは、イエスを信じるユダヤ教徒を異端として追求るようになり、ユダヤ教の公式の祈りにその絶滅を祈る言葉を加えるに至りました。序章で見たように、マタイの時代にはユダヤ教会堂とユダヤ人信徒の共同体は決定的に断絶し、会堂からの異端者としての迫害に対して、マタイも激しい言葉で対抗することになります。

 この律法学者・ファリサイ派に対する激しい非難の語録集の聴衆は、「山上の説教」と同じく「群衆と弟子たち」です(一節)。ここでのイエスは、弟子たちと対立し迫害する律法学者・ファリサイ派の誤りを暴露することで、彼らを反面教師として、彼らの誤りに陥らないように警告されるのです。
 
 彼らの誤りは「偽善」という語で要約されます。この語録集では、「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ」と繰り返されています。マタイは最初に(二〜一二節)、彼らの偽善の姿を描き、そのような偽善に陥らないように戒めます。マタイは、彼らが教えること(ファリサイ派ユダヤ教)が間違っていると言っているのではありません。「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい」と求めます。すなわち、律法学者たちによってモーセの名によって与えられている律法は神からの正しい教えであるから、すべて守り行えというのです。マタイは彼らのユダヤ教そのものを批判しているのではありません。彼らの誤りは「言うだけで、実行しない」点にあるというのです。ここに彼らの偽善があります。だから、「彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない」ということになります。パウロも、律法を持っていることを誇るユダヤ人が、自分が教える律法に反する行為をしている現実を暴露しています(ローマ書二・一七以下)。

 「モーセの座に着いている」というのは、ファリサイ派における律法学者たちの地位を示しています。すなわち、律法学者たちは現実の場面に適用して実行するために、聖書に書かれている律法を解釈し、それを弟子から弟子に教え伝えました。その口頭で伝承された聖書解釈の伝承が「口伝律法」と呼ばれて、ファリサイ派では聖書に書かれている成文律法と同じ権威があるとされました。そして、「口伝律法」を権威づけるために、その伝承はモーセにまで遡るとされました。それで、律法学者たちはモーセから伝えられた「口伝律法」をイスラエルに教える者として、「モーセの座に着いている」とされたのです。

 続いて彼らの偽善ぶりが、「彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない」(四節)という言葉で描かれます。律法学者たちはモーセ律法を実際の生活の場で実現するために、細かい規則をたくさん作りました。たとえば、安息日に仕事をしてはならないという律法を実際に行うにはどのように生活すべきであるかを、事細かに規定したのです。安息日に歩く距離は二〇〇〇キュビト(約九〇〇メートル)以下、調理については火をおこして調理することは禁止、治療行為も生命にかかわる緊急の場合の他は禁止という具合です。こうしてユダヤ教徒として守るべき行為規定は、命令と禁令を合わせて何百箇条に及ぶことになります。これをすべて守るように求めるだけで、神の戒めを内側から喜んで満たす力を与えることはないのです。イエスの福音が神の戒めを愛の戒め一つだけにして、その愛に生きる力を聖霊によって与えるのと対照的です。
 
 さらに、マタイは彼らの外面だけを飾る偽善を追求します。「そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む」(五〜七節)。「そのすることは、すべて人に見せるためである」ことは、すでに「山上の説教」の中で詳しく描かれていました(六・一〜一八)。この箇所は、マルコ(一二・三八〜四〇)と大体並行しています。ただ「先生と呼ばれることを好む」を加えて、次の勧告につなぎます。
 
 「だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。また、地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。『教師』と呼ばれてもいけない。あなたがたの教師はキリスト一人だけである」(八〜一〇節)。
 
 「先生」と呼ばれることを好む律法学者たちの偽善を反面教師として、マタイはイエスの弟子たちに対する訓戒を与えます。イエスを信じる者たちの共同体においては、各人はみな直接イエス・キリストに結ばれており、イエスに教えられ導かれているのであるから、お互いはみな対等であり、兄弟です。共同体の中の誰かを師父として、その人物を通してキリストにつながるのではないことが強調されます。そうなれば、地上の人間に信仰が支配されることになります。一人ひとりが御霊によって直接霊なるキリストにつながって導かれて歩むところに、キリスト共同体の特質があります。現実の教会や集会はこの本質からはずれていますが(僅かか遙かに遠くか程度の違いはありますが)、わたしたちはこの本質を体現する方向を目指していなければなりません。

 「先生」《ラビ》はユダヤ教律法学者に対する尊称です。ユダヤ教では、アブラハムら父祖たちだけでなく、祭司・預言者・教師というような指導者が「父」《パーテール》と呼ばれることがありました(使徒七・二、二二・一参照)。「師父」という感じでしょうか。パウロは自分の伝道で信仰に入った者たちに、自分が彼らを生んだ父親であることを強調していますが(コリントI四・一五)、「師父」という尊称を求めているのではありません。『教師』《カセーゲーテース》は新約聖書ではここだけに用いられている用語です。

 マタイは、イエスの弟子の共同体が復活のイエスに直接つながる共同体であることをよく自覚しています。しかし、マタイの体質からか、それをこのような訓戒という形で表現します。そして、その訓戒を「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(一一〜一二節)という、へりくだりを説く一般論で締め括ります。

七つの「不幸だ」

 律法学者・ファリサイ派の偽善ぶりを描いた後に、マタイは、《ウーアイ》(不幸だ、禍いだ)という叫びを七回繰り返して、彼らに対する激しい断罪の言葉を投げつけます。この七重の「不幸だ」は、最初に置かれた山上の説教で九回繰り返して鳴り響いた「幸いだ」の祝福に呼応しています。そこでは「貧しい者」に「神の国はあなたがたのものだ」という祝福が与えられました。ここでは、その「貧しい者」(マタイの共同体)を異端として迫害するユダヤ教会堂の指導者たちに、「蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか」という断罪の言葉が突きつけられるのです。

 「幸いだ」と「不幸だ」という標語で、「二つの道」を対照するのはユダヤ教知恵文学の伝統です。ルカはこの「幸いだ」と「不幸だ」の対照を、彼の「平地の説教」の中でまとめてしまっています(ルカ六・二〇〜二六)。しかし、その対照の内容はマタイと異なっています。マタイでは、イエスを信じる「霊の貧しい」ユダヤ人信徒と、彼らを迫害する自己義認のユダヤ教指導層との対照(ユダヤ教内での対照)ですが、ルカでは一般社会の貧しい者と富める者の対照です。なお、マタイ福音書二三章にまとめられた「不幸だ」の言葉はほとんど、ルカ福音書にも並行箇所があり、「語録資料Q」から採られたと見られます。比較のために、それぞれの語録にルカの並行箇所をあげておきます。

 七つの「不幸だ」の言葉をごく簡単に見ておきましょう。

1 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない」(一三節、ルカ一一・五二)。

 最初に律法学者・ファリサイ派に対して、彼らは「人々の前で天の国を閉ざす」という重大な断定がなされます。この講解で繰り返し見てきたように、イエスが宣べ伝えられる「天の国」とか「神の支配」の内容は「恩恵の支配」でした。イエスは、彼らから罪人と呼ばれて神の国に入る資格がないとされた「貧しい人たち」に、父の無条件・絶対の恩恵を宣べ伝え、彼らをその中へ招き入れられました。その立場から見ると、律法を守る者だけが神の国に入るという「律法の支配」の教えは、「恩恵の支配」への扉を閉ざすものです。律法学者たちは律法を行っている自分の功績によって神の前に立つので、罪人と同列に扱われることを拒み、「恩恵の支配」に入ることを拒否しています。こうして、自分が入らないばかりか、イエスを異端者扱いにして、イエスを信じる「貧しい者」が入るのを妨げています。

 一四節は写本の段階でマルコ一二・四〇から入ってきたものと見られます。

2 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ」(一五節、ルカに並行箇所なし)。

 ここで律法学者・ファリサイ派が「地獄の子」と呼ばれています。彼らの「改宗者」を獲得するための伝道活動は、「自分よりも倍も悪い地獄の子」を増やすだけの活動だと断定されます。「地獄の子」という表現は、地獄に所属する者という意味です(ヨハネ福音書では「悪魔の子」と呼ばれています)。恩恵の神に反逆する者という意味で「地獄の子」と呼んだのでしょう。マタイは、自分たちこそ天の国に所属する民であると確信しているので、自分たちを「異端」と呼んで迫害するユダヤ教会堂の宗教活動を「地獄の子」という激しい言葉を用いて攻撃します。宗教的抗争は宗教的用語で罵倒し合うことになりがちです。しかし、イエスの弟子はここに止まっていてはなりません。両者の違いと対立を十分自覚した上で、「迫害する者のために祈れ」と言われたイエスの精神を、ここでも貫かなければならないのです。

 ここで用いられている「改宗者」《プロセライト》は、割礼を受けて正式にユダヤ教に改宗した異教徒を指すユダヤ教の用語です。ファリサイ派も会堂《シナゴーグ》を拠点にして周囲の異教徒に聖書を説き、その伝道活動の結果、異邦人(異教徒)の中から、ユダヤ教を受け入れつつ割礼を受けるまでには至らない「神を敬う者」と、割礼を受けて正式にユダヤ教徒になる「改宗者」を多く獲得していました。前1世紀には各都市にかなり拡大し、ティベリウス(在位14〜37年)の時代にはローマ市民のユダヤ教への改宗が社会問題になり、彼はユダヤ人をローマから追放しています。キリスト教の伝道活動に対抗して、ユダヤ教会堂の異邦人への布教活動も活発になり、1世紀後半には改宗者のバプテスマも行われるようになったと伝えられています。この語録(一五節)は、マタイの時代の状況を反映していると見られます。

3 「ものの見えない案内人、あなたたちは不幸だ。あなたたちは、『神殿にかけて誓えば、その誓いは無効である。だが、神殿の黄金にかけて誓えば、それは果たさねばならない』と言う。愚かで、ものの見えない者たち、黄金と、黄金を清める神殿と、どちらが尊いか。また、『祭壇にかけて誓えば、その誓いは無効である。その上の供え物にかけて誓えば、それは果たさねばならない』と言う。ものの見えない者たち、供え物と、供え物を清くする祭壇と、どちらが尊いか。祭壇にかけて誓う者は、祭壇とその上のすべてのものにかけて誓うのだ。神殿にかけて誓う者は、神殿とその中に住んでおられる方にかけて誓うのだ。天にかけて誓う者は、神の玉座とそれに座っておられる方にかけて誓うのだ」(一六〜二二節、ルカ六・三九参照)。

 この「不幸だ」の言葉だけは、「ものの見えない案内人」と呼びかけられ、「ものの見えない者たち」という非難が繰り返されています。律法学者たちは、自分たちこそ民を神の道に導く「案内人」であるとしていました。それに対して、マタイは彼らの議論の愚かさを誓いに関する議論を取り上げて暴きます。マタイは律法学者たちの議論を二組取り上げて(神殿と神殿の黄金、祭壇とその上の供え物)、尊い方(尊さの源泉)にかけて誓った誓いは無効で、尊くない方(尊くされる方)にかけて誓った誓いが有効だとする彼らの議論の愚かさ(論理的矛盾)をつきます。しかし、だからイエスの弟子たる者は尊い方にかけて誓いをしなければならない、と言っているのではありません。ここのマタイの議論はあくまで律法学者たちの土俵での議論です。彼らの立場に立っても、その議論は矛盾し愚かなものだと批判しているのです。また、神殿にかけて誓う者はその中に住んでおられる方(神)にかけて誓っているのであり、天にかけて誓う者も神にかけて誓っているのだから、誓う者は自分が結局神にかけて誓っていることを自覚しなければならないと説教しているのでもありません。イエスはいっさいの誓いを否定されました(五・三三〜三七)。その箇所の講解で詳しく見たように、イエスは完全な神の信実を見ておられたので、神の信実に支えられて生きる者の言葉も、無条件に信実でなければならない、誓いによって信実を保証する言葉とそうでない言葉を区別してはならない、とされたのです。マタイは、この神の信実の次元を見ることができない律法学者たちの誓いについて議論が、いかに愚かであるかを暴いて見せるのです。

4 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。ものの見えない案内人、あなたたちはぶよ一匹さえも漉して除くが、らくだは飲み込んでいる」(二三〜二四節、ルカ一一・四二)。

 彼らは律法にある献げ物の規定を細かく調べて、間違いなく献げ物をすることに熱心であるが、律法の根本的な要求である正義、慈悲、誠実はないがしろにしているところに彼らの偽善があるという非難です。「もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが」という但し書きは、この語録が律法に忠実なユダヤ人の信仰運動(Q宗団)の中で伝えられたことを示しています。細かい規定は守っているが根本的な精神を見落としていることが、ぶよとらくだの比喩で印象深く語れています(二四節)。これはマタイだけにある語録ですが、イエスの語り方の特徴をよく反映しています。

5 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる」(二五〜二六節、ルカ一一・三九〜四一)。
 
6 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている」(二七〜二八節、ルカ一一・四四)。

 第五と第六の「不幸だ」の言葉は共通しています。すなわち、律法学者・ファリサイ派の偽善は、外から見える行為は清く見せかけているが、内面は汚れに満ちている点にあるというのです。彼らも自分たちが教える戒めを熱心かつ誠実に実行しようとしていたのでしょう。しかし、マタイの立場からすると、彼らは律法を成就されたイエスを拒否しているのですから、イエスが説かれた内面から律法を実現する(五・二一〜四八)ことはできず、外側だけの律法の行為をしていることになります。イエスは人の内側から出てくるものは汚れたものばかりであることを見通しておられました(一五・一八〜一九)。神の恩恵を受けて初めて内面の変革ができるのですから、恩恵を拒む律法学者・ファリサイ派たちは内側を清めることはできず、彼らの律法への熱心も外側の清めに止まらざるをえないのです。

7 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明している。先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか」(二九〜三三節、ルカ一一・四七〜四八)。

 殺された預言者の墓を建てたり、迫害された義人の記念碑を飾ったりすることは、「もし先祖の時代に生きていたら、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう」という気持ちを表すための具体的行為でしょうが、その行為は預言者たちを殺したことは罪であったという罪責の思いから出ていることになります。預言者たちを殺した先祖たちの罪を自分たち子孫が償う義務があるとして墓を建てるのですから、自分たちが預言者を殺した者たちの子孫であることを、墓を建てる行為によって告白しているのだというのです。預言者を殺した者たちの子孫として、預言者殺しの血を受け継いでいるのだから、最後に遣わされた預言者イエスを殺して、「先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ」と(マタイの描く)イエスは迫られます(この言葉は他の福音書にはありません)。これは、イエスを殺したユダヤ教指導層に対するマタイの痛烈な弾劾です。現在のユダヤ教会堂指導層は預言者殺しの子孫だというマタイの糾弾です。そして、最後に「蛇よ、蝮の子らよ」という洗礼者ヨハネの激しい弾劾の言葉(三・七)を用いて、「(神の子イエスを殺した)あなたたちは地獄の罰を免れることができようか」と断罪します。この最後の言葉はルカに並行箇所がなく、「語録資料Q」からではなくマタイ独自の筆になるものと見られます。マタイは、この激しい断罪の言葉で七つの「不幸だ」の言葉集を締め括るのです。


今の時代の責任

 「だから、わたしは預言者、知者、学者をあなたたちに遣わすが、あなたたちはその中のある者を殺し、十字架につけ、ある者を会堂で鞭打ち、町から町へと追い回して迫害する。こうして、正しい人アベルの血から、あなたたちが聖所と祭壇の間で殺したバラキアの子ゼカルヤの血に至るまで、地上に流された正しい人の血はすべて、あなたたちにふりかかってくる。はっきり言っておく。これらのことの結果はすべて、今の時代の者たちにふりかかってくる」(三四〜三六節、ルカ一一・四九〜五一)。

 「不幸だ」を七回重ねて、自分たちと対立し迫害するユダヤ教会堂指導者を弾劾した後、最後にマタイは彼らにふりかかる滅びの命運を宣告します。
 
 「だから」というのは、前段を受けて、「あなたがたは預言者殺しの子孫だから」、今もこれからも、神が遣わされる者を迫害し、殺すのだと続きます(動詞は未来形)。「十字架につけ」という句が含まれることからも、ここの迫害がイエスの十字架以後の、キリスト信徒への迫害であることが分かります(ユダヤ教内では十字架刑はありえません)。また、ここで「神が遣わされる者たち」の中に、霊感を受けて語る「預言者」だけでなく、律法を正しく理解して教える「知者・学者」が含まれていることは、マタイがユダヤ教の知恵思想の流れにある学者であることを思い起こさせます(ルカでは「預言者と使徒たちを遣わす」)。
 
 こうして、アベルから最近のゼカルヤに至るまで、「地上に流された正しい人の血はすべて、あなたたちにふりかかってくる」と言われた後、「アーメン、わたしはあなたたちに言う」(直訳)という荘重な預言定式を伴って、「これらすべてのことが、今の時代の者たちにふりかかってくる」(直訳)と宣告されます。「これらすべてのこと」とは、これから語り出されるエルサレム神殿の滅亡を先取りして指していると見られます。

 「あなたたちが聖所と祭壇の間で殺したバラキアの子ゼカルヤ」については、マタイは「バラキアの子」をつけて(ゼカリヤ一・一)、十二預言者の一人であるゼカリヤを指すとしているようですが、ルカには「バルキヤの子」はなく、歴代誌下二四・二一のゼカルヤとか、(もはや知られていない)当時の出来事を指しているとする見方があります。
 「血がふりかかる」というのは、「その責任が問われる」(ルカ)という意味ですが、マタイはこの表現をもう一つの重要な箇所(二七・二五)で使っています。この箇所は、イエスを殺した責任をめぐる論争で重要な意味を持ちますが、この問題はその箇所の講解で触れることにします。


滅びに定められたエルサレムへの嘆き

 「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決してわたしを見ることがない」。(三七〜三九節)

 このエルサレムに対するイエスの嘆きは、ルカ(一三・三四〜三五)ではエルサレムに向かう旅の途上で語られたことになっています。マタイはそれを律法学者・ファリサイ派に対する激しい弾劾の後に置いて、その語録集の結びとすると同時に、以下に続く神殿崩壊預言(二四章)への導入とします。
 
 ここでの「わたし」は、もはやイエスの活動の範囲を超えて、イスラエルの歴史の中でご自分の民に働きかけ続けてこられた主なる神を指しています。昔から預言者が、神を指す「わたし」を用いて民に語りかけたように、ここでイエスは預言者的な霊感により、ヤハウェがイスラエルに語りかける言葉を語っておられます。今やエルサレムは、最後に遣わされた御子を殺すことによって、預言者殺しの罪の升目を満たすのです。その結果は「見捨てられて荒れ果てる」以外ではありえません。これからは律法学者に代表されるユダヤ教は、「主の名によって来る方」イエス・キリストを心から受け入れるまでは、「わたしを見ることはない」と見放されます。


マタイの反ユダヤ教論争

 以上に見たように、マタイは自分たちに対立し迫害するユダヤ教会堂の代表者に対して、伝えられた語録を集められるだけ集め、さらに激しい文言を書き加えて、この律法学者・ファリサイ派弾劾の語録集(二三章)を形成しました。この語録集の背景には、序章で見たように、イエスをメシアと信じるマタイの共同体と、異端として迫害するユダヤ教会堂勢力との激しい対立と断絶があります。

 たしかに「罪人たち」に「恩恵の支配」を宣べ伝えたイエスは、律法学者たちと対立し、彼らの批判に対して様々な形で反論されました。「放蕩息子のたとえ」を初めとする多くのたとえも、彼らに対する反論のために語られたものでした。さらに、イエスの「語録資料Q」を形成したユダヤ人の信仰運動も、ユダヤ教会堂からは反対され迫害されたので、「語録資料Q」の中にユダヤ教指導層を厳しく批判するブロックが、イエスの語録を核として形成されることになりました。この「語録資料Q」の流れに属するマタイは、自分の時代のさらに厳しい断絶の状況の中で、このユダヤ教指導層批判の語録を集大成する語録集を造り上げるのです。
 
 マタイの時代が、イエスの時代および「語録資料Q」が形成された時代と決定的に違っているのは、エルサレム神殿の崩壊と、それ以後のユダヤ教を担ったファリサイ派律法学者たちがイエスを信じる者を公式に異端として追放したことによります。エルサレム神殿の崩壊は、教団の側では、イエスを殺したことに対する神の裁きと理解され、ユダヤ教指導層は神に断罪されたのだという確信になっていきました。そして、ユダヤ教会堂がイエスを信じる者を公式に異端としたことは、マタイの共同体などユダヤ人キリスト教徒が、会堂とはいっさいの関わりを断ち、もはやイエスを信じるように働きかけることもできず、外に出て行かざるをえないようにしました。このような状況が、マタイの律法学者たちに対する激しい断罪の語録集(二三章)を造らせたのです。
 
 この語録集が形成された歴史的状況を強調したのは、この語録集の糾弾や断罪があくまでユダヤ教内部の争いであることを理解するためです。二三章は、イエスをメシアと信じるユダヤ人と、その信仰を異端とするユダヤ人との間の論争です。ユダヤ教内の一部の陣営の者が他の陣営のユダヤ教徒を「地獄の子」と断定したからといって、ユダヤ教の外にいる者がユダヤ教徒全体を「地獄の子」と断罪することは、大きな筋違いです。ところが、キリスト教の歴史の中で長らく、この筋違いの考え方が行われていたのです。神の言葉である聖書(新約聖書)がユダヤ教を断罪しているのであるから、ユダヤ教徒(ユダヤ人)は呪われた者である、キリスト教徒の交わりに入ってはならない、というような考え方が底流となって、キリスト教世界におけるユダヤ人迫害が行われました。
 
 キリスト教世界でユダヤ人迫害という罪深い愚行が繰り返されたのは、聖書を正しく理解しなかった結果であるという面があります。聖書の文言はあくまで、その言葉が出てきた歴史的状況に置いて、その言葉の霊的内実が問われなければなりません。歴史的状況を捨象して、書かれた言葉だけを絶対化すると、とんだ間違いを犯しかねません(ファンダメンタリズムの誤り)。最近の聖書関連の学問が、この歴史的状況をかなりの程度に明らかにしたことは、聖書理解に対する大きな貢献です。わたしたちが学問的成果を尊重しながら、聖書解釈を追求しているのもこのためです。もちろん、歴史的状況が分かったから聖書が理解できるわけではありません。聖書はあくまで霊的次元の言葉ですから、霊的な理解力を必要とします。ここでは聖書解釈の問題に立ち入ることはできません。ただ、マタイ福音書二三章を理解するにあたって、歴史的状況を考慮に入れることの重要性を指摘するにとどめます。



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