マタイによるメシア・イエスの物語 

第11章 人の子の来臨

     ー マタイ福音書 二四〜二五章 ー





はじめに

 誕生物語(一〜二章)と受難物語(二六〜二八章)に囲まれたメシア物語の本体部分(三〜二五章)を、マタイは五つの説教集で区切って構成しました。その五つの大きな区切り(ブロック)は、それぞれイエスの働きを語る物語部分と、特定の主題でまとめられた説教集から成り立っていることを見てきました。今や、最後の第五ブロックの物語部分(一九〜二三章)で、エルサレムに現れたメシア・イエスとユダヤ教指導層との対決を描いた後、マタイは最後の大きな説教集(二四〜二五章)を置きます。それは、神殿崩壊の予言をきっかけとして語られた、「人の子の来臨」を主題とするイエスの終末預言の集成です。前半(二四章)は「マルコの小黙示録」と呼ばれるマルコ福音書一三章とほぼ同じ内容ですが、後半(二五章)にはマタイ独自の(あるいはマタイ流に編集した)三つのたとえによる終末的講話を置いています。「マルコの小黙示録」を継承する二四章にもマタイ独自の立場が滲み出ていますので、ここで二四〜二五章全体の終末説教の特色を通して見ておきたいと思います。ただしここでも、二四章については、詳しい講解は「マルコ福音書講解」の中の一三章の部分(72 「神殿崩壊の予言」から77 「目を覚ましていなさい」まで)に委ねて、ここではマタイの特色に限定して取り上げることにします。

 

  黙示録的終末説教(二四章)


神殿崩壊の予言

   エルサレムに現れたメシア・イエスの活動の舞台は神殿です。神殿の崩壊を指し示す激しい象徴行為をされ、敵対する勢力と論戦を展開されたのも神殿の境内です。そして今、「神殿の境内から出て行かれる」とき、弟子たちに「これらすべての物を見ないのか。はっきり言っておく。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」という明白な言葉で神殿の崩壊を予告されるのです(二四・一〜二)。
 
 イエスが神殿の崩壊について預言者的な発言をされたのはここだけではありません。鞭で商人を追い出すという象徴行為をされたとき、「この神殿を壊してみよ。三日で立て直してみせる」という意味の発言をされたことは、ヨハネ(二・一九)が伝え、マルコも最高法院での裁判でそれを聞いたという証人が現れたことを語り(マルコ一四・五八)、さらに通りすがりの者が十字架につけられているイエスを嘲笑した言葉として伝えています(マルコ一五・二九)。預言者を殺すエルサレムに対して、イエスは深く嘆いて「お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる」と予言されました。ルカ(一三・三四〜三五)はそれをエルサレムに入られる前の出来事としていますが、マタイは律法学者たちに対する激しい弾劾の語録集の最後に置いて(二三・三七〜三八)、二四章の神殿崩壊予言への導入としています。
 
 昔ソロモンの神殿がバビロニアの軍勢によって破壊されたとき、主は多くの預言者を送って警告されました。今、神殿の崩壊というイスラエルの歴史にとって決定的な出来事を前にして、主が一人の預言者も遣わされないことはありません(アモス三・七)。ここでイエスは、この決定的なカイロスに神から遣わされた預言者として、神殿を拠り所とするユダヤ教宗教体制の壊滅を預言されるのです。

終末のしるし

 神殿が崩壊して存在しなくなるということは、ユダヤ人にとっては世の終わりであり、天が落ち地が崩れるような衝撃です。神殿が崩壊するとき。「この世(アイオーン)」は終わり、宇宙的な破局を経て「来るべき世(アイオーン)」が到来するのです。弟子たちは、そのような恐るべきことが「いつ起こるのか」と、「どのような前兆があるのか」と尋ねないではおれません。マルコが伝える弟子たちの質問(一三・四)を、ルカ(二一・七)はほぼそのまま踏襲していますが、マタイは前兆についての質問の表現を変えて、「そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか」としています(二四・三)。

 マルコ(あるいはマルコ以前の伝承)ではまだ、「前兆」は神殿崩壊という出来事が起こるときの前兆という意味でありえますが、マタイがこの福音書を書いた時には、すでに神殿が崩壊して十年以上経っており、神殿崩壊の前兆という意味ではありえなくなっています。それで、マタイはこの質問を「あなたが来られて世の終わるとき」の前兆についての質問にするのです。この句を直訳しますと、「あなたの来臨《パルーシア》と世《アイオーン》の終わりの徴」となります。マタイの時代の教団はキリストの来臨《パルーシア》が近いことを確信し、「来るべきアイオーン」が栄光をもって現れるのを待望していたのです。そして、イエスの終末に関する発言に、《パルーシア》の前兆についての教えを聴き取ろうとしたのです。
 
 この弟子たちの質問に対するイエスのお答え(二四・四〜一四)は、マルコ(一三・五〜一三)の場合とほぼ同じです。マルコでは偽メシアの出現、戦争の噂や戦場の叫び声、飢饉や地震などの災害、人間関係の冷却、信仰に対する迫害など、当時の黙示思想が終末の前兆として語っていたものが上げられていました。マルコの時代はユダヤ戦争の時代であり、偽メシアの出現、戦争の噂や戦場の叫び声はごく身近な現実的体験であったのです。このような時代の状況を見て、世の終わりは近いと考えた信徒たちもいたことでしょうが、マルコは「そのようなことは必ず起こるが、まだ終わりではない」と戒め(七節)、それは新しいアイオーンが産み出されるための産みの苦しみの「始まり」であるとします(八節)。この警告については、マタイはマルコをほとんどそのまま引き継いでいます。マタイの時代は、すでにエルサレム神殿は破壊されていますが、世の終わりを実感させるような世界の混乱は同じように続いており、マタイはマルコと同じように「まだ終わりではない」と警告し、「産みの苦しみの始まり」にあたって、義人が受ける苦難に耐えるように励ます必要を感じていたのです。

大いなる患難の時

 次のエルサレム神殿崩壊にともなう「大いなる患難の時」の予言も、マタイ(二四・一五〜二八)はマルコ(一三・一四〜二三)をほとんどそのまま用いています。この予言はもともと、ローマの軍勢によるエルサレムの陥落が避けられない情勢になってきたとき、教団の中で霊感を受けた預言者によって主イエスの名によって語られたものと考えられます。この予言により、ユダヤにいたイエスの民はゼーロータイ(熱心党)の者たちと一緒にエルサレムに立てこもることなく、ヨルダン川東岸のペラに脱出するのです。

 ローマ軍によるパレスチナ侵攻が「憎むべき破壊者が聖なる場所に立つのを見たら」という謎めいた表現で言及されています。マルコは触れていませんが、マタイはこの表現がダニエル書(九・二七、一一・三一、一二・一一)からの引用であることを明示しています。ダニエル書では、前一六八年にシリアの王アンティオコス四世エピファネスがエルサレム神殿の祭壇を除いて、代わりに異教の祭壇をおいた事件(マカバイT一・五四〜五九)が事後預言として述べられていますが、この出来事は以後終末を語る黙示思想に大きな影響を及ぼすことになります。新約時代においてもすでに四一年に、ローマ皇帝カリグラが支配下にある諸民族の神殿で自分が神として崇められることを求め、エルサレムの神殿にも自分の立像を建立することを要求しました。カリグラの時はなんとか阻止できましたが、六六年から始まる今回の戦争(ユダヤ戦争)では、このような事態に至ることは避けられないと予言され、一刻もためらうことなく、安全な場所に逃れるように促されるのです。

 マタイの時代ではエルサレム神殿の崩壊とそれにともなうユダヤ人の苦難はすでに起こった事実ですが、マタイはマルコの予言をそのまま残しています。マルコは、エルサレム陥落にともなうユダヤ人の苦難を世界的な終末的苦難としていますが、ユダヤ人に向かって書いているマタイはそれをそのまま用いて、ユダヤ人の苦難の時代を意義づけ、「憎むべき破壊者」に象徴される「反キリスト」の到来と、その前兆としての偽メシア、偽預言者の出現に対する警告を、なお重要な意味をもつものとするのです。このマタイの立場は、異邦人に向かって書いているルカ(二一・二二〜二四)がまったく違った視点からこの出来事(エルサレムの陥落とユダヤ人の苦難)を見ていることと対照的です。
 
 ところで、マタイは偽メシアや偽預言者に対する警告を語るところで、マルコにない重要な言葉を加えています。「だから、人が『見よ、メシアは荒れ野にいる』と言っても、行ってはならない。また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである。死体のある所には、はげ鷹が集まるものだ」(二四・二六〜二八)という箇所です。この「稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来る」という語録は、用語は少し違いますがルカ(一七・二四)にもあり、「語録資料Q」から取られていると見られます。
 
 「語録資料Q」に保存されているこの語録が、「神の国」到来についてのイエスの本来の言葉ではないかと考えられます。ルカ(一七・二〇〜三七)はこの語録を、「神の国はいつ来るのか」というファリサイ派の人々の質問に対するイエスの答えの中で用いています。イエスの答えは、イエスが宣べ伝えておられる「神の支配」が、ファリサイ派や黙示思想などのユダヤ教諸派が考えている「神の国」とは根本的に性格の異なるものであることを示しています。イエスの中に到来している「神の支配」とは、「ここにある」とか「あそこにある」というように見える形で来るものではないのです。ユダヤ教各派は、「神の国」とか「人の子の日」は見える形で地上に来ると考えているので、「見よ、あそこだ」とか「見よ、ここだ」と言って、自称メシアとか偽預言者が人々を地上の集団に糾合しようとします。そのような人たちの後を追いかけて行ってはならないと、イエスは警告されます。「稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来る」のです。このお言葉は、「神の国」とか「人の子の日」とは場所や日付を問題にすることができるような歴史的出来事ではなく、「稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くよう」(ルカ)な性質の出来事であり、いつ起こるのか、どのような形で起こるのかを問題にすることができない性格のものである示しています。
 
 マタイは、この語録をマルコから継承した黙示録的な語録集に用いることによって、キリスト来臨の待望が地上的・歴史的な性質のものにならないようにしていると言えます。その日がいつ、どのような形で現れるのか誰にも分からないのですから、わたしたちはその日がいつ来てもよいように、現在すでにイエス・キリストにあって聖霊により賜っている恩恵の支配の場にしっかりとどまることだけが求められるのです。それが「目を覚ましている」ことなのです。ルカはこの勧告を「稲妻」の語録のすぐ後に続けていますが、マタイは少し離して置いています(二四・三六〜四四)。
 
 マタイがここに置いている「死体のある所には、はげ鷹が集まるものだ」という語録は、正確な理解が難しい語録の一つです。ルカ(一七・二七)は、「それはどこで起こるのですか」という弟子に質問に対するイエスの答えとしています。マタイがここに置いたのは、はげ鷹が集まるのを見てその下に死体があることが分かるように、偽メシアや偽預言者が輩出する時代こそ、「人の子」が現れる日が近いしるしであるとして、次の「人の子の到来」を語る段落との結び目としたと見られます。
 
 

人の子の到来

 ここで、「稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子の到来《パルーシア》もそのようであろう」(二七節直訳)と言われたことが、黙示録的な用語で描かれます(二九〜三一節)。「その苦難の日々の後、たちまち太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる」(二九節)という箇所は、このアイオーンが終わり、新しいアイオーンが始まるときに起こる宇宙的な大変動と破局を描く典型的な黙示録的表現です。このような表現は、すでに旧約聖書のもっとも後期の部分にも見られますが(イザヤ一三・九〜一〇)、新約聖書時代の前後に輩出した黙示文書に数多く見られるようになります。このような宇宙的変動を通して現れるのは、預言書では神の審判であり、黙示文書では新しいアイオーンでした。福音書では「人の子」の顕現に集中しています(三〇〜三一節)。
 
 マルコは「そのとき人々は、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る」と言っていますが、この表現がダニエル書(七・一三〜一四)から来ていることは広く認められています。しかし、たとえこれが初期の教団がキリスト来臨の希望をダニエル書の言葉で表現したものであったとしても、「人の子」という黙示思想的用語を用いて終末の到来を語られたイエスの言葉があったからこそ、それを核として形成されることができたと考えられます。そして、その核となったイエスの言葉は、信仰のゆえに苦しみを受ける弟子たちに語られた「稲妻」の語録であったと見られます。
 
 こうして形成された初代教団の共通の《パルーシア》待望を語るマルコの告白文を、マタイもそのまま継承していますが、マタイは前に「人の子の徴が天に現れ」を加え、「人々は見る」を「地上のすべての民族は悲しみ、(人の子が来るのを)見る」と変えて(三〇節)、黙示思想的な色彩をさらに強くしています。黙示文書では、ここに上げられたような天界の異変が「人の子の徴」とされ、そのような異変の前に、神の奥義を知らされている義人以外の諸国民は不安におののき、自分たちにふりかかる審判と滅びを嘆き悲しむのです(ルカ二一・二五〜二六参照)。しかし、主の民にとっては、この時こそ主のみもとに集められて、神の子として栄光の中に現れる解放の時、救済の時なのです。それは、死に定められた現在の「自然の命の体」が栄光の「霊の体」に変えられる時です(コリントT一五章)。そのことが、「人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める」(三一節)という表現で語られます(ここでもマタイはマルコにはない「ラッパの音を合図に」という黙示思想的な表現を加えています)。福音における終末待望は、黙示録的な用語を用いながらも、黙示思想の枠組みから抜け出て、復活の希望に集中していることを見落としてはなりません。

目を覚ましていなさい

 エルサレム神殿崩壊の予言をきっかけにして始まった終末預言は、「人の子の到来」の預言でクライマックスに達します。それ以上のこと、あるいはそれ以後のことは、もはや人の言葉で表現できる次元のことではありません。後は、その時に備える心構えを諭すことだけが課題になります。その心構えを諭すのに、マタイは三つの比喩(広い意味での比喩)を並べます。まず最初に、マルコの順に従い、いちじくの木の比喩を置きます。

 マタイのいちじくの木の比喩(二四・三二〜三五)は、マルコのもの(一三・二八〜三一)と同じです。パレスチナでは周囲がまだ冬の様相を見せているのに、その中でいちじく木の裸の枝が柔らかくなり小さな若葉を出し始めます。それは夏の姿が何も見えない所で、夏が近いことを指し示すしるしです。そのように、ここで語られたような苦難の出来事が起こるとき、それは「人の子」がもう戸口まで来ていることを指し示しているのです。そして、「これらのことがすべて起こるまでは、この世代は決して過ぎ去ることはない」(二四節私訳)のです。イエスを殺し、預言者殺しの升目を満たす今の世代が責任を問われ、神殿の崩壊とそれに伴う大いなる患難の時代を迎えることになるのです(二三・三六)。マタイの教団はすでにそれが起こるのを見て、現在その患難のただ中にいるのです。それだけに「人の子が戸口に近づいていると悟る」ことは切実な必要であったはずです。そして「人の子」到来の確かさが、神の言葉の確かさによって保証されます(三五節)。
 
 マルコはいちじくの木の比喩の後に、「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである」という言葉を置いて、天使などの啓示によるとして「人の子」の来臨の時を議論する者たちの誤りを警告し、それに続けて「(その時は分からないのだから)目を覚ましているように」という教訓を「門番のたとえ」で語っています(マルコ一三・三二〜三七)。ところが、マタイは「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである」という言葉の後に、「人の子が来るのは、ノアの時と同じだ」という句を置いて、ノアの洪水を範例として「目を覚ましているように」という訓戒を語ります(二四・三六〜四四)。このノアを範例とした訓戒は、ルカ(一七・二六〜三五)では「稲妻」の語録の直後に置かれています。おそらく、これが「語録資料Q」の構成であったのでしょうが、マタイは「稲妻」の語録を「人の子顕現」の預言の前に用いたので、ノアのことを少し離れた位置に用いることになったと見られます。
 
 ルカでは、ノアの場合だけでなくロトの場合も取り上げられていますが、マタイはロトの場合には触れないで、結論を急ぎます。マタイはここで「そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される」(四〇〜四一節)という「語録資料Q」からの言葉を引用しますが、これは、外見ではまったく同じように生活していても、終わりの日に対して備えができている者とできていない者では、突如やって来るその日に神からまったく別の扱いを受けることになると言おうとしています。マタイは、この語録を用いて、「だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである」という訓戒を続けます(四二節)。そして、この訓戒を泥棒の侵入に備える「家の主人のたとえ」でさらに補強します(四三〜四四節)。このノアの洪水を比喩とする訓戒が第二の比喩です。
 
 第三に、「忠実な僕と悪い僕」の比喩(四五〜五一節)が来ます。この比喩は、ノアの範例によってなされた訓戒と同じく、「いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないのだから、目を覚ましていなさい」という訓戒の続きですが、マルコの「門番の比喩」(一三・三二〜三七)と較べますと、重点の置き所が変わっています。マルコでは旅に出る主人の比喩と夜中に突然婚礼の宴から帰宅する主人の比喩が混じり合って、門番は目を覚まし眠らないで待っているようにという教えになっていますが、マタイでは(旅に出た)主人の帰りを待っている間の僕の忠実さと仕事ぶりと、その仕事ぶりに対する報酬が問題にされています。使用人たちをよく管理して主人の資産を忠実に守った賢い執事(管理人)には、「全財産を管理させる」という報酬が与えられますが、自分の役目に不忠実で自分の好き勝手に振る舞っていた執事(管理人)は、報酬を受けることなく、もはや神の民として扱われず、「偽善者たち」と同じに扱われて罰せられ、外の暗闇に追い出されて「泣きわめいて歯ぎしりする」ことになると警告されます。
 
 このような重点の推移は、マルコとマタイの状況の違いから理解できます。マルコはエルサレム陥落とそれに続く大患難の時代を目の前に見ているという緊迫した状況ですから、彼の関心は目を覚ましていて突然の来臨に備えることに集中しています。それに対して、マタイはエルサレム陥落から十数年後に書いています。主の来臨がいつあるか分からないという待望は保持されていますが、一方《パルーシア》が遅れている状況で、教団は主から与えられた責任と課題を忠実に果たしながら、これから地上の歴史を歩んでいかなければならないという意識が強くなってきています。この状況と意識の違いが、マルコの「門番のたとえ」を「忠実な僕と悪い僕のたとえ」に変えさせ、さらに「タラントンのたとえ」(二五・一四〜三〇)を加えさせることになります。この傾向はルカにおいてさらに強くなります。
 
 

  三つのたとえによる終末説教(二五章)


はじめに

 前回、マルコ福音書一三章の「小黙示録」をかなり忠実に継承したマタイの「黙示録的終末説教」(二四章)を見ましたが、そこでもすでにマルコとの状況の違いから来るマタイ独自の解釈と表現があることに注目しました。マタイはエルサレム神殿が崩壊してから十数年経ったころに福音書を書いています。世の終わりそのものであると見られていた神殿の崩壊にさいしても、「人の子の来臨」はありませんでした。世界はそのまま存続し、悪しき者が支配する旧いアイオーンは続いています。信徒の群れは、その歴史の中を歩む覚悟をしなければなりません。そのような状況で大切なことは、「キリスト来臨」の待望を失うことなく、それがいつ起こるか分からないという緊迫感をもっていること(目を覚ましていること)と、主が来られるまでに主から与えられた使命を忠実に果たすことです。マタイはこの二点を説くための説教を、彼がこれまでもしてきたように、三つ一組のたとえで行います。それが、マタイの終末説教の後半(二五章)を構成します。

 来臨待望についてのマルコとマタイの違いは、おもにそれぞれが置かれている状況の違いから来ると考えられますが、マタイ教団が本来「語録資料Q」の伝承に立つ教団であることによる面もあると見られます。マルコの「小黙示録」では、当時の黙示思想の枠組みに忠実に、神の御計画による一連の苦難の出来事の後に終末が到来します。それに対して、「語録資料Q」では、終わりの日は「突然、思いがけない時に、稲妻のように」到来する(ルカ一七章二三〜二四節、二六〜三〇節、三四〜三五節)のであるから、それがいつ起こってもよいように、目を覚まして備え、与えられた役目を忠実に果たしているという姿勢が強調されます(ルカ一二章三九〜四〇節、四二〜四六節)。マタイは、マルコに伝承された「小黙示録」をかなり忠実に継承していますが(この点では、マルコの「小黙示録」をかなり劇的に変更して用いているルカと異なります)、自分たちが置かれている状況からも、「語録資料Q」の伝承を改めて強調し、それを拡大して用いていると見られます。

 

「十人のおとめ」のたとえ

 まず、「目を覚ましていなさい」という勧告が、「十人のおとめ」のたとえ(二五・一〜一三)でなされます。このたとえは他の福音書にはなく、マタイだけにあるたとえです。そして、このたとえは一つ一つの細部に対応する意味を持たせた教訓的な物語、すなわち寓喩になっています。おそらく、これは「語録資料Q」などの伝承素材を用いて、マタイ自身が形成した寓喩であると見てよいでしょう。
 
 「語録資料Q」には、主の来臨がいつあるか分からないのだから、それがいつであっても迎えに出ることができるように目を覚ましていなさいという勧告の語録があり、マタイはすでにそれらの語録を、「ノアの場合」や「泥棒」のたとえと「忠実な僕と悪い僕」のたとえで用いました(二四・三七〜五一)。そしてさらに、「語録資料Q」には、夜中に婚宴から帰ってくる家の主人の比喩(ルカ一二・三五〜三八)があります(この比喩が「語録資料Q」に属するかどうかは確かではないとされていますが、可能性は大きいと考えられます)。たしかに、当時の婚礼の宴は夜を徹して行われ、招かれた客が家に帰るのは夜中になるのが普通であり、しかもいつになるか分からないのですから、主の来臨が遅いと感じられている状況で用いるのにもっとも適した比喩であるわけです。マタイはこの比喩を拡大し、主人公を花婿自身にした寓喩に仕上げます。
 
 救済の時を花婿が到着した婚宴のたとえて語ることは、預言者以来の伝統です(イザヤ六二・五)。イエスもご自身を花婿にたとえて語っておられます(九・一五、マルコ二・一九)。マタイは、「キリストの来臨」を婚礼の宴への花婿の到着という比喩で語り、その時に備える心構えを「十人のおとめ」の寓喩で諭すのです。「おとめ」というのは、花嫁の付添として婚礼に参加する未婚の女性たちです。これは、キリストの来臨を待望するキリストの民に与えられた訓戒です。「それぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く」十人のおとめはキリストの民を指しています。その民の中で「五人は愚かで、五人は賢かった」のです。マタイは、このたとえでキリストの民に、「五人の愚かなおとめ」の愚かさを警告し、「五人の賢いおとめ」になるように説き勧めるのです。
 
 「ともし火」というのは、木の小枝の束に布を巻き、それにオリーブ油などをしみこませたたいまつで、火をつけるとしばらくはあかあかと燃えますが、油が切れると消えます。それで、長く持たせるには、別に油を用意して、消える前に補給しなければなりません。賢いおとめは、この補給用の油を「壺に入れて」用意していたのです。ところが、愚かなおとめは「ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった」のです。
 
 「ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった」という比喩は、キリストの来臨が遅れていると感じられ、来臨への待望が疑念や不安の中に消えようとしている状況を指します。マタイの時代は、まさにこのような状況であったのです。しかし、「真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした」のです。すなわち、夜も更けて、世界が眠りに沈むとき、まさにその時、世界が終末への無関心と無感覚に陥っている時に、花婿として御自分の民を迎えるために来られる主キリストの来臨が起こるのです。
 
 その時に、同じように眠っているように見えるおとめが選別されて、油の用意をしていた賢いおとめ五人は、燃えるたいまつをかざして花婿を迎え、婚宴の席に入ります。一方、油の用意をしていなかった他の五人も、たいまつをかざすのですが、すぐ油が切れて消えそうになり、油を買いに行っている間に戸が閉められてしまいます。そのように、賢く準備していた者は栄光に迎え入れられ、準備をしていなかった愚かな者は「はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない」という厳しい言葉で、外の暗闇に投げ出されます。こうして、このたとえは「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから」という明確な訓戒を与えられて閉じられます。
 
 このたとえで問題は、「油」が何を指すのかです。このたとえでは、花婿が到着するまでは、十人のおとめはみな眠り込んでいたのですから、「目を覚ましていなさい」という警告は「油を用意している」ことを求めることになります。では、「油」とは何を指すのでしょうか。マタイは、他の寓喩と違い、ここではいっさい示唆を与えていません。聴く者の解釈に委ねられています。強いてマタイが考えていることを推察すれば、花婿が愚かなおとめに言った「はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない」という言葉は、山上の説教の最後で、誰が天の国に入るのかについて語られたところで、「不法を働く者ども」に対して言われた主の言葉(七・二三)を思い起こさせます。マタイの基本的な姿勢からすれば、同じように主の名を呼び、キリストの民に属しているという形をとっていても、あの山上の説教で明らかにされた「ファリサイ派の人々にまさる義」を行っていない者は、この言葉によって婚宴から閉め出されるのだと警告していると推察してもよいでしょう。
 
 しかし、現在のわたしたちがこのたとえを聴くとき、「油を用意していなさい」という警告は、「御霊によって歩んでいなさい」と聞こえます。これは、聖書では「油」は聖霊の象徴であるので自然な連想ですが、それ以上に、パウロ的な福音に生きている者にとっては、これ以外の理解はできない必然的な聴き方になります。このたとえの主眼点は、おなじ形の「ともし火」を用意していても、それを燃やす油を用意していなければ、主の来臨の備えにはならないという教訓にあります。この点は、まさにパウロが強調した点に他なりません。いくらキリスト教の形を整えていても、「キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません」(ローマ八・九)。福音がもたらす「信仰と愛と希望」の炎をあかあかと燃やし続けるのは聖霊の油です。わたしたちキリストに属する者は、聖霊によって「信仰と愛と希望」の火を燃やし続けて、主の来臨の時を待つように召されているのです。これは、テサロニケ第一書簡をはじめ、どの書簡においてもパウロが強調してやまないところです(詳細は本誌に連載されているパウロ書簡の講解に譲り、ここではパウロの福音の立場からする「油」の解釈にとどめます)。

「タラントン」のたとえ

 マタイは次に「タラントン」のたとえを置きます(二五・一四〜三〇)。このたとえはルカ(一九・一二〜二七)に並行箇所があり、「語録資料Q」から取られていると見られます。ルカでは、旅に出る主人は王の位を受けるために遠い国に旅立った者とされ、彼が王になることを望まないで、後から使者を送って即位を妨害した国民を、王位を受けて帰国したときに殺したという筋が加えられています(一二、一四、二七節)。マタイは、このような変更はせず、本来の僕としての忠実さを勧告するたとえの姿を保持しています。

 ルカは、よく知られていたアルケラオスの即位(前四年)のさいの事件(ローマで王位を受けたアルケラオスが帰国したとき、後から使者を送って即位を妨害した者たちに残忍な仕方で報復した事件)という史実を用いて、エルサレム陥落をイエスの王としての即位を認めなかったユダヤ人に対する神の審判であるとする物語を、このたとえに付け加えています。主人が王位を受けて帰国するという筋書きを別にすると、マタイとルカは委ねられた資産をどれだけ忠実に用いたかという主題で一致しています。しかし、たとえの語り方はかなり違っています。ルカでは、金額が「ムナ」で表現され、十人の僕にそれぞれ一ムナづつ預けられています。それに対してマタイでは、金額は「タラントン」で示され、「それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けた」となっています。一ムナはギリシアの銀貨で一〇〇ドラクメに相当し、一タラントンはギリシアで用いた計算用の単位で、六〇〇〇ドラクメに相当します。一ドラクメは一デナリオンと等価で、ほぼ一日分の賃金に当たる金額ですから、現在のわたしたちの金銭感覚では、預けられた金額は、(仮に一デナリオンを一万円とすると)ルカではそれぞれが一〇〇万円、マタイでは、五タラントンの僕は三億円、二タラントンの僕は一億二千万円、一タラントンの僕は六千万円を預けられたことになります。マタイとルカがそれぞれ「語録資料Q」をかなり自由に脚色して使用している様子がうかがえます。なお、このたとえの「タラントン」が後に、それぞれの人間に神から与えられた(生得的な)才能とか能力を意味する「タレント」(英語)という語になり、それが日本ではなぜかテレビに出演する芸能人を指す用語になっています。

 このたとえでは、主人の帰宅(キリスト来臨)は突然ではなく、「かなり日がたってから」とされており(一九節)、来臨の遅延が問題となっている状況がうかがえます。しかし、たとえ遅くなっても、必ず「清算」が行われるのです(一九節)。「神の支配」は「決算」を経て実現するのです(ここの「清算」、一八・二三の王が家臣とする「決済」、ルカ一六・二の不正な管理人のたとえの「決算書(会計報告)」の原語はみな同じ《ロゴス》です)。マタイは、長い留守の後に帰宅した主人が、資産運用を委ねた使用人たちと決算をすることを比喩として、それぞれ主から賜物をいただいている集会の人たちに、その賜物を生かして用い、主に喜ばれる成果をあげるように説き勧めるのです。
 
 五タラントン預けられた者はそれで五タラントンもうけ、二タラントン預けられた者はそれで二タラントンもうけ、主人から「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」と言われています。主からの賜物を忠実に用いて、主の民によく仕える僕は、さらに大きな使命を与えられ、最後には主と栄光と喜びを共にすることになるというのです。

 この「少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう」と同じ内容の言葉がルカ一六・一〇でも用いられており、共通の語録伝承があったことをうかがわせます。三億円も預けられたのは「少しのもの」という感じではありませんが、マタイはたとえを印象的にするために大きな金額にしましたが、一方で伝承された語録をも忠実に用いたのでしょう。ルカは「不正な管理人」のたとえで、この語録を少し違った意味合いで用いています。

 ここで問題になるのは、主人から預けられた「一タラントンを地の中に隠しておいた」者への処分です。一タラントン預かった者は、地中に隠した理由を、「あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり」隠したのだと言っています。「蒔かない所から刈り取る」などというのは不合理なことですが、これは厳しく成果を要求することを表現していると理解してよいでしょう。この僕は主人が厳しく成果を要求する方であることを知っているので、少しでも減らしたときの処罰を恐れて、預けられた金を地中に隠したのです。ところがこの安全策は、厳しく成果を要求する主人から、「銀行(両替商、貸し金業者)に入れておく方がよかった」(当時の貸し金業者の利率は高かったようです)と厳しく非難され、安全に保持した一タラントンも取り上げられて一〇タラントン持っている者に与えられます。それだけでなく、「役に立たない僕」として、「外の暗闇に追い出されて」しまいます。
 
 ここで「だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる」という語録が引用されています。この語録は、マルコ(四・二五)ではまったく別の文脈に置かれ、たとえを聴く態度について用いられています。おそらく、「語録資料Q」を形成した人たちが、この語録の意味を解説するために、その怠慢が非難されるだけでなく、その一タラントンも取り上げられてすでに多く持っている者に与えられたという筋を加えたのでしょう。
 
 このたとえの解釈の上でさらに重要なことは、この僕は主人の資産の管理から外されただけでなく、「外の暗闇に追い出された」ことです。すなわち、主から委ねられた能力を生かして使命を果たさない僕は、主の来臨のときに、報酬を受けないだけでなく、「泣きわめいて歯ぎしりする」地獄の暗闇に落ちるというのです。この点は、油を用意していなかった五人の愚かなおとめと同じです。そうすると、この預けられたタラントンを地中に隠すというのは、使命に不忠実な怠慢というだけでは済まない問題であることになります。

 ルカ版では、この僕は一ムナを取り上げられるだけで、「外の暗闇に追い出される」ことはありません。主人が王位を受けることを妨害した「敵ども」は打ち殺されますが、この「僕」は報酬はないが主人の家にとどまることになります。

 ここでもパウロの場合と比較してみましょう。パウロ書簡では、聖霊によって主から各人に与えられる能力は「賜物」《カリスマ》と呼ばれています。その「賜物」の内容は様々で、集会のメンバーは「キリストのからだ」の肢体(メンバー)として、それぞれの役割を果たすように求められています。しかし、その働きによって、終末の審判において栄光に入るか断罪されるか決まるという問題はありません。それに対して、マタイのこのたとえでは、臆病か怠慢で能力を用いず成果を上げなかった僕は断罪されています。そうすると、マタイが問題にしているのは、たんに賜物を忠実に用いて成果をあげたかどうかという問題ではなく、形は主の僕として仕えているが、真に主に属する者かどうかが問題になっていることになります。だいたい二五章の三つのたとえはみな、「主の来臨」を前にして、その時に断罪されて暗闇に追い出されることのないように、主の民に警告するためのたとえです。その断罪は、それぞれのたとえで、「わたしはお前たちを知らない」(一二節)とか、「外の暗闇に追い出せ」(三〇節)とか、「呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ」(四一節)という結論をなしています。そうするとこの「タラントン」のたとえも、賜物に忠実な働きによって成果を上げたかどうかの問題ではなく、主の御心を行って(「ファリサイ派の人々に勝る義」を行って)真に主に属する者であることを求めるたとえになります。「語録資料Q」の段階では賜物に忠実な働きを求めるたとえであったかもしれませんが、マタイが「外の暗闇に追い出される」を加えてここに置いたことにより、このたとえは質を変えたと見ることができます。

「羊と山羊」のたとえ

 最後に「羊と山羊」のたとえ(二五・三一〜四六)が置かれます。これもマタイだけにあるたとえです。しかしこれは、たとえというより、羊と山羊を分ける羊飼いを象徴として用いて、「人の子」として来臨される主が民を裁かれる様子を語る終末説教です。ここで語っているのは、もはや羊飼いではなく、「王」です。すなわち、栄光の位に座して世界に来臨される「人の子」です(三一節)。たとえであれば、羊飼いが語らなければなりません。

 羊と山羊は、一見同じような姿をしていますが、性質はずいぶん違うようです。羊飼いは、羊と山羊を分けて扱わなければなりません。羊飼いは、夕方に群れをまとめて帰るとき、羊と山羊を分けて連れて帰ります。そのように、終わりの日に来臨される「人の子」は、王なる審判者として、「すべての国の民」をみ前に呼び集め、二つに分け、別々の取り扱いをされます。一方の群れに対しては、「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい」と語られ、他方の群れには、「呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ」と宣告されます。このような終末的な審判の表現は、当時のユダヤ教黙示思想の表現を受け継ぐものであって、審判の様子はこのたとえの主眼点ではありません。重要なことは、民が二つに分けられる原理です。マタイはこのたとえでそれを語りたいのですし、わたしたちもその点をしっかり聴かなければならないのです。
 
 王は祝福された者たちに、「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」と言っています。ところが、このように言われた「義人たち」は、「いつ、そのようなことをしたでしょうか」と問い返しています。すなわち、彼らは主にそのような愛の業をしたとは自覚していないのです。彼らに主は言われます、「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」。
 
 一方、呪われた者たちに王は言います、「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ」。彼らも「いつ、それをしなかったのでしょうか」と反問します。彼らにも主は同じように、「この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである」と答えられます。
 
 マタイがこのたとえで言いたいことはこの一点です。すなわち、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことであり、しなかったことは、わたしにしなかったことである」という一点です。「この最も小さい者の一人」に愛の業をしたかしなかったかで、すべての人間は神の審判の場で二つに分けられるというのです。それは、この「最も小さい者の一人」は主イエスの兄弟であるからです。イエスはご自分を「小さい者」と一つとしておられるのです。
 
 イエスは地上におられるとき、ユダヤ教社会では「罪人」と呼ばれて疎外されていた人たちを「貧しい人々」と呼び、彼らと食事を共にして、彼らの仲間となって歩まれました。このような人たちを、ここでは「小さい者」と呼んでおられるのです。その「小さい者」の姿が、ここで具体的に「飢え、渇き、旅にあり、裸であり、病気であり、牢にいる」と描かれるのです。そのような状態の人は、必要なものすら持たず(奪われ)、社会では無力なものとして、苦しめられているのです。イエスはそのような人たちと自分を一つにして、「わたしの兄弟」と呼ばれるのです。
 
 それゆえ、この「最も小さい者の一人」にしたことは、主イエスにしたことになるのです。このような愛の業をするということは、この「最も小さい者の一人」を受け入れていることを意味するので、「小さい者」に愛の業をすることは、「小さい者」と一つになっておられる主イエスを自分の中に受け入れているのです。そして、主イエスを受け入れる者は、イエスを遣わした父を受け入れているのです。このことは、マルコ(九・三七)にも、「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」という形で伝えられています(マタイでは一八・五を参照。ここで子供は無力な者、「小さい者」の象徴として用いられています)。
 
 また、イエスの名のために「小さい者」になしたどのように小さい愛の業も必ず神からの報いを得るということが、別の語録で伝えられています。「はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さい者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける」(一〇・四二)。マタイは、このような語録を基にして、このマタイ独自の「羊と山羊のたとえ」を形成したと考えられます。このたとえは、マタイだけにあるたとえですが、マタイの創作ではなく、伝えられた語録を基にして、その精神を具体的な物語として、マタイが書き上げたものでしょう。しかし、このような説教を書き上げて、イエスの遺言とでもいうべき最後の語録集の最後に置いて締め括ったことは、マタイの大きな功績の一つであるとわたしは考えています。このたとえによって、ややもすると観念的な空想に陥りがちな黙示思想が、愛という福音的な原理に包摂されることになり、その後のキリスト教の展開に大きな影響を及ぼすことになったからです。
 
 なお、マタイがこのたとえで、祝福された人たちについて「義人」という表現を用いていることは示唆的です。マタイは、天の国に入るのは「ファリサイ派の人たちにまさる義」を行う者だとしていますが(五・二〇)、ここで「小さい者」を受け入れて愛の業を行うことこそ、神に受け入れられる義であるとしていることになります。これは、「父が慈愛深いように、あなたがたも慈愛深い者になりなさい」という、「恩恵の支配」の場における根本原理を具体的に説く名説教です。マタイ福音書は、一見ユダヤ教の律法学者的な雰囲気を多分に残していますが、「恩恵の支配」という福音の根本原理をよく貫いていることを見落としてはなりません。
 

 現在におけるパルーシア待望


 以上、マタイは二四章で「マルコの小黙示録」をほぼそのまま継承しながら、自分の時代に即した理解と勧告を二五章で続けているのを見ました。マタイの状況において、伝承された黙示思想的な終末預言をマタイがどのように受け止めたかを理解することも重要ですが、現代のわたしたちにとっては、この黙示録的な章がどのような意味を持つのかがさらに重要です。この課題はすでに、「マルコ福音書講解」の中の「現在におけるパルーシア待望」(『天旅』一九九二年4号22頁以下)で取り上げていますが、その理解と重要性は十年後の今も変わりませんので、その文章をそのまま(文体は変えて)ここに再録しておきます(十年前の『天旅』をお持ちの方は少ないと思いますので)。

 まず基本的なことは、マルコの時代も現代のわたしたちも、キリストの来臨を待望して生きているという信仰の質は全く同じであることを確認することです。たしかにマルコ福音書はその待望を当時のユダヤ教黙示録の用語を用いて表現しています。当時の信徒たちにとっては黙示録的用語はごく身近な信仰の用語であったからです。それに対して現代のわたしたちにとっては、このような黙示録的用語や表象は遠い別世界のことのように感じられます。しかし、もし現代のわたしたちがこのような黙示録的な世界に入って行けないからといって、キリストの来臨を否定するならば、それはたらいの湯と一緒に赤ん坊も流して捨てる(容器と一緒に中身まで捨てる)間違いを犯すことになります。わたしたちがキリストの将来の来臨を信じるのは、黙示録的思想を認めるからではなく、それが福音の本質に属することがら、すなわちそれがなければ福音が福音でなくなることがらであるからです。
 
 たしかに福音の核心はキリストの十字架と復活です。それはすでに成し遂げられた神の救いの業です。そして、それを信じる者は現在すでに聖霊を受けて終末の生命に与っています。この点において、福音は救済をすべて未来に期待する黙示録的信仰と決定的に異なっています。しかし、聖霊によって現在すでに新しい終末の生命に生きる者も、地上に生きる限り時間の中にいるのであり、将来を持っているのです。その「将来」とは、現在の生命が完全な姿で顕現することです。すなわち、現在はなお朽ちるべき体をもって生きているために被っている不完全さが克服されて、もはや朽ちることのない体をもって生きる完全な生命が顕現することです。福音は、時間の中に生きる者に宿るとき、必然的に将来の希望の相を含むことになります。福音は時間の中では必然的に約束の面を持つことになります。この約束と希望の表現が「キリストの来臨」です。
 
 聖霊によって現在すでに終末の生命に生きる者が、この生命の内的必然として、将来現されるはずの栄光を切にうめきながら待ち望まざるをえないという消息は、パウロのローマ書八章にもっともよく表現されています。これがパルーシア待望の原動力です。パウロもユダヤ教の中で育った人ですから、その希望を語るのにユダヤ教黙示録の用語を用いているところもありますが、キリストにあって現在すでに聖霊の生命に生きるという彼の信仰の質は、ユダヤ教黙示思想における「このアイオーン」と「来るべきアイオーン」の二元論的枠組みを完全に打ち破っています。
 
 ユダヤ教黙示思想はなお律法主義の枠内にあり、この世の苦難の中で神の律法を守る義人が来るべき世ではじめて永遠の命と栄光に与ることになるのです。それに対してパウロにおいては、信じる者は現在すでにキリストにあって終末の現実に生きているのです。ただ時間の中にいる限り、この死に定められた体が解放されて朽ちることのない霊の体に変えられることをうめき待ち望まざるをえないのです(ローマ八・二三)。この死者の復活にあずかることを内容とする将来の希望を表現するのがパルーシア信仰です。
 
 ところで、初期にこの福音を宣べ伝えた使徒たちはユダヤ人であり、福音の伝承を担い新約の諸文書を生み出したのもほとんどがユダヤ人であったので、この希望を語るのにユダヤ教黙示思想の用語が用いられたのは自然の流れでした。その結果、教団の中にはユダヤ教黙示文学に親しみ、それらの文書を熱心に学ぶ流れも生じてきたと考えられます。
 
 キリスト教会側がユダヤ教黙示文書を論拠としたので、対立するパリサイ派ユダヤ教側は黙示録的文書を排除し破棄しました。その結果、ユダヤ教黙示文書はおもにキリスト教会において保存され伝えられることになったのです。「マルコの小黙示録」や「ヨハネ黙示録」はそのような流れの中から生み出されたものですが、これらの文書も決して黙示録的信仰を手放しで認めているのではなく、この講解(マルコ福音書一三章の講解)で見たように、マルコは福音をユダヤ教黙示思想の枠内で理解しようとする傾向を戒めているのです(H・ケスターはヨハネ黙示録を「黙示思想的待望の批判」という標題で扱っています)。
 
 一方、新約聖書の中には、現在の霊的現実を強調して、黙示録的表現を用いない傾向もあります。その傾向の代表的文書がヨハネ福音書です。この福音書では、信じる者は現在すでに聖霊により永遠の生命を得ていることが強調され、黙示録的用語で未来のことを語ることはほとんどありません。ここで注意すべきは、黙示録的表現がないということは、その信仰が終末的でないということを意味しないことです。ヨハネ福音書は独特の意味できわめて終末論的です。
 
 黙示思想は終末論的信仰の一つの形態であって、そのすべてではありません。福音は終末的現実の到来を告知するものであり、キリスト信仰はその終末的現実に生きるのです。ただ、その終末性は、パウロに見られるように、ユダヤ教黙示思想の枠組みを打ち破り、乗り超えてしまっているのです。
 
 マルコの時代の信徒たちも、このような聖霊による内的な必然としてキリストの来臨を待望していたのです。ただそれを表現するにさいして、当時の身近な宗教用語である黙示録的表象が用いられることになります。それは、イエスご自身が「人の子」という黙示録的表象を用いられたことから生じる自然の帰結でもあります。もし現代のわたしたちが、もはや黙示録的表象の世界に留まることができないのであれば、現代にふさわしい別の表現を取ればよいのです。しかし、キリストのパルーシアというような歴史を超える出来事は、もはや時間と空間の枠の中で生きる人間の通常の言葉では語りえず、なんらかの意味で象徴を用いて指し示さざるをえません。初代の教団は当時のユダヤ教黙示文学にこの希望を語るにふさわしい象徴言語を見いだしたのです。現代の神学はどのような象徴言語を持ちうるのであろうか。それを見いだすことが現代神学の一つの課題でもあります。
 
 その際、ユダヤ教黙示思想の限界だけに目をとめて、それを廃棄するだけであってはなりません。ユダヤ教黙示思想はわたしたちに貴重な遺産を残してくれています。それは、イスラエルの預言者たちから受け継がれたもので、宇宙論的な終末信仰です。キリストの来臨によって創造者はその業を完成されるのですが、その対象は全被造物を含むことになります。すなわち、宇宙的な救済の完成です。それは新天新地の創造です。黙示思想によって、初めの創造に対する終りの創造の信仰が明確になったのです。福音的な終末論はこの黙示思想の終末的創造信仰の枠組みを継承しています。先にローマ書八章をあげて、福音における終末待望は現在聖霊によって生きている生命の内的必然であることを示しましたが、そこでの内的必然としての待望は、宇宙の完成をうめきながら待ち望むのです(ローマ八・一八〜二五)。
 
 マルコは「目を覚ましていなさい」というイエスの呼びかけを、この黙示録的な遺訓の結論としました。この呼びかけは今日ますます切実になってきています。世界の矛盾と苦悩はマルコ(やマタイ)の時代以上に深刻で、地球規模の大きなものになってきています。黙示思想がしたように、世界の出来事を一つ一つ終末の予定表に当てはめて一喜一憂したり右往左往するのではなく、わたしたちはキリストにあって現在賜っている御霊の現実にしっかり立って、キリストがいつ来られてもよいように生きることが大切です。外の出来事に信仰と希望の拠り所を求めるのではなく、内なる御霊の事態を明確に自覚して、そこから生きること、それが「目を覚ましている」ことであると言えます。

 



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