パウロによるキリストの福音 I

序章 神の力としての福音

第一節 使徒パウロ
第二節 使信の内容
第三節 神の力としての福音




 はじめに


資料としてのパウロ書簡

 新約聖書は、四つの福音書と使徒言行録という一群と、使徒書簡というもう一つの群との二つの文書群を柱として成り立っています。そして、使徒書簡の中ではパウロ書簡が質量ともに圧倒的な位置を占めています。ということは、パウロが宣べ伝えたキリストの福音が、福音書という形式の福音宣教と並んで、新約聖書の福音の基本をなしているということです。それで本書で、パウロ書簡の探求を通して、使徒パウロがわれわれに告げ知らせている「キリストの福音」とはどのような質のものであるのかを追求していこうと願っています。

 パウロ書簡の中では「ローマの信徒への手紙」(以下「ローマ書」と略称する)が一番長くて体系的に書かれています。それで、パウロによるキリストの福音を提示するのに、ローマ書講解という形をとる場合が多いようです。たしかに、他の書簡が大部分、宛先教会に発生した問題に対処するために書かれたという性格の書簡であるのに対して、ローマ書は自分が建てたのではない教会を初めて訪問しようとするにあたって、パウロが自分の福音の全体を示そうとしているので、パウロの福音のもっとも包括的で体系的な提示になっていることは事実です。さらに、問題なくパウロ自身の作とされる書簡の中で、ローマ書が最後のものであり、パウロの福音の集大成であり、またパウロの遺書としての位置を占めているという事情もあって、パウロが宣べ伝えた福音の提示がローマ書講解という形をとるのは自然のことです。

 しかし、パウロが告知した「キリストの福音」の全体像はローマ書だけでは尽くすことはできません。ローマ書はもっとも包括的で体系的であるといっても、やはり特定の状況で特別の目的のために書かれたものであることにかわりはありません。福音の重要な内容で、ローマ書では触れられていないか、ごく簡単に要約されているだけなので、詳しいことは他の書簡によらなければならないことが多々あります。それで、本書でパウロによるキリストの福音を探求するにあたって、ローマ書を基本的な枠組みとして常に視野に納めながら、ローマ書にいたるまでの他のパウロ書簡をも扱っていきます。しかし、パウロの全書簡を一節づつ講解するということは、わたしに残された時間からして不可能なことになりますので、ほぼ歴史的な順序に従って各書簡の内容を大づかみにまとめていき、その流れの中でパウロによるキリストの福音の全体像が立体的に浮かび上がってくるようにしたいと願っています。

 このような課題を前にして、峻険を目の前にしている登山家のように、その困難さにたじろぐ思いがします。一方では、同じ御霊に導かれているところから出るくる深い共感と親しみがありますが、他方では、パウロの世界を追体験することによって理解することの厳しさにたじろぐ思いをもつことになります。パウロを理解することの困難さは、一つにはパウロの霊的体験の想像を超える深さからくるのでしょうが、もう一つにはパウロが生粋のユダヤ人であって、わたしたち日本人の宗教的文化的背景と全く異なる世界に生きていた人物であることからくるのでしょう。しかし、どのように困難であっても、わたしたちは「パウロによるキリストの福音」を追求していかなければなりません。それなくしては、新約聖書の福音は正しく理解できないからです。わたしなりに自分の信仰の量りに従い、御霊の導きを祈り求めつつ、この困難な課題に向かっていく所存です。

パウロの生涯における各書簡の位置

 「パウロによるキリストの福音」は、書簡という文書からだけではなく、パウロの人物、生涯、働き、著作の全体から理解されなければなりません。とくに、パウロの著作はすべて、パウロの宣教活動の一環として生み出されたものですから、書簡を資料として「パウロによるキリストの福音」を追求するとしても、それをパウロの人物、生涯、働きと切り離して理解することはできません。それで、まずパウロの生涯と働きを概観しなければならないのですが、それだけでも一冊の著作を必要としますので、それはすでに刊行されている他の著作に委ねておきます。パウロの生涯を概観した著作は多くありますが、手に入り易い書物の中で、最新の学問的成果に基づいて、一般の読者に読み易いように簡潔にまとめた優れた書物として、次の一書をお勧めしておきます。

  佐竹明『使徒パウロー伝道にかけた生涯ー』(NHKブックス四〇四)

 もちろん、本書の中でも必要なかぎり、それぞれの書簡が書かれた状況について解説も加えますが、パウロの生涯の全体像については、このような書物によって見当をつけておいてくださると、さらに理解の助けになると思います。

 本題に入る前に、本書で取り扱うパウロ書簡の範囲と取扱い方について、次の二点にまとめて一般的なことを述べておきます。

 一 本書ではローマ書までのパウロ書簡を取り扱います。新約聖書にはパウロの名による書簡が十三ありますが、その中でローマ書以前にかかれた書簡は次の六書であると見られます。[( )内は本書で用いる略称]

  テサロニケの信徒への手紙 一 (テサロニケI)
  ガラテヤの信徒への手紙    (ガラテヤ)
  コリントの信徒への手紙 一  (コリントI)
  コリントの信徒への手紙 二  (コリントII)
  フィリピの信徒への手紙    (フィリピ)
  フィレモンへの手紙      (フィレモン)

 この六つの手紙とローマ書を合わせて七つの手紙を、本書では取扱い、これらの七つの書簡によって「パウロによるキリストの福音」を追求していきます。その理由を説明するために、参考資料として「使徒パウロの生涯」と題する年表を添えておきます。

使徒パウロの生涯

紀元前後
  キリキヤ州の首都タルソで生まれる。両親はベニヤミン族のユダヤ人。
  青年期に律法(聖書)研究を志し、
  エルサレムでガマリエルの門下で律法を学ぶ(?)
30年頃
  パリサイ派律法学者として活動、
  異邦人にユダヤ教を伝道(割礼を宣べ伝える)
33年
  キリスト信徒を迫害、ダマスコ近郊で回心
   (この頃で三十歳台であったと推定される)
  ダマスコ教会の異邦人伝道に参加、アラビア(ナバテア王国)で伝道
35年
  エルサレム訪問、ペテロとヤコブに会う
35年〜48年
  シリア・キリキアでの宣教活動
  アンティオキア教会でバルナバらと指導的立場で活動
  アンティオキア教会の宣教活動として
  バルナバと共にキプロスと小アジアで伝道
48年
  エルサレム会議に出席、異邦人の割礼問題で討論
49年
  共同の食事の問題でペトロ、バルナバと対立、
  アンティオキア教会を離れて独立の宣教活動開始
  ガラテヤ諸教会(小アジア北部)の設立
49年〜50年
  マケドニア・アカイア(フィリピ、テサロニケ、
  ベレア、アテネ)での宣教活動
50年〜52年
  コリントで一年半活動  テサロニケ書I 執筆
52年
  コリントからエフェソ経由でエルサレム、アンティオキア訪問
  ガラテヤ、フリュギアを経てエフェソへ
52年〜55年
  エフェソで約二年活動、小アジアでの宣教と教会設立、入獄
   ガラテヤ書、コリント書I、II、フィリピ書、フィレモン書執筆
55年〜56年にかけての冬
  コリントに三カ月滞在(マケドニア経由でエルサレムへ向かう途中)
   ローマ書 執筆
56年
  献金を渡すためにエルサレム訪問、逮捕される
56年〜58年
  カイサリアで二年間拘留される
58年〜?
  皇帝に上訴、ローマへ護送、二年間の拘留、殉教(?)

 この年表で各書簡がパウロの生涯のどの時期に成立したかがほぼ見当がつきます。もっとも、書簡が書かれた年代については不確かな点が多く、すべての学者がこのような年代に同意しているわけではありません。とくに獄中書簡であるフィリピ書とフィレモン書については、パウロの晩年に起こった三回の投獄(エフェソ、カイサリア、ローマ)の中のどれかが争われています。ここではエフェソ説に従って扱っていきます(理由についてはフィリピ書を扱うときに触れます)。もし、カイサリアまたはローマで書かれたとすると、この両書はローマ書以後の成立となりますが、この二つの書簡の真正性には問題がありませんので、上記の七書簡を資料としてパウロの福音を再構成するのに問題はありません。

 この七書以外の書簡は、パウロの名によって書かれていますが、パウロ自身が書いたものか、パウロの弟子がパウロの名を用いて書いたものか、学者の間で議論があります。ここではこのような議論に立ち入ることは控えます。誰が書いたにせよ、上記七書以外の書簡はローマ書より後に書かれたものであることは確実です。それで、本論(第一部〜第三部)においては、パウロ自身が書いたことが争われていないローマ書までの七書簡によって、パウロの福音の内容を追求します。ローマ書以後にパウロの名によって書かれたとされる書簡については、補論として第四部で扱い、パウロ以後におけるパウロの福音の展開を跡づけることにします。

 年表を見てすぐに気づくことですが、これら七つの書簡が書かれたのは、パウロの最晩年に属する五年ぐらいの短い時期に集中しています。そして、この時期はマケドニア、アカイアなどのギリシャ、さらに小アジアへと、異邦人への使徒としてのパウロの働きがもっとも油の乗り切った時期であり、パウロの宣教活動の絶頂期であると言えます。ローマ書までの七つの書簡を扱うということは、この時期の「パウロによるキリストの福音」を提示することになります。そして、この時期のパウロの福音をもって、「これがパウロによるキリストの福音だ」と言ってもよいことは、パウロの生涯においてこの時期が占める位置からしても明かであると思われます。

 二 このように、ローマ書までのパウロの七書簡を、ほぼ成立の年代順に取り上げて、その内容の主要部分を見ていきます。年代順に扱うということは、まずその手紙が書かれた状況に即して理解する必要があるので、パウロの宣教活動の進展の順序に従って取り上げるので、自然にそういう順になるだけです。パウロの福音の内容とか思想が年とともに発展変化していく過程を追うためではありません。

 パウロを理解するにあたって、初期の書簡と後期の書簡では主題とかその取扱い方に差があることに着目して、パウロの思想に発展があり、その各段階を区分して説明する方法をとる説もあります。しかし、ローマ書までの七書簡に関する限り、このような発展段階説をとることはできません。

 もう一度年表を見てください。先にも述べたように、七書簡はパウロの最晩年、パウロの宣教活動が絶頂期に達した五年ほどの期間に集中しています。三〇年代初期にダマスコ郊外で復活されたキリストの顕現を体験し、使徒として召され宣教活動を開始して以来、五〇年代にこの書簡群を書くようになるまで、ほぼ二十年が経っています。この二十年の間、パウロはダマスコ教会の宣教者として、またアンティオキア教会の指導的な一員として、さらに独立の宣教運動の組織者として、アラビヤ、シリア・キリキア、小アジア、マケドニアやアカイアなどギリシャへと宣教活動を進め、東地中海世界の全域に福音を満たしてきました。このような活動の二十年間にパウロの福音は確立していたはずで、その後の五年間において、その初めと終わりではパウロが宣べ伝えた福音が変わってきていると考えることはできません。七書簡の間で取り上げられる主題やその取扱い方に違いがあるのは、あくまで宛先教会の問題の違いやその他の状況の違いからくるものであって、パウロの福音の内容が変わってきているものではないと理解すべきです。

 それで、本書では、「パウロによるキリストの福音」を追求するにあたって、七書簡を一体のものとして扱います。各書簡をほぼ年代順に取り上げて講じていきますが、そのさい、主題を説明するのに他の書簡から自由に引用することになります。それは、この七書簡は一体として、どれも同じ福音を証言していることを前提にしているからです。

 なお、本書では、テキストとしては原則として新共同訳を用います。必要に応じて、どの訳かを明示して他の翻訳または私訳を用います。ギリシャ語原語はできるだけ避けたいと思いますが、どうしても必要な場合には、《 》で囲んだカタカナ表記を用います。

 前置きが長くなりました。さっそく本題に入っていきます。


第一節 使徒パウロ


使徒への召命

 最初に、これから聴こうとしている言葉が、どういう人物の言葉であり、どういう性質の言葉であるのかをはっきりとさせておきましょう。

 ここで扱う書簡の著者であるパウロは、これらの書簡を「使徒」としての立場で書いていることを強調しています。彼が使徒であることが問題にならないような親しい関係の集会や個人あての手紙(テサロニケI、フィリピ、フィレモン)では、とくに「使徒」であることに触れていませんが、その他の手紙では最初の挨拶のところで、「使徒」であるパウロからこの手紙を書き送るのだということを強調しています。代表的な箇所としてローマ書の冒頭の書き出しを見ましょう。

「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから」。(ローマ一・一)

 「使徒」と訳されているギリシャ語《アポストロス》というのは、ある事柄を伝えるために遣わされた使者のことです。何を伝えるための使者であるかというと、それは「神の福音」です。神がこの世に語りかけようとしておられる使信です。パウロは自分を、この「神の福音」を宣べ伝えるために、神によって選び出され、使者となるべく召された者であると宣言しているのです。誰に遣わされた使者かについては、パウロ自身は「福音を異邦人に告げ知らせるために」選ばれた使徒であるとしています(ガラテヤ一・一六、ローマ一・五)。この点については別の機会に詳しく扱うことになります。使信の内容は本書全体で扱うことになります。ここではパウロが使徒として召されたという事実だけに集中して、その意味を見たいと思います。

 パウロはいつ、どのようにして「神の福音のために選び出され、召されて使徒となった」のでしょうか。このことについてパウロ自身の証言を聴いてみましょう。パウロはこう言っています。

「あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした」。 (ガラテヤ一・一三〜一七)

 パウロがユダヤ教徒として律法を遵守することに人一倍熱心で、その熱心さから律法を否定するような言動が見られるキリスト信徒たちを滅ぼそうとして迫害していたとき、神はパウロに御子を啓示されたのです。「御子」とは、言うまでもなく、「主イエス・キリスト」のことです(ローマ一・二〜四)。「示された」というところの原語は《アポカリュプサイ》(啓示した)となっています。「神が御子を啓示された」というのは、復活されたイエスが神の子としての栄光をもってパウロに「現れた」ことと同じ出来事を指しています。神は御子を啓示することによって、パウロを「福音を異邦人に告げ知らせる」使徒とされた、というのです。このように、パウロはこのダマスコ途上での復活者キリストの顕現の出来事を、自分が使徒と召された出来事として語っているのです。

 パウロはこのダマスコ途上での体験を、はっきりと復活されたキリストが自分に現れた出来事であり、それが自分を使徒としたのであることを次のように語っています。

「そして最後に、(キリストは)月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって(使徒としての)今日のわたしがあるのです」。 (コリントI一五・八〜一〇)

 キリストの敵、迫害者パウロはダマスコ途上で復活されたイエスに出会い、この復活者キリストであるイエスによってそれまでの存在を覆され、捕らえられ、使徒にされたのです。この箇所で、パウロは復活者キリストの「現れ」を受けた自分の体験を、ペトロやヤコブや十二使徒への顕現の系列の最後に置いて、自分が彼らと同じ立場の復活者キリストの証人、同じ資格の使徒であることを主張しているのです(コリントI一五・五〜八)。

人によるのではなく

 パウロはダマスコ体験を自分の救済の体験とか救済の保証として語ることはありません。彼がダマスコ体験を語ることはきわめてまれですし、語り方も控えめです。彼がこの体験を語るのは、自分が使徒であることを語るときに限られています。コリント集会のある者たちがパウロが使徒であることを問題にしたとき、パウロはこう叫んでいます。

「わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか。わたしたちの主イエスを見たではないか。あなたがたは、主のためにわたしが働いて得た成果ではないか」。 (コリントI九・一)

 「主イエスを見た」ことを誇るようなことは決してしないパウロが、このように叫ぶのはよくよくのことであると思います。使徒であることを問題にされては、その根拠として「主イエスを見た」ことを明言せざるをえないのです。この文にはパウロの激しい感情の高ぶりが感じられます。

 パウロは他の使徒たちとは違って地上のイエスを見ていません。「主イエスを見た」というのは、復活されたイエスを見たということです。ここで「《キュリオス》・イエスを見た」と言っていることが重要です。《キュリオス》は普通「主」と訳されていますが、日本語では多くの場合、イエスまたはキリストにつける敬称ぐらいの軽い意味でしか受け取られていません。《キュリオス》はきわめて重い意味の称号なのです。死者の中から復活し、高く上げられて神の右に座し、天地の万物、霊界の全存在を神の権能をもって支配する方の称号なのです(フィリピ二・九〜一一参照)。そういう《キュリオス》としてのイエスを見た、すなわち、復活して神の栄光をもって現れたイエスを見た、とパウロは言っているのです。そして、その事実を自分が使徒とされた出来事としているのです。

 パウロに反対してガラテヤの信徒たちに割礼を受けさせようとした教師たちが、パウロの権威を引き下ろすために、パウロはイエスに直接召された弟子であるエルサレムの使徒たちに従属する者であるとし、パウロが彼らと同等の使徒の資格がないことを吹聴したとき、パウロはさらに激しい言葉で自分が使徒であることをこう宣言しています。

「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ」。 (ガラテヤ一・一)

 「人々から派遣された使徒でもなく」と断言し、さらに畳みかけるように、「人によって立てられた使徒でもなく」と続けています(新共同訳で、人を「通して」と訳されたところは、すぐ後でキリストと神「によって」使徒とされたと言っているのと同じ前置詞です)。エルサレム教団の使徒たちであれ、他の(たとえばダマスコやアンティオキアの教会の)指導者たちであれ、そういう人間的な組織から派遣された使者ではないし、また人間的な手続きと任命によって資格を認められた使者でもないことを初めに断言し、そのことを自分が使徒とされた経緯を語り(ガラテヤ一・一一〜二四)、エルサレム会議で確認されたペトロたちと自分の関係を報告する(ガラテヤ二・一〜一〇)ことによって説明しています。

 この説明によって、パウロは自分が直接神によって立てられ派遣された使徒であることを明らかにしているのです。ここの「イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされた」という表現からも、パウロがダマスコ途上の復活されたキリストの顕現を自分が使徒とされた出来事としていることが十分にうかがえます。パウロはダマスコ途上で復活されたイエス・キリストに出会ったとき、「キリストを死者の中から復活させた父である神」に出会ったのです。それまでのパウロの神は律法の授与者としての神でした。律法を守る者に命を与え、破る者を裁く神でした。ダマスコ体験以後では、パウロにとって神は「キリストを死者の中から復活させた神」となります。キリストを復活させることによって救いを成し遂げられた神となります。復活者キリストと出会い、そのキリストに捕らえられて使徒とされたことは、同時にパウロの神理解の決定的な転換となりました。ダマスコ体験以後のパウロは、そのような神の救いの使信を、そのような神によって直接使徒とされた者として宣べ伝えるのです。

神の選びと恵みによって

 パウロは自分が使徒であることを語るさいに、それが神の選びと恵みによるものであることを付け加えないではおれませんでした。ローマ書冒頭の挨拶のところでも、「(神に)選び出され」た使徒だ(一・一)と言い、「恵みを受けて使徒とされました」(一・五)と述べています。先に引用したように、コリント書で復活者キリストの顕現によって使徒とされたことを述べたとき、すぐに続けて「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって(使徒としての)今日のわたしがあるのです」(コリントI一五・九〜一〇)と言っています。また、ガラテヤ書で自分が使徒とされた経緯を述べるさい、「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき」(ガラテヤ一・一五〜一六)と言っています。

 神に選ばれて使徒とされということと、神の恵みによって使徒とされたことは同じことを言っているのです。両方とも、パウロ自身の側には使徒とされる理由は何もないという自覚の表現なのです。パウロは神の教会を迫害したキリストの敵であったのです。パウロは自分に神の使徒となるような資格があるとは考えられません。その自分がいま現にキリストの使徒として働いているのはどうしてなのか、説明がつかないのです。それは、神がそのように選ばれたからだとしか言いようがありません。神が資格のない者に無条件に賜る恩恵の賜物だとしか理解できません。パウロは、キリストの敵であった自分がいまキリストの使徒とされている事実に、圧倒的な神の恩恵の支配と、神の世界救済の進展のための選びを、畏怖の念をもって実感しているのです。

パウロの使徒性の意味

 パウロが使徒であるということは、われわれにとって何を意味するのかを二つの面について述べておきます。

 一 使徒というのは神の福音を伝えるための使者ですから、わたしたちにとって大切なのは使者ではなく、使者が伝える「神の福音」です。わたしたちは本書で使者パウロを研究するのではなく、パウロが伝えた「神の福音」を正確に聴き取る努力をしなければならないのです。もちろん、先に述べたように、パウロが伝えた福音を理解するためには、パウロという人物と生涯とその働きをできるだけ正確に知る必要があります。しかし、それは目的ではなく、「神の福音」を正確に聴き取るための手段です。わたしたちはパウロを教祖とする宗教を探求するのではなく、パウロを通して告げ知らされた「キリストの福音」を聴こうとしているのです。

 二 パウロは異邦人に福音を告げ知らせるために、神がとくに選んで召された使徒ですから、わたしたちユダヤ人でない世界の諸国民は、パウロが伝える福音を神が語る福音として受けとらなければならないのです。すでにパウロが伝道していた時代に、パウロが使徒であることを認めないで、パウロとは違った福音を宣べ伝える者がいました。そのような者たちについてパウロは激しく断罪してこう言っています。 「たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい」(ガラテヤ一・六〜九参照)。

 これは、自分は神によって選ばれて立てられた使徒であるという自覚の一つの表れです。パウロが神によって立てられたキリストの使徒である以上、パウロが使徒として宣べ伝えた福音以外に、「他の福音」というものはありえないのです。

 ですから、わたしたちはパウロが語る福音をできるだけ正確に聴き取らなければなりません。そして、聴くところを全面的に「神の福音」として受けとめ、その全体に聴き従わなければなりません。それが「信仰の従順」です。パウロも自分が使徒とされたのは、異邦人をこのような「信仰の従順」に導くためだと言っています(ローマ一・五)。

 しかし、この「神の福音」に対する「信仰の従順」は、パウロの言葉を絶対的な神的権威として文字通りに従わなければならないとする、いわゆる「逐語霊感説」と混同してはなりません。「従順」とは、外からわたしたちの思想や行為を規制する(法律や道徳のような)規範としてパウロの言葉に従うことではなく、パウロの「福音」の言葉が指し示す霊の現実を規準として、わたしたちの霊的体験を理解し形成してゆくことです。パウロが旧約聖書について、「文字は殺し、霊は生かす」と言ったことは、新約聖書とされたパウロの書簡についても言えます。

 パウロがキリストにあって生きている霊の現実を語り出すとき、その表現はパウロがそこに生きていた特殊な歴史的文化的環境によって規定されています。その特殊性を絶対的な規範としてはなりません。歴史的批判によってパウロの時代の特殊性を認識して、その特殊性の容器に盛られている「神の福音」の霊的質を受け止めて行かなければなりません。そのような意味でパウロの語る「キリストの福音」を受け取ることを、本書で力の及ぶ限り試みたいと願います。


第二節 使信の内容


復活したイエスとの遭遇

 前述の「使徒パウロ」において、パウロが「使徒とされた」ダマスコ途上での出来事を見ましたが、その出来事は同時に、パウロに使者として伝えるべき事柄が啓示される出来事でした。パウロが使徒として伝えるべく委ねられた「神の福音」の内容は、この出来事において与えられ、決定されていたのです。その時パウロに現れた復活者「主イエス・キリスト」こそ、その内容に他ならないのです。パウロはこの時に自分に現れた方を、生涯をかけて宣べ伝えていくのです。

 この出来事をパウロ自身は、「(神が)御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき」と語っていました(ガラテヤ一・一六)。神が御子を啓示されたのは、「御子を福音として宣べ伝えるため」(私訳)だというのです(ここの表現は、直訳すれば「その方を福音するため」となります)。啓示された御子を福音として宣べ伝えることが、使者パウロに委ねられた使信(メッセージ)なのです。ここでパウロは啓示された方を「御子」と呼んでいますが、これはパウロの長年の福音宣教の活動の中で確立され、広く信徒の群れにおいて用いられていた呼び方を使ってこの時の体験を語っているわけです。では、この出来事が起こったその時においては、パウロは自分に現れた方をどのような方として「見た」のでしょうか。

 パウロがダマスコ途上で全生涯を変えるような決定的な体験をしたことは間違いありません。それはパウロの生涯そのものが証明しています。そして、それはパウロの神観をも決定的に変えてしまう体験でした。それまでのパリサイ派の神、すなわち律法の授与者としての神、律法によって人間と関わる神とはまったく違う神、すなわち「キリストを死者の中から復活させ」、そのキリストによって最終的に人間との関わりを打ち立てた神を宣べ伝えるようになった事実が、それを示しています。このことから、パウロはこのとき何らかの意味で神的なものとの出会いを体験したと見ることができます。このような神的な現実との遭遇はイスラエルの歴史では珍しいことではなく、アブラハムやモーセを初め、イスラエルの預言者たちはみなこの種の体験をしています。それがイスラエルの歴史を形成してきました。

 パウロの場合決定的に重要なことは、パウロは自分に現れた神的な方をイエスだと認識したことです。パウロはダマスコ途上の体験を語るときに、「わたしは主イエスを見たではないか」と言っています(コリントI九・一)。さらに、その全書簡においてパウロが復活者キリストのことを語るとき、「イエス・キリスト」とか「キリスト・イエス」と呼んでいることからしても、パウロはダマスコで遭遇した方をイエスであると認識したことは確実です。

 おそらくパウロは地上のイエスを直接知なかったでしょう。パウロが知っているイエスは、いま自分が迫害している人たち、すなわち律法以外に救いの道があると称して律法の神聖を汚す背教者たちが師と仰いでいる人物、自分を神に等しい者であると称して最高法院で有罪とされ処刑された人物として知っているだけでした。パウロはイエスを間接的に敵として知っていただけでした。そのパウロがどうして神的な栄光の中に自分に現れた方をイエスであると認識することができたのでしょうか。

 これはパウロの霊的体験の次元のことですから、第三者の立場からの説明は不可能です。パウロに現れた方が、自分がイエスであることを示されたとしか言えません。このことをルカは使徒言行録九章で劇的に描いています。パウロがダマスコに近づいたとき、天からの光が彼を照らし、彼は地に倒れ伏します。自分の前に現れた神的な威厳と栄光の人格に向かって思わず「主よ」と叫び、「あなたはどなたですか」と尋ねます。すると、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」という答が返ってきます。使徒言行録の記事には劇的な脚色が含まれているのかもしれませんが、その記事の核心は事実です。すなわち、このとき顕現された方自身が名乗られることによって、パウロはその方をイエスであると認識したのです。

 このパウロのダマスコ体験は、復活されたイエスとの「出会い」と言われますが、この場合「出会い」という表現は弱すぎて適切ではありません。ここでパウロは、待ち望んでいた人物にとうとう出会ったのでもなく、たまたま出会ったのでもありません。それは敵との「遭遇」です。敵方の将が突然圧倒的な力と威厳をもって、目をつけていた攻撃隊長の目前に出現したのです。攻撃していたパウロは、この方の栄光に圧倒され、地に倒れ伏し、一瞬にして降参してしまいます。このとき以来パウロはこの方の「奴隷」となって、この方に命を捧げて仕える者になるのです。パウロは最後の手紙の冒頭で、「キリスト・イエスの奴隷であるパウロから」(ローマ一・一私訳)と書いています。この表現はダマスコ以来のパウロの立場と生涯を一言で言い表しています。

イエス復活の信仰と証言

 神的栄光をもって顕現し、パウロに語りかけ働きかけた方がイエスであるという認識が、イエスは復活されたという信仰告白の中身です。パウロはイエスの死や埋葬を目撃したわけではありません。イエスがどのように死なれ埋葬されたにしても、イエスが死なれたという事実は確かです。そのイエスがいまこうして現れ、語り、働かれるのです。この事実が、「イエスは復活された」という表現で告白されるのです。これは、ペトロたちイエスの直弟子であった人たちにとっても同じです。誰もイエスが復活される現場を見た者はいません。しかし、確かに十字架上に死なれたイエスが、いま現に自分に現れ、生きて働いておられるのです。この体験を、ペトロたちやパウロはイエスの復活として証言し、宣べ伝えたのです。キリストの福音の全事態は、このイエスの復活を根底として成り立っているのです。

 復活されたイエスが「キリスト」なのです。この「キリスト」としての復活されたイエスにおいて神は救済の最終的な働きを成し遂げてくださっているという告知が「イエス・キリストの福音」です。「イエス・キリスト」という呼び方には、本来「復活してキリストとされたイエス」という意味がこめられています。後にヘレニズム世界において、「キリスト」という名称が世の救済者という称号の意味を希薄にし、「イエス・キリスト」が固有名詞のようになったため、《キュリオス》(主)という称号が添えて用いられる場合が多くなります。また、復活されたイエスが神と特別の関係にある方であることを強調して「御子」という称号が用いられるようになります。こうして、復活されたイエスにおいて救いが与えられているとの告知は、「主《キュリオス》・イエス・キリストの福音」とか「御子の福音」と呼ばれるようになります。

受けて伝える

 さて、パウロは、ダマスコ途上で自分に現れた「イエス・キリスト」を福音として宣べ伝えていくのですが、そのさい自分の体験を語ることによってキリストを宣べ伝えることはしません。十字架につけられたイエスが復活されたことを、あくまで世界の中で起こった出来事、世界が直面しなければならない出来事として宣べ伝えていきます。パウロはキリストを、たんに自分一人の体験や想念の中のキリストではなくて、多くの人がその出会いの体験を共有できる(という意味で)客観的な出来事として宣べ伝えます。そのために、パウロは自分以外の信徒たちが言い表しているキリスト告白、正確に言えばエルサレム教団など有力な信徒集団がパウロ以前に形成してきたキリスト告白を、自分のキリスト宣教の内容として宣べ伝えているのです。このことはパウロ自身がはっきりと認めて、こう言っています。

 パウロはコリントの信徒たちに向かって、「兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます」と言って、こう続けます。

「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」。 (コリントI一五・三〜五)

 ここでキリストについて語られていることが「福音」であり、その「最も大切な」内容なのですが、それはパウロ自身も「受けた」ものだというのです。受けたものを伝えるという行為は「伝承」を形成します。ここでパウロは自分がキリストに関する伝承の担い手であることを明言しているわけです。パウロがこの伝承をどこから受けたのかは決定できません。おそらくエルサレム教団かアンティオキア教団から受けたと考えられます。どこから受けたかは重要ではありません。ここではパウロが「福音」を受けて伝えるという伝承の流れの中で宣べ伝えているという事実が重要です。

キリスト伝承

 パウロが福音を宣べ伝えるにさいして、自分以前のキリスト伝承を用いていることは、この箇所以外にも彼の手紙の中で何箇所かに見られます。もっとも典型的な箇所はローマ書の冒頭にあります。パウロはローマの信徒へ語りかけようとして、まず最初に自分が「神の福音」のために選び出され、召されて使徒となった者であることを明言した後、自分に委ねられた「神の福音」とはどのような告知であるのかを説明します。

「この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです」。 (ローマ一・二〜四)

 先に引用したコリント書簡の箇所(コリントI一五・三〜五)もそうですが、このローマ書の箇所は用語や文体から見て、またキリスト理解の特徴からしても、パウロ自身が書いた文ではなく、パウロ以前に形成された定型的なキリスト告白を引用していることは明かです。このような伝承された定型的なキリスト告白を用いて、パウロは自分が宣べ伝える「神の福音」の内容を提示するのです。それは、自分が宣べ伝えているキリストが、自分一人の体験とか思想から出たものではなく、多くの人々からなる教団の共通の体験と信仰から出たものであり、自分もそれに与っているものであることを示すためです。

 復活されたイエスを約束された救済者キリストとする信仰運動は、ユダヤ人の間の運動として始まりました。その最初期においては、そう宣べ伝える者も、それを聴いて信じ、信仰の共同体を形成した者も、みなユダヤ人でした。そのような共同体で形成されたキリスト告白がユダヤ教的な用語や枠組みを用いるのは自然なことです。先に見たコリント書簡の場合もそうですが、このローマ書の場合も、パウロが用いていますキリスト告白伝承はユダヤ教的色彩を色濃く示しています。

 まず第一に、この福音は、「神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもの」であることが強調されます。「聖書」というのは、わたしたちが旧約聖書と呼んでいる書のことで、イスラエルの宗教伝承の集成を指します。この時代ではまだ正典として一冊の書物になっていたわけではありません。ここでも「聖なる」という形容詞をともなった「書かれたもの(複数形)」という語が用いられています。この語は、ここと先に引用したコリント書簡のキリスト告白伝承に用いられている他は、ほとんど用いられていません。これは当時のユダヤ人が、「律法」や「預言者」の諸書を指すのに用いていたものです。モーセをはじめ神の霊感を受けた預言者たちが語ったことが、これらの諸書の中に書きとどめられてイスラエルの宗教伝承を形成したのですが、それにはやがてイスラエルには神から油を注がれた救済者(メシア)が遣わされるという約束が含まれていました。それは当時のユダヤ教において広く認められていた希望です。福音はイエス・キリストを宣べ伝えるにあたって、まず第一に、この方こそ「神が既に聖書の中で預言者を通して約束された」方であり、イスラエルの希望を成就する方であると宣言するのです。

 この方は「御子」と呼ばれています。どうして「御子」と呼ばれるのかは、すぐに続く告白文が語っています。イエスは「死者の中からの復活によって力ある神の子と定められた」のです。すべては、イエスが死者の中から復活されたという出来事から始まります。復活されたイエスの現れに接した弟子たちはみなユダヤ人ですから、当然この出来事の意味を聖書の光に照らして理解しようとしました。そのさい彼らに光を投じた聖書の箇所の一つが、メシア詩編として有名な詩編第二編です。その中に「お前はわたしの子、今日、わたしはお前を生んだ」という句があります(七節)。主から油を注がれて諸国民の支配者としての座に即位させられた王であるメシアについて、この句があるわけです。それで、最初期のユダヤ人の教団は、復活によって神から遣わされたメシアであることが示されたイエスについて、その死者の中からの復活こそ、神がメシアについて語られた「お前はわたしの子、今日、わたしはお前を生んだ」という言葉を実現された出来事であると理解し、イスラエルに対する約束の成就であるとしたのです。こうして、復活によってメシヤとされた方は、神によって生まれた神の子とされたのです。

 このような理解から出たキリスト伝承があったことは、使徒言行録一三章のパウロのユダヤ人への福音宣教の中にも示されています。この演説でパウロはユダヤ人の聴衆に向かってイスラエルの歴史を要約した後、イエス復活の出来事を語り、こう結んでいます。

「神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです。それは詩編の第二編にも、『あなたはわたしの子、わたしは今日あなたを産んだ』と書いてあるとおりです」。 (使徒一三・三三)

 イエスの復活こそイスラエルに与えられていた約束の成就であるというのです。すなわち、復活されたイエスこそイスラエルへの約束を成就するメシヤ・キリストであるのです。ところが、当時ユダヤ人の間には「メシヤはダビデの子孫から出る」という確信が広く行き渡っていました。それで、イエスが約束されていたメシヤであることをユダヤ人に宣べ伝えるにさいして、イエスがダビデの子孫であることが強調されるようになります。復活によってメシヤ・キリストとされたイエスがダビデの子孫であることを主張するキリスト告白は、典型的なユダヤ人のキリスト告白の型を示しています。そのようなキリスト伝承があり、それが異邦人伝道の分野でも根強く伝えられていたことは、パウロ以後にパウロ系の教会で成立したと考えられる文書にも見られます。

「イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、死者の中から復活された方であり、ダビデの子孫から出た方なのです」。 (テモテII二・八私訳)

 この私訳ではあえて原文の順序を再現する形で訳しています。すなわち、「死者の中から復活された方」が先で、「ダビデの子孫」は後につけ加えられています。この順序はこの型のキリスト伝承の本来の意味をよく保持していると見られます。イエスはまず何よりも「死者の中から復活された方」であることによってキリストであり、イスラエルへの約束を成就する方であるのですが、「ダビデの子孫から」出た方であることをつけ加えることによって、その方がイスラエルへの約束を実現する方であることを、さらに強くユダヤ人に確証しようとしているのです。

 ローマ書で引用されているキリスト伝承は、この型の伝承がさらに形を整えられて定型化した時期のものを示しています。イエスの地上の段階が「肉によればダビデの子孫から生まれ」と語られ、復活後の段階が「聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められた」とされ、二つの段階が正確に対応する形で表現されています。そして、その二つの段階が信仰告白の順序ではなく、出来事の順序に従って並べられています。

 このような伝承を引用しながら、パウロ自身がキリストについて語る時には、キリストがダビデの子孫であることについては触れることはありません。しかし、パウロがこのようなユダヤ人教団のキリスト伝承を引用することは、その意味は小さいものではありません。そうすることによって、パウロは自分が宣べ伝えている福音が最初期の全教団、とくにエルサレム教団の福音と一つであること、さらに自分の福音がイスラエルの全歴史に根ざしていることを示しているのです。


第三節 神の力としての福音


福音の言葉の質

 「福音」については、その内容と共に、それがどのような性格の言葉であるかが重要です。パウロはローマ書冒頭の挨拶のところで、自分が使徒として宣べ伝えている「神の福音」は「御子に関するもの」であるとして、その内容を要約していますが、その後、本論に入る前に、「福音」とはどういう質の言葉であるのかを語っています。

「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、すべて信じる者にとって、救いに到らせる神の力だからです」。 (ローマ一・一六 私訳)

 パウロは「わたしは福音を恥としない」と宣言します。この一語の背後には苦難に満ちた使徒としての全生涯があります。パウロはこの福音のために非難、中傷、陰謀、鞭打ち、投獄など、数え切れない苦難を受けてきました。十字架につけられた者を救い主として宣べ伝える福音に対する世の(とくにユダヤ人の)軽蔑と憎悪を、パウロは矢面に立って一身に受けてきました。福音が世からこのように扱われるからといって、福音を引っ込めてしまうようなことはしない。あくまで、福音を公に言い表し、宣べ伝えていく決意をここで宣言しているのです。「恥じる」という表現は、キリスト宣教の初期の時代では、キリストを「(公に)言い表す」の反対として、キリストを否認する意味で用いられました(マルコ八・三八参照)。

 パウロがこのように福音を恥としないで命がけで宣べ伝えるのは、「福音は救いに到らせる神の力だから」だと言うのです。この一句にパウロの福音理解の核心が語られています。これが福音の本質だというのです。福音は言葉です。主イエス・キリストを告げ知らせる言葉です。しかし、この言葉はただ事実に関する情報を伝える言葉ではありません。それは信じる者を現実に救いに到らせる神の力なのです。福音という言葉の質は、「救いに到らせる神の力」です。救いに到らせる神の力としての言葉、それが福音の本質です。

 パウロは「わたしは福音を恥としない」と宣言した直後に、「福音は神の力だからです」と、その理由を説明します。そして、この「神の力」に二つの修飾句が続きます。一つは「救いへの」という句で、もう一つは「すべて信じる者にとって」という句です。

 力には大きさ(強さ)だけでなく方向とか向きがあります。どの方向に向かう力であるかが重要です。福音という神の力は「救いへ」という方向に向かっている力だというのです。新共同訳はここを「救いをもたらす神の力」と訳しています。もちろん、これは間違いではありません。しかし、原文が「救いへの」という表現で力の方向を説明する句であること、また、神の力は信じる者の内に働いて救いに到達させるものであるとのパウロの救いの理解(フィリピ二・一二〜一三)から、ここは「救いに到らせる神の力」と訳す方が適切であると考えます。神の力はどこか外で働くものではなく、信じる者の内に働くものですから、「救いをもたらす」という、どこか外から救いが来るような印象を与える表現は避けた方がよいと判断したわけです。

 福音は「すべて信じる者にとって」救いに到らせる神の力となります。福音は言葉です。神からの語りかけの言葉です。語りかけられた言葉を拒否しては、人格間の関係は成り立ちません。語りかける方の言葉を信じ受け入れて初めて、人格間の結びつきが成立し、その場において霊的な力が働くことができるようになります。これは一般論ですが、ここで重要なことは、「信じる者」に「すべて」という語がついて、「誰でも信じる者は」という意味が強調され、それが「ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも」と、具体的に説明されている点です。

 ここでの重点は「ギリシャ人にも」の方にあります。「ギリシャ人」というのは、当時の表現ではユダヤ人以外の人々を広く指す用語でした。ユダヤ人は自分たちを神に選ばれ、神と契約関係にある特別の民として誇り、ユダヤ人以外の民を「諸民族」とか「異邦人」と呼んで、神と救いに関わりのない民と軽蔑していました。その「異邦人」が福音を信じることによって、「救いに到らせる神の力」を受けて救われるというのです。

 それまでも「異邦人」が救いに入る門がないわけではありませんでした。すなわち、異邦人も割礼を受けてユダヤ教徒になって律法を守れば、ユダヤ人として神との契約関係に入り、救いに与ることができるとされていたのです。事実、多くの「ギリシャ人」がユダヤ教の神に引かれてユダヤ教会堂で教えを聴き、「神を敬う者」となり、さらに進んで割礼を受けてユダヤ教に改宗する者もありました。ユダヤ人の立場からすれば、神からの救いの使信は当然ユダヤ人に来なければならないのです。いや、ユダヤ人だけに来るのが当然です。

 たしかに福音はまずユダヤ人に来ました。イエス・キリストは聖書の約束を成就する方としてイスラエルに現れ、ユダヤ人は「あなたがたはモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです」(使徒一三・三八〜三九)という使信を聴くことになったのです。ところが福音は同時に「ギリシャ人にも」同じように語るのです。ユダヤ教徒でない者も、この福音を聴いて信じるならば、ユダヤ教徒でないままで、「救いに到らせる神の力」に与るのだというのです。ユダヤ教の立場から見れば、これはユダヤ教の存在意義を否定しかねない革命的な宣言です。

 ユダヤ人であるパウロはこのことの重大さをよく自覚しています。それで、異邦人が異邦人のままで、福音を信じることによって「救いに到らせる神の力」を受ける根拠を説明してこう言います。「福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。『正しい者は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです」(ローマ一・一七)。

 一七節は《ガル》という理由づけの小辞で一六節と結ばれていますが、これは「ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、すべて信じる者にとって」と言うことができる根拠を説明するためです。ギリシャ人も福音を信じることによって救いに到ることができるのは、福音には神の義が信仰によって実現するものとして啓示されているからだというのです。

 では「神の義」とは何かという問題は、パウロの福音の根幹にかかわる問題であって、ローマ書など適当な機会に取り上げて詳しく論じなければならない大きな問題です。ここでは一七節が一六節の理由を説明する文であること、しかも、一六節全体の説明ではなくその一部の説明であること、すなわち福音がなぜ神の力であるのかという理由ではなく、なぜ「すべて信じる者にとって」神の力であるかの説明であること指摘するに止めます。それは、一七節で語られている「信仰によって義とされる」という主張、いわゆる「信仰義認」の主張が、ほとんどの注解書(とくにドイツ系の神学書)においてローマ書の中心主題、したがってパウロの福音の中心主題とされているのに対して、福音が「救いに到らせる神の力」であることを掲げる一六節こそ、パウロの福音の中心主題であることを明かにしたいからです。一六節が中心主題であって、一七節はそれに従属する主題であることを言いたいからです。

福音とは

 こうして、福音とは何かという問いに対して、ここまでに見てきたところから、とりあえずこう答えることができます。

「福音とは、それを信じる者にとって救いに到らせる神の力となる、御子イエス・キリストに関する神からの告知の言葉である」。

 「福音」という語はギリシャ語の《エウアンゲリオン》の訳語です。《エウアンゲリオン》は《エウ》(よい、幸福な)と《アンゲリオン》(おとずれ、音信、使者のメッセージ)が一つになった用語です。ここに掲げた定義の文で、「御子イエス・キリストに関する神からの告知の言葉」という部分が《アンゲリオン》に相当し、それがなぜ《エウ》なのかを、「それを信じる者にとって救いに到らせる神の力となる」という部分が説明していることになります。


力学としての神学

 「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、すべて信じる者にとって、救いに到らせる神の力です」という主張は、ローマ書の主題であるだけでなく、パウロの福音のもっとも基本的な性格、パウロの福音の本質を示す一文です。本書で「パウロによるキリストの福音」を探求していきますが、それは福音を「救いに到らせる神の力」として理解する立場からなされます。従って、本書はパウロの神学思想を体系的にまとめることが目的ではなく、パウロ書簡を通して「救いに到らせる神の力」がどのように働くのかを跡づけて、わたしたちが福音に生きるさいの道しるべとしたいのです。

 わたしは神学を一種の力学と考えています。文献学、歴史学、解釈学、言語学、哲学などの一種ではありません。そのような視点からの探求も必要であり有益ですが、最終的には現実に働く神の力についての学になります。もちろん、この神の力は人格的・霊的な場に働く力ですから、自然界に働く力とは様々な面で違います。自然科学の力学で用いられる概念や法則をそのまま持ち込むことはできません。しかし、自然科学の力学は、神の力についての学としての神学に有益な象徴やイメージやヒントを提供してくれるはずです。神学の中で力学的な概念や法則を用いるとしても、それは象徴です。神学の言語はどうしても象徴的なものにならざるをえません。その象徴が指し示している現実の力の場に入っていくこと、その現実に生きることこそ重要です。神学という言語の上の営みは、そのための指針であり助けとなろうとする努力です。このことをパウロはこう言っています。

「神の国は言葉ではなく力にある」。 (コリントI四・二〇)

 本書でパウロ書簡を用いて「救いに到らせる神の力」を描こうとしていますが、それが何らかの体系を備えた「学」としての体裁をなすかどうかは分かりません。素材を並べるだけのものに終わるかもしれません。「パウロの神学」を提示するためではなく、パウロが提示する「救いに到らせる神の力」としての福音を、読者と共に身をもって理解するようになることが本書の祈りです。


前章に戻る    次章に進む

目次に戻る   総目次に戻る