マタイによるメシア・イエスの物語 

第6章 拒否されるメシア

     ー マタイ福音書 一一〜一二章 ー





はじめに

  第二のブロック(八〜一〇章)でイスラエルにおけるメシアの癒しの働きと、同じ働きのために派遣される弟子たちへのイエスの言葉をまとめたマタイは、続く第三のブロック(一一〜一三章)で、イエスとイスラエルの間に高まる対立と緊張を物語ります。その前半の物語の部分(一一〜一二章)でイエスに対するイスラエルの拒否が語られ、後半の説話の部分(一三章)で、この拒否に対するイエスの応答がたとえのかたちでまとめられます。このブロックには、最近ユダヤ教の会堂と訣別しなければならなかったマタイの集会の痛みに満ちた体験が反映しています。


 拒否されるヨハネとイエス


ヨハネの質問

 2 ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、3 尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」4 イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。5 目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。6 わたしにつまずかない人は幸いである。」 (一一・二〜六)

 マタイはしばしばイエス物語の新しい区切りをバプテスマのヨハネの記事で始めます。ガリラヤでの宣教の開始を物語る第一ブロックは、ヨハネの洗礼活動とヨハネの逮捕から始まります。この第三ブロックは獄中からのヨハネの問いの記事で始まり、次の第四ブロックはヨハネの処刑から始まります。他の福音書以上にマタイはイエスとヨハネを一体として扱う傾向が強いことは先に述べました。ここでもマタイは、ヨハネをイエスの先駆者と位置づけ、イエスがヨハネよりも偉大であることを主張すると同時に、ヨハネを「女から生まれた者の中でもっとも偉大な」人物、預言者以上の者、イエスと同じ戦列に立つ者とし、イスラエルがヨハネもイエスも同じように拒否したことを告発します。
 
 ヨハネは自分の後に火をもってバプテスマする方の出現を予言しました(三・一一〜一二)。ところが、獄中でイエスの活動の様子を伝え聞くと、自分が予告した激しい火による審判とは様子が違います。それで弟子を遣わして、「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」と尋ねさせます。イエスはご自分がしておられる力あるわざ(八〜九章)を列挙してお答えになります。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」。これは、イエスの働きがイザヤの預言(二九・一八〜一九、三五・五〜六、六一・一)の成就であることを指し示しています。いや、それ以上です。旧約にはらい病人の清めや死者の生き返りはありませんでした。そしてこう付け加えられます。「わたしにつまずかない人は幸いである」。

 マタイはここまでに伝えたイエスの働き、とくに力あるわざ(奇跡)を「メシア(ギリシャ語ではキリスト)の働き」(二節)と呼んでいます。この表現は、イエスがメシアであることを認めないヨハネの弟子集団に対するマタイの主張を滲ませています。ヨハネが質問のために弟子を遣わしたことが歴史的事実であるかどうか、また、その質問の動機などについては議論がありますが、この一段がイエスをメシアと認めないヨハネ集団に対するマタイの弁証を反映していることは確かであろうと考えられます。

 たしかに、イエスが病人を癒し、貧しい者に恵みを告知される働きは、イスラエルが期待していたメシア、すなわち異教徒の支配を滅ぼす終末的審判者としてのメシアの姿とは違います。イスラエルは自分たちが期待していたメシアでないことに失望して、イエスに「つまずく」のです。しかし、イエスがなさっている力あるわざ自体は、イスラエルの人々にとって神の栄光を現し、預言の成就であることを示すしるしであっても、「つまずき」ではありません。「つまずき」はとくに最後の「貧しい人は福音を告げ知らされている」事実にあります。イエスが言われる「貧しい人」というのは、律法を守ることができない者たちとして、律法学者たちから「罪人」と呼ばれてさげすまれている人たちのことです。この「貧しい人たち」をそのままで(律法を守れないままで)神の支配に招き入れるのが、イエスの福音であったのです。このイエスの「恩恵の支配」の福音に、「律法の支配」に固執するユダヤ教指導者たちはつまずいたのです。イスラエルは「つまずきの石につまずいた」のです(ロマ九・三二)。

預言者以上の者

 7 ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。8 では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。9 では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。10 『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう』と書いてあるのは、この人のことだ。11 はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。12 彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。13 すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。14 あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。15 耳のある者は聞きなさい。(一一・七〜一五)

 ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められます(七〜一五節)。イスラエルがユダの荒れ野で出会った毛衣の人物は、時代の風になびいて耳あたりのよい言葉を語る葦のような弱い人物ではなく、また、権力を誇り、力をもって吸い上げた富で贅沢に王宮に暮らす王でもない。彼こそ神の言葉を語るまことの預言者、いや預言者以上の者です。ユダヤ教では、預言書の結集が完成した時点で預言者の時代は終わり、これ以上預言者は出ないと考えられていたので、ヨハネが神からの預言者だとすれば、彼は申命記(一八・一五)に預言されていた「モーセのような預言者」であり、まさに預言者マラキ(三・一)がメシア出現の道備えをする先駆者として預言した人物に他ならないことになります。ヨハネはイザヤやエレミヤのような偉大な預言書を残さなかったけれど、救済史上の位置からすれば律法と預言の時代を締め括る預言者であり、イザヤ、エレミヤ以上に偉大な、モーセと並ぶ預言者であり、女から生まれた者のうちでもっとも偉大な人物です。このようにイエスの言葉としてマタイが伝えるヨハネへの高い評価は、この人物の叫びに耳を傾けなかったユダヤ教指導者たちに対するマタイの厳しい批判が背後に響いています。

 この洗礼者ヨハネについての小語録集(一一・二〜一九)は、ルカ七・一八〜三五とよく一致しており、「語録資料Q」から来ていると見られます。おそらくこれは、語録資料Qを生み出したユダヤ人の信仰運動が、自分たちと同じ戦線に立つと見ていた洗礼者ヨハネについて形成した語録集であると考えられます。ルカとの重要な違いは、マタイが一二〜一五節をここに入れていることです。ルカはこの語録を別の文脈(一六・一六)に置いています(逆に、ルカ七・二九〜三〇にあるファリサイ派や律法学者への非難は、マタイでは他の場所二一・三二に移されています)。また、この「律法と預言者はヨハネまで」という語録は詳しく見ますと、マタイとルカではヨハネの位置づけが違います。すなわち、ルカでは「それ以来」、すなわち彼より後に、神の国の福音が告げ知らされ、だれもが力ずくで入ろうとしていますが、マタイでは「彼が活動し始めた時から今に至るまで」そのような事態になっています。すなわち、ルカではヨハネは律法と預言者の時代に属していますが、マタイではすでにイエスと共に新しい時代の開始を告げる人物になっています。ここにもヨハネとイエスの一体性を重視するマタイの傾向がうかがわれます。

 マタイの共同体は、終末的な新しい時代を告知する者としてヨハネの弟子集団と共同戦線に立つとしながら、同時にヨハネではなくイエスがメシアであること、イエスがもたらされた事態はヨハネが与えるものとは次元が違うことを強調しなけれななりませんでした。それで、「およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった」とヨハネを高く評価しながらも、すぐに「しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」と続けるのです。すなわち、イエスがもたらされた「天の国」に属する者は、どのように小さい者でもヨハネより偉大だというのです。マタイの時代では、イエスの弟子たちの集団は、ヨハネの弟子たちの集団となお競合関係にあったのです。

 このようにヨハネを高く評価する言葉は、ヨハネ集団と競合関係にあった初期のキリスト集会から出たとは考えられないので、イエスご自身の言葉であると見られます。ただ、ヨハネをイエスの先駆者とする言葉(一〇節)は、初期の教団から出たものと見られます。

 マタイにはイエスが復活者としてご自分に属する者に聖霊を与えて、復活のいのちの次元に生かしてくださっていることが分かっています。イエスは女から生まれた者であっても、復活者キリストは御霊によって生まれた方です。この語録は、神の御霊の次元に生きる者は、人間的にはどのように小さい者でも、「女から生まれたもの」、すなわち生まれながらの人間性から発する宗教に生きる者がいかに偉大であっても、到達できない境地にいるのだと主張しているのです。

暴力を受ける天の王国

 続く一二節の「洗礼者ヨハネが活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取っている」という語録は、理解困難で、解釈が分かれています。まず「力ずくで襲われている」と(受動態で)訳されている動詞が問題になります。これを(中動態と見て)天の支配が「力をふるっている」とか「力をもって突入している」と理解する訳もありますが、これは後半の「激しく襲う者がそれを奪取している」と矛盾してきます。「天の国は力ずくで襲われている」を、そこに入ろうとする者の激しい熱意と理解する解釈(ルターら)もあり、このルカの解釈(後述の注)に影響された解釈は、説教の主題聖句として魅力的です。しかし、このギリシャ語の動詞は敵対的な暴力行為を指す語で、この解釈も無理があります。ギリシャ語原文の意味としては、「天の王国は暴力を加えられている。そして暴力的な者たちが、それを奪い取っている」(岩波版佐藤訳)となり、その暴力は敵対的に理解しなければなりません。敵対者は主の言葉の宣教に迫害を加えるなど暴力的に対抗し、天の支配を妨げ、入ろうとする者から奪い取っているというのです。

 この困難な語録を、ルカはかなり書き換えて理解しやすくしています。この語録に関しては、困難なマタイの形が語録資料Qの原型で、ルカはそれを自分の宣教の神学に従って解釈して書き換えたと見られます。ルカ(一六・一六)ではこうなっています。「律法と預言者はヨハネの時までである。それ以来、神の支配が福音され、すべての人がそれに力ずくで入っている」。神の支配は「暴力を受ける」のではなく「福音される」となり、「力ずくで襲う」という動詞は、神の支配「の中へ」という句を伴って、(中動態で)「力ずくで入る」という意味で用いられます。主語も「すべての人」となり、世界的な福音宣教によって異邦の諸民族が激しくエクレシアに入ってきているイエス以後の時代を描く文にしています。

 「洗礼者ヨハネが活動し始めたときから今に至るまで」という句は語録資料Qにはなく、マタイの編集句と考えられるので、マタイはこの文を書いたとき、ヨハネの活動から自分の時代までの歴史を念頭においていたと見られます。この時期全体を通じて、イスラエルはヨハネに対してもイエスの弟子たちに対しても敵対的で、迫害をもって神の支配を妨げてきたのです。マタイは語録資料Qを生み出した信仰運動の苦難の歴史を振り返り、洗礼者ヨハネをその戦列に加えるのです。イスラエルに新しい時代の到来を告げる働きは、洗礼者ヨハネの活動からはじまったのです。イエスも初めはその中におられたのです。そして、ヨハネもイエスも拒否したイスラエルの愚かさを、次の子供の遊びの比喩で告発します。

広場の子供のたとえ

 16 今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。17 『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。』18 ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、19 人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」(一一・一六〜一九)

 洗礼者ヨハネに関するマタイ(または語録資料Q)の提示には二つの面が入り交じっています。一つは、ヨハネを自分たちと共同の戦線に立つ同志として提示する面です。ヨハネはイエスと同じく終末の決定的な転換を告知するために神から遣わされた使者であるという見方です。もう一つの面は、同じく終わりの時に神から遣わされた者ではあるが、ヨハネではなくイエスがメシアであるという主張です。この面がもう一度確認されます。
 
   「すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである」(一三節)。ヨハネは律法と預言者の時代に属し、その時代(準備の時代)を終わらせる最後で最大の大預言者です。それは、ヨハネの後に出現したイエスこそ成就者メシアであり、ヨハネはメシア出現の前に道備えをすると預言されていたエリヤであることを意味します。イスラエルは、神の霊の火車に乗って天に上げられたエリヤが終わりの日に再来するのを待望していましたが、もしイエスがメシアであることを認めれば、ヨハネこそ再来のエリヤであるという神秘が理解できるのです(一四節)。マタイは、イエスがよく用いられた「耳のある者は聞きなさい」という言葉をここに置いて、イスラエルにこの奥義をよく考えるように促します。
 
 こうして、ヨハネとイエスは先駆者とメシアとしてセットでイスラエルに遣わされたのに、イスラエルは両者を共に拒否したという告発をもって、マタイはこの洗礼者ヨハネの段落を締め括ります。その告発はイエス特有のたとえの形で語られます(一六〜一九節)。
 
 「今の時代」、すなわちヨハネとイエスの宣教を受けたイスラエルは、広場で遊ぶ子供にたとえられます(一六〜一九節)。「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった」というたとえの意味は、そのたとえが指し示す本体がすぐに続いているので明かです。(順序は逆になっていますが)ヨハネが荒れ野での厳しい禁欲的な生活の場から、迫っている審判に備えて悔い改めを呼びかけると、「あれは悪霊に取りつかれている」と言って、彼の呼びかけを無視しました。「悪霊に取りつかれている」という表現は、当時のユダヤ人が自分たちの常識とはかけ離れた主張や生活をする者を拒否するときに投げつけたレッテルです。今度は、イエスが神の恵みの時が到来している、すなわち婚礼の喜びの時が来ているとして、飲食を共にして喜びをすべての人と分かち合い(イエスは実際、カナの婚礼では水をぶどう酒に変えて婚礼の宴を祝福されました)、律法の外にいるような人たちとも食卓を共にされたたとき、「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」と言って、イエスを非難したのです。

 イエスはたとえを語るだけで、その解説はされなかたという事実からすると、「広場の子供」のたとえ自体(一六〜一七節)はイエスが語られたものである可能性がありますが、その解説(一八〜一九節)は語録資料Qのものであると見られます。また、解説の部分でイエスが「人の子」と呼ばれているのも、イエスを「人の子」として宣教した語録資料Qの文であることをうかがわせます。

 しかし、イスラエルが拒否したからといって、ヨハネやイエスの宣教が正しいものではなかった(神からのものではなかった)ことにはなりません。むしろ「知恵の正しさは、その働きによって証明される」のです。この表現の背後には、預言者は「神の知恵」によってイスラエルに遣わされた者であるという知恵文学の伝統があります(ルカ一一・四九参照)。イスラエルは「知恵」によって派遣された預言者たちを殺してきたのであり、今ヨハネとイエスを拒否しているが、ヨハネとイエスが正しいこと(神から遣わされた者であること)は両者の働きの結果が証明するというのです。マタイがこの「知恵の働き《エルガ》」という語をこの段落の最後に用いたのは、段落の最初の「メシアの働き《エルガ》」(二節)に対応し、イスラエルの拒否にもかかわらず、イエスがメシアであることはイエスの働き全体が証明すると言おうとしているのだと考えられます。
 
 こうして、この時代のイスラエルは、ヨハネの厳しい審判の告知にも、イエスの喜びのおとずれにも真剣に対応しなかったことが告発されるのです。この告発は(次の段落のガリラヤの町々に対する厳しい告発も含めて)、福音書が語るヨハネやイエスの宣教に対するユダヤ人群衆の熱狂的な歓迎からすると、やや異様な印象を受けます。この落差は、語録資料Qを生み出した信仰運動(Q集団)がイスラエルに拒否された体験を反映していると考えられます。ヨハネとイエスが実際に活動したときには、ユダヤ人民衆は熱烈に反応しましたが、ユダヤ教指導者階級は無視または反発しました。イエスの死後、イエスの言葉を宣べ伝えたQ集団は、イスラエル社会に受け入れられず孤立していったようです。ユダヤ戦争の前後を通じて、イスラエル社会に影響力を確立したのは、ヨハネ集団でもQ集団でもなく、ラビのユダヤ教だったのです。マタイがこの福音書を書いたころには、マタイ集団は会堂が代表するユダヤ人共同体から分離し、敵対し、異邦人伝道に将来を託さざるをえない状況になっていました(本講解の序論参照)。その体験がこのような告発をここに置かせたと見られます。

 ガリラヤの町の拒否


ガリラヤの町々への告発

 20 それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。21 「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。22 しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で済む。23 また、カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。24 しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである。」 (一一・二〇〜二四)

 次にイエスを拒否したガリラヤの町々への告発が続きます。イエスは「ガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のあらゆる病気や患いをいやされた」のでした(四・二三)。イエスのもとには群衆が押し寄せたのです(四・二五)。ところがここでは、イエスはガリラヤの町々を激しく叱責しておられます。それは、「数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかった」からです(二〇節)。
 
 ガリラヤの町々に対する叱責は、同じ構造をもつ二つのグループからなります。第一のグループでは、コラジンとベトサイダが異邦の町であるティルスとシドンと比べられ、第二のグループでは、カファルナウムが悪徳の異邦都市として名高いソドムと比べられています。どちらのグループも、ここに名をあげられているガリラヤの町でイエスが行われた奇跡がそれらの異邦の町で行われていたならば、彼らは悔い改めていたであろうし、裁きの日には彼らの方が軽い罰で済むと宣言されます。
 
 コラジンはここだけにしか出てこない名で、その位置は確定できませんが、カファルナウムから北へ三キロほどの町だと推定されています。ベトサイダはガリラヤ湖北岸の漁業の町で、ペトロやアンデレの出身地です(ヨハネ一・四四)。マタイはコラジンやベトサイダで行われた奇跡は何一つ伝えていませんが(マルコ八・二二がベトサイダでの盲人の癒しを報告しているにもかかわらず)、そこでもイエスが奇跡を行われた伝承は知っていたのでしょう。ティルスとシドンは共に地中海沿岸のフェニキア都市で、旧約時代からイスラエルを堕落させる異教と悪徳の町として預言者から厳しく非難されていました(アモス一・九〜一〇、イザヤ二三章、エゼキエル二六〜二八章など)。このような異教の町が、イエスの奇跡を見ながら悔い改めなかった(イエスを拒否した)ガリラヤの町より罰が軽いというのですから、これはガリラヤの町に対する厳しい断罪です。
 
 カファルナウムについては一段と厳しい表現で断罪されています。それは、カファルナウムがイエスの活動の根拠地であり、イエスの奇跡を数多く見ながらイエスを拒否したからです。カファルナウムについては、マタイはイザヤがバビロンの滅亡を預言した言葉(一四・一三〜一五)を用いて、イエスを拒否した高ぶりを断罪し、「陰府にまで落とされる」と宣告します。カファルナウムは極悪の町として名高い異教都市ソドムと比べても、その責任が重いとされます。
 
 この段落(一一・二〇〜二四)は、ガリラヤの町々をもはや悔い改めの余地もないものとして断罪しています。この断罪は、イエスが現にガリラヤで神の支配を宣べ伝え、悔い改めを呼びかけておられた状況では理解しがたいことです。ここにも、イエスの状況とマタイ(または語録資料Q)の状況の違いが現れています。このガリラヤの町々を断罪する語録は、マルコにはなくルカに並行記事があるので、語録資料Qから来ていると見られます。Q集団は、ガリラヤを中心に活動し、ユダヤ人同胞にイエスに従うように呼びかけましたが、彼らの宣教は拒否されてユダヤ人社会の中で孤立していきます。ユダヤ人社会では、ユダヤ戦争の前後を通じて勝利したのはキリスト教徒ではなく、後にラビ・ユダヤ教を形成する律法学者たちだったのです。このQ集団のガリラヤでの孤立が、このような厳しいガリラヤのユダヤ教社会を批判する語録となったと見られます。マタイは、ガリラヤやシリアのユダヤ人たちよりも異邦人に希望をつなぐ思いを込めて、この語録を用いたのでしょう。

 わたしのもとに来なさい


幼子に与えられる啓示

 25 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。26 そうです、父よ、これは御心に適うことでした。27 すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。(一一・二五〜二七)

 このようにイエスに対するイスラエルの拒否を物語るブロック(一一〜一二章)の中ほどと最後に、マタイは対照的にイエスのもとに集まる小さい集団を描く段落を置きます。すなわち、「わたしのもとに来なさい」と呼びかける段落(一一・二五〜三〇)と、「イエスの母、兄弟」の段落(一二・四六〜五〇)です。
 
 「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした」(二五〜二六節)と、「すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません」(二七節)は、もともと別の語録であったかもしれませんが、語録資料Q形成の段階で一つにまとめられており、ルカ(一〇・二一〜二二)はそれを七十二人の弟子たちが宣教旅行から帰ってきたときに、イエスが喜びに溢れて語られた言葉としています。マタイはこの語録をこの場所に置くことにより、イエスの弟子たち(幼子)の姿を、イエスを拒否したユダヤ教会堂の指導者たち(知恵ある者や賢い者)と対照して浮かび上がらせます。
 
 当時の「知恵ある者や賢い者」というのは、ユダヤ教律法に精通した律法学者階級の人たちを指していました。そういう人たちにではなく、漁師や徴税人のような階層出身の弟子たち、律法の知識や訓練という点では幼児にすぎない弟子たち、そしてイエスに対して幼児の信頼をもって従う弟子たちに、「これらのこと」が啓示されたというのです。「これらのこと」は、ルカの文脈では直前に語られている奥義(ルカ一〇・一七〜二〇)、すなわちイエスの到来によってサタンの支配がうち破られているという霊的奥義を指しています。しかし、マタイでは突然出てくるので、何を指しているのか特定できません。直後(二七節)に語られている事柄、すなわち子(イエス)が啓示する父の奥義を指していると理解してよいでしょう。
 
 二七節は本来、父親が秘伝の技術を息子だけに伝えるという職人の家業継承を比喩として用いていると考えられます(J・エレミヤス)。おそらく本来は「すべてのこと(秘伝)は父親からわたしに任せられています。父親のほかに息子を知る者はなく、父親(のすべての技術)を知る者は息子と、息子が知らせようと欲する者以外にはありません」という比喩であったのでしょう。イエスを父なる神の子であると告知するQ集団が、これをイエスだけに与えられた神の啓示を語る語録として伝えたと見られます。この方向を徹底したのがヨハネ福音書であるとも言えます。
 
 幼子に与えられる啓示(二五〜二六節)と息子だけに任される父の秘伝のたとえ(二七節)の二つの語録が一つにされることによって、神の啓示は、律法に精通した「知恵ある者や賢い者」にではなく、子であるイエスと、イエスに従う幼子のような弟子たちに与えられていることを主張する語録になっています。そして、「これは御心にかなうことでした」の一文によって、少数の弟子以外の「知恵ある者や賢い者」がイエスを拒否したことは神の御計画から出たことであり、今Q集団がユダヤ人社会から排斥されて孤立している現実は、けっしてQ集団の失敗ではなく、神の大きな御計画の一部であることが確認されるのです。
 
 「知恵ある者や賢い者」は、律法に精通していることから、律法だけに立とうとする姿勢を変えることができず、律法を超えて与えられる啓示、すなわちイエスが告知される恩恵の支配を拒否したのす。これはユダヤ教社会に起こったことですが、ユダヤ教以外の世界でも同じことが起こります。使徒パウロは異邦人についてまったく同じことを言っています。自分の知恵や知識に頼る者たちは、人間の知恵には愚かさの極みである十字架の福音を受け入れることができません。知者たちに拒否された十字架の福音は、ひたすらこれを信じる幼子たちに受け入れられて救いへ至らせる神の力となるのです。神がそう定められたのです(コリントT一・一八〜二九)。

わたしに学べ

 28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」 (一一・二八〜三〇)

 この語録は他の福音書にはなくてマタイだけにあり、マタイの特色をよく示しています。まず、「柔和な」という形容詞はマタイ特愛の用語の一つで、新約聖書の四回の用例の中、三回までマタイ福音書に出てきます。「貧しい人たちは幸いである」という祝福の語録に、「柔和な人たちは幸いである」という句を入れたのもマタイでした(五・五)。ここではイエスご自身が「心が柔和な」者であると用いられています。イエスこそ神の祝福を受け継ぐ「柔和な人たち」の原型なのです。

 マタイにおける「柔和な」という語の用例と意味については、「マタイによる福音書4」の「地を継ぐ者」を参照してください。

 もう一つの特色は、「軛を負う」という表現です。軛は農耕や運搬に使う家畜の肩にかける用具ですが、一般に「奴隷の軛を負う」とか「(外国)支配の軛を負う」というように象徴的によく用いられていました。中でもユダヤ教では特別の意味合いでよく用いられていました。すなわち、神の民であることは「天の王国の軛を負う」こととされ、それは具体的には「律法の軛を負う」ことで実現するとされていました。「律法の軛を負う」というのは、律法を順守する責任を負うということです。もとともユダヤ人にとって、これは重荷ではなく選ばれた民の特権であったのですが、イエスの時代のユダヤ教は律法学者たちの言い伝えを積み重ねて、礼拝と生活の煩瑣な数多くの規定を守る義務となり、一般の庶民には「負いがたい重荷」になっていました(二三・四)。
 
 イエスは(そしてイエスの語録を用いてマタイは)このような重荷を負って苦しんでいる周囲のユダヤ人に呼びかけるのです。「疲れた者、重荷を負う者」というのは、(マタイの文脈では)「律法の軛」という重荷を負って苦しみ疲れている人たちを指しています。そのような人たちに、イエスは「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」と呼びかけられるのです。そうすれば「わたしは心が柔和でへりくだった者だから、あなたがたの魂に休みを見出すであろう」(二九節直訳)と約束されるのです。
 
 ここでの「わたしの軛」は「律法の軛」と対照されています。多くの律法規定を守るように義務を課せられているユダヤ人に、イエスの弟子となって、イエスの言葉だけに従って生きるようにすれば、律法の重荷から解放されて、魂に休みを得ることになると呼びかけているのです。イエスは子として父のすべてを委ねられた方ですから、イエスに従うことが父の御心を行うことになるのです。その上、イエスは柔和でへりくだった方、すなわちご自身が父の慈愛だけに生きる方であり、自分のために何も求めない方ですから、イエスに従うのは無条件の慈愛に生きるという根本律以外に煩瑣な規定はなく、どれだけ律法が守れているかに心が煩わされることはなくなるのです。この意味で、「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い」と言われるのです。
 
 このように、この語録はもともと「律法の軛」を負っているユダヤ人に、イエスの弟子となって平安を得るように呼びかけているのですが、もちろん、これはすべての国民、すべての時代の「疲れた者、重荷を負う者」に対する呼びかけでもあります。イエスは終末的救済者キリストとして、ご自分のもとに来る者を、人間にとって究極の重荷である罪と死の問題から解放して、魂に平安を与えてくださるのです。



 安息日論争


はじめにーマルコとの比較

 マタイはこの第三のブロックの物語部分で、メシアの働きをされるイエスがイスラエルから拒否されていく姿を物語っています。その前半(一一章)は、洗礼者ヨハネに関する語録集やガリラヤの町を告発する言葉など、おもに語録資料Qからとった記事で構成していますが、後半(一二章)では、ほぼマルコ福音書(二・二三〜三・三五)の内容と順序に従って物語を進めていきます。はじめに、マタイ福音書の構成をマルコ福音書と較べて、その異同を概観しておきましょう。
 
   最初に安息日に関する論争が二つ置かれていることはマルコと同じです。安息日に弟子たちが麦の穂をつんで食べたことについての論争と、安息日に手の萎えた人をいやされたことについての論争が、ほぼマルコと同じ内容で続いています。そして、この安息日についての対立が、ファリサイ派がイエスを殺そうと決意するにいたった理由であるとする点も同じです。ユダヤ教会堂側の激しい敵意に直面して、イエスは会堂から退かれますが、マルコ(三・七〜一二)が海辺に退かれたイエスに周辺の地域から多くの群衆が押し寄せたことを具体的に描いているに対して、マタイ(一二・一五〜二一)は退去の行動をイザヤの預言で意義づける記事にしています。マルコ(三・一三〜一九)がその後に置いている十二人弟子を選ばれた記事は、マタイではすでに派遣説教の前(一〇・一〜四)に置きましたから、ここにはありません。
 
 安息日問題と並んでもう一つの重要な対立点は、イエスの働きを悪霊によるもとする批判者たちとの「ベルゼブル論争」です。マルコはイエスを取り押さえに来た身内の者たちと対比して、イエスの真の家族とは誰かを語る段落をすぐ後に置いていますが、マタイはこのベルゼブル論争の意義を重視して、その間に(おもに語録資料Qから取られた)三つの記事を入れて、イエスの働きを悪霊によるとする批判を論駁しています。すなわち、「木とその実」(一二・三三〜三七)、「しるしを欲しがる」(一二・三八〜四二)、「汚れた霊」(一二・四三〜四五)の三つです。
 
 二つの安息日論争とベルゼブル論争については、すでに「マルコ福音書講解 141518」で詳しく講解していますので、ここではマタイ福音書の特色に焦点を合わせて講解していきます。

麦の穂をつむ

 1 そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。2 ファリサイ派の人々がこれを見て、イエスに、「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」と言った。3 そこで、イエスは言われた。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。4 神の家に入り、ただ祭司のほかには、自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べたではないか。5 安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、と律法にあるのを読んだことがないのか。6 言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。7 もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。8 人の子は安息日の主なのである。」 (一二・一〜八)

 イエスがしばしば安息日の律法規定を破るような振る舞いをされたこと、それがイエスと律法学者たちとの対立の原因となっていたことは共通の伝承でした。マタイもこの伝承を伝えています。しかし、その伝え方を詳しく見ますと、安息日問題に対するマタイの態度の特色が見えてきます。

 まず、イエスが安息日問題で律法学者たちと対立された出来事は、マルコでは四回、ルカでは五回記録されているのに対して、マタイではこの章の二回だけです。そして、批判者たちに対する論駁も律法に依拠するラビ的な議論が多くなります。ダビデが神の家に入って供えのパンを食べたことを引用するのはマルコおよびルカと共通していますが、神殿で働く祭司は安息日規定を破っていること(五〜六節)とホセヤ書の引用(七節)はマタイだけにある特殊記事です。

 ダビデが供えのパンを食べた記事で、マルコの「アビアタルが大祭司であったとき」は、「祭司アヒメレク」(サムエル記上二一・一〜六)の間違いであるので、マタイはこの句を削っています(ルカもこの句を除いています)。

 マルコと比べてもっとも大きな違いは、「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。 だから、人の子は安息日の主でもある」というマルコ(二・二七〜二八)の結論の前半の部分を伝えないで、後半の「人の子は安息日の主である」という言葉でこの段落を締め括っていることです(八節)。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」という、マタイが伝えない前半こそ、イエスの安息日律法に対する革命的な態度がよく出ている語録です。

 マルコでは、ダビデが供えのパンを食べたことを語る言葉の後にすぐ、「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」という言葉が続いており、その間のつながりがよく分かります。ダビデと供の者たちが食料が尽きて餓死の危険が迫ったとき、律法の規定では祭司のほかは誰も食べてはならない供えのパンを食べたのは、神も認められる行為であるというのです。それは、神は人の祝福のために安息日の制度を定められたのであって、人を安息日の制度に拘束し、その制度を完成するために仕えさせるためではないからです。その細則を守るために現実の人間が苦しみ滅びることは、神の意志ではないのです。この言葉は、安息日律法に限らず、律法全般に対するイエスの革命的な態度と精神をよく表現しています。
 
 ところが、律法の解釈からすれば、このダビデの行為を論拠とする議論には弱点があります。ここで批判者たちが弟子たちの行動を非難したのは、飢えに迫られて他人の畑の麦の穂をつんで食べたという行為ではなく(それは律法で許されている行為ですー申命記二三・二六)、穂をしごくという安息日に許されていない労働をした点にあるのに、ダビデの行為は安息日のことではないからです。律法学者であるマタイは、この議論の弱点を知って、律法解釈の立場から直接安息日に関わる律法規定を取り上げて反論を強化します(五〜六節)。神殿で仕える祭司は安息日であっても、通常であれば許されない労働をすることは認められています(たとえば民数記二八・九〜一〇)。いまここに「神殿よりも偉大なもの」(中性名詞でイエスと共に到来している神の支配の事態を指す)が来ているのだから、そこで仕える弟子たちは、神殿で仕える祭司以上に、安息日規定に拘束されていないというのです。
 
 マタイはさらに預言者からの論拠を加えます(律法と預言者の両方を論拠とするのはラビの議論の通例です)。マタイがここに引用するホセア(六・六)の預言、「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」は、すでに徴税人たちと食事を共にされるイエスに対してなされた批判に応えるときに引用されていました(九・一三)。マタイはこの預言者の言葉によって、安息日の細則を守るために人間に犠牲を要求する律法学者たちの厳格主義を非難するのです。
 
 このように律法解釈の立場からする議論を進めたマタイは、マルコにある「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」という、律法規定をまったく問題としないイエスの革命的な精神を現す語録を入れることにためらいを感じたのか、この語録を削って、「人の子は安息日の主である」だけを結論として置きます。マルコの場合、「人の子」は自然に先行する語録の「人」と同じ意味で理解して(とくにアラム語では「人の子」は人と同じです)、人間こそ安息日制度の主人であり目的であるという意味に理解できます。それに対して「人の子」を黙示思想的なメシア称号として用いるQ宗団の流れに属するマタイは、この語録を「人の子」であるイエスこそ安息日律法を支配する主人であるという意味にするのです。後述するように、イエスの働きはすべて神の霊によるものですから、イエスが安息日律法を破るような振る舞いをされるのも神の霊に駆られてされることです。御霊の働きは人間の律法解釈の集積である安息日規定に拘束されないのです。マタイの場合「人の子は安息日の主である」という言葉は、このような御霊の人であるイエスの立場を弁証する意味になります。

手の萎えた人をいやす

 9 イエスはそこを去って、会堂にお入りになった。10 すると、片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねた。11 そこで、イエスは言われた。「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。12 人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている。」13 そしてその人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、もう一方の手のように元どおり良くなった。14 ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。 (一二・九〜一四)

 次にイエスが安息日に手の萎えた人をいやされた記事が続きます。ラビたちは、死の危険が迫っている場合は安息日に治療することは例外として許されているとしていましたが、そうでない場合は安息日が明けてから治療行為を始めるべきだとしていました。この場合は明らかに緊急のケースではないので、治療行為は許されていないのです。それで、イエスが安息日に手の萎えた人をいやされた行為が律法違反として問題になるのです。

 ここでもマルコ(三・一〜六)の記事と比べますと、マタイの特色が出ています。マルコでは、イエスは「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか」と激しく対決しておられ、マルコはその激しさを「怒って」とか「悲しみながら」とかイエスの感情にまで立ち入って描いています。マタイは感情は抜きにして律法解釈の問題にしています。まず、「安息日に病気を治すのは、律法で許されているか」という問いを掲げ、羊が穴に落ちた場合、それを引き上げることは安息日でも許されているとするラビの議論を引用して、人間は羊よりもはるかに大切なものだから、「安息日に(人をいやすという)善いことをするのは許されている」と答えます。マルコの激しい対決の情景は、律法解釈の議論に変わっています。

 この安息日問題が理由で、ファリサイ派の人たちがイエスを殺す相談を始めたという点では、マタイはマルコと同じですが、マルコにあった「ヘロデ派の人々と一緒に」という句を削っています。「ヘロデ派」とはどういう人々を指すのかは、正確にはわかりませんが、マタイがこの句を削除したのは、エルサレム陥落以後に福音書を書いたマタイの時代には「ヘロデ派」はもはや存在しなかったからでしょう。

 総じてマタイは、マルコと比べると、安息日に対するイエスの革命的な態度を律法解釈の問題に後退させているようです。これは、マタイ福音書が安息日順守を当然とするユダヤ人信徒共同体の所産であり、共通の前提である律法の解釈めぐって対立するユダヤ教会堂と激しく議論しなければならなかった状況から来るのでしょう。マルコは安息日律法そのものを超えるイエスの精神を伝えているのに対して、マタイは安息日律法の有効性を前提として、その解釈として「安息日の掟を破っても罪にならない」理由を論じています。わたしたちはもはやユダヤ教律法の解釈は問題にしなくてもよい状況にいるのですから、マタイではなくマルコが伝えるイエスの革命的な人間尊重の精神を継承すればよいのです。ただ、マタイの「人の子は安息日の主である」という言葉を、イエスのように聖霊によって生きる者はもはや安息日の律法規定に拘束されていないのだと理解すれば、これはマルコの主張に神学的な根拠を与えるものになると言えます。

立ち去るイエス

 15 イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。大勢の群衆が従った。イエスは皆の病気をいやして、16 御自分のことを言いふらさないようにと戒められた。17 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
 18 「見よ、わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。
   この僕にわたしの霊を授ける。彼は異邦人に正義を知らせる。
 19 彼は争わず、叫ばず、その声を聞く者は大通りにはいない。
 20 正義を勝利に導くまで、
   彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。
 21 異邦人は彼の名に望みをかける。」  (一二・一五〜二一)

 イエスはファリサイ派の人たちの殺意を知って、会堂を立ち去られます。この「立ち去る」または「退く」という動詞は、イエスの行動を描くさいに、とくにマタイによく出てきます(ここの他には二・一四、二・二二、四・一二、一四・一三、一五・二一)。これは、自分たちの故郷であるユダヤ教会堂から立ち去ろうとしているマタイ共同体の姿を、イエスに重ねているからだと考えられます。
 
 マルコ(三・七〜一二)は、イエスはガリラヤ湖畔へ立ち去り、そこに集まってきた多くの群衆の中の病人をいやされたことを、地名も入れて詳しく描いています。マタイは「立ち去られた」イエスが病人をいやされた事実を一行で報告するだけです。ただ、マルコが「あなたは神の子だ」と叫ぶ霊どもに対して、イエスが自分のことを言いふらさないように厳しくいましめられたと書いているところを、いやされた病人に対するいましめとして引用しています。マルコではこの命令は「メシアの秘密」に関するものでしたが、マタイにはこの動機はないので(この点については後で取り上げます)、「立ち去る」イエスの姿がイザヤが預言した「主のしもべ」の成就であるとして、イザヤ書を引用するための導入としています。
 
 ここに引用されているイザヤ書(四二・一〜四)の預言は、捕囚期の大預言者(第二イザヤ)が語った「主のしもべ」の歌の一部です。「主のしもべ」の歌はイザヤ書五三章をクライマックスとする一連の預言であり、キリストであるイエスを指す預言として初期の教団で重視されていました。マタイは、黙って会堂から立ち去り、いやされた民衆にも言いふらさないようにもとめるイエスを、「彼は争わず、叫ばず、その声を聞く者は大通りにはいない」という預言の成就とするのです。
 
 それだけでなく、この預言はイエスを神から遣わされた「しもべ」として描く福音書にとって基本的な預言です。イエスがヨルダン川でバプテスマをお受けになったとき聖霊が下って、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から聞こえたという記事の背後にも、この預言があります。マタイは次に「ベルゼブル論争」を置いて、イエスの働きは悪霊によるものだとする批判を論駁しようとしていますが、この預言にある「この僕にわたしの霊を授ける」は、イエスの働きは悪霊によるのではなく神の霊によるのだという主張を根拠づける聖句となります。
 
 さらに、「彼は異邦人に正義を知らせる」とか、「異邦人は彼の名に望みをかける」という預言は、これからイエス・キリストの名を異邦世界に宣べ伝えようとしているマタイ共同体にとって貴重な預言です。神の霊によって「主のしもべ」として語り働かれたイエスは、ユダヤ人社会の敵意を受けて、そこから黙って立ち去り、異邦人の世界に向かっていかれるのです。引用された「主のしもべ」の預言は、このイエスの姿を的確に語る預言であり、イエスと重なるマタイ共同体への預言ともなるのです。


 悪霊か神の霊か


ベルゼブル論争

 22 そのとき、悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人が、イエスのところに連れられて来て、イエスがいやされると、ものが言え、目が見えるようになった。23 群衆は皆驚いて、「この人はダビデの子ではないだろうか」と言った。24 しかし、ファリサイ派の人々はこれを聞き、「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と言った。25 イエスは、彼らの考えを見抜いて言われた。「どんな国でも内輪で争えば、荒れ果ててしまい、どんな町でも家でも、内輪で争えば成り立って行かない。26 サタンがサタンを追い出せば、それは内輪もめだ。そんなふうでは、どうしてその国が成り立って行くだろうか。27 わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。28 しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。29 また、まず強い人を縛り上げなければ、どうしてその家に押し入って、家財道具を奪い取ることができるだろうか。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。30 わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。 (一二・二二〜三〇)

 マルコの順序に従って、マタイはここに「ベルゼブル論争」を置いています。これは、イエスが悪霊を追い出しているのは悪霊どもの頭ベルゼブルの力によるのだという批判に対する論争です。イエスが悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人をいやされたとき、群衆は驚いて、「この人はダビデの子ではないだろうか」と言いましたが、ファリサイ派の人たちは「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と言いました。イエスに対する態度が二つに割れたのです(二二〜二四節)。

 群衆がイエスの力あるわざに驚嘆して、「この人はダビデの子ではないだろうか」と言ったとあるのはマタイ特有の記事です。イスラエルの民衆の間には、終わりの苦難の日に神はダビデの子であるメシア(救済者)を送ってくださるという信仰と期待が高まっていました。マタイは福音書の冒頭(一・一)からイエスをそのダビデの子であると宣言してきました。イエスのメシアとしての働きをまとめた第二ブロックの物語(八〜九章)において、本来イエスの働きの期間の最後になされた盲人のいやし(二〇・二九〜三四)をあえて重複させてもってきたのも、「ダビデの子よ」という盲人の叫びによって、イエスの働きがダビデの子としての働きであることを示唆するためでした(九・二七)。イエスの力あるわざをまとめたこのブロックの物語を締め括る位置に、群衆が驚嘆して「こんなことは、今までイスラエルに起こったためしはない」と言ったとありますが(九・三三)、それはダビデの子としてのイエスの働きに対する驚嘆であったのです。今それが「この人はダビデの子ではないだろうか」という言葉で表現されるにいたったのです。
 
 それに対して、ファリサイ派の人たち(マルコでは「エルサレムから下って来た律法学者たち」)は、「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と言ったのです。イエスは悪霊どもの頭であるベルゼブルに取りつかれ、その力を用いて子分の悪霊を追い出しているというのです。強い霊力をもって悪霊を追い出して病人をいやす霊能者を、当時のユダヤ教は「魔術師」と呼んでいました。イエスを「魔術師」と呼び、その奇跡を魔術として批判する者とそれに対抗する論争は、古代のユダヤ教文献にもキリスト教文献にもしばしば出てきますが、福音書の「ベルゼブル論争」はその源流となるのです。

 批判者たちのイエスに対するもう一つの呼び方は、「人を惑わす者」あるいは「詐欺師」です(二七・六三〜六四)。「魔術師」と「詐欺師」はイエスに対する一対の非難の呼称として、古代の論争によく用いられました。

 マタイがイエスに対するユダヤ教会堂からのこの非難をとくに重視していたことは、この非難を繰り返し取り上げていることからもうかがわれます。すでに、イエスの力ある業(奇跡)をまとめたブロック(八〜九章)を締め括る位置に、民衆の驚嘆と対比して、ファリサイ派の者たちの「あの男は悪霊の頭によって悪霊を追い出している」という批判を置いています(九・三四)。また、派遣説教の中にも、「家の主人(イエス)がベルゼブルと呼ばれる」という敵対者たちの批判が引用されています(一〇・二五)。
 
 さらに(後述するように)、ベルゼブル論争の後に、語録資料Qからの語録を重ねて、この問題を入念に取り扱っています(一〇・三三〜四五)。おそらく、マタイの共同体もユダヤ教会堂側から同じ非難を受けていたので、それに対抗することは現実の差し迫った問題であったのでしょう。「家の主人がベルゼブルと言われるならば、その家族の者はもっとひどく言われるであろう」(一〇・二五)という語録は、マタイ共同体の現実の姿であったと考えられます。
 
 「ベルゼブルの力によって悪霊を追い出している」という非難に対して、イエスは二つのたとえをもって答えられます。第一は内輪で争う国と家のたとえ(二五〜二六節)であり、第二は略奪者のたとえ(二九節)です。第一のたとえは、もしイエスが悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出しているのであれば、それはベルゼブルまたはサタんの支配の分裂であり自己崩壊を意味するのであるから、そのような非難は矛盾であることを指摘しています。たとえそのものはマルコと同じですが、マタイはこのたとえの後ろに、「わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる」(二七節)という語録を加えて、ユダヤ教でも行われている悪霊払いの事実を指摘して反論しいます。そして、「しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」(二八節)という語録を加えて、イエスの力あるわざは神の霊によるものであることを明白な言葉で宣言します。この二つの語録はルカと共通しており、語録資料Qからと考えられますが、ルカでは「神の指」とあるところをマタイは「神の霊」と言っているのも、イエスの働きを神の霊によることを強調したいマタイの意図を示しています。
 
 ここの文脈においては、この語録はイエスの働きが悪霊ではなく神の霊によるものであることを強調していますが、同時にこの言葉は、神の支配がすでにイエスの働きの中に到来していることを宣言しており、福音が告知する「神の支配」の性質について重要な宣言となっています。
 
 マタイは、イエスは神の霊によって悪霊を追い出しているのだと宣言した後に第二の略奪者のたとえを置くことで、このたとえの意味を明白にしています。イエスが悪霊を追い出しておられるのは、イエスがすでに「強い人」を縛り上げている、すなわち神の霊の力によって悪霊どもの頭であるサタンの支配を打ち砕いておられるからだというのです。イエスは荒れ野でサタンとの対決に勝利し、「サタンが電光のように天から落ちるのを見た」(ルカ一〇・一八)方なのです。

 「ベルゼブル」という名の意味や、二つのたとえの内容については、「マルコ福音書講解 18」を参照してください。

 マタイはここに「わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている」(三〇節)という語録を置いています。これもルカと共通で、語録資料Qからのものでしょう。もともと別の文脈にあったこの語録をここに置いたのは、イエスの中に神の支配が現に到来している以上、イエスに対する中立的な立場はありえない、全面的に従うか敵対するかのどちらかであると迫るためでしょう。

聖霊に逆らう者

 31 だから、言っておく。人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、御霊に対する冒涜は赦されない。32 人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。」 (一二・三一〜三二)

 マルコでは、このように神の霊によって力ある業をしておられるイエスを、律法学者たちが「汚れた霊に取りつかれている」と判定したことに対して(マルコ三・三〇)、これを聖霊に対する冒涜として、次のように厳しい断罪の宣言がなされています。「よくあなたがたに言っておくが、人の子らには、犯すどのような罪も、神を冒涜するどのような冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は、永遠に赦されず、永遠に罪ある者とされる」(マルコ三・二八〜二九)。ところがマタイはこれをマルコとは微妙に違う言葉で伝えています。

 A「人には、犯すどのような罪も、神へのどのような冒涜も、すべて赦される。しかし御霊を冒涜することは赦されない」。
 B「また、人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも来るべき世でも赦されることはない」。
 
 マタイでは赦される罪と赦されない罪との対比が二組になっています。第一の組Aはマルコの句とほぼ同じですが、第二の組Bでは聖霊に言い逆らう罪が「人の子」に言い逆らう罪と対比されています。マルコでは「人の子」は複数形で人間一般を指し、罪を犯す側ですが、マタイでは単数形でイエスを指す称号として用いられており、冒涜の対象として聖霊と対比されています(ルカは一二・一〇で第二の組の対比だけを全く別の文脈で伝えています)。このように「人の子」の意味が違う以上、それと対比して語られている「聖霊を冒涜する(汚す)罪」の内容についても、マルコとマタイの違いを検討しなければならなくなります。
 
 イエスが用いておられたアラム語においては、「人の子」という表現は本来「ある人」、「ひとりの人」という意味であって、人一般を指す用語です。ところがこの日常的な用語が、イエスの時代にはダニエル書のような黙示思想の文書の中で、終わりの日に野獣的支配権力を滅ぼして神の支配をもたらす超越的人格存在を指す語として用いられるようになっていました。そこでイエスが日常的な「ある人」という意味で使われた「人の子」が、イエスを終末的な「人の子」と信じる人々(語録資料Qを形成した集団もそうです)によって伝承されていく過程で、その本来の意味を越えて終末的な称号として理解されるようになる場合も起こってきます。ここはそのような場合の一つではなかろうかと考えられます。おそらくマルコはイエスが用いられた本来の日常的な意味を保存して伝え、マタイ(とルカ)はそれを越えて、その中に含まれる終末的な意味を汲み出して伝えた、と考えられます。
 
 マルコの句においては、イエスがされている業を「汚れた霊」によるものとしたことがただちに聖霊を冒涜する罪として断罪されています。それに対してマタイ(とルカ)の表現には初代教団の宣教活動、とくにユダヤ教徒に対する宣教が背景になっていることがうかがわれます。すなわち、イエスが用いられた「人の子」が黙示思想的な称号として理解されて地上のイエスに適用され、「人の子」すなわち地上のイエスに言い逆らい反抗することと、聖霊に言い逆らうこととが対比されることになります。地上のイエスに反対したことは、イエスを十字架につけたことまで含めて赦される。それに対して、復活後の教団が聖霊の力により福音を宣べ伝えたとき、聖霊の働きに直面しながらイエスが復活者キリストであることを拒む者は、神の最終的な救いの業を退けるのであるから、もはや赦しはありえないことになります。神はキリストの十字架において人間の一切の罪を贖い赦しておられる。そしていま福音の言葉により聖霊の迫りの中で直接聴く者の霊に啓示しておられる。この最終的な赦しを拒む者はもはや赦される機会がないというのです。
 
 マルコの罪を犯し赦される側の「人の子」をイエスに対する称号に転用することによって、マタイは地上のイエスに対する言い逆らいと聖霊に対する言い逆らいを区別します。そうすることで、現在マタイ共同体が聖霊によって宣べ伝えている福音に対するユダヤ教会堂側の反抗を厳しく断罪するのです。地上のイエスに逆らって死に至らせたことは赦される。しかし、聖霊によって復活されたイエスに逆らうことは赦されないという宣言です。この断罪は同時にイスラエルに対する最後の呼びかけでもあります。イエスを殺したことは赦されるのであるから、いま聖霊によって宣べ伝えられている復活者キリストを信じ受け入れるようにという呼びかけでもあるのです。

木はその実で知られる

 33 「木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる。34 蝮の子らよ、あなたたちは悪い人間であるのに、どうして良いことが言えようか。人の口からは、心にあふれていることが出て来るのである。35 善い人は、良いものを入れた倉から良いものを取り出し、悪い人は、悪いものを入れた倉から悪いものを取り出してくる。36 言っておくが、人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる。37 あなたは、自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪ある者とされる。」 (一二・三三〜三七)

 木はその実で良し悪しが知られるというたとえは、すでに「山上の説教」で偽預言者を見分けるようにという警告の中で用いられていました(七・一五〜二〇)。マタイはこのたとえを、イエスの働きが聖霊によるものであることを主張する文脈でもう一度用います(三三節)。イエスの働きが悪霊の頭によるものではなく神の霊によるものであることは、その働きの結果を見れば分かるではないかという主張です。同じことが倉からものを取り出す人のたとえで繰り返されます(三五節)。善い人は自分の内に良いものだけを入れているので、そこから出てくるものは自然に良いものだけであるが、悪い人からは悪いものだけが出てくるというのです。

 この二つのたとえでイエスの働きが神の霊による「良いもの」であると主張すると同時に、イエスを拒否する者たちを「蝮の子ら」と決めつけて、本性が悪であるから悪いものしか出てこないのだと断罪するのです(「蝮の子ら」という表現は洗礼者ヨハネが用いた句であり、マタイがヨハネと共同戦線に立っていることをうかがわせます)。それは、彼らのイエスへの拒否(不信仰)はそのような性質の悪であると言っているのです(三四節)。
 
 そのさい、信仰とか不信仰はイエスに対する告白の言葉の問題として取り扱われます。悪い人が悪い言葉(イエスへの非難と拒否)を語るのは、その本性が神に逆らう悪であるからだというのです。口から出る言葉は、心にあふれている中身が外に出てくるのであって、心と一体です。心と口(言葉)の一体性は、「心で信じて義とされ、口で言い表して救われる」(ロマ一〇・一〇)など、新約聖書では繰り返し強調されていますが、ここでは悪しき言葉(イエスに対する非難の言葉)が神の裁きの日に責任を問われるという面が強調されています(三六節)。
 
 この段落は、人間の霊性は言葉と一体であるという原理(三七節)を語っていますが、マタイがこの福音書を書いた状況では、イエスを悪霊の力によって人を惑わす「魔術師・詐欺師」であると非難する会堂に対してなされた反論であり断罪であるという性質が濃厚です。

しるしを求める

 38 すると、何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、「先生、しるしを見せてください」と言った。39 イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。40 つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。41 ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。42 また、南の国の女王は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。」 (一二・三八〜四二)

 マルコ(八・一一〜一二)では別の文脈に置かれている「しるしの拒否」を、マタイはベルゼブル論争との関連でも用いてここに置きます(マタイは一六・一〜四で再度用いています)。これも「よこしまで神に背いた時代」に対するマタイの断罪です。

 イエスの働きが神の霊によるものであるという主張に対して、敵対する陣営からその「しるし」(証拠)を示せと言う要求が繰り返されたのでしょう(三八節)。イエスに対してもしるしが要求されましたが、イエスは単純にそれを拒否しておられるだけです(マルコ八・一一〜一二)。ところが、マタイは「ヨナのしるしのほかには」を加え(三九節)、ヨナのしるしとは「人の子」であるイエスの死と復活を指すことを明言します(四〇節)。すなわち、イエスの復活こそ最大のしるしであって、イエスの復活を信じない者には、それ以外のいかなるしるしもありえないと、彼らの要求をはねつけるのです。
 
 このような付加はイエスの復活後になって初めて可能になるのですから、(ルカと共通の)この語録は語録資料Qの段階で成立したものと見られます。マタイはそれを用いて、イエスの復活を信じない「今の時代」の会堂の不信仰を断罪するのです。
 
 ところで、ヨナの物語の本来の核心は、神の裁きを宣べ伝えるヨナの説教を聞いたニネベの人たちが悔い改めたことですから、マタイはヨナ物語の本題に戻って、「ヨナにまさるもの」(中性名詞でキリストにより到来した終末的事態を指す)が来ている今は、ニネベの異邦人以上にイスラエルはキリストの福音に聴き従って悔い改めるべきであることを加えます(四一節)。「南の女王」の物語も同じです。イスラエルの知恵を代表する「ソロモンにまさるもの」が来ている今は、イスラエルは異邦の女王以上に、この終末的な知恵である福音に聴き従うべきであると、マタイは「今の時代」に訴えるのです(四二節)。

戻ってくる悪霊

 43 「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。44 それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。45 そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」 (一二・四三〜四五)

 新約聖書時代のユダヤ人社会では、悪霊祓いはよく行われていました。だいたい病気は悪霊の仕業だと考えられていたので、祈祷(や呪文)による治癒は悪霊祓いの結果であると見られていました。そのさい、治癒は一時的で、再び以前よりも悪い状態に陥るケースもしばしばありました。そのようなケースは、追い出された悪霊が仲間の悪霊を引き連れて戻ってきたのだと説明されました。マタイはそのような悪霊祓いのケースを用いて、「この悪い時代の者たち」も同じだと断罪するのです。「この悪い時代」というのは、マタイの時代のユダヤ教会堂勢力です(この段落もルカと共通で、語録資料Qからと見られます)。

 マタイが「この時代」というとき、マタイは洗礼者ヨハネとイエスの宣教から始まりマタイ自身の時代にいたるユダヤ人社会を念頭に置いていたはずです。それは「悪い」時代であったのです。ユダヤ人社会を指導する最高法院や会堂は、洗礼者の迫っている審判の告知を聴いても悔い改めず、イエスの「神の支配」の使信を受け入れず、家を空き家のままにしていたので、偏狭な国粋主義という狂気(悪霊)に取り憑かれてユダヤ戦争を引き起こし、ついに壊滅的打撃を受けたのです。ユダヤ戦争敗北によってその狂気は取り除かれましたが、その後に成立したファリサイ派主導のヤムニヤ体制は、さらに悪くなり、厳格な律法支配の体制の下にイエスの民を異端としてユダヤ人社会から追放しようとするに至ったのです。マタイには「この時代」は以前よりもますます悪くなっていく時代であったのです。

神の家族

 46 イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。47 そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。48 しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」49 そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。50 だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」 (一二・四六〜五〇)

 イエスがユダヤ人社会から拒否されていく姿を物語ったブロック(一一〜一二章)の最後に、マタイはイエスの下に集まる小さい群の姿を描いて、次の第四ブロック(一四〜一八章)の主題となる「イエスの民」の存在を萌芽の形で示唆します。

 この段落のイエスの家族は、マルコ(三・三一〜三五)では否定的な色合いで描かれていました。イエスの身内の者たちは「彼(イエス)は気が変になっている」として取り押さえに来た(三・二一)物語の続きに置かれているので、イエスの母と兄弟が外に立って、人をやってイエスを呼ばせたのも、イエスの活動を止めさせようとしている印象を与えます。マタイは、誕生物語で母マリアの信仰を高く評価した立場もあり、この否定的な色彩を取り除いて、ただイエスと話をしたいので外に立っていたとしています。しかし、内容はマルコと同じく、イエスとの結び付きは親子とか兄弟という血縁によるものではなく、「天の父の御心を行う」という霊的同質性だけであることが際だ立たせられます。福音の場では、「天の父の御心を行う」とは律法の完全な順守ではなく、イエスがそうであったように、父の恩恵に委ねきった在り方を指します。そのような父の御心にかなった者が、イエスを長兄とする神の家族なのです。家族とか民族という血縁は、神の家族となるのに何のかかわりもありません。


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